モモンガとウォン・ライは守護者たちと相対する。といっても、主君と臣下の関係である。当然、対等ではない。
玉座の間において、二人は彼らを見下ろす位置におり、彼らは下から見上げる立場にある。
「集まってもらったのは、他でもない。我々が未曽有の事態に直面しているからだ」
驚きの声が、守護者たちから挙がる。疑問が飛ぶ前に、モモンガは続けた。
「状況を把握できていない者もいるだろう。これより詳細を説明する。――セバス。再度、この場で見たものを報告せよ」
そうして、セバスは自らが確認したことを、余すところなく述べた。
ここがユグドラシルではなく、まったく未知の世界であることを、この場の全員が理解する。
「――そういうことだ。差し迫った危機こそ迫っていないものの、我々は行動せねばならぬ。まず何よりも、情報が必要だ。環境、植生、種族の多寡とその強さ、国家があればその数と外交関係。……最低限の知識を得るまでは、ナザリックの秘匿も重要事項だ。理由は、言うまでもないな?」
モモンガはとりあえず、思いついたことを適当にしゃべっていた。ある程度ぼかしておけば、勝手に納得してくれるだろうと思って。
それが悪い方向に向いても、ウォン・ライが傍にいる。補助は常に期待できるし、彼が沈黙しているのならば、そのまま続けていいのだろう。
「よって、これより即座にナザリックを周囲から隠匿し、他の生物の目に映らぬよう工作を行ってもらう。――誰が適任と思うか? デミウルゴス」
「……問題がなければ、私がその任にあたりましょう。よろしいでしょうか?」
一度、逡巡してからデミウルゴスは答えた。問われたからには、自身が全力を尽くす。それが、彼の誠意なのだろう。とすれば、あえて再検討を求める必要もない。
「よろしくない理由があるのか? 知恵者であるお前が、自ら対策を施すというのだ。疑いようがあるまい。――任せよう」
「――はッ! では、直ちに」
「話をすべて終えてから、だ。急ぎの仕事ではあるが、ここで話を聞く余裕くらいはあるだろう」
「失礼いたしました。そう致します」
ちらり、とモモンガはウォン・ライの方を見やる。
彼はうなずいて、先をうながした。
――で、なんだっけ。他になにかあったかな。
言葉が途切れる。モモンガは猛烈に焦りながらも、表には出さない。十秒ばかり間をおいて、ようやく彼は言葉に出した。
「組織の運営システムについて、確認しておきたい。アルベドよ、不具合などはないか?」
「ございません。ナザリックは完璧なシステムの下、運営されております」
「……そうか。頼もしいことだ。が、具体的に聞きたい。たとえば、情報の共有システムはどうなっている」
「デミウルゴスを総責任者とした、共有システムが出来上がっております。八、九、十階層を除いては、余さず網羅している状態です」
あれこれと情報を確認しつつ、モモンガは詳細を詰めた。警備システムはほぼ、そのまま運用できるだろう。これは、いくらか調整を加える程度で済んだ。
内部に関しては、問題ないだろう。後、聞くべきことがあるとすれば――。
「最後に、各階層守護者達に聞くべきことがある。私と、ウォン・ライについてだ。――我々を、どう思っている? 率直に述べよ。この場においては、正直さこそが美徳である。不敬と思っても、嘘偽りなく答えるのだ」
疑うばかりで、信じることを知らないものは愚かである。
信じるばかりで、疑うことを知らないものは無思慮である。
モモンガはちょうど、程よい所で疑いつつ、信じたいという想いを持ち続けていた。このあたりのバランス感覚は、天性のものといって良い。
また、このタイミングでの質問としても、最適であった。とにかく、しもべたちは主の役に立ちたくて仕方がない状態で、言葉だけでも応えられるなら、応えたい状態であったからだ。
「支配者トシテ、申シ分ナキ方々カト心得マスル」
コキュートスが実直に述べた。単純な言葉であるが、真剣に語っていることは、雰囲気でわかった。疑う必要はない、とモモンガは見る。
「慈悲深い、方々だと思います。不満の持ちようがないくらいです」
「す、すごく優しい方々だと思います」
アウラとマーレの返答に、安堵を覚える。これを疑う気には、なれなかった。
「デミウルゴスはどうだ? 知恵者たるお前に聞きたい」
「知恵者、などと。至高の方々には敵いません。賢明なる実行者たるお二方には、私など及びもつかぬとわきまえております。まさに、端倪すべからざる、という言葉がふさわしいでしょう」
モモンガはそこまで自己評価は高くないが、この発言は好意の発露とみるべきだろう。素直な好意を疑うよりは、信じようと思う。
「モモンガ様は、美の結晶。この世で最も美しいお方。ウォン・ライ様は、この世で最もたくましいお方。その肉体の素晴らしさ、人格の高潔さは、何物にも代えがたく、例えようもないほどでございます」
シャルティアの言には、聞くべきところがあった。美しいといわれて喜ぶ質でもないが、友を称賛されるのは、素直に喜ばしいと思う。
「慈悲深く、そして思慮ある、君子と評すべき方々です。どうか、これまでと同じように、我らを導いていただきますよう――お願い申し上げます」
セバスは製作者に似て、誠実な男である。もとよりそれは、前提として把握しておくべきことであり、この場で発言させたのは余計なことだったかもしれない。ともあれ、モモンガはそれを再確認できて安心した。
さて、と最後にアルベドに視線を向ける。設定をいじってしまった相手だけに、向かい合うのが怖くもあった。
「私どもの最高の主人であります。そして、私にとっては、愛しい方でもあります」
「……念のために聞くが、お前が愛しいと思うのは、どちらだ?」
「もちろん、至高の方々の最高責任者、我らがマスター、モモンガ様です。――あるいは、これも不敬なことかもしれませんが、心からお慕いしております」
「う、うむ、そうか。いや、不敬なことはないぞ。お前の気持ちは嬉しい。一応聞くが、ウォン・ライさんについてはどう思う?」
「敬愛しております。――非礼を承知で申し上げますが、モモンガ様には及びません」
内心、冷や汗をかいているモモンガである。明らかに設定をいじった影響が出ている。
思わずウォン・ライの方を見てしまうが、朗らかに微笑んでおり、気分を害した様子はない。
「それでよい。ナザリックの最高責任者はモモンガ殿だ。私は序列二番目で――いや、そうだな。アルベドと同格、ということにしても良い。いかがかな? モモンガ殿」
「……それは、即答できかねます」
ウォン・ライがそう言いだした意図が分からない。モモンガはとりあえず保留して、場を締めくくることにした。
「なるほど、各員の考えは理解した。ならば不安はない。私たちが担当していた職務も、今後は委ねていくことになるだろう。その信頼に応え、励め。――以上である」
謁見はこれで終了したとばかりに、モモンガは一度席を立とうとした。
だがウォン・ライが手で制して、そのままでいるように、と伝言で伝えてくる。
いぶかしく思いつつも、モモンガは守護者達と向かい合う、ウォン・ライを見た。
「挨拶が遅れてしまったが、改めて伝えておきたい。――このウォン・ライ。ようやくナザリックに帰還した。今後とも、よろしく頼む」
そういえば、そうであったか、とモモンガは思う。ウォン・ライはナザリックを一年余り離れていた。NPCとプレイヤーとでは、時間の感覚も違うだろう。この一年を、どのような想いで過ごし、また彼の帰還を受け止めるのか。
これは、一つの試練であろう。モモンガは、彼の行動を玉座から見守ることにした。
「そして、私は皆に詫びねばならない。一人、このナザリックを離れたこと。今、こうして帰還が叶ったのは、偶然のようなものだ。我が身に巣くった病魔が、ひと時の自由を許してくれたからだ」
守護者たちに、どよめきが走る。モモンガも、そこまで言うのか、と驚いた。うやむやに終わらせても、文句が飛ぶことはないというのに。
いや、ここで誠実に現実を語るのが、ウォン・ライという男なのだろう。そう思えば、次の言葉にも見当がつく。
「皆に謝罪したい。私は、許しを請わねばならぬのだ。――私の不徳によって、ナザリックを離れざるを得なかった。それは紛れもなく私自身の落ち度であり、罪である。許していただけるだろうか?」
ずるい謝り方だ、とはモモンガは思わなかった。ただ、当人だけが罪悪を感ずるのみである。
もとより、至高の四十一人に逆らう者など、守護者の中には存在せぬ。その謝罪は受け入れられた。
「病魔に敗北し、私は死んだ。ここにいるのは、ナザリックが私を復活させてくれたからで、それはモモンガ殿がナザリックを維持してくれていたからこそ、出来たことなのだ。……よって、私はここに誓う。ウォン・ライはモモンガに永遠の忠誠を捧げよう」
口約束で済ませるような人物ならば、モモンガの信頼など、最初から得られなかった。
彼が口に出した言葉である。金を山と積まれようと、いかなる暴力や権力を約束されようと、これを違えることはない。
何より、忠誠、という言葉の重みは、本人が誰より思い知っている。それでも、ウォン・ライは言い切ったのだ。
そしてモモンガは、それを無自覚に受け取った。
「その忠誠を受け取ろう。そして、祝福しよう。我が盟友よ。かつて至高の存在であった四十一人も、今やたった二人に過ぎない。だが、こうして一人の友が戻ったのだ。他の者たちが戻ってこれぬと、どうしていえよう? ――この瞬間より、ナザリックは再生するのだ」
モモンガは守護者たちを見下ろして、威圧するように呼び掛ける。
「よもや、我が友ウォン・ライを疑う者はおるまいな?」
逆らう者などいないと、わかっていて、言った。これは儀式である。これは儀礼的なやりとりで、実行することに意味がある。
そして、モモンガの予想通りに反対など出なかった。これでようやく、きちんとした行動がとれると、二人は安堵する。
「ならば良し。これよりナザリックは、未知の領域に進出する。困難ではあるだろう。危機も想定される。だが、私は皆の協力があれば、それを乗り越えられると信ずる」
モモンガは玉座を立って、歩き出し、守護者たちの前に出でて、大仰に腕を振り上げ、振り払った。
「ゆえに守護者たちよ。我が愛するナザリックの者たちよ。――励め。得られる宝物一点、領地一寸、それら一つ一つが我らの生きた証であり、誇りとなるのだ」
さらに付け加えるように、モモンガは言葉をつづける。
「これより、アインズ・ウール・ゴウンは異世界の大地に立つ。ゆめゆめ警戒を怠るな。連絡を密にせよ。――油断は許さぬ。ナザリックは我が領地である。そこに住まう者たちは我が宝である。お前たちが傷つけば、それだけ私の心も傷つくのだということを、忘れることのないように」
言うべきことは全て言った、とばかりに、モモンガはそこで話を切り上げた。
ウォン・ライは察して、締めの言葉を吐く。
「モモンガ殿の意思は示された。……行動の時である。各自、日常の業務に戻れ。情報収集は一旦、時を置く。私か、モモンガ殿が直接出向く必要があるからだ。――もちろん、供の者を選出する。その人選が済み次第、連絡を入れよう。それまで、いつでも表に出られるよう準備せよ」
これで、皆を解散させた。これで、残るのはモモンガとウォン・ライのみである。
「……どうでしょう。上手く演出できたと思いますか?」
「完璧ですな。文句のつけようのない態度でした。まこと、モモンガ殿は支配者としての風格を身につけておられる」
「よしてくださいよ。いわゆる、魔王ロールプレイをそれらしく演じたにすぎません」
「そうですな。――しかし、結果を見ましょう。我々はこの現実に適応しつつある。未知の脅威を前に、なんとか戦い抜こうとしている。この現状を、ロールプレイで乗り切れるのであれば、それはもはや本物、というほかない。私はそう思います」
モモンガの演技――本人がそう主張する――ところによれば、これまで見聞きしてきた大物らしい態度と言葉遣いを心掛けただけ、という。
謙遜しているわけではない、とウォン・ライは理解する。彼は素のままではいけないと思い、相応の役柄を演じているつもりなのだろう。
今はそれでよい……としても、長時間続けば本人は疲れてしまう。なら、身を休める
「それでも、自分は自分です。それ以上のものになんて、なれない。理想的な支配者なんて、ガラじゃない。私は――『俺』は、ただの営業マンに過ぎないんですよ……」
「そうでしょうとも。モモンガさん。貴方は、それでいい」
ウォン・ライは知っていた。今はただ、肯定すること。ありのままの自分を保証することが、なによりの薬であると。
言葉は大切に使うべきだが、今回に限っては、くどいほど強調するのが良い。何しろ、ゲームが現実になるかのような、異常事態である。己の存在、自分の精神に不安を持つのは当然で、それをぬぐい去るには、繰り返し強く言葉を用いるべきだった。
「なるほど、貴方の本質は支配者ではないかもしれない。だが、それはそこまで重要なことだろうか?」
「……ギルドマスターとしての私を求めた貴方が、それを言いますか。矛盾してません?」
「矛盾は人の性ですよ。誰も彼も、完璧に首尾一貫とした行動を取れたなら、それは人間とは言えません。揺れ動くから、人です。かえりみて成長できるから、人なのです」
モモンガはプレイヤーとしてはかなりの力量を持っており、それは誇ってよいことだ。この点に関しては、当人も自覚して自負してはいる。
だが現実として、モモンガはただの一般人。ゲームでの実績が現実において、どれほどの優位性を保証してくれるだろう。現実の比重を重く見るがゆえに、モモンガは自信を持つことができない。
「詭弁にしか聞こえませんが」
「おや、ばれましたか。……実際、調子のいいことを言っておかねば、耐えられぬのですよ。これで結構、衝撃が大きかったもので」
ウォン・ライの弱みを、モモンガは初めて見た気がした。
モモンガは意外に思いつつも、内心を問う。
「俺の本質が支配者でなくとも、重要ではない。そう言われましたが、どうしてです? ナザリックを率いるなら、相応の威厳があった方がいいでしょう。有能な為政者であった方が、理想的でしょう。俺にはわかりません」
「モモンガという人が、そこにいること。肝心な要は、それだけだという話です」
モモンガの顔が生身なら、若干驚いた顔を見せていただろう。
理解半分、不可解半分、という表情で。
「モモンガさんだから、皆が納得した。そういう貴方だから、皆に認められた。これは、純然たる事実です。まさか、アインズ・ウール・ゴウンの輝かしい日々を否定するほど、やけになってはいないでしょう?」
「まさか! でも、それは――」
「その程度のこと、ですよ。貴方の支配を受け入れぬのなら、それはナザリックの方が間違っているのです。あの楽しかった日々、栄光の軌跡を、どうして消し去ることができるでしょう。貴方が率いた四十一人は、貴方の下だからこそ団結して戦えた。同じ目標をもって、生き抜くことができた。……皆で喧嘩したこと。その後で仲直りして笑いあったこと。全て、私は覚えております」
モモンガは思い出していた。かつての記憶、過去の素晴らしき日々を。
そこには仲間がいた。大切な友たちだった。他に変えようがない、まぎれもない人生の一部であった。
「私たちの、アインズ・ウール・ゴウン。私たちの、ナザリック」
「そして、我らがギルドマスター、モモンガ殿。貴方は、ありのままでいい。たまには気取るのもよろしいがね。――どちらであろうと、貴方の自由。ここは貴方の庭であり、我らの家です。当たり前すぎて、意識するのを忘れていたのでしょうが、大丈夫。何も心配は、いりませんよ」
「でも、もし失敗したら、どうしたらいいんです。もし、それでナザリックが壊滅したら。私たちの生きた証が、消えてしまったら。俺に、そんな責任は負えません。人の上に立つことが、怖い。どうしようもなく、怖いんです。それは、俺にとっては知らないことだから」
未知を恐れるのは、人として正常なことである。
ウォン・ライは、あたたかな声で、モモンガに応えた。
「私が、おります」
再度、強調して、口調を強めて言った。
「ウォン・ライが、ここにおります」
自身に、忠誠を誓った男の声である。
モモンガは、ただ目の前にいる赤鬼の言葉に耳を傾けた。真摯な表情を見て、口をはさむことすら忘れる。
「不安とあらば、何度でも、申し上げましょう。あの時を共有した友が、ここに一人残っているのだと。孤独になどさせません。責任を分かち合い、喜びを分かち合う。モモンガさん、貴方を支えるために、私は生きよう。それが、私の存在理由なのです」
ウォン・ライは、かつて周大鸞であった。
その人物は、中華を動かし、国をまとめた。『中華の執事』『中国の良心』『甦った大儒』――異名は数ある。
その人物の残滓が、訴えかけるのだ。『彼を救え』と。
「頼りにしても、いいですか」
「もちろん」
「何度も悩みます。迷うでしょう。後悔だって、いくらでもすることになると思います」
「特別なことではありません。よくあることです」
「……俺は、鈴木悟という男は、ただの凡人です。学歴があるわけじゃない。仕事で褒められたこともない。教養もないし、とりえもない。自発的に努力したことと言えば、ユグドラシルに熱中してやりこんだことだけ。どうしようもない、普通の人間なんです」
モモンガの吐く言葉には、重みがあった。他者の評価は知らぬ。本音としての自己評価である。
それを、ウォン・ライは否定しない。だからどうした、と吹くのみ。
「普通の人間、結構なことではないですか。例えば、の話です。地方の役人、むしろ売りの男、農民の末っ子。これらは、特別な人間と言えるでしょうか?」
「……え? それは、別に、特別ではないでしょう。それが何か」
「その特別ではない、普通の人間が――。きっと、貴方よりよほど不真面目で、卑しい性格の男どもが、皇帝になった例がある。中国には、そうした歴史があります。生まれや育ちなど、大した差ではないのですよ。本人の徳というものは、そんな世俗の価値観とは別のところにあります」
重要なのは、天に愛されているか、否か。一種の宗教的思想ともいえる基準であるが、それを大真面目に突き詰めれば、本人の人徳。君主としての器、その完成度に帰する。
自覚していれば、実務能力はなくても構わない。この点は、あればあったで弊害も招く。むしろ、付き従うものをいかに納得させるかが重要だった。
この人を放っておけないと感じ、助けてあげたいと思う。傍にいると楽しいと感じ、もっと頑張ろうと励む。それが君主の徳の本質であり、器としての意味である。
モモンガという名の器は、大規模な建造物と付属物を盛ったうえで、多数の人間を乗せて、なお余っていた。少なくとも、ウォン・ライにはそう見えた。
「よく、わかりません。俺は、自分が普通の人間であることを知っています。徳とか、意識したことはありません」
「乱世に揉まれねば、開花せぬ才能だったのでしょう。現代日本では、持て余して当然です。……しかし、ここは全くの別世界。今まで閉じていた才覚を、現実に花咲かせる機会を得た。そう思えばよろしい」
彼は大器である。自覚がないだけだ。器自身は、己の大きさを理解せぬもの。大きさを測れないからこそ、大器と呼ばれる。
放っておけば、自覚を持たぬがゆえに粗雑な扱いをされ、欠けたりヒビが入ったりするだろう。それを許しては、己の沽券にかかわる、とウォン・ライは思った。
「まあ――なんですね。ぐだぐだと思い悩むより、行動ですか」
「まさに」
「不安を感じても、動くほかない。わかっていたことです。一人なら無理なことでも、皆となら――どうにでも、できる」
「昔を思い出しますな。我らも、昔は弱かった」
「PKされたことを思い出しますよ。そうだ。あの頃は、若かった」
「その頃と比べれば、状況はいくらかマシですな。久々に、若返ってみますか?」
モモンガは苦笑した。ナザリックの外に、どれほどの危険が待ち構えているか、わからないのに、である。
外には、己を一撃で殺せる脅威があるかもしれない。ナザリックごと葬る手段が、どこかに転がっているかもしれない。なのに、モモンガの心は軽かった。
自分の傍に、自分を理解してくれる人がいる。認めて、励ましてくれる人がいる。それが、どんなに心強いか、彼はようやく自覚した。
「無謀になれる歳ではありませんよ。事はクレバーに。かつ慎重に行わなければ」
「敵を知り、己を知れば、百戦しても危うくない。しかし、百戦百勝は善の善なる物にあらず、ですな」
「ええと、確か孫子でしたっけ。なんか解説書で見た覚えがあるような。……まあ、理想論ですね。戦わずして勝つ、というのは」
「しかし、理想的な勝利が得られるなら、それが最善である――というのも、また真理。常に暴力が必要とされるとは限りませんが、世界は争い事で満ちているもの。心構えだけでも、しておくにこしたことはありません」
そういえば、とモモンガは思う。この世界で生きていくなら、生きる理由を作らねばならない。己は何をなすべきなのか。情報収集を行いながらでも、考えねばなるまい。
「そうですね。究極的には、それを目指しましょう。情報を得たら、目的を考えねばなりません。その目的は、戦わずに得られるものの方が、都合がいいとは思っています」
モモンガには、情報と考える時間が必要だった。出来れば、思索の方に比重を傾けたいというのが本音である。何しろ、考慮すべきことが山ほどありそうだったから。
「さしあたっては、ナザリック内部の確認、アイテムの動作確認と、スキルを試してそれぞれの出力を比較して――ああ、自分を知ることだけでも大変です」
「付き合いましょう。私も、それは知らねばならぬことですから」
ゲームの中だけの付き合いだったはずが、もう二人は人生を共にする伴侶のようであった。
水と魚の交わり。饅頭とタレでもよい。ともかく、彼らはお互いの人生と価値を保証し合うような、色濃い関係へと変化していた。
あの日付が変わる瞬間に起こった出来事は、それだけの変化を二人の元人間に及ぼしていたし、この世界の変革への第一歩だったといえる。
「ああ、そうだ。これからは、お互いにざっくばらんといきましょう」
「隠し事をせず、心を割って話し合う、という意味の日本語でしたか?」
「そうですね。ですから――ウォン・ライ。二人だけの時は、敬語もなしだ。俺も遠慮しない。だから、貴方もそうしてくれ」
これは一時の気の迷いなのか。精神的疲労が、思考のエアポケットを生じさせた結果、とみることも出来よう。だから、相手がちょっとでも鈍い反応を返してきたら、モモンガは即座に撤回したに違いない。
だが、ウォン・ライはそうしなかった。鋭く切り返して、望む反応を返す。
「では、そうしよう。モモンガ、これでいいか?」
「それでいい。じゃ、行こうか。とりあえず、地表まで散歩するのも悪くないだろう」
モモンガが対等な立場で、同格の友を望んでいたのは明らかである。彼にとって補佐、というものは、対等な人間関係で成立するもので、上下関係は問わないものであった。
会社では底辺であり、使われる立場だった彼は、仕事上まともな補助を受けたことがない。
NPCは別だが、ゲームの中では誰もが同格で、自由意思で助け合うものだ。
よって、堅苦しい上下関係で、ウォン・ライに補助を要求するのは――どうにも強要して搾取するような気持ちになりそうで、据わりが悪いのである。慣れれば別であろうが、今の彼は小市民。己の小心を理解してもいる。
「お出かけですか? 近衛の準備は、整っております」
玉座の間を出ると、メイドに声を掛けられる。彼女としては、それが礼であるとわきまえているのだろう。
モモンガは、主としてこれに相応しい態度を取らねばならない。
「……ナザリックを散歩するだけだ。儀仗兵はいらん」
「では、メイドを」
「よい。構うな」
ぞろぞろと大勢に付きまとわれるのは、なんとも形容しがたい気分になる。一人だけだったならともかく、ウォン・ライが共にいる現状、必要もないのに王侯貴族の真似はしたくない。
「それでは、何かあったときに、盾になれません。どうか、ご寛恕を」
「一人ではない。ウォン・ライがいる。心配は無用だ」
そのうち雰囲気に流されてしまうかもしれないが、とりあえず、今は率直に拒否したい気分だった。
それで、モモンガの気持ちを理解したのか。メイドの方もあえてそれ以上は、主張しなかった。
「……失礼しました。いってらっしゃいませ、モモンガ様」
緊張が続いていたから、彼としてはリフレッシュしたいところである。休憩をかねた散歩にするつもりだった。
だから、ウォン・ライがモモンガの申し出を素直に受けてくれたのは、本当にありがたいことだった。何しろ、素の自分を許してくれる。どんな反応をしても、見捨てられたりしないと、信じられるのだ。
「いっそ、外まで出てみようか。外の空気を吸えば、気分も和らぐだろう」
「その体で、呼吸が必要なのかね?」
「……それを言ってくれるな。気持ち的なものだ。良いだろ? 別に」
「構わない。私もナザリックの外には興味がある」
友人づきあいというものは、これで正しいのだろうか。ふと、モモンガは思った。
だが、すぐにどうでもいいか、と思い直した。自分の状況は、他の誰と比べても異質なものに違いないのだ。
だから、生のままに彼と接した。それは実際、意外なほどの安定を、モモンガの心に与えてくれた。