ナザリックの赤鬼   作:西次

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第七章 酒宴

 地底湖を歩くと、なるほど、確かにわかりやすい目印が置いてある、と思う。

 セバスの姿が、すぐに目についた。彼も巻き込まれたと思うと、リジンカンの行動力には驚かされる。

 

「セバス、お前も呼ばれたのか」

「はい、モモンガ様。しかし、そのお姿は……」

「ウォン・ライが、人化の術を使ってくれてな。……まあ、地味な顔だと思うが、意外か?」

「そのようなことはございません。モモンガ様は、至高のお方。地味だなどとは、思われません」

 

 本気の敬意は、下手な追従より扱いに困る。モモンガは、セバスが本気で言っているとわかっていたが、返答はひかえた。ここは、話題を変えることで眼をそらす。

 

「さて、主催者の姿が見えんな。酒宴の席は、まだ先か?」

「はい。ご案内します」

 

 ともあれ、宴席にたどり着かねば来た意味がない。セバスの先導に従い、三人は歩みを進める。

 シャルティアは雑談にも参加せず、周囲をながめるだけだった。もし二人がいなければ、リジンカンの誘いなど一蹴していただろう。

 そう思うと、義父として申し訳なくなってくるウォン・ライであった。

 

「リジンカンが無理を言ったようだな。セバス、嫌なら嫌と言ってやってくれ。あれは、いささか奔放な所があるのでな」

「ウォン・ライ様の御子息は、聡明で優しい方です。もし、私にほんの少しでも迷惑に感ずるところがあれば、彼とて付き合わせようとはしなかったでしょう」

 

 セバスは、ウォン・ライの言葉を否定して、リジンカンの人格を肯定してみせた。

 こうした気遣いのできるNPCを残したあたり、生みの親である、たっち・みーの性格も見て取れよう。モモンガは思わず、胸が熱くなった。

 雑談もそこそこにして、歩くこと、しばし。ようやくリジンカンの用意した舞台へと、彼らはたどり着いた。

 

「飾り気はあまりないが、地底湖を見下ろせる位置だな。――ん、悪くない」

 

 湖と言っても、おおきな水たまりではないか、という意識がどこかにあった。だが、一望できる位置から見下ろせば、これでなかなか壮観である。

 穏やかな光源に照らされる水面は、どこまでも透き通っていて、底まで見通せるほど。所々で起きる水の波紋が美しく、時に様々な色を見せてくれる。周囲は灰色の岩盤ばかりだが、全体の造形は一種の芸術のような趣もあって、なかなか味がある。

 

 席の用意はと言えば、野外なりに趣向を凝らした出来で、『花見』や『月見酒』といった、22世紀には廃れてしまった――古い道楽を思い起こさせた。

 しかしこの場において、景観はただの舞台以上のものではないのだろう。酒の他にも、結構な量の肴も盛られていた。料理長辺りに用意させたにしても、なんとも本格的で、モモンガも苦笑したくなるほどである。

 

「まったく、そんなに酒宴がしたかったのか? お前は」

「親父殿は、俺がどんなに酒好きかご存じだろう? こういう席で、手はぬかないさ。まあ、どうせ色々考えが行き詰まっているだろうし、気分転換もよかろうと、気を回した結果でね」

 

 ウォン・ライは、咎めるような口調ではなかったが、あきれている様子だった。いたずらをした子供を諭すような顔で、リジンカンを見ている。

 

「そうでもないぞ。すでに行動方針は決めている。具体的な内容も、ほぼ決定した」

「おや、親父殿は案外聡明であられたらしい。いや、むしろモモンガ様が果断だった、というべきかな?」

「モモンガ殿は、必要なだけ悩んだ。そして答えを出した。これは、それだけの話だ。……お前が邪推していいことではない。わかるな?」

「もちろんだ、親父殿。俺は親父殿にとって、良い息子でありたいと、常に己に言い聞かせているのだから」

 

 モモンガは伴侶も子供も持たないが、親子関係というのは、ここまでの緊張を必要とするものだろうか、とつい考えてしまった。

 もしかしたら、お互いに他愛のないやり取りだと思っているかもしれないが、見ていてハラハラする。リジンカンが不敵に笑っているのに対し、ウォン・ライが厳しい表情を崩そうとしないのも、その印象に拍車をかけた。

 

「ウォン・ライ。息子を咎めるのも、そこまでにしてやったらどうか。私は気にしていないし、むしろ酒が飲めるのを楽しみにしているくらいだ」

「モモンガ様は話が分かる。酒は、当然ですが上等です。料理長が選別して、酒肴もとびきりのものを揃えました。人化しているうちに、味わう楽しみを堪能すべきでしょう」

「それはいいな。――美食なんて、生きているうちはあまり縁がなかったんだ。機会があるうちに、楽しんでおきたいものだ」

 

 モモンガは、食欲がわいてきた。荒廃した世界で生きてきた彼にとって、美食は新鮮な驚きである。

 美味いものを一度も食べなかった、とは言わないが、ひどく貴重であったことは確かだ。まず彼は料理が下手だったし、出来合いのものを適当に胃に入れるのが日常であったから。

 

「モモンガ殿がそういわれるなら、楽しむのも悪いわけではないが」

「なら、ウォン・ライも気兼ねせずに楽しんでくれ。せっかくの誘いだし、私もナザリックの酒を味わいたいしな」

「――人化の術は、丸一日持つ。しばらくは、頭を空っぽにして遊ぶのもいい。モモンガ殿、貴方は決断した。今日は仕事を収めて、くつろいでいいと思うぞ」

 

 モモンガは食欲に正直になっただけだが、ウォン・ライは穏やかにそれを肯定した。

 組織の頂点に立つ者にとって仕事とは、決断を任され、その責任を負うことに他ならぬ。それを為した彼は、少しぐらい休んでもいいと思うのだ。だから、これは純粋な気遣いである。

 

「そうか? なら、甘えよう。――乾杯の音頭は、私がとった方がいいか?」

「貴方以外の誰がするのだ? さ、始めてくれ」

 

 モモンガは杯を手にとって、乾杯した。ささやかな酒宴は、酩酊の喜びと共に始まったのである。

 

 

 

 酒を入れるのが、こうも快いものだったとは、モモンガも知らなかった。量産されたアルコール飲料では、決して得られない上質の酔いを、彼は感じていた。

 

「酒が進み過ぎて、悪酔いしそうだ」

「料理長の仕込みは確かですよ、モモンガ様。悪酔いするような酒は持ってきてないので、気兼ねなく飲兵衛になればよろしい」

 

 リジンカンが冗談交じりに言った。実際、人化の術を解いてオーバーロードの姿に戻れば、酔いも何もない。骸骨が酒におぼれることなどないのだから、好きなだけ飲める。そう思えば、美酒を楽しむ機会を得たことを、素直に感謝したくなった。

 

「――ちょっと物足りないでありんす。もう少し、度数の高いのはないの?」

「上等のマオタイ酒がある。火を噴きそうになるくらい強いが、良い酒だぞ。相応にクセはあるがね」

「……んー、何というか、ちょっと好みには合わないでありんす。ウォッカはないのウォッカは」

「冷えている奴を用意させているとも。果実もあるし、混酒もいい。この俺が、女性の好みを忘れるわけがないだろう?」

 

 リジンカンは、シャルティアとも打ち解けて話していた。彼女の方は、好意というよりは、無関心からの寛容さであろうか。彼が何を言おうとも、適当に流す態勢に入っている。

 

「セバス、お前もたまには羽目を外せ。真面目なツラも、たまには緩めてみるもんだ。堅苦しく黙っているよりも、笑いかけて口説いた方が、女にモテるぞ」

「……性分ですので」

 

 セバスに対しても、リジンカンは臆せずに自ら思うところを述べた。奔放な性格をしているのだな、とモモンガは見ていて思うが、やはり悪感情は浮かばない。

 

「お前とて木石ではあるまい。美味い酒を飲めば気分が良くなるし、美しいものを見れば心が華やぐ。そうだろう?」

「肯定します。ですが、羽目を外していい理由にはならないかと」

「なら、自分に許せる範囲で気を緩めろ。張りつめた弦は、切れやすくなる。どんなに賢くても、感情を持て余すのがヒトの性だ。後で引き締めるために、今を楽しむ、というのは、結構重要なことだと思うがね」

 

 本物のイケメンは同性からも嫌悪されず、むしろ好感を抱かれるというが、リジンカンはどうであろう。

 言うことはキザで、もっともらしいが――その軽快な口調と穏やかな表情は、相手をさわやかな気持ちにさせる、不思議な魅力があった。

 

「責任ある立場にあるものが、傍若無人な振る舞いをするわけにも参りますまい。楽しむにしても、控えめなくらいでちょうどいいと、私は思います」

「それが悪いとは言わんよ。控えめであっても、楽しむ気持ちを持ってくれれば、俺としては満足だ。……セバスは善人すぎるからな。問題を抱え込むことも、これから出てくるだろう。そんな時にも余裕を保てるよう、気晴らしの習慣は身につけた方がいい。俺でよければ、いつでも付き合うさ」

 

 モモンガはリア充爆発しろ、と素で言えるほど荒んではないが、嫉妬の感情くらいはある。

 それでもリジンカンの振る舞いに、腹が立つどころか陽気な笑いさえ出てくるのだから、感心したくなった。

 

「セバスには、早々に働いてもらったからな。私としても、この場で楽しむくらいのゆとりは、与えてやりたいと思うよ」

「モモンガ様……」

「これから、セバスには色々と頼むことになるからな。私のために働いてくれる者をねぎらうのは、当然のことだ。恐縮することはない」

 

 モモンガの言葉に、セバスは感動した。自身の働きが認められるということは、忠節を尽くすものにとって、何よりの褒美となる。

 

「いえ、ならば仰せの通りに。最大限、宴を楽しむようにいたします」

「そこまで硬くならなくともいいのだが……まあ、許そう。適度に羽目を外せ」

 

 そうした言葉を受け取った以上は、楽しむ努力しなくてはならない。セバスはどこまでも真面目な男だったが、酒杯を重ねることくらいは出来た。

 モモンガとしては、そんなに重く受け止めることはないのに、とかえって心配になる。そうした彼の心配を察したわけでもあるまいが、リジンカンはセバスにからみ続けた。

 

「一人で手酌酒をあおるのは、酒宴を楽しむ態度とはいえんぞ? ほら、注いでやろう」

「リジンカン。貴方は全く、何といって良いやら、困りますよ」

「いいから飲め。乾杯だ、乾杯。……巻き込んでやったこと、感謝してくれてもいいんだぞ?」

 

 リジンカンは、あれこれと世話を焼くように、酒肴の用意やら雑談の話題やらを整え、セバスと語り合った。その顔は楽しげで、悪戯小僧のような稚気にあふれている。

 

「そうそう、デミウルゴスの奴も誘ったんだがな。『俺と酒を飲むと不味くなる』なんて言ってくれてな。その点、お前は素直に応じてくれるし、友達甲斐がある」

「――彼が、そのようなことを? そこまで言うこともないでしょうに」

「ああ、いや、これは俺が悪いんだ。あまり、あいつを悪く言ってくれるな」

 

 セバスは嫌悪感を隠し切れない様子だった。言い方というものがあるだろう、と思ったからだが、デミウルゴスがそこまで露骨な表現を使うというのも、妙な話であった。

 セバスは彼が苦手だが、それでもナザリック内部の者に辛辣に当たっている姿は、見たことがない。リジンカン自身、己に問題があったといっているし、そういうこともあるのだろうか、と疑問に思う。

 

「あいつと酒を飲むときは、たいがい俺の方が甘えているんだ。見せなくていいものまで、見せてしまったり、な。だから、俺が誘っても断られるのは、仕方がないことだ」

 

 デミウルゴスに対して、甘える、などと臆面もなく言ってのけるのは、ナザリック広しといえどもリジンカンのみであろう。

 軽く驚きだが、この軽妙洒脱な好漢であれば、さしたる難事ではないのか。なんにせよ、セバスには理解が及ばない事柄であった。

 

「甘える、ですか。なかなか想像しづらいところです」

「デミウルゴスは、気立てのいい奴だぞ。付き合ってみれば、案外話せるし、面白い。先入観や一時の感情で遠ざけるのは、もったいないと俺は思う」

「……それは」

「あいつと何か話したくなったら、俺の方から仲介してやってもいい。ただし、酒は忘れるなよ? ははは」

 

 それだけ言って、リジンカンは離れていった。言うべきことは言った、と態度で表しながら。

 セバスは酒杯を持ったまま、少しの間だけ思索にふけったが、すぐに宴を楽しむ努力を再開した。心なしか、表情が穏やかになったように見える。

 その様子まで含めて、二人の支配者たちにとっては、一種の見世物のようであった。

 

「リジンカンって、ああいう奴だったっけ? 妙に甲斐甲斐しいというか、なんというか……」

「我が息子のことながら、わからん。設定は、割と適当であいまいな表現が多かったから、その辺が影響してるのかもしれん。モデルとなった人物にも近いような、遠いような。……いや、自分の理想を節操なく詰め込んだわけだから、細かな差異が出るのは当然だが」

 

 モモンガは思わず素で問うたが、ウォン・ライとしても、ここは頭を抱えるところである。

 自業自得と言えば、確かにその通りなのだが、実際に動き出すと、何とも恥ずかしくて堪らない。己の子供じみた部分が、どことなく影響されているからだろうか、と彼は思う。

 

「まあ、あれだ。見ていて飽きない人物に仕上がったようで、何よりじゃないか」

「……面白がっているな、モモンガ殿」

「良い奴だ、と言ってるんだよ。悪いことじゃない。――しかし、モデルがいたのか。それは初耳だ」

「ああ、リジンカン、という名も日本語読みでな。ある武侠小説の主人公をモデルにした。子供の頃に読んだものだが、これまで触れた作品の中でも、一番好きな主人公だった。中国ではテレビドラマにもなって、かつてはそれなりに知名度もあったんだが――」

「聞いたことはないな」

「だろう、と思う」

 

 もはや二十世紀の遺物であり、古典と言っても良いくらいである。そもそも武侠小説というジャンル自体、すでに廃れているのだから、日本人の彼が知らなくて当然だった。

 

「しかし、セバスも息抜きができたようでなによりだ。私も酒が飲めて気分転換になったし、リジンカンには感謝しないとな」

「モモンガ殿、人化の術はステータスこそ変えないが、スキルに大幅な制限がつく。異形種の特性もほぼ全て無効になっているから、不調を感じたらすぐに言ってほしい」

「……ああ、酒に酔えているのは、そのせいかな。まあ不調というほどじゃないし、気にしなくていいだろ。うん」

 

 人化の術は、弱体化と引き換えに、外見を変えるだけのネタ魔法である。ゲームではまともに使ったことはないから、現実でどのような不具合が出るか分かったものではなかった。

 だが、モモンガの様子を見る限り、問題はなさそうである。外で情報収取する際は、使いどころがあるかもしれない。

 

「シャルティアも、あれで結構イケる口なのだな。大まかなプロフィールは把握しているつもりだったが、こうして現実に接してみると、やはり色々と新鮮に感じてしまう。わかっていたつもりなのに、実感が伴うと、まるで印象が変わってくる」

 

 モモンガは、シャルティアがかぱかぱ杯を空けていく様を見て、微妙な気持ちだった。彼女は友人の娘といって良い存在なのだが、そうした相手が酒豪として見事に振る舞っているところをみると、何やら負けたような気がしてしまう。

 もちろん、そんなところで個性を競っても、意味がないとは思うのだが――これもまた、男の矜持、というやつかもしれない。

 

「他にも、どんな顔を持っていることやら。設定は、そこまで熟読してないしなぁ……。ウォン・ライは、全部目を通しているのか?」

「……目を通した気もするが、大体は忘れているな。リジンカンの設定は、少し見直したが――あ」

 

 ウォン・ライは、リジンカンの設定を思い出した。これまで失念していた、細部に至るまで。だから、思わず真顔になって、真剣に焦り始めた。

 

「いかん。これは――いや、まずい。どうしたものか……」

「どうしたんだ? 何か、あったのか」

「思い出した。思い出した。……リジンカンの奴、そうか。それで――」

 

 ウォン・ライの様子は、ただ事はない。モモンガも問い質さずにはおれなかった。

 

「一人で納得してないで、話してくれ」

「ああ、うむ。リジンカンの設定なのだが――その、あれだ。色々と考えているうちに、興が乗ってな。他のメンバーも交えて、あれこれ追加していったのだ。元ネタらしく、片思いをしているといい。相手とは絶対結ばれないような、悲恋がいい、とな」

 

 ひどい設定だ、とモモンガは言うことができなかった。ゲームの中なら、それはただの設定上の文章に過ぎないのだから。

 遊び心として、そうした要素を詰め込むのは、別に悪いことではあるまい。こうして現実のものとなるなど、どうして考えられよう。

 今リジンカンは、シャルティアの傍で飲み比べをしていた。遠目から見てもわかる。楽しんでいるのだろう。そうした感情は、素直に見せる男だ。そのように、ウォン・ライが作ったのだから。

 

『話しにくいなら、こちらで話そう。その方がいいか?』

『頼む。恥をさらすようで、申し訳ないが』

『気にしないでくれ。ギルドマスターとして、相談に乗ろうじゃないか』

 

 伝言(メッセージ)による秘密の会話。二人は不審に思われないよう、酒と肴をつまみながら、裏で話し合った。そうした彼らの態度に、NPC達も何かを察せずにはいられなかったが、邪魔をする者はいない。

 

『ありていに言うと、リジンカンはアルベドに惚れている』

『――え?』

 

 その一言に、モモンガは固まった。思考まで止まってしまいそうだったが、今は棚に上げておく。ともかく、話は聞くことに集中した。

 

『生みの親とも話し合って、許可を取ったうえでの話だ。タブラさんは快く受け入れてくれたし、気兼ねなく片思いの設定を盛り込んだ』

『はー。それはまた、何というか』

 

 よく手間をかけている。NPCを偏愛するのは、プレイヤーとして正しいのだが、仲間まで巻き込んで設定づくりをするのは、少数派だろう。

 

『ついでに、それを他の誰かにも知られていて、妙な気遣いをされている――という設定も入れた。これは、デミウルゴスがいいかと思って、ウルベルトさんにも話してな。彼も問題なく了承してくれた。……お互いに、相手を親友だと思っている、という一文も付けてくれてね。当時は嬉しく思ったものだ』

 

 ウォン・ライは、マオタイ酒を杯に注いで、一気に飲み干した。高粱(コーリャン)の風味を感じさせる逸品だが、クセの強い味で度数も高い。それでも気を紛らわすことは出来ないらしく、表情にはいまだ強い後悔の色が出ている。

 

『えーと、事情はわかったが、そこまで深刻な事態か? 片思いは問題と言えば問題なんだろうが、それだけだろう? 叶わないと決まっているなら、本人だってそのうち割り切るんじゃないか?』

『叶わないとわかっていて、一生想いをひきずって生きていく、と書かれていてもかね? 私は今、後悔しているよ。もう少し、救いのある書き方をすればよかった、と』

 

 モモンガは、ウォン・ライの苦悩を理解することは出来ない。恋愛など、まともに経験したことのない身である。

 ただ、近しい相手に苦しい生き方を強いてしまって、悔いている。その気持ちだけは、伝わってきた。だから、適当な言葉でお茶を濁すようなことはしたくない。

 

『なら、変えればいい』

 

 モモンガは、真剣な口調でそう言った。自らウォン・ライの杯に酌をし、慰めるように。

 

『設定を書き換えろと? だが、ここはすでに現実だ。コンソールからの書き換えは出来ない。いや、やれるとしても、やりたくはない』

『そうじゃない。変わるからこそ人間。成長してこそ人、だろ? リジンカンはドッペルゲンガーだが、それは大したことじゃない。生きていれば、良くも悪くも変わっていける。アルベドが振り向くことはなくとも、それを苦にしない生き方だって、あるだろう。私はそう信じたいよ、ウォン・ライ』

 

 アルベドに関して、モモンガはまだウォン・ライに言っていない。自分から設定を書き換えたことを告げるには、タイミングが悪すぎた。ともかく、一時忘れて彼は己の見解を述べる。

 

『大丈夫。きっとうまくいく。リジンカンには、新しい恋でも見つけてもらえばいい。失恋を引きずっていくとしても、幸福な人生まであきらめるような、殊勝な男には見えないしな』

『簡単に言ってくれるが、あれは結構めんどくさい男だぞ。……いや、貴方が表に連れていってくれるのだったな。情報収集のついでに、息子の仲人もお願いできるのかな?』

 

 モモンガは、ギルドメンバーに頼られるのが好きだった。役に立てたならば、己を純粋に肯定できるから、よく相談事には乗ったものだ。行動を伴うものでも、ためらうことは少なかった。

 

『仲人プレイは、難しいからなぁ。ここがゲームの舞台でないことも考えると、いささかハードルが高くはあるが』

『……仲人は冗談だが、出会いの機会は、与えてやってほしい。頼めるだろうか?』

『それくらいなら、簡単だ。請け合うとも』

 

 ここで悩みを口にしてくれたことを、感謝したいくらいである。ウォン・ライの後悔は理解出来ずとも、力になることは出来る。

 励ましであれ、気休めであれ、それを糧にして行動できる人だと、わかっているからこそ――モモンガは言葉を重ねた。

 

『彼はなかなか、図太い神経をしているように見える。もしかしたら、あっさり解決するかもしれないぞ』

『それは流石に楽観が過ぎるな。だが、期待も後悔も、動かなければ始まらぬ。行動が全てを解決に導くのだ。――モモンガ殿、やはり貴方は、今でも確かなギルドマスターだよ』

 

 リジンカンの方に目をやれば、彼はシャルティアが酒杯をあおるさまを楽し気に見ていた。酒豪の女性が、好みなのだろう。

 恋する相手でもないのに、美しい女性であれば節操なく称賛する。あの性格であれば、案外実らぬ恋とやらも、吹っ切ることができるかもしれない。生きていれば、変化していくのは当然なのだ。

 ならば、これは可能性なのか。相手が誰であれ、ウォン・ライはリジンカンに幸せになってほしいと思う。

 

「もう、いいのか?」

「充分だ、モモンガ殿。相応の答えはもらったからな」

 

 モモンガは、酒を注ぐのを止めた。いくら飲んでも酔えない鬼は、悩みを振り切った顔をしていた。内緒話も、充分だと答える。

 

「気遣いの人だな、貴方は。日本人らしいと思うし、貴方らしいとも思う。どちらが正しいのかな?」

「さあ、わからないな。だが、これで思い悩むことはないだろう?」

 

 モモンガは、メンバーを思いやる気持ちは、誰より強い男だった。思いやりも気遣いも、その情の深さから来るものである。だからこそ頼りがいがあるといえるし、支え甲斐のある人でもある。

 ウォン・ライは嘆息した。こうした純朴な人格が、汚されることなく存在することに、感心しながら一言つぶやく。

 

「まさに。貴方には敵わないな」

「それはこちらの台詞だよ。これからも、私を支えてくれ。愚痴でよければ、いくらでも聞く」

 

 そうして、気分が柔らいだおかげだろうか。セバスやシャルティアも、傍に来て酒を酌み交わす。あれこれと世話を焼いてくれるのは嬉しかったが、モモンガにとっては戸惑うことも多かった。

 

――飲みニケーションって、こういうものだったか? 上司の役なんてやったことないから、よくわからないが。

 

 酒が入っていたせいもあってか、気兼ねなく歓談できた。他愛のない話ばかりで、モモンガはつい疑問など抱いてしまうが、それも宴会の妙であろう。

 NPCは、一個の人間も同然である。お互いに話をして、理解を深めるのは有益なことだ。

 

「モモンガ様、私たちばかりがこうした役得に恵まれるのは、いささか心苦しく思います。また機会があれば、他の者たちにも、モモンガ様と酒宴を共にする栄誉を与えてくだされば――」

「セバス、まどろっこしい言い方はよすでありんすえ。……モモンガ様、楽しゅうございました。次は、もっと盛大な宴を催しましょう」

 

 モモンガは、頷きながら相槌をうった。酒が美味いのは、ただ上質なだけではない。美味く酔える雰囲気を演出することこそが、肝要であろう。彼らは酔いに身を任せて、宴が終わるまで、その快い感覚に浸っていた――。

 

 

 

 

 

 宴の片づけは、メイドたちを呼んで、任せればいいことだった。

 至高のお方に手伝わせるなど恐れ多い、とばかりに働く彼女らを見て、モモンガもウォン・ライも苦笑した。人を使う立場なのだ、メイドらの待遇も、いずれ見直す必要があるだろう。

 

「人化の術を解かなくとも、しばらくは不都合もないだろうに。今日一日くらいは、気を抜いてくれてもいいんだぞ?」

「そうもいくまい。睡眠を必要としない身であるし、休養は充分とった。行動はまだ先にしたいが、あまり人の身に慣れすぎるのも、気が抜けてよくないだろう」

 

 すでにモモンガは元の姿に戻っている。体に不調はないが、酒の酩酊が急に冷めた感覚で、少しびっくりしまった。人化が嫌になったわけではないが、たまに、でいいと思う。

 何しろ、これから先の見えない仕事が待っている。あまりだらけてもいられない、というのが本音であった。

 すでにセバスにもシャルティアにも、本来の仕事に戻るよう伝えている。部下を働かせる以上は、上司として務めを果たしたかった。

 

「……この世界に来てからワーカーホリックになるとか、割と笑えない話だが、何事も最初が肝心だからな」

 

 我々がしなければならないことは、まだまだ多いのだからと、モモンガは続けた。そうまで言われてしまえば、ウォン・ライとしてもあえて否定はするまい。

 早々にこの場から離れようとしたところで、リジンカンが二人の前に現れる。道をふさぐのではなく、寄り添うように、さりげなく近づいてきた。

 それを奥ゆかしいと取るか、図々しいと取るかは、人によるであろう。

 

「リジンカン、お前はお前で、何の用だ? 酒宴は終わったぞ」

「そうつれないことは、言わないでほしいな。一応、息子としてそれなりの敬意は持っているし、親しみたい気持ちもあるんだ」

「率直に言え」

「……一杯やって、モモンガ様も気も晴れたろう。人の感覚を実感してくれたから、外で人間と接する時も、いくらか共感しやすくなったはずだ。『化け物は、人の皮をかぶることを覚えねばならない』――親父殿の持論だったな」

 

 どこから聞きつけてきたんだ、とばかりにウォン・ライは胡乱な目を彼に向けた。

 

「口にした覚えはないな。どこで知った?」

「……そうだったか? 何かで見たか、聞いたような覚えはあるが、まあ大したことじゃないだろう。それより、モモンガ様」

 

 急に、リジンカンはモモンガに話を持ってきた。

 口調は軽いが、表情は真剣だった。これでも、主君と臣下という身分はわきまえているのだろう。

 そうした態度を取られたなら、彼の方も主君としての顔を見せねばならない。モモンガはウォン・ライと顔を見合わせ、うなずいた。スイッチを切り替える儀式は、それで済んだ。

 

「何か?」

「情報収集の役目、どうかこのリジンカンにお任せ願いたく。僭越ながら、モモンガ様は至高のお方。こうした役目は、下々の者にやらせるのが適任かと愚考致します」

 

 うやうやしく、頭を下げて願い出る。その姿は、先ほどまでの騒ぎで見せていた顔とは、まったく別のもの。あるいは、これは計算ずくであったのか。

 

――飲みニケーションついでに根回し、っていう感じか? いや、どうかな。

 

 酒宴の口実でモモンガに酒を入れ、高揚させる。その上で自らの申し出を受け入れやすくした――と、見ることも出来た。だが、ただの思い付きで、物のついでに言ってみた、という風にも取れなくはない。いずれが本心であるか、確認するのは無粋であろうか。

 だが、男がいくつもの顔を持つことを、もはや不思議とは思わないモモンガである。受け入れて寛容に接することくらいは、わけもない話だった。

 

「私は、自分の目で世界を見たいのだ。こうした欲望を、俗なものと思うかね?」

「……いいえ」

「必要に迫られて、いやいや出ていくのではない。自ら望んで行うのだ。お前が言うところの『実感』というものは、そうして育むもの。そうではないかな?」

「まさに、その通りでしょう」

「ならば、異論はないということでよいな? いずれまた、呼ぶ。それまで待機しているといい」

 

 モモンガの答えは、リジンカンの意にそったものであったか、どうか。

 その顔を見やれば、彼は微笑んでいた。軽妙洒脱な男の表情を、わずかに見せ、口を開く。

 

「ならば、俺の提案にも異論はないということで、よろしいでしょうな?」

「む?」

「モモンガ様が隊長を務めることに、文句を言いたいわけではありません。情報を集めるうえでは、俺が独自の判断を持って動くことを了承してほしい。これは、そういう話ですよ」

 

 リジンカンは、自分が選ばれたことを、すでに確信しているらしい。明言していないのに、目ざとく己を売り込んでいくスタイルは、人によっては鼻につくであろう。

 モモンガには、この態度は押しつけがましくも見えるのだが……あまりに、堂々としているせいだろうか。嫌悪より面白味が先に立つ。

 

「独自に動くのなら、わざわざパーティで動く必要性が薄れてしまうぞ?」

「何事も臨機応変に、ですよ。基本的には、まとまって行動するとしても、必要があれば柔軟に対処すべきです。時には単独で偵察に出ることが、有効に働く場面もあるでしょう。そうした際、自由に動ける裁量が欲しいのです。その許可を、いただきたく」

 

 現場の判断を重視したい、と願い出ているようでもある。だが、現場に出るのはモモンガも同じであり、彼の判断より己の判断が優れていると、言外に表現している風でもある。

 そうであるなら、なるほど、僭越である。ウォン・ライはこれを聞き、割り込みたくなったが、それより先にモモンガが言った。

 

「堅苦しい言い方はしなくていい」

「と、申しますと……」

「酒を自由に飲む権利が欲しい、ということだろう? いちいち咎めるようなことじゃないさ、好きにすればいい」

 

 こともなげに言う。あきれているのでも、怒っているのでもない。

 モモンガは、言い訳を盛るくらいなら正直に言いたいことを言え、と思いながら答えた。

 そういうことなんだろう? と意味ありげな視線を向ける。それくらいなら、行動を縛ろうとは思わない。

 

「リジンカン。お前には、私のパートナーとして表に出る役を与えよう。おおよそは共に行動するが、自由な時間が欲しいなら、機を見て許可する」

「流石はモモンガ様。太っ腹ですな」

「ただし、飲み食いを許すのは、予算の範囲内で、だ。我々は、まだ外の貨幣を持っていないのだからな。私としても、銭をどんぶりで勘定したくはない。これだけは、譲ってやれんぞ?」

 

 モモンガが言うべきことは、それだけだった。これは束縛というより、生活の知恵とでも言うべきものである。小さくて細かいことにこだわる、とも言えようが、大枠で部下の自由を許そうというのだから、寛大というほかない。

 

「さて、話は以上かな。ならば、これで失礼させてもらおう」

 

 放蕩息子に財布は任せない。たったそれだけのことだと、ギルドマスターは話をまとめた。

 ウォン・ライは、思わずうなる。ここまで言われては、リジンカンは奮起して仕事に励むしかない。

 自ら申し出て許可され、仕事を共にすると主君から直々に伝えられたのだ。これで期待に応えられなければ、自身の格を下げるだけだろう。

 

「充分以上の返答を頂きました。決して、期待は裏切りません。――最後に、一つだけ」

「何かな?」

「他に、女性を伴う予定はございませんか? 一人くらい、綺麗どころがいた方が、仕事がはかどると思われますが――」

「ナーベラルを予定している。不満はないだろう」

「それはもう。……あれだけの美女を伴うのなら、相応の仕事が出来なければ、不釣り合いというものでしょう。では、その時を心待ちにしております」

 

 リジンカンは一礼して、去っていった。言いたいことを言い切ったような、そんな爽快感が顔に表れていた。

 

「アルベドに、片思いしてるんだったな? それで、よくもまあ、あんな軽口が叩けるものだよ。あきれを通り越して、感心してしまうじゃないか」

「……お恥ずかしい。恋には奥手で女好き、などという妙な性格付けをしてしまって。もう少し、単純な表現にするべきだったか」

 

 容姿を褒めたり、裸を見るくらいは平気でするが、実際に手を出すのはためらう、というタイプであった。付け加えるなら、本命の相手にはそれすら難しくなる。

 ただのヘタレじゃないか、と当時はタブラやウルベルトに突っ込まれたが、否定しきれないウォン・ライであった。

 

「いやいや、ああいう男は嫌いじゃない。何というか、妙に愛嬌のある奴だと思う。雰囲気を和やかにする役としても、連れ歩く価値はあるだろう」

「そうかね? ただの不遜なだけではないのか」

「他の……そうだな、例えば守護者たちと比べてみても、軽く付き合える感じがする。何というか、絶対的な忠誠を捧げられるような、重い感覚がまったくない。接していて楽なんだ」

 

 意外なことに、モモンガからは高評価だった。しかし、詳しく聞いてみれば、わからなくはない理由である。

 リジンカンは、モモンガにあからさまな忠誠を見せない。言葉にも態度にも、重い期待を乗せてこないのだ。これを、彼は長所と見る。

 

「話をしてみると、結構気持ちがいい。嘘も偽りもなく話す、何てのは当たり前だが――。踏み込んでも近づきすぎず、率直でも言い過ぎない。遠慮がないように見えて、気配りをしないわけでもない。――言葉にするのは難しいが、やっぱり嫌いになれないな、ああいう男は」

 

 ウォン・ライとしては、そこまで複雑な性格にした覚えはないのだが、やはりそこは生きているからこその、複雑さであろうか。

 一旦、二人はそこで話は打ち切った。仕事の時間なのだから、雑談に時間を割くよりも、建設的なことをやるべきだった。

 とりあえず、思いついたことは試すべきだな、とモモンガは思っていた。外の様子を確認するのは、自らの目で見るばかりではない。調子を確かめる意味合いでも、やって損はないことだろうと、彼は足取りを早める。

 そして、モモンガはこの世の現実を知ることになり――結果として、それがこの世の歴史に刻む、最初の一歩となったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 遠隔視の鏡をいじりまわしながら、モモンガは思索にふけっていた。

 手をかざし、動かすことで、外の風景も変化していく。鏡の中に映ったそれは、ただの映像に過ぎない。リアルタイムで監視カメラを操作しているようなものだが、こちらはもう少し高性能である。

 墳墓近くの草原を、空から俯瞰して見る。周囲をぐるりと回って、それから徐々に遠くへとスライドしていった。単調な作業だったが、鏡の使い具合を確かめるためにも、必要な仕事であった。

 単調な作業は、考え事に向いている。モモンガは適当に外界をながめながら、思考を巡らせた。

 

――こうして一人になってみても、不安が全くわいてこない。むしろ、未知の出来事を楽しみに思えている。

 

 周囲には誰もいない。メイドや守護者のみならず、ウォン・ライも今は席を外していた。モモンガ自身が、自分だけの時間を持ちたがった結果である。

 一人きりになって、物思いに浸りたかったからだが、そう思えたのは、なぜなのか。自分のことながら、不思議だった。

 己は、そこまでタフな人間ではなかったはずだ。肉体が変化したことで、精神まで変わってしまった、と見ることも出来よう。だが、それだけではないと、彼は自覚する。

 

――同じ境遇の仲間が、ここにいてくれているからだ。同じ経験を持って、同じ感情を共有した友人が、傍にいてくれたからだ。

 

 モモンガは、決して自分を過大評価しない。彼が信頼する心の拠り所は、現実の自分の中にはないのだ。

 ただ一つの拠り所、アインズ・ウール・ゴウン。今はナザリックこそがそれだ、と言ってもいい。ここは己が誇るべき場所で、一番の思い出が詰まっている場所だ。そうした人生の一部だからこそ――最高の価値を示せる。ひいては、自分自身をも認めることができる。

 

――ログインしても、いるのは自分一人だけだと確認して、いつも悲しかった。悲しくてもやめられなくて、認めたくなくて、ずっとギルドを維持することばかり考えた。

 

 一人になったのは、精神的な重圧から離れる、という意味合いもある。しかし、孤独になればなったで、余計なことまで考えてしまうのは、どうしようもないことだった。

 孤独を思い出せば、同時に浮かんでくるのは、かつての想い。処理していたはずの感情が、再び表に出てきてしまう。

 

――なくした面影ばかり追って、苦しくなったこともある。でも、皆との思い出に嘘はなかったと信じている。仲間との一体感、一緒にやってこれたという達成感。何より、楽しみを共にしたという幸福感。それを忘れて生きるなんてことは、俺には出来なかったんだ。

 

 くるくる、くるくると鏡の映像は回る。手の動きは単調すぎて、何が見たいのかわからない。ただ頭の中と同じように、風景は同じ場所を写し続けていた。

 

――駄目だな、俺は。すぐに頼りたくなる。もし、一人だったら、もっと気合を入れて、頑張れたんだろうか。

 

 きっと、頑張りすぎて、気張りすぎて、何かが壊れたかもしれない。今の自分では、いられなかったかもしれない。なら、これは祝福なのか。最後の一人だけ居残ってくれたことを、素直に己の人徳と言い切ってよいのだろうか。

 モモンガは、悩み続ける。己に問い続ける。不毛だとわかっていても、すぐに答えを出してしまえるような、軽い話ではないとわかっているから。

 

――弱気になるな。現実から目をそらすな。俺の命も、俺の名誉も、自分一人だけのものでは、もうないんだからな。

 

 心しろ、と己に言い聞かせる。アインズ・ウール・ゴウンの看板は軽くない。それを背負って立つことは、昔は誇りだった。

 今もそれは同じであるが、責任は格段に重くなった。モモンガという皮をはげば、凡人の自分が残るだけ。そんな男でも、戦う意思だけはきちんと持っているのだと、常に自覚せねばならない。

 頭の中を整理するように、ゆっくりとこれまでの出来事を追い、自身の立ち位置を確認する。自分一人の今だからこそ、やっておくべきことだった。

 

――俺はそんなに頭がいい方じゃないから、何度も自覚するくらいで、ちょうどいいんだ。漠然と過ごしていたら、きっと背負った重みを忘れてしまう。

 

 手を回しながら、具合を見る。鏡の扱いは、だいたい把握した。思索に意識を集中しつつも、モモンガは冷静に仕事をこなしていた。微調整も、今となっては容易である。思い切って、一気に視界を広げてみた。鏡が映す範囲に限界はあるが、ギリギリの線を見極めるつもりで行う。

 

「ん? やけに明るいな。火がついている。……祭りか?」

 

 声に出して、確認するように言った。返答してくれる者はいないので、空しく響いたが、気にせず思考をまとめる。

 視界の端に、明るい点が点在していた。建物のようなものが、多数見受けられることから、集落か村か……そんなものだろう。

 

――俯瞰図を拡大して……。

 

 詳しく知ろうと、間近で見て――モモンガは正確に事態を把握した。

 村人と思しき人々が、全身鎧の騎士どもに追い立てられ、殺戮されている。それを動揺することなく、彼は観察していた。

 まずは両者の武装を確認し、その動きを見て取り、脅威かどうかを見定める。その上で、視覚から得られる情報を精査しようとした。

 

「あれ? なんで……」

 

 倫理観の欠如に気付いたのは、その時だった。モモンガは、自分の心に初めて疑いを抱いた。

 

「何も、感じない……? いや、おかしいだろ。スプラッター映画なんて大嫌いだったし、現実で本物の殺人現場なんて見たら、気絶したっておかしくはないはずなんだ」

 

 鏡で映しているため、テレビを見ているような感覚が、どこかにある。だが、それにしたところでこの気持ちの冷淡さはどうであろう。肉食動物と草食動物の食物連鎖、自然界の弱肉強食を目にしているような感覚だった。

 同情も憐憫も、憤怒も焦燥も覚えない。自分からどうにかしよう、助けてやらなければ――といった義務感がわいてこないことを、モモンガは自覚した。

 

――俺は人間だ。人間のはずだ。……なのに、目の前に映る虐殺される人々に、共感できていない。同族という意識が、ない。何故だ?

 

 しばし動揺し、正当化のための理由探しに、彼は時間を使わねばならなかった。頭を抱えて、鏡の前でうなり続ける。目に見える映像と、自身の倫理観について、とにかく考えようとした。

 一定以上の動揺は、種族の特性によって抑えられたが、じくじくと感じる弱い違和感は、そのまま持続している。

 すっきりしない感覚に気を取られて、いくら頭を使おうとしても、集中することは出来なかった。そのまま数分間、彼は無為に時間を費やす。

 今、このとき。村人たちが蹂躙されているのだと、わかっているにも拘らず。

 

『ウォン・ライ。来てくれ、今すぐ。今すぐにだ、確かめたいことがある』

『了解した、すぐ行こう』

 

 モモンガは、仲間にすがった。他人の命を救うためでなく、己の人間性を確認するために。

 

――酒の味は、すぐにでも思い出せる。頭がおかしくなったわけではない、はずだ。

 

 自分は先ほどまで、人間らしい感情を充分に堪能していたはずだ。オーバーロードであることと、鈴木悟であることは、矛盾せずに両立していたのだと、彼は思いたかった。

 だから、ウォン・ライが駆けつけてきたとき、即座に自らの心情を吐露した。それは鏡の映像を確認させるより早く、相手に状況を把握させる程度の気遣いさえ、この時は忘れていた。

 

「ウォン・ライ、私はどうかしてしまったのか? わからないんだ、教えてくれ」

 

 口調こそ穏やかだったが、わずかに焦りが見えた。むずがゆい疑問の答えが知りたくて、たまらない。そうした様子を察したのか、ウォン・ライは少しだけ声を強めて言った。

 

「モモンガ殿、落ち着いてくれ。何があった?」

「あ、ああ――そうだ。うん、これを見てくれ。どう思う?」

 

 ウォン・ライに鏡の映像を見せる。虐殺はまだ続いていた。

 人々の尊厳が犯されている現場である。女子供でさえ、暴力からは逃れられない。騎士らしき者どもは、暗い欲望を満たすように、悪意のままに無辜の民を貪っていた。

 

「私は、何も感じないのだ。ひどく冷徹で、嫌悪感すら覚えない。私は、そんなに自分がおかしくなったように思えて、仕方がないんだ。ここに来るまでの自分なら、絶対に何かしらの感情を抱いたはずなのに」

 

 剣で犯す。強者が弱者を思いのままに傷つける。

 男が犯す。獣欲のままになぶり、責め、さいなむことを楽しんでいる。

 それをウォン・ライは黙って見ていた。表情はそのままで、口は開かない。モモンガが不安に思って、うながすように言う。

 

「何か言ってくれ。私は――」

「モモンガ殿」

 

 機先を制するように、ウォン・ライが言った。だが、ようやく口を開けたかと思えば、こちらを向いて、じっとモモンガの顔を見つめるだけ。

 彼は、いたたまれないような気持ちだった。どうしたのかと、改めて聞きたくなったが、ウォン・ライの発言を邪魔したくはない。その一心で、ただ待った。

 

「……失礼。何、大丈夫だ。モモンガ殿は、至って平常だと、私は思う」

「そうか? だが、こんな事態で平常なら、なおさら――」

「成長なさったのだよ、モモンガ殿。男子三日会わざれば括目して見よ、というだろう? 異常と言えば、これ以前から異常なのだ。骨の身を得たついでに、かつてとは違った見解を得たと思えばよい。ならば価値観が変わるのは、むしろ当然だ。そうではないかな?」

 

 ウォン・ライは真面目に言っている。それが伝わってくるから、モモンガも反論はしなかった。論理はともかく、言われてみればそのような気もしてくるのだから、不思議なものだった。

 

「私の目から見て、モモンガ殿は以前と変わったようには見られない。自分の手に余りそうだと思ったら、ためらわずにメンバーに頼ることができている。不安になったら、隠さずに打ち明ける。昔と同じだ。――違うかね?」

 

 モモンガは、ギルドマスターとしてはかなりフランクな方で、礼儀はわきまえつつも、割と率直な振る舞いをしていた。

 自分で対処できることはするが、難しそうなら見栄を張らずにメンバーと共に行動する。偉ぶらずに丁寧に、メンバーとも対等に接した。その軸がぶれていない以上、モモンガはモモンガで、ありのままに存在するのだと、ウォン・ライは諭す。

 

「……そうかもしれない。でも、現実として、この光景を見て、何も思わないのは」

「ならば、なぜ私を呼んだ? 無視しても良かったのではないかな。本当に何も思わないなら、見なかったふりをして、忘れればいい。そうしたところで非難するものなど、いないのだから」

 

 どうにかしたい。そうした想いが、心の奥にあったのだ。だから、仲間に頼ろうとしたのではないかと、ウォン・ライは言った。

 そうして言葉にされてみると、確かに納得できそうだった。モモンガの不安は、完全に払拭されたわけではない。だが、この状況で悠長に自己分析に浸るのは、何かが違う。

 モモンガは、悩まないことにした。彼が信じてくれた自分になろう、そう決断したのだ。

 

「……行こうか、悩む時間も惜しい」

「ああ、共に行こう。事後承諾になるが、アルベドに伝言(メッセージ)で伝えておく。――ついてきてもらうのも手だが、どうだろう?」

「来るな、と言えば後が怖いな。そうしよう」

 

 ウォン・ライの申し出を受け入れる。アルベドは前衛として優秀だ。居てくれれば、打てる手は広がるだろう。

 モモンガは、たっち・みーのことを思い出していた。あの尊敬すべき先達は、何と言っていたか、それを思う。

 

「誰かが困っていたら、助けるのは当たり前……か」

「たっち・みー殿は、良い人だった。立派なメンバーに見習って、今は行動しよう。――よろしいな? モモンガ殿」

 

 あの人の、この言葉がなかったなら、今のモモンガはない。

 そして、現在。この言葉によって救われるのは、自分たちだけではないのだと思えば、やはり尊敬の念は変わりなく、ここにあった。

 

「この世界での戦闘は、いずれ試さなくてはならない。これは、良い機会だったと思おう」

「理屈の上でも、合理的ということだ! いや、モモンガ殿は人を動かす術を心得ておられる。これで、守護者の小言を聞き流すことが出来そうだ」

 

 勝手に出ていったとなれば、アルベド辺りは、ひどく気を揉むことだろう。後から付いてきた時、苦言を聞かされると思うと、なにやら気が重くなる。

 だがそれも、事情が事情であったと。好機を逃す手はなかったのだといえば、名分は立つ。

 何より、もう動くことは決めているのだ。彼女の想いがどうあれ、なし崩しに事態は動く。いや動かしてやる――と、彼は決意を固めていた。

 

転移門(ゲート)を開く。ウォン・ライ」

「ああ、わかっている。私が前で、貴方が後衛。この身が滅びるまで、貴方には手出しはさせんさ」

 

 縁起でもないことを、とモモンガは思ったが、あえて口にはしなかった。

 自分がしっかりしていればいいのだ、と思い直したからだ。自分が退けば、彼も退く。重視すべきは情報と、生存。決して敵に勝つことではないのだ、と思い直す。

 

――生き残らなければ、人助けも出来ない。瀕死の人間が、他人を救うことなどできはしない。

 

 モモンガは、これからのことに全力を尽くすつもりだった。そのために必要なら、いくらでも知恵をひねるつもりで、緊張を維持したまま打って出た。

 

 だから、であろうか。

 傍の仲間の心情に気付けなかったのは、この緊迫した状況のなせる業であったのだと、後からならいくらでもいえる。

 ウォン・ライの表情が、いつのまにか暗い怒りに染まっていたことに、気付けなかった。

 その拳が硬く握りしめられ、わずかに震えていたのだと知るには、モモンガは若すぎた。未熟過ぎたのだというのは――酷であったろうか。

 

 

 

 


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