6月19日 朝
武蔵・大里郡 深谷城内
「岩松を奪い取って、柄杓山城は大混乱、か」
1日で由良軍の援軍がやって来る前に城を落とした藤田氏邦は、未明にやって来たニュースを改めて見る。
「城も落としたに等しいんだね」
「ええ」
その氏邦の横には、氏康に志願して前線の総大将になった氏良がいて、彼女は妹よりもキラキラしていた。
そして、その姉妹は「深谷城を攻めれば由良を介して桐生や佐野もやって来るわ」と敵の動きを言い当てた長姉に改めて感服し、この関東平定戦の初期段階の戦を終えた兵達に警戒と休息を命じる。
にわかに騒がしくなったがほぼ無警戒でまた川を越えてきた相良良晴ら一行が城に帰ってきたのは、この翌日の事で、その頃には柄杓山城に軟禁されていた岩松守純はたらふくご飯を食べて復活していた。
「はじめまして、北条
「同じく、相模守様の妹の藤田安房守氏邦でございます」
「岩松守純だけど……うーん、やっぱり固いのは嫌だね。砕けた口調で良いよ?」
肩までで整えていた紫色の髪を伸ばし始めた氏良は笑みを浮かべながらうなずき、太
その2人の反応を見た守純は、今の鎌倉公方である足利良氏や北条家の当主代行の氏良とこれからの話をしていき、良晴や氏邦は残務整理などを済ましていく。
更に日が経った21日、風魔がある情報を入手し、彼らはやはり予定通りの動きに苦笑いを浮かべる。
『桐生助綱は親綱との養子関係を消し実家へ返す模様。しかし親綱はそれに抵抗しており、城内で対立関係が起きている模様』
「そして、佐野家では不穏な動きがある、か」
唐沢山城城下からの追加の情報を良晴が呟き、直後にごく自然に立ち上がる。
「良氏は今回は休みな」
「……むー」
外見には似合わない彼女の頭を笑みを浮かべながら優しく叩いた良晴は、部屋にいる3人に挨拶をしてから隣の部屋に向かう。
そこにいたのは、赤の短髪の少女で、妹達に似ている顔を神妙なものにしていた。
「それじゃあ行くか」
「はい」
桐生への旅で使った物らを一部再利用しながらも、良晴ら一行はこの日の夜にゆったりと出発する。
かといってそのまま北上して上野国内に入るわけではなく、一行は国境沿いに東へと進んでいく。これから目指す唐沢山城は下野の中でも上野寄りだが、わざわざ騒がしい由良家のど真ん中を通ろうとは思わないだろう。
なので、由良家の金山城の東側にあり深谷城と唐沢山城を結ぶラインの近くでもある上野・ 郡の小泉城に2人を主とした一行は行くが、そこは味方の城ではない。
「姉上……」
「久しぶりね、彦四郎」
しかし、小山秀綱ならその城に入る事は出来なくとも風魔の命がけの手助けがあれば城主に会える事は可能だ。なので、簡素な城下町の外れにある質素な寺の近くの森で、小山秀綱は妹である富岡秀高に再会していた。
何年かぶりに出会った姉に、軒猿に扮した風魔に「城内は風魔が潜んでいる可能性がありますので」と言われてやって来た妹は、しばらく固まってから、鞘に手をかけて瞳を鋭くする。
「このっ、裏切り者っ!」
言われるだろうとはわかっていても、実際に言われると心にどでかく来る。糾弾する妹の言葉に、姉は目を閉じて自分を落ち着かせる。
「七郎が急に北条家にべったりになって! 狭い身になっていたのはあなたも感じてたでしょ!? けど! 私達は北条家に対抗しようとしたのに! なんで!?」
妹の叫びは、黒い森の中に響きわたる。
対して、富岡家の主の赤井家の主の由良家などと手を結び、関東を変えようとする上杉家当主を河越城で暗殺した北条家と一緒に抵抗しようと誓っていたのにも関わらず、一戦交えるよりも前に寝返るという決断をした姉はその叫びを正面から受け取り、目を開けて、静かに踏み出す。
秀高は鞘を握る力を強くするが、しかし遂にそれを抜くことは出来なかった。
「鎌倉の今って知ってる?」
下弦の月にわずかに照らされた秀綱の儚げな表情と、その彼女が発した言葉に止められたからだ。
300年以上前から関東の中心地となり、それゆえに数々の戦乱や政争の中心となってきた鎌倉の町。足利成氏vs上杉憲忠による享徳の乱を経て見捨てられた町は、ごく最近になって復活した。政治の中心としてでもあるが、巷では「平和の中心」とも噂される町に。そして、そこから例外を除けば平和である相模や武蔵で交易が活発化し、更に北条家が潤っている。
対して、両毛はというと戦乱がひっきりなしにあり、そのほとんどは河越夜戦より前の公方や管領関連の物だった。
「確かに狭い目で見れば北条家は軍神を呼び寄せた悪者だよ? けど、その北条が伊豆から出れたのは、馬鹿達の喧嘩でしょ? それに、軍神も関東に平和をもたらしてくれる?」
「…………それはっ」
「常勝の上杉の家名を継いでいる彼女は、前の神流川はそれより前のように居座る事なんて無いでしょ?」
「………………」
「だから、私は選んだよ。父を
「……そこまで」
「だから、私は彦四郎に自分で選んでほしい。七郎が選んだように。その時は私も支えていくから」
「…………返事は後で」
「もちろん」
より神妙な表情になった富岡秀高が森から去っていくのを見送ってから、小山秀綱は近くの木に寄りかかる。
雲に隠れ始めた下弦の月をずっと見上げていた彼女の所に、森の外で暇を潰していた良晴がやって来る。
「話せたか?」
「はい。わざわざありがとうございます」
「お礼は良いよ。氏康さんに怒られる事じゃないしな」
「相良殿は本当に優しいですね」
「そうか?」
「優しいです。この時代には似合わないほどに」
「……まあ、変人だからな」
2人とその一行が、小泉城の城下町を出たのは翌朝の事で、どんよりとした曇り空だった。
そして、唐沢山城の城下町に着いた頃には、雨は本降りになりかけていた。