相良良晴←ヤンデレ   作:コーレア

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第190ー2話

7月5日

豊後・戸次川

 

 肥後国にある阿蘇山を東に抜けると豊後国に入るが、基本的に府内までは大野川沿いに進んで行けば辿り着く。国道も、鉄道も大体そんな経路を辿る。前日に肥後からやって来た阿蘇・名和・相良の3つの家の連合軍も、その経路を辿ってきた。

 一方、長年にわたり争い続けていた島津家と伊東家の連合軍は、豊予海峡沿いに進めば山がちで正面からぶつかるしかないので、佐伯惟教の居城・栂牟礼城をさっと落とした後は山道を登り、海岸線よりまだ広い大野川沿いに出て、2つの連合軍は合流する。

 一方、その隠そうとしない動きを見聞きしていた毛利軍の小早川隆景は、佐伯などから立地を聞いて、府内にこもるのではなく打って出る事に決める。

 

「そう、選ぶだろうな、やっぱり」

 

 平たい所に出て広がられるよりかは狭い所にいる間に攻める、という慎重な性格の隆景が選んだ動きに、筑後の相良良晴は呟く。

 一方、その良晴からの手紙1通で全てを察した島津義久は、隆景の動きに笑みを浮かべる。

 

「島津殿?」

「これよ」

 

 若き勇将・伊東義益が聞いてくると、義久は笑顔のままずっと懐にしまっていた書状を出す。

 伊東家に送られてきた大友義鎮から送られてきた書状に付け加えられて書かれていた文を読み、義益は成程とうなずく。そして、義久が隠そうとしない事の意味を察する。

 知勇の双方に優れ、優男で、顔もまあまあ良いという義益が勝手に全てを察してくれたおかげで、義久は連合軍の主導権を握る事になる。

 

「私は島津殿に軍権を預けたいと思うが、そなたらはどうだろうか?」

 

 そして、それは軍議での義益の言葉で既成事実となる。

 義鎮に反逆した義鎮のおじ・菊池義武を保護した過去がある相良家と、少ない数を送ってきた名和家はもちろんながら、両家と同じく当主が参陣していない阿蘇家も、当主と数千の軍で参陣してきた島津家と伊東家の言葉にはなかなか逆らえない。

 全権を手中にした義久は、すぐに大野川沿いにある毛利方の鶴賀城の包囲を始める。

 

「二の丸も突破されました!」

 

 いや、包囲というよりかは、文字どおり攻めあげていた。

 

「これが甲斐宗運かっ」

 

 そう呻くのは鶴賀城の城主・利光鑑教……ではなく城代の彼の一族だった。主君救援のために当主が外に出た後、隆景が府内に上陸すると早々に反旗を翻したのである。

 そして、彼は阿蘇家の重臣・甲斐宗運の猛攻に舌を巻いていた。防ごうにも、まるで襖のように容易く破られる勢いに。

 だが、彼としても負けられなかった。噂話として、戦後に義鎮が利光家の粛清を考えているというのが広まっていたからだった。だから、彼としては小早川隆景に賭けるしか出来ず、そのためには負けられないのである。

 

「頃合いか」

 

 猛攻を見せていた宗運だが、ぽつりとそう呟くと、義久から預けられた軍配を上げて「撤退だ!」と叫ぶ。

 相手が消耗しきるまで戦い宗運が撤退を選んだのだ、という考えが城代に実感できたのは、小早川軍が自分達の救援のために動き始めたという報告を受けてから、そこで漸く彼は寝る事が出来た。

 だが、彼は知らない。……むしろ知らない方が良い会話が、甲斐宗運と島津義久の間であった事を。

 

「これで良いか?」

「うん。これで阿蘇家の役割は終了。大友家への取り成しも責任持ってやるよ」

「それもこの戦いに勝てば、だろう」

「もし負けても滅ぶのは大友家だけ。さすがに、奥深くまでは来ないよ」

「…………この鶴賀城は餌か?」

「それ以外に何があるの?」

 

 そんな張り詰めた空気の中の会話だ。

 一方、鶴賀城を攻める南九州連合軍とは大野川を挟んで対岸にある所にやって来た小早川・北九州連合軍は、目の前の敵と戦うためにゆったりと警戒しながら展開していく。

 決戦は明日、と決断した隆景に胃を唱える者はいなかった。この日の夕刻までは、だったが。

 

「太宰府の真上の岩屋城が陥落しました!」

 

 まず、その情報が来て。

 

「穂井田殿が敗れました!」

 

 次いで、その情報が来たからだ。


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