3月18日
下野国南部から東へ足利家、佐野家、小山家、結城家があり、常陸中南部には
昨日までは、これらの内で足利家が上野衆の一部として動き、大掾家と江戸家は主に北の佐竹家と戦い、上杉謙信から支援を受けていた。しかし、結城家の鞍替えによって状況は変わる。
「やはり北側は危険だな」
「難しくなりますね」
古河城の北東にあるのが結城家で、そこが敵になるという事は、安心して囲めないという事になり、北条軍は奇襲に警戒しつつ撤退する。
「一気になったの」
「……もしもの時はよろしくお願いいたします」
北条軍と共に集中して古河城を攻める計画だった小山家は、西方の佐野家に次いで東方の結城家も敵方にまわったため、守勢にならざるを得なくなる。
「やばいの、やばいのぉ!」
結城家の南東にある小田家。長らくの宿敵が再び敵になった事で、小田氏治は進路を関宿城から小田城へと反転し引き戻る。
「進軍」
唐沢山城を落とし、結城家を味方につけた事で士気が上がった上杉軍は、意気揚々と城下を出て古河城奪還へと向かう。
「御輿にもならない」
その古河城では、1人の男が部屋の1つへと文字通り放り投げられていた。
「落とし方はわかった。撤退じゃ」
「はっ!」
そして、北条軍は撤退する。
古河城と足利藤氏を残して。
「これより、常陸の逆賊を討つ」
『はっ!』
昼過ぎ、ほぼほぼ無人の古河城に入った謙信はそう宣言し、関宿城にも援軍を送りつつ下総北部を整然と横断する。
「お久し振りでございます」
「ええ。鎌倉の外で別れて以来ね」
上杉謙信と結城晴朝。
史実では共に後継者問題に悩む事になる2人は、晴朝の家臣・多賀谷政経の多賀谷城《茨城県下妻市》で再開する。
「相良も久し振りね」
「ああ」
一緒に鹿島神宮までまわった仲である3人は、微妙な立場かつこの場での再開にやはり微妙な空気で見合う。
「良晴、来て」
それを霧散させたのは謙信で、良晴が応じる事で無くなる。だが、政経の呟きに晴朝は僅かにうなずいていた。
「嫌そうだったね」
その一言に、ゆっくりと、目を細目ながら。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
3月19日
常陸
上杉軍が多賀谷城にいる間に、北常陸の佐竹義重は動いていた。上杉謙信を迎撃するために。
この日、彼女は上杉謙信との間にある
気持ちをすぐに切り換え、部下達を鼓舞しつつ、明日はどう攻めるか考えていた彼女の所に、南日立に送っていた忍が帰ってきたのは夕方の事だった。
「小田城落城でございます」
「……集めきれず一か八かに出てみたけどあえなく失敗した、という所?」
「ご慧眼恐れ入ります。現在、小田氏治は支城に逃れていますが、上杉軍は追おうとしません」
「本城は落とした。後は佐竹家だけ、ね」
義重は昨日届いた上杉謙信からの書状の中身を思い起こす。
『佐竹義人殿より山内上杉家の血が佐竹家をあなたまで継がせている。あなたは、私の義兄の長尾政景に家督を譲るべき』
父親も珍しく激昂した書状を
「焦っている、か」
「はっ?」
「何もないわ」
義重は思う。
自分でも予想外に落ち着いているな、と。
彼女の気持ちがわかるからかな、と。
「敵を排し自分だけのものにしたい」
その呟きと笑顔に、南常陸担当の忍は初めての悪寒を感じる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
3月20日
常陸・那珂川両岸
小田城を出て、土浦城の小田氏治を無視し、府中城と小幡城で休憩をした上杉軍は、夕方に馬場城下にやって来る。
「お待ちしておりました」
江戸家当主・江戸重通は、門前で謙信を出迎え、そのまま城主の間の上座まで案内する。
「援軍が来たのね」
「はい。下野より宇都宮広綱が佐竹義重に合流しました。代わりに、宇都宮領は宇都宮 と片倉小十郎なる者が守っている模様」
「そして、その下野国内を伊達良宗が南下してきているわけね」
「左様でございます」
同盟相手は見捨てない、という宣言と同時に会津の蘆名領を突っ切って突如現れた伊達良宗。
今は会津と日光を結ぶ鉄路を使って現れた彼女は、予告なしの出現に混乱する宇都宮家を横目に宇都宮から横断し、今の茨城県茂木町の茂木城で休憩している。
「何時には合流しそう?」
「明日の昼までには、かと」
「昼、か」
今は上杉・
常道ならば、伊達軍が来る前の朝に那珂川をこえて攻勢をかけるだろう。だが、相良良晴の影響を受けた上杉謙信は違った。
「明日の昼、総攻撃を始める」
彼女は、同類と見定めている伊達良宗の動きを読んでそう宣言した。
そして、3月21日。
上杉謙信vs佐竹義重・伊達良宗の那珂川の戦いという史実にはない戦いが起きる。