と言うわけで前後編だったはずが三分割に。相も変わらずダラダラグダグダで申し訳ありません(土下座
今回は主に一輝の内面と、統真達の状況に対する解説を描きます。相変わらず無駄に長うございます、はい……。そろそろ愛想尽かされるのではなかろうか(ガクブル
それではどうぞ。
――黒鉄 珠雫が目を覚まし、一輝を抱きつきという名の渾身のヘッドバットで悶絶させていた、その頃。
「――……で、そこに珠雫さんが居合わせて、見事に統真様の気に当てられていたと」
「ああ。途中からいることには気づいていたが、俺も
「終わらせてから行ってみたら、統真様の威圧と闘気に完全に当てられて放心状態、声を掛けるとその場で恐怖心の余り気絶された――と」
そんなやり取りを交わしている統真と桜は、今現在離れの居間で向き合っている。
というのも、少し前にこの離れを訪れて――厳密には連れ込まれて――、統真に異常な恐怖を示して気絶した珠雫に関する詳細を、原因と言うべき統真から聞き出していたからだった。
事の仔細を把握した桜は、うんうんと頷き、一言。
「――うん、本当に馬鹿ですよね統真様」
臆面もなくそう言って退ける。
「初対面の幼児を即行で拉致するような阿呆に言われる筋合いはない」
「ぐふぅっ……!」
――そして、容赦のない主の切り返しに致命傷を受けた。
「い、いやですね? 私もちょーっとやり過ぎたなぁって反省してるんですよ? 珠雫さんが目を覚ましたら五体投地で謝罪する所存です!
そして、もう一度あの抱き心地を――――」
「…………」
訂正……どうやら懲りていないらしい。流石は
というわけで。
「アイダダダダダダ!? じょ、冗談ですよ統真様! ですから、その母さん張りのアイアンクローはやめイダダダダダダダダ!!」
懲りてない発言を口走る世話役に、彼女の母のものと同じ容赦ない
しばらくして、十分と判断したのかそれとも馬鹿馬鹿しくなったのか、桜の頭蓋をミシミシと圧迫していた手を放した。
「いづづ……でもまあ、統真様って基本子供に怖がられますもんね。その点からしたら珠雫さんなんて、むしろよく耐えた方ですよ。トラウマはしっかり植えつけられているようですけど。
思えば、一輝さんと王馬さんくらいじゃないですか? 統真様を怖がらない子供なんて」
「俺とて
「……そうですねー。年齢的には子供なんですよね私よりー。私より背が上で誰も年下と見ませんけどー、ホントは私の方が年上なんですよねー」
「何をまたぞろ面倒な嫉みをぶり返させている」
統真の「自分も子供」発言を聞くと、桜はそれまでと一転して拗ねたように目を反らして口を尖らせた。
と言うのは桜自身が発言した通り、統真が彼女よりも年下であるにも関わらず、その外見は背丈を始めてあらゆる部分が上回っているからだった。
元より男女の身体的差異や成長の差もあるのだろうが、それ以上に統真自身の成長は人一倍以上に著しい。背丈は同年代より頭一つ分はあり、そしてそれに最適な体格へと育ち、鍛えられている。
普段の言動からして子供離れしている統真だが、正直その外見だけでも彼を年齢通りの子供と看做す人間は先ずいない。見知らぬ人間ならよくて中学生、そうでなければ背の低めな高校生にも勘違いされるだろう。
せめてもの子供らしさと言えば、顔立ちにはそこはかとなく幼さが残っていることと、まだ声変わりがきていない点くらいだ。
「べっつにぃ~? どーせ私は統真様より背が低いですしー。こう見えても同年代では高い方ですけどね。学校では憧れの的ですからね。年下には追い抜かれてますけどー」
――とどのつまり、『年上でお姉さん』を密かに?自負している桜にとって、ただでさえその言動からして子供離れしている上に、既に背丈まで追い抜かれているという事実は内心で気にしている部分だったりする、ということだ。
そんな面倒な僻みを言い出す従者に、統真は――――
「どうあっても気に障るのなら、力ずくで骨格と筋肉を引き伸ばしてみても良いが」
「まあそんなことは置いといて! よく考えれば私のお姉さん要素が背丈くらいで失われるはずないですもんね! 一輝さんもいますし!」
――ギリシャ神話の英雄テセウスの逸話の中に、プロクルステスの寝台というものがある。プロクルステスという強盗が捕らえた旅人を自前の鉄の寝台に寝かせ、寝台より体がはみ出ていればその部分を切り落とし、逆に足りなかったら合うように無理矢理引き伸ばして結局は殺す、というものだ。
それを語ったことに、然したる意味はない。淡々と、しかし右手をゴキゴキッと鳴らしながら語る統真に、桜がアッサリと態度と話題を変えたことも同様である。
「まあ、冗談はさておき……どうするんですか?
本人に聞かなければ分からないことですけど、珠雫さんまで「ここにいる!」とか言い出したら、流石に
そう統真に問い掛ける桜の表情は至極真剣なものに変わっている。同時に、そこには何かへの危惧が含まれていた。
一輝から聞いた話だが、妹の珠雫は相当彼に懐いているらしい。それだけなら、桜も彼にも慕ってくれる家族がいたんだなと安心する程度なのだが――問題はその珠雫が人見知りの激しい性格で、そんな彼女が唯一と言っていい程に好意を向けているのが他ならない一輝なのだということ。
もっともそれは、
そして今後の展開――この後、桜が口にしたように珠雫までもがこの離れに住もうとした場合が、桜にとっての問題点だった。
同じ敷地で血縁なんだから問題ないという理屈は、残念ながら『統真達の身の上』では通じない。
『統真達の身の上』――それはとどのつまり、統真と一輝の立場と今後のことである。
一輝がこの離れで生活するようになって以来、兄弟の父親である厳を筆頭とした本家や分家からは、そのことで何かを言われたり、彼を連れ戻そうとする様子はないらしい。
理由は、一輝の庇護者となった統真が黒鉄家の人間から『
黒鉄家の名や権威に固執している分家の面々にしてみれば、彼らにとっての落伍者である一輝はできれば存在そのものを黙殺したいだろうが、その為にこれまで全ての圧力を打倒してのけている統真に、またも喧嘩を売って傷を増やそうとは思わないのだろう。
――表沙汰どころか黒鉄家内でも最重要機密の事柄だが、何せ以前に統真を力尽くで屈服させようとした一派が、逆に壊滅寸前まで追い込まれているのだから。
だが、今回はそうもいかないだろうと桜は危ぶんでいた。
「珠雫さんの魔力はBランク相当だとか。まだ幼いですが魔力制御面では既に資質も見受けられているそうです」
「なるほど、優秀だな」
「うん、統真様が言うと嫌味どころじゃないですねー」
才能に固執しない統真だが、だからといって優れているものを無価値に扱う訳ではない。なので、桜から聞かされた珠雫の才能自体は素直に評価する統真だが……
――
早い話、才能と等級だけで一族から見向きもされない一輝とは違い、順当な黒鉄家の一員として将来を嘱望されている珠雫までもが黒鉄家のアンタッチャブルである統真と深く関わり合うようになったら、流石に
彼女自身が馬鹿馬鹿しいと思わずにはいられないが、向こうがそうなのだから仕方ない。
ちなみに、一番の有望株である王馬が真っ先に統真に大きく影響を受けているので、向こう側にしてみれば『統真が着実に黒鉄の次世代を掌握しつつある』と思えるかも知れない。
本人にそんな意図は微塵も無いのではあるが。
「……『去年の事件』で統真様をどうこうしようとする人達は殆どいなくなりましたし、ご当主様も強硬なことはなさらないと思いますが……」
そう語る桜は、案ずるように統真を見つめる。
ついつい失念しがちになるが、統真とて自分で口にしたように13歳の子供。いかに超絶的な力を備え持とうと、社会においては後見を必要とする立場だ。
……まあ、例え放逐されようと何の問題もなく自力で生きていく姿しか思い浮かばないのだが――『今の統真』はそう簡単な身の上でもなくなっている。
理由は、言うまでもなく弟であり教え子である一輝の存在。まだ6歳の子供であり、衣食住問題以外にも、来年からは小学校にも通わなければならない。そうした部分では統真のように「自分で何とかする」などできるはずはなく、どうあっても社会的な保護者の存在が必要になる。
こればかりは統真でも険しいものがある――『できない』ではなく『険しい』だが――。
統真が一輝を切り捨てるなら万事解決になることではあるのだが、
そう案じる従者に対し、統真は――――
「
「え?」
案の定の来る者拒まずの言葉を口にし、しかし直後にはそれを自ら打ち消した。
戸惑う桜を他所に、一輝達がいる方を一瞬見てから淡々と答える。
「成長は往々にして思惑を超えるものだろう」
「それは――――」
どういう意味か、と統真に問おうとする桜だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
彼女が問いを発しようとした、ちょうどその時――――
† † †
「ゲフッ、ゲホッ……」
「だ、大丈夫? お兄ちゃん……」
「う、うん。大丈夫だよシズク。ちょっと驚いただけだから……うっぷ……」
オロオロと慌てながら自分を心配する妹を、精一杯の笑顔を浮かべながら一輝は宥める……鳩尾に擦りながら青白い顔で脂汗を流している姿に、どれ程の信憑性があるかは推して知るべしだが。
そして残念ながら、彼の妹はそんな隠せていない嘘に騙されるほど単純ではなかったらしい。兄の不調を見抜いて、その直接の原因が自分にあることにシュンと意気消沈してしまう。
「……ごめんなさい」
「ほ、本当に大丈夫だから! ほ、ほら! ぼくだって伐刀者なんだから、これくらいなんでもないよ! ね?」
「……うん」
俯きながら謝る珠雫の様子に慌てて、一輝は身振り手振りまで加えて自身の健在を訴える。
痛みはまだ引いていないが、そこは幼くとも兄の矜持なり男の意地なりを総動員、これ以上妹に心配をかけまいと、必死に押し隠して健在を装う。
そんな兄の姿に珠雫もコクンと頷き、その努力に報いることにした。勿論それが強がりであることは、敏い彼女には筒抜けだったが。
「じゃ、じゃあ、ぼくは兄さんにシズクが目を覚ましたって伝えてく――――」
「!」
(またやられる!?)
そう言って立ち上がろうとした一輝だが、それに対して珠雫が体をビクンと大きく跳ねさせて反応し、それに対して一輝は何故か激痛を伴う
直後にはその理由が、この状況が先程、自身が悶絶するに至った展開と似ているからだと悟り、一輝は再び悶絶する己を思い浮かべて身体を強張らせる――が、彼の危惧するような状況も痛みも訪れることはなかった。
代わりに――――
「……ゃだ……」
「……え?」
「いっちゃ……やだ……!」
俯いたまま自分の手を強く掴む妹の姿がその目に映る。表情こそ見えていないものの、涙ぐんだ声や身体を震わせている様子を見れば、どんな顔をしているかは一輝にも一目瞭然だった。
そんな妹に、一輝は――――
「……うん、大丈夫。ぼくはここにいるから、だから泣かないで。シズク」
「うぐ……ひっく……」
そう語りかけながら、掴まれている方とは反対側の手で珠雫の銀髪に覆われた頭を優しく撫でる。
ただ泣きじゃくる妹を宥めるのではなく、彼女にそんな想いをさせてしまったことへの贖罪と――ここまで自分に会いに来てくれたことへの感謝を込めて。
そんな兄の心の内が伝わったという訳ではないのだろうが……それを抜きにしても、久しぶりに感じることのできた兄の手の温もりに、珠雫は我慢の限界を向かえ、大粒の涙を零しながら泣きじゃくる。
それが、未だ残る長兄への恐怖によるものか、それとも目の前の兄の思い遣りによるものかは、当人にも解からないことだった。
一頻り泣いたおかげか、程なくして珠雫は泣き止んだ。
顔自体は泣きっ面の跡がまんま残っているが、様子は大分落ち着いている。
「落ち着いた?」
そんな兄の案じる問いにコクリと首を縦に振るが、手は一輝の手を強く握り締めたままで、その問いを聞くと手に力が篭った。
それが、自分に離れて欲しくないという意図によるものだと流石に理解できた一輝は、珠雫の手に自身の手を添え、優しく語り掛ける。
「大丈夫だよ。シズクがいいって言うまでこうしてるから」
「……うん」
その答えに安堵したのか、掴んでいた手の力が緩む。そんな分かり易い妹の反応に、一輝は微笑む。
「あのさ、シズク。シズクは、ぼくに会いに来てくれた――んだよね?」
「……うん」
「そっか……ありがとう、シズク。それとごめんね、ずっと言わずにいて」
「……えへへ」
感謝と謝罪を口にしつつ頭を優しく撫でてくる一輝に、珠雫は気持ち良さそうな表情を浮かべながらそれを抵抗することなく享受する。
しばらくそうしていた二人だが、一輝が珠雫の頭から手を離すことで御開きとなり、頭を撫でてくれていた感触が無くなったことに珠雫は残念そうな不満顔を浮かべる。
そんな妹の分かり易い反応に苦笑してから、徐に一輝は口を開いた。
「それでね、シズク……もう知っているんだろうけど、ぼくは今、兄さんといっしょに暮らしてるんだ。
兄さんに
「!」
そう語りだした一輝に、珠雫の顔が強張る。
「これから兄さんが学校にいくあいだは、桜さん――兄さんの世話役のひとのお家にいるんだけど……」
「…………」
「えっと……で、でも、これからはちゃんとシズクにも会いに行くよ。だからシズクも――――」
シズクも安心して――そう続けようとした一輝だが、
「――お兄ちゃん」
それは切実な目をしながら自分を呼ぶ妹によって遮られた。
そして、
「いっしょに、帰ろ?」
「――――」
――その懇願に、口を噤むしかなかった。
「おうちに、帰ろう?」
『家』に帰る――それは、あの『努力を認められない世界』に戻るということに他ならないのだろう。
そしてそれは一輝にとって、ただ単に居場所を移すということではなく、自分をここへ連れてきてくれた兄を裏切ること――『諦めること』を意味する。
当人ならそんなことに拘泥せず「好きにすればいい」と言うのかも知れないが、少なくとも一輝にとっては、そうした意味を伴うものだった。
「……お稽古なら、ほかのひとに頼めばいい。ここにいる必要なんて、ないでしょ?」
そう言う珠雫の顔には必死さすら伺える。それは、
そんな妹を見て、一輝は
「ね? だから帰ろう、お兄ちゃん」
何も知らずそう懇願する妹に、一輝は困ったような笑みを浮かべる。その心中は、彼自身も不思議に思えるほど穏やかだった。
(すこし前なら、もっといやな気持ちになってたのかな……)
そんな己の変化に、心の中で一輝自身が首を傾げてしまう。
目の前の妹が、自分など遠く及べない
それが、兄妹の関係に蟠りを生み出さなかったのは、一輝生来の温厚な性格故だろう。
それでも、才能によって冷遇を受けた
それどころか、この無垢な妹があの家の理不尽を知らず、今まで通りにいてくれたことに安心すら覚えた。誰も自分にしたことを教えていないのか――と、恨みを感じたりもしなかった。
理由は――一輝には一つしか浮かばなかった。
(――大丈夫。ぼくは、見てもらえている)
沈黙している自分に不安げに首を傾げる妹を見て、もう一度その銀色の髪を撫でてあげる。撫でながら、今の己を顧みる。
日下部 桜やその家族が歩みを支えてくれて、黒鉄 龍馬が道筋を教示してくれた。
何より――黒鉄 統真が認めてくれている、見てくれている。そして、目指す道の遥か先で待ってくれている。
なら、それで十分。才能がないことも、父親に認めてもらえないことも、落伍者と周りから指差されることも、辛くないと言えば嘘だが――それでも、瑣末な事象だ。
まして――これから己が為そうとする事、その道程の困難に比べれば、何程のものだろう。
だから――――
「シズク」
「!」
また頭を撫でられて喜んでいる無垢で愛らしい妹に、一輝は答えを告げる。
そんな兄の向ける優しい笑顔に珠雫は、自分の願いが受け入れられたのだと思いパアッと顔を明るくして兄を見て、
「ぼくは、戻らないよ」
「――――」
――その答えに、言葉を失った。
「……どうして……?」
その言葉を搾り出すように彼女が発したのは、しばらくの沈黙を挟んでからだった。
珠雫のその問い掛けに、しかし一輝は変わらず落ち着いた様子で答えた。
「ぼくがここにいたいから。
ぼくはあの人に、兄さんに剣を教わりたい。
シズク、ぼくはね――
まだ抜け切れない兄への憧憬――そしてそれだけではない意志を込めて、黒鉄 一輝は己が
「そ、そんなの……!」
そんなの無理だ、できるはずがない――そう言わんとしたのであろう妹の気持ちがよく
「うん、そうだね……その通りなんだと思う」
無茶・無理・無駄・無謀、身の丈も身の程も弁えない愚物。良くて、叶わぬ夢を見る童だと笑われ哀れまれるのが関の山だろう。
そしてそれらは同時に、口にする者が込める意図と感情は別にして、いずれも正しいと言うしかない。
魔力・肉体・能力。しかし何よりも、その総てを凌駕する不撓不屈の精神――何一つにおいて及べるべくもなし。
それは幼さや歳の差などという矮小な理屈で誤魔化せるような事柄ではない。一級の魔力を備え、剣の才覚を持つ神童の次兄・王馬ですら「同じ世代でなかったことだけがせめての救いだ」と言われているのだから、それより年が一つ違いに過ぎない一輝とて、そんな言い訳は当て嵌まらない。
故に、非才にして非力なるその身は絶対強者たる黒鉄 統真と見比べたならば、周りに漂う塵芥にも等しい。
そんな
分不相応、笑止の極み。蒙昧が如き虚妄も大概にせよ――それが世の下すであろう裁定。
――その通りなのだろう。
そんなことは、幼い身にすら分かり切っている。身に染みている。他ならない彼自身の理屈ではない本能が常に告げている。
――だが、しかし。
それでも――『そんなもの』で諦められはしない。
「それでも――
兄さんのような剣を振るいたい――って」
それでも、と。静かに、穏やかに――しかし強い意志の込められた一人の
「――――」
見慣れているはずの兄の黒い双眸を見つめて、しかし黒鉄 珠雫は発すべき否定と懇願の言葉を失う――そこに、彼女の知る優しい兄とは違う、彼の未知なる姿を見たがために。
そんな妹をしっかりと見据えながら、同時に一輝は、少し前に裏山で曽祖父・龍馬から向けられた言葉を想起していた。
『持ちうる全力と全霊を注いでもまだ足りない。努力などと言う言葉が、鍛錬などと言う言葉が馬鹿馬鹿しくなるような凄絶の苦行を身に課してもまだ遠い。神仏に願い縋ったところで、誰も応えなどはしない。
その、道筋など何一つない無明の道を、お前は行くと言うのか? その想いだけで、歩み続けられるのか?』
――答えは、その問い掛けの後に贈られた大英雄の言を受けても、なお。
「どんなに時間がかかってもいい。どんなに辛くてもかまわない。
『今のぼく』がどんなにダメで弱くても……それでも、いつか必ず兄さんに追いつきたい――追いついて、みせる。
それだけは、絶対に諦めない」
その言葉が、目の前の妹へ向けたものなのか。それとも、脳裏に浮かんだあの日の英雄からの問い掛けへの、改めての返答なのか。
それは彼自身にも分からなくなっていたが……確かなのは、その言葉が今の黒鉄 一輝の総てだということ。
そして、総てを否定された一人の少年がその内に抱いた渇望――それを阻める言葉も権利も、そして覚悟も、未だ
「……えっと……だからね、シズク。今までのようには遊べないけど、その……許してくれる?」
言うべきことを言い終えると、今までにない強い言葉を語ったことへの反動か、一輝の言動は一気に元の穏やかさを下回って遠慮がちになる。
そして、その言葉を向けられた珠雫はと言うと――――
「…………」
「え、えっと……シズク?」
「……………………」
「あの……やっぱり、怒ってる……よね……?」
「…………………………………………」
「…………シ、シズク……?」
三度に渡る兄の呼び掛けにも応じず、顔を伏せて沈黙を保っていた。そんな妹の様子に、言い知れない重苦しさを覚える。
一輝の記憶する限り、これまで珠雫が拗ねて呼び掛けを無視することはあったものの、そういう時は頬を膨らませてそっぽを向くといった子供らしいリアクションが伴われていた。
しかしこんな反応は初めてであり、それ故に一輝には、妹がこれまでになく怒っているのだと感じられた。
語った言葉に偽りは無く、そこに込めた想いにもまた偽りは無く。故にそれを口にしたことは、微塵も後悔はしていない――のだが。
そこはそれ、一輝とて6歳の子供。ましてや統真と出会うまではあの家で唯一自分を慕ってくれていた妹までもが、これで自分を嫌って離れていくのだろうかと思うと、言い表し得ない痛みと切なさ、そして申し訳なさを覚えずにはいられない。
……いや、にしても。
依然として沈黙し、表情を窺わせない妹にある種の不気味さすら感じられてきた。
愛らしく色白な肌に加え銀髪というビスクドールみたいな外見が、こう、西洋ホラーみたいなものを思わせる。
そう言えば、このまえ桜さんが借りてきた映画がそういう題材だったような……――若干の現実逃避を込めて、そんなことを思い浮かべていると、
「――――る」
「ひっ!? ……え、あ、うん……な、なに? シズク」
唐突に聞こえた珠雫の低い呟きに虚を衝かれてしまい、小さく悲鳴を上げて身体をビクッと跳ね上げる一輝だが、ようやく妹が口を利いてくれたのだと理解し、とりあえずの安堵を覚える。
そして、よく聞こえなかった言葉を聞き直すと、
「わたしも! ここにいる!! ここでくらす!!」
クワッと言わんばかりに顔を勢いよく持ち上げた珠雫は、大声でそう宣言した。
顔を赤らめ、大粒の水滴を目の端に浮かべて睨むように兄を見る姿は、怖さなど無縁の愛らしさしか感じさせない。
そして、そんな爆弾発言を大声で宣った妹に、兄は――――
「え、ダメだよ」
――実にあっさり、速攻でそう切り捨てた。いっそ清々しいまでの拒否断言である。
しかもこの時、一輝の顔は相手を拒否することへの申し訳なさとは無縁な「え? この子は何を言っているんだ?」とでも言いたげな、純粋な疑問の表情であった。
そんな兄の拒否に、見事なカウンターを喰らって硬直する珠雫。しかしすぐに立ち直ると、一輝に食って掛かる。
「どうして!?」
「いや、どうしてって……」
ずずいっと迫りながら問い質してくる妹に困った表情を浮かべてから、一輝は一言。
「だってシズク、兄さんのことが怖いんでしょう?」
「ひぅっ!?」
致命的な事実を、臆面もなく言ってのけた。
それに対し、珠雫は――――
「こ、こここここわくなんか、な、なななななななない、もももももも――――」
「ああ、うん……とりあえず落ち着こう?」
見事に分かり易い反応で示す。顔面は蒼白、全身は震えてまともに喋ることもできていない有様だった。
こんな姿を見て、誰が怖くないなんて言葉を同情抜きで信じるのだろう。
少なくとも一輝には、もうそれを信じてあげられるほどの純真さはなかった。6歳の身空で実の親に軟禁されれば、そうもなる。
というか、相手の顔を見ただけで痙攣発作を起こして気絶しているというのに、信じられるはずもない。
あと、目を覚ました後には錯乱してヘッドバットをかましてもいる。いや、別に怒ってはいない。ただ、まだ鳩尾の辺りに痛みが残っているだけで。
――閑話休題。
「う、うぅ~……!」
「えっと……」
本当にどうしよう――と、反論できず涙目で自分を睨む妹を困り顔で受け入れつつ、真剣に一輝は悩む。
口では珠雫が統真を怖がっているということを理由に挙げた一輝だが、彼が妹の要望に首を横に振る理由は、それだけではない。
兄の庇護を受けるようになってから、一輝は幼いなりに自身の立場を理解できるようになっている。
元より秀逸ではなくとも愚鈍でもない一輝は、無自覚だが観察眼とそこから得た情報の考察力にはある種の才能を持っている。まだ幼く経験値が絶対的に不足している故にそこまで目ぼしくはないが、少なくとも今の己の状況、そしてそれが
一輝が統真と正式に対面しその庇護に入ることとなったあの日も思ったことだが、『黒鉄家の恥』として扱われている自分が、同じ黒鉄家に曲がりなりにも属している統真に身を寄せるということは、多かれ少なかれ彼の立場を危うくするものだ。
――そして同時に、そんな『無能』な自分だからこそ現状で納まっているのだとも、朧気に察している。
では、そんな状況で紛うことなく優秀な妹までもが、自分を追って統真の元に来たら?――
今度こそ、兄に大きな迷惑を掛けることになる。
例え、統真自身がかつての言葉通りにそれを歯牙にも懸けていないとしても、兄を慕う一輝にしてみれば他ならない自分の所為で彼がこれ以上の迷惑を被るなど、耐えられることではない。
だからこそ一輝は珠雫を、少なくとも自分の一存で軽々しく受け入れる訳にはいかなかった。
まあ、妹には茨の道ではなく黒鉄家での約束された人生を送って欲しいという、幼いなりの兄心もあるのではあるが。
――いずれにしても。
自分を見つめる妹と対して、一輝は決断をしなければならなくなっている。
このまま珠雫を拒絶し己を通すか、否かを。
例え、自分を慕ってくれていた妹を突き放してでも。
自分自身の求道と兄への恩義、そして妹の将来のために。
「……シズク」
「……!」
「ぼくは――――」
そして、幾ばくかの沈黙の後に、意を決したように表情を改めた一輝が『答え』を口にしようとして――――
「はーい、そろそろ起きましょうねー!」
「ひぅっ!?」
「さ、桜さん!?」
――襖をバッと開けて現れた桜に、兄妹揃って飛び上がることとなった。
「あ、珠雫さん起きてたんですね。随分遅かったので、もしかしたら一輝さんも一緒に寝ちゃったのかと思っていたんですが」
「あ……ご、ごめんなさい。ちょっと珠雫とお話してて……」
「フフッ、謝ることなんてないですよ。久しぶりに会えたんですから話したいこともあったでしょうし、気にする必要はありません。
それにまあ、今回のことは私にも原因がありますから」
謝る一輝を逆に申し訳なさそうな笑顔で受け止めつつ、桜の視線は素早く一輝の背中にしがみつくように身を隠している珠雫へと向けられる。
「う~……!」と唸り声を上げてこれでもかと自分を警戒する愛らしい少女に、桜は「たはは」と苦笑を浮かべつつ、ゆっくり二人に近づくと膝を折ってできるだけ兄妹――厳密には一輝の後ろに隠れた珠雫となるべく目線を揃えようとする。
すると、逆にビクッと身体を震わせて珠雫が顔を一輝の影に隠してしまうが、それは今の二人の構図が先ほど桜が珠雫を拉致した状況の一歩手前だからである。当然の反応と言えた。
それを自覚しているらしく、桜が再度苦笑を漏らしつつ、珠雫に語りかけた。
「さっきは本当にごめんなさい。お姉さん、珠雫さんが可愛すぎてついつい加減を忘れてしまったんです。
もうあんなことはしませんから、許してもらえませんか?」
「…………」
「私は日下部 桜と言います。日の下の桜と書くんですよ。
珠雫さんの名前も、ちゃんと教えてくれませんか?」
ちゃんとした謝罪と自己紹介を口にしつつ、桜は彼女らしい日向のような笑顔を浮かべる。
そんな彼女に、珠雫が警戒こそ解かないものの纏っている拒絶の雰囲気が幾分か和らげたのを、すぐ傍にいる一輝は感じ取る。唸り声が止んでいるのもその証拠だ。
親身になってくれる桜と慕ってくれる妹が仲良くなることに異存などあるはずもない一輝は、自分からも珠雫を促すことにした。
「ほらシズク、ちゃんと挨拶しないと。ね?」
「でも……」
「大丈夫だよ。たしかに桜さんは、はじめて会ったのにいきなり抱きついてきたりしてちょっとアレなところはあるけど、普段はいい人なんだ」
「あれ。一輝さん一輝さん、今何か言いませんでした? こう、お姉さんの胸にグサッとくるようなことを」
爽やか笑顔でアレ発言を一輝がしたかどかは、まあ置いといて。
大好きな兄の言葉となればと珠雫も耳を傾けたらしく、未だ警戒しつつも兄の後ろから顔を見せて桜に視線を向ける。
「……くろがね、しずく…………です」
「はい、ありがとうございます。
「……?……桜さん、これからって――――」
「はい、それじゃあ二人とも行きましょうか。ずっとここにいるのも何ですし、とりあえず居間の方へ行きましょうか」
「あ、はい……?」
珠雫からの自己紹介を受け止め、二人を促して部屋の外へ連れ出した桜は、そのまま居間の方へと連れて行く。
そんな桜に従って一輝は彼女の後ろに続き、そしてその後ろを更に珠雫が一輝にくっつきながら歩く。
――そこでふと、一輝はあることに気づき、それを桜に尋ねた。
「……あの、桜さん。兄さんはいないんですか?」
「ッ!」
『離れに統真がいない』ということに気づき、そのことを一輝は桜に尋ねる。
同時に、統真のことが言及された途端、珠雫が身体を強張らせた。
そんな二人に苦笑を浮かべつつ、桜は質問に答える。
「統真様なら、今頃――――」
――そう語る際のほんの一瞬、桜の顔に不安の色が浮かんだのを、黒鉄 一輝は捉えていた。
もはや誰なんだろうね、この原作主人公(遠い目 というかこんな6歳児がいてたまるかOTL
まあそこら辺は、ホラあれ、light要素(極微少ながら)入ってんだからこれくらいやらんと……ということで(目逸
なお統真の背丈や外見の描写ですが、そう言えば髪形しか言ってねえや、ということで今回のように。モチーフの一人である獣殿は史実含めてかなりの偉丈夫だったらしかったので、そこを踏襲。
作中でも記した通り、知らない人間は先ず小学生とは思わない外見です。で、それを内心気にしてモヤモヤしている桜という構図。
今回は以下の二つが、今回の話における主題でした、作者的には。
■統真家(?)の実状と現実問題
▼娯楽小説で一々描写するモンでもないのかも知れませんが、ナアナアで済ませると私的にはあれだったので今回で触れました。
作中に記した通り、統真はまあこんな奴なので黒鉄家では屈服させられず追い払えず、その結果として接触最低限にしての飼い殺しにしよう(本音は怖いから下手に手が出せないアンタッチャブル)という手段を取りました。父親含む大勢が胃を患ったご様子。
統真も統真で、未熟な己を鍛えるのが先なのと、一応は「養われている恩義」として、家の在り方に反駁はしても大事になるようなことにはせず、周りの中で我を貫く程度に留めてはいます。
▼生活費:普通に本家から支給。桜が世話役を務める現在は彼女が家計を全体的に管理している。
学費:本家から支給。義務教育ほっぽり出したら問題視されてしまうから。
という感じです。
で、今回桜が危惧したものの一つは、まあこういう経済的な部分。桜や地の文でも言及したとおり、統真は一人でならいくらでも生きていけますが、当然一輝はそうはいかず。彼女は(比較的)常識も良識もあるので一輝にちゃんと学校に通ったりして欲しいと思っているので、そこあたり懸念しています。
▼で、ただでさえそういう経済面ではどうなるか不安な状況に黒鉄家の有望株な珠雫が乗り込んできたというのが、桜や一輝が危惧した部分。王馬も王馬で影響されているので、分家連中が知れば「ヤバイこれマジで乗っ取られる」と思うような状態。父親は……まああんなんだからそれ自体はどうこう思わないんでしょうが(遠い目
これを切欠に何かしてくるんじゃないの、何か嫌がらせされるんじゃないの、と常識派(桜と一輝)が悩むのが、今回の話の要点……となってしまっていた(ぇ
本当は兄妹でイチャコラして桜が珠雫を可愛がって嫌われて統真に制裁されてそれに珠雫が怯えて一輝の後ろに隠れるみたいなコミカルシーンだったのに(白目
■一輝の内面
▼渇望の変化:原作では、とりあえず「魔導騎士」になること……なんでしたっけね、目標が;(ヲイ で、ここではこんなことに……どーしよう(遠い目
▼「統真のようになりたい」:龍馬のおかげで憧れ100%ではないですが、かといってそう容易く振り払えるものではなく。まだまだこんな段階です。ここからどう脱却して行くのか、が前日譚における一輝の主題……にしたいOTL
▼観察眼:とんでもない鍛錬の末にブレステ(!?)会得した原作一輝ですが、やはりそこに繋げられる何がしかの素養はあったんじゃないか、と。ただ周りの人間はそれを見向きもし無かっただけで。
で、この世界ではそれを表現しました。まあ、どこまで活かせられるのかは未知数ですが(目反らし
▼……なんか黒い?:原作だって中々に黒いようですので。そら親にあんな仕打ちされたらこのくらいは毒も持ちます。
次回で本当に珠雫スポットは終わり。その後は、統真達以外の、この物語に深く関わる人物や話を描きたいと思います。構成力が欲しい……OTL
あと最後になりますが、タグに「原作キャラオリジナル化有り」を加えました。読んで字のごとく。そして次回の登場人物がそれに当たります。まあ、原作でも殆ど言及されていないどころか名前も出ていない人物ですが;
今回もお読み頂きありがとうございました。次回もゆっくりとお待ちください。
それでは。