3月21日 朝
常陸・那珂川上流
片倉小十郎は、主である伊達良宗をずっと見てきて、上杉謙信との和平の後からの異常も見てきた。
「この先に相良がいる……」
例えば、鎌倉公方の足利良氏からの偏 という形の『良』の字が入った名前をやたら名乗っていた。
例えば、性格的には外征を推し進めていく性格なのに、異様に内政を北条家にならってしていた。
そして。
「また相良に褒めてもらうのだ」
そして、初めて自分を真正面から認めてくれた相良良晴に近付く事に、彼の名前がよく上がる事になる。
「姫」
「なんじゃ?」
「相良良晴をどう助けますか?」
「にゃ!? しゃ、相良じゃなくっ、佐竹義重と宇都宮 じゃ! 上杉謙信は勝てたらいいなあ、ていう程度で……」
「勝てたらいいなあ、で勝てたら苦労はしないと思います」
小十郎が思わず突っ込んだ直後、伝令が本陣に駆け込んできた。
「準備完了しました!」
「よし! 一休みして出航にゃ!」
「はい!」
この頃の那珂川は、水源の那須岳からの雪解け水や春雨によって水の勢いは強くなっていたが、名取川などで練習してきた伊達軍にとっては関係なかった。
流石に全軍ではないが、精鋭達が
「川下りが良い事を示すのじゃ!」
『うおー!!』
史実では、木下藤吉郎が最初にやった事を、相良良晴に教えてもらった伊達良宗は実行する。
川沿いの泥濘《ぬかるみ》を馬や足で走るよりも格段に早く、伊達軍は下っていく。
「合図の煙だ!」
船団の一番前の男達が見たのは、忍が命懸けで炊いている煙と、その先の戦いだった。
「那珂川に入ってるのは……」
「上杉軍だ! がむしゃらに入ってるな!」
「よくわからんが良い事だ!」
男達が言い合った通り、増水している那珂川に踏み入れているのは上杉軍だった。
だが、興奮していなければ、彼らは気付けたかもしれない。
「はじめ」
予想していたより少ない事に。
それに気付けたのは、上杉軍本隊より上流の所に潜んでいた柿崎隊や、水戸城にいた江戸軍が弓矢を射ち始めた後からだった。
その苛烈な攻撃によって、うろたえ、陣形が崩れ始めた伊達軍だったが。
「姫!」
「これは片道通行! そのまま上杉軍の前に上陸にゃあ!!」
『うおー!!!!』
伊達良宗がぴょんぴょんと前に跳んで声を上げた事で盛り返す。
「馬鹿ね」
その意気軒昂な伊達男達を冷静に、ではなく憐れむように柿崎景家は評し、視線を水戸城の南側へと移す。
「あの者達は?」
「伊達軍です。恐らく我々の前に上陸しようとしているものかと」
「ならば」
景家の視線を感じたからかはわからないが、その先の彼女は動き始める。
「蹴散らすだけ」
無心の軍神が。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
時間は、まさに伊達軍が那珂川を下り始めた所までさかのぼる。
その時、雲間の隙間からの柔らかい陽光に照らされていた水戸城は、張りつめた空気になっていた。
「自分で出た訳じゃあーー」
「無いでしょうね」
長尾政景と直江景綱の2人は、昨日いつも通りに別れた少年にあてがわれた部屋を見ながら呟く。
鎧兜は倒れ、刀は畳に突き刺さり、内政が主な書類達はそこら中に散らばり、その上には赤い斑点が何個もあった。
「こりゃあ激昂するのも仕方ないな」
「ええ」
城の通用口の1つを通った血痕の連なりは、すべての城兵が気絶させられていた城門の1つも通り、一直線に那珂川へと向かっていた。
「忍か」
「小汚ない手を」
そして、そういう具合に越後の者達から愛されている相良良晴が川へと消えていった事から、直感で小龍が使ってくる戦略を読んでいた謙信はそれを迎撃して勝つという戦略を変え、朝から攻める事に上杉軍の多くは賛成した。
一刻も経たない間に、上杉軍は弓矢による援護もした上での渡河を始め、佐竹・宇都宮連合軍は戸惑った後に対処し始める。
その一進一退の攻防の中、伊達軍は集団川下りで突入してきたのだが、読まれていた戦略なのでその効果は薄かった。
「持久戦の様相だな」
「もしくは消耗戦」
長尾政景と直江景綱の話し合いは続くが、そこに新たな者が加わる。
「長尾、直江」
「関白様!?」
「どうされました?」
「相良が拐われた部屋を見ていたのだが、相当の手練れで、だからこそ忍の流派というのも朧気にわかる」
近衛前久は言う。
「相良を拐ったのは甲斐の者だ」
「はあ!?」
「……武田信玄ではなく……」
「恐らく武田信虎だ。奴の手先が拐い、上杉軍を佐竹軍に仕向けた」
目的は……。
「武田家を攻めさせないため」
「……高梨や村上、小笠原か」
「恐らくは」
となれば……。
「止めるにはやっぱり……」
「あの少年だけでしょうね」
「私に行かせてください!」
聞いていた者は名乗りを上げる。
「……良いのか?」
「はい」
そして、本戦より重要と一部の者達に言わしめた戦いが始まる。