相良良晴←ヤンデレ   作:コーレア

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第152話 5回目の軍議の話

9月7日

信濃・水内(みのち)郡 三日城

 

 島津家は、秦の始皇帝を始祖として伏見稲荷などの建立に関わった秦家の分家である惟宗家の末裔とされているが、彼らは住吉大社で産まれた初代・忠久を頼朝の落(いん)としている。

 その頼朝に荘園経営能力を買われた忠久は薩摩・大隅・日向の守護職に補任され有力な御家人となるが、比企能員の変に連座し鎌倉時代を通してだいたい薩摩だけになる。南朝と戦ったり、分国守護の家同士で戦ったりしながら過ごしていき、紆余曲折がありながら今の島津義久で纏まっている。

 本題はその九州の本家ではなく、初代・忠久の3男の家の末裔であり、一般的には長沼島津家として知られる信濃の島津家である。

 

「お主が相良殿でありますな!」

「あ、ああ」

 

 その信濃島津家の当主であり、武田晴信に追い出されるまでは川中島北部などに長沼城を中心に一定の影響力を持っていた島津忠直は、本家の知将《島津歳久》と一緒に行動したと聞いている相良良晴に笑顔で近付く。

 前の川中島の戦いで歳久も武田方として1枚噛んでいた事を言えない良晴は、殆ど苦笑いで応対するが、本家や小笠原家の話を聞けた忠直は気にしていないーーというより気付いていない様子だった。

 一方、その忠直らと信越同盟が結ばれた事から急な協力関係になりながらも、なんとかそれを利用して海津城の飯富虎昌がこれ以上広がらないようにしていた高坂昌信は、彼女にとっては久しぶりにーー実際には越後の内乱に介入するために動こうとしていた晴信が海津城に寄った日以来ーー会う主に甘えまくっていた。

 

「島津淡路守忠直、相良殿と共に参りました!」

「入って」

 

 晴信と昌信の様子を見ていた輝虎は、待ちわびていた者が来たのですぐに反応する。

 一方、仇敵の北条家の重臣だったが、近衛前久やその他の公家、三好家、毛利家、薩摩島津家、そして足利家などと仲良く、川中島や神流川、そして越後合戦と男気溢れる行動を見せている事から越後上杉家全体からも好意的に見られているので、直江大和や長尾政景が密かに輝虎の想いを広めてみると、それも好意的に受け止められる。

 なので、生涯不犯=細川勝元後の継承戦争(両細川の乱)に繋がりかねない事を誓っている軍神を落とせる唯一の男かもしれない彼を応援するものが現れても不思議ではないし、それが表面化したのは晴信が来てからだった。

 

「相良は私の隣に」

「…ああ」

 

 なぜなら、松代温泉での山本勘助とその後の動きが、今更になって越後上杉家に広まってきたからである。

 そして、晴信がそれを表立って否定しようとしなかった事もまた拍車をかけてしまい、良晴を取り巻く環境は急速に変化していく。

 

「では、越後上杉家と武田家の合同軍議を始めるでおじゃる」

『はっ!』

 

 実力的には圧倒的に越後上杉家が有利なのだが、輝虎は晴信との対等な同盟を望んでいるので、姫巫女様から『信越両国の内乱をなるべく早期に鎮めるように』という書状を受け取った近衛前久が最も上座に座り、その1段下に両家が当主から順番に座っている。

 武田家は晴信を筆頭に高坂昌信などこの場にいれる者がなるべく何時もの順番で並んでいるが、越後上杉家は輝虎を筆頭に政景、兼続、直江大和と並びその次が何時もの者ではなく相良良晴となっていた。

 氏康さんが知ったら笑顔を向けてくるだろうな、と未来の自分に心の中で合唱した良晴だが、彼の気持ちを汲み取れたのは直江大和だけだった。

 

「まずは状況説明を」

「では(それがし)がさせてもらいます」

 

 前久の言葉に兼続が反応して、川中島4郡とその郡内の城について書かれた絵図が貼られている壁の前に立つ。

 

「大雑把に申し上げますと千曲川の右岸は敵、左岸とその周りの山々は高地は味方となっております」

 

 前回の、つまり上杉家と武田家が全面衝突と一騎打ちを演じて外の暴走によって中断され、引き分けで終わった第4次川中島の戦い。

 あの戦いの後も、なあなあの形で停戦となり、武田義信の乱が勃発する寸前に分割は決まったものの実行する間もなく今のような状態になったので大きくは変わっていなかった。だから、義信と飯富虎昌が攻めよせたものの上杉家の協力を得れた高坂昌信のお陰で五分五分の戦いを繰り広げられた後も、第4次の前からあまり変わってなかったが、義信と後に北条軍が攻めてきた事で変わっていく。

 

「義信軍は真ん中にいます」

 

 という訳で、犀川を下り千曲川を上がって往復した武田義信軍はその犀川沿いにある旭山城、千曲川との合流点より下流にある長沼城、千曲川右岸にある須坂城、川中島の要衝と言える松代城、その対岸の塩崎城などを占領する。

 

「北条軍はその下側にいます」

 

 対して、千曲川を下ってきた北条軍はその千曲川沿いの諸城を真田家をフル活用しながら落としていき(かつら)尾(右岸)と荒砥(あらと)(左岸)を北限として義信軍と睨みあっている。

 

「そして、私達は上側にいます」

 

 上杉輝虎と武田晴信の連合軍は、飯山城を攻め落とし野尻城と共に2つの線を伸ばしていき、野尻街道と千曲川の合流点の辺りで義信軍と睨みあう。

 そして義信軍は連合軍と北条軍、連合軍は義信軍、北条軍は義信軍と明確に対峙しているが、北条軍と連合軍の間も良いとは言えない空気が漂っている。

 それは、今の状況+ある事を起こしてからに持っていった段階になって北条氏康から協力の条件が送られてきたからだった。

 

『武田家内の反乱者を征伐し、晴信を元に戻し、これまで一時的に占領している郡内地方(小山田家領土)、佐久郡、小県郡、()()()を返還する代わりに、武田晴信は上州の()()領有を認める事』

『上杉家内の反乱者を征伐し、越後に安定をもたらす代わりに、上杉輝虎は先の戦での人質を返還すること』

 

 その2つの書状が、氏康の異母妹で氏良・氏照・氏邦・元規よりも年下にあたる氏忠を名目上の総大将として、実際は上州・松井田城(群馬県安中市)城代に任じられた大道寺政繁が率いて、密かに三国峠を越え、そこから一番近い上杉憲政方である城を攻め始めた直後に2人の所に来たのだ。


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