ナザリックの赤鬼   作:西次

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第十五章 棍棒外交・前編

 始まりは、リザードマンの村落をアウラが見つけたことだった。新しい種族の発見は、好奇心を強く刺激する。自然、その対応はと言えば、強者が弱者に対する様なものになりがちである。

 

「死体のサンプルや実験動物として、ある程度の数は確保しておきたいと考えます。いかがでしょう? モモンガ様」

「実験動物、か」

「殺すだけ殺して、死体だけ回収しても使い道はありますが。視点を変えてみれば、生かして利用するのも手ではあるでしょう。人体実験はもとより、繁殖や統治の実験なども、後々のことを考えれば有益ではないかと。もちろん、必要なのは数であって、共同体そのものではありません。――必要とあらば、群れそのものは潰して構わないと考えます」

「ふむ。十数体ばかり確保して、適当な場所に移住させ、家畜のように管理する。なるほど、一考に値しよう」

 

 アウラからの報告を元に、アルベドはモモンガにそう伝えた。彼女なりの見解も述べてくれたが、そこにはある前提が抜け落ちている。

 

「しかし、リザードマンの能力について、完全に判明しているわけではない。そうだな?」

「はい。とはいえ現状、脅威と見るべき要素もまた、確認されておりません。ですので、一戦して力をはかるという手は、いかがでございましょう」

 

 アルベドの言葉に違いはあるまい。しかし脅威ではないというが、それも現時点でのこと。種族としての発展性、成長性はまた別の話である。

 だからこそ一戦すべきであると。そうして見極めるべきなのだと言われれば、素直に賛同できた。

 

「それはいいな。戦いの中で相手の価値を見極める、ということか」

「はい。結果としてリザードマンは、単独ではこの世界において強者足りえない。そうした結論が出るようであれば、我々が積極的に関与して、その処遇を検討すべきです。群れごと従属させるか、潰して牧場を作るか。いずれにしろ、主導権を握るのはナザリックであるべきでしょう」

 

 アルベドは暗い笑みを浮かべた。彼女の中で、勝利は確定したものなのだろう。そして、その後のリザードマンどもをいかに料理するか、想像の中で楽しんでいるのか。

 モモンガとしては、彼女の嗜好を一概には否定できぬ。半端に関わるよりは、いっそ取り込んで保護するのもいい。

 もちろん、やり方にはいろいろとあるだろう。結果さえ伴うのであれば、恐怖と暴力で支配するのも、寛容と利益で懐かせるのも、モモンガにとっては同じことである。

 

――興味はある。情報収集のための実験材料は、現状足りていないのも確か。カルネ村で得た捕虜の連中は使い道があるし、容易に使いつぶせない。手軽に消費できる資源が得られるなら、これは渡りに船だ。

 

 モモンガは、何事も慎重に事を進めたがる傾向にある。だがそれは、油断することの恐ろしさを知っているからで、リスク自体を恐れているのではない。

 戦いの決断そのものは、彼は支持した。アルベドが示した線で、進めて良かろうと考える。

 ただし鵜呑みにはせず、自身の見解も同時に述べた。

 

「……悪くない。が、どうせなら敵を計ると同時に、こちらの戦力も同時に計りたいものだ」

「と、申されますと?」

「リザードマンは、戦う術を持っている。数があれば、軍隊の真似事も出来よう。村落は人間の街からも遠く離れているようだし、ここいらで集団戦――合戦の経験を積むのもいい」

「守護者であれば、おそらく単独で陥落させられるものと思いますが」

「いや……せっかくだ。弱いアンデッドの軍勢を、そうだな。相手方の三倍程度を用意しよう。それを守護者がいかに運用するか、じっくりと見てみたい」

 

 相手方の三倍、と言ったのは、兵力に余裕を持たせることで、行動の幅を広げさせるためだ。数が多ければ、取れる手段も広がる。事前工作をするなら人出はいるし、伏兵に用いても、決戦時の予備兵力として扱うのもいい。

 モモンガは、軍政の采配を守護者の誰かに任せるつもりでいる。いつもいつも、己ばかりが出張っていては部下の成長もない。自分はそこそこ経験を積んできたのだし、そろそろ出番待ちの守護者たちにも、外の業務を任せるべきではないか。

 結果が成功であれ失敗であれ、得るものはあるはずだ。そしてそこから何を学び、どのように成長していくか、それを知りたかった。

 

――誰を行かせるにしろ、結果以上に過程が重要だ。たとえ失敗しても、本人の努力はきちんと認めてやらないとな。

 

 三倍の戦力があれば、実に多くのことができる。敵の選択肢を削ることも、行動を縛ることも。

 己であれば、どうするか。その点も比較して評価すれば、より深く理解することが出来よう。

 守護者と言えど、モモンガにとってはまだまだ付き合いの浅い相手。人格を認めたのもつい最近の話で、資質まで見定めるとなると、多くの材料が必要となる。

 モモンガは彼らの主として、なるべく深く彼らを理解したいと思うのだ。戦い方には、性格がよくあらわれる。嗜好はもとより、基準とする考え方も知れる。一戦した後、反省することがあればそのやり方で、その人物の性質もわかるものだ。

 モモンガは経験上、そうした分析にも一家言がある。これくらいなら、ユグドラシルの延長線上として、的確に判断できる自信があった。

 

「荒事ならばコキュートスが適任か? ……とはいえ、アウラが見つけたのだから、当人に功を立てさせてやるのも手ではある」

「アウラは対象を発見して、我々に未知を示しました。ですが、この世界に来てから、コキュートスはこれといった功を立てておりません。ここで一働きさせてやるのも、思いやりというものではないでしょうか」

「……それも、道理か。まあ、人選は後で改めて考えるとして、もろもろの報告を聞いておきたい。カルネ村に移住した、バレアレ家についてはどうか。きちんと監視は行き届いているか?」

「それは問題なく。冒険者としてのモモンガ様が、十分に気にかけておられますし、村の住人ということで、ウォン・ライ様もよく様子を見に行かれています。村に対する感情も上々で、定住に不満がある感じではありませんね」

 

 ならばよかったと、モモンガは胸をなでおろした。強制したつもりはないから、二人には拒否権があった。それを快く受け入れてくれた相手なのだから、相応の敬意を払わねばなるまい。

 

「もし村に危険がせまったら、最優先で保護するように。優先順位はンフィーレアが一番、祖母の方は二番目だ。これは、将来性を考えてのことと思ってほしい」

「わかりました。――前に助けていた、娘たちについてはいかがでしょう」

「ああ、それがあったか。……三番目以降に据えるとしよう。せっかく助けたのだ。出来るなら、人生を全うさせてやりたいからな」

 

 アルベドは、それを愛玩動物に対する情と解した。感情はもはや乱れることはなく、諸事についての報告を残らず済ませる。

 

「シャルティアへの罰について、ですが」

「どうしても決めねばならんか」

「はい。何より本人が望んでおります。半端な対応は、よろしくありません」

 

 モモンガが許しても、彼女自身がそれを受け止められない。罰さないのは、かえって酷だとアルベドは言う。

 

「彼女自身、強く反省しているところです。ここで罰をあたえることで、ようやく心理的な再出発ができるというもの。どうか、ご再考ください」

「わかった。とはいえ、すぐに思いつくものでもない。処罰は――うむ。追って、伝えよう」

 

 悩ましいものだ、とモモンガは一人ため息を吐いた。NPCが魂を持てば、ギルドの運営もひどく重く感じられる。

 この重荷に慣れる日など、やってくるのだろうか。意思のある、確かな命を背負っているという自覚を持ってしまったからには、手は抜けない。

 

――友人の子供たちに等しい。そう思っているから、守ってやりたいし、尊重してやりたいと思う。

 

 実感を得るまで、時間が掛かってしまったのは、無理なからぬことだ。意思を持ったNPCの存在など、かつては意識する方が難しかったのだから仕方ないと、そういう意味では言い訳がきく。

 だが、これからは違うのだ。ナザリックの全てを身内として扱うことに、今さら躊躇は覚えない。なればこそ、分かり合うための努力をしようと思う。

 

――付け加えるなら、皆が安心して暮らせるよう、安定した環境づくりも考えていかねばならない。すると、外界との関りが何よりも重要になってくる。

 

 今回の件も、外界との関りという意味では決して小さなことではない。リザードマンは、間違いなくこの世界固有の文化をもった存在である。

 ナザリックがこれをいかに扱うかは、一種の外交問題と言って良い。初手が荒事になってしまうのは、どうしようもないことだろうか。今さらだが、リザードマンを穏やかに併合する道を、模索してもいいのではないか。

 アルベドの提案にケチをつけるのではなく、最善が何であるか考え続けるのは、決して悪いことではあるまい。

 

――攻めることが、間違いだとは思わないが。安易な方向に寄ってはいないか? 本当に、この手が正しいのか。……まったく、考えるのが面倒だと、思考を投げ捨ててしまえるならば、どれだけ楽やら。

 

 この世界で得られた、世界地図を取り出して広げてみせる。これだけを見るならば、なんとちっぽけな世界であることだろう。だが、この世には多くの空白があり、人間が理解している範囲は、あまりにも小さすぎる。モモンガは、そう思わずにはいられない。

 

「よし」

 

 リザードマンたちがいる村落を、地図に書き入れた。かつて存在した集落になるとしたら、これは無駄な行為になってしまう。なら、なるべくそのままの状態で、生かして使うべきなのか。

 

――全滅が目的ではない。なるべく大きな利益を得ることが目的だ。根絶やしが最大利益になるのなら、そうしてもいい。そして、生かして使った方が得になるとしたら、そうすることに異論はないさ。

 

 モモンガには、まだいくらかの精神的な余裕がある。ひとつの結論に固執して、視野を広げることを忘れるほど、焦ってもいなかった。

 この世にはさまざまな種族があり、国家がある。価値観も違えば文化も違うのだから、誤解も反発もあって当然だろう。さりとて常に衝突するとは限らず、穏便に結ぶ道がないとは言えぬ。取れる手段は、多くあるべし。

 シャルティアに仕掛けた勢力がどこかにあるはずだから、そちらとは争わずにはおれまいが……リザードマンは、流石に違うだろう。固定観念に近いが、そこまで強力な種族とは思われない。

 

「頭を使うことが多くて困る。今は大丈夫だが、精神的に疲れてしまうな、これでは」

「リザードマンの件に関しては、延期なされても不都合はありません。ゆっくりと考えられるのも、よろしいかと存じます」

「気遣いはありがたいが、今はとにかく動いておきたい。慌てるのが良くないのは、確かだが……なんというか。余裕があるうちに、仕事を片付けておきたい気分でな」

 

 急げるうちに急いだほうが、後で楽ができるというもの。ともかく、今が時間の使いどころである。スケジュールは詰められるうちに詰めておくものだ。

 

――対話に時間を取るのも、今のうちだな。

 

 人選も即座には決めなかったことだし、コキュートスやアウラらと、面談するのも悪くはないか、とモモンガは思う。

 いやしかし、ギルドマスターというものは、色々な意味で重労働である。気晴らしがなくては、到底やってられないだろう。冒険者家業は、そういう意味でも役立っている。

 しかし、ウォン・ライはどうなのだろうと、ふと思う。彼は彼なりに重い役割があり、その責任を正しく理解しているはずだ。

 それを、どう向き合っているのか、なんとなく気になった。彼ならば、いちいち思い煩うこともないのだろうか。

 後で会ったときにでも聞いてみるか――と、モモンガは他愛のない感想を抱くのであった。

 

 

 

 

 

 

 適当な雑談の後、モモンガとウォン・ライの二人は結論を出した。もともと、時間をかけるようなことではないと気づいたのである。

 

「――よし、やろう」

「モモンガ殿は、それでいいのか?」

「宿題をあとに残しても、後々苦労するだけだ。ならば即断即決、速やかに動きたい。――私は冒険者家業に精を出したいところであるし、ウォン・ライに出向いてもらいたいが」

 

 モモンガ自身、未知の種族を相手に上手に立ち回れるか自信がない。下手を打って、ギルドマスターとしての威厳を損なうようなことがあれば、それはナザリックの価値を貶めることにならないか。

 そうした不安が、モモンガを縛り付けている。だからこそ、ウォン・ライに頼った。

 

「もちろん引き受けよう。――大船に乗ったつもりでいてくれ」

 

 頼れば頼っただけ成果を出してくれる人として、モモンガは彼を認識している。彼の方もまた、モモンガの要請を快く受け入れた。

 

 ともかく、モモンガは決断したのである。実際、リザードマンへの対応は、早いに越したことはない。

 即宣戦布告、という手も考えたが……モモンガは、近代国家の住人だ。外交の一手として、まずは挨拶から始めるのが筋だろうと考えた。

 

 

 

 ウォン・ライは、すでに使者として出立し、現地に向かっている。カルネ村での仕事は、すでに急を要するものなどない。十日やそこら、目を離した程度でどうにかなるほど、村民たちもヤワではなかろうと、彼自身理解している。

 

――だからこそ、こうして使者を引き受けたのだ。

 

 見るべきものを見て、やるべきことはやったという自負がある。ウォン・ライは老練な政治家でもあるから、村の運営に関して下手は打たなかった。

 だが、ある程度の価値観を共有できる人間とは違い、リザードマンは全く別の種族である。外交に関しては、慎重な行動が求められる。

 今それを行うならば、己のほかにはないと、彼は正しく認識していた。色々な意味で、守護者たちは外界に慣れていない。過剰反応されては、話がどこに転がっていくか予想がつくまい。

 だから、ウォン・ライは頼られたことが嬉しかったし、その期待に応えたいとも思う。

 

「さて」

 

 ウォン・ライは考えていた。使者であるならば、礼儀はわきまえねばならぬ。しかし、リザードマンの流儀については、流石に調べる時間がなかった。

 それゆえ、一般的な礼儀に則ることにする。つまり窓口を探して接触し、指導者へ話を通す。そこから先の行動は、相手の出方を見てからだ。すぐに話を聞きたいというなら出向くし、日にちを改めたいというなら引き下がるのが良いだろう。

 いきなり顔を見せに行って、驚かれるのもよろしくないから、窓口となった人物に書状を預け、村落の外で待機するのが無難か。

 書状は、モモンガ直筆のものを用意している。組織の長が自ら骨を折った、という事実を見せておくことが、効果的なこともあろう。細かなところで、相手を尊重する態度を見せるのが、外交の手管というものだ。

 

――出会い頭にきついハッタリをかましては、態度を硬化させかねない。あいさつ代わりの交渉術は、使いどころを考えねばならん。

 

 故郷のやり方をぶしつけに持ち出すほど、ウォン・ライは傲慢ではない。中華式交渉術(シャマウイ)は、他民族に対して、良くも悪くも強烈に響く。初手で横っ面を叩く様なやり方は、礼を失しよう。

 だから最初は舐められても良いから、穏やかに接しようと、彼は判断した。

 

――相手が傲慢に振る舞って、話がまとまらなかったとしても、それはそれで一つの成果だろう。どんな形でもよいから、何かしらの結果を持ち帰るのが大事だ。

 

 へりくだるばかりでは、辱めを受けかねないのが交渉の場である。毅然とした態度を崩すつもりはなかった。礼とは、卑屈になることではないのだ。

 リザードマンは、外界からの客をいかに遇する文化なのであろうか。すべてはそれにかかっているといってよい。

 百聞は一見に如かず。まずはぶつかってみることだ。こちらが物騒な事を図っているのは確かだが、利益を得る方法は一つではない。モモンガの意向を察している彼は、この点をはき違えたりはせぬ。

 

「……何者だ。ここから先は、われらの縄張りだぞ」

「失礼いたしました。私はナザリック地下大墳墓から参りました、ウォン・ライと申します。どうぞ、お見知りおきを」

 

 窓口となりそうな相手には、見当をつけている。もとより、閻魔王(ヤムラージ)の索敵能力から逃れられる存在など、近場には全くいないのだから、容易なこと。

 わざわざ発見されやすいよう、隠ぺいの技能を使わず、赤鬼としての姿で村落近くまで歩く。それだけで、相手の方から見つけてくれるという寸法である。

 ウォン・ライは、接触してきたリザードマンと向かい合うと、腰を折って一礼した。

 

「非礼をお許し願いたい。――ただ、リザードマンの部族と、話し合いたいことがありまして。事前に何かしらお伝えできればよかったのですが、これまで何の接点もなかった相手ゆえ、自らここまで出向いて参りました」

「話し合い? 目的はなんだ」

「詳しくは、主がしたためた書状がございます。これをご覧ください」

 

 そう言って、ウォン・ライはそのリザードマンに書状を渡した。あくまで自らがへりくだるように、慎重に振る舞いながら。

 

「勝手ながら、お返事がいただけるまで、近くに滞在したいと考えております。お許し願えましょうか?」

「あ、ああ。……こちらこそ申し遅れたが、俺の名はザリュース・シャシャという。書状は間違いなく族長に渡しておく。返事は確約できないが、外からのお客人は珍しい。俺のあばら家で良ければ、歓待させていただこう」

 

 助かります、と一言言って、再度一礼。ウォン・ライは穏やかな声と態度で謝意を示した。それが、相手にとっては慣れぬ対応であったらしい。

 

「……そこまで畏まらなくてもいい。敬語もいらんぞ。どこのどのような種族かは知らないが、貴方は相当強いのだろう。体格は立派だし、雰囲気もある。強者には敬意を示すのが、俺の流儀だ」

「そうですか。……いや、お言葉に甘えるのは、返事をいただいてからにいたしましょう。私は主命によって来ているのですから、それが終わるまでは使命に殉じなくてはなりません」

 

 それが、われらの礼にございますれば――。

 ウォン・ライが付け加えた言葉を、そのリザードマンは重く受け止めたらしい。ならばと、彼の方もあえてそれ以上は言わなかった。

 お互いに、異文化であることをわきまえている。礼儀一つとっても、それぞれに違う。相手と分かり合う気があるのか、否か。まずは確かめ合う段階だと、両者は考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ザリュースは、ウォン・ライを自宅に留め置いてから、書状を届けに行った。

 

――なるべく早く、返事を返してやりたいとは思うが。

 

 自宅にはもてなしの準備など整えていなかったので、まともな歓待などできなかったが、彼から不満そうな雰囲気は感じ取れなかった。ただ、体格が大柄なので、いささか窮屈な思いをさせているかもしれない

 何より、相手は部外者である。不慣れな環境に、長く留め置くのも悪いだろう。

 書状の中身はあらためていないが、兄のシャースーリューが、今目を通している。どうにも困惑している様子で、頭を傾げたり顎に手を当てたり、難しそうに考えていた。

 

「この書状を持ってきたのは、どのような奴だった?」

「大柄の、赤い肌をした人型の種族だ。体格は俺より二回り以上は大きい。人間というには、いささか立派過ぎる気がするから、まったく別の種族だろうと思う」

「相手が人間ではなく、見たこともない種族とすると、近場から出向いてきたわけでもなさそうだが。……悩ましいな。この村落に、それほど意味のある宝があるはずもない。なのに、わざわざここまで出張っている。うーむ」

 

 書状から何を感じ取ったのか、ザリュースにはわからない。自分が運んできた縁でもあるし、率直に聞いてみたほうがいいだろう。

 

「どんな内容なんだ?」

「……いや、それがな。読めんのだ」

「なんだって?」

「本当だ。俺は学はそれほどない身だが、人間が一般的に使う文字くらいは、何とか読めるつもりだ。だが、この書状は未知の文字を使っているようで、まるで読めん」

 

 兄の手から、ザリュースへと書状が渡される。彼は村を出て旅をした際に、様々な所に触れている。だから兄よりは書を読み解く力を持っているのだが――。

 

「なるほど、確かに読めないな」

「だろう? ……これはどう対応したものか、難しいぞ。持ってきた者は、それなりの身分に見えたか?」

「ああ。礼儀正しい、高い教育を受けた男に見えた。大きく、強い力を感じさせる体格だが、いちいち所作に粗暴さがない。自らを律する術に長けているんだろう。……すると、無視して追い返すのも上手くないと思う」

「無礼を働いて、報復に攻められるというのも馬鹿らしい話だ。――で、そいつは本当に強いのか?」

「勘だが、疑問の余地なく強者だと思う。顔つき、体つきもそうだが、口から出る言葉にも力があった。一人でここまで出向いてきたのだから、胆もすわっている。舐めてかかっていい相手ではないな」

 

 シャースーリューは、弟を信頼している。だから、その人物の鑑定についても、全面的に信じることにした。

 

「強者か。それほどの人物が持ち込んできた書状。おそらく、厄介な話になるな。……すぐに返事をするべきか」

 

 相応の教育を受けた人物が、使者としてきたということは。その後ろにある組織は、きちんとした教育を可能とするだけの大きさがあるということ。

 下手に機嫌を損ねて、その組織が武力で迫ってきたら、どういうことになるか。もし万が一、それで村人たちに被害が出たなら、族長として責任を取らねばならない。

 

「よし。その、使者殿に会いに行こう」

「いいのか?」

「書状が読めない以上、意図を聞きに行くのは当然のことだろう。あちらは、あちらなりに礼儀を示したのだから、今度はこちらから示さねばならん」

「……そうだな。ならば、俺も同席していいか? 気になって仕方がない」

「好きにしろ。では、早速出向くぞ」

 

 シャースーリューは、腰を上げた。弟の家まで少し出かけてくると、それだけ妻に声を掛けて向かう。

 読めない書状を持ってきた男に、両者の興味は集中していた。だからザリュースの家についた時、その男が静かに椅子に座っている様を見て、少しだけ驚いた。

 

「……すまない。あの赤い肌の大男殿は、どちらに?」

「ああ、これは失礼しました。あの大きいばかりの図体では、いささか迷惑をかけると思いましたので。人化の術を用いて、人間としての姿になっております。どちらもウォン・ライであることには変わりませぬので、どうかお気になさらないでください」

 

 姿が変わっている。まずそのことに驚いたが、良く聞けば声は同じである。なにより容姿は違えど、同一人物と言われれば、素直に納得できるだけの雰囲気があった。

 ザリュースとしても、窮屈そうに椅子に座らせるよりは、対等の目線で話ができる方がいい。気にするなと言われれば、そうしようと思う。

 

「そうか。気を使わせてしまって済まない。――ウォン・ライ殿、族長をここまで連れてきている。書状の件で聞きたいことがあるそうだ」

 

 ザリュースは、ウォン・ライに兄を紹介する。彼は、ウォン・ライと向かい合う席に座り、自己紹介をした。

 

「族長のシャースーリュー・シャシャという。よろしく頼む」

「お初にお目にかかります。ナザリック地下大墳墓より参りました、ウォン・ライと申します。こちらこそ、お目にかかれて光栄です」

「……うむ。書状は受け取った。いや、目を通してはみたのだが、どうにもよくわからないのでな。真意を問いに来たのだ」

 

 素直に、読めなかったから読み上げてくれ、とシャースーリューは言わなかった。

 恥じたのではない。相手の出方を見るためである。読めないとわかっている書状を、わざわざ持ってきたのか。あるいは、こちらがあれを読めないなど、考えもしていないのか。

 それを図るために、問い方を変えたのである。

 肉体的な強さこそが重要な族長であれど、それくらいの腹芸はできて当たり前だった。

 

「真意、と申されますと?」

「リザードマンは、他の文明圏からは離れている。他国の文字で他国の文化を語られても、理解に齟齬が生まれかねない。だから、直接出向いて問いたくもなる。――わかるだろう?」

「――はい。そういうことであれば、否やはありません。正確に伝えるために、改めて申し上げましょう」

 

 何気にシャースーリューは、書状を読めなかったことを示唆した。知ったかぶりをしているようで、しかし明確に書状を読んで理解した、とは言わない。後でフォローできる範囲内で、上位者としてのメンツを保っている。

 もちろん、重要なのはメンツを保つことではない。族長のメンツ、というものに対して、相手がどこまでの敬意を払えるのか。それを試したのである。

 

――俺などには、到底できる芸当ではない。

 

 こういう場面を見るたびに、ザリュースなどは『俺は族長には向いていない』と思うのだ。

 

「ナザリックは、リザードマンとの交流を望んでいます。貴方がたに異存がないのであれば、我々の間に友誼を結んでほしいと我が主は願っています」

「……友誼、とは? 悪いが、もっと明確に話してもらいたい」

 

 リザードマンには、交易を行えるほどの余裕がない。周囲に魅力的な土地があるわけでもない。

 なのにわざわざ出向いてきて友誼を結ぶとは、どういうことか。シャースーリューは、その真意を探るため、なるべく明確な言葉で表現してほしいと思う。

 

「ならば、改めて申し上げます。『闘争をもって、種族間の懸け橋としたい』……我が主は、もっと直接的な接触をお望みです。――書面と、我が言葉で示しましょう。リザードマンの村落と、ナザリック地下大墳墓の間で、模擬戦を行いたいのです」

 

 思いもよらぬ方向からの一突きである。模擬戦とは、シャースーリューはもとより、ザリュースも想定していなかった事態だ。

 まして、争うことが友好につながるなど、彼らにとっては理解しがたいことでもあった。

 

「模擬戦と一口に言うが、どこまでを線引きにする。戦死者が出るような戦いを、模擬戦と呼べるものか、どうか。何より、お互いを傷つけあって、友誼も何もないと思うが?」

「……そのあたりは、文化的な差異でしょう。模擬戦という表現が気に入らないのであれば、実戦形式の練兵とか共同演習とか、そのあたりの言葉にしても良いですが、本質は変わりません。そして軍隊の調練においては、死者が出るほど厳しくやることも、珍しくはないのですよ」

「そちらの常識は、こちらの非常識である。そうした認識を、俺たちと共有できるなどとは思わないことだ」

「我が主は、可能な限り大規模な交流を望んでおられる。模擬戦は、そのための手段と割り切っていただきたい。決して、悪意があるわけではないと、ご理解いただきたく思います」

 

 そんな馬鹿な話があるか、とシャースーリューは言い返したかった。だが、短絡的に感情をぶつけて良い相手でもないと、理解してもいた。

 

「そうか。失礼ながら、ウォン・ライ殿の故郷は物騒な所であるらしい。普通、友好を結ぶ際は、まず話し合いから始めるものだ。いきなり顔を突き合わせて殴り合おう、というのはいかがなものか」

「繰り返しますが、我が主の意志です。どう受け取ろうと結構ですが――あまり、深刻に考えないでいただきましょう」

「深刻にならずに済む要素が、どこにある?」

「安全面では、なるべく配慮するようにと仰せつかっておりまする。限定的ではありますが、蘇生の処置も考慮に入れましょう。そちらの集落が立ちいかなくなるほどには、追い詰めないこと。これは、確実にお約束いたします」

 

 蘇生の御業は、話に聞いたことがあるだけで、ザリュースもシャースーリューも実際に見たことはない。

 それが可能な相手となると、大変なことだ。悪感情を持たれたまま帰られては、あとでどのような災いになるか知れない。うかつなことを言って、失点を重ねるよりは、曖昧に濁して考える時間を捻出したいところである。

 

「……ありがたい話だが、さて、どうしたものか」

 

 受けるにせよ受けないにせよ、大事には違いなかった。族長とはいえ、一部族の長に過ぎぬシャースーリューは、周辺への影響も考えねばならない。

 

「この集落全体を巻き込んだ模擬戦ともなれば、周辺の部族たちへも、説明しなくてはならん。その話し合いのために時間を取りたいくらいなのだが――」

「事後で結構でしょう。確かに争いごとではありますが、半日もあれば終わることです。そこまで深刻にとらえることはありますまい。――つまり、後は貴方の判断次第と、そう考えておりますが?」

 

 シャースーリューは、背筋が寒くなる思いだった。ウォン・ライは、別に脅しているような雰囲気でしゃべってはいない。ただ、事実を指摘しているだけだと、ごく自然な語り口であった。

 戦えば、半日で終わる。その見積もりが立っている。これがまた、得体が知れず、恐ろしく思う。拒めばよりひどい結末が待っているような、そんな圧力を感じずにはいられなかった。

 そうしたシャースーリューの怯みを察したのかそうでないか。ともかく、ウォン・ライはさらに言葉を尽くした。

 

「ともあれ、模擬戦とはいえ闘争であるならば、暴力の結果としての死はありふれたものです。リザードマンは、違うのですか?」

「必ずしも違う、とは言わないが。――しかし、族長として。身内の死はなるべく少なくしたいという気持ちも、わかってもらいたい。全面戦争を望んでいるわけでは、ないのだろう?」

「それはそうです。ただ、こちらとしても、一戦もせずに貴方がたを信頼するのは難しい。ナザリックでは、力のあるものが尊敬を受ける。これからの交流を考えれば、最初は強くぶつかることも必要だと思うのですが――」

「そちらの意見はわかった。だが、それでも死者は出したくない。我々にとって、人的資源は貴重だ。特に戦士たちは、一朝一夕に生み出せるものではない」

 

 そういうことであれば――と、ウォン・ライは提案する。すでに書面の内容からは逸脱しているのだろうが、彼は丁寧に粘り強く接した。

 今は、緩やかになだめるべき場面。相手のメンツに配慮し、大きな対価を示すことで、たかぶった気持ちを和らげる。ここで気遣いを惜しんではならぬと、経験上彼は知っていたのだ。

 

「そちらに死者が出れば、賠償を行う、ということでいかがでしょう。相応のものを提供できる自信が、我々にはあります」

「――人は金銀を尊ぶらしいが、我々の間でそうしたものは、あまり意味をなさない。無意味とは言わないが、もっとわかりやすい賠償を保証してもらいたいな」

「出来うる限りのことは、させていただきます」

 

 その言葉を待っていたとばかりに、シャースーリューは言った。実際、ここで対価を得られるなら、可能な限りむしっておきたい場面であるから。

 未知の相手でも、交渉となれば遠慮なく押していく。彼がこの手の図太さを持っていたのは、リザードマンにとって幸運な事であったろう。

 

「知識がほしい。われらに活用できる学識と技術、その運用方法が確立するまで、人材と資金の提供をお願いしたい。それと戦死者が出た場合、こちらの戦力が回復するまで、代用の戦士をお貸し願いたいのだ。――リザードマンは決して貧弱な種族ではないが、戦に出して恥ずかしくない戦士ともなれば、相応に貴重なのだ。わかってくれるな?」

 

 シャースーリューの目から見て、ウォン・ライとやらは、やはり高度な教育を受けているように見えた。立ち振る舞いに隙が無い、というのもあるが、聞いた通り言葉に力がある。

 芯の通った、重い声だった。聞いていて誠実さを感じさせる声は、こうしたものなのだろうと思うし、その誠実さが怖くもあった。

 真実しか口にしない男が多弁であるのは、出来ることがそれだけ多い、ということでもあるから。

 

――あちらから望んで接触しておきながら、この応対。傲慢と思っても不思議はないはずだが、どうにも憎んでやろう、という気にならん。ウォン・ライか。不思議な男がいるものだ。

 

 多くの言葉を知り、多くの経験を積まねば、こうした雰囲気は出てこない。シャースーリューは、そこまで老いたつもりはないのだが、長老たちと施策で衝突し、腕力ではなく口舌で争った経験があった。だからこそ、多くを察することができたともいえるし、察しすぎたとみることもできる。

 

――この男はできる人物だ。その彼が保証をする、と答えるなら、期待してもいいだろう。

 

 これほどの人物が所属している組織である。学問の蓄積が、どれほどのものであるか。想像はつかないが、リザードマンよりは高度な技術を備えていると、期待したくなった。

 

「知識と技術、当面必要になる資金に人材。それさえそろえれば、部族の死者と釣り合いますか?」

「忘れてほしくないのは、こちらとて死者など出さずに済むなら、一人だって出したくないということだ。くどいようだが、強調させてもらおう」

「――ああ、なるほど」

 

 ずいぶんと吹っ掛けるものだと、ザリュースは思う。魚の養殖にさえ四苦八苦している現状、技術的な面での弱さを痛感しているのは、己よりも族長である兄の方かもしれない。

 さらに、戦力が減った分はそちらが補え、とまで迫っている。これが信用できない手合いなら、かえって危険ではあるのだが、今回の件ではどうだろう。本気で応じてくれるのなら、損のない取引と考えて良いのだろうか。

 兄がどこまで考えているのか、ザリュースにはわからない。

 

「わかりました」

 

 ウォン・ライは、意味ありげに微笑んだ。それがまた不気味でもあり、背筋に走る怖気は、果たして気のせいだと言って良いものか。

 

「族長殿の意思は理解しました。……ただ、流石に一人の死者も出さないような模擬戦は、想定しておりません。よって、そちらの要望には、完全には応えかねると申し上げます」

 

 どのような交流を結ぶにしろ、力関係は強い方が優位である。これは、その力量を埋めるための要求であり、得られる恩恵が大きければ大きいほど、相手方(ナザリック)にとって不利となる。

 知識を出し惜しみたいなら、こちらの申し出は不都合だろう。難色を示して当然だった。

 

「では、やめるか」

「それはそれで、惜しいことではありませんか。リザードマンは、武勇を貴ぶのでしょう? 我々とて、勇者を遇する道は知っております。そして、貴方がたも勇者の一人に違いないと、私は思っているのですから」

「世辞はいい。具体的な話がしたい。この場で決められぬというなら、持ち帰って検討してくれればいいが」

「いいえ。――私は、外交に関しての全権を任されています。今、ここで決めましょう」

 

 リザードマンの二人は、ウォン・ライのこの返答に面食らった。

 書状を携えた使者が、そのまま全権を担うなど、これも想定の範囲外だった。シャースーリューは、他の部族も交えて話し合う時間も欲していたのだが、今ここで決めるとなればそれも叶わぬ。

 

「そうですな。知識と技術、と一口に言っても色々とございます。リザードマンの主食は魚と聞いておりますので、魚の養殖の技術を提供いたしましょう。きちんと実用的に運用できるまで、面倒を見ると約束します。戦力の貸し出しについても、受け入れましょう」

「――ありがたい話だ。それは、模擬戦における被害に応じて提供されるものと、そう考えていいのかな?」

「結果次第では、それ以上のものを。たとえ死者が一人も出なかったとしても、今後の交流を通じて、技術の提供は行うと明言しておきます。――養殖については、既存の養殖場との兼ね合いもあるでしょうから、担当者を呼んで話し合わなければなりませんが」

「ならば問題ない。このザリュースが担当者だ。魚の養殖の技術に関しては、こいつに聞いてくれ」

 

 いきなり話を振られて、ザリュースは驚いたが、この兄にしてこの弟ありである。即座に対応して、あれこれと自身の見解を述べた。

 それをいちいち頷きながら、ウォン・ライは聞いていた。そして、曲がりなりにも専門家であるザリュースが絶句するほどの規模で、技術を提供しようと言い出す。

 

「――と、まあ、これくらいで不足はないかと思われますが、いかがでしょう」

「いかがも何も。……なあ兄者、俺にはどうも、拒むのが怖くなってきたのだが」

 

 ザリュースとて、物騒な話を好むものではないし、負傷者もなるべく少なければいいと思っている。

 だが拒絶して、一時の平穏を得たとしても――ウォン・ライが、他の部族へこの提案を持っていったらどうなるだろう。凄惨な争いになるのか、大きな利益が生まれるのか……いずれにせよ、他所に押し付けては、運を天に任せるようなものだろう。

 これでは、自分の目が届かない分、より恐ろしく感じられる。だとしたら、ここで自ら動いて、出来る限りの手を尽くした方が、最善なのではないか。ザリュースは、そのような気分になっていた。

 

「怖い、か。俺も同感だ」

 

 シャースーリューもまた、同じような不気味さを感じているから、弟の意見に同意する。ウォン・ライの話は、物騒ではあるが魅力的だ。いや、魅力的であると思わされてしまっている。

 同胞の命を天秤に乗せての交渉だというのに、まるで危機感を感じさせない話し方に聞こえる。

 

「まだ何か、懸念されることがあるなら、残らず話し合いましょう。私は、決して口を閉ざしたり、拒絶したりはしません。――私はあくまでも、ナザリックとリザードマンの友好のために、この場にいるのですから」

 

 そんなわけはない。相手は暴虐な悪人に決まっている、と思おうとしても、ウォン・ライの洗練された態度と言葉が、シャースーリューをなだめて落ち着かせるのだ。

 礼節をわきまえた強者が、ここまで厄介な相手だとは知らなかった。だが恐れるばかりではなく、族長として立ち向かう義務を、彼は背負っていた。

 

「話は理解した。しかし、あくまで模擬戦は模擬戦としての規模で行って、被害も適切な範囲で留めねばならん。そうでなくては、禍根を残すのではないか。そう思わないか? 使者殿」

「まさに。禍根を残してはなりません。――そればかりは、こちらも同意いたします。リザードマンの族長殿」

「俺は、この部族の長に過ぎない。別の群れには、別の長がいるものだ」

「だとしても、貴方の覚悟と意志は、種族の長を名乗るのに十分なものと考えます。でなければ、こうも『犠牲を前提とする話し合い』に応じるはずがない。そうではありませんか?」

 

 シャースーリューの雰囲気が変わった。兄の目つきが鋭くなるのを見て、ザリュースは驚いた。

 事のよれば、ここで仕掛けるつもりだと、そうした剣呑さを感じ取ったからだ。

 

「……どういう意味だ」

「同胞の死を受け入れて、こちらの譲歩を迫る。そうして得られる利益の大きさを想定して、話を進めてくださった。――これは、そういうことではありませんか?」

 

 個人の感情より、種としての利益を重んじる。

 私心を捨てて、公益を優先できる気質は、まさに統率者として十分な素質と言ってよい。だからこそ、ウォン・ライも尊重しようと言っているのだ。

 

「……使者殿。俺は別に、争いを求めているわけでも、犠牲を望んでいるわけでもない。何度もその意思を示したはずだし、わかってくれると思うが?」

「承知しております。『無益な』被害はごめん被る、と。――ご安心ください。我が主は、流した血に値するだけの褒美をもって、貴方がたを遇するでしょう」

 

 ザリュースにも、その発言の意図がわかった。

 ウォン・ライは自身の優位を確信している。上から目線の不遜さ、傲慢さがなくては、こうした言葉は出てこないはずだ。

 

――見下されている。言葉こそ巧妙だが、これからお前たちは我々に従属するのだ、と言っているに等しい!

 

 何より、彼は褒美、と言った。上から下に、施しを与えるつもりで、そう言ったに違いないのだ。

 これには流石のザリュースも隔意を感じざるを得なかったし、それは兄も同じ様子で、感情が口からこぼれるようであった。

 

「言ってくれるものだ。――いっそ滅ぼしておくべきだったと、後で悔いても知らんぞ。我々は、どんな敵であっても、一度殴られたからには、やられっぱなしではすまさんつもりだ」

「やられっぱなしでは済まさない、と。なるほど、ではお受けくださるということで、模擬戦の日程はいかがいたしましょう。そちらの都合に合わせたいと思いますが」

 

 シャースーリューは、口に出してから、『しまった』と思う。言葉を引き出された以上、今さらこの話はなかったことにはできない。そういう意図ではない、と取り繕えば、どうなるだろう。

 信用ならぬ相手、うかつで軽薄な慮外者、きっとこんな評価を受けてしまう。そうなってしまえば、この恐るべき赤鬼は、まともに話をしてくれるのか。

 

「そうだな。……ああ、そうだ。模擬戦の申し出は、確かに受けよう」

 

 そもそも、どうして自分は感情を抑えられなかったのか。裏切られたような想いを抱いたのは、なぜか。目の前の赤鬼は、味方でも何でもないというのに、勝手に親近感でも感じていたのか。

 まんまと話に乗せられてしまったようで、苦い感情が後に残る。上手いように転がされておきながら、『見下すな』と言い張るのもみっともないではないか。シャースーリューは、深呼吸して、気持ちを落ち着かせた。

 

――これは、俺が未熟だったということだ。だが、もう自覚した。これからは隙を作らんぞ。

 

 ウォン・ライの顔は、穏やかな紳士のもので、もう無遠慮な発言の後すら感じさせていない。

 それがまた、妙に様になっているから嫌らしい。ある種のひがみだが、シャースーリューは自分を抑える術を知っていた。

 先ほどの態度は、単純に言質を取るためのものであったのだろう。そう理解すれば、ウォン・ライの狡猾さに、してやられた、と悔しさを覚える。

 

「日程か。こちらに合わせてくれる、と。……うむ」

 

 思わず、彼はザリュースに視線を向けた。傍にいる者に頼って、この悔しさから目を背けたかったのだ。

 だが、ザリュースは何を求められているのかがわからない。だから、思いつくままに言葉に出す。

 

「とりあえず、準備期間を用意してくれるんだな?」

「長すぎない程度には」

「……すると、どうかな。こちらの戦力に合わせてくれると考えていいのか?」

「あらかじめリザードマンの戦力を申告してくれるなら、調整いたします。異存がなければ、こちらは弱いアンデッドの群れを、数にして三倍用意することになっています。――それで、よろしいのですかな?」

「三倍? 公平を期するならば同数であるべきだ」

「最下級のアンデッドです。単体での能力であれば、リザードマンの方がはるかに上でしょう。もっとも、そちらの戦士たちと比べて、これらスケルトンやゾンビどもが三倍では対等とは言えぬ。不安だといわれるなら、改めて考えますが」

 

 ウォン・ライの視線がシャースーリューを射抜いた。わかりやすい挑発にも聞こえたが、事前の情報と差異があるのか、確かめているようにも感じた。

 少なくとも、彼はリザードマンと戦うならば、三倍の戦力で妥当、と考えているのだ。そこに修正の余地があるか、ないか。素直にウォン・ライの言を受け取るなら、問題はそこだけだろう。

 ザリュースは、兄の表情が微妙に揺れ動くのを認めた。応じるべきか否か、考えている風でもある。

 必要とあらば、手心を加えてくれる。その事実をどう解釈するべきか。ここで同数を主張して、もし仮に負けることがあれば、リザードマン全体が軽んじられることにならないか。

 こうした弟の不安を、シャースーリューもまた感じていたのか。彼はこれを承諾した。

 

「わかった。三倍の戦力を用意する、ということで構わない。だがこれは、模擬戦だ。ならば、お互いに消耗を抑える手段を考えるべきだろう。本物の戦ではないのだから、終わった後の治療と、われらの身の安全について、保証していただきたい。一戦した後は、お互いに健闘をたたえて休息した後、改めて会談の用意をしたい。構わないか?」

「結構です。模擬戦後の治療と安全を保障し、十分休養を取ってから話し合いの場を設けると、ここで約束いたしましょう。――ただ、可能な限りで構いませんので、おおよその戦力の見積もりを立ててもらえますか。そちらの戦力も限りがあるでしょうし、こちらは調整する側なので、なるべく詳細に教えていただけると、ありがたいのですが」

 

 嘘偽りのない返答を、ウォン・ライは求めている。それがそちらの為なのだと、真摯な態度で示して見せた。

 正直な話、シャースーリューは、目の前の男に勝てる気がしなかった。そうした手合いに本気でかかられてはたまらない。だから、戦力の調整は望むところであった。

 

「……そうだな。それで結構だとも。本気になり過ぎない程度に殴り合うのが、仲良くなる秘訣だろう」

 

 そんな秘訣など、ザリュースは聞いたことがなかった。兄なりのユーモアだと解するのに、しばらくの時間が必要であったほどである。

 しかし、赤鬼(今は人間らしい姿だが)は、彼なりに理解したらしく、穏やかに微笑んで相槌を打った。

 

「まさしく。戈矛だけではなく、言葉をもって殴り合う。それもまた、外交の妙味でありますれば。……戦が終われば、会談とは別に、お互いに語らいの時間を儲けましょう。個人的には、政治の話より、生活習慣や文化の面で理解を深めたく思います」

 

 ウォン・ライは朗らかな笑顔を浮かべ、そう答えた。まるで、そちらの方が本分であると言わんばかりに。

 これがまた、二人のリザードマンから剣呑さを抜き去ったようで、一言か二言も雑談を挟めば、話し合いもやがては穏やかに進んでいく。

 

「我々がリザードマンの存在を知ったのは、最近ですが。最初から、興味を引く存在ではあったのです。だから、こうして会話をする機会をいただけたのは、まことに幸運でした」

「われらがそこまで貴重な文化を持っているとは思われぬが――。ウォン・ライ殿がそうしたいというならば、交流もやぶさかではない。楽しみにしている」

 

 リップサービスである。ただ、シャースーリューはそのつもりだが、ウォン・ライの方は本気で楽しみにしているのかもしれない。そうした雰囲気を持っていたから、むしろこれは彼の方が気押されるようでもあった。

 そのうちに、実務の面からの話が飛んでくる。あくまで先ほどの話し合いの補足だったから、シャースーリューは些細なことだと思っていた。

 

「それから、一応補足させていただきますが、生き残ったリザードマンの戦士たちについては、模擬戦の後、全快させて帰すことをお約束します。死者に関しては、こちらで『葬儀』を手伝っても構いません。これについては、約束させていただきます」

「結構。――ありがたい話だ。至れり尽くせりとはこのことだな」

「いえいえ、こちらこそ『受け入れてくださって』ありがとうございます。そもそも、こちらから持ち掛けた話でありますれば。最後まで責任を持つのは、当然のことでしょう」

 

 どのような言葉を掛けようと、ウォン・ライは華麗に受け流して見せた。何やら引っ掛かるような物言いも挟まったが、言っていること自体はまっとうである。違和感は切り捨てて話を進めた。

 

「不安を感じていらっしゃることは、わかります。我々としても、こうした外交は慎重に行いたい。そのためにも、お互いの理解が必要だと考えています。『お互いの歩み寄り』が必要だと、感じています。出来るならば、この想いをリザードマンの方々にも、共有していただけると幸いなのですが」

「それくらいならば、努力はするとも。お互いに軋轢を生まぬよう、前向きに検討したいところだ」

 

 ウォン・ライは、シャースーリューの言葉を聞いて、わずかに微笑んだ。そちらが理解を示してくださって幸いだ、とまで言う。

 ここまでくると、シャースーリューがあれこれと細かいことを突いても、不足なく答えてくれた。いままでの話の流れを無視して、なんとなく絆されたように感じさせてしまうのは、いったい如何なる手品なのだろう。

 

――無条件で好意的になれる相手ではない。狡猾さを感じさせながら、悪辣な印象はなく、老練の商人と話しているようだ。高圧的ではないが、甘さもない。油断ならぬ空気を演出しながら、しかし自然と信用して話をするようになっていく。この雰囲気を、どう表現したものだろう。

 

 シャースーリューには、不思議だった。単純な人徳と言えば、それまでなのであろうが。

 話し合いは、結局長くなってしまった。すでに空は明るさを失い、夜が近くなってきている。

 それでもどうにか、真っ暗になるまでに終わらせることができた。

 

「――では、話はまとまったということで、よろしいでしょうか? もちろん、戦力の詳細や勝利条件などについては、また明日の夕刻に話し合うことにいたしますが」

「ああ、そう思ってくれて構わない。明日の話し合いが問題なく終われば、その翌日の正午、お互いに使者のやり取りをして、再度用意した戦力の申告と勝利条件を確認する。それからお互いに合図を待って、開始。これで間違いないか?」

「はい。これで私も、主命を果たしたことになります。いや、すんなり話が通って安心しました」

 

 晴れて交渉は成立となった。

 これで、ウォン・ライは使者としての役割を完全に果たしたことになる。

 

「また、明日にでも会うことになるのでしょうが。今日のところは、事務的な話はここまでにしましょう。――日も沈む時間帯ですし、公務ではなく、私人として接したいと思います。よろしいですか?」

「よろしいも、何も。好きに振る舞えばいい。俺は気にしないぞ。な?」

 

 シャースーリューは、ザリュースにも視線を向けた。諸々の感情はさておき、判断の材料は多い方がいい。考える時間が増えるなら、願ったりだったのである。

 

「もちろんかまわない。……ここは、俺の家であることだし、大したもてなしはできないが……そうだな、せっかくだ。脂ののった魚を一つ、さばいてくるとしよう」

 

 兄はまだ、赤色の鬼殿と話したがっている。恐怖ゆえか、興味が先だったのか。ともあれ、なんとなく意図はわかったし、ザリュースとしても、もう少し相手の出方を観察しておきたいと思う。

 そのためならば、魚の一匹くらいは安いものだった。

 

「――お気遣い、ありがとうございます。では、酒は私が持ってきたものを開けましょう。遅くなるようなら、明かりも用意しますが」

「……火を使わずに済むのなら、お願いしたいくらいだ」

「では、そのように」

 

 ウォン・ライは酒瓶を一つ、机に乗せて見せた。もちろん、ストックは出そうと思えばまだまだ出せる。飲みたいだけ飲んでいいのだと、彼は言った。

 銘柄などリザードマンにはわからないが、相応の一品なのだろう。場合によっては、贈呈品として贈るつもりだったはずだ。

 それをここで開けるということは、ウォン・ライ、ひいてはナザリックという組織そのものが、リザードマンに対して友好的であることを示している。

 

「これはいい、大盤振る舞いだな。そら、早くさばいてこい。俺は酒の味見がしたくて仕方がないぞ」

 

 口調はおどけているが、目は真剣そのものだった。兄に油断はないとわかると、いっそここで軽口を叩くのもいいか、という気分にもなる。

 

「……酔っぱらって家に帰ると、姉上に怒られるんじゃないか?」

「おおっと、それはいかん。お前も協力しろ。お前が俺以上に酔っぱらっていれば、言い訳できるからな」

「頼むから俺を言い訳に使わないでくれ。いや、本当に」

 

 シャースーリュー、ザリュース、そしてウォン・ライの三人は、その一時を楽しく過ごした。そう言って、良いだろう。

 あれこれ話しているうちに隔意は解され、酔いも手伝ってか、いい具合に快い気分になってきていた。

 

「なるほど、そうしてザリュース殿は旅人として見聞を深められたのですな。そういえば、私への対応も堂に入っていた。不審者としてではなく、客人として正しくもてなしてくださった。――理知的で、しかも歴戦のつわものである。族長殿が頼りにするのもわかるというものです」

「あまり褒めないでやってくれ。弟は、これで照れ屋なのだ。褒め殺しされると、かえって敬遠されてしまうぞ?」

「これは失礼。それも含めて、彼の美点でありましょう。おごらず、しかし卑屈にならず。自身の能力を誇りながら、つつしみの気持ちを忘れない。付き合っていて、気持ちの良い男です。――これ以上、私からは言いませんが、仲間内での評価も高いのでしょう。よき家族を持たれましたな」

 

 ザリュースなどは、珍しく褒められて戸惑っていたし、シャースーリューも弟が認められて嬉しかった。

 外部からも高い評価が得られた、という部分が重要である。身内のひいき目を抜いても、弟は大した人物なのだ。それに同意してくれて嬉しいと、何よりも表情に現れている。

 

「俺の話はいいだろう。兄者、酒が進んでいないぞ。もう少しは飲んだらどうだ」

「おう、それもそうだ。ウォン・ライ殿、貴方も遠慮しなくていい。我々は人間ほど華美な文化は持たないが、客人をもてなすことくらいはできる。弟はこれで、リザードマンの中でも料理がうまい方なのだ」

「族長殿のご厚意、まことにありがたく思います。……一戦交えることにはなりますが、それはあくまで交流の一環。こうして友情をはぐくむことに、何の障害にもなりません」

「おう。ならば、まずは一献。いただいた酒で申し訳ないが、まずは乾杯しなければ始まらん」

「――ありがたく」

 

 ウォン・ライとの語り合いは長時間に及んだが、お互いに間違いなく楽しんでいたはずだと、リザードマンの二人は信じた。確かに、それは事実であった。

 

「シャースーリュー族長殿にとって、優秀な弟の存在は、誇りでありましょう。信頼すべき身内の存在は、何よりもありがたいものです」

「わかるか?」

「それはもう。私にも、頼れる弟たちが居ました。いまはもう過去のことですが、弟たちの助けに感謝したことは、数え切れません」

 

 ここでウォン・ライは共感を示した。もちろん、これは語り合いの中での一幕であり、他愛のない言葉の一つに過ぎない。

 それでも、シャースーリューは嬉しかった。同じように、兄弟を持つ身なのだと彼は言った。種族は違えど、共通する感覚がある。それをわかりやすく口にしてくれたのは、ウォン・ライなりの好意に違いないのだから。

 

「ああ、それなら俺にもわかる。優秀な弟は、実に便利なものだ。意思疎通にしろ価値観の共有にしろ、手間を省いて無茶ぶり出来る存在は実に貴重でな!」

「……兄者、本人の目の前で言うことじゃないだろう、それは」

 

 警戒を解いたわけでも、完全に信用しているわけでもない。お互いの文化の違いは、そうたやすく埋まるものではない。

 それでも、わかり合おうと努力すれば、いくらかの信頼は構築していける。

 

 結果として、彼らはすっかりと打ち解けてしまった。ザリュースもシャースーリューも、内心を打ち明けることに抵抗がなくなってしまっている。むしろ、気の置けない友人と酒盛りをしているようだった。

 ウォン・ライも心から喜びの感情を表現して見せたし、二人に出会えたことを感謝し、敬意をもって振る舞った。

 結局最後まで、ウォン・ライは彼らへのメンツに配慮し、誠実に振る舞い通したといってよい。

 

 しかし、二人のリザードマンは知らない。ウォン・ライという男の複雑さと、その精神の異質さを。

 そしておそらく、彼らが赤鬼の真実を知る機会など、永遠にありえないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウォン・ライは、モモンガに外交の首尾について報告した。一語一句間違いなく、記憶したとおりに話したから、誤解なく経緯は伝わっているだろう。

 

「書状を読めた様子はなかったと。それは確かか?」

「確かだとも。流石に日本語を解読できるほど、この世界は万能ではないらしい。今後、書状を作る機会があったら、きちんとこの世界に合った言語で記す必要がある」

「まあ、仕方がない。……後日の課題としよう」

 

 聞き終えた後、モモンガは安心したように、一息ついた。それを確認して、ウォン・ライも安堵する。

 

「協議抜きで、いきなりケンカを吹っ掛けられては、なし崩しに殲滅戦に入りかねなかった。穏便に事を運んでくれたこと、ありがたく思う」

「存外、気のいい連中だよ。その性質は純朴で分かりやすく、人格も基本的に善性だ。モモンガ殿が、気をもむほどの相手ではないさ」

「いや、感謝させてくれ。――改めて考えると、私自身が出張るとアルベドあたりがうるさいだろうし、かといって守護者を出せば、威圧的に屈服させて来たはずだ。……私は多くを知りたいし、闘争ばかりを好むわけでもない。時には礼節が、武力以上に有効なこともあるだろう」

「まさに。力押し以外の方法を、我々は学ばねばならん。己の強さを自覚した以上、より慎みをもって事に当たらねば、知らずと傲慢の悪癖におちいるだろう。腕力に物を言わせる場所は、わきまえるべきで――チエをもって圧倒できるなら、その方がいいと、私も思う」

 

 ウォン・ライの目には、リザードマンの内心が透けて見えていた。彼が閻魔王(ヤムラージ)であるからだとか、魔法だのスキルだのと言った話ではない。観察眼と経験則で見破れる範囲である。

 要するに、それだけ連中は純粋なのだ。老獪なる彼にしてみれば、ザリュースやシャースーリューなど、必死に背伸びをしている子供のようにしか思えない。

 そうした彼らの腹芸もどきや、言葉遊びなど、酒を浴びながらでもあしらえる。それがまた、微笑ましくてたまらなかった。

 見下しているというよりは、好意に近い。ひどい環境でも頑強に育った、異国の子供に感心する様な気持ちである。多少チエが伴わなくとも、それが悪いとは思わない。

 

「まあ、あの手この手で探られたが、反応を見る限りおおむね好感触だったといえる。少なくとも、悪感情は持たれなかったはずだ」

「そうか。――いや、模擬戦というのは、妙案だったな。これなら表向き、交流の一環として……まあ、ぎりぎり言い訳できる範囲内だろう、きっと。一応、死人が出ても不自然ではないし、事前に協議しておけば、反感も少なくなると思いたいが」

「そして、葬儀の一環として、我々はリザードマンの死体を合法的に得ることができる。少数の死体でも実験に使う分には充分だし、言質は取ってある。後から文句をつけられたとしても、言い訳はきくだろうよ」

 

 模擬戦をはじめに考案したのは、ウォン・ライだった。リザードマンは、観察する限り好戦的な種族ではない。だが、戦士階級が存在する以上、武力の誇示は有効に働くはずだ。

 実際、形式は整えたが、ほとんど戦のようなものである。まずは軽く一戦しておきたいモモンガとしても、悪くない提案だった。力の差を感じて従属を求めてくるなら、一石二鳥の策であるともいえる。

 臣従させれば、ある程度は意のままに動かせよう。そうすれば、実験の自由度も広がるというものだ。あれこれと考えを巡らせながら、モモンガは口を開いた。

 

「好意を得たならば、次は恐怖を刻むとしよう。事が終われば、私も直々に出向いて、挨拶をしようじゃないか。第一印象が肝心だな。出会い頭に驚かせてやるのも、一興かもしれん。――もし模擬戦が終わった後も、うまく付き合えそうな様子なら、色々と便宜を図ってやるのもいい」

「顔を突き合わせての交渉は、私に任せてもらおう。大丈夫、うまくいくとも。お互い、共存共栄が最善だ。それを理解させるのは、難しいことではないと、私は思う」

 

 ウォン・ライは、リザードマンをよほど高く買っているらしい。積極的に取り込みにかかるつもりだと、モモンガには感じられた。

 理由はわからないが、彼のこと。ナザリックのことを考えての判断だと信頼できる。

 

「そうだな。せっかくウォン・ライに骨を折ってもらったのだ。その後のことまで一任しよう。本格的に信頼関係を築いていくなら、いくらかでも見知った顔の方が、あちらも安心できるだろうしな」

「――ありがたい。まあ、私も外交に携わるのは久しぶりだ。安請け合いはできんが、努力しよう。……最悪の場合、私が責任を取る。だから、最後の選択肢は、まだ消さなくていい」

 

 ウォン・ライは、必要ならば切り捨てていいと、言外に伝えた。なるべく避けてほしい選択であることは、確かだろうが――それでも、模擬戦の結果がどうなるかはわからない。

 彼は自身の手管で、友好関係を構築するつもりであろうが、最悪の場合は――さて。

 モモンガとしては、最善の結果を求めたい。まして、友人に悪名を背負わせるのは、流石に後味が悪すぎる。だから、今は深く考えないことにした。

 

「……まあ、後のことは後のことだ。実務的なことを考えるのは、一戦終えてからでもいいだろう。この件が首尾よく終わったとしても、まだまだリザードマンの群れはあるのだから、長い目で見ていかねばな」

「今回の件については、リザードマンの一集落だけに話をつけた、という点が大きい。終始和やかに接したから、あちらも大事とはとらえてはいないだろう。周囲を巻き込んでの大会戦、とまではいかないはずだ」

 

 ウォン・ライが訪ねたのは、シャースーリューの群れだけである。他にもリザードマンの集落は発見しているが、あえて接触しなかった。

 今回の件で反応を見て、後々に取るべき行動を決めるためである。危機感を得て、団結するならばよし。まるごと抱え込む好機と見る。

 周辺の部族が、ただただ無為に過ごすならば、それはそれで良し。無能と見れば、すりつぶすことに躊躇いはない。

 

「ところでモモンガ殿。模擬戦に挑む人選だが、結局コキュートスに軍勢を指揮させる、ということで落ち着いたのかな?」

「ああ、そうすることに決めた。合間に会って話をしたが、コキュートスも功を立てる機会を求めていたし、候補に挙がったのならなおさら、この好機を逃したくないそうだ。……思い詰められるよりは、発散させてやろうと思う」

 

 つまり、この一件では、コキュートスの軍事的才能を推し量ることになるわけだ。

 モモンガには軍事の知識などないから、評価するのも難しい話である。しかしこればかりは、組織の長として、自分がやらねばならないことだ。ウォン・ライに頼ることはできない。

 

「まあ、場合によっては機会も何度か巡って来よう。評価はその都度、修正するようにすればいいか」

 

 リザードマンという種については、一個の群れさえ掌握していれば、モデルケースとしては充分だ。

 それ以外は、コキュートスのための草刈り場にしてもいい。実践し、反省しながら、よりよい戦の作法を学んでいく。そのための機会と考えれば、むしろリザードマンたちは反抗的であった方が都合が良いかもしれない。

 コキュートスに采配の経験を積ませるには、場数を踏ませるのが最も良いし、経験を積めば成長もありうる。守護者たちの成長を望むモモンガとしても、これは一種の好機であった。

 いまだ進行中の懸案であり、油断は禁物だが、見通しがたったというだけでも気が楽になる。

 張りつめているばかりでは、息も詰まる。一段落したら息抜きしたいな、とモモンガは思った。

 

「いずれにせよ、これでとっかかりはできた。モモンガ殿は、どう見るね?」

「うん? 交渉そのものについてか? ……なんというか、あれだな。情報の差が、そのまま結果に表れているような気がする。見せかけは対等でも、力の差があれば主導権を握られて当然だが、それ以上にこちらを未知の脅威ととらえているんだろう。計り知れない相手だから、強気の交渉に出れない。そんな感じかな?」

「――まあ、脅威には違いない。そもそも、彼らに洗練された交渉術を求めるのも酷だろう。高度な教育を受けたわけでもなし、外部との接触も少ない部族だ。……経験豊富な日本の営業職なら、むしり放題の手合いではないか?」

 

 ひどい言われようだ、とモモンガは思う。ぼったくり商法は、健全なビジネスマンが取るべき手段ではない。

 モモンガは、社会人として誠実さの重要性を理解している。特に営業職は、不特定の相手に信頼してもらうことで利益を得るのだ。物を売りつけるにも、人脈を得るにも、まずは当人が誠実でなければお話にならない。

 さりとて、誠実さには濃淡もあれば種類もあるのが現実だ。嘘をつかない詐欺師にだって、一片の誠は存在する。

 

――だまし放題、いや話に乗せ易い相手だからこそ、細く長く食うのが一番利益になる。優秀な営業職は、リピーターを作るのが上手いものだ。お互いに得をした、と思える相手でなければ、付き合いも続かない。

 

 だから、リザードマン達には相応の報酬を与えようと考えている。もちろん、良好な関係を築けることが前提で――要するに、正式に従属した後のことにはなるが。

 

「一方的に利益をむしると、恨みを残してしまう。すると、次に会った時に話がしにくい。ビジネスを続けていくつもりなら、いくらかは相手を儲けさせてやる気遣いが必要だ」

「さすがはモモンガ殿だ。商売の奥義を心得ておられる。相手を儲けさせたうえで、自分はさらに儲ける。そうして得た財で、さらに大きな事業を展開させていくのだ。……何事も、細かい事柄の積み重ねで進んでいく。特に契約の忠実な履行は、その根幹を成すもの。――あい分かった。彼らが分をわきまえている限り、力を貸すことで話をつけよう。細かい部分は後々詰めるとして、大筋はその方針で良いか?」

「良いようにしてくれ。Win-Winで収まるなら、それに越したことはない。リザードマンの繁栄が、ナザリックの利益になるのなら、いうことはないさ」

 

 後に歴史に記される出来事であり、ナザリックが初めて、外界に大きく干渉した事例であるといってよい。

 リザードマンは、これを機に世界に躍進し、その知名度と勇猛さを知らしめることになるのだが――ともあれ、現段階ではマイナーな一種族に過ぎないのであった。

 

 

 

 

 




 色々と悩みながら書いています。
 一応、それなりの形で書き上げたつもりですが、見ていてつまらない出来になっていたとしたら、それは筆者の力不足です。

 次章は、もっと動きのある話になります。次の投稿は年内を予定しますので、しばしお待ちくだされば、幸いに存じます。

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