9月2日 夜
越中・
北陸道と飛騨街道が交差する富山の町の神通川沿いに建てられ、その川を防御の1つとして利用しているため浮いているように見えるため『浮城』という異名ももつ富山城。
この日、その城を建てた男が軍勢を引き連れて城の中に入り、すぐさま軍議を始めた。
「松倉城が1日で落ちたのが何よりもの悲劇」
「椎名家がこれほどにも弱いとは」
「だが武田家が信濃の中部まで出ているとか」
「北条家が動員をかけたとも聞く」
「大坂のけんにょ殿は、既に加賀の門徒に動員をかけたとか」
「それに能登の奴等は中立を保つらしい」
情報と憶測が飛び交い会う中、自他共に野心家と認める神保長職は無言で考え、いかに上杉軍を追い払い、その勢いで椎名家をこちら側にさせるか考える。
史実では2回にわたり輝虎に逆らい、嫡男と対立したことによる内乱で弱ってしまい、遂に越中国主になれなかった男は、熟考した末の作戦を家臣達に話す。幾分かの修正をもって、それは承認され、すぐに実行に移される。
彼らが起こした行動は、翌朝になって松倉城の輝虎の所にももたらされ、上杉軍は驚くと共に納得する。
「まだにゃんこう衆の援軍はなく、兵力はこっちの方が圧倒的に多い。それ故に上杉軍は撤退を選んだ、か」
「……そうですね」
「敬語でなくても良いんだぞ?」
「……わかった。後で訴えるなよ?」
「訴えても私の方が負けるわ」
その上杉輝虎の直接の捕虜として同行している相良良晴だが、越後をまた出る時からある男と一緒にいた。
「にしても、君が九州の相良家の末裔か。という事は君も高貴な藤原家の末裔に当たるのだな」
「まあ、自称だけどな」
「だが姫巫女様と文通をかわし、二条家や三条家などからも気に入られている。それに将軍からもだろ? 例え『藤原家の末裔じゃない』と今から言っても、それが逆に信じられないだろうよ」
「……そういうものかね」
「そういうものさ」
だんだん柔らかい感じになって良晴と話す男。
「近衛様。これより追撃戦に移ります。近衛様はーー」
「わかっておる。大衆の面前にこの素顔を晒すのはあさましい事だから、元々出る気はない」
「ありがとうございます。……良晴もここにね」
「おう」
今の関白、つまり何気に良晴も深い関係を持っている公家の頂点である近衛前久。彼が越後に下向して、王政復古という目的のために勤皇でもある輝虎を手伝っていた。
鹿島新当流の達人である前久だが、お歯黒などの麿姿で戦えば目立つし、かといって良晴が「その顔欲しいぜ」と思わず呟いた素顔をさらすとより目立って面倒な事になるので、ほとんど戦場には出ていなかった。
「よろしくお願いします」
『こちらこそ』
上杉軍のほとんどが空主になった富山城に向かう中、松倉城には重要な立場の男2人と城代になった河田長親が残り、椎名家に関する後始末を行っていく。
良晴は四苦八苦しながら、前久はさらさらやっていくついでに彼にこの時代の文字を教えながらそれを手伝い、3日を終える。
4日、富山城を占領した事と神保長職は
「川中島への進出」
「に見せかけたものであろう。あの虎に、
「……だから姫川沿いに攻めなかったのか」
「4回目の時に上杉方についたとして、自分の異母妹を仁科家に送り込んだにも関わらず。上杉輝虎によると、武田家中では不意打ちを求めるものもおるが、武田晴信は一向にそれをやろうとはせんらしい」
「……父親のようにはなりたくない、からか」
敵には容赦しない猛獣のような男であり、何故か晴信にだけ当たりが強く、その晴信に追放されてからも独自路線を歩み、松倉城から何処かに消えた大男。
晴信にとって甲斐統一を成し遂げた武田信虎という男は、複雑な思いを抱く対象でしょう……と軍議で言っていたのは直江大和だった。憧れであり、嫌いであり、自分を秀才肌の名将に育ててくれた恩人であり、そして追放した事で負い目を感じている男。
相良良晴は、北条家の戦を病院のベッドで知っている間に、彼の事についても少なからず知った。追放後は今川義元が治める駿河と後に反信長包囲網の中心となる将軍家がいる京を中心にいて、晴信が徳川家を三方原の戦いで叩いたが亡くなり武田勝頼が跡を継いだ時に信濃に帰り、そこで没したという生涯を。
「河田様!」
だが、良晴はしばしその老将の事を頭から追い払う事になる。
「越後で一大事にございまする!」
「どうしたの!?」
「山本寺と古志の両上杉家、桃井義孝、
後に、人々は『御館の乱』と呼んだ。
何故なら。
「その頭領は、上杉
だからだ。