4月5日 朝
若狭
朽木谷から水坂峠を越えて春の北国に入ったのは、朽木軍に加えて六角軍。
だいぶ後に軍港として栄える事になる青い海を左手に見ながら古坂峠を越えたのは、一色軍に加えてごく少数の但馬山名軍。
前者は浅井軍が、後者は丹波衆がほとんどいないという中での進軍だったが、信豊方の残党が若狭国内で蜂起してくれるらしいので楽観視する者が多かった。
「大人しすぎる……」
しかし、それをしていない者もいて、その中の1人が一色家に派遣された将軍家に仕える者達の1人である三淵万吉、後の細川藤孝だった。
細川家の1つである和泉細川家に入ることが内定している彼女は、余りにも静かな現況を見て、より警戒度を増す。
「恐れを成しておるのだろう」
と、楽観視しているのは、彼女の異母兄であり、彼女より強く将軍家に仕える事を信条としている三淵藤英である。
意気揚々と若狭の地を踏み入れた一色家も、ほとんど警戒心は抱いておらず、信豊方の残党の1人が待つ所へと歩みを進める。
そして、その大将の呑気さが足軽などにも広まった頃。
頼次考案、若狭・丹波・三好の各衆実演による『釣り野伏せ』が始まる。
東では和田
死傷者は予想外に少なかったが朽木・一色両軍は若狭に足を踏み入れて数時間後には追いやられ、すぐに信豊方の最後の残党も追われる。
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4月9日 朝
越前・
「高島家と朽木家の調停、終えてまいりました」
その日、金ヶ崎城から宗滴は朝倉家の本拠地である一乗谷にやって来て平伏していた。
越前を事実上支配していると言えよう老人が頭を下げているのは、公家装束の30代の男。
義務的な報告に何の反応も無いといういつも通りの彼の応対に、宗滴は胃が締め付けられるような思いにかられながらも、彼の私室から立ち去ろうとする。
「待て」
その直前に、ぶっきらぼうな声が聞こえ、彼をしごきまくった宗滴は足を止める。
「もってどれくらいだ?」
平坦な声。
しかし、特に彼には厳重に隠してきたはずの事を聞かれた事に驚きつつ、彼は答えるか否か迷った。
「……桔梗の者から教えられたが、やはりお主は固いな」
その言葉に、宗滴は雷を打たれ、様々な思いがあふれでる。
「爺の小言は五月蝿《うるさ》いのでは?」
「それは変わらんさ。この俺が作った『源氏物語』の世界を守りたいだけだ」
お飾りとも言われている幼い頃に母親を亡くした朝倉家当主・朝倉義景と、彼を様々な思いで育ててきた朝倉宗滴。
2人の仲を知る者達は、長きにわたる義景の私室での密談に、気が気でなかったという。
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北近江・浅井久政、六角義賢に対して人質を長政から彼女の弟への交換を迫る。
若狭・武田義統、主要な家臣を集めた評定の中で三好長慶との同盟を決め、逸見と内藤が丹波・八木城で締結。
東丹波・宇津頼重、朝廷との長年の問題だった山国庄を返還。代替地を譲り受け、幕府の家臣から正式に脱する。
但馬・山名祐豊、太田垣など家臣の求めもあって、三好家と不戦の契りを結び、因幡に集中する。
播磨・赤松義祐、家臣の小寺家や元黒田姓の小寺職隆の求めもあり、三好家と不戦の契りを結び、こちらは龍野など西播磨に集中する。
南伊勢・北畠具教、六角家が勢力圏とする北勢・志摩に進出開始。
南近江・六角義賢、浅井や北畠が動かない内に何らかの決着をつけようと動き始める。
そして5月3日。
比叡山の門前町である近江・坂本の町に、3000の兵を率いて足利義輝と細川晴元が現れる。
後に『北白川の戦い』と呼ばれる三好長慶と足利義輝の間の最後の戦いは、こうして幕を開けた。