9月20日 夕刻
甲斐・天目山
鎌倉時代から甲斐国の守護になった武田氏だが、室町時代に1度滅んだ事があるのはあまり知られていない。
その滅んだ切っ掛けになったのは関東管領である上杉禅秀氏憲が鎌倉公方の足利持氏に対して起こした反乱で、禅秀の周到な準備に勝機を見出だしたのか妹の実家の当主の彼についた。武田家ではなく千葉家や那須家、更にそれ以外の小田家や宇都宮家もつき、一時は鎌倉も掌握した大乱だった。
そして、この日、武田義信はその先祖が自害した場所に来た。史実において、異父弟の勝頼のように。
「松……」
「お久しぶりです、義信様」
天目山と後世で知られる事になるその山には、すでに密かに躑躅ヶ崎館から脱出してきた一行がいた。
「何故ここにいる? 躑躅ヶ崎で姉上に保護されろとーー」
「私の好きな『御姉様』を1人で行かせるものですか」
「っ」
固まる短い髪があちこちで立っている義信に、微笑みながら長い髪が所々ほつれている松が近付き、そして固い頬にふれる。
「お疲れ様でした」
「…………松」
「はい、松ですよ」
「…………もう良いの…よね?」
「ええ、もう良いです」
そして、今川家から義妹としてやって来た松は微かに視線を外し、義信は後ろに気配を感じる。
「やっぱりここだったか」
「……相良、良晴」
行くところ行くところ現れてくる良晴が、鎧兜もせず、刀も身に付けずにいた。
「金山衆か」
「ああ」
「攻めてこないのも貴方か」
「それはあたしさ」
出てきた少女を見て、彼女の妹は「心残りはないな」と呟いた。
そして。
武田義信とその『妻』の今川松。
長坂昌国と曽根虎盛。
そして彼に付き従った者達は、日が完全に暮れたと同時に『自害』する。
翌日。
諏訪・高島城の牢内で飯富虎昌が自決しているのが見つかる。
翌々日。
武田晴信は、内乱の終結と3人の国主の躑躅ヶ崎館への招待を宣言する。
9月24日。
4者は躑躅ヶ崎館に集う。
「今回の反乱の鎮圧を手伝ってくれてありがとう」
まずは、甲信の国主・武田晴信が頭を下げる事から始まった。
「我らは見守っていただけですわ」
その晴信を優しげな瞳で見るのは、駿遠三の国主・今川義元。
「礼は当然ね」
言葉は厳しげだが柔らかい雰囲気なのが、伊相武の国主・北条氏康。
「義将として当然」
よく見ないとわからないほどの微笑みを浮かべているのは、越後の国主・上杉輝虎。
「内向きの後片付けは置いとくとして、外向きの後片付けをしておく。まずは甲越同盟についてだ」
「それは何なのですか?」
義元からの問いかけに、晴信は一瞬だけ氏康の方を見た後に答える。
「9月5日、つまり反乱が始まった直後に上杉家と結んだ同盟だ。上杉家の上野国の領有権を認める代わりに、武田家の川中島の領有権を認めてもらうというやつだ」
「川中島の決着がついたのですね!」
義元は喜ぶが、他の3人がほとんど同じような感情を浮かべていない事に気付き、首筋を傾げる。
「北条軍があなたの内乱鎮圧を手伝う時の条件、忘れてないわよね?」
「もちろん。北条軍が撤退してもらう代わりに、北条家の上野国の領有権を認めるというやつだろ?」
「……二枚舌ですの?」
「上杉家と北条家。どっちを敵にとっても面倒だろう?」
晴信の問いかけに、義元は少し膝たちの姿勢のままになり、渋々といった感じで座り直す。
「武田家は上野を放棄して、真田家は分散させる。これは確約しよう」
「上州は自由に取り合いなさいという事ね」
「ああ。これからは復旧の時だ」
「それからは?」
「……さあな」
しばらく睨みあっていた晴信と氏康だが、先に氏康が視線を義元に移す。
「そういう事だけど、同盟は維持してもらえるかしら?」
「……勿論ですわ。武田家とも」
「ありがとう」
「上杉輝虎」
「……何?」
「交流しません?」
「……わかった」
そういえば、と氏康は呟く。
そして、彼女は来たときから傍らに置いていた書状を開ける。
「伊達
と、今度は輝虎に向けて言う。
対する彼女は「そう」と呟いただけだ。
「こちらは上杉憲政を屈伏させた。そして関東管領は無くなり、 様が関東を直接統べる時代になる」
「あの馬鹿に勤まる?」
「大丈夫。切り取り自由の許可を貰った」
つまり、上杉家の領土拡大政策を追認する許可を貰った。
さすがに氏康の目は細められるが、輝虎はそれに意に介さずに、3人というよりかは評定の部屋の中にいる全員へ向けて声をあげる。
「扇谷上杉家は無くなった。代わりに越後上杉家を私は継ぎ、私は出家する」
長尾 など上杉家臣も気色ばむが、1人相良良晴だけは冷静だった。
「これからは『上杉謙信』と名乗る」
良晴は2人から聞いていたからだ。
「あたしも、内乱の犠牲者を弔う意味から出家して『武田信玄』と名乗る事にした」
彼女達の最後の名前を。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
同じ日にあったこぼれ話を1つ。
南信の西側の木曽川が作った谷を領する木曽家は、今回は待機命令を出されたため、川中島の対陣に出たくらいで合戦は無かった。
その木曽家の当主である木曽義康が龍虎の出家宣言に驚いたまさにその時、彼の嫡男で留守役の義昌はある指示を出していた。
「遠山家との連絡は続けておけ」
と。
その義昌の傍らの書状には、武田家の家紋が書かれていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
関東とその周りの実力者が集った通称『躑躅ヶ崎の会談』の後、各々は故郷に帰っていったが、一番遠いのは越後の上杉謙信で、春日山城に行くには信濃を通る。
諏訪、
実際その通りだった謙信を春日山城で待っていたのは、突然の出家宣言にざわついた家臣達で、彼女は評定の間でそれに応えた。
「義将として動いてきたけど、これからは武将として動く。それまでとこれからの戦で亡くなる者達への弔いのため」
そして、と続ける。
「1人の……女の子として動くため」
おおっ! と越後の男達はざわつき、茶人は殺気を放つ。
「良いわよね?」
「……出来るだけ優しくな」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
躑躅ヶ崎の会談の後、関東とその周りの国々は一時の平穏が訪れる。
伊達家の家督交代も引き起こしたその大乱は、川中島の領有権の確定や甲越同盟、反北条勢力の確定といった事を決めたが、様々な傷痕も残し、それが続いている者もいる。
「まだ固いですな」
「ええ」
例えば、下総の千葉家に身を寄せている鹿島 は、未だ実家の家臣達を過半数は取り込む事が出来ず焼きもちを描いていた。
「段々と馴れて来てますな」
「それはこっちもさ」
例えば、関東の水運の要衝・関宿城は、不定期で起きる軍備への放火事件に苛ついていた。
「まだまだ褒めてもらえないね」
例えば、鎌倉の地では1人の少女が関東の絵図を見下ろしながら呟く。
『父上っ』
例えば、兄を亡くした姉妹は、今度は父親を亡くそうとしていた。
遅く時代が動いていく中で、季節は早さを変える事なく進んでいく。
義元曰く「元気がない」北条家と、信玄曰く「元気過ぎる」上杉家が動いたのは、何時ものように積もった雪が解けてきた3月の頃であり、それが引き金となっていく。