ナザリックの赤鬼   作:西次

12 / 18
 何度見直しても不安が積もるばかりで、時間も過ぎていくばかり。
 ぐだぐだ停滞するくらいなら、さっさと投稿して間違いを指摘してもらう方がいいか、と開き直って投稿します。

 読者の皆様方。至らぬ作者ですが、見捨てずにいてくだされば幸いです。


第十二章 奉仕者

 ウォン・ライは、カルネ村への投資を主導していた、と言える。本人が村に出向き、実際に復興を指導しているのだから、相当な力の入れようだった。

 モモンガであれば、村人に同情はしても、直接的な手助け――現場での労働などは忌避するであろう。他にやるべきことがある、そこまでの義理はない、と考えて。

 それは確かに正しいのだが、ウォン・ライはモモンガほど村人たちを突き放せなかった。同情を超える共感が、彼をそうさせた。

 

――人民に奉仕する。まさに、彼らの従者(サーバント)のように尽くすのだ。

 

 底辺の農民の苦悩を、彼は知っている。人々が日常的に感ずる、現実的な苦しみを、ウォン・ライは若いころから見てきたのだ。

 そして彼自身、実感している。だから、眼の前に困窮する者たちがいたら、どうしても助けてやりたくなる。

 

――飢えの苦しみを知る者は、同じように飢えた人を見捨てられない。子供を失った親は、同じ苦しみを抱えた相手がいると知れば、慰めようとするだろう。これは、そういうことだ。

 

 とはいえ、指導するといっても、そこはやり方がある。いくら村にとっての恩人でも、上から目線で押さえつけて良い道理はないのだ。それをわきまえている彼は、まず形から入ることにした。

 

「やあ、村長。作業は順調かな」

「これは、ウォン・ライ様。このたびは何用でしょう」

「なに、ただ村の復興を眺めているばかりでは、どうにも据わりが悪くてな。私にできることはないかと、考えているところだ」

「……今は、荒らされた畑や建物を修復しているところです。欲を言うなら、防衛用の柵も村の周囲に巡らせたいのですが、そちらには手が回りませんで。エンリが何やら、ゴブリンたちを呼び出したとかで――彼らに任せてはおりますが、どうでしょう。それなりに、上手くやれてはいる様子ですが」

 

 村長に進行具合を聞けば、やはりいくらかの不安要素があるらしい。柵は外敵への備えとして、とにかく被害を受けた村人たちの精神を落ち着かせるためにも必要だった。

 頑丈さより、防壁に守られている、という安心感を皆に与えたい。村長はそうした気持ちで言っているのだとわかる。そして、言葉には出さなくとも、エンリらに複雑な感情を抱いていることも。

 復興への手助けにはなる。実際に行動してくれている。しかし、それが村のものではない、外部の者――それもゴブリンであることが懸念されている。

 異民族への蔑視、というほど深刻でもあるまいが、こうした寒村では、仕方のないことであろうとウォン・ライは思う。

 

「そうか。……忙しい事情は理解した。女子供は、どうしている?」

「手伝えるところは、手伝ってもらっていますよ。家事も女どもの仕事です。子供たちは……難しいですな。利発な者は、どこでも使えるのですが」

 

 村長は言葉を濁した。その理由を、なんとなく察する。

 なにしろ襲撃から間がないのだ。身内を失い、心を病んだ子供たちは、食い扶持だけを消費する負債になる。真面目な話、立場の弱い老人や子供は、苦境に陥れば真っ先に切り捨てられる対象だろう。

 若いころの経験から、これをウォン・ライは身に染みて理解している。だから、手を差し伸べることを躊躇わなかった。

 

「では、手が空いている者を使わせていただいても、構わないだろうか。働く気力を失った者を立ち直らせるには、まずは強引にでも仕事をさせてやるのがいい。自分が必要とされていると、しっかり自覚させてやるのが、一番の薬になる」

「……ありがたい話ですが、そこまで負担させては、申し訳なくも思います。我々はいったい、そのご厚情にどう答えたらよいのでしょうか」

 

 村長は、相も変わらず恐縮していた。それを笑い飛ばすかのように、ウォン・ライは努めて明るく言った。

 

「気にしてくれるな。やりたいから、やっているだけのこと! だからどうか……気に病まず、幸福であってくれ。せめて目に見える範囲だけでも、人々を幸せにしてやりたいと、そう願う。そうであればこそ、私も働き甲斐があるし、生きている甲斐もあるというものだ」

 

 まあ、老人の道楽というやつだよ、とウォン・ライは軽く言い放つ。

 しかしそこまで利他的な欲望を、ごく自然に口にできる彼は、一体どのような人生を送ってきたというのか。村長には想像もつかず、言葉が出ないままであった。

 

「まあ、なんだ。……この年になるまで、苦しむ人々を、それこそ精神が摩耗しかねないほど多く見てきた。汚職官吏に苦しむ者、村の悪人に苛まれる者、農民だというだけで、抗う力を持たぬというだけで、虐げられる人々……。そういった人民を、泣きたくなるほど多く知っている」

 

 私は、彼らの悲しみを背負うことで生きてこられたのだ、とウォン・ライは語った。

 そして、これ以上はもう背負いたくない、と。積み重ねるなら、もっと楽しいことがいい。人々と喜びを共にして、笑いあえる世の中であってほしいと述べた。

 

「だから、せめて、ここでは幸せでいてくれと願うのだ。――どうか私に、あなた方を救わせてほしい。そうすることでやっと、私も救われた気持ちになれる」

 

 私はあくまで、自分自身のためにあなた方の力になるのだ、とウォン・ライは付け足した。

 それを聞いて、村長は彼の心の底に潜む闇を、垣間見た気がした。きっと、想像もつかぬほどの、おぞましい悪意にさらされた経験があるのだろう。そうして出来た心の傷を、今も抱えて苦しんでいるのか。

 そこまで察したからには、この好意を断る方が無礼と言える。むしろ、遠慮なく甘えてこそ、その好意に報いることができよう。

 

「ならば、お任せします。私は、あなた様がなさることを、すべて受け入れます。だからどうか、我々を助けてください。……重ねて、申し上げます」

「良いとも。是非にも、助けさせてくれ」

 

 ウォン・ライは微笑んでいた。その笑顔の中に、どれほどの感情が秘められているのか。村長は、やはり理解することはできなかった。

 

 

 

 

 手が空いている者は、子供に限らなかった。いくらか、体格の良い大人が含まれている。この辺りは、村長が手をまわしてくれたのだろう。最低限でも仕事ができるようにと、気遣いをされている。

 さりとて、大半が力仕事には使いづらい、成長期すら終えていない子供たちであることに、変わりはなかった。

 

――人民に奉仕するとは、単純な労働だけに限らない。人々の求めに応じ、その願望を満たしてやること。この世には救いがあるのだと、そう教えてやることが、何よりの薬となることもある。

 

 仕事自体は、他と変わらぬ。焼けたり破損した家屋の修繕、荒らされた畑の整備が主である。

 指示をされれば、その通りには動く。しかし動きが鈍いのは、精神の傷が体を重たくさせるからか。そうした症状には覚えがある。ゆえにこそ、対処もわかっていた。

 まず余計なことを考えられぬ程度に、体を動かさせる。一通りの作業を終えると、いい具合に疲労がたまってくる。すると自然と、時間も飯時になった。

 そうして、昼食を共にする。寒村では食材も知れているが、ウォン・ライは貧乏舌だ。栄養補助食品だろうが、未熟なモロコシだろうが、問題なく食すことができる。

 同じ釜の飯を食う、という諺があるように。食事を共にすることは、帰属意識を高めさせるものだ。平たく言えば、親近感を持たせるのに良いのである。

 

「ウォン・ライさんのような、品のいい方には口に合わないかもしれませんが……」

「なに、雑草の煮込みでも口に入れた私だ。ひどく苦く青臭いアレに比べれば、穀物の粥は十分ごちそうだよ」

「……それ、食べられたんですか?」

「ああ、まあ、三度は口にしなかったよ。体にも悪い。まっとうな食べ物と比べるものでは、やはりないかもしれないな」

 

 食事当番の若者が、遠慮がちに声をかけてくれた。村人の食事は、舌の肥えた人にはつらいだろうという気遣いである。実際、この国の標準で言えば、いくらか貧しい食事と言えた。

 村人のだれもが、ウォン・ライを貴族と信じて疑わなかった。それだけの貫録を感じるからだが、そうした人が自分たちより酷い食事をしていたと聞けば、少なからず驚く。

 

――老いてからは、粗末な合成食品の味にも慣れた舌だ。自然食品など、いつぶりに口にすることだろう。

 

 現実の地球では、もはや食せる雑草さえ存在しない。決していい思い出ではなかったが、それを懐かしく思い出しながら、ウォン・ライは努めて明るく言った。

 

「それとも何かね、君たちは、こんなおいしそうなものを独占しようというのかね? 少しぐらいは、この年寄りに分けてくれてもいいじゃないか。そうだろう?」

 

 食料の備蓄は、余裕がある。若者は粥を一杯盛って、ウォン・ライに差し出した。

 彼は、顔をほころばせながら、うまそうに粥を口に運んだ。音一つ立てず、味わって食す。

 村人たちにとっては、ありふれた食事に過ぎないが、ウォン・ライはおろそかな食べ方はしなかった。

 乱暴に、粥をかきこむことしか知らない若者たちは、食事の作法にうとい。うといからこそ、感じ入るものもある。目の前にいる貴人は、こちらの目線に立って、こちらの価値観に寄り添ってくれていると、様子を見るだけでわかる。

 

「おいしい、ですか。親と比べると、炊事は得意じゃないんで……」

「ああ、美味いとも。君たちも一緒に食べようじゃないか。今度は私一人で独占しているようで、申し訳なく思ってしまう。――さ、座って」

 

 いつの間にか、ウォン・ライは彼らの輪の中に入り込んでいる。

 若者たちの中に、壮年の男が一人いる。浮いて見えても不思議はないのだが、誰も彼がここにいることを、当たり前のように感じていた。

 上下関係を感じさせず、するりと他人の意識に入り込む。具体的に言動がどうとか、雰囲気がどうとかいう話ではなく、ごく自然な所作で、彼はそうすることができた。異才、と言ってよい。

 

「仕事はつらいかね? 村を立て直すまで、今しばらくは重労働が続いてしまうと思うが……」

「いえ、そうでも。体を動かすのは、嫌いじゃない、です」

「そうか。いいことだ。せっかくの健康な体、活用しなくては損というもの。――丈夫に生んでくれた親に、感謝しようじゃないか」

「あ、はい。……そう、ですね」

「私も、君たちの両親に感謝したい。よき若者を、私の前に送り出してくれたことを。……わかるとも、よい両親だったのだね。年長者としての礼儀が、きちんとできている。私に対して、という意味じゃない。年下の子供に対して、年長者がいかに振る舞うべきか。いかに見本となるべきか、わかっているように見えるよ」

 

 教育において重要なのは、洗練された礼法とか、学識とかではない。子供自身に、幸福になるための道筋を示すことだ。そのために必要な技能、知識を与えることだと、ウォン・ライは語った。

 

「君は、炊事を不得手という。しかし、こうしてどうにか、ありあわせのもので食事をこしらえたじゃないか。調理の技能は、まだ追いついていないかもしれないが――必要十分の成果を出せた。それだけの、努力をしてくれたのだ。他人への思いやりがなければ、そこまで出来ることではない」

 

 君自身のやさしさが、そうさせたのだろう。そう、彼は付け加えた。

 褒められた若者自身としては、赤面するしかない。そこまで評価されることだとは、思っていなかったから。

 とはいえ、好意を言葉にされれば、口も軽くなる。ウォン・ライはこれをきっかけに、様々な話をした。傍にいる子供たちに限らず、場にいる全ての者たちに語り掛け、向き合い、ゆっくりと彼らの気持ちを理解していった。

 食事が盛られた器は、空になった。そのうちに、貧しい粥は全員の腹を満たしていた。

 

「君たちは、これまでよく生きてきた。だからこれからも、充分生きなくてはいけない。両親から受けた愛情を、君たち自身の手で、君たちの子供たちに伝えなくては、不義理というものだろう。……そうして、日々を懸命に生きて、幸せになってほしいと心から願う。親というものは、いつだってそう考えて、家族に接するものなんだ」

 

 ウォン・ライに慈愛の心があるとすれば、それは実に効果的に作用した。限られた時間だったが、一人一人に語り掛けて軽く話し合えば、皆が皆、生気を取り戻していく。

 言葉だけで、人格が変わるわけではない。少しだけのやさしさで、全てが救われれば世話はない。

 だが、一時を安らかに生きることはできる。心の重荷を下ろして、穏やかな空気に触れれば、己を含めた周囲をかえりみる余裕ができる。

 そうすれば、生きる意志も、自然とわいてくるというものだ。人間は、後ろ向きに生きるよりは、前向きに生きたいと願うもの。きっかけさえあれば、悲しみに沈んだ心を浮き上がらせるのは、難しいことではなかった。

 

――今は調子が落ちていたとしても、本来は元気でたくましい若者たちだ。働く意欲が出てきたのなら、ほどなく立ち直ることだろう。

 

 彼らは仕事を再開すると、見違えたようによく働いた。お互いに励ましあって、いきいきと動いているさまを見ると、子供と言って侮るのはよくないと、改めて思う。

 ウォン・ライは、彼らのそんな姿を見て、うれしくなった。己の言葉が届いたから――ではない。ただ単純に、人々の明るい姿がまぶしかっただけだ。

 彼らは、もともと健全だった。良い家庭、良い隣人に恵まれ、健やかに育った。そうであれば、愛郷心など自然にはぐくまれる。

 やるべきことを自覚さえすれば、迷うことも悔やむことも後回しにして、がむしゃらに生きることができるのだ。そうした彼らの姿が、ウォン・ライには愛しかった。

 

――この小さな村でも、人間関係は良好だったらしい。日常的に付き合いがあって、誰もが顔見知りだから、連携もうまくいく。彼らの様子を見るに、悪人らしい悪人はいない村だったのだな。

 

 こうなれば、彼の仕事など見守るくらいしかない。どうしても協力し合わねばならぬ、力仕事だけは手を貸したが、それでも必須というものではあるまい。 

 ウォン・ライは、知らずと笑っていた。見違えるほどの、言葉にするのが惜しくなるような、清らかな微笑みであった。

 

「……どうしたね。この通りの年寄りだが、気兼ねはしなくていい。作業を続けようじゃないか」

 

 そうして、彼らは仕事を続ける。村の復興は大事だが、それ以上の大事があったように見えたのは、気のせいであったのか。

 ともあれ、疑問をさしはさむ余地がない程度には、やるべきことは山ほどあった。

 

 

 

 

 

 

 供給する物資は、そのすべてがウォン・ライの私物である。ユグドラシル時代にため込んだ物資(かのゲームには、食料品や資材の類も、多種多様に用意されていた)は相当な量があり、寒村の蓄えに費やしても、まったく問題にならぬほどである。

 しかし、あらゆる物資が無尽蔵にあるわけではない。使えば減る。補充されねば、いつかは尽きるのが道理だった。

 

――これは、代償行為だ。現実で出来なかったことを、完璧にやり遂げたいという欲望。抑えがたく、抗いがたい欲求が、私を突き動かしている。

 

 ウォン・ライは知っている。思い切りの良さは、時に無謀な決断も容易にさせてしまうことを。感情や欲望を律することを美徳とする、儒教的価値観から言っても、これは好ましい傾向ではない。

 慎重さを投げ捨てた投資は、財産を投げ捨てる蛮行にほかならぬ。だからこそ、物資の投入には明確な目的と計画を持ってされるべきだった。今していることは、その原則から外れているのではないか。そうした疑念を、常に己に投げかけている。

 

――まだ大丈夫だ。行きすぎてはいない……と思いたいが、どうか。

 

 村への投資は、長期的な事業になる。長い目で見て、ゆっくりやっていくのが一番ではないか。そうは思いつつも、つい性急になってしまいがちなのが、現実というものだ。

 自己のみの判断では、時として都合の悪い事実を無視することもあろう。今日の作業が終わったら、アルベドあたりにでも相談を持ち掛けるのもいい。

 一番の相談相手はモモンガだが、外に出ている彼を巻き込むのは気が引けた。報告書は後日出せばよく、即日で知らせるほどではあるまい。

 モモンガは冒険者として、新鮮な体験を楽しんでいるであろう。そこに実務的な仕事を持ち込んでは、無粋というもの。

 カルネ村の復興作業も、今のところ異常はなかった。ならば、今は目の前の仕事に集中すればいい。そう、結論付けたところであったが――。

 

「奇遇だな、親父殿」

「……リジンカンか。何かあったか?」

「格別は、なにも。モモン殿に従って、仕事として村に来ていてね。……見かけてしまったから、つい声をかけてしまった。その程度のことだと思ってくれ」

 

 思わぬ再会であったが、そういう事情であれば、顔を見せに来るのも自然な流れであろう。それでも接近に気づけなかったとは、いささか油断しすぎていたか。

 

「ああ、ちょっと気配を消して近づいてみたんだ。だから、気づかなかったとしても、無理はない。……こんな、のどかな村だ。常時警戒することもないだろうさ」

 

 リジンカンは、下手な笑顔で養父に接した。遠慮がないくせに、己への態度はどうも妙な感じがした。現実では息子など持たなかったためか、どうしても違和感をぬぐいきれない。

 電子上のデータではなく、実際に生きているのだから、微妙な差異はあって当然だとも思うが――さて。

 

「あの方が近くまで来ているのか。しかし、お前は傍を離れてもいいのか」

「安全を確認せずに遠出するほど、俺は不誠実じゃあない。それに今は、席を外した方がいい状況でね。……嘘じゃないとも。息子を信じてほしいもんだ」

「リジンカン。私はお前を疑ったことなどない。頼むから、茶化してくれるな」

「ああ――悪かったよ。冒険者モモン殿は、護衛の依頼を遂行中だ。俺はその付き添いで、いくらか貢献させてもらっている。親父殿が心配するようなことは、何もないさ」

 

 ウォン・ライは、厳しい表情を崩さなかった。

 リジンカンも、能面のように笑顔を維持していた。

 

「ここに私がいることは、わかっていたはずだ」

「そして、俺がここに来ることを、親父殿は知らなかった。当然だな。モモン殿が、この村への依頼を受けなければ、こうも早く再会することはなかったろう。意外と言えば意外だが、言ってしまえば些事だ。大勢に影響はない、そうだろう?」

「……確かにそうだが、意味ありげに言うことか。私たちは親子のはずだ。持って回った言い方をする必要はあるまい」

 

 何かしら雰囲気を察したのか、周りで作業していた村人たちは、邪魔をせぬようにと離れていった。村人たちに聞かれたとて、どうこうなる内容ではない。それでも、彼らには温情を施されている側だという自覚がある。

 万が一にも不都合があってはならぬ。身内同士の話し合いなどは、聞かなかったこととして、耳目を閉じようとするは、当然の態度であったろう。

 そこまで仰々しく構えずとも――と、ウォン・ライは言いたかったが、これは彼らなりの好意、あるいは好奇心か。

 リジンカンという、見慣れぬよそ者に対して、どういう反応をするのか。そもそもどのような関係なのか、遠目から観察したいのだろう。親子ではあるらしい、と会話からは判断できるだろうが。

 

「……お前は、何がしたいのだ?」

「哲学的な問いだな、親父殿。その質問には、やりたいようにやるさ、と答えるしかないね」

 

 とはいえ、そうした他人の目など、今は気にすることではない。

 いささか短絡的だが、ウォン・ライは率直に問うた。その返答は、どうにも抽象的であったが。

 

「おい、リジンカン。私が聞きたいのは、そういうことでもないのだ」

「もちろん、わかっている。ああ、わかっているから、今はこう答えるしかないんだ。……モモンガ様への忠誠は、尽くす。それだけは約束する。だから、理解してほしいんだ」

 

 親子と言っても、内実は微妙なものである。身内としてお互いに認識しているものの、距離感はやや遠かった。実際、親子として接した時間など、皆無に等しいのだから仕方がない。

 

「理解とは?」

「俺は、俺の感情に正直に生きる。生き方を曲げることはできない。……だから、明言しておきたい」

 

 それだけに、リジンカンの言葉はウォン・ライの心に響いた。本気の言葉で、真心の発露だと察せるだけに、真面目に受け止めようと思う。

 

「俺は忠義をたがえない。俺は親子の情を裏切らない。そして、愛する人への想いを捨てない。――大丈夫だ、親父殿。あなたが心配するようなことは、何もないんだ。本当に」

「疑ったことはないと、言ったはずだが?」

「誤解しないでくれ。これは、ただの念押しなんだ。――疑念のあるなしは重要じゃない。一応、面と向かって明言したほうが、後腐れもないだろうと思ってね」

 

 彼が明言する以上、その内容に疑いをもつべきではない。余計な嘘など、吐かぬように作ったのだから。

 だが、彼がここまで仰々しく語らねばならぬほど、状況は切迫しているのだろうか。ウォン・ライにはわからなかった。

 あるいは、リジンカンの気まぐれであろうか。そうであるとしたら、いちいち深く考えることではないかもしれない。

 

「俺は、身近な身内の中で、一番苦しんでいる人の助けになりたい。叶うことなら、その人の周囲に広がる、大きな輪をも守りたい」

「輪? それはあれか、人間関係の輪、という意味か」

「和と言ってもいいな。モモン、いやモモンガ様は大きくなる。必ず大きなことをして、その世界を広げていくはずだ。……あの人の、幸福の手伝いをしてやりたい。親父殿も、まさか反対はなさるまい?」

 

 そう言われれば、ウォン・ライとしても否定のしようがない。実際に感じていたところであるから、むしろその望みが好ましくさえある。

 

「和、和か。……和して同ぜず、の一節を思い出す。君子として、理想的なふるまいだ」

「あの方は、立派な君子になる。もしかしたら、堯舜にも匹敵する王になるかもしれない」

「……君子は、仁を目標とする。だが、堯や舜に匹敵するともなれば、仁どころではない。『聖』と言うべきだ」

「そいつはいい。聖王モモンガ! 素晴らしいじゃないか。そうだろう?」

 

 まさに理想である。だが、こうして楽し気に喜んでいるリジンカンの本音は、一体どこにあるのだろう。

 先ほどは正直な言葉を聞いた。それは確かであろうが、肝心な彼自身の欲望がどこにも見えてこない。気分屋のお人よしであることは確かだが、善と定義するには、いささか曲者過ぎるのがリジンカンという男である。

 その精神の悪性を見極める、とはいかずとも、せめて欲望の方向性くらいは見定めておきたかった。おそらくそれは、設定だけでは測れない、生身の感情であろうから。

 

「ごちゃごちゃと考えている顔だな。……俺は、あんたの写し身だよ、親父殿」

「――む」

「ま、深く考えるもんじゃないってことさ。要は、あんたの息子は、親の意を汲めるいい男だってことでね。話はそれだけだが、親父殿の方からは、何かあるかい?」

 

 ウォン・ライは、この察しの良すぎる息子を、どう扱うべきか悩んでしまった。

 結局、以後は意味のない雑談を適当にかわすだけで、なんら建設的な話はできないまま――ついに、モモンガと再会する。

 

「こんにちは。ウォン・ライと申します。息子がお世話になったようで、お礼を申し上げます」

 

 モモンガだけではなく、パーティの仲間たちとも顔を合わせて挨拶する。実際、初対面の相手として接するのだ。礼儀をわきまえねばならぬと思い、つつしんで対応した。

 それが、不思議な感心を買ったらしい。少なくとも、悪印象は持たれなかったはずだと、ウォン・ライは思う。

 人柄はいい様子だった。そもそも見込みがない相手と、モモンガらが付き合う理由はない。だから、これからの結果も期待していいだろう。森の中へと向かっていく彼らを見送ると、ウォン・ライは若者たちと共に、再びを作業を再開した。

 

――もう少ししたら、今日の作業も終わりにしようか。そうしたら、解散させてねぎらって、明日使う資材を用意しなければ。これでは、モモンガ殿にかかわっている暇もないか。

 

 おそらく、モモンガが戻ってくる頃には、己はナザリックに戻っているだろう。そう思うと、少しだけ寂しくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森の賢王やらンフィーレア関連やらで色々あったが、ともあれ仕事は完遂できたことに、モモンガは安堵した。

 カルネ村ではそこそこに歓待もされたが、ウォン・ライと話せなかったのは残念でもあった。

 

――いや、しかし、今は冒険者モモンな訳で。距離感がつかみづらいな。まあ、どうにでもなっただろうとは思うが。

 

 エ・ランテルに戻ると、ぺテルらとはすぐに別れた。組合の申請も含めた雑務の処理もあり、自然な成り行きでそう決まったのだが。

 

「俺も連中についていきますよ。こちらからも、一人くらい手伝いに行かせた方が、印象も良くなるもんです」

 

 こっそりと、耳打ちするようにリジンカンが言った。そう言われては、モモンガも行くなとは言えぬ。彼を送り出して、モモンガはナーベラルや賢王と話しながら、組合に向かった。

 別に、何かを期待していたわけではない。名声を高めるにも、これから継続的に仕事をするべきだし、まずは一つ一つを丁寧にこなしていこうと、モモンガはそれだけを考えていた。

 

――リジンカンは、自由にさせた方がいいだろう。好きにさせてやれば、それなりの成果は持ってくる、と思いたいな。

 

 神の如き力は持っていても、全能にして万能とはいかないものだ。よって、彼がンフィーレアらを襲ったイレギュラーを予測できずとも仕方がないであろう。

 そして、リジンカンの行動を制御できなかったことも、モモンガの過失というには、酷に過ぎるであろう――。

 

 

 

 

 

 

 最初に違和感を覚えたのは、ンフィーレアだった。言葉にはできないが、いつもと家の雰囲気が違っているように感じた。

 ちょっとした錯覚だろうと、気にせず全員で薬草を下ろして安置する。仕事を終えたところで、ようやくそれが勘違いでなかったことを理解した。

 

「お帰りなさーい。ずっと待ってたんだよ?」

 

 ンフィーレアとぺテルらは、その声に不信感を抱いた。困惑するままに、その声の主を確認する。

 外見は、かわいらしい女性であった。短めの金髪に、整った容姿。しかし、彼女の浮かべる笑みには、どこか不安を感じさせるものがある。

 

「……どちら様でしょう」

「私はね、君をさらいに来たんだぁ。適当にいい感じな道具になってくれると嬉しいんだけど。おねーさんのお願い、聞いてくれるよね?」

 

 そもそも、勝手知ったる自宅で見知らぬ女性が声をかけてくる。この状況自体に不吉なものを覚えてしまうのは、当たり前であった。

 ンフィーレアは問うたが、まともな答えは返ってこなかった。女性からの返答は、敵対宣言と言ってよい。

 

「ンフィーレアさん、ここから逃げてください。――あの女はたぶん、私たちを容易く殺せる。それだけの力があるのでしょう」

 

 ほぼ直感だが、こうした嫌な予感ほどよく当たる。その勘を理論的に説明するのは簡単だが、そうしたところで結果が変わるとは、ぺテルには思えなかった。

 

「ニニャ、お前も逃げろや。やることがあるのは聞いてるし、ここにいても結果は変わんねぇだろうしな」

 

 ルクルットは即座に戦闘態勢に入り、武器を抜いた。ンフィーレアと、ニニャを逃がそうと、体を張って足止めするつもりだった。

 そしてそれは、敵側にとっても予想の範疇であった。

 

「んー、やっぱり逃げるよね。逃げようとするよねぇ? ……それはちょっと困るから、あんまり遊べないかなー」

 

 でも、無駄なんだけど――と。そう、女は続けるつもりだった。

 彼らの後ろの扉には、仲間のカジットがいる。この程度の冒険者のレベルなら、挟撃すれば終わりだと、彼女は知っていた。

 だから、その扉から病的に白い、痩せた男が姿を見せたとき、パーティは一瞬にして絶望の色に染まった。

 

「――が」

 

 そして、その絶望がぬぐわれるのも、また一瞬であった。姿を見せ、何かしら女に声をかけようと思ったのだろう。

 口を開きかけた、その瞬間。病的な男の喉に、小刀が吸い込まれるように穿たれた。

 信じられない、と男の顔が語っていた。喉を押さえて、出血で手を染めながら、前のめりに倒れる。

 死体のように青白く、骸骨のように骨ばった男は。しかし、本物のアンデッドのように、起き上がってはこなかった。

 

「この飛刀に、仕損じはない。俺がこの場にいたのが、あんたの運の尽きだ」

 

 リジンカンが、淡々と言った。手の中には、新たな飛刀がある。これまで何の動きも見せなかった彼が、ここで牙をむいた。

 共にいたのはただの気まぐれだが、ここで見捨てるのも違うだろう、とリジンカンは判断する。

 ぺテルらは、モモンガに対して誠実に対応した。有益な情報を提供したし、ここから生き延びれば、自分たちの名声を高めるのに一役かってくれるはずだ。

 そうした利害関係も理由だが、やはり一時でも楽しくやった手合いを失うのは、感情的にも惜しいと思うのだ。

 

「飛刀? ……聞かない武器だね。どんな魔法を使ったの? いや、その飛刀ってのが特別製なのかな?」

 

 彼が手にしているものは、カジットの喉に突き刺さっているものと、同じ形だ。女はそれを見て取って、計算が狂ったことを知る。

 あれが何らかの魔法の武器だとしたら、その予備がいくらもある、ということだ。

 そうでないとしたら、単純に技量が優れているということ。そして何よりも肝心なことは――。

 

「すごいね。油断はしてたけど、本当に見えなかったよ。それなりに、皆の動きには気を配ってたつもりなんだけどー」

 

 女――クレマンティーヌは、自分が優れた戦士であることを自覚している。

 この場にいる誰よりも、強いという自負を持っていた。だからこそ、口調は軽くても事態の深刻さは理解していた。

 もう一度、あの飛刀が飛んできたら。……己の方に向かってきたとしたら、見切れるのか。

 見切ってみせる、と気を張ると同時に、容易い相手ではないとも認めねばならぬ。確実に仕留めるなら、雑魚(ぺテルらのパーティ)を排除するのは当然として、いくらか肉盾を用意しておきたいところだ。もっとも、事態はそこまで都合よく進むものではない。

 

「この距離で向かい合うのは、ちょっとアレかも。まあ、難しいってだけで、無理だなんて思わないけどね」

 

 一芸に特化した相手なら、こちらの剣の間合いまでつめられれば、勝てる。そのように彼女は考えた。分の悪い賭けであるか否か。クレマンティーヌは、リジンカンの手を注視しながら、足に力を込めて――。

 

「己の未熟を言い訳するなよ、女。素直に見逃してくれと乞うなら、この場では追わない」

「へえ? 油断を誘ってるつもり? 後ろを向いたとたんに狙い撃たれる、なんてのは勘弁だけど」

「嘘じゃないさ。追わないし狙わない。もっとも……」

 

 この男の取り巻きは別だが、とリジンカンは言った。その言葉で動きを止めたのは、己にとっても悪い展開ではないと、クレマンティーヌなりの計算が働いたからである。

 

「本気で言ってる?」

「疑ってもいいが、するとこの場で全面戦闘だな。多対一の状況で、俺の飛刀を見切れればいいが」

 

 クレマンティーヌは、改めて己の不利を悟らねばならなかった。ただあの男の存在だけが、全てを狂わせる。

 熱を持った感情が、精神を焼くような感覚。それに身をゆだねたい欲求を抑え、舌打ちして、リジンカンをにらみつけた。

 

「ま、土産に俺の働きを見ていけばいい。そうすれば、逃げ帰るのが一番楽だとわかるだろう」

 

 リジンカンは、倒れたカジットに視線を向けた。

 当然蘇るわけはないが、カジットは、一人でここに来たわけではない。遺骸に駆け寄り、安否を確かめようとするものもいれば、加勢するどころか逃げようとするものもいる。

 察するに、奴の部下か弟子か――どっちも似たようなものか、と彼は無感情につぶやく。万が一にも取り逃がさぬよう、戦力を集中して持ってきたのだろうが、かえって一網打尽にされてしまえば、元も子もなかろう。

 

「再度言うが、仕損じはない。あきらめて、ここで死んでいけ」

 

 リジンカンは飛刀から直剣に持ち替えると、一足飛びに接近し、カジットの遺骸に群がる者どもを斬り捨てる。そして逃げ出した連中は、残らず飛刀を投げて処理した。

 クレマンティーヌは、隙を見出すどころではなかった。彼女も軽戦士であり、素早さには自信がある。だが、彼はおそらく己と同等か、それより僅かに速い。あの刀の投擲も含めれば、技術的にも後れを取っている可能性すらある。

 この不利な状況で、真正面から斬りかかるのは、愚か者のすることだった。

 

「さて、そろそろ結論も出たろう。実際、あんたには消えてもらった方がありがたいが、どうするね? 俺は、本気であんたとの戦闘は避けたいんだが」

「後悔するよー? ほんとに逃げるからね。恥も外聞もなく逃げて、そのうちその心臓を突き殺してやるんだから」

「ああ、できたらいいな。期待して待ってるから、そろそろ帰れ」

「……クレマンティーヌ」

「うん?」

「私の名前! あんたとか女とかじゃなくて、クレマンティーヌって呼んでよ」

「そうか、さあ行った行った」

 

 リジンカンが、追い払うように手を振った。その屈辱に唇をゆがめながらも、クレマンティーヌは去った。

 あいつ、名乗り返してくれなかった――と、それだけを口惜しく思いながら。

 

「……フェイさん、ありがとうございました。貴方が助けてくれなければ、きっと全滅していたでしょう」

「礼はいいぞ。勝手にやったことだしな。お互い、仕事を共にした仲間だ。危機となれば、助け合うのが当然ってものだろ?」

 

 ぺテルからの礼を、彼は素直に受け取らなかった。

 何しろ、ここで彼女を仕留めようと思えば仕留められたのだ。それを見逃したのは、完全にリジンカンの勝手な感情ゆえ。

 クレマンティーヌと名乗った女は、間違いなく極悪人であり、殺さない限り多くの被害者が出ることは確実である。見逃した以上、これから彼女が誰かを殺せば、それはリジンカンが殺したも同然ということになる。

 

「どの面さげて、感謝しろって言えるものか」

「――は、何か?」

「いや、何でもない。それより家を確認したほうがいいぞ。不審人物が出入りしていたんだ。何かしら盗難やら仕掛けやらしていたら厄介だ。――死体の方は、どう処理したもんかね。ンフィーレア、何かしらツテでもあるか?」

 

 リジンカンは、どうにか場をごまかしながら、後片付けに奔走した。ンフィーレアの祖母であるリイジー・バレアレが、モモンガと共に帰宅した際、この騒ぎの内容を二人は知ったが、あまりの急展開にしばらく言葉を失ったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウォン・ライはナザリックに帰っていた。デミウルゴスはお楽しみ中だったので、アルベドとあれこれ相談しながら、今後の方策を練る。

 

「とりあえず、カルネ村に関しては、私から言うべきことはありません。ウォン・ライ様の思うとおりになさるのがよろしいかと。持ち出した物資も、価値としては最底辺のもので、まず問題は起こらぬと思われます」

「――で、あれば幸いだ。自分の判断力が鈍っていないとわかれば、安心できる」

 

 ウォン・ライは、自分が庇護すべき人民に対して、時に甘くなりすぎることを自覚している。

 だからこそ、第三者の目は絶対に必要であり、アルベドにその役目を求めたのは、おそらく間違いではないだろう。

 

「しかし、今後カルネ村のような例があった際、今回のような大盤振る舞いを毎度続けられては、流石に許容範囲を超えることになります。――今回限り、という前提であれば、これから投入される物資についても、モモンガ様は黙認なされるでしょう」

「……使うのは、私が個人的に貯めていたものなのだが」

「今後、何度でも使う機会が来るとしたら、消費される一方ではいずれ枯渇します。そうなれば、モモンガ様とて苦言を呈せざるを得ないでしょう。……できうる限り、自重を求めます」

 

 アルベドとしては、直接発言できる範囲で、最大限の諫言をしているつもりなのだろう。

 ならば、こちらとしても譲歩は必要であろう。カルネ村は特例として、以後は過剰な支援はやめようと誓う。

 

「もう一つ、懸念事項が」

「問題があるなら、ぜひ聞いておきたい」

「村への支援が手厚いのは、この際結構でしょう。ただ、それが外に知られればどうなりますか?」

「外……国家か。なるほど、不自然に急速に復興する村があれば、政府としても気になるだろう。被害の大きさについては、すでに戦士長から報告が言っているはずだし、村が異様に発展しようものなら、調べに来ないとも限らない。そして調査の手がカルネ村に入れば――」

 

 ウォン・ライは言葉を止めた。どうあっても、愉快な結果にはならないと確信したからだ。

 なるほど、アルベドとも話をしてみるものだ、と彼は心底思う。もし相談相手がモモンガであれば、ここまで気づいただろうか。

 モモンガは安定した先進国に住んでいた人間であり、程度の低い役人というものを知らない。あるいは、教育が行き届きすぎている役人の、質の悪さというものを。そしてアルベドは、そうした人間の愚かさを懸念しているのだ。

 

――これは、あまり支援を継続するのも考え物だな。少なくとも、大っぴらに庇護できる状況が整うまでは、自重するのが無難だろう。まだまだモモンガ殿は、外の世界で地盤を固めている最中。こちらの不始末で、面倒をかけさせてはならん。

 

 自然に復興した状況ではなく、何者からの援助の跡が見える。誰が、どのような理由でと突き詰められれば、ほどなくウォン・ライにたどり着く。さらに調査が進められれば、ナザリックの存在が明るみになる危険性すらあるのだ。

 まだまだ時間的に余裕はあろうが、楽観して放置するのもどうか。対策はいくらもあるが――と考えたところで、彼はアルベドと目を合わせて、言った。

 

「計画の前倒しをするか。いささか時期尚早だが、王国が我々を捕捉するまで、出来ることをしておかねばなるまい。可能であれば、国家との直接的な接触も、こちらの想定通りに事を進めたいものだが」

「失礼。計画とやらの内情は、こちらは把握しておりませんが……もしモモンガ様に、この上さらなる負担を押し付けようとなさるのならば。――ナザリックの統括者として、素直に賛成は致しかねます」

「道理だ。……が、何をもって余計な負担というべきなのか。今、モモンガ殿は楽しんでおられる。冒険者としての生を謳歌しておられる。多少は張り合いを持たせる方が、緊張感も出て良いと思うが」

「――結果良ければすべて良しと? そのお言葉、そもそもモモンガ様なら拒否されることもあるまいと、たかをくくっておられるようにも見られます。……ギルドマスターに対して、僭越とも取れる態度ではないでしょうか」

 

 アルベドは、必死に己を抑えている様子であった。表情は動いていないが、目の色が変わってきている。実際、目は口程に物を言うのだ。

 彼女の中に、いかなる感情が渦巻いているのか。これまた捨て置くのは危険、とウォン・ライの勘が働く。悋気であれ怒気であれ、ため込んでよいことなど、一つもないのだ。

 

――アルベドが腹に一物抱えていることは、なんとなくわかる。余裕があるうちに、吐き出させておくべきだろう。ならば、ここで一手加えるか。

 

 演技をするように、悩まし気に自身の頭を軽く叩きながら――これを行きすぎたお節介と取るな、とウォン・ライは答えた。

 声色も開き直ったように、あえて明るく軽く、しかし不自然でない程度に馴れた口調で続けた。

 

「モモンガ殿は寛大で、理性的なお方だ。私が必要と断じて、それなりに合理的な理屈を適当に述べれば、納得してくださるとも。そして、彼は頼られること、必要とされること、何より仲間に認めてもらうことを非常に重視している。このウォン・ライが『頼む』と言えば、拒否はなさらぬだろうさ」

「どうして――そこまで、身勝手になされるのです! ……モモンガ様が、貴方を! 貴方がたのことを! 何より大事にしているということを、まさか知らぬとは申されますまい! ……もし、あのお方を傷つけてごらんなさい。たとえ至高のお方であろうと――」

 

 アルベドは、そこまで言って、口を切り結んで、噛みしめた。発言してよい言葉ではないと、理性が感情を押しとどめた結果だろう。

 まず感情を引き出させただけで、結果は上々かとウォン・ライは満足げに微笑む。それがまだ彼女の想いをひどく刺激させるのだが、わかっていて彼は口舌を踊らせた。

 

「ふむ、正直に言えたな。私に対して、思うところがあるようだ。……一応答えておくと、酷使するとしても、リジンカンと私自身だけだ。モモンガ殿に影響がないとは言わないが、常にアクシデントは起こりうる。いちいち腹を立てていては、この先、持たないぞ?」

「……左様で。ご自身が原因であるというのに、そのふてぶてしい態度。尊敬に値します。流石は至高のお歴々、ギルドマスターへの好意的な態度さえ崩さねば、全ては許されると確信しておられるようで、実に羨ましい御身分ですわ」

 

 アルベドがここまで感情的になるのは、きっとウォン・ライが煽ったせいであろう。続けて一言、二言と続ければ、面白いほどに乗ってくる。モモンガが主題であるだけに、容易く受け流すということもできない様子だった。

 

――いやいや、わかりやすく恋する乙女だ。いいものが見れたと思うが、さて、アルベドの設定はどうであったか。年を取ると物覚えが悪くなっていかんが、やはりモモンガ殿に特別な感情を抱いていたとか、そういう設定があったらしい。

 

 もちろん、当人は理解してやっていた。彼自身がその気で振る舞えば、うぶな生娘を転がすくらいは訳はない。

 彼女は極めて優秀な頭脳を持っているし、謀略にも相応の適性があるのだろう。そうでなくては、曲者ぞろいの守護者をまとめられるわけがあるまい。

 ただ、数十年に及ぶ中国大陸の混乱期を生き抜いた、老獪な悪党の手管には及ばなかった。それだけの話である。

 

「時にアルベド」

「……はい、何でございましょう」

「私が憎いか」

「――失礼。なんとおっしゃったのか、もう一度繰り返していただいてもよろしいでしょうか」

 

 また、これがアルベドができる、最大限の譲歩であることも、ウォン・ライにはわかっていた。

 暴言らしきものは吐いていたが、決定的な亀裂は避けていた。それくらいの分別は、今の彼女にもあると、外面を見ていれば察せられるものだ。それでもなお、彼は踏み込む。

 

「私が、憎いか、と。そう、言った」

 

 強調して、大きく、ゆっくりと言った。アルベドは、なおも沈黙を守った。話題を変えれば、何事もなかったように話に乗るだろう。その確信を得ながらも、彼は彼女の返答を待った。

 ウォン・ライは意味ありげな微笑みの態度を崩さない。アルベドは諦めたように、それでいて呆れたように、確認するように言った。

 

「……意図を計りかねます」

「正直に述べればよい」

「後悔なさるかもしれませんよ? どうしてか、今の私は取り繕う余裕すらないようですから、思ってもいないことを、勢いに任せて言ってしまうかもしれません」

「それで処罰しようとは思わぬし、モモンガ殿に孤独を味わわせたという点で、どんなに糾弾されても仕方がないと、私は思っている。――さあ、この場にモモンガ殿はいない。そのまま、アルベドの想いを吐き出してくれないか」

 

 アルベドは、無表情を保ったまま、しばし目を泳がせる。

 だが、それも数秒のこと。しっかりとウォン・ライの目を見据えて、口を開いた。

 

「嫌っております。ええ、憎んでおりますとも。愛するモモンガ様を傷つけておきながら、何食わぬ顔で出戻って、そのくせ喜んで受け入れられた。――本当に妬ましい。私が同じことをしたら、果たしてモモンガ様は同じような態度をとってくださるかしら? いいえ無理ね。それがわかるから。特級の特別扱いをされていると、見せつけられているから、不快で仕方がない。ああ……憎らしいですわ、ウォン・ライ様。なのに同時に貴方を敵に回したくないと思う自分がいる。嫌悪と憎悪を抱きながら、感嘆を感じずには居られませんの。どうして貴方は、私の感情をここまで引き出せたのでしょう。デミウルゴスに対しては、誤魔化すこともできたというのに、まことに不思議なことではございません?」

 

 必要以上に饒舌になっている。口調の崩れは、心の乱れでもある。良い傾向だと、ウォン・ライは笑みを深くした。

 笑うしかなかった。ここまでモモンガを想ってくれるNPCが居たとは予想外であり、本気で嬉しかったのだ。

 至高の存在と、一緒くたに纏めてあがめられるよりはずっといい。その方がずっと、人間らしく女らしい。そうした女性を得られるモモンガは、本当に幸せ者だと思うくらいだ。

 彼はもっと報われていい。寂しい思いをさせた分だけ、暖かい心で包んでやりたかった。対象がアルベドならば、これ以上ないほど都合がいいだろう。

 

「それだけ愛情が深かったということだ。想い人の言動に、一喜一憂するのが恋する乙女というもの。それにここまで情に厚い女は、男にとって得難い宝と言える。アルベドに愛されているモモンガ殿は、幸福だな」

 

 皮肉で言っているのかと、アルベドは顔をゆがめて視線だけで彼に伝えた。意図を正確に受け取りながら、ウォン・ライは上機嫌なまま口を開く。

 

「お互いに、認識のすり合わせが必要だとは思わないかね? モモンガ殿を第一に考えて、何より彼のために生きたいと願っている点では、我々は同志だ。協調も協力もできようし、相乗効果でより為になる働きができるはずだ」

「物は言いよう、とはこのことですね。――ええ、結構! その寛大さに感謝して、とことん話を詰めようではありませんか」

「前向きになってくれて、結構なことだ。いや、一戦やらかすことも覚悟していたが」

「……そこまで短絡的でもございません。いえ――失敬。そう思われても仕方がないほどには、感情を吐き出した自覚がありますが」

「すべては、自覚するところから始まる。お前が私の失点を指摘してくれたように、その愛情の行方も、これからの行動でいくらでも変わりうる。まずは、モモンガ殿にわかっていただくところから、始めようじゃないか」

 

 それから二人の会談は一晩中続いた。建設的で有意義な時間であったのは間違いないだろう。

 モモンガにとって、どのような意味で幸いであったのか。詳細を知るには、今しばらくの時間が必要ではあろうが――ともあれ、好ましい形で終わった話であるのは、確かであった。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。