何かしら問題点があれば、気兼ねなくご指摘ください。
ウォン・ライは、申し訳なさそうにうつむいていた。何しろ、勝手な都合で部下のプランを却下するのだから、気が重くなって当然である。
捕虜の扱いは、モモンガとの話し合いで決めてしまった。もともと、人間牧場の採用には慎重を要すると思っていたから、即決することはまず無理であったろう。
しかしそれらはこちらの都合。デミウルゴスは、真面目に完璧な牧場の絵を描いてみせたというに、今は我慢しろと言わればならぬ。
「お気になさらず。また改めて、機会をうかがえばよいこと。ウォン・ライ様が心を痛めるようなことではありません」
「いや、お前の努力を無にした。それは確かだ。……すまない。捕虜の連中は、あまり大々的に使いつぶすことができなくなった。ほかの使い道を見出してしまってな。悪いと思っている」
デミウルゴスは、捕虜の数を考慮して、穴のない繁殖計画と牧場経営を、書面で立案してみせた。つがいの作り方から、箱の規模まで詳細に詰められている。
組織の経営と維持については、ウォン・ライも一家言ある身であるが、彼のそれは文句のつけようがなかった。もちろん、倫理的な――人道的な見地からいえば論外だが、悪魔の論理はどこまでも効率のみを追求する。
――モモンガに相談できることではない。心労はなるべく減らしてやりたいし、草案段階なら握りつぶしても言い訳が聞く。……実行に移すとなると、報告せんわけにもいかなくなるからな。
そしてナザリックの利益がすべてに優先する以上、単純に慈悲やら情けやらを示すわけにもいかない。愛すべきギルドマスターは、それが有効と理解したなら、不快であっても許可するだろう。そして、自らの決断を嫌悪しても、皆で決めたことだからと我慢するに違いない。
わずかな心労でも、積み重なれば悪影響は出る。ウォン・ライは、モモンガの精神を荒ませたくなかった。せめて段階を追って、成長させていくべきだと考えていた。
嫌なことを先送りにしただけ、と言われれば、そうであろう。それでもモモンガには、適応のための時間が必要なのではないか。
「牧場という規模を維持するには、どうしても数がいる。しかし残りの捕虜を丸ごと実験的に消費するのは、今となっては都合が悪くなってしまった。下手に潰してしまえば、柔軟な運用ができなくなるからな」
「お二人が話し合って決めたことです。私に異論などありましょうか」
「――すまない。せっかく有用な計画を立ててくれたが、今は見送らせてくれ」
ウォン・ライは、改めて頭を下げた。その顔には苦渋がにじみ、心痛を思わず察してしまいそうな、悲痛な雰囲気が感じられる。
だからこそ、むしろデミウルゴスは焦ってしまった。この程度、何ほどのことではないのに。悪魔の頭脳からすれば、今回の件自体がお遊びのようなもの。ご破算になったとて、痛手はないのだ。
それを、『部下の楽しみを奪った』くらいの軽い話で頭を下げられては、恐縮するばかりである。
「そのような……こちらこそ、お許しください。私から、勝手に申し上げたこと。そこまでに気にかけてくださっているなら、もう少し融通の利く計画にすべきでした」
「いや! お前は完璧だった。どのような仕事でも、完璧にこなしてみせる。それがデミウルゴスという知者の価値なのだ。――控えめにやろうなどと、考えてはくれるな。お前は、そのままでいい。何ら負い目を感ずることなく、これまで通りいい仕事をしてくれればいい」
デミウルゴスの牧場は、書面において完璧だった。非の打ちどころがなく、完全に、無駄なく、効率的かつ現実的な地獄を生み出すところであった。
まさに、完璧すぎたといってよい。あらゆるものを使いつぶし、余すところなく利用しつくす計画は、完成度が高すぎたために些細な狂いさえ許されていなかった。
これは彼なりの完璧主義の表れであろう。それだけ力を入れて、貢献したかったに違いない。目に見える成果を出して、役に立っているという実感を得たいのだろう。
――そうした心情も見えるから、一概に切って捨てることもできぬ。うっぷんをたまらせるのは、よろしくない。『先送り』という形で希望を持たせねば、彼とてやり切れぬ思いをするだろう。
計画だけを見るなら、彼自身の運営能力と、捕虜全員を十全に使い切る状況さえ整っていれば、問題なく機能したに違いない。
優秀な男であるのは確かであった。だからこそ、自らの力を認めてもらいたい気持ちも、人一倍強いのだろう。これを無下にするばかりでは、やる気をそぎかねない。何かしらのフォローが必要だと、ウォン・ライは考える。
「いえ、こちらも急ぎすぎました。熟慮して、案を練り直せばよいことです。今しばらくの時間を、いただけますでしょうか」
「ああ、もちろんだとも。――無理はしないようにな」
計画の修正は、おそらく容易であろう。当初予定した規模と範囲を狭めて、そこそこのものを作り直すことはできる。
ただ、その時になってまた修正が入ってやり直し、では面目が立たぬ。少々のアクシデントが起こっても問題ないよう、入念に準備しておきたいと、デミウルゴスは考えた。そのためにも、様子を見る時間がいる。
そうした意思を、ウォン・ライの方も感じ取ったのだろう。ねぎらうように、付け加えて言った。
「……仕事続きで、疲れているだろう。今日一日は休暇を取るのはどうだ。差し迫った仕事もないことだし、気分転換も、たまにはいい」
「そうですね。――お言葉に甘えさせていただきます」
デミウルゴスは、決して反感を抱いたわけではない。ただ、残念には思っているから、気分を切り替えたい気持ちはあった。
ウォン・ライの言葉には、温情が感じられた。失望されているのではなく、ただ案じられている。そうした気遣いも理解できているから、彼の心にしこりはない。
「急な休みができると、時間のつぶし方に困るものだ。……実務を離れて、趣味に興じるのも手だ。その気があるなら、私の方から一つ貸し出そう」
「は、それは……?」
「なに、ただの余興だ。休めと命じたのだから、それなりにリフレッシュしてもらわねば、意味がないだろう? いい話だと思うがどうかな。貸し出すのは、先日の人間だが」
ニグンとか言ったが、そんな名札は忘れて遊んでよい、とウォン・ライは言った。物足りないなら、度が過ぎない範囲で、つまみ食いも許すと。
さしたる気負いもない、穏やかな声である。子供におもちゃを投げ与えるように、赤鬼の態度はあっさりしたものだった。
「遊びがいのある玩具をいただき、ありがとうございます」
「壊さなければ、どんな楽しみ方も許そう。気兼ねなく、休養を取りなさい」
ウォン・ライは微笑んでいた。残酷なことを口にしているとわかっていて、なお笑った。
そして、デミウルゴスも感謝の意を笑顔で示した。悪魔の笑みはどこまでも邪悪に見えたが、鬼の笑みには相手への慈しみ、身内への愛情が感じられるほどだった。
「ならば存分に。今日一日は、弄り回すことにいたしましょう。――なるべく、長く楽しめるようにした方がいいですね」
「ああ、教育に協力してくれるなら、願ってもない。ナザリックに早くなじめるなら、その方が彼のためでもあるだろう。――苦痛を感じる時間は、短いほど良い。デミウルゴス。君にその気があるのなら、彼に自らの幸福を実感させてやりなさい」
残酷なまでの冷淡さと、あたたかな情愛を同時に抱いて矛盾しない。中立の属性も、見方を変えればどこまでもおぞましくなる。
その例として、ウォン・ライほどふさわしい者は、他にないであろう。彼はどのような残虐な行為の後でも、変わらない笑顔で子供たちを愛せる人物であった。
「はい、了解いたしました。――まこと、あれは幸福です。ナザリックにおいて、至高のお方に気にかけられるほど、幸せなことは他にないのですから」
デミウルゴスは、心から享楽に浸るつもりだった。愉悦の感情が、笑みを凶悪なものに見せる。
ウォン・ライは、それを許した。彼にとっては、この程度の邪悪は何ほどのことでもない。必要な悪は許容するのが、その男の倫理であった。善行を行うのと同じ感覚で、ウォン・ライは悪行を成してしまえる。
生前、彼は二十二世紀の中国という、暗黒大陸を導いた指導者でもあったのだ。それほどの偉業を成した男が、単純な聖人君子であるわけがない。
愛情に満ち溢れていることと、外敵に対して非情であること。心優しいことと、残酷であること。それらの両立を、彼はまさに体現していたのだ。
慎重さにおいて、モモンガはそれなりに気を使っているつもりであった。
油断していたつもりはないし、臆病さは常に心の中にある。だが、どこかで傲慢であったのだろうと、彼は思い知らされた。
『文字が読めない、というのは結構面倒なもので、周囲に知られれば侮られて不利益を招く。そして文字が分からなければ、依頼書から適切なものを見つけるのは難しい。なら、人を介して依頼を得ればいいわけで――どうにか、事前に話をつけられました。リーダーとして、対応をお任せしますよ』
言語の違いという事実に打ちひしがれたモモンガは、頭を抱えるところだったが、リジンカンの伝言によって、気持ちを切り替えることができた。彼はいつの間にか姿を消していて、ちょっとした商談を成立させたらしい。その行動力は称賛に値するし、短時間に話をまとめる交渉力は、モモンガにとってもいい意味で予想外である。
――状況に迷っていたから、この申し出は渡りに船というもの。まったく、よくぞ優秀な義息を持ってくれたと、感謝すべきだな。
冒険者組合に来て、さてどのような活動をすればいいかと、依頼書に目をやってみた。するとどれもこれも、モモンガに解読できる文字ではなく、独自の言語でつづられている。
手に負えないとわかると、ナーベに助けを求めたが、彼女も読めない様子であった。だから、リジンカンが早々に手を回してくれたのは、彼にとって幸いであったといえるだろう。
『びっくりするほど的確な行動だな。……よく気づいてくれたと褒めたいが、話がうますぎる。どうやって依頼を調達した?』
『昨日のうちに、組合には顔を出しておりましてね。あれこれと冒険者を観察して、適当な能力があって、適度に困りごとがありそうな連中を見定めておきました。――伸びしろがあって、ある程度の稼ぎを必要としながらも、後一歩が足りない手合い。その中でも人格が良さそうで、協調性のあるパーティを選んだつもりです。ま、気楽に接してやってください。悪いようにはならんでしょう』
彼は用意周到だった。単独行動によって、いち早く広く活動していたから、この手の問題にも気付けたのだろう。そして即座に対応してみせ、利益を呼び込んでくれた。
話の中には、手柄を強調するための、いくらかの誇張もあろう。だがモモンガの求めるフォロー役として、十分な成果である。このリジンカンの才覚は、どこから来ているのか。
華僑の商才は、日本人にも有名である。もしかしたらウォン・ライは、やり手の企業家で、リジンカンにもその才能が受け継がれているのかもしれない。詳細な設定まで把握していないモモンガは、とりあえずそのような解釈をすることにした。
「貴方がモモンさんですね? 私はペテル・モークと申します。フェイさんから、話を聞きました。何でも、凄腕の戦士であるとか」
「――さて、こちらの冒険者の水準はまだ把握していないので、何とも。しかし、それなりに経験は積んでいるつもりです。足手まといには、なりませんよ?」
リジンカンが連れてきた冒険者たち。そのリーダーらしき男から声を掛けられる。
紳士的で、礼儀をわきまえた人物らしかった。これなら、モモンガとしても対応しやすい。漆黒の剣、というパーティを名乗った者たちは、それぞれに自己紹介する。
名前と顔を覚えるのは、モモンガの得意分野である。初対面でも親しく接して、警戒心を解くこともまた、経験豊富な分野であった。
ちょっとした話し合いの中でも、相手への敬意を忘れずに応待すれば、より踏み込んだ話がしやすくなる。経験則として、モモンガはそれを知っていた。日本の社会人として、それも営業として職歴を重ねてきたことは、無駄ではなかったらしい。
――こちらの把握していない分野、その内容は確実に理解しておくべきだ。機会は逃さないようにしないとな。
会話の最中に、生まれながらの才能――タレントについても知れたのは、思わぬ僥倖であった。他にも知らなければならないことは、いくらでもあるだろう。
「話は分かりました。討伐依頼を行うから、戦力の増強として、我々の力を借りたい。そういうことですね?」
「はい。フェイさんは報酬は折半でいいとおっしゃっていましたが、リーダーはモモンさんでしょう? 問題はありませんか」
「それで結構です。お互いに冒険者として、対等な付き合いが出来るのなら、それが一番いい。どうぞ、よろしくお願いします」
「いえいえ、漆黒の剣のリーダーとして、こちらこそよろしくお願いします。モモンさんは、装備からして只者ではない様子ですし、ナーベさんは第三位階まで魔法が使える。フェイさんはよくわかりませんが、お二人と組んでいる以上は、優秀な戦士なのでしょう。期待させてもらいますね」
相手方のリーダーであるペテルは、和やかな雰囲気を維持したまま話を進めた。社交的で、他のパーティとも上手く接する術を心得ている。
いかにも中堅どころらしい冒険者である。彼らをモデルとして、冒険者のレベルを測るのもいいとモモンガは考えた。力量はもちろんだが、知識、教養なども付き合う内に引き出しておきたい。
冒険者には相応の振る舞いというものがあり、生まれ育った文化の差異もあるだろう。そうした日常的な分野は、なるべく早く知るにこしたことはないのだから。
「こちらは、もう準備を済ませてあります。モモンさんがよろしければ、これからすぐに動きたいと思っているのですが」
「いくらか、食料の補充が出来ればと思っています。手持ちが少し、心もとないので」
「ああ、それならさっき、フェイさんが手配していましたよ。なら、心配はいりませんね」
食料など必須ではないが、カモフラージュのために、多少は必要だろうと思っていた。
だがリジンカンは、そこまで気を使ってくれたのかと、思わず彼の方を見やる。
「カウンターに用意してくれてるんで、ちょいと取りに行ってきます。すぐに戻ってきますから、それから出立ということでよろしいですな? モモン殿」
「ああ、そうしよう。――漆黒の剣の皆も、それでいいかな?」
彼らの方も、否やはない。決まることが決まったのなら、後は出立するだけだが……。
「あ、ちょっといいですかね、モモンさん」
「はい。ルクルット……さんでしたね。なんでしょう?」
「お三方はどんな関係なんでしょうか! 特にナーベさんとの関わりについて詳しく!」
ルクルットの問いは、お決まりの社交辞令から、一歩踏み込んだものである。
お互いの素性を知るのは大事なことだが、詮索嫌いの人間はどこにでもいるもの。紹介した以上のことは、あえて聞かないのも、付き合いのうちに含まれるものだが――。
しかし、あれこれと情報を一方的に引き抜いて、こちらは何も語らない、では不公平もいいところだ。そうした負い目は、モモンガの心に良くないものを残す。
「……仲間です」
モモンガは、相手の意図を知るために、あえて一言だけ答えた。それで義理は果たしたと思うことにする。ここからどこまで突っ込んでくるかで、ルクルットとやらの器量も知れる。
共に行動する相手、その性格を知るための、彼なりの手管であった。だが、そうした思惑などぶっちぎって、ルクルットは言う。
「ナーベさん! 貴女に惚れました! 一目ぼれです、付き合ってください!」
鼻息の荒さから、ジョークでないことは一目瞭然であった。これにはモモンガも一瞬、思考が止まった。
ここではむしろ、ナーベラルの方が臨機応変に対応できた、と言える。
「黙れナメクジ。舌を抜きますよ?」
「ありがとうございます! 友達から始めるということでいいですね!」
「死ねウジムシ。誰が友人になるって? その挑発的な目をスプーンでくり抜いてやりましょうか」
適切な対応であったかどうかは、さておき。ともかくナーベラルは拒絶した。ならばモモンガとて、その意思を尊重したいと思う。
とりあえずこの場を収めようと、モモンガは口を開こうとしたが、それより先にぺテルの方から詫びてきた。
「仲間が、ご迷惑をかけます。申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ。……ナーベ、そこまでにしておけ」
「ルクルット、強引に迫るのはよくありませんよ」
リーダーの声を無視するほど、二人の物分かりは悪くない。
ただ、それは自重したという意味であって、気持ちを入れ替えたというわけではないのだ。ルクルットは露骨な視線をナーベラルに向け、彼女もまた蔑みの目で彼を見ている。
困ったものだと思いながらも、何とか折り合いをつけるしかないか、とモモンガはあきらめた。どうせ、そう長い付き合いにはなるまい、と思ったから。
「さ、こちらも準備は整ったぞ。物資は買い足しておいたから、あとは出発するだけかな? モモン殿」
「ああ、リ――、フェイ・ダオ。お前を待っていたところだ」
頭を悩ましていた時に、頼もしい従者が帰ってきたと、モモンガは安心する。気休めに近いが、彼が間に入ってくれれば、ナーベラルの態度も軟化するのではないか。
それくらいの期待をしてもいいだろうと、なんとなく彼の方を見やる。すると、心得ましたとばかりに微笑んで、リジンカンはナーベラルに声をかけた。
「どうしたナーベ、せっかくの美人がもったいない。しかめっ面よりは、無表情の方がお前らしいぞ」
「……貴方には関係ないでしょう」
「そう怒るな。口説かれるのは仕方ない。美人だからな、お前さんは。――どうだルクルット、うちのお嬢様は綺麗だろ?」
「おう、これまで見たことがないくらいに美人だ! まったく、よく紹介してくれたよ!」
ルクルットの元気のよい返事に、思わずナーベラルはリジンカンを責めるような目で見た。
この結果は貴方のせいかと、問うような視線であった。
「おいおい、紹介までしたつもりはないぞ。彼女が大層な美人だとは言ったがね。――気難しいから、付き合うのはあきらめろ」
「そりゃないぜ。いい女を口説いて何が悪い。無理強いしてるわけでもなし」
「これから、一緒に仕事をする仲だ。焦ってがっつくほうが印象が悪い、だろ? ……ま、本当にその気なら時間をかけることだ」
ルクルットとリジンカンは、友人のような、気安い会話を続けていた。
その態度にいら立ちでも感じたのか、二人の会話に割り込むように、ナーベがつぶやく。
「フェイ。私はソレに付き合うつもりなど、これっぽっちも! ……ないのですが」
「無視したければそうしたらいいし、目障りならはっきり言ってやればいい。ナーベ、美人として生まれたなら、男のこうした態度には慣れろ。――そのうえで、羽虫には羽虫なりの習性やら道理やらがあることも、理解できるようになったらいい」
男は馬鹿だから、美人が多少つれなくしたところで、それも魅力だと勝手に納得するからな――と、リジンカンは軽く言い放った。ルクルットも、笑ってそれを肯定した。
――リジンカンは言葉とは裏腹に、ナーベラルの想いをくみ取っている。巧みにルクルットの視線をさえぎったり、彼女の目に彼が映らないよう振る舞って、緩衝材の役割を果たしてくれている。
モモンガとして意外ではあったものの、リジンカンは確かに、自らを推すだけの能力を持っている。ナーベラルの強烈な排他性も、彼のおかげで、少しは大人しく演出できただろう。これだけでも連れてきて正解だったと、思わせるほどである。
「ところでモモン殿、追加で依頼が入ったようだ。競合するような内容ではないので、同時に受けて構わないと思うが、どうか」
「まずは、話を聞こう。その依頼人とやらは?」
「こちらだ。いや、受付嬢から、ちょっと話を聞いてね。……俺も確認したが、相応に訳ありだ」
断るのはよしたほうがいい、とモモンガにだけ聞こえる声量で、リジンカンは言った。
どういうことか、モモンガは頭をかしげざるを得なかったが、疑問はほどなく氷解する。
「ンフィーレア・バレアレと申します。モモンさんに依頼をお願いしたく思います。……どうか、僕の話を聞いてください」
宿屋で冒険者を吹っ飛ばした件が関わっていると聞いて、モモンガは自省せざるを得なかった。
そして薬草の採取と警護の依頼と、ンフィーレアが薬師であること。それを聞いて、色々と思うところがあったが、考えるのは後回しにした。
色々と振り返って考察すれば、気づくことはあるだろう。だが、まずは依頼人と仕事を共にする者たちに、誠実に接するべきだった。それが、モモンガの人としての感性であり、彼なりの矜持でもあった。
モンスターの討伐と護衛を兼ねて、モモンらと漆黒の剣はカルネ村へと進路を取った。
村に向かうのはンフィーレアの事情だが、途中で森の周辺を経由するため、モンスターとの遭遇を期待できる。首尾よく討伐数を稼げば、一挙両得と言えるだろう。
効率よく依頼をこなすための知恵であるが、実力がなければ不可能といってよい。ただ今回、戦力は十分そろっているという自負があった。
『伝言も含めて、外にいるうちは、俺のことはフェイ・ダオで通してください。いちいちリジンカン、と呼び直すのも面倒でしょう』
『では、私のこともモモンと呼べ。外では、冒険者として徹底するつもりだからな。ナーベラルのような、妙な呼び方をしてしまうのも、されるのも結構だ。……ついでに、敬語もいらん。ナーベラルは気性的に仕方あるまいが、お前とは対等に接したほうが、むしろ自然に見えるだろう』
ナーベラルの態度は、彼女だから許される、という感覚的な部分が大きい。モモンガとしては、リジンカン――いや、冒険者フェイ・ダオには大いに期待したく思うのだ。
『これまでも、ずいぶんと気安く接していたつもりですがね?』
『外では、伝言を通じても普通に話してくれていい。こういうことは、徹底したほうがいい結果が出るものだ』
『まあ、努力しますよ。敬うよりは、親しみたいというのも本音でして。……ただ、ある程度、丁寧に接する分には許容してください。結局、主従の序列が乱れてしまっては、本末転倒ですんで』
妙なところで遠慮するものだ、とモモンガは思うが、これも彼なりのけじめというものだろうと受け入れる。
身内同士の内緒話もそこそこに、相手方のリーダー、ぺテルの方からも話しかけてきた。移動中、馬車の中は手持無沙汰で、周囲の警戒ばかりやってはいられない。
装備品のチェックは事前に済ませておくものだから、ここはむしろ、同行者との交流を深めて、連携を取りやすくするというのが無難な手であるのだろう。
いくらかの基礎知識や、近隣諸国への雑感、ついでに魔法や戦闘の技術について軽く話し合ったあと、ぺテルは神妙な面持ちで問いかけてきた。
「モモンさんは、冒険者になってどれくらいになりますか? 知識は浅いように見受けられますが、場慣れしている風でもある。ああ、気に障ったなら申し訳ないのですが――」
「……王国に来たのは最近です。登録したのは昨日なので、まあ、なったばかりといってもいいのですが。ただ、こちらに来る前は、あれこれと経験を積んできています。足手まといにはなりませんよ」
「――なるほど、他国で活躍されていた、というわけですか。いや、装備からしてただものではないと、思っていたところです。鎧といい、大剣といい、並みではありません。目利きが利くほうではありませんが、それでも相当高価なものだとわかります」
モモンガとしては、そこまで高位の装備を持ち出したつもりはない。見栄えするように、相応のものを見繕ってはきたが――本気で全力戦闘を行うつもりなら、さらに豪勢な武装を持ち出してきていたろう。
それをあえてしなかったのは、この国における、常識的なレベルに合わせたからだった。情報不足なので不安はあったが、ぺテルの反応を見る限り、うまい具合にちょうど良くできたらしい。
「そうですか。しかし、私は自分などよりも、さらに凄い戦士を知っていますよ」
「モモンさんより、ですか。世の中は広いですね。上には上がいる。当たり前のことですが、頂点は遠い。……自分たちは、果たしてどこまで力を伸ばせるのか。たまに不安になりますよ」
ぺテルは、視線を馬車の外にやった。遠くを見るような視線だが、警戒している風でもない。
何か、気に障ることを言ってしまったろうかと、モモンガは不安になった。が、ここでリジンカンが口を挟む。
「難しいよな、強くなるっていうのは」
「……フェイさん」
「強くなればなった分だけ、責任が増える。できることをやらなかったと、責められることもある。少しでも保身に走ったら、それだけで非難されることもあるんだ。……強くなりすぎるのも、困り者だと思わないか?」
モモンガは驚いた。彼が思ったよりも神妙な表情で言うものだから、何があったのかと勘繰りたくなるほどだ。
厳しい、苦い表情である。飄々とした、いつもの態度からは、想像しにくい顔つきだった。
さほど深い付き合いではないモモンガでも、この発言が本心からのものだとわかる。それだけの感情が込められているのは、なにゆえか。
「俺の親父は、それは立派な人物でね。色々なことを成し遂げて、多くの人を救った。だが、それだけ出来てしまう人だと、批判も多く受けるもんだ。『あなたなら、もっと多くの人を助けられたんじゃないか』『身の安全を図りすぎて、仕事に手を抜いたんじゃないか』……勝手だよな。あんなに強い人だからと、人々に期待されて、それで少しでも希望が満たされないと、大衆って連中は途端に非難しだす。――なあ、ぺテルさん。あんたには、あんたに見合った力ってもんがある。侮辱するわけじゃないが、自分の限界は見極めたほうがいい」
「それは――」
「幸福になることは、強くなることよりずっと難しい。焦ったり、無理をしたりして、大けがしたら何にもならないだろう? 高みを目指すのは、まあ、俺たちのような冒険者にとっては本能みたいなもんだ。――だが、身の丈に合った成長をして、そこそこの成功で自分を満たしていく。そうした気持ちを持った方が、人生楽しいぞ?」
自分の父親――ウォン・ライについて、彼が語ったのは初めてのことだろう。
モモンガ以上に付き合いの浅いぺテルに、その言葉がどこまで届いたのかはわからない。だが、自分たちを思って言ってくれている。そうした心遣いは、十分伝わったようである。
「お気持ちは、ありがたく。ですが、早々にあきらめたくもない。それもまた、本心です」
「ああ、そうだろう。まあ、なんだ。あまり気負うなよ。不安を持つのは仕方ないが、できることからやっていけばいい。……それなりの対価さえ用意してくれれば、俺だって協力はしてやれるしな」
「考えておきますよ。――モモンさんほどではないにしろ、あなたも腕が立ちそうだ」
お互いに、何かしら通じ合うものがあったらしい。ぺテルは気分を害した風もなく、微笑んで返した。モモンガには、やはりわからないが……うまくいっているならいいだろうと、鷹揚に構えることにした。
なんといっても、不景気な顔で黙り込んでいるナーベラルと比べたら、そちらの方がよほどいいと思う。
「仲間が歓談している間も、気を抜かずに警戒を続けている俺って、かっこよくない?」
「いえ、別に」
「いやいや、これでも警戒と索敵には自信があってね。これまで何度もパーティに貢献したもんだよ。な、リーダー?」
相も変わらず、ナーベラルにアプローチするルクルット。その会話に引き出されたぺテルは、苦笑しながらもうなずいた。
「否定はしませんよ。実際、優秀だと私は思います」
「だろ? ――な、これで結構仕事はできるわけ。見直した?」
「モモンさ――ん。これを黙らせる許可をいただけますか? 具体的には、一昼夜ほど」
モモンガは呆れるように頭を振って、明後日の方向へと視線を向けた。ナーベラルの人間嫌いは困ったものだが、ルクルットにも問題なしとは言えない。さりとて、これから初仕事を控えて身としては、なるべく争いを起こしたくないというのも本音だった。
しかし、彼の浮かれた言動を止めたのは、意外にもリジンカンであった。
「ルクルット、少しを気を抜いたな?」
「ん? フェイか、なんだよ急に」
「気を張り詰めろ。お前なら気づいていいはずだ。――そら、あの辺じゃないか? かすかに気配がする」
フェイ、という呼び名になれるのに、時間がかかりそうだとモモンガは思う。
リジンカン――この場ではフェイ・ダオと呼ばれる男は、森の一角を指さして言った。それに従うように、ルクルットが目を細めて見やる。
なるほど、そこには確かに不審な影があった。敵の種類と規模を見定めて、ようやく彼は自戒した。
「ああ、くそ、どっか浮ついてたな。……悪い」
「危険がない範囲だし、脅威とも思えん相手だから無理もない。もう少し近づけば流石に気付いたろうし、まだ余裕はある。今のうちに、準備を整えておけ」
リジンカンはすでに戦闘態勢だった。上着に仕込んでいた、いくつもの短刀を差した帯を取り出し、身に着けている。彼は軽戦士であり、むろん剣術の心得もあるのだが、一番の得手は投擲術。
「剣は使わないのか?」
「まあ、今回は必要ないだろう。モモン殿は優秀な戦士だ。打ち漏らした小物を狙い撃つなら、これが一番手間がかからない」
「俺の弓と、どっちが優秀かね。――ま、お手並み拝見」
ルクルットは、自然とリジンカンに好感を抱いたようだ。同時に対抗心も持っている様子だが、きっとすぐに思い知るだろうと、モモンガは思う。
『見せ場は譲ってくれるだろう?』
『ええ、わかっていますよ。――とりあえず、大物は任せます。小物は適当につぶしておきますので、ナーベラルと一緒に活躍なさるとよろしい』
リジンカンとの伝言でのやり取りも、ずいぶんと気安くなった。しかしナーベラルとでは、まだ主従の関係を強く意識せねばならない。
彼女の意識の問題でもあるのだが、無理に訂正させるのも酷だろう。モモンガはナーベラルと顔を合わせて、一言だけ告げた。
「ナーベ。気を引き締めろ、蹂躙するぞ」
「はい。モモンさ、ん」
まだ反応がぎこちないが、許容範囲だろう。何より、戦闘中にボケるほど、愚かな僕ではない。モモンガは、ナーベラルを信頼すると決めていた。だからこそ、彼女に働くべき機会を与えたのだった。
敵は、半分ずつ受け持つことになっている。相手は
モモンガにとって、これがユグドラシルの舞台であれば、難なく倒せる存在に過ぎない。しかし、現実とゲームは違う。実際に見てみると、外見だけでも様々に個体差があり、同一個体が群れて出てくることはなかった。
ある種の個性というものが、存在するのだろう。とすると、力量にも差があって当然。この時点で、すでに舐めてかかる気は失せている。
――考えてみれば、当たり前のことだが。
未知のモンスターを相手にしているようで、モモンガは違和感を覚えた。実際に未知といってよい相手なのだが、かつての経験が半端に認識を阻害している。とはいえ、自覚さえしていれば、さほどの問題はあるまい。
「モモン殿、連中とはまだ距離がある。さっそくナーベに働いてもらうのも、手でしょう。今から仕掛ければ、相当の敵を巻き込めると思いますがね」
「ん、そうだな。開戦の号砲として、やってもらうのもいいか。さて、ぺテルさん」
リジンカンの提案に、モモンガは素早く答えた。ぺテルの方を見やり、声をかける。
戦闘のタイミングを計るという意味もあるが、それ以上に自らの力を誇示する機会である。後々の宣伝のためにも、順当に段階を追って、こちらの能力を思い知ってもらわねばならぬ。
「はい。行きますか?」
「ええ。ナーベがまず、広範囲の魔法で敵を分断します。そちらは、分断された一方を叩いてください。こちらは、残りを担当します」
ぺテルの問いに、モモンガはそう答えた。やれるという自信があったから、断言した。
事実、ナーベラルの実力であれば――敵がユグドラシルと変わらぬ能力しかなければ、成立する作戦である。
「わかりました。――ご武運を」
ぺテルをはじめとした、他のメンバーも臆した様子を見せない。彼らで対応できる手合いなら、まず苦戦はするまいと確信する。
それでも社交辞令として、モモンガは一言だけ告げた。
「そちらこそ、ケガなどなさらぬように」
彼らは、笑顔で返した。ナーベラルは無関心なまま。リジンカンは、同様に笑顔で。
そしてモモンガは、皆の反応など確認せず、すでに戦闘へと思考を切り替えていた。
当たり前の話だが、チームプレイを円滑に行うには、技能以上に信頼と経験が必要になる。ぺテルらのそれは、まさに熟練の域に達しており、絆の深さを感じさせる。
時折援護を入れることさえ忘れなければ、ンフィーレアの護衛は、彼らの働きだけでも十分に間に合うだろう。
実力を見るに、それなりに組んで長いのだろう。互いの呼吸をわきまえていないと、細部に不備が出るものだが、彼らにはそうした様子もなかった。
――いいチームだ。まあ、羨ましくなんてないが。
アインズ・ウール・ゴウンの絆は、今もなお断たれていない。メンバーの子供たちを率いていると思えば、なおさら気も引き締まる。
自らも剣を振るいながら、モモンガは周囲に視線をやった。思考は戦闘を意識したまま、パーティの動向も同時に把握する。
集中力の切り替えと、短期間に抑えた
ユグドラシルにおいて、一級の廃人とそれ以外を分けるものは、投入した金額以上にこうした経験、技能がある。想定した戦術を有効に生かすためには、何よりも自身の能力の向上、キャラクターとしてではなく、プレイヤーとしてのスキルがものをいう。
モモンガ自身、自覚はないことだが、彼のそれは最上級にまで研ぎ澄まされていた。リジンカンとナーベラルの様子を一瞬で見て取り、理解するくらいは容易くやってのける。
――当たり前の話だが、二人とも有能だ。こちらの意図をくんでくれる。
ナーベラルは、開始の一発で敵を驚かせた。実際の魔法の威力だけでも、分断には充分であったが、ぺテルのパーティはそこに付け込んで強く攻め立てている。
さりとて、敵も数だけは多い。特に
モモンガは大物の相手をせねばならぬし、ナーベラルも加減させているので、打ち漏らしはどうしても出る。放置しておけば、ぺテルらに負傷者が出ることは確実だった。
「かなり、やる。連れてきて正解だな」
しかしリジンカンは、そうした敵の思惑を潰すように、飛刀で
手に持っていた小刀が、次の瞬間には消えている。そして同時に、敵が一体倒れるのだ。時として飛んでいった刀が、一体目を貫通して二体目を刺し殺すこともある。いずれにしろ、彼の飛刀が仕損じることはない。
小刀を投擲する、というスタイルは、一般の冒険者にとっても奇異に映るものらしい。弓ほどではないにしろ、戦場に影響するほどの射程があり、しかも目に映らぬほどの速度で飛ぶ。
あのパーティの中に、リジンカンの飛刀をとらえられるものはいない。
モモンガでさえ、戦闘の片手間では見切れなかった。それほどの技量である。
――腕前を確認できて安心した。あちらの援護は、任せてもいいだろう。
モモンガは、
旗色は、こちらが有利だ。このまま状況が推移すれば、問題なく終わるだろう。
ぺテルのパーティも、やや危なそうに見えた場面もあったが、リジンカンのフォローがあれば心配いるまい。
モモンガも、歯ごたえのない相手と剣を交えるのに、飽きてきた。とすれば、そろそろ詰めに入る段階だった。
「ナーベ、やれ」
控えていたナーベラルが、
戦闘が終わってみれば、傷らしい傷を負ったものは、誰もいなかった。想定以上の圧勝と言ってよい。
「お前、すげーな。飛刀? ってやつ? 投げナイフの名手でも、あんな命中率と威力はそうそう出るもんじゃないぜ」
「いや、まことにたいしたものである! フェイ殿は投擲の名人であるな! そして、モモン殿も実に素晴らしい戦士である!」
ルクルットと、ダインがまず称賛する。負傷は回復魔法で直すことができるが、節約しておくにこしたことはない。
そうした意味でも、的確にフォローしてくれたリジンカンには、感謝したくなるのだろう。もちろん、モモンガの活躍も、それに負けないくらいには印象付けられたが。
「敵いませんね、どうにも。英雄とはきっと、あなた方のような、隔絶した実力を持つのでしょう」
「どうでしょう。そこまでの自覚はありませんが――」
「いえ、モモンさん。あなたの力は、立派に誇ってよいものです。それは、きちんと理解するべきですよ」
リーダーであるぺテルも、メンバーに続いてモモンガらの実力に感嘆した。そこに皮肉は感じられず、さわやかな感情があるばかりである。
――実力の差を自覚しながら、気軽に接してくる辺り。案外、人格者の集まりと言って良いかもしれないな。
少なくとも彼らの態度から、嫉妬のような感情は感じられない。素直に感嘆し、モモンガらを称賛してくれている。
都合がよすぎるくらいで、これも己の運なのかと、不思議に思う。
『いい気性の手合いです。まあ、友好的に接しておけば、こちらの実力を適当に吹聴してくれるでしょう』
『ああ、よく見つけてきてくれた。感謝するぞ、リジンカン』
『今はフェイ・ダオですよ、モモン殿。――目的地まで、まだ距離はある。もうしばらく、気を抜かずに参りましょう』
もとより、油断などしてはいない。だが、後ろを振り返るようなことも、しなかった。
危機感には敏感なモモンガだが、パーティ内に不和は感じなかった。ならば、これ以上気を使うこともあるまいと断ずる。
「本当に、モモンさんは『違う』んですね。……羨ましいですよ」
ぺテルらの羨望を、些事と切って捨てる。モモンガは、そうした鈍感さのある男であり――別の言葉で表現するなら、ある種の残酷さを持つ人物でもあった。
野営という未知を楽しみながら、モモンガ一行は順調に旅程を消化し、ついに目的地までたどり着いた。
『やっと到着だな。悠長な道程でもあったが、新鮮な経験だった。――フェイは意外と、不器用なところを見せてくれたが』
『言いっこなしですよ、モモン殿。細々な家事やら工作やらは、得意じゃないんで。戦闘以外で期待はしないでほしいもんです』
そうは言うが、暇なときには木彫り細工もしていただろう――とモモンガは指摘すると、あれは自分の存在意義だからだと、彼は答えた。よくわからないが、彼の中ではそれで正しいのだろう。
リジンカンは今も懐に、作りかけの木彫り彫刻を入れている。どこかしら女性をかたどっているようにも見えたが、ともかく完成してから感想を言おうとモモンガは思う。
――人当たりはいいし、食事時も危うげなく対応して、連中と一緒に盛り上がっていた。NPCの中でも、一番人間臭いな。親の影響かとも思うが、ウォン・ライはどんな設定をしたのだろう。
とはいえ、今さら設定をのぞかせてほしい、とも言いづらい。どうせ長い付き合いになるのだし、おいおい理解を深めていけばいいかと気楽に考えた。
「あと少しで、カルネ村ですね」
同行していたンフィーレアの声は、モモンガにその現実を直視させた。
すでに一度訪れていた村だが、今は立場が違う。正体がばれないよう、慎重に行動する必要があった。
『フェイ、少し心配なのだが――』
『ああ、俺は一度来ていますがね。……大丈夫。あの姉妹以外には、素顔は見せていませんから』
リジンカンには、村に滞在していたウォン・ライを迎えに行ったことがあり、その時のことに思い至ったのだが――。モモンガの懸念は、彼の発言でほぼ払しょくされた。
『村に着いたら適当に理由をつけて、雲隠れしておきますよ。また森に出る頃には馬車に入っていますんで、ご心配なく』
『そうしてくれ』
彼は自由人気質である。そうした行動も、許されるような雰囲気を作って、適当に抜けてくれるだろう。そう思えば、あとは自分とナーベラルの動きが問題となる。
へまをするつもりも、させるつもりもないが――と思考を進めたところで、パーティ内が騒がしくなった。その違和感には、モモンガもすぐに気付く。
「以前と様子が違う。何かあったのかな」
ンフィーレアの発言を皮切りに、様々な疑問が表に現れる。かつてとは随分様子が変わったのは、確かであるらしい。
その違和感は現実となって、パーティの行動を制限するものかと、一時は危ぶんだが――結果的に、それは杞憂に終わった。
かつて村を救ったことが、こうした形で影響してくるとは。モモンガは驚きを感じつつも、奇妙な達成感を覚えていた。
――エンリという少女、なかなかやるじゃないか。
ここは確かに現実で、自ら動いた結果が、誰かの運命を変えることもあるのだと。確かな実感を得たのは、これが初めてだった。
紆余曲折あって、モモンガ一行はエンリと顔を合わせている。主として接しているのは、依頼者のンフィーレアだが、いつこちらに話題が振られるかわからない。そうした点でも、気を抜けない状況ではあった。
問題のリジンカンだが、まさか冒険者フェイ・ダオとして顔を見せるわけにもいかず、いつの間にか姿を消している。
『何かあったら、伝言でどうぞ。すぐに駆け付けますよ』
『――ああ、そうしよう。言い訳は適当にしておく』
『世話をかけます。では、失礼』
伝言が通じるなら、モモンガとしてはたいして問題ではない。唐突にいなくなった彼を、ぺテルらはいぶかしく思うだろうが、すでに実力は見せた。心配されるようなことはないだろう。
ともあれ、そうして場を取り繕いながら、一行は村の中に入った。ゴブリンらの歓待は、さほど悪影響を残さず、順調に話を進められたと言えるだろう。
「モモンガさんに、ウォン・ライさんか。エンリが助けてもらったなら、僕の方からもお礼を言わなきゃね。いつ会えるかは、わからないけど」
「いい人たちだから、きっとンフィーレアも歓迎してくれるよ。……モモンガさんはわからないけど、ウォン・ライさんなら今日も来ているから、挨拶がしたいならすぐに会えるよ」
ウォン・ライには、村との折衝をすべて任せている。一日二日で進展があるとも思っていないが、滞在中に会ってしまったら、冒険者のモモンとして接しなくてはならない。
モモンガとしては、距離感を縮めている自覚があるだけに、改めて初対面を演出できるかどうか、不安な面もあった。
――まあ、何とかなるか。
今からでも打ち合わせは可能であろうが、せっかく気分転換も兼ねて外に出ているのだ。その場の流れに身を任せるのも手であろうと、割り切ることにする。
「それじゃあ、後で挨拶にいくよ。薬草を摘んでからになるから、夕方くらいになると思うけど」
「じゃあ、空き家の掃除をしておくね。皆さんの宿も入用でしょう? 食事の手配は、こちらでしておくから。……気を付けて」
エンリとンフィーレアの会話は、適当なところで打ち切られた。パーティで行動しているのだから、皆の都合もある。そもそも護衛は村までで終わりではなく、これから薬草の採取に取り掛からねばならぬ。
リジンカンはまだ戻らない。皆にはとっさに『斥候に出ているのだろう、いつものことだ』と答えておいたが、どこまで誤魔化せるものか。
――あまり、ぶしつけに伝言を使いたくはないな。彼には彼なりの理由もあるだろうし、もう少しだけ待つか?
薬草は、森の中に群生している。村を出ればそう遠くない位置であるが――ちょうど出入り口の付近で、ウォン・ライの姿を見かけた。
モモンガの視界に入っただけで、挨拶するほど近い距離ではないが――何かしら、作業をしている様子だった。内勤はアルベドに任せきっているとはいえ、勤勉だなと思う。
「ん? リ――フェイの奴は、何をしているんだ?」
よく見ると、ウォン・ライの傍にはリジンカンがいた。驚いたせいか、モモンガはつい本名を言いかけてしまった。
村を出ても戻らないなら、何かしら策を考えねばならないところで、多少は気をもんでいたのだが……なるほど、ウォン・ライと顔を合わせてしまったなら、話が弾んで時間を忘れても仕方がない。親子なのだから。
しかし、これではナーベラルを笑えないな、と思ったところで他の連中も気づきだす。
「あいつ、いつの間にあんなところに。おーい、フェイ! なにやってんだ――!」
ルクルットが、声を張り上げて呼びかける。それで、リジンカンも気づいたのだろう。彼の方も、こちらに視線を向けた。
もっとも、このパーティに気づいたのは、彼だけではないが。
「こんにちは。ウォン・ライと申します。息子がお世話になったようで、お礼を申し上げます」
「ああ、いや、こちらこそ……どうも」
ウォン・ライは丁重に一礼した。物腰といい、雰囲気といい、無教養な庶民とはとても思えぬ。
「皆様方も、いずれ劣らぬ冒険者と見えます。息子はまだ未熟で、至らぬところもあるでしょう。ご指導を賜られるならば、これ以上のことはございません。――どうぞ、よろしくお願いします」
「お、おう……あ、うん。まあ、俺たちにできることなら、協力する――いや、します。な、みんな」
初見でルクルットは圧倒された。礼の力は、時に人を圧倒する。一目で格の違いを自覚させるのに、礼ほどの効力を持つものはない。
頭を下げているのはウォン・ライの方なのだが、落ち着かないのはぺテルらの方だった。人化したウォン・ライは、容貌も立派である。服装こそ村人に合わせて粗末なものだが、あきらかに高度な教育を受けた者の態度である。
嫌味さなど欠片もなく、好意的に礼を示されているのだ。ここまで丁重に、礼を尽くされた覚えなどない彼らは、戸惑いを隠せなかった。
「もちろんです。冒険者の先達として、できることはいたしましょう。どうか、顔を上げてください」
「――ありがとうございます。父として、息子には大したことはしてやれませんでした。皆様に礼を尽くすことで、いくらかでもあれに良くしてくれるなら。頭を下げることくらい、何ほどのことでありましょうか」
モモンガは黙っていた。この時点では、どう接してよいか、わからなかったからである。
彼は伝言でモモンガにあれこれと話すこともできたはずだが、何もなかった。だがここでは、反応を示さないこと自体が答えになる。
――どう接しても、完璧に答える用意があると、そういうことだな?
ならば、静かにしていようと、モモンガは思う。彼らとの会話をしばらく観察していると、ウォン・ライの傍に人が寄ってきていた。彼は彼で、村人たちに復興の工事やら耕作やらの指導をしているらしい。それもまた、援助(あるいは投資)の一環と思えば、むしろ推奨するべきか。
頼りにされているのは明らかで、彼が指導に戻ることを期待している様子であった。これなら、あえて口を挟まずとも、話しは適度なところで切り上げられるだろう。
そうと察すれば、口出しせず流れに任せるのが無難なところか。
「親父殿。そろそろ居たたまれなくなってきたから、いい加減切り上げてほしいんだが」
「そうか。――では、そうしよう。皆様、くれぐれもよろしくお願いいたします」
ぺテルらのパーティは、気恥ずかしそうに挨拶して、別れた。ンフィーレアも面と向かって礼を言われたようで、少しだけ顔が紅潮している。
「いいお父さんですね」
「よしてくれ。過保護なだけだ。……まあ、親父殿は、俺以上に人民に甘い。別に特別、俺を愛しているわけじゃないさ」
リジンカンの言葉に寂しさを覚えるのは、モモンガの洞察力が優れている証拠であろうか。いずれにせよ、口に出して確かめる勇気はなかった。
馬車は森に向かっていく。ウォン・ライの姿も見えなくなった。人は感心するほどの相手に出会うと、当人が見えないところであれこれ語りたくなるものだ。自然と、話題は決まってくる。
「よくわからないけど、なんとなく、威厳のある人だったな」
「立派な御仁に見えたのである。人々に奉仕することを、心から望んでいる人なのであろう。実に楽しそうに働いて、よく村人たちに声をかけていた。人々と対等の目線で、よほどの思いやりがなければできぬことである」
わずかな時間であったが、他者に感銘を与えるほどの人格を、ウォン・ライは見せたらしい。モモンガは本物の彼を知っており、付き合いも長いせいか、さほどの意識はしなかったのだが。
「フェイが自慢したくなるのもわかりますね。……何をしてきた人なのか。どのような人生を歩んできたのかは、理解が及びませんが――ともかく。きっと、尋常の人ではないのでしょう」
「元貴族なのかな。あの礼の作法は、教育を受けた人でないととてもできない。……王国の貴族の中にも、ああした人がいればいいのに」
馬車の中が、彼を称賛する声に満ちた。モモンガも誇らしい思いだが、話に入ると余計なことまで言ってしまいそうなので、やはり口をつぐんだ。
――さあ、仕事だ。頭を切り替えよう。
予想外のこともあったが、ンフィーレアの護衛はこれからだ。これで気を抜いていては、真面目に仕事をしているウォン・ライにも申し訳が立たぬ。
モモンガは、今後の行動に対して、思いをはせた。英雄たる道は、これから始まるのだ。そのための手は、整えてある。
あとは失敗しないことが肝心だと、気を引き締めた。英雄モモン、その軌跡が語られるのは、まさにここからであった。