ガゼフを先頭にして、モモンガとウォン・ライは現場へと急行した。アルベドと
いきなり戦闘に入るのではなく、まずはガゼフらの手並みを拝見したい、というのが二人の見解である。
――油断は禁物だ。常に敵が己より弱いとは限らない。
防御がもろくとも、攻撃力に特化した手合いがいるかもしれない。であれば、初撃を食らうのは避けたかった。
少なくとも、敵の情報を得られるまでは、自分から仕掛けるリスクを負わずに済ませる。そうした方針を、モモンガは定めていた。
『くれぐれも、先走らないように。捨て駒になりそうな者がいるのだから、遠慮なく使わせてもらおうじゃないか』
『……モモンガ殿は、慎重だな。いや、正しい姿勢だ。ここで警戒するべきは、己自身の油断と慢心か』
先ほどまでの戦闘が、あまりに圧倒的に優位であったためか、モモンガは却って警戒を強くしていた。簡単に勝ち過ぎた後こそ危ない、というのは当たり前の教訓だが、実際に一度経験すれば、嫌でも意識するようになる。
意図的に相手の勝利を演出して、調子に乗った敵を死地におびき出す。それに類する手は、対人戦においてむしろ定石であり、考慮しない方が間抜けだと言わねばならぬ。
もっとも、理解していてなお、勝利の美酒は甘い。ゆえ、モモンガは気を引き締めた。自分一人であれば、慢心もスリルの一種として許容したかもしれないが――。
「報告通り、確かにいるな。――見える限りでは三人、周囲のあれは、天使どもか」
ガゼフの言葉が、モモンガに現実を認識させた。彼の視線の先には、なるほど、それらしい連中がいる。
あまりにゆっくりとした歩み具合は、やはり策略の匂いを感じさせたが、ともかく村に入られるまで、もう少し時間はある。重装備をしていないところを見ると、三人は
『
『何とも言えん。ガゼフ殿に殴らせてみれば、結論は出るだろう。まずは挙動を見て、判断すればいい』
モモンガの問いに対して、ウォン・ライは単純かつ現実的な手段を伝えた。
それが、もっともリスクの少ない手であろう。とすれば、ここでの身の処し方は一つしかない。
「モモンガ殿、できれば御一行、我々に雇われてくれないだろうか?」
「お断りしよう」
ガゼフの提案に、モモンガはノータイムで答えた。そう来るであろうことは、察しがついていたから。
「報酬は、用意する」
「……ガゼフ戦士長、貴方にそんな権限が?」
「手持ちはないが、帰還してから国に申請しよう。いくばくかの金貨は調達できるはずだ」
「そんなあやふやな物を信用しろと言われても、困るな。こちらにメリットがない」
ガゼフは報酬の額を明示しておらず、調達できるはず、などという言葉で濁している。
こちらとしては、彼らが玉砕してから、手負いの敵を迎撃する手もあるのだ。そうした方が労力が少なくて済むのだから、彼の提案を真に受ける必要性など、どこにもない。
「
「……それは、いや、やはりお断りさせていただこうか。悪いが、そちらの手で御せるような代物ではなくてね。万が一の話だが、もし暴走したら、どう処理されるおつもりかな?」
それらしい言い訳をして、断る。失っても痛くはない戦力だが、初志を変えさせるほどの利益が見込めない以上、貸し与えるのはためらわれた。
自己中心的に過ぎはしないかと、モモンガ自身も思わなくもないが、この程度の後ろめたさならば抑え込める。
「そうか、残念だ。……命令できる立場でもないし、強制できるだけの力も、我々にはないのだろう」
「物分かりが良いようで、何よりだ」
モモンガの後ろには、ウォン・ライとアルベドが目を光らせている。
アルベドは兜さえ取っていないから、表情は読み取れない。それでも、無礼な振る舞いは許さないと、気を張っている様子はわかる。
ここに至って、ガゼフはあきらめたらしい。一息ついて、苦笑を浮かべると、切り替えたように明るい声で言った。
「この村を救ってくれたこと、改めて礼を言わせてほしい。ありがとう。彼らと同じ平民として、感謝を述べたい」
この一言は、モモンガに新鮮な驚きを与えた。ガゼフという男は、厳格な戦士としての雰囲気が強いから、余計に意外であった。
「本当に、本当に感謝する。無辜の民を虐殺の手から守ってくれたこと、言葉では言い表せぬほどに、恩義を感じている。……その上で、申し訳ないが、一つ我がままを聞いていただきたい」
「……聞くだけだぞ」
モモンガは、目の前の男がまぶしく見えた。真に人格者らしい振る舞いだと、認めてしまいそうだった。辛うじて、一言だけ返す。
だが、ふてぶてしい態度を維持できたのは、そこまでだった。
「この村を、守ってほしい。我々が全滅した後で、村人たちが害されることのないように」
ガゼフの言葉に、モモンガは言いようもない感情を覚えた。口を開こうとしたが、何も言えなかった。
彼は、自分の命より他者の命を第一としている。村人たちのためなら、死んでも仕方がないと思っているのだ。そうした精神を美しいと思うのは、己が凡庸な愚者だという自覚があるからか。
モモンガは、知らず頭を押さえた。そうした行動が、彼にも不安を与えたのだろう。改めて、付け加えるように言う。
「まことに申し訳ない。確たる報酬は約束できないが……このガゼフの願い、なにとぞ聞き届けてもらえまいか。彼らの平穏を守りたい。もし守れぬなら、他の誰かに託してでも、と願う」
ガゼフの言に嘘はない。そういう男なのだと、モモンガにもわかる。わかるからこそ、余計な感情を抱いてしまいそうだった。
後ろを見やると、ウォン・ライは黙ってうなずいた。アルベドは、ガゼフなど気にもしないで、ただモモンガだけを見ている。それで、彼の気持ちは固まった。
「了解した。村人は必ず守り通そう。――これで良いかな?」
「充分だ。感謝するモモンガ殿。これで、後顧の憂いはなくなった。私は、前だけを見て進むとしよう」
ガゼフは今にも飛び出していきそうだったが、その前にモモンガは彼に向かって、一つの彫刻を手渡した。
彼の目には特別なものに映らなかったろう。いぶかし気にそれを見るのみだったが、お守りのようなものだと伝えると、素直に受け取ってくれた。
「ご武運を、戦士長殿」
「ああ、モモンガ殿も、無事であることを祈っているよ」
ガゼフは部下を率いて、前進した。それが死の行軍になるであろうと、モモンガは何となく察しながらも、見送った。あれが英雄というものかと、ふいに思う。
もしかしたら、英雄とは、ああした行動を自然に取ってしまう者のことではないか。ただ強いだけの相手なら、こうも敬意を抱かなかっただろう。
「……どうも、な。初対面の相手なら、冷徹に接するのもわけはないんだが。余計にいろいろ話してしまうと、情がわく。仕方がないことと、受け入れるべきなんだろうか、これは」
「思うがままに、成したいと思うことを成されればよろしい。モモンガ殿、貴方はそれが許される立場にいるのだ」
モモンガの疑問に、ウォン・ライは明確に答えた。やりたいようにやればいい、と。
「死を覚悟して、彼らは行った。私ならば出来るだろうか。大事なものを守るために、己の命を懸けることが。……あそこまで強い意志を持って、進むことが、可能だろうか」
モモンガは己に問いかけた。ウォン・ライも、これには即答を避けた。必要なのは、他者の言葉ではないと思ったから。
「モモンガ様は、慈悲深いお方です。それだけで、私たちは充分報われます。――悩まれるようなことではありません」
ただ、アルベドだけは、彼を肯定しようとした。彼女の言葉は、モモンガの心にどこまで刺さったのか。それを外から推し量るのは、難しい。
「アルベド」
「はい」
「お前のことだ。周囲に適当なシモベは配置しているな?」
「――もちろんでございます。使用されるかどうかはともかく、ある程度の備えは必要かと思い」
「伏兵の確認だ。周辺を探り、敵の全容を把握するよう伝達。いた場合は、意識を奪って捕獲するように。お前自身は、私の供だ」
モモンガの命である。アルベドは、承知した。兜の中の表情は、どうであったか。それを知ることもまた、難しい。
「では、そのように。……モモンガ様、村長が来ます」
アルベドが半歩退くと、モモンガの視界に村長が入ってきた。不安に駆られているのだろう。焦りの感情が、はっきりと見て取れた。
「モモンガ様! ……私たちは、どうすればよいのでしょう。戦士長は、行ってしまわれました。私たちは、身を守る術すらないのに、どうしたら……」
「村長殿、あまりガゼフ殿を責めてやるな。……彼は、村人たちを守るために、迎撃に赴いたのだ。村を戦場にするよりは、そちらの方が、被害は抑えられる。そう思っての行動だろう」
モモンガは、ガゼフの弁護をした。そうしたい気分だったから、そうした。
村長は、その弁護を聞いて、落ち着きを取り戻す。吹きだした汗をぬぐうと、改めて問うた。
「ならば、私たちはこのまま村にとどまっていた方が?」
「そうしてくれ。追加で守護の魔法を入れて、
愛着というほどではないが、村人たちにも情を移し始めている。そんな自分を自覚しながらも、決して不快に感ずることはない。
これも誰かさんの影響だろうかと、モモンガは一人思う。ウォン・ライの方を見やれば、厳しい表情を保ったままだ。
それでいて深刻な雰囲気はなく、いつでも話しかけられるような、気安さがどこかにあった。
緊張と楽観、厳しさと優しさは、彼の中では矛盾せずに両立している。ウォン・ライが傍に控えているというだけで、楽な気持ちになれた。優秀なタンクだが、それを考慮の外においても有能な相棒である。
「さて、では機を見て動くか」
「遠目からでも、手を尽くせば状況は見える。モモンガ殿、判断は任せよう。私はいつでも対応できるよう、準備しておく」
ウォン・ライの言葉にうなずきつつ、モモンガは悠々とした態度を保っていた。
手札をどこまで切るかは、状況次第だろう。なるべく簡単に済ませたいと思えば、ガゼフらの奮闘を期待したくなる。
首尾よく生き残れたならば、彼には相応の見返りは用意してやらねばなるまい。
もし、何かの間違いで死んでしまったら? ――さて。その時はその時だと、割り切るべきであろう。
結論から言うならば、ガゼフは奮闘した。
奮闘して、なお届かなかった。モモンガの期待に応えたとは、いかにも言いづらい状況であった。
――だが、最低限の仕事はしてくれた。
敵の情報を得る。その得難い機会を提供してくれたのだから、やはり感謝はするべきだろう。たとえ、相手が格下であっても、初見で事故れば死が見える。ユグドラシルとは、そういうゲームであった。
ゆえにモモンガも、油断は捨てている。ガゼフらとの戦闘を観察する限り、敵は脅威とはいいがたい。しかし、こちらが把握していない切り札があるかもしれず、なめてかかるつもりはなかった。
「そろそろか」
モモンガは、ウォン・ライの方を見やると、彼は無言でうなずいた。同意は得た、とばかりに行動に移す。
厳密に狙ったわけではないが、こうしてガゼフは死の直前で、村へと転移された。生き残ったのは紛れもなく、彼自身の功績だろう。
そして、彼に代わって戦場に出でたのは、三人。モモンガ、ウォン・ライとアルベドである。
「はじめまして、皆さん」
モモンガは、開口一番にそう言った。
今までガゼフと戦闘していた連中――異国の部隊であろう。現代風の言い方をするなら、特殊工作部隊、とでも名付けるのが正確なところか。
ともあれ、そうした精兵と言えど、この急展開には動揺が走った。突如現れた不審人物たちに、警戒の念を露わにする。攻撃の意思は消さず、観察のために一時場が硬直する。
モモンガは、そうした連中の思惑など何処吹く風、とばかりに続けて言った。
「私の名はモモンガ。後ろの二人は、私の仲間だ。――あえて紹介はしないが、少しばかり私の言葉に耳を傾けてほしい」
ガゼフに対するのと同じように、問答無用で仕掛けてくる……のであれば、それはそれで楽な話なのだが。
しかし幸か不幸か、この部隊の練度は先ほどの騎士どもとは、また違う。さらに一段階は高みにあり、うかつに攻めてこようとはしない。
「聞く耳がある様子で、結構なことだ。用件は難しい話じゃない。――お前たちでは、私一人にさえ勝てない。大人しく降伏すれば、まともな扱いをしよう。だからお互いに矛を収めようじゃないかと、そういう話でね」
受け入れるわけがない、と見越しての発言である。モモンガも営業トークの一環として、ある程度の交渉術は心得ていた。
出会い頭に大口を叩いて、機先を制する。相手がこれを鼻で笑うか、心して油断を消すか。あるいは同様に大口を叩き返して、同じ交渉の舞台に立つか。
いずれにせよ、最初に口を開いたモモンガに主導権がある。彼は相手の反応を見ながら、慎重に情報を探るつもりでいた。
「――馬鹿げたことを」
反応したのは、部隊の中でも一番偉そうな男だった。部隊の兵が、彼のことをニグン隊長と呼んでいた。
「何を言うかと思えば、降伏しろだと? そのような言い方で、本当に降伏する馬鹿がいるなら、ぜひ見てみたいものだ」
隊長というからには、彼が部隊の指揮官と見るべきであろう。ニグンとやらは、不敵に笑って、モモンガに応えた。
「馬鹿げた? それはどうだろう。そもそも勝利の確信がなければ、ガゼフを退避させるだけでいい。わざわざ目の前に出てくることはない。……そう思わないか?」
「いいや、やはり愚かだ。我々は何も、全ての手札を見せたわけではない。どこで監視していたかは知らんが、その浅慮を悔いることになるぞ」
やけに自信満々な態度である。モモンガは認識を改めた。こいつが馬鹿か大物かは別として、傲慢になるには相応の理由があるはずだ。
自尊心の元になる実績があってこその、この態度。そう思えば、やはり彼らはこの世界において、明確な強者としての地位にあるのだろう。
こいつの――ニグンとやらの力量を確認することで、王国だけでなく、近隣諸国の戦力レベルも知れる。となれば、ここで戦闘を回避する理由はなかった。
「たいした自信だが、その根拠はあの天使どもかな? それだけというなら、あまりに貧弱だろう。……ガゼフはそれなりの強者だろうが、あのレベルで対抗できるなら、私にとって脅威とは――」
「ストロノーフをどこへやった?」
モモンガの言葉に割り込むように、ニグンは言った。ガゼフ、という名に反応してのことだろうが、彼の人物は礼儀というものを知らぬらしい。
「……村の中に転移させた。そんなこと、いちいち確認することでもあるまいが」
「どこに隠したか、と聞いている」
こいつ、実は頭が悪いんじゃないか、それとも耳がおかしいのか。
モモンガはそんな感想を抱いたが、そもそも転移の魔法を知らないのかもしれない。とすれば、無知ゆえの傲慢か。
まさかと思ったが――そうであるならば、真面目に付き合うこともなかった。
「なるほど、結構。そちらに対話の意思はないようだし、あくまで力を行使するというなら、こちらも同様に振る舞うだけだ。……こうも不快感をあおってくれなければ、もう少し穏便に済ませてやっても、構わなかったのだがね」
そうなるわけがない、と確信しての行動だったが、こちらの意図を外して賢明に振る舞うなら、却って別の利用価値を見出しただろう。
穏便に生かして帰す、という手段さえ、取ったかもしれない。もちろん、仮定の話ではあるが。
「時間が惜しい、天使達を突撃させよ!」
ニグンの号令が、全ての運命を決した。
「ああまったく、時間が惜しいな。……すでに充分、時間は稼いだのだから」
モモンガはそう言って、振り返った。
戦場で長話するときは――たとえそれが交渉であれ、あらゆる意図が込められている。
「もう良いな、モモンガ殿」
「頼む。存分にやってくれ」
ウォン・ライは呪縛弾の仕込みを終えていた。人の身での制限に、この魔法は引っかからない。
よって遠慮なく、ニグン一人に呪縛弾が降り注ぐ。
「あ? が――」
「そら、確保。……さて、隊長を捕縛したぞ。君らはどう出るね?」
ニグンはあらゆる行動の自由を奪われて、ウォン・ライの下に引きずり寄せられた。突撃に備えていた天使たち、部隊の兵どもも、これによって動きを封じられる。
ウォン・ライは、手際よくニグンを後ろ手にねじりあげ、ひざまずかせて拘束する。まるで手慣れた作業のようで、モモンガは見ていて少し驚いた。
「……結構簡単にやるんだな。意外だ」
「昔取った杵柄、というやつだ。思い出したくもないが、体の方が覚えているらしい」
ニグンはひどい声でうめき、叫んだが、ウォン・ライには情けの欠片も見られない。人化の術が効いているはずなのに、人としての顔と鬼の顔が、ダブって見えるような気がした。
「モモンガ様」
「ああ、アルベド。そうだな、うっぷんを晴らさせるのもいいか。――許す。残りの処分は、お前に任せよう」
アルベドが、兜の下で笑ったような気がした。後がどうなったかは、記すまでもないだろう。
返り血を洗い流すと、彼女の鎧は元の光沢を取り戻した。遺骸の処理は、後で
アルベドが展開させていたシモベからも、いくらかの収穫があったらしく、まとめてナザリックに送るよう伝えた。
捕縛した敵の処理はゆっくり考えればいいが、ただ一人、この場で生きている人間がいる。これは早々に始末をつけねばなるまいと、モモンガは語りかけた。
「ニグン、と言ったな。お前に聞きたいことがある」
あれほど傲慢だった男が、今では震えて縮こまって、言葉を発するのにも苦労するありさまだ。大見得を切るからこういうことになるのだ、とモモンガは冷淡に考える。
同時に、油断がこの結果を生んだのだと思えば、反面教師として受け止めることも出来る。今回はたまたま上手くいったのだと、そう思い直した。
この世界において、ナザリックの戦力は破格のものなのだろう。自身の強大な力を自覚すると共に、その使い方を誤ってはならないと、モモンガは自戒の気持ちを新たにした。
「聞こえているな? ニグン、返事をしないか」
「は、はいぃ……」
「モモンガ殿は、貴様に語り掛けておられる。求められていることは一つ、問いかけに答えること。それだけだ」
嘘をついたらどうなるか。ウォン・ライは、いちいちそんなわかりきったことを言うつもりはなかった。
閻魔様に嘘をついたら舌を抜かれるぞ、とモモンガは子供の頃、どこかで聞いた覚えがあった。
この場合、舌を抜かれる程度で済まないだろう。ちょっとした嗜虐の味を覚えながら、彼は問うた。
「一応聞いておこう。お前の所属、目的、とりあえずはそれだけでいい」
予想がついている部分もあるが、当人からの答えがもっとも正確だ。嘘があれば、ウォン・ライが看破するであろう。
この現実において、それらがどのような変化を遂げたのか。モモンガは確認していないが、まさか別物に変化した、とも思えない。ならば、その能力は尋問においてひどく役に立つものであろう。
「は、話します。しゃべります。だから、どうか……」
「聞かれたことにだけ答えよ。――モモンガ殿は、お忙しいのだ」
ウォン・ライは、ニグンの足を踏みつけた。骨折しない程度の力で、念入りに痛めるように。
えぐいことするなあ、とモモンガも若干気の毒に思ったが、どうでもいいことだった。それにしても、ここまでしておきながら、ウォン・ライには嗜虐を楽しむ雰囲気がない。
アルベドはあれで、残虐行為を楽しむ余裕を持っているのだが――彼のそれは余裕どころか、ある種の痛みに近い、憂いのようなものさえ感じられた。
向いてないことを、無理矢理やっているような。どんなに手際が良くても、違和感をぬぐいきれない。それがまた、どうにも鈴木悟としての意識をくすぐるのだ。
――あの人に、こんなことをさせてはいけない。させたくないと感じるのは、俺の人間性の証明になるのだろうか? それとも、ギルドマスターとして、メンバーを心配しているだけ?
村長の前では、あれほど優雅に振る舞えて、あたたかな言葉もかけてやれる人が。いくら計算高くても、要所で思いやりを忍ばせる奥ゆかしさ、優しさを持つ人が。意に添わぬ暴力行為に身を染めている。
この背徳感を、何と表現したものか、モモンガはわからない。もっとも、この場において有用な技術を腐らせることは、賢明ではないだろう。
ニグンから必要な情報を得ると、改めてモモンガは思考に浸った。
連中がスレイン法国の所属であり、ガゼフの暗殺を狙っていたこと。その二つを聞き出したところで、ウォン・ライが止めた。
「尋問に関する魔法がかけられているようだ。詳細までは把握できないが、特定の状況下で質問に3回答えたら死ぬ、というものらしい。この男への尋問は、まずは打ち切るとしよう」
モモンガは驚いたが、彼の言葉を疑う理由もない。それならそれで、扱いに困るのだが、ウォン・ライが提案した。
「質問に答える、と明確に定義されているのがミソだな。意思表示を明確にさせず、体の反応だけで読み取れば、発動することはないだろう。口をふさいで体を拘束し、本人が答えようもない状況さえ作り出せば、好きなだけ尋問できよう。……ナザリックには、その辺りの専門家もいることだしな」
その手があったか、とモモンガは感嘆した。いや、むしろ疑問に思うべきだろうか。
育ちのいい、官吏の一族の彼が、どうしてそんな知識に精通しているのか。ウォン・ライの過去とは、何なのだろう。
「モモンガ殿、そういうことで、どうか?」
「……専門家か、ニューロニストがいたな。あれなら、いい具合に加減してくれる、と思う。いいんじゃないか? 具体的な尋問内容は、こちらで指定する必要があるだろうが……」
「大丈夫だ。それも含めて、任せてほしい。なに、人面獣心の愛国者殿の扱いは、慣れている。むしれるだけ、むしってやるとしよう」
ウォン・ライは、自信満々に言い切った。何か変なスイッチが入っていないかと心配したが、そこまで追及する勇気をモモンガは持たない。ニグンを連れて、先に帰ると言われれば、そのまま受け入れるしかなかった。
――やれやれ。ともかく、仕事は終えたな。
逃がしてやったガゼフとは、自分が直接話さなくてはならない。村長に会って挨拶の一つもしなければ、礼を失するであろう。
モモンガにとっては気が重い役割だが、それはウォン・ライも同じはずである。奮起せねばなるまいと、きびすを返して村へと向かう。
「少し、よろしいですか? モモンガ様」
「どうした、アルベド」
人目がない今だからこそ、アルベドの方も気兼ねなく話す好機である。それを彼も理解したから、足を止めて付き合った。
「ここまで人間に好意的になる必要が、果たしてあったのでしょうか? 命を助けるだけならまだしも、あれこれと配慮に苦労しているように見受けられます」
「む……まあ、それはな。村人たちは、自分から関わったことだからな。責任を持って、最後まで助け通すのが筋だろう。……それに私は、言うほどの苦労はしていないよ。細かく配慮したのは、ウォン・ライの方だ」
「そこです。私にはわかりません。彼のお方が、そこまでの思いやりを示すほどの価値が、彼らにあると?」
アルベドは、異形種らしい人間軽視の価値観を持っている。認識を改めろ、と命令するのは容易いが、感情に嘘はつけないものだ。
ため込ませるより、少しくらいは吐き出させるかと、彼は腹をくくった。
「人間を弱者と思うか? 弱者には価値がない、と言って良いものかな?」
「至高なるお方には、深淵なお考えがあるのでしょう。私などには理解の及ばぬこと、なのかもしれません。私の価値観など、些細なことなのでしょう」
彼女は、素直に肯定しなかった。同時に否定もしなかったが、これはアルベドなりの苦悩なのだとモモンガは受け取った。
彼には負い目がある。設定を書き換えた、という負い目が。それゆえ、ここでさらりと流すことは出来なかった。
罪滅ぼし、ではないが。彼女のために言葉を尽くすくらいは、最低限の義務と思う。
「アルベド、私はお前を信頼している。これからも、その力を当てにしたいと思っている」
「はい」
「お前の強さ、賢明さ、実務能力。全てを高く評価している。私はお前を、得難い存在だと認識している」
事実である。モモンガは、正直に自らの想いを述べているに過ぎない。
だが、この純真さがアルベドの心にはよく刺さるのだ。まるで楔を打つかのように、彼女の中に言葉が入ってくる。
「光栄です、モモンガ様」
「だからこそ、あえて言おう。驕るな、と」
胃がきりきりと痛むような気がした。もちろん錯覚だが、自分を省みれば、あまり偉そうなことは言いたくないというのが本音だ。
それでも、指摘しておくことに意味がある、と信ずる。モモンガは、アルベドに油断という悪癖をつけてほしくはなかった。
「お前には、これからも苦労を掛けることになるだろう。それゆえ、一層の注意を払ってもらいたいのだ。人間を劣等種族と見る、その価値観を変えよとまでは言わぬ。……だが、その人間の中に、傑出した個人がいることも、覚えておくのだ。あるいは、そうした一握りの人種が、我々に大きな貢献をもたらしてくれるかもしれん」
「――なるほど。使いよう次第で、有益な存在足りえると、モモンガ様はお考えなのですね?」
「そうだ。我々は比類なき強大な存在であるかもしれん。だが、戦力には限りがある。常に、どこにでも手を伸ばせるとは限らん。この世界全体の人口と比べれば、あまりにも小規模な勢力と言えるだろう。……数は力だ。人的資源は、あればあるほど良い。私の言っている意味が分かるな?」
一気に言いたいことを言ってしまったが、何とかアルベド自身に考えさせる方向に持っていった。
彼女は聡い。優秀な人材であればこそ、自ら考えさせた方が、適当な結論を出してくれるだろう。
モモンガは、さほど己の知謀を評価していない。具体的にあれこれと指示するよりは、おおまかな方針だけ示して、方策そのものは当人に立案させようと思っていた。
「承知いたしました。当面は、村人たちとの折衝が問題となりますか。どこまで関わるか――干渉の度合いについて、後ほどにでも詳しく指定してくだされば、実務的な作業はこちらで行います」
「ああ、頼む。……しかし、一仕事終えた後だ。数時間は休息をとって、それから考えよう」
それほど勤勉な性格でもないつもりだが、幸いというべきか、肉体的な疲労は感じていない。
しばらく頭を休めれば、存分に働ける状態になるだろう。一連の出来事を振り返って、色々と検討することもあろうし、今は時間を置きたい気分だった。
「かしこまりました。では、そのように」
「――しかし、あれだな。今回の件で、ウォン・ライの過去について、興味がわいてきたな。今思えば、付き合いが長いわりに、個人的なことはあまり語り合わなかった。私は、彼が鬼種としてユグドラシルに現れる以前のことを、何も知らないのだ」
モモンガとしては、さしたる考えがあって、そうしたことを言ったわけではない。ただ、場の雰囲気を切り替えるために、緊張を解くつもりで一言述べただけだったのだ。
「ウォン・ライ様について、ですか?」
「うむ、そうだ。もしかしたら、彼の方が、ギルドマスターに向いているかもしれんな。人を導く術も知っているだろうし、他者を引き付けるカリスマも強そうだ。私より、よほど上手にナザリックを運営するかも――」
「ありえません」
アルベドの声は、ひどく冷たかった。まるで冷水でも浴びたかのように、モモンガは驚きそうになった。
種族の特性のおかげで、大部分は抑制されたが、疑問は残る。
「どうした。ありえないと、断言する根拠でもあるのか?」
「――モモンガ様に不満を持つ者など、ナザリックにはおりません。それで充分でございます」
アルベドの態度は、頑なな態度を崩さなかった。彼女なりに、思う所でもあるのか。
ウォン・ライは、確かに一度はギルドを抜けた。だが、戻ってきたときに不満を漏らしたものなど、やはり皆無であったはず。
「余計なことを申し上げました。……気分を害したのであれば、お詫びいたします」
「いや! 余計なことを言ったのは、お互い様だ。だから、アルベドが申し訳なく思うことはない。……さあ、村に戻るぞ。演技を忘れるな」
モモンガは、この問題を直視することを避けた。先送りは問題の解決にならないが、アルベドの感情を解きほぐすというのも、仕事の片手間に出来ることではあるまい。
女性経験のない彼に、複雑な女の想いを察しろというのも、それはそれで無茶なことであったろう。
――さて、ガゼフにしろ村長にしろ、この世界における貴重なサンプルであることに違いはない。人格的にも信頼できそうだし、長く付き合う方針で、接し方も考える必要があるか。
村に戻るなり、村人たちの歓迎に囲まれながら、モモンガは頭を切り替えていた。
人としての共感は、相変わらず感じなくても。それでも、人は愚かなばかりではないと、彼は実感と共に受け入れることができた。
ウォン・ライの心には、深い闇がある。
それは中華という文化の闇であり、中国という国の病であり、大陸という大枠にはめられた、一種の思想といって良いかもしれない。
だが、ここで重要なのは彼の中の闇ではなく、それを御している理性である。この理性が何かの拍子にゆるんでしまえば――その時の判断次第で、いくらでも酷薄に、冷淡に、自身の暗部をさらすことができるのだった。
ウォン・ライのカルマ値はゼロ。さらに特殊な条件を揃えているため、属性でいうならば『真なる中立』である。
それは悪にも善にも偏らないということであり、同時にどちらでもありうる、という事実も示している。なればこそ、彼の行動に矛盾はないと捉えることも出来よう。
「そろそろ頃合いかな? デミウルゴス」
「聞くべきことは聞いた、という感があります。ですが、せっかく確保した時間です。もう少しくらい、話していく余裕はあるでしょう」
ウォン・ライは、デミウルゴスと共にニグンへの尋問に参加していた。老獪な支配者を前にして、この悪魔はただ恐縮するばかりであったが、それでも仕事は滞りなく進んだ。
「ニューロニスト、楽しんでいるか?」
「はぁい。でも、そろそろ賞味期限も切れそうですわ。もっと、趣向を凝らす時間があれば、別なんですけれどぉ」
この段階において、すでにニューロニストは実行者に過ぎなかった。ただ言われるままに、ニグンの体に『質問』し、『応え』を引き出している。
彼女(この表現が適切かどうかは置く)は、人間の扱いに関しては手抜かりというものがない。生かさず殺さずの加減をよくわきまえていて、助手としての力量は確かであった。
「声が聞こえていることはわかっている。さて、これも独り言だ。――スレイン法国の民は困窮しているのか? 食うものに困っているのではないか? 私は心配だな」
ニグンは寝台に縛り付けられており、わずかに手足が身じろぎする程度の余裕しかない。
拷問の痕が生々しく体に残っているが、簡単な治癒魔法で消える程度のものだ。肉体的な負担を最小限に、精神的な苦痛は最大限に。こうした仕事をさせれば、まさにニューロニストは一流だった。
「凶作になれば人は餓えるし、戦争などで需要が跳ね上がっても人々は困る。そうした地域で治安が乱れれば、さらに多くの人が困窮する。そうした事態が起こっていたら、私の心も痛むというものだが――」
彼の視界は閉ざされ、口もふさがれていた。しかし、拷問室は魔道具によって五感が鋭くなる環境が整えられており、ウォン・ライの言葉、その一語一句が彼の脳内にすべり込んでいく。
表面上、体に変化はない。すでに刺激に慣れた体は、多少のことで驚かない。思考も鈍化して、次第に対応が遅れるものだ。
これを覚醒させるのに、一番手っ取り早いのは激痛である。
「ニューロニスト」
ウォン・ライがうながすと、彼女はニグンの指を折った。
痛みに悶えながら、彼は『なんとか意思を示そうと』足首から先を横に動かした。否の合図である。
もちろん、事前に教え聞かせて、ニグンの行動を指定したりはしない。拷問らしく、それなりに適当に痛みを与えながら、お互いの反応を探り合った結果である。
これが肯定、それが否定をあらわす行動だ、と悟るまでに数時間を要したが、ささいなことであろうとウォン・ライは思う。
「さて、話し疲れたな。少し休憩しよう。――ところで、デミウルゴス。人間についてどう思うか?」
「愚かな劣等種族です。本来ならば、関わらずとも良い相手ですが、今は状況が違う。我々が支配して、導いてやるべきでしょう」
「なるほど、お前らしい見解だ。――うむ、それもありだろう。人間が本当に愚かであれば、それが人民のためでもある」
ニグンは痛みで頭が覚めていた。だから、腕をばたつかせて応える。
強い否定をあらわす、『お願いだからやめてくれ』の意思表示だった。
「だが、その時期ではあるまい。人間は愚かな者もいるが、賢明な者もいる。もし『この場にいれば』、自由に議論したいものだ。そうだな、仮に目が見えない賢者がいたら、その『目が見える』ようにして、お互いの立場を明確にして、対等に話し合いたいものだ」
ニグンの足が、貧乏ゆすりをするように細かく震えた。彼の肯定の意を、ウォン・ライは見て取った。
ニューロニストに身振り手振りで合図すると、ニグンの目隠しと猿ぐつわが外される。彼は、わずかな希望を見出したような、そんな目の色をしていた。
――かかっている魔法は、融通が利かん様子だ。そして、当人の心も折れている。確認は終わったのだし、時間を浪費するのもここまでだな。
ウォン・ライは、本気で全ての情報を、これで得るつもりはない。彼に対する教育は、これからが本番だが、まずは一段落したと考える。
痛みの次は、思考に踏みこむ。それは、いくらか時間をおいてからの方が、負担も軽く済んで効率的であろう。
ニグンは、どのように弁護しても残酷な殺戮者に違いはなく、どのような扱いをしてもモモンガを悩ませることのない、貴重な資源であった。
老獪な老人は、感情を封印する術を心得ている。だが、いくらか成熟しているとはいえ、多感な青年には配慮が必要だ。
相手が悪い奴なら、あらゆる行為は正当化される。倫理観も無意識に鈍くなり、自覚は薄くなる。犯罪者が拘束されるのは当然で、場合によっては死刑も妥当。
ならば、この行為も刑罰のようなものだと、モモンガはわかってくれる。何より現場さえ見せなければ、精神的に負担を感じさせず、利益につながるのだ。出来るだけ使い潰そうとして、当然だった。
「これまでだな。後ほど処置する。……牢につないでおけ」
ウォン・ライは、もうニグンの方を見ず、デミウルゴスを連れて部屋を出た。
後ろから悲鳴が聞こえたような気がしたが、聞こえないふりをして。
「見事なお手並みです。私やニューロニストだけでは、彼を殺してしまったかもしれません」
「……そうか」
褒められて、嬉しいようなことではない。
拷問の手並みなど、上手い方がおかしいのだ。悪魔の価値観でデミウルゴスは讃えているが、ウォン・ライの感性は人間的である。
人間でありながら、悪魔的な行為が出来る。その事実がいとわしい。友人の息子に対して、そのような本音を漏らしたくないから、不愛想にうなずいただけで済ませた。
近しい者を傷つけたくない、と思いながら、別の人物をさいなむ。ひどい偽善だと理解しながらも、安易な自嘲には浸りたくない。
全ては己自身の夢のために。そのためならば、多少のことは許容すべきだった。
「厄介な魔法がかかっていようと、事前に分かれば手も打てる。手を尽くして、こちらで魔法を解除できるかどうか、試すとしよう。それまで、ニグンとやらには生きてもらわねばならん。――他の連中はどうしている?」
「同じく、牢につないでおります。警備は整えておりますので、逃げ出す心配はございません」
「ならばよし。人は有効に活用すべきだ。無駄は悪徳、資源は有限、無理なく進めていかねばな」
何事も、一気に発展とはいかぬものだ。都合のいい妄想で、現実は動いたりしない。身の丈に合った成長、確かな歩みで進んでいくことの大事さを、ウォン・ライはわきまえている。
だから、先の戦闘で得られた戦果も、重視はするが過剰な期待はしない。期待に応えられないからと言って、失望もしない。それが正しい態度というものであろう。
「連中の装備品、身につけていた道具を見る限り、法国の実働部隊の水準は低い。だが、例外もあろう」
とにもかくにも情報が足りない。半端な知識は逆効果にもなりうる。敵から得た物の中には、欺瞞情報も含まれるのが普通だ。
傲慢な力押しは、こんな序盤から取れる手ではない。下手な判断はするまいと、気を引き締める必要があった。
カルネ村との関係も、これからは重要になってくるだろう。ナザリックの存在をどこまで匂わせるべきか、その点も含めて後ほどモモンガと協議するべきか。
「ウォン・ライ様。――提案がございます」
「どうした?」
「捕虜を使って、牧場を作りましょう。繁殖させれば、様々な実験に使う余裕ができます」
デミウルゴスの意見は、聞くべきものがあった。こうして自ら提案するからには、明確に利益が見込める、高度なプランも頭の中にあるのだろう。
彼はそこまで出来る男だと、ウォン・ライは評価していた。盟友の息子なのだから、それくらいは出来て当然だと確信する。
「……まずは見積もりを作ることだ。箱の作り方から、運営の方針まで。詳細を私のところに持ってくるように。それまでは、軽率な行動はひかえろ。良いな?」
「――承知いたしました。二、三日中には、必ず」
そのまま通せば、非人道的な経営になるのは目に見えていた。だから、彼は書面で明確に記すよう求める。そうすれば、修正も容易になると計算してのことだ。
ウルベルトは悪を好んで演じた。悪役ロールプレイというものは、洒落だとわかっていれば許容しやすいが、本気で現実に行うとなると、やり方を考えねばならない。
デミウルゴスは、本物の悪魔だ。なればこそ、ちょっとしたやり取りにも気を抜けない。
ウォン・ライは、常に人民の味方でありたかった。人々の安寧を守り、その幸福に寄与したかった。だから、牧場の案にタダ乗りするのは避けたのだ。
「話は変わりますが、リジンカンについて。よろしいでしょうか?」
「あれのことで、私が話を避けることはない。忌憚なく話すといい」
「では、少し。……彼がアルベドに横恋慕していることは、ご存知ですか?」
「――ああ、知っている。だが、彼女にはモモンガ殿がいる」
デミウルゴスにとって、リジンカンは友人である。それをウォン・ライは知っていたから、話題に出ても驚きはしなかった。
「アルベドがモモンガ様を慕っていることは、はた目にも明らかです。モモンガ様は、アルベドを娶るおつもりなのでしょうか?」
「いずれは、そうなってもおかしくはないな。時期について、明確なことは言えぬが、リジンカンに目がないのは明らかだ」
アルベドはビッチ設定になっていたが、その時点でもリジンカンについては、『彼だけは男として意識できない』ときちんと書き込まれていたはずである。
どこまでも報われぬ恋に身を焦がす男、そうなるのだと決めていた。よって、これはウォン・ライの罪である。
「彼が外に出る任務に就くと、本人から聞きました。そうであるなら、一つお願いがあります。……彼に、出会いの場を作ってやっていただきたいのです」
「――あいつめ、口の軽い。いや、それはいいだろう。……それにしても、わざわざ外に求めることかな? ナザリックの中では、それほどリジンカンは女受けしないのか」
「メイドの中でも、恋愛の対象として見る者はいません。女性の守護者たちは、そもそも彼を男として意識しているかどうか……」
不敬になることを恐れ、言葉をにごしている。そうしてデミウルゴスの態度を見れば、察するのは容易だった。
ウォン・ライであれば、ナザリック内で誰それを娶れ、と言えば否やはない。だが、恋愛ごとをそうした力技でどうにかするのは、流石に邪道というものであろう。
ここは、彼の気遣いに感謝するべきだ。息子を気にかけてくれる友人が、ここにいる。そう思えば、悪い気はしなかった。
「わかった。リジンカンには、不毛な恋に捕らわれてほしくないからな」
「ありがとうございます。これで、肩の荷が下りた気分です」
「……実は、すでにモモンガ殿には、似たようなお願いをしている。冒険者として各地を巡ることになれば、出会いも多いだろう。機会さえ与えられれば、あいつくらいの伊達男なら、異性に困ることはないはずだ」
それを聞いて、デミウルゴスは喜色満面という風だった。そこまで心配されていたとなれば、リジンカンの方も幸福だろう。
良い友人に恵まれること以上の幸運は、そうない。ウォン・ライもまた、嬉しくなった。息子の前途が明るくなったように思えて、笑みも浮かぶ。
「そうだ、これから時間があるなら、自室まで来ないか。リジンカンの奴も呼んでやろう。――モモンガ殿が表に出る分、私はナザリックで待機する役割だからな。時間的にも、ゆとりがある」
「喜んで。酒は、メイドにでも命じて持ってこさせますか」
ナザリック一の知恵者に、相談すべきことはいくらでもあった。日常的な、こまごまな事を決めるのにも、良い機会である。
そうした場であれば、リジンカンも賑やかしくらいにはなるだろう。あれの陽気は、それくらいの役に立つ。
ウォン・ライにとっても、息子の存在は大きかった。初めて得た、現実的な存在であるのだから、それは当然と言えるのだろう――。