模擬戦の後、二人はナザリックの地表部分へと出ていた。
二人とも、はしゃぎ過ぎたような感覚を覚えており、先ほどの騒ぎを思い出すと、妙に気恥しい気持ちになった。
「結構な騒ぎになったが、やってよかった。これで、実戦では充分な仕事ができるだろう」
「ウォン・ライが前にいてくれれば、俺は安心できるな。うん。やっぱり、貴方が居てくれて、よかった」
ウォン・ライは、言葉では応えなかった。もうそんなことで確認する段階は、過ぎ去ったと思っていたから。
地表の墓地の部分に出て、何をするというわけでもなく、ただ観察し、歩く。
「これが、夜空か。……素晴らしいな」
モモンガは素直に感嘆する。単純な興奮ではなく、静かな感動が、彼の胸を満たした。
ウォン・ライも、同様に感動の言葉を述べる。
「透き通った、この夜空の美しさ。我々の世界のそれとは、比較にならんな」
夜の世界の壮麗さに感嘆し、自然の偉大さを称賛し、世界の広さを我が身で感じた。
汚染されていない、きれいな空気が、ここまで清廉で爽快な気分をもたらしてくれるとは、想像だにしなかったことである。
「空を飛んだら、どれだけ気分がいいだろう」
「モモンガ殿、試してみるかな?
モモンガとウォン・ライは、宙空に舞い上がると、そのまま上昇を続けて、ナザリックを遠く見下ろせる位置にまで飛んだ。
この時の気持ちを表現する言葉を、二人は持たない。空から世界をながめる、という行為が、ひどく神聖で崇高なものに思えた。それだけは、確かだった。
星々のきらめき、風の音、そよぐ草木の様子――。清浄な空気の匂いが、心地よい。
「……たまらない。ブルー・プラネットさんがいたら、どんな蘊蓄を語ってくれるだろう」
かつてのメンバーを思い出しながら、モモンガは感動を口にした。生身であれば、輝いたような表情を見られたであろう。それをウォン・ライは惜しく思いながら、相槌を打つ。
「私に詩才があれば、一首詠んでみせるのだが。まったく、言葉もありませんな」
「なんとなく、気持ちはわかる。……世界は、美しいな」
地球とは、生まれ故郷とは、比べ物にならぬ。それをただ褒めるだけでは、物足りなくなった。モモンガは、さらに言葉を尽くそうとする。
「夜の明かりは、こんなに明るかったのか。星と月があるだけで、物が見える。それが、ここまで感動的に思えるのは――ああ、凄いな。まるで、大きな宝石箱だ」
彼の感動を、邪魔してはならない。ウォン・ライは、しばらく沈黙した。
新鮮な感情を自覚して、それを楽しむのは若者の特権だ。老人はただ傍に控えて、若者の喜びを無言で言祝ぐのみ。
「……この世界は、どんな生き物がいるのだろう。人がいるなら、異形種がいるとしたら、俺たちは分かり合えるのかな。……これだけ綺麗な世界を、汚したくはないが」
モモンガは、自身が異形であることに後ろめたさはない。骸骨の化け物となった己を肯定するのは、これで案外難しくはなかったから。だから、この世界で異形種に出会っても、自然に対応できると思っている。
ただ、まったくかかわりのない他者がどう感じるか。そこまでは、流石に読めない。
情報が集まっていない現状、全ては未知数である。自然に分かり合えると思うのは、夢想だろう。
自ら行動しなければ、得ることは出来ない。そう考えれば、これからの出来事全てに、関心を持たねばならぬ。
「ウォン・ライ」
「ここに」
「……ん。私は、ナザリックを守りたい。それは紛れもない本心だ。だが、それと同じくらい、ナザリックの皆とこの世界を楽しみたいと思う。可能なら、アインズ・ウール・ゴウンの名を、この場に刻み付けたい。私たちはここにいる。ここで生きて、この世界を受け入れたい。そう願うよ――」
モモンガは生のままに、気分の高揚を隠さず言う。下手に取り繕うよりは、率直に感情を述べて、自身の感性を自由に表現したかった。己が感ずる前向きな気持ちを、友人に理解してほしかったのだ。
ウォン・ライは、そうした彼の内心を、正しくくみ取った。
「目的は、早々に決まりましたな!」
「……ええ、そうですね。まずは、この世界を堪能する。第一に、この生を楽しまなくては損だ。そして、私たちがここで何をなせるのか、それを考えよう。……そしたら、我々の名を、ここに残そう。伝説の英雄になってみるのも、面白いかもしれない」
ウォン・ライは、モモンガが本音で語っていることを理解していた。友として、あるいは忠誠を誓う臣下として、それに応える義務が、彼にはあった。
「ならば、そうしようか。何、難しいことではない。きっと上手くいく」
「ああ、そうだな。そうあってほしい」
出来ると信じて、前を向く。それが全ての始まりである。
モモンガは、充分な気晴らしになった、と思う。支配者としての重圧から離れて、ただ純粋にリフレッシュ出来た。それだけでも、表に出た価値はあったのだ。
未知の世界が広がっている、という感覚は、気を大きくさせる。現実がどうであるか、という検証はさて置いて、モモンガは自ら感ずるところを述べた。
「ウォン・ライ。この世界に来ているのは、本当に私と貴方だけだと思うか? ……もしかしたら、気づいていないだけで、他のメンバーも来ているんじゃないか?」
「さて、どうかな。わからないが――今は来ていなくとも、これから先、どこかで出会うことがないとは言い切れん」
「なら、皆がこの世界に来た時に、ナザリックがどこにあるか、知らせておかなくては不便だ。……出来るなら、メンバーが現れた瞬間に、こちらが把握できるような仕組みを作っておきたいな」
これまた夢想である。現時点では、実現可能なこととは思えぬ。
そうとわかっていて、二人は意見を交わした。ここで追及を諦めてしまえば、二度と手が届かなくなるような、そんな気がしていたから。
「ああ、そうだ。やっぱり、アインズ・ウール・ゴウンの名が世界に轟くくらいのことは、しておくべきだ。誰かが来た時に、すぐに会えるように。ここにいるぞと、伝えてあげなくてはいけない」
「――では、なってみますかな? 英雄とやらに」
「それを目指す心意気くらいは、持つことにしよう。……すると、さしあたっても情報収集が、ひどく重要な仕事に思えてきたな。人選は、本気で慎重に決めなくてはいけなくなったか。第一歩で躓くと、後々まで響きそうだ」
モモンガもウォン・ライも、最高レベルのユグドラシルプレイヤーである。
だが、それがこの世界における強者の地位を保証してくれるとは限らない。そう思えば、いかにして情報を収集するか。その手段から、考えていく必要があるだろう。
周辺を窺うだけなら、こうして空から観察すればよい。おおよその自然環境を知るだけならば、それで済む。
だが、それより先の、より深い世界の実情を知ろうとするなら、人間を筆頭とする知的生物との接触が必要になる。せめて言葉だけでも通じてくれればよいが――と、どうにもならぬ懸念を抱きながら、モモンガは空から降り、地に足を付けた。
「モモンガ様、ウォン・ライ様」
「ああ、デミウルゴスか。ナザリックの隠ぺい作業は、上手くいっているかな」
帰還した二人を出迎えたのは、デミウルゴスだった。彼は、ナザリックを外部の知的生物に気取られぬよう、これを秘匿する作業に従事している。
よって、地表に出て働く必要があったから、こうして出会うのも必然であったといえるだろう。
「はい。ただ今、作業の工程を半分ばかり終えたところです。まずは速度を重視して、警戒網の構築から完成させました。たとえ害意のある存在が近づいてきても、相手に特別なスキルがない限り、地表の霊廟を発見するより早く、我々が捕捉できるでしょう」
「そうか。元より、お前の仕事を疑う気はない。隠ぺいについては、任せて問題ないとして――警戒網が一本だけでは、いささか不安だな。アルベドと相談して、なるべく複数……可能ならば、警戒網を三つは用意しておきたい」
デミウルゴスとモモンガは、隠ぺいの進行具合やら作業方針やらで、いくらか打ち合わせを行った。
モモンガはこれで、細かいところによく気が付く。ウォン・ライが指摘する必要もないほど、彼は詳細を詰めた。
「承りました。――モモンガ様の、これからのご予定をお聞きしても?」
「そうだな。……しばらくは思索に時間を取りたいが、それはそれとして。お前の仕事ぶりを、私は評価しなくてはいけない。もちろん、良い意味でだ」
モモンガは、考えるところがあった。NPC達を信用すると決めたのだから、半端な態度は取らず、いっそ思い切るべきだと結論付けている。
彼は、一つの指輪を取り出した。デミウルゴスが目を見張る。
「それは――」
「リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。これを与える。メンバー以外に配るのは、これが初めてだな。それを以て、お前への栄誉とする。……分かるな?」
「……光栄の極み。必ずや、ご期待に応えます」
モモンガとしては、適当にそれっぽいことを言って、恩を着せたまでのこと。そこまで深刻に受け取ることもないと考えるが、デミウルゴスはうやうやしく受け取った。
ウォン・ライの方を見やると、満足そうにうなずくばかりで、言葉にしてくれない。言ってくれなければわからないとばかりに、伝言で問いただす。
『ちょっと、これはいい反応なのか? 悪い反応なのか? その場のノリで渡してしまったが、問題はないよな?』
『はは。まったく、モモンガ殿は人たらしだな。それも無自覚と来た! 今後が実に楽しみだよ』
『はぐらかさないでくれませんかねぇ』
『うむ、実際、良い手だ。信頼で人を縛る、というのは言うほど難事ではない。特に、相手が強い倫理観を持っている場合はそうだ。デミウルゴスの仕事ぶりは、今後も磨きがかかっていくだろうよ』
モモンガがあの指輪を渡したのは、大いに意味がある。それも、真っ先に与えた、という部分が何よりも大きい。
つまり、NPCの中では、彼の信頼を第一に受ける立場なのだと、そう伝えたに等しい。
デミウルゴスは、ナザリックの中ではアルベドよりも立場は下である。が、それとこれとは全くの別物。至高の方々が与えた地位に、そもそも彼らが文句など付けるはずもないのだ。
よって、モモンガが誰をひいきしようが勝手、という論理も成り立つ。
『デミウルゴスがアルベドに嫉妬される――という事態にもなりかねんが、実際に見事な仕事をしたのは、確かなのだ。彼に名誉を与えるのは正しいし、モモンガ殿がこうした手段で評価したのは、最善といって良い』
ギルドマスターは、彼らにとっての神なのだ。だからこそ、態度に表れる評価の形は、NPCにとって最高の褒美となる。
褒めるだけでも充分だ、というのが皆の本音であろう。それに褒美の品までついてくるのだから、感動して当然だった。
そして、それを当然と見なさない謙虚さが、モモンガの美点でもあった。
「デミウルゴス。お前には、今後とも期待している。他の皆をないがしろにするわけではないぞ? リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは、守護者たち皆に与える予定なのだ。お前ならば、わかってくれると思うが――」
「守護者の安全と、防衛における利点を考慮した上でのことだと、理解しております。――とすれば、私に仕事を与えてくれたこと、実力を示す機会を頂いたこともあわせて、二重に感謝すべきですね。――ありがとうございます」
もちろん、モモンガにそこまで深い考えはない。ほぼ反射で応えているだけだ。
思わず、ウォン・ライと目を合わせる。
『結果良ければすべてよし。自覚もなしに、あれほどの男をたぶらかすとは、罪な人だな』
『……殴りますよ?』
『やめておいた方がいいな。オーバーロードの腕力程度では、拳を痛めるのが関の山だろう』
『からかうのはやめてくれ。これで、結構いっぱいいっぱいなんだ』
『しかし、演じられている。なら、そのまま突っ走ることだ。何、ここまでは見事に進めている。貴方は自分で思っているより、ずっと支配者に向いているよ。自信を持つことだ』
戯言とわかっていて、二人は内緒の会話を楽しんだ。一時に過ぎなかったが、気分がほぐれれる。
モモンガは、ナザリックの支配者として、相応しい態度を取らねばならぬ。臣下と語り合うのに、緊張してばかりではどうしようもない。改めて、彼は忠義に報いる魔王としての貌を見せた。
「よろしい。お前には期待している。必要があれば、資材や人材の持ち出しも許す。警戒網の構築も重要であるから、事後承諾でよい。なるべく早く態勢を整えるのだ。――良いな?」
「はい。そのようにいたします。……これは仕事とは別の話になりますが、一つお聞きしたく思います」
「いいぞ。話してみるといい」
デミウルゴスが、自ら求める質問である。彼の有能さに敬意を表して、モモンガはこれに真摯に答えるつもりだった。
「――この世界が、欲しくはありませんか?」
だから、即答は出来なかった。まったく考えないでもない欲望でもあったから、余計に言葉が出なかった。
空から見た光景は、まだモモンガの頭に焼き付いている。高揚した気持ちは冷めておらず、欲しい、という言葉も、すんなりと内から出てきそうだった。
「この世界は美しい。私などでも、そう思うのです。モモンガ様もそう感じていらっしゃるでしょうし、ウォン・ライ様はブルー・プラネット様に負けず劣らず、自然を愛するお方だ。ならば、そうした思いを抱いたとしても、不思議はございません」
ウォン・ライは、長く生きている分だけ、自然環境に対しても思うところが大きい。若者たちに、より良い環境を与えてやりたいと願うからこそ、自然を慈しんで後世に残したいと強く思う。
そうした気持ちを愛と表現されたのは、何となく据わりが悪い――が、とがめるようなことでもなかった。
「モモンガ殿。思うがままを述べるがよろしい」
「ウォン・ライ。それは――」
「英雄を目指すならば、方向性を決めておくことだ。統治を行う王も兼ねるか、ただの個人の英雄となるか。より大きな権限を求めるか、最小の労力で目的を目指すか、それだけの違いに過ぎないのだから」
ウォン・ライは、格別支配欲など感じなかった。生きているときでさえ、それは義務感に近いもので、単なる欲望とは趣を異にする。
だから、モモンガの意思一つ。それこそが、重要なのだと思う。
「……我々には、何ができるかさえ分からない」
弱気な発言と言えば、そうであろう。デミウルゴスは思わず気を揉んだが、ウォン・ライは静かに見守る。
「だが、それはかつても同じであったはずだ。あの大樹の下で、皆と競い合っていた頃でさえ、敗北はすぐ傍にあった。ただ一人でさ迷っていた頃は、無力なまま無様に朽ちることさえ、珍しくはなかった。――だが、それでも私は、我々は、前に進む意思を捨てなかった。それをなくしてしまえば、この世界で生きる意味がなくなる。……生きながらに死ぬくらいなら、死ぬほど真剣に生きようと。そう、思っている」
モモンガの声は静かだったが、迫力があった。スキルを発動しているわけでもないのに、デミウルゴスは気圧されるようで、表情がひきつる。
「そうだ。私は、この美しい世界で、生きてみたいんだ。――皆と、共に。叶うなら、かつての仲間全員と」
夢だ、とモモンガは微かにつぶやいた。これは、他愛のない夢だ、と。
仲間全員と、という希望は、あまりにも現実的ではなかった。もう、ギルドメンバーは二人しかいない。
だが、それでもアインズ・ウール・ゴウンは健在である。ならば、マスターとしてギルドの名誉を維持しなくてはならぬ。探求心と向上心を持って、この世界に挑まねばならぬ。委縮して脅えるばかりでは、かつての仲間たちにも申し訳がない、とモモンガは思う。
「世界を欲する? そうだな。そうともいえよう。私は、この世界を知りたい。この世界に刻み付けたい。我らが名を、我らが生を、かつての仲間たちの下へ届くほどに。――デミウルゴスよ。これが、私の答えである」
デミウルゴスは、なおも顔をひきつらせたままだった。ひきつらせたまま、笑った。
「どうだ、参考になったか?」
「はい。これ以上ないほどに。――モモンガ様のご意思、よくわかりました」
それは、こころよい笑いであり、敬意から心服した者の笑みである。彼は、尊敬の感情をそのままに、湧き上がる畏怖の念を感じながら、言葉をつむいだ。
「ぶしつけな質問でありました。――どうか、お許しを」
「構わないさ、デミウルゴス。ところで、なぜそのようなことを聞いた。お前なりに、思うところでもあったか?」
モモンガなりの疑問である。彼はナザリック一の知恵者だ、という認識が先にある。
その当人がわざわざ聞いたのだから、当然意図があるだろう。それは何か? 気にならないとは、言えなかった。
「はい。ここがユグドラシルではないことは、私も確信しております」
「うむ、それは私にもわかる。未知の世界だな」
「まさに、未知。……そして、この世界を美しい、と感じるのは私も同じ。臣下の身としては――きらめく宝石のような世界を、至高のお方に捧げたい。そう思うのは、ごく自然なことなのです」
モモンガは、手を顎に当てて考える。この献身を真に受けてよいものだろうか、と。
別に疑っているわけではないし、今更あれこれ難癖をつけたいわけでもないのだが、どうも引っかかった。彼は、その疑問を言葉にするのに難儀したが、ウォン・ライが代弁する。
「一応、聞いておきたい」
「なんでしょうか、ウォン・ライ様」
「お前は、我々ならば賛同してくれると思って、世界征服をすすめたのか? あるいは、己はそう進言するべきだ、と純粋に考えて、発言したのか?」
ウォン・ライの発言を聞いて、モモンガはすぐに納得できた。
引っかかったのは、それがデミウルゴス自身の野望からきているのか? それとも自分たちに対する、純粋な敬意からなのか? その判断がつかなかったからだ。
「……それは」
「ああ、どちらであっても責めるつもりはないのだ。ただ、下手に取り繕うような答えは困る。……わかりやすく、率直な返答を望むぞ」
「はい。私は、至高の方々の望むものを、望む形で献上したいと思ったのです。決して、独りよがりな欲望から、申し上げたわけではありません。我々は、常に役に立ちたいと思い、そのために働くことを生きがいとしているのです。……どうか、お許しを」
「許すも許さないもない。……その気持ちは、純粋に嬉しい。なるほど、そうか。働く機会が欲しいのか。――我々が生きる証を刻みたい、と思うように、お前たちも生きがいが欲しいのだな」
「――はい」
「ならば、私があれこれいうこともない。……モモンガ殿」
このまま話を締めてくれるのかな――と期待していたところで、唐突に話を振られたモモンガは、軽く慌てた。
「アッ、はい。……どうした」
「一人で英雄を目指す必要はない。貴方の生き方を、ナザリック全てで応援する。そういう路線を行った方が、誰にとっても良いと思う。……いかがかな?」
いかがも何も、そうした方向性で行くものと、モモンガは思い込んでいた。デミウルゴスが純粋な敬意から、我々に世界を献上したい、と思うなら――これは本気で受け止めるべきだろう。
慣れぬことだから、困惑することしきりである。だが、それでも求められたなら、応えたいと思う。その想いだけは、本物だった。
「私は、自分一人で戦えるとは思っていないぞ。もちろん、手を貸してもらうとも」
「では、そういうことだ、デミウルゴス。しかと、肝に銘じておくように」
モモンガ自身は、特に思案せず、思ったところを述べたまでである。それをうやうやしく聞き、真面目すぎる態度で臨む二人を怪訝には思ったが、指摘することは、はばかられた。
なぜなら二人とも、とても楽しそうな表情だったから。ここで口を挟むのは、何やら無粋に思えたのである。
一通り外の風景を堪能すると、モモンガは満足して再び墳墓の中へと戻っていった。
リフレッシュが終われば、仕事の時間である。今度は表層から深層に向かって歩きながら、思考をまとめようとした。
――そろそろ、本気で考えないとな。
情報収集に、単独で赴くのは愚策であろう。だからパートナーが必要になるのだが、これがなかなか容易には決まらない。
アウラとマーレが優秀であることに疑いはないし、自らアピールするほどやる気もあるとなれば、充分検討に値する。
問題は自分も含めて、異文化コミュニケーションに不慣れである、ということだ。モモンガのような存在が、子供連れでやってきて、どのような目で見られるのか。外見は偽装できるが、実際に人々と接触して交流するとなれば、注意すべき点も多かろう。
――そうだ、ここは本物のファンタジー世界なんだ。完全に異文化で、今までの常識が通じない土地じゃないか! よく考えてみると、これはとんでもないことだぞ。
どのような言葉、行動が、その文化におけるタブーとなるか、わかったものではない。改めて意識してみれば、不安だらけではないか。
とはいえ、過剰に警戒しても仕方ない部分でもある。この手の繊細な情報は、実際に交流せねばわかるまい。徐々に適応していくほかはないが、そうすると人選はより悩ましくなる。
――子供にそんなコミュ力を期待するのは間違いだから、俺自身がコミュニケーションを頑張らないといけないわけだ。アウラとマーレは、俺がこちらの常識に慣れるまでは、温存するのが無難だろう。
ここは異世界である。自分とは違う文化的背景で育った相手に対し、どう接するのが正解なのか。モモンガは営業マンとしての経験から、いくらかのマナーや作法をわきまえては、いる。
だが、それは現代日本という同一文化の下でこそ有効なもので、異世界においても有用かと考えると、やはり確信はない。
となると、頼るべき人物に頼るのが、正解に思われた。
「ウォン・ライは、異文化コミュニケーションは得意な方だったな?」
「仕事上、外国の色んな種類の人物と接してきたのでね。任せてくれて、大丈夫だ」
「そうか。ああ、そうだったな。……二人して出ていく、という案が途端に魅力的に思えてきたぞ」
「実際、手ではある。もっとも、守護者たちが気を揉むから、護衛は仰々しいくらいについてくるだろう。共に行く場合、この点をいかに解決するかが、問題になる」
といって、モモンガの方は自重するつもりはなかった。自ら携わったわけではない仕事で、間接的に集められた情報など、とても信頼に値しないと思っているからだ。
現物をその目で見て、生きた情報をそのまま血肉としてこそ価値がある。彼は慎重な人間だが、リスクを恐れるばかりでは先に進めないことも理解している。
「まあ、ほとんど力技だが、単純な手で解決可能ではある」
「というと?」
「うむ。いっそナザリック傭兵団とか、ナザリック商隊とか、何かしらの名義をつけて集団行動すればよい。それなりの馬車を用意すれば、格好はつくだろう」
力技にもほどがあった。モモンガは、初手でそこまで大胆な手は打ちたくない。世界に対して無知である以上、強引で派手な手段は、ひどい損害を招く可能性がある。
何より、情報を収集するために、こちらの情報を喧伝して歩くというのは、いかにも下策であった。
「却下だ。大勢で動けば、それだけ情報漏えいの危険も増す。……好ましくない」
「当然だな。するとやはり少数、モモンガ殿も含めて、三人くらいが好ましいだろう」
その提案は、先ほどよりよほど現実味があった。検討に値するが、やはり人選を考えねば話が進まない。モモンガはとりあえず、率直に聞いてみた。
「共の二人は、誰が良いと思う?」
「これは私の思い込みだが、まず、人間を相手にすることを考えた方がいいだろう。人間はどんなファンタジー作品の中でも、もっとも一般的な多数派で、大勢力だ。だから人間を見て、過剰反応をしない者、柔軟な対応ができる者を選ぶのが良いだろう」
なるほど、とモモンガは思う。もし相手が異形種なら、偽装を捨てて身をさらせばよいだけだ。
しかし、柔軟な態度を取れるかどうか。これはハードルが高いように思われる。知識面でもっとも頼りになりそうなデミウルゴスは、仕事の最中だ。一朝一夕で終わるものではないから、今は表に出したくなかった。
となると、一気に選択の幅が狭くなる。セバスは安定しているが、それだけに独立して動かして、手数を増やす方に使いたい。己の供をさせるのは、もったいない配置に思えた。
「そういう意味なら、セバスが一番適しているな。――だが、任務への適応能力が高いなら、それはそれで別の使い道がある」
モモンガが自身の意見を述べると、ウォン・ライは得たり、とばかりに所見を述べる。
「まさに。ここは、二手に分けるのが最良。モモンガ殿の一隊と、セバス率いる別動隊。この二線を軸にして、情報を収集するべきだ。……世界は広い。人ひとりの行動にも限界がある。ゆえに、手分けして進めるのは正しいことだろう」
モモンガは、自分の提案を正しく把握し、評価してくれたことに安堵した。実際、己が表で活躍するなら、別動隊から得た情報も吟味する価値が出てくる。
同じ世界を味わっている、という共感は、何よりも得難いものであるし――多方面から得た情報を付き合わせれば、より正しく分析できる事柄もあるだろう。
――すると、セバスの共にはプレアデスの誰かをあてるのが無難か。
こちらの人選はすぐに決められた。セバスなら、いかようにも御すだろう。
駄目なら駄目で、その時はその時だとブン投げる。何もかもを想定するには、モモンガの精神は強くない。ある程度の妥協は、どうしても必要だった。
「よし、ならばそれでいこう。セバスはすぐに動かしてもいいが――」
「焦ることはない。こちらの方針を決めてからでもいいだろう。人選と、情報の集め方、その方向性を定めてからでも、動くのは遅くない。違うかな?」
「……そうだな。まずは、決めることを決めてしまうか」
改めて、モモンガは悩まねばならなかった。人間に近い見た目で、反感を抱かれにくい者と言えば、やはりプレアデスの誰か、ということになろう。
あくまでも直感だが、ナーベラルが適しているように思われた。美女であるし、戦力と見てもちょうどいい塩梅だろう。人間種であれば、あの手の美しさは好意的に迎えられるはずだ。
人間に対して柔軟な姿勢を維持できるかどうか、それはこちらでフォローすればいい。それくらいの技量は、自分にもあるつもりだった。
「一人目は、ナーベラルかユリでどうだろう。カルマ値を考慮するなら善性のユリが一番だろうが、純粋な力量ではナーベラルも捨てがたいところだ」
「いずれであっても、一長一短。後は人間に対して、温和な態度がとれるかどうか……。できなければ、モモンガ殿が心労を負うことになるので、私としてはユリを推したいが」
「しかし、荒事を任せるなら、やはりナーベラルが一番だろう。外に出れば、どんな危険が待っているかわからん。……やはり、ユリは温存しよう。多少の苦労くらいは、負う余裕もあるしな」
期待はしても、失望はするまいと、モモンガは己に言い聞かせた。人員にさほど余裕があるわけではないし、他の有為の人材は、後々のために温存しておきたい。どうせ知るべきことを知れば、あれもこれもと思いつき、多数のNPCを派遣することになるのだから。
そもそもナーベラル一人、御せぬようでどうするのかと、モモンガは気を引き締める。
「なら、もう一人は私の息子を推しましょう。リジンカンなら、温和で柔軟な対応が期待できる。ナーベラルに問題があっても、それとなく諭すことくらいは、やってのけるだろう」
郷に入っては郷に従え、というが、これから挑むのは未知の世界。郷に入っては郷に気付け、という精神で備えるのが良い。そうした意気で表に出るなら、NPCの中ではリジンカンがもっとも適任と、ウォン・ライは推した。
「ああ、ウォン・ライのNPCだったか。どんな人物だったかな。ドッペルゲンガーで、火力偏重の前衛職だったことくらいは覚えてるが」
「だいたい合っている。趣味丸出しで、恥ずかしい限りだが、温存するような手札でもないと思うのでな」
リジンカンは、そんなNPCだったような気がして、確認を取った。肯定されたところを見ると、モモンガの認識にズレはないらしい。
攻撃を受け止めるのではなく、回避を前提とするスタイルは、ウォン・ライとは正反対だった。一言で称するなら、軽戦士のアタッカーと言ったところか。
軽戦士系の職業は、高機動力、特化した回避能力、多彩な物理攻撃スキルを誇る。高レベルの熟練者であれば、同格相手の多対一の戦闘であっても、早々後れはとらないものだ。
その分、一撃でも喰らえば敗北に直結するピーキーな点もあった。相当な戦巧者でなければ、許されない職業と言っていい。
しかし、それを受け入れてなお、高火力で見栄えのいいスキル群に恵まれており――ユグドラシルにおいては、人気職の一つであったと言える。
「個人的なロマンを詰め込んだ奴だから、実用一点張りの廃人プレイヤーには負けるが、前衛のアタッカーとして、不足はない。……ナーベラルに後衛を任せ、モモンガ殿が二人のフォローに回れば、かなり優位な立ち回りができるだろう」
「なるほど、悪くない。――いや、おそらく最善だろう。これで人選は決まりだな。しばらくは、あの二人を連れて動くとするか」
あれこれ話しながらも、モモンガとウォン・ライは墳墓の深層へと足を進めていった。
時には話を中断して、ナザリックの威容に見惚れながら、二人は三階層へとたどり着く。
「ここらは、まだシャルティアの領域だったかね。いや、久しくログインしていなかったから、色々とうろ覚えでな」
「ああ、地底湖はもう少し先だから、まだ彼女の担当の部分だな。墳墓の管理は、彼女の責務になる。――しかし、実際に歩いてみると、何度でも新しい感動があるよ。散歩は、気分転換にいいものだな」
シャルティアに会ったのは完全な偶然だったが、それでもこちらから声をかける程度には、モモンガも気分がほぐれていた。
「シャルティア、こんなところで会うとは、奇遇だな。お前も散歩か?」
「これはモモンガ様、ウォン・ライ様、ご機嫌麗しゅう」
そうして、彼女は優雅に一礼してみせた。思わず見惚れたモモンガは、己に同じことができるかどうか考えて、軽く自己を嫌悪した。こうした時、自身がただの一市民に過ぎないことを、どうしても思い知らされる。
――俺は、俺にしかなれない。それでいいんだ。むしろ、これはよく出来た部下を持ったことを喜ぶべきだろ。
それでいて、劣等感に支配されず、真摯に相手と向き合う誠実さが、モモンガの美点であった。彼はねぎらうように、シャルティアに応える。
「はい、散歩を兼ねた見回りでありんす。こう見えて、適度に管理してやらないと、見栄えが悪くなりんすから」
「墳墓の管理は、お前がやっているのだったな。色々と見て回ったが、手入れが行き届いている。良い仕事をしている様子で、私も嬉しいぞ」
「恐縮でありんす。そう評価してくださると、気合が入りんすわ」
彼女は、ほころんだような微笑みをモモンガに見せた。
褒めて、喜んでもらえる。実社会では、部下など持ったこともない彼だったが、こんな当たり前のことが、ひどく嬉しくなる。
余裕がないうちは自覚も薄かったが、よく周りを見れば、自分を支えてくれる相手は、いくらもいるではないか。
シャルティア、デミウルゴス、アウラにマーレ。親しく言葉を交わせば、素直な好意を向けてくれる。心が温かくなるような、そんな想いをモモンガは感じていた。
「そうか、またいずれ、シャルティアにも出動を命じることがあるだろう。その時を楽しみにしていてくれ」
「お役に立つ機会を下さるのなら、これに勝るものはありんせん。いつと言わず、今からでも命じてくだされば、ご期待に応えるでありんす」
彼女の口調は、前向きな感情が表れているようだった。決して軽薄な気持ちからではなく、懸命に働こうとする意欲に満ちている。頼もしいと、モモンガは素直に思った。
同時にその期待が重い、と改めて自覚せねばならなかったが、それはさておいて。
――シャルティアは、使い出のある戦力だ。防衛ばかりに回すのは、もったいないな。セバスに続いて、二つ目の別動隊を率いてもらうのも、一手か。
守護者たちと接していくうちに、モモンガは皆を本当の意味で、信頼するようになっていく。
口で語るのと、心から納得することは別である。心に余裕があると、見るべきものが正しく見えてくるものだ。切羽詰まっていれば、相手の気持ちをおもんぱかることすら、出来なくなろう。
そう考えれば、やはりウォン・ライの存在は大きかった。傍にいてくれるだけで、ずいぶんと安心感が違う。
戦力として頼もしいのはもちろんだが、何より適切な助言を受けられるというのが、一番うれしかった。
――信頼は重荷だが、俺は一人じゃないんだ。重い荷物は、二人で運べばいい。分かち合うっていうのは、そういうことだろう?
孤独に必死に前だけ見て進む、というやり方もあろうが、今更一人で思い悩むつもりもない。そうならなくてよかったと、モモンガは思わずにいられなかった。
「今すぐは、少し難しいな。お前はナザリックの中でも、有数の戦闘能力の持ち主だ。軽々に動かしては、私の采配が疑われよう。切り札は、時期を待って、確実に運用してこそ意味がある。――わかってくれるな?」
「モモンガ様の仰せとあらば、異議などありんせん。その時を、楽しみにお待ちしているでありんす」
とりあえず、この場はそれらしいことを言って、ごまかしておく。多少ぎこちなかったが、それなりに無難な対応ができただろうか、とモモンガは振り返る。
社交辞令のようなものだったが、付き合いは長くなるのだ。こうしたやりとりでも、重ねることに意味がある、と何となく思う。
そろそろ話を切り上げようかと思ったところで、モモンガはまた別の人物から声を掛けられた。今度は本当に、意外な人物からだった。
「これはモモンガ様、お久しゅうございますな。どうです、適当な所で一杯やりませんか」
「……おいリジンカン、砕け過ぎだ。主君の御前である。厳粛な顔をせよとは言わぬが――せめて、場をわきまえんか」
ウォン・ライがたしなめた相手は、その当人が作ったNPC。リジンカンと呼ばれた男は、さわやかな笑顔で、モモンガに話しかける。
これといって接点はなかったのだが、ギルドマスターとして、大まかな性能や経歴については理解していた。軽い性格も社交的と見れば、表に出す人員としては、有能であるかもしれない。
「親父殿は、そうおっしゃられるが、モモンガ様はいかがです? 男同士で、酒など酌み交わしませんか?」
「……別に嫌なわけではないが、この体で酒は飲めんな」
モモンガは、くだけた口調で話しかけられるのが、意外と嫌ではなかった。
立場は自覚するべきだが、感情はまた別のものである。リジンカンの声は親しげで、悪意などみじんもない。これを無下にする気分には、どうしてもなれなかった。
「そこはそれ、親父殿の技能があるでしょう? 鬼の上位種族には人化の術がある。本来は自身を人に化えるだけの、他愛もない技能ですが――」
「本人のみを対象とするスキル・魔法を、隣接する味方にも使用することができる。そうした効果を持つアイテムがあったな。……どれ、都合よく持っていたかどうか」
リジンカンから目配せされたウォン・ライは、正しく意図を読んで、手持ちのアイテムを探った。
自身の個室には、多種多様なアイテムが保存されているが、手持ちはさほどでもない。それでも見てみれば、適合するものが一つある。
「ふーむ、『魔法の射程が一段階上昇する』指輪があるな。鬼神の人化の術は魔法扱いだから、これでも可能かもしれん。……どうしたものか、モモンガ殿」
「うん?」
「御身に対して、正しく魔法が効果を及ぼすか、それを確かめる機会でもある。いささか人体実験じみているから、あまりすすめられないが――それでも人の身になって、酒でも飲んでみようか?」
それはそれで魅力的な提案だった。不安がないでもないが、試してみたいという気持ちが強い。
オーバーロードとなったこの身に、不満があるとは口にしたくないが――それでも、かつての肉体に未練がないとも言い切れなかった。出来そうだと知れば、たとえ一時でも、人間に戻りたくなる。
「無理に人間にならなくともよいのでは? モモンガ様は、そのままが美しいのでありんすから」
「よし、決めた。ウォン・ライ、やってくれ」
シャルティアの言葉が後押しになった。美しい、という言葉は、思ったよりモモンガの心に刺さる。
彼女に他意がないのはわかるが、そのような称賛は、彼にとっては厳しいものであったらしい。
「では、地底湖の見晴らしがいい所で、宴席など設けてみましょう。何、ゆっくり歩いてきてくださればよろしい。そこに来るまでには、準備を整えておきますので」
人化の術を施す前に、リジンカンは心得たとばかりに応えた。彼がそう言ったということは、本当にそれらしい宴席を作ってくるだろう。
「リジンカン。わたしも参加していいんでありんすか? 仕事は一段落したところだし、構わないでありんしょう?」
「もちろんだ。美人に来てもらえれば、場が華やかになる」
「……口説いても無駄でありんすえ?」
「知っているさ。ただ、美人と言ったのは本心からだ。酔った美人を鑑賞するのも、いいものだからな」
そこにいてくれるだけで、価値があるとリジンカンは付け加えた。シャルティアは笑み一つ浮かべないが、嫌悪している風ではない。嫌われてはいないにしても、関心を抱くような相手でもない、というところか。
しかし、風流を解するのも考え物だと、ウォン・ライは思わずため息をつく。
「では、失礼。――場所は、そうとわかるようにしていますので、ご心配なく」
リジンカンはそれだけ言い残すと、素早く去っていった。断られるとは、最初から思っていなかったのだろう。最低限の準備は、あらかじめ整えてあったに違いない。
「モモンガ殿、申し訳ない。ああも自由な男として作った覚えは……まあ、あるが。こんな状況で、突発的に言い出すとは、私にも読めなかった」
「読めるわけがないさ。皆、生きているのだから、予想通りに動いてくれることばかりではない。――構わないとも。私は、ああいう男が嫌いではないらしい。自分自身、意外なことだが」
モモンガは、きちんとした肉体があれば、笑顔を見せていたところだ。それでも、ウォン・ライは頭を痛めていた。
権威を意に介さぬ無頼ぶりは、自ら設定したものだった。息子を持たないがゆえの願望と、現代日本的なくだけた親子関係に、憧れに近いものを持っていたから、そうしてしまった。
結果、モデルとなった人物からは、いささかかけ離れてしまったが、それでも近いものはある。風流人、という部分がそうであるし、酒好きなのも同じだ。
女好きだが色事は不器用で苦手、というところにまで思い出して――重要なことを忘れているような気分になった。
なんであったか、と考えたところで、モモンガから話しかけられる。
「わざわざ一杯やりたいなんて、どんな意図があって誘ってきたのか。興味深いとは思わないか? その態度からして、ナザリックの他のものとは違って、異質に見えるが」
「さて、何ともいえんな。愚かな男にしたつもりはないが、知謀に優れた男にしたつもりもない。単なる思い付きかもしれんが……まあ、酒を酌み交わせばわかることか」
義理堅く筋を通す好漢、という設定が正しく発揮されていれば、無駄に無礼な態度もとるまい。モモンガに悪感情を持たれず、無難に終われば良いのだが――と、彼はやきもきしながら、地底湖へと向かっていった。