ナザリックの赤鬼   作:西次

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 この章は、色々な意味で難産でした。
 もしかしたら、後ほど大きく改定することになるかもしれません。


第五章 赤鬼の模擬戦

 散歩の途中、円形闘技場でスキルの試しに戦闘訓練をしたり、アウラやマーレと適度な会話を楽しんだりして、モモンガは思ったより気持ちが上向いていることに気付いた。

 やはり己は深慮遠謀の人ではなく、行動の方が向いているとよくわかる。

 

「モモンガ様は、誰をパートナーにするおつもりなんですか? えと、情報収集の、ですけれど」

 

 マーレとの会話の中で、実務的な話が出てきた。その内容については、考慮中の一言で済む。

 だが、それは決定してから伝えられることで、今あえて聞く必要はないはず。ここで話題に出したのは、おそらく――。

 

「そうだな。アウラもマーレも候補のうちだ。実力に不安はないし、性格も割と温厚だから、向いている。情報を広く収集する過程において、お前たちの力は非常に有用だろう」

「そ、そこまで高く評価してくださるなんて……恐縮です」

 

 自分かアウラを売り込むつもりで、話題にしたとみるべきだった。モモンガは先手を打って、自身の見解を言葉にする。自分なりに、知恵者としてのロールプレイをしたつもりだった。

 

「あたしを選んでくれるなら、頑張って役に立ちますよ!」

「ぼ、ぼくもやります! 足手まといには、絶対になりませんから!」

 

 守護者たちは積極的だな、と感心するが、比較的消極的なマーレの発言としては、いささからしくない。アウラに釣られてのことだろうか。

 

「不安に思うことはないぞ。モモンガ殿は、君ら二人を充分に使い倒すおつもりだ。ただ、本格的に運用するのは、ある程度の情報が出そろってからになるだろう」

「ウォン・ライ。そういう言い方はよろしくない。使い倒すのではなく、使いこなす、という方が響きがいいだろう」

「いや、失敬。人材は適材適所、有効に確実に用いればこそ、ですな。アウラとマーレほどの実力者を使い倒してしまっては、もったいない。正しく用い、負担を掛けず、安定して成果をあげさせるべきです。まこと、モモンガ殿は人の使い方をわきまえておられる」

 

 モモンガは、『わかってていってるだろう』――と伝言でひそかに伝える。

 ウォン・ライは、『NPCの前でも、これくらいのユーモアは許されよう』と返す。他愛のない戯れだが、こうした一言一言を積み重ねていくのが人間関係である。

 あからさまにモモンガを持ち上げる発言だが、子供は素直なもの。そして純粋であるからこそ、好悪の情には敏感だ。ユーモアはともかく、モモンガの思いやりは正直に受け取ってくれる。

 

――実際、モモンガは思いやりのある人なのだから、その優しさに触れる機会は、多く設定するべきだな。

 

 ウォン・ライは、彼を支えると決めた以上、どこまでも協力するつもりだった。モモンガは、どちらかといえば人間関係には消極的な方で、自分からはなかなか深く踏み込もうとはしない。

 だから、こちらでお膳立てを整えるべきだと考えていた。アピールの機会さえあれば、その人格に触れた守護者たちは、より忠誠心を刺激されるはずだ。

 

「じゃあ、お試しってことで、今回はあたしを選んでくれます? 情報収集は、一度で全部やり切れるわけじゃないですよね。マーレも一緒なら、かなりのことができますよ?」

 

 実際、アウラもマーレも目を輝かせていた。期待を膨らませて、アウラが言う。

 

「……ああ、うむ。そうだな。お試しか。そういうのも――考えないではないが」

 

 なるべく言葉を濁して、あいまいにするモモンガである。別にアウラやマーレが不足というわけではないのだが、最適解かどうかは自信がない。

 ちらり、とウォン・ライの方を見やると、心得ましたとばかりに助け舟を出してくれる。

 

「そう結論を急いでくれるな。君らの熱意は理解している。もちろん、モモンガ殿もな」

「……はい」

「その熱意は、他の皆も同じことなのだ。そうだな、アルベドなどは、君らよりも別の意味で熱意に満ちている。それでも、状況次第では彼女の運用もひかえねばならん。理由は、わかるかな?」

 

 アルベドは、情報収集を目的とした探索には、出さないつもりでいる。これはモモンガもウォン・ライも同じ見解であった。

 

「理由ですか? ……うーん、あたしより前衛としては優秀なアルベドを、おいていく理由?」

「防衛に必要だから……ですか?」

 

 アウラが考え込んでいるうちに、マーレはさらりと答えを出した。

 ウォン・ライは破顔して、彼と目線を合わせて語らう。

 

「そう、それが一番の理由だな。アルベドはナザリックの防衛のかなめだ。そうそう外部に連れ出せない。……後は、見た目の問題か。あの悪魔らしくも美しい姿は、人間に対して刺激が強過ぎよう。戦力としてはともかく、裏方の仕事のために、表に出したくはないな」

 

 だいたいの場合において、繁殖力に優れるのが人間の特徴である。この世界において、人間が最大派閥であると想定すると――『美しい異形種』の彼女は、人目を引きつけ過ぎるのではないか。

 また人格面を考慮するなら、モモンガに懸想している彼女と共に行動するのは、相応のリスクがある。

 恋心は抑えがたく、女の情は恐ろしい。外界に持ち出して暴発する危険を、ウォン・ライは危惧したのだ。口に出さないのが、せめてもの情けであった。

 

「マーレは賢いな。長ずれば、良き知恵者となるだろう。先が楽しみだ」

「え、そんな。……ぼくは、そんなに頭がいいつもりなんて、ありません」

「よく考え、正しい答えを導き出せる。これは賢というべきだ。褒めて、伸ばすべき長所だろう。卑屈になってはいけない」

 

 そして、ウォン・ライは暖かな声でマーレを褒めた。謙遜は美徳だが、子供のうちは、褒められたら正直に喜んでほしいと大人として思う。

 

「……ずるい」

 

 アウラはか細い声で、そう言った。マーレが褒められるのは、姉として嬉しい。けれど、少女の心は複雑だった。弟だけが褒められることを、うらやましく思う。

 あたしだって、同じことを考えていたのに。口に出せなかっただけなのに、とアウラはすねたくなった。

 

「アウラ」

「はっ、はい!」

「卑屈になってはいけない、というのは、お前にも当てはまる言葉だと、私は思うぞ」

 

 そしてすねかけたアウラに声をかけたのは、モモンガだった。

 

――すねる姿は、子供らしくて可愛くもあるが、捨て置くのも後味が悪いな。

 

 彼は自分が現代社会において、正しく評価されていたとは思っていない。仕事上、うまくやっても功績が自分の物になるとは限らず、失敗を押し付けられたり不当な扱いを受けることもままある。

 そして、同僚が評価されたら、自分はもっとよくやっているのに――と。ひがんでしまう心情も、わかるつもりだった。

 

「お前の優秀さは、私が一番よく分かっている。それこそ、生みの親よりもな。それでは、不十分かな?」

「そんなことありません! ――ありがとうございます」

「うむ。ついては、一つ質問をしたい。魔獣を率いることや、生物を捕らえ調教すること。これをお前とマーレで競わせれば、どちらが勝つと思う?」

「絶対にあたしが勝ちます」

 

 モモンガは笑った。自信をもって、アウラも笑った。それを確認して続ける。

 

「さて、二人に問おう。己の方が優れている、と思うことと、相手の方が優れている、と思うこと。比べてみれば、さて。どちらが大きいだろうか?」

 

 モモンガとしては、優劣はつけたくないところだった。選んだ人物によって、他の者たちが劣等感を感じるようではいけないと思って、諭すように語る。

 

「なかなか、判断は難しいように思う。私も同感だ。だから、卑屈になってはいけない。といっても、傲慢になるのも――そうだな。私の前でならば許可しよう。その代わり、よそでは自重するようにな」

 

 子供が背伸びする様は、目にしてみると微笑ましいものだ。モモンガとしても、アウラやマーレが張り切って奮起する様は、ぜひ見てみたいと思う。

 ただ、外では控えめにふるまう、ということも覚えてほしかった。今すぐは難しいとしても、今後を見据えて教育も行うべきかもしれない。

 

「わかりました! そうします」

「は、はい! 必ず、ご期待に応えます」

 

 子供というものは、少しくらいヤンチャな方が、健やかに育つのではないか。それくらいの考えで、傲慢という表現を使ったのだが、二人がその通りに解釈するとは限らない。

 とはいえ、モモンガとしては失敗をいくら重ねたところで、アウラやマーレに対して嫌悪感を持つなどありえないことだ、と確信している。だからこれでよいのだ、と思う。

 

「ナザリックにいる内は、いつも通りでいいけど、外に出たら大人しくしてろってことですね?」

「う、うむ。まあ、そんな感じで頼む」

 

 もとより、深く考えての発言ではない。思わずふわっとした返答で返してしまう、モモンガであった。

 ウォン・ライは、穏やかにそのやりとりを見守っていた。支え甲斐のある人を頂いて、己は幸せだと思いながら。

 

「せっかく闘技場に来たのだから、模擬戦の一つでもしたいものですな」

「戦闘訓練ではなく、模擬戦となると――相手は誰が良いかな。コキュートスなら、喜んで付き合ってくれるだろうが」

「差し迫った脅威が、近くにあるわけでもない。防衛の手を一つ抜くことになるが、相手としては悪くないかと」

 

 モモンガは後衛職であるから、コキュートスと直接殴り合うことはできない。自身の実力を測るための訓練として、ならばともかく、模擬戦相手としては相応しくない。

 しかし、ウォン・ライの相手としてならば、おそらく最適であろう。お互いに前衛職であり、正面からの殴り合いを得手とする。さりとて危惧がないでもないが。

 

「しかし、コキュートスは白兵戦においては、守護者の中でも屈指の実力者。慣らしの模擬戦としては、いささか過剰な戦力では?」

「彼とて加減は心得ているでしょう。徐々に慣らしていけば、まあ問題ありません。――第一、彼とまともに打ち合えないなら、この肉体に値打ちはない。耐えられぬタンクに意味はありません。そうではありませんかな?」

 

 ウォン・ライは、高火力で敵をなぎ倒す系統の前衛ではない。前に出て敵の攻撃を引き付け、仲間を守ることでパーティに安全をもたらし、他のメンバーを攻勢に集中させるのが、彼の本懐である。

 よって、いかに己に敵の目を引き付けるか。いかに長時間、敵の行動を拘束し続けられるか。これが問題であり、主要な目的と言える。

 そして可能ならば、相手の戦力をそぐことも求められる。完璧にこなすのは難しいが、それだけにやりがいのある仕事でもあった。タンクと一口に言っても、その行動は単純なようで難しい。

 特に、常に戦線が流動する乱戦の場合は、即座の判断力や冷静な分析力、全体を俯瞰して把握する理解力が必要になる。これを殴ったり殴られたりしながら行うのだから、よく考えなくとも大変な仕事だった。

 

「同じ戦場に出て、私より先にモモンガ殿が倒れるようなことがあれば、それは私の失態だ。許されるべきことではない。――今のうちに、勘を取り戻し、己の力を磨いておきたいのだ。許してくださいますな?」

 

 極端な論説になるが、手の届く範囲で仲間が倒れた場合、一部どうしようもないケースを除いて、それはタンク役の責任になる。

 アインズ・ウール・ゴウンではそこまで厳格ではなかったものの、ウォン・ライは自ら望んでタンクを担っていたのだ。これくらいの厳しい基準は、常に自分に強いている。

 それをモモンガもわかっているから、強く否定はできなかった。その強い倫理観に敬意を表したく思うから、許可を出した。

 

「コキュートスを呼ぼう。――そうだな、他の守護者たちも呼んで、ちょっとしたイベントにしてもいいか」

「見世物にされるのかな? 私は」

「なに、その覚悟。私だけで独り占めにするのは、もったいないと思ってな。……良いではないか。ウォン・ライの力、改めて皆に見せつけるといい」

 

 これは、装備を整えて臨まねばなるまいと、ウォン・ライは思った。

 気持ちも高揚するようで、やる気がわいてくる。コキュートスには悪いが、とことんまで付き合ってもらおうと、彼は決心を固めていた。

 

 

 

 

 ウォン・ライの装備は、全盛期からは一段か二段ばかり落ちる仕様になっていた。

 装備の力に頼り切らないようにするため、という理由からであったが、最高の武装は引退時にモモンガに預けている、という事情もあった。

 

「準備ハ、ヨロシイデスカ?」

「私は大丈夫だ。いつでもいい」

 

 二人とも、構えもせずに無造作に立っている。闘技場の中心で向かい合っており、お互いの距離は10m程度か。

 

「先手は譲ろう。まずは小手調べといこうか」

「ゴ厚意、アリガタク」

 

 ウォン・ライは手甲の具合を確かめるように、手を振ってから拳を固く握りしめた。

 コキュートスは中空から太刀を取り出して、構える。どちらも、戦闘態勢は整った。

 

「よろしい、では開始の合図を」

「了解しました」

 

 観客席には、守護者どころか、話を聞きつけてきた者たちが詰めかけてきており、ほぼ埋まり切っている。

 モモンガが開始の合図を求めると、アルベドが合図となる鐘を打ち鳴らした。

 

「……緊張するね」

「う、うん」

 

 鐘が鳴ったからと言って、すぐに始まるとは限らない。コキュートスは何かを見定めるかのように、太刀を構えたまま動かない。ウォン・ライも一手を譲った以上、攻める気配はない。

 アウラとマーレは、固唾をのんで見守っている。

 

「さぁて……コキュートスは、どう攻めるでありんすかねぇ」

「相手は、忠誠を尽くすべき至高のお方よ? コキュートスは、礼としてすぐには斬りかからず、少し時間を置く。そしてウォン・ライ様からの合図で動くのでしょう」

 

 シャルティアの言葉に、アルベドが答える。

 シャルティアはどこか面白がっている風だが、アルベドは真面目な顔で言い切った。

 

「礼? ははぁ、コキュートスは武人でありんすからねぇ。理解できないことには、何とも言えんせん」

「シャルティア、コキュートスなりに思ってのことだ。茶化すことはないだろう。そして、あのお方は配下の思いやりに、きちんと応えてくださる」

 

 デミウルゴスが、補足するように答えた。その目は二人を注視したままだが、思うところは正直である。

 

「コキュートスが、太刀を構えたまま微動だにしないのは、隙を窺っているというよりは、相手の同意を求めているようでもある。アルベドは合図をしたから、いつでも斬りかかっていいはずなのにね」

「……そうしないのは、彼が攻めあぐねているのではなく、ウォン・ライ様の声を待っているからだと?」

「そこまで、あからさまでもないよ。ただ、ウォン・ライ様にもブランクがある。それを気遣っているのかもしれない。まあ、何にせよすぐ動くとも」

 

 セバスの声に反応して、デミウルゴスは思うところを述べた。そして実際、それは現実のものとなった。

 

 ウォン・ライは一歩前に出て、半身になり、手を前に出して構えた。初太刀をさばく体勢である。

 それを確認してから、コキュートスは突貫、一撃を見舞った。

 

「――オ見事」

「とも、言えまい。所詮は単発の一撃だ。お前の本領ではあるまい」

 

 ウォン・ライは、わけもなく手甲で受け流し、コキュートスの体に拳をそえていた。

 彼がその気なら、ダメージを入れていたところである。そうしなかったのは、相手も本気を出していなかったとわかっていたから。

 

「シカシ、全力デハアリマシタ」

「今から行くぞ、と主張して、わかりきった軌道での一振りだ。この程度を流せぬようでは、赤鬼の名が泣こうさ。……さて、仕切り直そう。次は、もう少し本気で来い」

 

 再度、距離を取って向かい合う二人。

 

「サレバ、ゴ厚意ニ甘エサセテイタダキマスル」

「よろしい」

 

 ウォン・ライは、初撃は受けても良いつもりだった。その痛みを覚えることで、心構えを決めようかとも思ったが、コキュートスがここまで加減するつもりであるならば、乗ってやるのも器量だろう。だが、次からはそう甘くない攻撃が来る。

 

「次ハ、本気デ行キマショウ」

「わざわざ宣告せずとも良い。気兼ねなく、お前の実力を見せてくれ」

 

 ウォン・ライは正面から受け止めるつもりで、まともに向かい合った。その瞬間、コキュートスの太刀が眼前に迫る。

 踏み込みの瞬間から速度を乗せ、自身の体重を込めた剣である。回避は不可能、防御も容易くはない。

 

 ――速い! 

 

 思うより先に、体が動いていた。手甲で弾き、衝撃を受け止める。が、コキュートスは弾かれた太刀を器用に持ち直して、再度ウォン・ライに迫る。

 

「クッ」

 

 これは意識して防いだ。が、それも相手の計算のうち。コキュートスは、死角から尻尾を動かし、勢いよく叩き付けるように、彼へ向けた。

 

「――利かん、な」

 

 それは確かに直撃したはずだが、ウォン・ライにダメージはない。

 彼は鬼種であり、物理防御力に格別優れている。コキュートスの尻尾程度では、わずかな傷さえつきはしない。

 それに気を取られるという様子もなく、追撃の斬撃をさばき、いなし、時には受け止めて防いだ。

 

「コキュートスの多角的な攻撃に、ウォン・ライ様は的確に対応なされている。なるほど、ブランクは有って無いようなもののようですね」

「そうだね。これは心配する方が不敬というものだろう」

 

 セバスとデミウルゴスが、お互いの感想を述べた。そう言っているうちにも、コキュートスは攻撃の手を緩めることなく攻め立てているのだが、まともなダメージが入ることは一度としてなかった。

 

「……あたしじゃ、よくわかんないなぁ。どうやって防いでいるんだろ。いや、なんとなーくわかるんだけど、理解するのは難しいっていうか」

「無理に言葉にすると、わけがわからなくなりんす。ああいうもの、と割り切った方が早いでありんすえ」

「シャルティアも、その言い方は馬鹿っぽいよ」

「わざわざ考え込んで、防御の手を見逃す方が馬鹿じゃないの?」

 

 アウラの言葉にシャルティアが茶々を入れる。こんなところでいがみ合う必要もあるまいに、と他の者はあきれるが、それより戦闘の行方の方が大事である。

 それからさらに数合打ち合った後、コキュートスは攻め手を止めて引き下がった。

 

「流石、ト申シ上ゲマス」

「ふむ、どうやら空白期間は私に衰えを与えなかったようだ。喜ばしいが、この程度では物足りん」

 

 ウォン・ライは攻撃的な目を見せた。猛禽を思わせる、鋭い視線であった。

 

「今度ハ、コチラガ受ケニ回リマスル」

「わかった。ならば、攻めるとしよう。こちらは少し、不器用になるか知れないが――」

 

 彼はタンクにしては高い、という程度の攻撃力しか持っていない。単純な瞬間火力でいえば、コキュートスと比べてもかなり劣る。

 しかし、ウォン・ライは敵の戦力を弱体化させることも仕事のうちだった。それはつまり、彼の攻撃が、決して甘いものではないことを意味する。

 

「久々に、凶手として働かせてもらおう」

 

 ウォン・ライは、左手に魔力をまとわせて、それをコキュートスへと打ち出した。

 

「ム……?」

 

 打ち出された魔力の速度は凄まじく、彼をして回避できぬほど。まともにその身に受ける。

 不可解なのは、ダメージが入らなかったことだった。防御力を抜けなかった、という理由ではない。これはそもそも、攻撃力を持っていないのだ。

 

「さて、これでしばらくは持つ。――いささか気が引けるが、これも試練と思って耐えてくれ」

 

 ウォン・ライが左手を招くように引き寄せると、コキュートスの体もまた、それに釣られるように彼の下へと引きずられた。先ほど受けた魔法の効力とみるべきだろう。

 引き寄せの力は強く、抵抗は難しい。ならば、むしろ踏み込んで攻勢に出るべき――と思うのは当然の話だった。勢いに乗って自ら間合いに入り、太刀を振るう。

 

「捕った」

 

 乾いた音が鳴る。振るった太刀が、掴まれていた。ウォン・ライの手甲を付けた右手から、金属のこすれる音がする。

 コキュートスと同じ手段を取った敵と、彼は何千、何万と戦った。対処の方法も、手慣れたものである。

 コキュートスは太刀を放棄する間もなく、その身を拳によって打ち据えられた。その衝撃で、闘技場の壁際にまで追いやられる。

 

「――今更だが、お前と打ち合うのは、初めてだったな。ならば、知らないのも無理はあるまい」

「……ハ」

 

 再び距離が開いた二人は、改めて言葉を交わした。

 ウォン・ライにとっては、模擬戦も交流の一種である。間が空けば話すのも一手だった。

 

「私はこれでも、メンバーの中では弱い方でね。かなり見栄を張っても中堅下位、と言ったところだ。純粋な近接戦闘では、分が悪い。――だから、搦め手を使わせてもらう。不服はあるまい?」

「アラユル手ヲ尽クシテ、勝利ヲ求メルノガ、武人ノ性ナレバ」

 

 コキュートスは、一撃を食らってもそこまでのダメージはない。彼の防御が硬いためでもあるが、ウォン・ライ自身も本気で打ったわけではなかったからだ。

 これは模擬戦である。己を試みると同時に、相手も試みる。一種の共同作業であり、短い時間で終わらせては、興ざめというものだった。

 

「文句は言わぬ――か。なるほど、ならば、こちらも手をつくし甲斐があるというもの」

 

 ウォン・ライは鬼種である。しかし、ただの鬼ではない。その中では最上級の種族、高レベルの閻魔王(ヤムラージ)である。これは独特の効果を持つ魔法を有しており、トリッキーなスキルで敵の行動を看破・制限する術に長ける。

 先ほどの魔力弾は、正確には『閻魔の呪縛』――俗称として、『呪縛弾』とも呼ばれる、その種族専用の魔法である。引き寄せは、この魔法の一段階目の効果であった。

 また、付け加えるならば、同時に鐘馗(ショウキ)の種族も高レベルで取得しており、こちらは耐性と回復力に優れている。その上、どちらも魔法攻撃力に乏しい鬼種らしく、魔法攻撃力に依存しないスキルで満たされていた。

 

「離れたところで、先ほどの魔法の影響が残っている。――さあ、もう一度だ」

「参ル!」

 

 コキュートスは、再び踏み込んだ。それだけでは先程の再現だが、ここで一手を挟む。

 極寒の冷気が、コキュートスの周囲に集中し、それが弾ける。氷の霧が、彼の身を守っていた。フロスト・オーラの変異版といって良いだろうが、純粋な防御面の強化として、これは最適解である。

 なにしろ、ウォン・ライの素の攻撃力では、この防御を抜くことは難しい。ただの拳の一撃でダメージを入れる、ということは期待するだけ無駄だろう。だから、彼もまた対策を講じねばならない。

 

「あいにく、私はお前を傷つけたいとは思っていない」

 

 攻撃が通じない、ということはユグドラシル時代もよくあった。そもそもタンク役に求められるのは、戦力を削ぐことであって、敵を倒すことではない。

 最高レベルのユグドラシルプレイヤーは、そう容易くは倒れてくれなかった。この場合も、そうした相手へのあしらい方を応用すればよい。

 

「――ッ!」

 

 突然、コキュートスの足が止まる。踏み込みと同時に切り込むはずであったが、出鼻をくじかれて一瞬の硬直が生ずる。

 

「そら」

 

 硬直が一瞬あれば、隙になる。再度ウォン・ライは、コキュートスへ呪縛弾を撃ち込み、縛りを増やした。

 すると、攻撃を受けたわけでもないのに、コキュートスは数mもの距離を飛ばされた。いや、飛ぶというよりは、後ろから掴まれて力ずくで引き離された、という表現が的確であったろう。

 

「先ほどまでは、一定距離の『引き寄せ』と、一瞬の『足止め』だけだった。が、これからは『引き離し』が追加される。……一応断っておくが、ノックバック耐性は無効だぞ? 閻魔王(ヤムラージ)は、この手の拘束がウリでね。使いこなさねば、ただの不人気種族に堕する」

 

 この魔法は、同じ相手に何度も打ち込むことで、その効力を強めていく。逆に言えば何度も打ち込み続けないと、わざわざ使う意味がない。そういうわけで、やはり使いづらい系統の魔法と言える。

 

「不人気? ……ゴ謙遜ヲ」

「いやいや、本気で人気がなかったのだ、閻魔王(ヤムラージ)という種族は。鬼種は単純な攻撃力の強化がもっとも簡単で、もっとも人気が高かった。この点を追求すれば、人間種でも到達できない、凄まじい爆発力を持つことができた。なのに防御と耐久を偏重し、敵を食い止めることだけに成長を集中させた私は、とんだ変わり者というわけだ。……まあ、だからこそ一般プレイヤーの意表をついて、うまく仕事をさせてもらったがね」

 

 閻魔王(ヤムラージ)をまっとうな前衛として機能させるくらいなら、他の種族レベルを上げた方が、戦力として効率がいい。

 そうしなかったのは、タンク役としてはこれが最善、と彼自身が判断したからだ。それが正しかったことは、ゲーム内の実績が示している。

 

「さて、コキュートス。もう一つ、指摘させてもらおう」

「何デショウ?」

「敵が長々と話しているときは、時間を稼いで何かを狙っていると思ってほしい。別にしゃべっているときに攻撃してはならない、なんてルールは設けていないのだから、君は耳を貸さなくとも良かったのだ」

「――ソレハ」

 

 どういうことか、と問う前に、それは発動した。

 コキュートスが知覚したときには、周囲を呪縛弾で囲まれていた。いかなるスキルを持ってしてか、彼には判断がつかないが、ともかく。

 これらを受けてしまえば、敗北は必至。それだけは、即座に理解した。回避など、望むべくもないことも。

 

「ヌゥ……」

 

 現状、ほぼ詰んでいる。せめて切り払うことは出来ないものかと、太刀を振るうが――無益であった。太刀が触れた時点で、効果が発動する。

 さらに体が拘束されていく感覚を、コキュートスは味わった。ウォン・ライの話に耳を傾けた時点で、彼に勝ちの目はなかった、というべきだろう。

 

「ナラバ」

「と、思うだろうな」

 

 遠距離から、斬撃を飛ばすスキルがある。これを用いれば、動かずとも攻撃することは可能だ。せめてもの悪あがきにと、コキュートスは試みる。

 しかし、すでに迎撃の態勢になっているウォン・ライに、予測されている攻撃は通じない。手甲で弾かれて終いである。

 そして引き続き、意に添わぬ動きを体に強制され、コキュートスはすっかり翻弄されてしまった。

 展開された魔力弾は八つ。これを全て受けざるを得なかった彼は、ひどい縛りを受けることになる。

 

「詰みだな」

 

 それから、ある程度殴り合って、ウォン・ライは結論を出した。すでに相手の行動は、彼の手の内にあった。

 

「マサニ、詰ミト申サネバ、ナリマセヌナ……!」

 

 コキュートスは、未だに戦闘を継続する意思に溢れていた。

 しかし、すでに『武器装備解除』『物理攻撃力・魔法攻撃力半減』『攻撃用スキル使用不可』といった致命的、かつ時間経過以外の手段では、自力で解除できないバッドステータスを抱えている。

 

「しかし、これでは消化不良だろう。――そうだな。一度縛りを解いて、仕切り直すか」

 

 時間経過以外の解除は、自力では不可能だが、術者が望めば行うことができる。

 これがまた厄介なのだが、今のコキュートスはそれを理解する余裕もないだろうと、ウォン・ライは思う。

 

「ヨロシイノデ?」

「構わない。だが、今度は多対一を想定したい。セバス!」

 

 セバスは、呼びかけにすぐさま応えた。闘技場の舞台に降り、ウォン・ライの前に出る。

 

「私を加えて、模擬戦を続けるということですね?」

「そうだ。コキュートス、いけるな?」

「……ハ。問題アリマセヌユエ、ゴ心配ナク」

「結構。――では、再開しよう。ここからはニ対一だ。二人とも、それを意識してかかってくるといい。単純な攻めでは、先ほどの二の舞だぞ?」

 

 ウォン・ライはその場で構えて、防衛に回る。二人に攻めさせて、しのぎ切るつもりなのだった。

 

「では、連携いたしましょう。私が先手、貴方が後手。……よろしいですか?」

「ソレガ最善ダ。手数デ押シテクレレバ、一撃ヲ入レテミセヨウ」

 

 セバスもまた、拳を固めて、攻撃態勢を取る。コキュートスは太刀を装備し直して、セバスに続く構えだった。

 ウォン・ライは手招きをした。相手の迷いを払うためである。

 

――私が攻めよ、と言っているのだ。ためらいは許されんぞ?

 

 コキュートスもセバスも、至高の方々に仕える身の上である。指示をされたならば、その通りに動く義務があった。

 

「参ります」

「来い――ッ!」

 

 セバスは素手の凶手、という分類でいえば、ウォン・ライと同類である。だが、その性質はアタッカー兼タンクという表現が、もっとも正確であろう。

 時には味方の盾となりつつも、高火力を叩き込んで敵を潰していくスタイルは、彼とはまったく別種であった。防御よりは攻撃力に比重を置いているため、守勢よりは攻勢に強い。

 

「なるほど、アタッカーとしては、私より優秀だな」

「恐縮です」

 

 拳の乱打を防ぎ、さばき、後退を余儀なくされながら、ウォン・ライはセバスを褒めた。

 彼の防御を抜くほどの攻撃ではないが、無視して身に受けることができるほど、甘い拳ではない。直撃の瞬間に、爆発力を発揮するスキルが存在する以上、一撃たりともまともに喰らいたくはなかった。

 

「しかし、それだけでは足りん。コキュートス」

「ハッ!」

 

 セバスの斜め後方より、剣が飛んできた。セバスを無理矢理一撃によって弾き飛ばし、コキュートスの追撃を手甲で防ぐ。

 その一手の間にセバスは態勢を立て直して、再び攻勢に出た。また、ウォン・ライは守勢に持ち込まれる。

 

「厳しいな」

 

 コキュートスは隙あらば、遠距離から斬撃を飛ばしてくる。そしてセバスが捨て身で突撃し、まともな反撃の余裕を与えてくれない。

 ウォン・ライは、それを経験則と技量によって、さばき続けていた。一度も直撃を受けていないあたり、タンク役としての能力は、非常に高いと言い切ってよいだろう。

 そして、全盛期の力を取り戻しつつある。セバスが攻撃の合間に、吹き飛ばされる頻度が増えていった。コキュートスとの連携も途切れがちになり、絶妙な感覚で、行動を妨害されてしまう。

 

「わかっては、いましたが」

「彼ノオ方ノ防御ヲ抜ク、トイウ行為ガ、ココマデ難シイトハ――」

 

 単純なステータスで、力量は測れない。力に技がともなえば、能力は相乗して発揮される。

 ウォン・ライは、ナザリックにおいて、最上にして最硬のタンクであった。彼は、同レベルの近接アタッカーを三人同時に相手にしたこともある。さらに遠距離からターゲットに定められ、常時射撃の的にされた経験もあった。

 その上で、『自身の役割を完璧に全うした』経験を持っている。これが意味することは、ひどく単純である。

 

「厳しい、というだけで、危険とは言えんか。デミウルゴスも、参加させるべきかもしれん」

 

 己を窮地に立たせてみせよ、とばかりに挑発する。もちろん、デミウルゴスに参加するつもりはない。ご冗談を、と肩をすくめるばかりだ。

 彼ら二人をして、守備に徹するウォン・ライを打ち負かせない。これが事実であった。

 

「とはいえ、千日手でもある。私には、決定打がないからな」

 

 ウォン・ライは、さらに一時間も二人の攻撃をしのぎ続け、息一つ乱さなかった。

 継戦能力に長けるのも、タンクの特徴である。自身のパフォーマンスを長時間維持し続けられなければ、パーティの防御役としては不足であろう。そうした意味でも、彼は余すところなく完成されていた。

 完成されているからこそ、状況をひっくり返すことも、また出来なかった。それが、彼の限界でもある。

 

「……参りました」

「ソノ技量、ソノ能力。マコトニ、感服イタシマス」

 

 このまま際限なく続ければ、スタミナが切れるのは二人の方になるだろう。コキュートスとセバスは、潔く負けを認めた。

 ニ対一で、この結果である。三対一でも、彼はしのぎ切るだろう。そして、もしウォン・ライに優秀な後衛がついていれば、敗北は必至である。よって、この場は二人の敗北、と見るのが妥当だった。

 

「いや、コキュートスもセバスも、素晴らしい力を示してくれた。私の方こそ、感謝させてもらいたい」

「勿体なき、お言葉です」

「光栄デ、アリマス」

 

 彼らは頭を下げて礼を行うことで、ウォン・ライに対する敬意を示した。

 これにて、勝負あり。ここまで模擬戦を見届けていたモモンガは、立ち上がってその意を表す。

 

「見事な勝負であった! 皆、ウォン・ライと我が守護者たちに拍手を!」

 

 闘技場全体が、歓声と拍手に包まれる。モモンガは、ナザリックの全てを誇らしく思った。

 これほど見事な男たちの忠誠を受けていると思うと、身が引き締まる。魔王ロールプレイを続けるべく、さらに言葉を重ねた。

 

「ウォン・ライ。我が盟友よ。その力、しかと見せてもらった。私は誇らしい。貴殿ほどの強者に尽くされている喜びを、私はどう表現したらよいだろう」

「――胸を張ることです。全ての頂点に立つに相応しい態度とは、それ以外にありませんぞ」

 

 後ろめたく思うな。気兼ねをするな。

 ウォン・ライの気持ちを、モモンガは正しく受け取ることができた。長い付き合いが、そうさせた。

 

「ならば、そうしよう。栄誉は共にすべきもの。喜びは分かち合うもの。私は堂々と胸を張ろう。だから、お前たちも誇るべきだ。私は確信する。どのような困難があろうと、ナザリックは栄光をつかむことができるのだと。決して、敗北はあり得ないのだと。――最後にもう一度、彼らを讃えよ! それをもって、この模擬戦を終了とする!」

 

 モモンガは、声を張り上げて言った。闘技場はさらなる興奮に包まれて、戦いを演じた者たちを祝福する。その喧騒は、ウォン・ライが退場した後も、しばらく続いていた。

 

「私たちは、幸福に思うべきだね」

「何を、かしら?」

「もちろん、素晴らしい主たちを持てたことに、だよ」

「……そうね」

 

 デミウルゴスの言葉に、アルベドが返した。彼は疑う余地のないことを言ったつもりだが、アルベドの方は歯切れが悪い。彼女にも思うところがあるのだろうかと、疑問に思いつつ、しかし追及はしない。

 

「お二人が健在であれば、情報の収集にも不安はない。供に誰を選ぶかは、まだわからないが、いつお呼びがかかっても良いように、準備を整えておくとしよう」

「……ええ、そうね」

 

 やはり、アルベドの反応は、どこか鈍かった。怪訝に思いつつも、デミウルゴスは心配するほどのことでもないだろう、と判断した。

 というのも、他に懸念すべき事柄があったからである。

 

「しかし、彼はここにいないのか。せっかく父君の晴れ舞台だというのに、ね」

「ああ、彼のこと? 自由奔放な人だから、気まぐれということもあるわ。どうせ、大した理由でもないんでしょう」

「……そうだね」

 

 彼、とは、ウォン・ライが直々に作り上げたNPCのことである。その間柄を考慮すれば、親子と称して差し支えあるまい。

 

「せっかくだから、私が様子を見てこよう」

「物好きなものね。私は彼が苦手だから、貴方に任せるわ」

「……ああ、任されたよ」

 

 デミウルゴスは、複雑な感情を抱いていた。それでも、そのまま思ったことを口にすることはなかった。

 手土産に、酒でも持っていけばいいだろう。酒好きの自由人、という定義がもっとも相応しい彼のことを、デミウルゴスはよく案じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は、闘技場の歓声を遠くから聞いていた。戦いが終わったのだろう。より強い歓声とともに、父の名が聞こえてくる。

 

「親父殿は、コキュートスに勝ったか」

 

 その男は、わかり切った結果を見に行く必要性を認めなかった。だから闘技場には赴かなかったし、こうして六階層のジャングル内で、思うままに過ごしていた。

 適当な木の下で座り込み、身を幹に預ける。どこか、影のある雰囲気を漂わせる青年だった。それでいて、決して陰気な印象を抱かせない清廉さを、身のこなしや所作から感じさせた。

 顔つきは美形というよりは、男前と言った方が正確であろう。美しいというよりは、精悍である。武人らしいたくましさを持ちながら、それでいて武骨な様子はみじんもない。

 おだやかで優しげな表情は、人の世であれば、ご婦人方を騒がせただろう。

 しかし、今の彼は物憂げな儚さを漂わせている。これは、なにゆえか。

 

「……うん」

 

 手持ちの水筒には、酒が満たされていた。一口、飲み下す。

 いくら飲んでも酔えない性質だが、酒の味は好きだった。そのように作られていたし、そうであろうとした。

 ナザリックの酒は美味い。美味すぎるから、上手く酔えないのではないかと、思いたくなるほどに。

 

「さて」

 

 男は、木彫り彫刻の続きをしようと、懐からそれを取り出した。

 彫刻は、手のひらに収まりそうな大きさだが、精密で美しかった。女性の姿をしており、よく見れば悪魔らしい角や翼があった。

 

「……は」

 

 自嘲するような笑みを浮かべてから、男は彫刻用の刀を取り出した。像はより精巧に、より精緻に、彼自身がよく見知る人物へと似通ってきていた。

 それでも、まだ足りぬ、もっとそのままに、ありのままの姿を現そうと、男は作業を続けた。没頭するあまり、近寄る人影にも気づかなかった。

 

「リジンカン、ここにいたのか」

「……なんだ、デミウルゴスか」

「なんだ、とはなんだね。せっかく訪ねてきた友人に言うべきことかな?」

「そうだな、すまない。どうも、俺は礼に欠けるところがあるらしい。気を許した相手には、なぜか甘くなる」

 

 男は、リジンカンと呼ばれた。その男に近づいていたのは、デミウルゴスだった。戦いの喧騒から逃れるように闘技場を出て、彼はこの男の下へとやってきていたのだ。

 

「木彫り細工は、順調かね?」

「……お前のそれは皮肉なのか、それとも本気で案じているのか、たまにわからなくなる。いや、きっと心配してくれているのだろうな。お前は酷薄なようで、気立てがいい」

 

 それはわかっているつもりだ、とリジンカンは付け加えた。苦笑しながらも、手の中の彫刻はそのままにして、穏やかな目で見つめていた。

 精悍な武人を、儚げな青年に変えているのは、それが原因であるらしい。

 

「性分でね。私も、気を許した相手には甘くなる。もっとも、だからといって思い悩んだりはしないが」

 

 デミウルゴスは、リジンカンが手にする木彫り彫刻を見た。

 やはり、それは想像通りの代物だった。

 

「……難儀な性をしていると思うよ。それは、どうしようもないのかい?」

「別に、どうということもない。いつものことだ。気持ちを押し殺すことも、こうして発散することも」

 

 話しながらも手を動かし続け、ついに彫刻は完成した。

 完全な人物のミニチュアとして、彼の手の内にあった。

 

「何、他の連中は何も知らないさ。だから、悩むようなことでもない」

「伝えるようなことではない、と?」

「そうだ。他の誰にも、知ってほしくはない。俺が、彼女に惚れてるなんてことは――」

 

 リジンカンは、自嘲するように言った。デミウルゴスは、柄にもなく案じるように応えた。

 

「父上には、相談したのかね?」

「しようがない。色恋は理屈ではあるまい。そして抱いた以上は、叶わぬと思い知った以上は、隠し続けるほか、ないだろうよ……」

 

 リジンカン。彼は、ウォン・ライが作成したNPCであり、設定上は親子関係である。

 実際に血がつながっているわけではないから、義父と養子の間柄、ということになろうか。

 

「そうかね? ならば、あえて何も言うまいよ」

「……ありがたい気遣いだ。だから何も言わずに、酒に付き合ってくれるのだろう?」

 

 デミウルゴスは、その手に酒瓶を携えていた。無言で杯を持ち出し、お互いにそれを注いでは干す。

 言葉はなかった。それで気が済むのだと、両者ともにわきまえていた。

 

「良い酒だった」

「そうかね」

 

 デミウルゴスは真顔だった。リジンカンは、それから顔をそむけるように地面に目を向け、穴を掘る。

 彼は、完成した彫刻をそこに埋めた。彼なりの、想いを封じ込めるための儀式である。別に魔法的な意味があるわけではない。ただの、気持ちの問題だった。

 

「横恋慕は、趣味ではないかね」

「俺の方が、身を引くべきだろう。彼女は、モモンガ様を愛している。ならば、それでいいんだ」

 

 リジンカンは、無情な声でいった。本人は、そのつもりだった。

 だが、デミウルゴスは、無情の中にある多情を、感じ取らずにはいられなかった。

 

――面倒くさい男だ、君は。

 

 デミウルゴスは、なるべく表情に出さないように努めた。そうしなければ、本気で心配していることを悟られてしまうと思ったから。

 

――アルベド。貴女は知らないだろうし、知る必要もないが、どうにも。罪な女だね、貴女という方は。

 

 木彫り彫刻は、アルベドそのものだった。

 リジンカンの恋慕は、ただ一人。彼女にのみ、向けられているのであり――。

 あえていうなれば、それこそが。この世界におけるウォン・ライの唯一の罪、いまだ自覚せぬ、残酷な悪行であったと言えるだろう。

 

 

 


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