ナザリックの赤鬼   作:西次

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第九章 解決、そして

 ガゼフを先頭にして、モモンガとウォン・ライは現場へと急行した。アルベドと死の騎士(デスナイト)は、やや後方にいる。

 いきなり戦闘に入るのではなく、まずはガゼフらの手並みを拝見したい、というのが二人の見解である。

 

――油断は禁物だ。常に敵が己より弱いとは限らない。

 

 防御がもろくとも、攻撃力に特化した手合いがいるかもしれない。であれば、初撃を食らうのは避けたかった。

 少なくとも、敵の情報を得られるまでは、自分から仕掛けるリスクを負わずに済ませる。そうした方針を、モモンガは定めていた。

 

『くれぐれも、先走らないように。捨て駒になりそうな者がいるのだから、遠慮なく使わせてもらおうじゃないか』

『……モモンガ殿は、慎重だな。いや、正しい姿勢だ。ここで警戒するべきは、己自身の油断と慢心か』

 

 先ほどまでの戦闘が、あまりに圧倒的に優位であったためか、モモンガは却って警戒を強くしていた。簡単に勝ち過ぎた後こそ危ない、というのは当たり前の教訓だが、実際に一度経験すれば、嫌でも意識するようになる。

 意図的に相手の勝利を演出して、調子に乗った敵を死地におびき出す。それに類する手は、対人戦においてむしろ定石であり、考慮しない方が間抜けだと言わねばならぬ。

 もっとも、理解していてなお、勝利の美酒は甘い。ゆえ、モモンガは気を引き締めた。自分一人であれば、慢心もスリルの一種として許容したかもしれないが――。

 

「報告通り、確かにいるな。――見える限りでは三人、周囲のあれは、天使どもか」

 

 ガゼフの言葉が、モモンガに現実を認識させた。彼の視線の先には、なるほど、それらしい連中がいる。

 あまりにゆっくりとした歩み具合は、やはり策略の匂いを感じさせたが、ともかく村に入られるまで、もう少し時間はある。重装備をしていないところを見ると、三人は魔法詠唱者(マジックキャスター)と見て良い。

 

炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)? まさか、ユグドラシルと同一の……?』

『何とも言えん。ガゼフ殿に殴らせてみれば、結論は出るだろう。まずは挙動を見て、判断すればいい』

 

 モモンガの問いに対して、ウォン・ライは単純かつ現実的な手段を伝えた。

 それが、もっともリスクの少ない手であろう。とすれば、ここでの身の処し方は一つしかない。

 

「モモンガ殿、できれば御一行、我々に雇われてくれないだろうか?」

「お断りしよう」

 

 ガゼフの提案に、モモンガはノータイムで答えた。そう来るであろうことは、察しがついていたから。

 

「報酬は、用意する」

「……ガゼフ戦士長、貴方にそんな権限が?」

「手持ちはないが、帰還してから国に申請しよう。いくばくかの金貨は調達できるはずだ」

「そんなあやふやな物を信用しろと言われても、困るな。こちらにメリットがない」

 

 ガゼフは報酬の額を明示しておらず、調達できるはず、などという言葉で濁している。

 こちらとしては、彼らが玉砕してから、手負いの敵を迎撃する手もあるのだ。そうした方が労力が少なくて済むのだから、彼の提案を真に受ける必要性など、どこにもない。

 

死の騎士(デスナイト)。あれを貸してくれるだけでも、良いのだが」

「……それは、いや、やはりお断りさせていただこうか。悪いが、そちらの手で御せるような代物ではなくてね。万が一の話だが、もし暴走したら、どう処理されるおつもりかな?」

 

 それらしい言い訳をして、断る。失っても痛くはない戦力だが、初志を変えさせるほどの利益が見込めない以上、貸し与えるのはためらわれた。

 自己中心的に過ぎはしないかと、モモンガ自身も思わなくもないが、この程度の後ろめたさならば抑え込める。

 

「そうか、残念だ。……命令できる立場でもないし、強制できるだけの力も、我々にはないのだろう」

「物分かりが良いようで、何よりだ」

 

 モモンガの後ろには、ウォン・ライとアルベドが目を光らせている。

 アルベドは兜さえ取っていないから、表情は読み取れない。それでも、無礼な振る舞いは許さないと、気を張っている様子はわかる。

 ここに至って、ガゼフはあきらめたらしい。一息ついて、苦笑を浮かべると、切り替えたように明るい声で言った。

 

「この村を救ってくれたこと、改めて礼を言わせてほしい。ありがとう。彼らと同じ平民として、感謝を述べたい」

 

 この一言は、モモンガに新鮮な驚きを与えた。ガゼフという男は、厳格な戦士としての雰囲気が強いから、余計に意外であった。

 

「本当に、本当に感謝する。無辜の民を虐殺の手から守ってくれたこと、言葉では言い表せぬほどに、恩義を感じている。……その上で、申し訳ないが、一つ我がままを聞いていただきたい」

「……聞くだけだぞ」

 

 モモンガは、目の前の男がまぶしく見えた。真に人格者らしい振る舞いだと、認めてしまいそうだった。辛うじて、一言だけ返す。

 だが、ふてぶてしい態度を維持できたのは、そこまでだった。

 

「この村を、守ってほしい。我々が全滅した後で、村人たちが害されることのないように」

 

 ガゼフの言葉に、モモンガは言いようもない感情を覚えた。口を開こうとしたが、何も言えなかった。

 彼は、自分の命より他者の命を第一としている。村人たちのためなら、死んでも仕方がないと思っているのだ。そうした精神を美しいと思うのは、己が凡庸な愚者だという自覚があるからか。

 モモンガは、知らず頭を押さえた。そうした行動が、彼にも不安を与えたのだろう。改めて、付け加えるように言う。

 

「まことに申し訳ない。確たる報酬は約束できないが……このガゼフの願い、なにとぞ聞き届けてもらえまいか。彼らの平穏を守りたい。もし守れぬなら、他の誰かに託してでも、と願う」

 

 ガゼフの言に嘘はない。そういう男なのだと、モモンガにもわかる。わかるからこそ、余計な感情を抱いてしまいそうだった。

 後ろを見やると、ウォン・ライは黙ってうなずいた。アルベドは、ガゼフなど気にもしないで、ただモモンガだけを見ている。それで、彼の気持ちは固まった。

 

「了解した。村人は必ず守り通そう。――これで良いかな?」

「充分だ。感謝するモモンガ殿。これで、後顧の憂いはなくなった。私は、前だけを見て進むとしよう」

 

 ガゼフは今にも飛び出していきそうだったが、その前にモモンガは彼に向かって、一つの彫刻を手渡した。

 彼の目には特別なものに映らなかったろう。いぶかし気にそれを見るのみだったが、お守りのようなものだと伝えると、素直に受け取ってくれた。

 

「ご武運を、戦士長殿」

「ああ、モモンガ殿も、無事であることを祈っているよ」

 

 ガゼフは部下を率いて、前進した。それが死の行軍になるであろうと、モモンガは何となく察しながらも、見送った。あれが英雄というものかと、ふいに思う。

 もしかしたら、英雄とは、ああした行動を自然に取ってしまう者のことではないか。ただ強いだけの相手なら、こうも敬意を抱かなかっただろう。

 

「……どうも、な。初対面の相手なら、冷徹に接するのもわけはないんだが。余計にいろいろ話してしまうと、情がわく。仕方がないことと、受け入れるべきなんだろうか、これは」

「思うがままに、成したいと思うことを成されればよろしい。モモンガ殿、貴方はそれが許される立場にいるのだ」

 

 モモンガの疑問に、ウォン・ライは明確に答えた。やりたいようにやればいい、と。

 

「死を覚悟して、彼らは行った。私ならば出来るだろうか。大事なものを守るために、己の命を懸けることが。……あそこまで強い意志を持って、進むことが、可能だろうか」

 

 モモンガは己に問いかけた。ウォン・ライも、これには即答を避けた。必要なのは、他者の言葉ではないと思ったから。

 

「モモンガ様は、慈悲深いお方です。それだけで、私たちは充分報われます。――悩まれるようなことではありません」

 

 ただ、アルベドだけは、彼を肯定しようとした。彼女の言葉は、モモンガの心にどこまで刺さったのか。それを外から推し量るのは、難しい。

 

「アルベド」

「はい」

「お前のことだ。周囲に適当なシモベは配置しているな?」

「――もちろんでございます。使用されるかどうかはともかく、ある程度の備えは必要かと思い」

「伏兵の確認だ。周辺を探り、敵の全容を把握するよう伝達。いた場合は、意識を奪って捕獲するように。お前自身は、私の供だ」

 

 モモンガの命である。アルベドは、承知した。兜の中の表情は、どうであったか。それを知ることもまた、難しい。

 

「では、そのように。……モモンガ様、村長が来ます」

 

 アルベドが半歩退くと、モモンガの視界に村長が入ってきた。不安に駆られているのだろう。焦りの感情が、はっきりと見て取れた。

 

「モモンガ様! ……私たちは、どうすればよいのでしょう。戦士長は、行ってしまわれました。私たちは、身を守る術すらないのに、どうしたら……」

「村長殿、あまりガゼフ殿を責めてやるな。……彼は、村人たちを守るために、迎撃に赴いたのだ。村を戦場にするよりは、そちらの方が、被害は抑えられる。そう思っての行動だろう」

 

 モモンガは、ガゼフの弁護をした。そうしたい気分だったから、そうした。

 村長は、その弁護を聞いて、落ち着きを取り戻す。吹きだした汗をぬぐうと、改めて問うた。

 

「ならば、私たちはこのまま村にとどまっていた方が?」

「そうしてくれ。追加で守護の魔法を入れて、死の騎士(デスナイト)も守りに回そう。――決して、出ていこうなどとは思わぬように。私としても、無理をされて被害が出ては、そちらの方がやり切れん」

 

 愛着というほどではないが、村人たちにも情を移し始めている。そんな自分を自覚しながらも、決して不快に感ずることはない。

 これも誰かさんの影響だろうかと、モモンガは一人思う。ウォン・ライの方を見やれば、厳しい表情を保ったままだ。

 それでいて深刻な雰囲気はなく、いつでも話しかけられるような、気安さがどこかにあった。

 緊張と楽観、厳しさと優しさは、彼の中では矛盾せずに両立している。ウォン・ライが傍に控えているというだけで、楽な気持ちになれた。優秀なタンクだが、それを考慮の外においても有能な相棒である。

 

「さて、では機を見て動くか」

「遠目からでも、手を尽くせば状況は見える。モモンガ殿、判断は任せよう。私はいつでも対応できるよう、準備しておく」

 

 ウォン・ライの言葉にうなずきつつ、モモンガは悠々とした態度を保っていた。

 手札をどこまで切るかは、状況次第だろう。なるべく簡単に済ませたいと思えば、ガゼフらの奮闘を期待したくなる。

 首尾よく生き残れたならば、彼には相応の見返りは用意してやらねばなるまい。

 もし、何かの間違いで死んでしまったら? ――さて。その時はその時だと、割り切るべきであろう。

 

 

 

 

 

 結論から言うならば、ガゼフは奮闘した。

 奮闘して、なお届かなかった。モモンガの期待に応えたとは、いかにも言いづらい状況であった。

 

――だが、最低限の仕事はしてくれた。

 

 敵の情報を得る。その得難い機会を提供してくれたのだから、やはり感謝はするべきだろう。たとえ、相手が格下であっても、初見で事故れば死が見える。ユグドラシルとは、そういうゲームであった。

 ゆえにモモンガも、油断は捨てている。ガゼフらとの戦闘を観察する限り、敵は脅威とはいいがたい。しかし、こちらが把握していない切り札があるかもしれず、なめてかかるつもりはなかった。

 

「そろそろか」

 

 モモンガは、ウォン・ライの方を見やると、彼は無言でうなずいた。同意は得た、とばかりに行動に移す。

 厳密に狙ったわけではないが、こうしてガゼフは死の直前で、村へと転移された。生き残ったのは紛れもなく、彼自身の功績だろう。

 そして、彼に代わって戦場に出でたのは、三人。モモンガ、ウォン・ライとアルベドである。

 

「はじめまして、皆さん」

 

 モモンガは、開口一番にそう言った。

 今までガゼフと戦闘していた連中――異国の部隊であろう。現代風の言い方をするなら、特殊工作部隊、とでも名付けるのが正確なところか。

 ともあれ、そうした精兵と言えど、この急展開には動揺が走った。突如現れた不審人物たちに、警戒の念を露わにする。攻撃の意思は消さず、観察のために一時場が硬直する。

 モモンガは、そうした連中の思惑など何処吹く風、とばかりに続けて言った。

 

「私の名はモモンガ。後ろの二人は、私の仲間だ。――あえて紹介はしないが、少しばかり私の言葉に耳を傾けてほしい」

 

 ガゼフに対するのと同じように、問答無用で仕掛けてくる……のであれば、それはそれで楽な話なのだが。

 しかし幸か不幸か、この部隊の練度は先ほどの騎士どもとは、また違う。さらに一段階は高みにあり、うかつに攻めてこようとはしない。

 

「聞く耳がある様子で、結構なことだ。用件は難しい話じゃない。――お前たちでは、私一人にさえ勝てない。大人しく降伏すれば、まともな扱いをしよう。だからお互いに矛を収めようじゃないかと、そういう話でね」

 

 受け入れるわけがない、と見越しての発言である。モモンガも営業トークの一環として、ある程度の交渉術は心得ていた。

 出会い頭に大口を叩いて、機先を制する。相手がこれを鼻で笑うか、心して油断を消すか。あるいは同様に大口を叩き返して、同じ交渉の舞台に立つか。

 いずれにせよ、最初に口を開いたモモンガに主導権がある。彼は相手の反応を見ながら、慎重に情報を探るつもりでいた。

 

「――馬鹿げたことを」

 

 反応したのは、部隊の中でも一番偉そうな男だった。部隊の兵が、彼のことをニグン隊長と呼んでいた。

 

「何を言うかと思えば、降伏しろだと? そのような言い方で、本当に降伏する馬鹿がいるなら、ぜひ見てみたいものだ」

 

 隊長というからには、彼が部隊の指揮官と見るべきであろう。ニグンとやらは、不敵に笑って、モモンガに応えた。

 

「馬鹿げた? それはどうだろう。そもそも勝利の確信がなければ、ガゼフを退避させるだけでいい。わざわざ目の前に出てくることはない。……そう思わないか?」

「いいや、やはり愚かだ。我々は何も、全ての手札を見せたわけではない。どこで監視していたかは知らんが、その浅慮を悔いることになるぞ」

 

 やけに自信満々な態度である。モモンガは認識を改めた。こいつが馬鹿か大物かは別として、傲慢になるには相応の理由があるはずだ。

 自尊心の元になる実績があってこその、この態度。そう思えば、やはり彼らはこの世界において、明確な強者としての地位にあるのだろう。

 こいつの――ニグンとやらの力量を確認することで、王国だけでなく、近隣諸国の戦力レベルも知れる。となれば、ここで戦闘を回避する理由はなかった。

 

「たいした自信だが、その根拠はあの天使どもかな? それだけというなら、あまりに貧弱だろう。……ガゼフはそれなりの強者だろうが、あのレベルで対抗できるなら、私にとって脅威とは――」

「ストロノーフをどこへやった?」

 

 モモンガの言葉に割り込むように、ニグンは言った。ガゼフ、という名に反応してのことだろうが、彼の人物は礼儀というものを知らぬらしい。

 

「……村の中に転移させた。そんなこと、いちいち確認することでもあるまいが」

「どこに隠したか、と聞いている」

 

 こいつ、実は頭が悪いんじゃないか、それとも耳がおかしいのか。

 モモンガはそんな感想を抱いたが、そもそも転移の魔法を知らないのかもしれない。とすれば、無知ゆえの傲慢か。

 まさかと思ったが――そうであるならば、真面目に付き合うこともなかった。

 

「なるほど、結構。そちらに対話の意思はないようだし、あくまで力を行使するというなら、こちらも同様に振る舞うだけだ。……こうも不快感をあおってくれなければ、もう少し穏便に済ませてやっても、構わなかったのだがね」

 

 そうなるわけがない、と確信しての行動だったが、こちらの意図を外して賢明に振る舞うなら、却って別の利用価値を見出しただろう。

 穏便に生かして帰す、という手段さえ、取ったかもしれない。もちろん、仮定の話ではあるが。

 

「時間が惜しい、天使達を突撃させよ!」

 

 ニグンの号令が、全ての運命を決した。

 

「ああまったく、時間が惜しいな。……すでに充分、時間は稼いだのだから」

 

 モモンガはそう言って、振り返った。

 戦場で長話するときは――たとえそれが交渉であれ、あらゆる意図が込められている。

 

「もう良いな、モモンガ殿」

「頼む。存分にやってくれ」

 

 ウォン・ライは呪縛弾の仕込みを終えていた。人の身での制限に、この魔法は引っかからない。

 よって遠慮なく、ニグン一人に呪縛弾が降り注ぐ。

 

「あ? が――」

「そら、確保。……さて、隊長を捕縛したぞ。君らはどう出るね?」

 

 ニグンはあらゆる行動の自由を奪われて、ウォン・ライの下に引きずり寄せられた。突撃に備えていた天使たち、部隊の兵どもも、これによって動きを封じられる。

 ウォン・ライは、手際よくニグンを後ろ手にねじりあげ、ひざまずかせて拘束する。まるで手慣れた作業のようで、モモンガは見ていて少し驚いた。

 

「……結構簡単にやるんだな。意外だ」

「昔取った杵柄、というやつだ。思い出したくもないが、体の方が覚えているらしい」

 

 ニグンはひどい声でうめき、叫んだが、ウォン・ライには情けの欠片も見られない。人化の術が効いているはずなのに、人としての顔と鬼の顔が、ダブって見えるような気がした。

 

「モモンガ様」

「ああ、アルベド。そうだな、うっぷんを晴らさせるのもいいか。――許す。残りの処分は、お前に任せよう」

 

 アルベドが、兜の下で笑ったような気がした。後がどうなったかは、記すまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 

 返り血を洗い流すと、彼女の鎧は元の光沢を取り戻した。遺骸の処理は、後で死の騎士(デスナイト)辺りに任せてもいいだろう。

 アルベドが展開させていたシモベからも、いくらかの収穫があったらしく、まとめてナザリックに送るよう伝えた。

 捕縛した敵の処理はゆっくり考えればいいが、ただ一人、この場で生きている人間がいる。これは早々に始末をつけねばなるまいと、モモンガは語りかけた。

 

「ニグン、と言ったな。お前に聞きたいことがある」

 

 あれほど傲慢だった男が、今では震えて縮こまって、言葉を発するのにも苦労するありさまだ。大見得を切るからこういうことになるのだ、とモモンガは冷淡に考える。

 同時に、油断がこの結果を生んだのだと思えば、反面教師として受け止めることも出来る。今回はたまたま上手くいったのだと、そう思い直した。

 この世界において、ナザリックの戦力は破格のものなのだろう。自身の強大な力を自覚すると共に、その使い方を誤ってはならないと、モモンガは自戒の気持ちを新たにした。

 

「聞こえているな? ニグン、返事をしないか」

「は、はいぃ……」

「モモンガ殿は、貴様に語り掛けておられる。求められていることは一つ、問いかけに答えること。それだけだ」

 

 嘘をついたらどうなるか。ウォン・ライは、いちいちそんなわかりきったことを言うつもりはなかった。

 閻魔様に嘘をついたら舌を抜かれるぞ、とモモンガは子供の頃、どこかで聞いた覚えがあった。

 この場合、舌を抜かれる程度で済まないだろう。ちょっとした嗜虐の味を覚えながら、彼は問うた。

 

「一応聞いておこう。お前の所属、目的、とりあえずはそれだけでいい」

 

 予想がついている部分もあるが、当人からの答えがもっとも正確だ。嘘があれば、ウォン・ライが看破するであろう。

 閻魔王(ヤムラージ)には、敵の情報を見破るスキルがある。ユグドラシルでは事前に仕込んだ魔法・スキルの内容や、持続時間に待機時間。装備品の詳細なども把握することも出来た。場合によっては、設定上のプロフィールさえ覗ける。

 この現実において、それらがどのような変化を遂げたのか。モモンガは確認していないが、まさか別物に変化した、とも思えない。ならば、その能力は尋問においてひどく役に立つものであろう。

 

「は、話します。しゃべります。だから、どうか……」

「聞かれたことにだけ答えよ。――モモンガ殿は、お忙しいのだ」

 

 ウォン・ライは、ニグンの足を踏みつけた。骨折しない程度の力で、念入りに痛めるように。

 えぐいことするなあ、とモモンガも若干気の毒に思ったが、どうでもいいことだった。それにしても、ここまでしておきながら、ウォン・ライには嗜虐を楽しむ雰囲気がない。

 アルベドはあれで、残虐行為を楽しむ余裕を持っているのだが――彼のそれは余裕どころか、ある種の痛みに近い、憂いのようなものさえ感じられた。

 向いてないことを、無理矢理やっているような。どんなに手際が良くても、違和感をぬぐいきれない。それがまた、どうにも鈴木悟としての意識をくすぐるのだ。

 

――あの人に、こんなことをさせてはいけない。させたくないと感じるのは、俺の人間性の証明になるのだろうか? それとも、ギルドマスターとして、メンバーを心配しているだけ?

 

 村長の前では、あれほど優雅に振る舞えて、あたたかな言葉もかけてやれる人が。いくら計算高くても、要所で思いやりを忍ばせる奥ゆかしさ、優しさを持つ人が。意に添わぬ暴力行為に身を染めている。

 この背徳感を、何と表現したものか、モモンガはわからない。もっとも、この場において有用な技術を腐らせることは、賢明ではないだろう。

 

 ニグンから必要な情報を得ると、改めてモモンガは思考に浸った。

 連中がスレイン法国の所属であり、ガゼフの暗殺を狙っていたこと。その二つを聞き出したところで、ウォン・ライが止めた。

 

「尋問に関する魔法がかけられているようだ。詳細までは把握できないが、特定の状況下で質問に3回答えたら死ぬ、というものらしい。この男への尋問は、まずは打ち切るとしよう」

 

 モモンガは驚いたが、彼の言葉を疑う理由もない。それならそれで、扱いに困るのだが、ウォン・ライが提案した。

 

「質問に答える、と明確に定義されているのがミソだな。意思表示を明確にさせず、体の反応だけで読み取れば、発動することはないだろう。口をふさいで体を拘束し、本人が答えようもない状況さえ作り出せば、好きなだけ尋問できよう。……ナザリックには、その辺りの専門家もいることだしな」

 

 その手があったか、とモモンガは感嘆した。いや、むしろ疑問に思うべきだろうか。

 育ちのいい、官吏の一族の彼が、どうしてそんな知識に精通しているのか。ウォン・ライの過去とは、何なのだろう。

 

「モモンガ殿、そういうことで、どうか?」

「……専門家か、ニューロニストがいたな。あれなら、いい具合に加減してくれる、と思う。いいんじゃないか? 具体的な尋問内容は、こちらで指定する必要があるだろうが……」

「大丈夫だ。それも含めて、任せてほしい。なに、人面獣心の愛国者殿の扱いは、慣れている。むしれるだけ、むしってやるとしよう」

 

 ウォン・ライは、自信満々に言い切った。何か変なスイッチが入っていないかと心配したが、そこまで追及する勇気をモモンガは持たない。ニグンを連れて、先に帰ると言われれば、そのまま受け入れるしかなかった。

 

――やれやれ。ともかく、仕事は終えたな。

 

 逃がしてやったガゼフとは、自分が直接話さなくてはならない。村長に会って挨拶の一つもしなければ、礼を失するであろう。

 モモンガにとっては気が重い役割だが、それはウォン・ライも同じはずである。奮起せねばなるまいと、きびすを返して村へと向かう。

 

「少し、よろしいですか? モモンガ様」

「どうした、アルベド」

 

 人目がない今だからこそ、アルベドの方も気兼ねなく話す好機である。それを彼も理解したから、足を止めて付き合った。

 

「ここまで人間に好意的になる必要が、果たしてあったのでしょうか? 命を助けるだけならまだしも、あれこれと配慮に苦労しているように見受けられます」

「む……まあ、それはな。村人たちは、自分から関わったことだからな。責任を持って、最後まで助け通すのが筋だろう。……それに私は、言うほどの苦労はしていないよ。細かく配慮したのは、ウォン・ライの方だ」

「そこです。私にはわかりません。彼のお方が、そこまでの思いやりを示すほどの価値が、彼らにあると?」

 

 アルベドは、異形種らしい人間軽視の価値観を持っている。認識を改めろ、と命令するのは容易いが、感情に嘘はつけないものだ。

 ため込ませるより、少しくらいは吐き出させるかと、彼は腹をくくった。

 

「人間を弱者と思うか? 弱者には価値がない、と言って良いものかな?」

「至高なるお方には、深淵なお考えがあるのでしょう。私などには理解の及ばぬこと、なのかもしれません。私の価値観など、些細なことなのでしょう」

 

 彼女は、素直に肯定しなかった。同時に否定もしなかったが、これはアルベドなりの苦悩なのだとモモンガは受け取った。

 彼には負い目がある。設定を書き換えた、という負い目が。それゆえ、ここでさらりと流すことは出来なかった。

 罪滅ぼし、ではないが。彼女のために言葉を尽くすくらいは、最低限の義務と思う。

 

「アルベド、私はお前を信頼している。これからも、その力を当てにしたいと思っている」

「はい」

「お前の強さ、賢明さ、実務能力。全てを高く評価している。私はお前を、得難い存在だと認識している」

 

 事実である。モモンガは、正直に自らの想いを述べているに過ぎない。

 だが、この純真さがアルベドの心にはよく刺さるのだ。まるで楔を打つかのように、彼女の中に言葉が入ってくる。

 

「光栄です、モモンガ様」

「だからこそ、あえて言おう。驕るな、と」

 

 胃がきりきりと痛むような気がした。もちろん錯覚だが、自分を省みれば、あまり偉そうなことは言いたくないというのが本音だ。

 それでも、指摘しておくことに意味がある、と信ずる。モモンガは、アルベドに油断という悪癖をつけてほしくはなかった。

 

「お前には、これからも苦労を掛けることになるだろう。それゆえ、一層の注意を払ってもらいたいのだ。人間を劣等種族と見る、その価値観を変えよとまでは言わぬ。……だが、その人間の中に、傑出した個人がいることも、覚えておくのだ。あるいは、そうした一握りの人種が、我々に大きな貢献をもたらしてくれるかもしれん」

「――なるほど。使いよう次第で、有益な存在足りえると、モモンガ様はお考えなのですね?」

「そうだ。我々は比類なき強大な存在であるかもしれん。だが、戦力には限りがある。常に、どこにでも手を伸ばせるとは限らん。この世界全体の人口と比べれば、あまりにも小規模な勢力と言えるだろう。……数は力だ。人的資源は、あればあるほど良い。私の言っている意味が分かるな?」

 

 一気に言いたいことを言ってしまったが、何とかアルベド自身に考えさせる方向に持っていった。

 彼女は聡い。優秀な人材であればこそ、自ら考えさせた方が、適当な結論を出してくれるだろう。

 モモンガは、さほど己の知謀を評価していない。具体的にあれこれと指示するよりは、おおまかな方針だけ示して、方策そのものは当人に立案させようと思っていた。

 

「承知いたしました。当面は、村人たちとの折衝が問題となりますか。どこまで関わるか――干渉の度合いについて、後ほどにでも詳しく指定してくだされば、実務的な作業はこちらで行います」

「ああ、頼む。……しかし、一仕事終えた後だ。数時間は休息をとって、それから考えよう」

 

 それほど勤勉な性格でもないつもりだが、幸いというべきか、肉体的な疲労は感じていない。

 しばらく頭を休めれば、存分に働ける状態になるだろう。一連の出来事を振り返って、色々と検討することもあろうし、今は時間を置きたい気分だった。

 

「かしこまりました。では、そのように」

「――しかし、あれだな。今回の件で、ウォン・ライの過去について、興味がわいてきたな。今思えば、付き合いが長いわりに、個人的なことはあまり語り合わなかった。私は、彼が鬼種としてユグドラシルに現れる以前のことを、何も知らないのだ」

 

 モモンガとしては、さしたる考えがあって、そうしたことを言ったわけではない。ただ、場の雰囲気を切り替えるために、緊張を解くつもりで一言述べただけだったのだ。

 

「ウォン・ライ様について、ですか?」

「うむ、そうだ。もしかしたら、彼の方が、ギルドマスターに向いているかもしれんな。人を導く術も知っているだろうし、他者を引き付けるカリスマも強そうだ。私より、よほど上手にナザリックを運営するかも――」

「ありえません」

 

 アルベドの声は、ひどく冷たかった。まるで冷水でも浴びたかのように、モモンガは驚きそうになった。

 種族の特性のおかげで、大部分は抑制されたが、疑問は残る。

 

「どうした。ありえないと、断言する根拠でもあるのか?」

「――モモンガ様に不満を持つ者など、ナザリックにはおりません。それで充分でございます」

 

 アルベドの態度は、頑なな態度を崩さなかった。彼女なりに、思う所でもあるのか。

 ウォン・ライは、確かに一度はギルドを抜けた。だが、戻ってきたときに不満を漏らしたものなど、やはり皆無であったはず。

 

「余計なことを申し上げました。……気分を害したのであれば、お詫びいたします」

「いや! 余計なことを言ったのは、お互い様だ。だから、アルベドが申し訳なく思うことはない。……さあ、村に戻るぞ。演技を忘れるな」

 

 モモンガは、この問題を直視することを避けた。先送りは問題の解決にならないが、アルベドの感情を解きほぐすというのも、仕事の片手間に出来ることではあるまい。

 女性経験のない彼に、複雑な女の想いを察しろというのも、それはそれで無茶なことであったろう。

 

――さて、ガゼフにしろ村長にしろ、この世界における貴重なサンプルであることに違いはない。人格的にも信頼できそうだし、長く付き合う方針で、接し方も考える必要があるか。

 

 村に戻るなり、村人たちの歓迎に囲まれながら、モモンガは頭を切り替えていた。

 人としての共感は、相変わらず感じなくても。それでも、人は愚かなばかりではないと、彼は実感と共に受け入れることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウォン・ライの心には、深い闇がある。

 それは中華という文化の闇であり、中国という国の病であり、大陸という大枠にはめられた、一種の思想といって良いかもしれない。

 だが、ここで重要なのは彼の中の闇ではなく、それを御している理性である。この理性が何かの拍子にゆるんでしまえば――その時の判断次第で、いくらでも酷薄に、冷淡に、自身の暗部をさらすことができるのだった。

 ウォン・ライのカルマ値はゼロ。さらに特殊な条件を揃えているため、属性でいうならば『真なる中立』である。閻魔王(ヤムラージ)の種族特典として、この属性で固定されていた。

 それは悪にも善にも偏らないということであり、同時にどちらでもありうる、という事実も示している。なればこそ、彼の行動に矛盾はないと捉えることも出来よう。

 

「そろそろ頃合いかな? デミウルゴス」

「聞くべきことは聞いた、という感があります。ですが、せっかく確保した時間です。もう少しくらい、話していく余裕はあるでしょう」

 

 ウォン・ライは、デミウルゴスと共にニグンへの尋問に参加していた。老獪な支配者を前にして、この悪魔はただ恐縮するばかりであったが、それでも仕事は滞りなく進んだ。

 

「ニューロニスト、楽しんでいるか?」

「はぁい。でも、そろそろ賞味期限も切れそうですわ。もっと、趣向を凝らす時間があれば、別なんですけれどぉ」

 

 この段階において、すでにニューロニストは実行者に過ぎなかった。ただ言われるままに、ニグンの体に『質問』し、『応え』を引き出している。

 彼女(この表現が適切かどうかは置く)は、人間の扱いに関しては手抜かりというものがない。生かさず殺さずの加減をよくわきまえていて、助手としての力量は確かであった。

 

「声が聞こえていることはわかっている。さて、これも独り言だ。――スレイン法国の民は困窮しているのか? 食うものに困っているのではないか? 私は心配だな」

 

 ニグンは寝台に縛り付けられており、わずかに手足が身じろぎする程度の余裕しかない。

 拷問の痕が生々しく体に残っているが、簡単な治癒魔法で消える程度のものだ。肉体的な負担を最小限に、精神的な苦痛は最大限に。こうした仕事をさせれば、まさにニューロニストは一流だった。

 

「凶作になれば人は餓えるし、戦争などで需要が跳ね上がっても人々は困る。そうした地域で治安が乱れれば、さらに多くの人が困窮する。そうした事態が起こっていたら、私の心も痛むというものだが――」

 

 彼の視界は閉ざされ、口もふさがれていた。しかし、拷問室は魔道具によって五感が鋭くなる環境が整えられており、ウォン・ライの言葉、その一語一句が彼の脳内にすべり込んでいく。

 表面上、体に変化はない。すでに刺激に慣れた体は、多少のことで驚かない。思考も鈍化して、次第に対応が遅れるものだ。

 これを覚醒させるのに、一番手っ取り早いのは激痛である。

 

「ニューロニスト」

 

 ウォン・ライがうながすと、彼女はニグンの指を折った。

 痛みに悶えながら、彼は『なんとか意思を示そうと』足首から先を横に動かした。否の合図である。

 もちろん、事前に教え聞かせて、ニグンの行動を指定したりはしない。拷問らしく、それなりに適当に痛みを与えながら、お互いの反応を探り合った結果である。

 これが肯定、それが否定をあらわす行動だ、と悟るまでに数時間を要したが、ささいなことであろうとウォン・ライは思う。

 

「さて、話し疲れたな。少し休憩しよう。――ところで、デミウルゴス。人間についてどう思うか?」

「愚かな劣等種族です。本来ならば、関わらずとも良い相手ですが、今は状況が違う。我々が支配して、導いてやるべきでしょう」

「なるほど、お前らしい見解だ。――うむ、それもありだろう。人間が本当に愚かであれば、それが人民のためでもある」

 

 ニグンは痛みで頭が覚めていた。だから、腕をばたつかせて応える。

 強い否定をあらわす、『お願いだからやめてくれ』の意思表示だった。

 

「だが、その時期ではあるまい。人間は愚かな者もいるが、賢明な者もいる。もし『この場にいれば』、自由に議論したいものだ。そうだな、仮に目が見えない賢者がいたら、その『目が見える』ようにして、お互いの立場を明確にして、対等に話し合いたいものだ」

 

 ニグンの足が、貧乏ゆすりをするように細かく震えた。彼の肯定の意を、ウォン・ライは見て取った。

 ニューロニストに身振り手振りで合図すると、ニグンの目隠しと猿ぐつわが外される。彼は、わずかな希望を見出したような、そんな目の色をしていた。

 

――かかっている魔法は、融通が利かん様子だ。そして、当人の心も折れている。確認は終わったのだし、時間を浪費するのもここまでだな。

 

 ウォン・ライは、本気で全ての情報を、これで得るつもりはない。彼に対する教育は、これからが本番だが、まずは一段落したと考える。

 痛みの次は、思考に踏みこむ。それは、いくらか時間をおいてからの方が、負担も軽く済んで効率的であろう。

 ニグンは、どのように弁護しても残酷な殺戮者に違いはなく、どのような扱いをしてもモモンガを悩ませることのない、貴重な資源であった。

 老獪な老人は、感情を封印する術を心得ている。だが、いくらか成熟しているとはいえ、多感な青年には配慮が必要だ。

 相手が悪い奴なら、あらゆる行為は正当化される。倫理観も無意識に鈍くなり、自覚は薄くなる。犯罪者が拘束されるのは当然で、場合によっては死刑も妥当。

 ならば、この行為も刑罰のようなものだと、モモンガはわかってくれる。何より現場さえ見せなければ、精神的に負担を感じさせず、利益につながるのだ。出来るだけ使い潰そうとして、当然だった。

 

「これまでだな。後ほど処置する。……牢につないでおけ」

 

 ウォン・ライは、もうニグンの方を見ず、デミウルゴスを連れて部屋を出た。

 後ろから悲鳴が聞こえたような気がしたが、聞こえないふりをして。

 

「見事なお手並みです。私やニューロニストだけでは、彼を殺してしまったかもしれません」

「……そうか」

 

 褒められて、嬉しいようなことではない。

 拷問の手並みなど、上手い方がおかしいのだ。悪魔の価値観でデミウルゴスは讃えているが、ウォン・ライの感性は人間的である。

 人間でありながら、悪魔的な行為が出来る。その事実がいとわしい。友人の息子に対して、そのような本音を漏らしたくないから、不愛想にうなずいただけで済ませた。

 近しい者を傷つけたくない、と思いながら、別の人物をさいなむ。ひどい偽善だと理解しながらも、安易な自嘲には浸りたくない。

 全ては己自身の夢のために。そのためならば、多少のことは許容すべきだった。

 

「厄介な魔法がかかっていようと、事前に分かれば手も打てる。手を尽くして、こちらで魔法を解除できるかどうか、試すとしよう。それまで、ニグンとやらには生きてもらわねばならん。――他の連中はどうしている?」

「同じく、牢につないでおります。警備は整えておりますので、逃げ出す心配はございません」

「ならばよし。人は有効に活用すべきだ。無駄は悪徳、資源は有限、無理なく進めていかねばな」

 

 何事も、一気に発展とはいかぬものだ。都合のいい妄想で、現実は動いたりしない。身の丈に合った成長、確かな歩みで進んでいくことの大事さを、ウォン・ライはわきまえている。

 だから、先の戦闘で得られた戦果も、重視はするが過剰な期待はしない。期待に応えられないからと言って、失望もしない。それが正しい態度というものであろう。

 

「連中の装備品、身につけていた道具を見る限り、法国の実働部隊の水準は低い。だが、例外もあろう」

 

 とにもかくにも情報が足りない。半端な知識は逆効果にもなりうる。敵から得た物の中には、欺瞞情報も含まれるのが普通だ。

 傲慢な力押しは、こんな序盤から取れる手ではない。下手な判断はするまいと、気を引き締める必要があった。

 カルネ村との関係も、これからは重要になってくるだろう。ナザリックの存在をどこまで匂わせるべきか、その点も含めて後ほどモモンガと協議するべきか。

 

「ウォン・ライ様。――提案がございます」

「どうした?」

「捕虜を使って、牧場を作りましょう。繁殖させれば、様々な実験に使う余裕ができます」

 

 デミウルゴスの意見は、聞くべきものがあった。こうして自ら提案するからには、明確に利益が見込める、高度なプランも頭の中にあるのだろう。

 彼はそこまで出来る男だと、ウォン・ライは評価していた。盟友の息子なのだから、それくらいは出来て当然だと確信する。

 

「……まずは見積もりを作ることだ。箱の作り方から、運営の方針まで。詳細を私のところに持ってくるように。それまでは、軽率な行動はひかえろ。良いな?」

「――承知いたしました。二、三日中には、必ず」

 

 そのまま通せば、非人道的な経営になるのは目に見えていた。だから、彼は書面で明確に記すよう求める。そうすれば、修正も容易になると計算してのことだ。

 ウルベルトは悪を好んで演じた。悪役ロールプレイというものは、洒落だとわかっていれば許容しやすいが、本気で現実に行うとなると、やり方を考えねばならない。

 デミウルゴスは、本物の悪魔だ。なればこそ、ちょっとしたやり取りにも気を抜けない。

 ウォン・ライは、常に人民の味方でありたかった。人々の安寧を守り、その幸福に寄与したかった。だから、牧場の案にタダ乗りするのは避けたのだ。

 

「話は変わりますが、リジンカンについて。よろしいでしょうか?」

「あれのことで、私が話を避けることはない。忌憚なく話すといい」

「では、少し。……彼がアルベドに横恋慕していることは、ご存知ですか?」

「――ああ、知っている。だが、彼女にはモモンガ殿がいる」

 

 デミウルゴスにとって、リジンカンは友人である。それをウォン・ライは知っていたから、話題に出ても驚きはしなかった。

 

「アルベドがモモンガ様を慕っていることは、はた目にも明らかです。モモンガ様は、アルベドを娶るおつもりなのでしょうか?」

「いずれは、そうなってもおかしくはないな。時期について、明確なことは言えぬが、リジンカンに目がないのは明らかだ」

 

 アルベドはビッチ設定になっていたが、その時点でもリジンカンについては、『彼だけは男として意識できない』ときちんと書き込まれていたはずである。

 どこまでも報われぬ恋に身を焦がす男、そうなるのだと決めていた。よって、これはウォン・ライの罪である。

 

「彼が外に出る任務に就くと、本人から聞きました。そうであるなら、一つお願いがあります。……彼に、出会いの場を作ってやっていただきたいのです」

「――あいつめ、口の軽い。いや、それはいいだろう。……それにしても、わざわざ外に求めることかな? ナザリックの中では、それほどリジンカンは女受けしないのか」

「メイドの中でも、恋愛の対象として見る者はいません。女性の守護者たちは、そもそも彼を男として意識しているかどうか……」

 

 不敬になることを恐れ、言葉をにごしている。そうしてデミウルゴスの態度を見れば、察するのは容易だった。

 ウォン・ライであれば、ナザリック内で誰それを娶れ、と言えば否やはない。だが、恋愛ごとをそうした力技でどうにかするのは、流石に邪道というものであろう。

 ここは、彼の気遣いに感謝するべきだ。息子を気にかけてくれる友人が、ここにいる。そう思えば、悪い気はしなかった。

 

「わかった。リジンカンには、不毛な恋に捕らわれてほしくないからな」

「ありがとうございます。これで、肩の荷が下りた気分です」

「……実は、すでにモモンガ殿には、似たようなお願いをしている。冒険者として各地を巡ることになれば、出会いも多いだろう。機会さえ与えられれば、あいつくらいの伊達男なら、異性に困ることはないはずだ」

 

 それを聞いて、デミウルゴスは喜色満面という風だった。そこまで心配されていたとなれば、リジンカンの方も幸福だろう。

 良い友人に恵まれること以上の幸運は、そうない。ウォン・ライもまた、嬉しくなった。息子の前途が明るくなったように思えて、笑みも浮かぶ。

 

「そうだ、これから時間があるなら、自室まで来ないか。リジンカンの奴も呼んでやろう。――モモンガ殿が表に出る分、私はナザリックで待機する役割だからな。時間的にも、ゆとりがある」

「喜んで。酒は、メイドにでも命じて持ってこさせますか」

 

 ナザリック一の知恵者に、相談すべきことはいくらでもあった。日常的な、こまごまな事を決めるのにも、良い機会である。

 そうした場であれば、リジンカンも賑やかしくらいにはなるだろう。あれの陽気は、それくらいの役に立つ。

 ウォン・ライにとっても、息子の存在は大きかった。初めて得た、現実的な存在であるのだから、それは当然と言えるのだろう――。

 

 


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