3月8日 午前
武蔵・
北条家の本拠地である小田原城が見下ろす小田原駅を終点とする小田急小田原線は、他の幹線のように海岸沿いではなく内陸部の方を走っていく。
そこから更に内陸に入り、相武国境をこえ、玉川を渡れば世田谷区内に入る。
「お初にお目にかかります」
「うむ」
その世田谷の今の豪徳寺という所にあったのが世田谷城であり、そこの城主が
ほとんどの人が誰? と思われるだろうが、簡単に言えば氏康の義妹の1人であり、足利家の分家である。
「お主が鎌倉公方を再興してくれた相良良晴だな。良い働きをしてくれた」
「有り難きお言葉」
後醍醐天皇の皇子の1人・
実は鎌倉での新年会の時にも参加しようとしたが、氏康に「不当な勢力である古河の馬鹿の監視役をお願いします」と言われたため、世田谷で年を越えたという経緯もあったりする。
武家なのは武家だが、尊氏より前に足利家からわかれ、その吉良家の分家が今川家という家柄の高さから、北条家からも食客として扱われ、あまり「この戦に参加してね」というのも無かった頼康だが、彼女自身は戦場という物を見てみたい気持ちがあった。
「相良、茶会を開かぬか?」
「茶会、ですか?」
「ええ。京で流行っている茶道も経験したいし。義元の様子も聞きたいしの」
「……承知しました」
そこに、その相良良晴の西国と畿内での大活躍である。北条家一門ではない者の活躍に頼康が食いつかないわけはなく、ここに頼康と良晴の茶会という名の密談が成立する。
そして、そこで良晴は思う事になる。スケジュールという物は壊れるためにあるんだなあ、と。
小綺麗な世田谷城の本丸の部屋での茶会は、まず良晴が鎌倉の年末の頃から話す事で始まった。
「ふむふむ」
「おお、姫巫女様が」
「美味しかったか?」
「博多という所はそんなに遠いのか」
「陶殿は? ……そうか」
「着いたその日にか」
「2人もか」
「小麦粉が戦場でか。土岐殿は聡明なお方だのう」
「火縄銃とな? ……実物は? ……小田原にか」
良晴が単調に話していき、時おり頼康が気になった所を問い、利休はその2人のテンポの良い会話を見守る。
結局、良晴の話は2時間にわたり、頼康は感心してばかりだった。
その2時間は遅れの計算外では無いので、この時までは良晴ら北条軍に大きな影響は無かった。
「やはり、なあ」
しかし。
頼康が天井を見上げながら呟いた事で、大いに狂う事になる。
「連れていってくれぬかの? 戦場へ」
「…………はい?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
3月8日 昼前
相模・小田原城
宮ヶ瀬 梅千代
「相良は変人を引き付ける達人なのかしら?」
と、おでこを揉みながら呟いたのは、御主人様の主である御館様。相模を1刻で横断した私にすぐに来るように命じた人です。
平伏しながら息を整えている間に、御館様は吉良様からの突然の提案を考えます。
「……歴史もある…………未来的にも良い……のかしら? …………それに恩を売れる、か」
最後の方で虎の笑みを浮かべた御館様は、吉良様からの提案を受け入れ、私はまた相模を横断していきます。
丹沢の山々の空気を味わいながら、世田谷城に戻った私を、御主人様はわざわざ門の所で待っていてくださりました。
「……恩?」
「はい」
教えて、というあの視線であったので、体が熱くなるのを感じながらも説明します。
まずは……まあ、吉良家の起こりから話さなければいけないでしょう。
初代の吉良長継の前の父親である足利義氏は足利将軍家の当主の1人ですが、それは室町幕府を作った足利尊氏より前の世代でした。
「鎌倉幕府が統べていた時代の足利家は、本家を滅ぼした前北条家と婚姻関係で結び付くのを基本としていて、当主は基本的には北条家の結婚相手との間の人でした」
「という事は、吉良さんは側室とかの間の人が祖先?」
「はい。義氏の長男の長氏が三河の
この内、義継の末裔が奥州を経由して、この世田谷城の吉良殿になります。
一方、三河に多く領地を持つことになった義氏の末裔は、やがて2つに別れて内乱を起こします。
愚かな三河吉良家は、今川家に攻められるに至って、ようやくその愚を悟りましたが、時既に遅く今川義元に降伏します。
「なるほどな。…………で、氏康は何をやらかそうとしてるんだ?」
「恐れ多いですが質問です」
「ああ」
「東西に分裂した家と、一時は奥州全土を支配して分裂していない家。本家を継がせるならどっちが良いですか?」
「……うへえ」
そして、今川家は吉良家の分家。
吉良家は鎌倉公方に恩義があるし、足利将軍家の事も尊敬している。
「鎌倉、将軍、吉良家……」
「全員気さくな人で良かったですね」
ちなみに、足利尊氏の外祖父は藤原家である上杉清房さんですよ、ご主人様。
頼次さんがおっしゃっていた話に、これは確実に近付いてますね、はい。