川中島・八幡原
車懸かりの陣というのは、簡単に言えばくるくる回ってその勢いで相手を壊すという物だ。
そして、実行するためには、自軍の士気が高く、統率が取れて、なるべく体力がある事が重要だ。上杉軍の大半を占める越後の男達は、雪国と自然の国に住んでいて培った体力と持久力を持ち、義のため戦う上杉政虎に従ってライバルである武田信玄を倒そうと一糸乱れず動こうとした。
その車懸かりの陣の先頭は、常に先鋒を任される猛将であるごつい男・柿崎景家。彼が背中を追い掛ける事になる最後は、同じく猛将だが家中一の粗忽の者である北条《きたじょう》高広。政虎は11ある部隊の中で7つ目の部隊におり、彼女率いる旗本達の突破力も物凄い。
史実とは違いその陣形が整える前に武田軍から攻められた上杉軍だが、自分の戦略を利用されたとすぐに察知した政虎は、というより毘沙門天は冷静であり、それに対応しつつも車懸かりの陣の発動を下した。
政虎がいる旗本部隊より後ろの部隊から高広までの部隊が猛攻を行う武田軍に対処しつつ、その後ろでは景家を始めとした男達が並んでいく。
「全部隊、陣形整えました」
旗本の1人が政虎に報告し、彼女が両軍を破滅に導く戦略を発動としたまさにその時……。
「お邪魔させてもらいますぞ!」
柿崎隊の左側、つまり西《・》側《・》から大きな鬨《とき》の声が響き渡り、武田軍の部隊が1つ出現する。
「なっ!?」
宇佐美定満は、自分達の勢力圏の範囲のはずだった西側から現れた事に驚き、そして武田軍の妻女山攻撃部隊の数が予想より少なかった事を思い出し、その分が横山城攻撃部隊と共に来たのか……と納得する。
猛然と突撃してくる武田軍凡そ3000に目を凝らせば、まず先頭の部隊が赤色の甲冑を身に付けている事に気付き、次いでその後ろに武田家の旗印がある事に気付く事が出来る。
「信玄……いや、後継者の義信とかいうガキか」
赤備えの部隊は強いだろうし、柿崎隊の勢いを抑えれるかもしれないが、それごときで政虎が目標を変える事は……。
「宇佐美様!」
「どうした?」
「武田家の旗印の後ろに『長剣梅鉢』の家紋がっ!」
「……はっ?」
確かに、いた。
武田家の菱の家紋の旗印達に隠れるように、特徴的な家紋が。
「なんで……まさかっ!!」
全てを察した宇佐美が次の指示を出すその直前に、上杉軍の旗本部隊は動く。武田軍本隊ではなく、柿崎隊へ迫る赤備え達へと。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
武藤 喜兵衛
「やっぱり来やがったな」
左隣で、横山城から善光寺に逃げる者達に紛れてやって来た相良殿が、目の前の統率が崩れた上杉軍を見ながら呟く。
まさに龍の如く動きだそうとした上杉軍の中程から、その上杉家の家紋である笹の家紋をはためかせながら1つの部隊が突出する。他の部隊は見るからに動揺したが、すぐに武田軍の魚鱗《ぎょりん》に対して鶴翼《かくよく》という常道に陣を変える。
「ぞくぞくするな」
今度は右隣で、お《・》館《・》様《・》が楽しそうに呟く。
「源四郎も信房もご苦労だった」
「ありがとうございます」
「……必ず……勝つ」
相良殿に抜擢され、飯富殿に代わり赤備えの部隊を率いていた飯富源四郎殿も、馬場信房殿は後ろに下がる。
それから少し経った頃には、相対的に近づきあっている両軍は、一番前の者達の顔がしっかり見れる所まで近づいていた。
「私は武田信玄、いや武田勝千代だ! 上杉政虎ではなく長尾虎千代! お前に一騎打ちを申し出る!」
お館様が声を張り上げながら進軍速度を減らすと、応じるかのように上杉軍の部隊も遅くなっていく。
「両軍がぶつかり合い共に壊滅する不毛な戦いではなく、総大将同士の一騎打ち! これも義に準じる戦いだろ!?」
その言葉の少し後、両軍は完全に止まる。
「それじゃ、行ってくる」
軽い調子でお館様が1騎だけで前に出て、相良殿と上杉政虎を「釣り出す」策を成功させた島津殿、そして僕はそれを見送る。
一方で、上杉軍も同じ頃合いに行人包を被った姫武将が1騎だけで前に出てくる。
お館様と、上杉政虎。
心の弱さをここで克服すると誓ったお館様と、仇敵と恋心を抱く相手によって釣られた少女。
不思議な関係にある2人が、遂に衝突する。