4月18日
今川義元と玄広恵探が争った花倉の乱の少し前、北条軍は甲斐を攻めていた。氏綱と氏康の父娘は2万4千と言われる大軍で葛山領内を抜け、甲斐では南東部にあたる富士五湖方面へ侵出する。
対して、北条氏綱・今川氏輝と争っていた武田信虎は、自身の弟・勝沼信友に地元の領主・小山田家をつけて派遣するが、その数は数千と少なかった。
戦いは、もちろん北条軍の
そんな戦があった事を聞いた良晴は、足軽などと同じくらいの昼御飯を食べ終え、氏照の号令で山中湖畔から歩みを進める。
「さすがは山国だ」
富士吉田より更に先の駿甲国境の
その峠を越えた先に、甲斐の一宮であり、全国の
「前回に次いでの援軍。真にありがとうございます。
「少し前に助けてもらったし、白龍っていう一緒の敵に立ち向かうから、そんなのは無し無しだよ!」
「重ね重ねありがとうございます」
武田家が目的地までの案内役として出したのは、前回の時も綱成を案内した真田
目的地に近い本領、その目的地、そしてここと3つに対処しなければならない幸隆だが、その疲れを見せることなく、小山田信茂と共に山越えで疲れた北条軍の接待をする。
北条軍全体も最低限の礼儀は
4月19日
真田家の軍勢少しを加えた一行は、雨風に打たれながらも順調に進み、躑躅ヶ崎館や甲斐の府中の町並みの前を通りすぎ、甲信国境も越えて諏訪大社の門前町で泊まる。
4月20日
諏訪大社で戦勝祈願をした一行は、かつて晴信と小笠原長時が戦った
「お前が『南の龍』の小娘か」
その深志城の城門に、思わず良晴が驚き、梅千代が一部分を見て目を細めた少女が立っていた。
「孫一姉さんみたいだな」
良晴がそう評したお年頃の少女は、肌で同じような者だと感じ取ったのか、がっしりと下馬した鎧姿の氏照と握手をかわす。
胸当ては下の方だけを隠し、その豊満なそれの下にある
「私がこの甲信の国主で、甲斐源氏嫡流の武田家頭領の武田晴信だ! ちょっとの間だけだがよろしくな!」
ちなみに、4月と言えどもまだある肌寒さは、彼女は気にかけてないようだった。
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4月20日 昼
信濃・妻女山
長尾 政景
深志の軒猿がやって来たのは、何回目かのこの辺りの城の攻略を考える軍議をしてた時だった。
「大石氏照率いる北条軍2000、深志城で晴信と合流しました」
「そう。脱落者は?」
「おりません。誰もが意気軒昂で『小田原の時の借りを返す』と豪語しています」
小田原の時は、武田軍は山勘が甲斐東部まで出てきただけのはずなんだがな。
「特に、北条軍の中の相良衆の士気は高く『御館様に俺らの武勇を見せつけたる』と、道中で何度も」
毘沙門天を引きずり下ろすって訳か。
しかし、そいつにとっても、丁度良い機会になるかもしれんな。
「そう」
何しろ、相良という単語が出てきただけで、白兎の頬が赤らんでるんだからな。
兎の中に引きこもっている奴にとっても、ここで勝てば、開きかけの扉を閉められる。
「いけすかねえな」
それに、俺らは勝たねえと、故郷を守れない。奴の目的にあっているっていうのは胸糞悪いが、これも仕方ねえ事か。
まあ、とにかくはだ。
「相良良晴。てめえの強さを確かめさせてもらうぜ」
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4月20日 夜
信濃・筑摩郡 深志城
島津 歳久
島津の血を引く私が、武田家への援軍である島津軍の中にいる。それは奇妙な関係だけど、同時にあってはならない事だ。
なぜなら、私達の分家が信濃にいて、そして今は他と同じように越後の龍に身を寄せているから。
なので、必然的に身分を隠して相良衆の一員にならなければいけないんだけど、良晴の側にいれるのでそっちの方が良い。………………それに、本州の修羅達の強さを見れるしね。
「歳久」
この坂東での戦乱が終わったら挨拶に来てくれるって約束してくれた良人が私の名前を呼び、心を満たしてくれる。
彼の下へ向かう足取りは軽く、まるで長く会えなかった家久に会うときぐらいだった。