4月15日
信濃国諏訪郡
上杉謙信の出奔。
その報に誰もが驚いていたが、一番驚き、そして悩んだのは相良良晴だと後に周りの3人は口を揃えて言った。
史実には無い2度目の高野山への出奔であり、良晴は高野山かどこかの寺に入れば恐らく2度と俗世には現れてこないだろうという直感のようなものがあった。それ故に、彼は迷っていた。
「会うか会わないか、止めるか止めないか」
尾張のあいつを助けるなら止めないのが良い事なのだろうが、だがその計算も諦めもやはり元々彼に宿っている気持ちは許さなかった。
「昌幸」
「東山道を辿りますがよろしいですね?」
「……ああ、けどーー」
「越後には戻らないでください、絶対に。戻れば越後どころか春日山城から出られないようになるでしょうし、今回の意味が無くなりますし、皆が寂しいですから」
「……わかった」
そして、良晴は旅路を変える。
東山道を経由して、謙信に追い付くまで。
西郷長丸と瀬名三郎と共に。
最悪の場合は高野山へと、
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4月21日
紀伊・高野山麓
東山道を辿り木曽谷、井ノ口、米原、観音寺、大津、伏見とかなり早めのスピードで、4人は上洛したが、その伏見城下で既に通り過ぎた後だと聞いた。
なので、生駒山地沿いにある東高野街道を南下したが、そこでも捕捉できず、最終的に出来たのは入山を迫る謙信に困り果てていた高野山の山門でだった。
「……良晴?」
だいぶ遠くから歩いてきても、謙信は良晴の気配に気付き、彼を視界に捉えると走り出した。
「虎千代……」
「会いたかった、会いたかったっ」
絹のような髮はぼさぼさで、赤い瞳の下には隈が深く刻まれ、着物も所々が破れている。
そんな痛々しい姿の謙信に心が締め付けられながらも、しかし良晴は思いを告げなければならない。
「ささっ、こちらに」
だが、山門の前だと目立ちすぎるので、高野山の僧の案内で山麓の村の1つに案内されて、そこにある神社の1つを借りる。
「戻ってきて、私の所に」
開口一番、良晴の目の前に座る謙信は、彼の両膝に手をつきながらそう切り出した。
長丸や三郎ならともかく昌幸さえも思わず震えてしまうような鋭い瞳を向けられた良晴は、静かに、だがはっきりと首を横に振る。
「どうして? 何でもするわ。戦をやめろだったら止めるし、上杉になるなだったら長尾に戻る。政景も、越後の男達も、越後の皆も良晴を認めている。だから……」
「けど、俺のこの世界の実家は北条家であり、その中で俺なんかを慕ってくれる人々なんだ。例え、俺だけを連れ去ったとしても、両方合意してなきゃ義に反しているだろう?」
「……義を出すのは反則」
上杉謙信は生粋の戦国武将だ。
だから、良晴が言わんとしている事は、彼が越後にいる時からわかっていた。
「けれど、北条家は絶対にあなたを手離そうとしないわ。北条綱成と北条氏照は確実に、他の北条家の娘達も怪しい」
「……そんな事はーー」
「無いわけが無い。じゃなかったら……ここまで私を追い詰めたりしない」
「………………」
「……けれどもわかった」
上杉謙信は、顔をあげる。
「このまま連れ去ってもしこりが残るのは確実。だから、北条家からあなたを
わあっ、と思わず長丸が小さく声をあげ、一応いた高野山の僧を含んだ他の者達もそれぞれの反応を見せた宣言に、良晴はうなずき、彼女の頭を撫でる。
「願いを変える」
充分に良晴の暖かみを堪能してから、謙信は僧に微笑みながら言う。
「長尾政景と古河公方様の葬儀のために高僧を派遣してほしい」
「は、はいっ。誰を出すか決めてきますのでこの里でお待ちください!」
「わかった」
駆け出そうとしたその僧を止めたのは、ふと川岸にある里の名前が気になった良晴だった。
「高野山と 開かれた
九度山、と。
「……では」
その数時間後の事だった。
「お姉様!」
道の変更とその理由から、父親にそれとなく命じられ、良晴らの後を駆けてきた者達が辿り着いたのは。
「……どなた?」
「あっ、今川家の方ですね! 初めまして! 昌幸お姉様の妹である
彼女が来たとき、思わず良晴は天を見上げてしまい、昌幸らに心配される。
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4月22日
摂津・本猫寺
諏訪から高野山まで、良晴ら一行は繊細に隠す事なく突き進んでいった。なので、わかる人には彼らが通りすぎていったのがわかる。
そのわかった者の中の1人にけんにょがいて、彼女は久しぶりの良晴との対面を望む。彼女と彼が会うには問題は無かったが、彼の同行者の1人になっていた上杉謙信が彼女と会うには問題があった。また、良晴が背負ったりはしたが、長丸の足の具合も
「久しぶりにゃ」
「ああ。狐の時以来か?」
「そうにゃ。あれのお陰で、上杉家への敵意が和らいだにゃ」
「そうか」
これからも北条家と本猫寺としてよろしく頼む、という定型的な会合を終えた良晴は、本猫寺の南、天王寺の北東にある岡山古墳の近くの医者の所に、本猫寺の者と話していた武藤昌幸と上杉謙信と共に行く。
本猫寺の東の壁から川を挟んだ所にある
「頑張ったな」
「良晴がいたから大丈夫だっただけ」
「……」
一方、瀬名三郎が付き添う西郷長丸には1日は絶対安静と言われたので、一行の中で一番体力のある良晴が背負う。そして京都の手前、男山にある石清水八幡宮の門前町の宿に泊まる。
八幡宮は武家の神様なので、翌日は全員が参拝して、東へと進み始める。
「迷惑かけた」
「いえ。観音寺城下も見れましたし」
近江の草津で直江兼続が迎えに来た上杉謙信と別れ、良晴らは東海道に忠実に沿って歩いていく。
そして、三河国で。
良晴はまた天を仰ぐ。