超克騎士の前日譚<プリクォール>   作:放浪人

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 漸く、今回を以てこの「強さと弱さと己と」の話は終わりを迎えます。イヤー、ナガカッタナー(白目
 しかし書いていて何度も思いましたが、よくまあこんな、作中では半日にも満たない時間の、しかも堂々巡り気味な内容を一万字以上掛けて書いているな自分。書いている作者が辟易しました。自業自得ですが;

 今回、事前に申し上げておく事柄が三つあるのですが、先ずこの四部編成の話の番号振りを「壱・弐・参……」から「序・破・急・終」にしました。雅楽の三拍子、というよりは戦神館の五常楽から一つ抜いた感じに合わせてみました。ええ、ただの見栄ですOTL

 次いで、ある意味で今回の話で大きく描かれた龍馬さんの言動ですが、ほぼ作者の妄想による捏造です。これに関しては過去改変・捏造による原作乖離前提で臨んでおりますので、悪しからず。

 最後に、今回もオリキャラの登場。と言っても時系列的には故人ですが。一応。
 読んでみて「あれ、これあの人じゃね?」とか「おいキャラ穢してんじゃねーぞ」と思われるかも知れませんが、平にご容赦を(土下座

 それではどうぞ。


邂逅篇 Ⅵ:強さと 弱さと 己と  終

 過去と現在、そして未来は常に繋がっている。

 過ぎ去りし『かつて』なくして『今』はなく、『今』を走破しないものに『これから』はない。総ては一繋ぎの道筋。

 

 なればこそ、過去より続く因果もまた、それより未来である現在に受け継がれていく。善きものも悪しきものも、平らに、等価に。

 

 そしてそれは、往々にして『運命』にすら影響を及ぼす。

 そうして、遥かな過去よりの波及を受けし『運命』は、やがてその先の『未来』すらも塗り替えていく。

 

 

 さあ、前日譚(プリクォール)を廻そう。 

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

「『弱いということが分からない』ねえ……我が曾孫ながら、なんともふざけた悩みだな、おい」

「生憎と俺は至極真面目だ、ふざける余裕などありはしない」

「知っとるよ。だから余計にアレなんだろうが」

 

 

 龍馬邸での夕食を終えて後――龍馬は自身を訪ねてきた統真からの相談を受けていた。

 今は家の縁側に統真と龍馬だけが並んで座っており、一輝は後片付けをしている桜の手伝い、雷峨は夕食を食べ終えたばかりだと言うのに、もう寝転がっている。

 

 曾孫の、一見すれば常識外れとしか言いようのない悩みを、しかし龍馬は無下にすること無く聞き届けていた。

 

 

「さて、なんと言ったもんか……お前、本当に分からんのか?」

「ああ。全く理解が及べん」

「こりゃあ重症だな」

 

 

 にべもなく言ってのける統真に、さしもの大英雄も溜息を吐くしかないらしい。

 統真は統真で、そんな反応をされるのは予想の範疇だったのか特に反駁することもなく、ただ、そんな曽祖父の横顔を見据えていた。

 

 

 

 統真がこの大英雄たる老人と対面したのは、彼が黒鉄家に引き取られてから三年程が経っていた頃のこと。

 この時、既に黒鉄家やその堕落を看過している父親らとは反目して久しく、そしてその特異性故に多くの人間が、彼に近づき関わることを畏れ忌避するようになっていた。

 

 そんな折、一人で家の裏手の山で一人剣の鍛錬をしていると、英雄たる曽祖父は統真の前に現れた。

 

 

『そうか。お前が……』

 

 

 第一にそう口にし、じっと統真を見据える龍馬。そしてその視線に何ら臆すること無く、同じようにその目を見据え返す統真。

 凡そ普遍的な曽祖父と曾孫の初邂逅とは程遠い、険悪とは行かずとも良好とも言い難い空気が、その場に流れた。

 

 当時の統真はまだ己の曽祖父たる龍馬の老いた顔を知らず、故に己の前に現れた老人とは相対の構図を崩さなかった。何より、その老人がその時点では己より高みにある人間だと、本能的に察することができたからでもあった。

 

 しかし、理由は他にもあった。それは――――

 

 

『ご老人、()を見ている。人と向かい合っておきながら()を見ているのだ、貴方は』

 

 

 目の前の人物が、己を通してこの場にいない『誰か』を見ていると、本能的に理解できたが故だった。

 それが誰なのか、龍馬にとってどういう人間なのかは、龍馬という人間を知らない当時の統真には流石に察しかねたが、それでも、彼が己に『誰か』を重ねていたのは確かだった。

 

 さしもの大英雄も、初見の、しかもまだ幼い曾孫にそれを見抜かれたことには目を見開いて驚いていたが、直後には苦笑と共にその非礼を詫びた。

 

 

『すまんすまん。歳を食うとちょっとしたことで昔を思い出しちまうもんでな。許せよ、小僧』

『小僧ではない。黒鉄 統真、それが俺の名だ』

『おう、それは重ねて済まなんだな。

 俺は黒鉄 龍馬。お前の曽祖父に当たる男だ』

『なるほど。初見となる、曽祖父殿。世間一般の事柄なら、お話は色々と』

『……やれやれ、随分と風変わりな曾孫が出来たもんだ』

 

 

 それが、黒鉄の名を持つ二人の男の初対面となった。

 

 その日は、それからいくつか言葉を交わした後に別れ、龍馬はそのまま裏山の己の住まいに戻り、統真は統真で剣の鍛錬を終えてから帰宅した。

 

 その後も、龍馬が裏山にいる時に統真がそこで鍛錬を行えば顔を出して幾許かの言葉を交わす――それが、これまでの統真と龍馬の関わり具合であった。

 

 龍馬からそんな異端の曾孫の存在を聞きつけた戦友の益荒男(雷峨)が統真を訪ねて来たり、その戦友が自身の曾孫()を統真の世話役に宛がったり、その世話役に連れられて初めてこの裏山の隠れ家に連れて来られたり――そうした出来事からも、既に三年の月日が経っていた。

 

 さしもの統真も――そして恐らく龍馬も――、今回のような理由でここを訪ねることになるとは、あの頃は思ってもいなかったことだろう。

 

 

 

 曽祖父の答えを待つ間、統真は何となく、そんなことを想起していた。

 

 そうしてしばらく、縁側から夜空を見上げて沈黙していると、徐に龍馬が口を開いた。

 

 

「統真よ。生憎だが、その問いに関する答えなぞ俺は持ち合わせとらん。

 もっと強くなりたいと、力が欲しいと喚いたり嘆いたことなぞ一度や二度じゃあないし、己の弱さに悔しくて血反吐を吐いたことだって何度もある。今じゃあいい思い出――と、言い切れるもんでもないがな」

「…………」

 

 

 そう語る龍馬の表情は、先程まで統真や一輝に見せた曽祖父の顔ではなく、どこか遠く――あるいは遥かなかつて(過去)に思いを馳せる、人間として清濁を併せ呑んできた一人の男(黒鉄 龍馬)の顔となっていた。

 

 

「だから――代わりに『ある男』の話をしといてやる。

 本当なら『奴』のことなんぞ口にするのも厭だが……まあ、無愛想な曾孫がわざわざ相談しに来たんだ。爺としちゃあ何か一つくらい、持って帰らせねばなるまいよ。

 奴の話を聞いてお前が何を思い感じるかは、それこそお前次第だ」

 

 

 そう言って言葉を切るのと同時に、龍馬は隣にいる曾孫と同じく、庭先に向けていた目を統真へと向ける。

 統真もまたそんな曽祖父に応じて龍馬と向き合う。

 

 そこにいたのは、己と同じ道を歩んでいる後続を真剣に見据える、サムライ・リョーマと呼ばれる大英雄に他ならなかった――少なくとも統真は、目の前の己が曽祖父たる男の様子をそう認識した。

 

 同時に、単なる心成しなどではなく統真と龍馬を囲む場の空気は張り詰め、その外と内に明確な差異を生み出す。

 

 そうして、龍馬が語りだした。

 

 

「俺が奴と対峙したのはあの戦争――第二次世界大戦の終わりだ。連合国も枢軸国も意味を成さなくなった『あの戦い』で、俺は、俺達は奴と戦った。

 奴は強かった。俺が知る中での『最強』を選ぶなら、どんなに不快でも『あの男』だと応えるしかない。

 奴がそうやってあれ程の力に至ったか、お前のような(・・・・・・)境遇だったかどうなのかは知らん。知りたくもない。だが少なくとも、俺の人生で最も熾烈だったあの時代(大戦中)で、奴こそが俺の知る『最強』だった。

 あの時代……いや、今の時代においても奴に並べ立てる奴などいまいよ――お前とどっちが、なんてくだらない質問はしてくれるなよ。孫があの『クソ野郎』と比べられるなんぞ、考えたくもない」

 

 

 その言葉に、しかし話題の対象への賞賛はない。嫌悪・憤怒・苦渋――そうした様々な感情が、言葉だけでなく表情にまで浮かび上がっていた。

 

 吐き捨てる龍馬に統真が口を挟むことは無く、ただその言葉を静かに傾聴していた。

 

 

「当時、奴の周りには色んな人間がいた。

 軍人として奴に敬服していた者、公務を越えて奴個人を慕っていた者、奴に対抗心を燃やしその命を狙っていた者、奴によって救われた者や逆に何かを奪われた者……様々な人間が奴の下に集い、思惑はどうあれ奴の歩んだ道程に付き従い――あるいは引き摺られていった。

 人望も、まぁあったんだろうよ。実際に奴は有能だった。それこそ、奴が身を置いていた国やその同盟国のお偉方などより余っ程優秀だったらしい。敵からも味方からも、何度も暗殺されかけた程にな」

 

 

 そこで一旦言葉を切り、手に持っていた茶を一口含んだ。

 その際に顔を顰めたのは、茶が冷めて不味くなっていたからか、それとも自らの語る言葉によるものか。

 

 

「だがな統真、奴は常に『独り』だった。どれ程に周りに人がいて、どれ程に慕われ憎まれていようと終始、奴は一人だったんだ。

 何故か分かるか? ああ、分からんだろう。それでいい。お前には――いや、凡そ真っ当な感性を持つ人間には先ず分からん理由だ」

 

 

 言葉を重ねるにつれて龍馬の顔は険しさを増していく。まるで目の前に、今彼の語る人物がいるかのように。

 

 

「何故なら、奴にとってはそいつら――いいや、自分以外の全てが『道具』だったからだ。奴にとって、奴と対等足る『人間』は一人もいなかったんだよ。

 奴には己の周りにいる誰もが、自分の役に立って朽ちていく『道具』としか映っていなかった――俺には、そう思えた。今もそう思っている。

 連中の中には、そんな自分の末路をそれでも嬉々として受け入れて逝った連中もいたがな。俺に言わせれば、あれこそ無駄死にだ。犬死だ。死に方が酷かったんじゃあない、『死ぬ理由』がくだらな過ぎたんだ。

 血に飢えたイカれた戦争狂も、ただ任務に忠実だった兵士も、奴の為にと捨て身になった連中も――全員が結局は、使い捨ての道具として無駄死にをさせられたんだ。

 どいつもこいつもが、結局最後は――奴の狂った夢のために死んで逝った。狂人の悪業と名に塗れてな。

 当人達が望んだのなら、満たされて逝ったのなら――なんて気持ちはこれっぽっちも浮かばなかった。ただ腹が立って思わずにはいられなかったよ。『何であんな男の為になぞ死んでいくんだ』とな」

 

 

 そう語りながら龍馬は一度、統真を視界から外して再び庭先に視線を向ける。

 

 

「一度だけ、奴に尋ねたことがある。『お前にとって彼らは何だったのだ、何故あいつらの死に目を余さず見届けながらそうしていられるのだ』と――我ながら若かったよ。今の俺なら、ツラを見ただけで問答無用に斬りかかっていることだろうさ。

 奴は、そんな俺の質問にこう答えやがった。心底愉しそうに、嬉しそうにな」

 

 

 

『痴れたことを訊いてくれるなよ。あれらはあれで私を愉しませてくれたのだ。ならばその散り様を讃えこそすれ、嘆くことなど何があるという。

 さあ、お前達も私を興じさせてくれ。その身は私を愉しませるための武具(モノ)であろうが』

 

 

 

「――奴のその言葉を聞いた時ほど、誰かを『滅ぼしたい』と感じたことはない。あの時ほど誰かの存在を否定したことはない。『あの男』ほど『こいつは生かしてはいけない』と思ったことはない。

 今でも鮮明に覚えているよ。まるでこの世の全てが、己を愉しませるために在るのだと言わんばかりの――あの、全てを高みから見下ろす目をな」

 

 

 ギリッ、と歯を食い縛り摺り合わせる音が統真の耳にも届いた。そしてその顔は月夜に照らされ、その胸の内にある感情が露になった老人の形相が浮き彫りになっている。

 その貌を人は、修羅か羅刹とも呼ぶのかも知れない。

 

 

「誰も彼もが、奴のイカれた『夢』――いや、虚妄のために死んでいった。奴の部下も俺の仲間も、等しくな。

 その挙句、死ぬ時まで奴は、心底愉しそうな、そんな笑いを浮かべながら逝きやがった。

 勝ったなんて気は、これっぽっちも湧かなかったよ。まるで、永い悪夢を見せられた末の最悪の寝起きのようだった。唯一の救いは、それがあの戦争の終わりでもあったということだけだ。

 ……いかんな、どうにも余計なことまで口にしちまった」

 

 

 そんな己が感情を抑えきれていなかったことに気づいたのか、残りの茶を飲み干すと一度顔を大きく顰め、直後には落ち着いた表情へと戻っていた。

 それでも、統真にはその表情の随所に、覆い隠しきれない龍馬の感情を見て取ることが出来たが。

 

 

「分かるか? 統真。奴は独りだった。そうなるしかなかった(・・・・・・・・)んじゃあない、自分からそうなった(・・・・・)んだ」

 

 

 そう語りながら、龍馬は己が曾孫を見据えた。それに対し統真も、ただ静かにその視線に応じる。

 そして――――

 

 

「奴の『強さ(怪物)』の原点は分からん。生まれからしてそうだったのか、血反吐を吐きながら這い上がってきたのか――いや、違うな。奴に限って言うなら、そんな経緯などどうでもいい。

 俺が奴と対峙したあの時点で、奴は完全に外れて(・・・)いた。あれはもう、人間なんかじゃあなかった。あれは正真正銘の怪物だ。人間と言う器を象っていただけの怪物だった。

 『人間(弱さ)』を理解できなくて、ただそういうもの(・・)なのだと見限って見下ろして、使い潰したらそこまでの『道具』と貶める――そんな怪物になったんだよ、奴は」

 

 

 ――その言葉に、統真は僅かに目を見開いた。

 同時に、統真の意識はある言葉を思い起こさずにはいられなかった。

 

 

 

 ――君は自覚せねばならない。君が抱く『それ』が、如何に傲慢で無知なものであるかを。

 

 

 

 それは、昨夜に彼の魔人が語った言葉の一端。それが統真の意識の内で反芻される。

 まるで、すぐ傍にあの魔人がいて、耳元で囁いているかのような錯覚に襲われた。それでも、慌てて周りを見回したりせず、ただ龍馬と向き合っているのは、その精神力が成せるものだろう。

 

 

「奴の『それ』が、お前の『それ』と同じかは分からん。そうであって欲しくないと思わずにはいられんが、それこそ知りようがない。

 ――だからな、統真よ。俺がお前に言えることはこれだけだ」

 

 

 そこで言葉を切ると、龍馬は身体ごと統真へと向き直る。統真も、一拍子遅れてからそれに倣い、龍馬と正面から向き合う。

 

 そして――――

 

 

 

「――周りを頼れ。肩の力を抜いて、な」

 

 

 

 そう言いながら、右の人差し指で統真の額をトン、と小突いた。

 思わぬ龍馬の不意打ちに、さしもの統真も目を見開いたまま瞼を上下させ、真剣だった表情は怪訝なものに変わって訝しむように眼前の龍馬を見ている。

 

 そんな曾孫を見て、真面目な顔をしていた龍馬はそれを崩し、ニヤリと、悪戯が成功した悪餓鬼みたいな表情を見せた。

 

 

「それでいいんだよ。解らないことがあったら他人に聞いて、頼ればいい――今回のようにな。そいつは、お前が奴とは違う証明だ。

 誰かを『頼る』んじゃなく『使って』いた奴とは違う証明だよ」

「…………」

「人はな、頼り合うんだ、統真よ。力が足りなくて、知恵が足りなくて、だから助け合う。それが出来ていれば、お前さんは大丈夫だ。頼ろうと思える誰かがいるのなら、大丈夫だ」

 

 

 そういうと、今度は先ほど一輝にやったように、乱暴に統真の髪を撫で回す。そのせいで、後ろで一括りにしている統真の髪が左右に激しく揺れた。

 そんな曽祖父の暴挙を、しかし向けられた言葉を咀嚼することに集中している統真は、されるがままになっている。最も、目が僅かに据わりかけているが。

 

 そんな統真を見ながら、やがて手を退けた龍馬は再び言葉を紡いだ。

 

 

「なあ、統真よ。『弱さ』っていうのはな、そういうものも含まれるんだよ。

 助け合わなければならない、助け合って寄り添い合いたいと思う『人間らしさ(弱さ)』――けど、お前さんはそれが悪いことに思えるか? そんなものは間違っていると、そう思えるか?」

「――――」

「それでいいんだよ。そいつが『悪くない』と、『楽しい』と思えるのなら――お前は人間だ。ちゃんと『人間らしさ(弱さ)』を持った人間だよ。」

 

 

 続いたその言葉を、統真は静かに聴き、瞑目し――そして受け入れた。

 

 

「……ご教授痛み入る」

「やれやれ……そういうところを直して欲しいんだがな、俺としちゃあ」

 

 

 居住まいを正すと、やはり堅苦しく礼を述べる己の曾孫に、龍馬はそう苦笑を漏らすしかなかった。

 

 そうしていると、ちょうど洗い物を終えたのか桜が一輝を連れてやって来る。

 

 

「お待たせしました、龍馬様。

 洗い物は全部終わってますし、夕餉の残り物も取り置いてありますので、明日の朝にでも召し上がってください」

「おう。いつもありがとうよ、桜坊。

 さて――今度はこっちの番か。おい統真、一輝を少し借りるぞ?」

「え?」

 

 

 龍馬は桜に礼を言うと、一輝に目を向けながら立ち上がる。

 そんな曽祖父の突然の言葉に、一輝が目を白黒させるのは自然なことだった。

 

 

「俺に言うことではないだろう。本人に聞けばいい」

「だそうだ、一輝よ。食後の散歩に少し付き合ってくれんか?」

「え、あ……はいっ。僕でよければ……」

 

 

 食事前のやり取りで他人行儀なところは払拭されたものの、今日が初対面である龍馬に対してはまだ硬いところが抜けない一輝は、緊張しつつも提案に応じた。

 

 

「よし。じゃあ少し歩いてくるから、お前さん達はここで少し休んでな」

「分かりました。では一輝さんをよろしくお願いしますね、龍馬様」

「い、行って来ます」

「ああ」

 

 

 そうして、縁側に置いてある下駄を履き、隣に一輝を伴いながら龍馬は自身の住まいから離れていった。

 

 そんな二人の後姿を見届けながら、桜は統真の斜め後ろに控えるように自らも座る。

 

 

「……何かいいお言葉はいただけましたか?」

「……さあな」

 

 

 どこか心配げに聞いてくる桜に、しかし統真は明確な答えは出さない――出せない。

 

 龍馬自ら語った人物の例、人を頼るという『弱さ』の許容。それが、統真の目的である『弱さへの理解』にもその糸口と目している『己の弱さの求道』に直接繋がった訳ではない。

 なので、それに関してならこの来訪も目ぼしい収穫があったとは言えない結果だった。

 ……ただ。

 

 

「道の一つは示してもらえた」

「道……ですか?」

「ああ。俺がもっとも『ならない』と思う道をな」

「……そうですか」

 

 

 そう意味深に語る統真を、しかし桜が必要以上に追求することはなく、二人は静かに、月の照らす夜空を見眺めた。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 月明かりに照らされているとはいえ、夜の山は幼い一輝にとって危険な場所である。

 なので現在、龍馬の散歩に付き合っている一輝は、その龍馬と手を繋いで林の中を歩いていた。

 散歩であるためか小さい一輝に気を使っているのか、龍馬の足取りは非常にゆったりとしている。

 

 

「よし、着いたぞ」

「え?」

 

 

 唐突に歩みを止めるとそう言う龍馬に一輝が疑問の声を出すが、龍馬に前方を促されそちらを見ると、そこには大小二つの岩が埋もれていた(・・・・・・)

 それが何なのか――岩なのは分かるが、何のためのものなのかは皆目見当がつかず、一輝は首を傾げるしかない。

 すると、そんな一輝を見て苦笑した龍馬は、再度一輝の腕を引っ張って岩の方へと連れて行く。

 

 

「以前、雷峨の奴がどっかの岩場からあの岩二つを持ってきてな、あそこに埋め込んだのさ。大方、こんな月夜にあそこで酒でも飲み明かそうと思ったんだろうよ。結局、一度もやったことはないがな」

「はあ……」

 

 

 そう龍馬が説明するが、一輝には今一ピンとこない。月見酒の風情など幼い子供に分かるはずもなく、それが当たり前の反応だった。

 

 そうしている内に岩の前に辿り着いた二人。龍馬は一輝の身体を持ち上げると大きい方の岩に乗せ、自身はすぐ隣の小さい方に腰を降ろした。

 持ってくる時に吟味でもされたのか、はたまた雷峨が自ら手入れでもしたのか、岩は座ってもあまり違和感がなく、それどころかそれなりに座り心地がよかった。

 

 

「よっと……あいつ(雷峨の奴)、こういうくだらないことには精を惜しまないな、本当」

「あ、あの……お祖父ちゃん。どうしてここに?」

 

 

 ちょうど岩の高低もあり目線が並ぶようになった状態で向き合うと、一輝が緊張した面持ちで一人ゴチる龍馬に尋ねた。

 

 

「ん、ああ何、せっかく来たんだ。お前さんの胸の内も聞いてやろうと思ってな」

「ぼ、僕の――ですか?」

 

 

 そう言って自分を見据えてくる龍馬に、一輝の緊張は一層強まる。

 一輝としては、先程の食事前の語らいで十分、言いたいことは言ったつもりだったのだが。

 

 そう、一輝が思っていると。

 

 

「一輝よ――お前にとって、黒鉄 統真は何だ?」

「え……?」

 

 

 それまでの飄々とした態度はなくなり、真剣な目で己を見る曽祖父の姿が、一輝の前にあった。

 

 

「兄だとか師匠だとか、そういうことじゃあない。

 お前にとって――黒鉄 一輝という人間にとって、黒鉄 統真はどう思えているのか。それを聞いているんだ」

「どう、思う……」

 

 

 幼い子供に向けるにはあまりに抽象的な問いを、しかしどこまでも真面目に龍馬は向け、向けられた一輝もまた、質問を口で反芻しつつ咀嚼しようとする。

 

 質問から数分ほど。一輝が子供の思考で必死に考察し、龍馬がそれを静かに待った。

 そして――――

 

 

「……目標、です」

「目標か」

「……はい。ぼくが兄さんを目指すなんて、すごく無茶で、馬鹿みたいに思われるかも知れないけれど……でも――それでもぼくは、兄さんのように強くなりたい」

 

 

 そんな、偽らざる己が胸中を、拙い言葉で、しかし精一杯吐き出す。それを、龍馬は真正面から受け止め、しかし何か言葉を返すこと無く一輝を静観していた。

 

 

「ここで、この裏山で兄さんの素振りを見た時――すごいと思いました。何がどうとか、細かいところは説明できないですけど……ただ、すごいと思いました。

 それから、兄さんのことを詳しく知って、あんなに強いのに、それなのにもっと強くなろうとしていて……すごく羨ましかったんです」

「強いことがか」

「違います……羨ましくはあるけど、違うんです」

「どう違う」

「強くなろうとしていることが、諦めないことが羨ましかったんです」

 

 

 初めて統真の鍛錬を目にし、日頃のその行動を追い――黒鉄 統真という人間の行動と軌跡を知れば知るほど、一輝はその存在に惹かれた。

 どこまでも努力を弛まず、ひたすらに邁進するその姿に、惹かれて止まなかった。

 

 

「……だから、少しでも兄さんに近づきたくて、兄さんのことを知りたくて……そしたら、兄さんがぼくのところに来て、僕を認めてくれて……」

「…………」

「……すごく、嬉しかったです。誰もぼくを認めてくれなかったのに、見てくれなかったのに――妹の珠雫はぼくを慕ってくれてるけど、それでも『伐刀者』としては見てくれなくて……でも、兄さんは言ってくれたんです。ぼくが諦めなければ、ちゃんとぼくを見続けるって」

 

 

 思い出すのは、よく考えればまだ一週間と少し前でしかない過去。一輝を縛る鳥篭の部屋を容易く吹き飛ばし、その前に現れた兄。その兄が語ってくれた肯定の言葉。

 それが、一度は折れ、しかし統真の姿を追って再び立ち上がった一輝を認めてくれたようにも思えたのだ。

 

 

「……だから、思うんです。兄さんのようになりたいって。

 すごく難しいことだと分かるけれど、とても時間が掛かるって思うけれど、それでも、ぼくは――――」

「一輝」

 

 

 必死に言葉を紡ぐ一輝を遮り、唐突に龍馬は沈黙を破った。

 

 

 

「無理だ、やめておけ」

 

 

 

 その言葉と共に。

 

 

「――え?」

「そう、俺が言ったらどうする」

 

 

 思いもしなかった――心のどこかで、そういわれても仕方ないという覚悟はあっても――龍馬の否定の言葉に一輝が硬直するが、龍馬は構わず更に言葉を続ける。

 それを聞いて完全に否定された訳ではないと分かり安堵する一輝だが、どこまでも真剣な龍馬の目に、緊張を解くことはできなかった。

 

 

「ここで喋らせといて、俺だけ上辺の言葉を言うつもりはない。だから一輝、ちゃんと聞けよ。

 血の繋がった爺の俺が言うべき言葉じゃないかも知れんが、あいつは――黒鉄 統真という人間は、間違いのない異常だ。

 あいつが言った『生まれながらの強者』という表現――そいつは、恐ろしい程にあいつに噛み合っちまう。厭なもの(・・・・・)を思い出しちまった程にな」

 

 

 そう語る龍馬の顔は苦渋に歪む。そんな英雄の顔に驚かずにはいられない一輝だが、ほんの少し前に、目の前の曽祖父が兄とそんな表情で語り合っていたことは知る由もない。

 

 

「……俺も色んな戦いを経験して長生きして、老いはしても衰えたとは思っていない。少なくとも、若造どもに引けを取るなどとは思わん程にな。だが、あいつは違う。

 一輝よ。俺があいつと――統真と初めて顔を合わせた時、何を思い浮かべたか分かるか?」

「……分かりません。何を、思ったんですか?」

「どうすればこいつを殺せるのか、だ」

「!!?」

 

 

 想像を遥かに上回る――否、想像すら出来なかった己が曽祖父の言葉に、一輝は絶句するしかなかった。

 

 ――殺す? 誰が? 龍馬が? お祖父ちゃんが? 誰を? 兄さんを? 自分の曾孫を? 一体何故?

 

 幼い脳では言葉の意味自体は理解できてもその内にあるものを推察することなどできるはずもなく、一輝の思考は混乱に陥る。

 そして、その混乱を沈めたのは、他ならない混乱を齎した張本人でもある龍馬だった。

 

 いつの間にか龍馬は一輝の頭に手を乗せており、その黒髪を優しく撫でていた。

 その、乱暴でいて情愛の篭った手つきに、一輝の心は不思議と落ち着きを取り戻す。

 

 

「当然の反応だ。老いさらばえた爺が、自分の孫を自分で殺すそうとするなぞ、ふざけているどころの話じゃあない。畜生の所業だ。……まあ、俺なりの理由はあったし、実際にそんなことをする心算はなかったがな。

 だがな、一輝よ。問題はだ――俺には、答えが出せなかったということだ」

「え?」

「情に絆されてじゃあない。どんなに考えを巡らせても、俺はあいつを――黒鉄 統真という相手を殺し切ることができなかったんだよ。純粋な実力でな」

「――――」

 

 

 再びの絶句。しかしそれも当然だった。

 眼前の、老いたとはいえ未だ壮健な大英雄は、自身の半分にも満たない歳の曾孫を相手に「倒し切れない」と発言したのだから。

 

 統真に憧れて止まず、その背を追いかける一輝は、常日頃においては歳相応の子供らしい空想も合わさって『兄さん(統真)は世界で一番強い』という考えを少しは抱いている。しかしそれでも、目の前の偉大な先達たる大英雄を前にして同じような考えを抱くことは流石に難しい。

 

 にも関わらず、他ならない龍馬自身が口にしたのだ。自身より遥かに年下の子供を、大英雄の力を以てしても打倒できないのだ、と。

 

 世の人間が聞けば、老いた老人の曾孫贔屓か耄碌の末の戯言だと思わずにはいられない言葉だった。

 そしてそれが紛れもない本心であると、龍馬と向き合う一輝は、嫌でも理解させられた。

 

 

「力・経験・知識・技術――今まで培ってきたもの・身につけてきたもの・学んできたもの。その全てを用いても、俺にはあいつを殺し切る場面など思い浮かべることはできなかった。

 どんなに考えても、奴は必ず立ち、俺と向き合っていた」

 

 

 そこで龍馬は一旦言葉を切り、一輝の頭を撫でていた右手も退ける。それにより一輝が目を向けると、再び真剣な目をした龍馬が、一輝を見据えていた。

 

 

「分かるか? お前が今目指しているのは『そういうもの』だ。理屈なんか意味をなさない、生まれながらにそう(・・)在ってしまったものだ。

 認めたくはないがな、どうにも在ってしまうものらしい。そういう人間と言うのは」

 

 

 そう語る龍馬の顔に、再び苦渋が広がる。

 そんな曽祖父の心境は、流石に一輝に察し切れないものではあったが。

 

 

「一輝。それでもお前は『そこ』を目指すのか? お前より遥かに才能ある者がその生涯を賭して、あらん限りの努力を成してもなお辿り着き得ないであろう領域、それがお前の目指す場所(黒鉄 統真)だ。

 それでもお前は、それを目指すのか? その憧れだけを胸に、『最弱』のお前が『最強』に至ろうと言うのか?」

「ッ……!」

 

 

 包み隠さず、しかしだからこそ容赦なく、ありのままの『事実』を龍馬は一輝に突きつける。

 

 

「持ちうる全力と全霊を注いでもまだ足りない。努力などと言う言葉が、鍛錬などと言う言葉が馬鹿馬鹿しくなるような凄絶の苦行を身に課してもまだ遠い。神仏に願い縋ったところで、誰も応えなどはしない。

 その、道筋など何一つない無明の道を、お前は行くと言うのか? その想いだけで、歩み続けられるのか?」

「……分かりません」

 

 

 幼い子供に向けるにはあまりに無情な言葉。それを受け、一輝は顔を俯かせ、声を震わせる。

 そこにあるのは悔しさか、悲しさか、怒りか、憎しみか。

 

 

それでも(・・・・)――――」

 

 

 それともあるいは――――

 

 

「それでも、ぼくは諦めません。諦めたく、ないです。もう二度と」

「…………」 

「もしまた諦めたら、ぼくは『ぼくを見てくれた兄さん(英雄)』を裏切ることになるから――それだけは、絶対にいやだから」

 

 

 あまりにも子供らしい想いを口にし、続けるべき言葉に悩み口を噤んでしまう。しかしそれでも必死に考え、それを告げた。

 

 

「だから――ぼくは絶対に諦めません。どれだけ辛くても苦しくても、ぼくは兄さんを目指します」

「……そうか」

 

 

 根拠などどこにもない、あまりにも無謀なその気持ちを、しかし龍馬はただ受け止め、頷くだけだった。

 

 

「……なら一輝。お前には二つ、言っておくべきことがある」

 

 

 しばしの黙考の後にそう切り出した曽祖父に、一輝は思わず身構えてしまう。

 そして、龍馬が語ったのは――――

 

 

「黒鉄 一輝」

「はい」

「己を受け入れろ」

「……え?」

 

 

 突拍子も無いその言葉に、一輝は疑問の声を上げるが、続く龍馬の言がそれを塞ぐ。

 

 

「『弱い己』を受け入れろ」

「――――」

「お前は弱い。どうしようもなく弱い。ちょっとやそっとの努力でそれは覆らんし、努力したとしても常に多くの者がお前の先を行く。他人が百歩行く時、お前は千歩万歩の距離を行かねばならん。それがお前だ。

 そんな今の『弱い自分』を受け入れろ」

「――で、も……!」

 

 

 思いもしなかった龍馬の言葉に思わず一輝が食い下がるが、そんな一輝を、しかし龍馬は変わらず真っ直ぐに見据えて言葉を続けた。

 

 

「『自分の敵は自分自身』――そういう言葉がある」

「……?」

「早い話が、怖気づいてこれからやろうとしていることの足を引っ張っちまう軟弱な自分を乗り越えろ、って意味さ。人によっちゃあ違う解釈をする奴もいるが、まあ俺が言っているのはそういう意味だ」

「……はい」

「そいつは事実だ。俺も、若い時分には何度も自分自身に躓かれそうになって、そんなてめえを張っ倒したもんさ。

 けどな、一輝。お前は違う。お前は先ず、そんな『弱い己』を認めて受け入れなければならん」

「…………」

 

 

 そんな意味深な言葉が一輝に分かるはずも無いが、一輝は一輝で必死にそれを咀嚼しようとし、そんな一輝を見て龍馬も小さく笑みを浮かべる。

 

 

「お前にとっての『弱い自分』は、敵なんかじゃあない。

 そいつは、『今はまだ弱い黒鉄 一輝』は、お前が――『これから強くなろうとしている黒鉄 一輝』が『今より強い黒鉄 一輝』になるための味方だ。

 なあ、一輝。お前の味方はお前自身なんだよ」

「……ぼく自身が、味方?」

 

 

 先程とは真逆の言葉を告げられて混乱してしまう一輝だが、龍馬はそれが収まるのをゆっくり待ち、それから言葉を続ける。

 

 

「そうだ。お前が『今より強い黒鉄 一輝』になって、そしたらそこからまた『より強い黒鉄 一輝』を目指して――そうして行く道筋を、二人三脚で歩んでいくお前の味方だ。

 お前の目標の統真や、面倒を見てくれる桜坊以上の、な」

「……もっと強い、ぼく……」

「それを続けて、続けて、続けて行って――それで、辿り着けるかは分からん。その道を歩もうとしているのは俺ではなく、お前だからな」

 

 

 実感が湧かず、想像に遠いその言葉を、思わずといった風に一輝は反芻した。

 そんな曾孫から視線を遥か頭上の月に向けると、付け加えるように龍馬がポツリと語る。

 

 

「人間は翼がなくても月まで行ったが――その道程には数え切れないほどの犠牲や挫折があった。

 大勢の人間が、色んな国が、様々な組織が、頭を突き合わせて、失敗して、血反吐を吐いて、何かを失って、それでも諦めず挑み続けて、漸くそこに辿り着けた。

 お前のそれ(目標)は、あるいはそれより険しい道程かも知れん。

 ならば、お前もまた誰かの力を借りていかなきゃならん。人間は、一人で生きていくことなど出来ないんだからな」

 

 

 そんな曽祖父の言葉に、一輝も釣られて空の月を見上げる。

 今でこそ世間一般では過去の偉業として語られる、人類の月への到達。しかしその影にあった、語られている限りの、そして語られざる無数の努力の道程。

 

 それに匹敵する、あるいは上回るかも知れないという道程が、今の一輝に想像できようはずは無かった。

 この時はただ漠然とした思いを抱くしか、一輝に術は無かった。

 

 

「……まあ、これに関しては今日会ったばかりの俺より、桜坊が上手く説明できるかも知れんな。

 自分で考えてみて分からないんなら、後で聞いてみるといい」

「……はい」

「そして、もう一つ――俺としてはこっちが重要な話なんだがな」

 

 

 そう言うと、龍馬が再び笑みを消し、真剣な表情になる。

 それに応じて、一輝の思考は龍馬の一つ目の言葉について考えることを一旦止め、そちらに意識を向けた。

 

 

「もう一度聞くぞ、一輝。お前にとって、黒鉄 統真は何だ」

「――目標です。いつか辿り着きたい」

「ならば、黒鉄 統真を見ろ(・・)

「……え?」

 

 

 またも不可解な言葉を告げられて呆然となるが、しかしこれまでの会話で学んだらしく、口を挟むことはなく、続く龍馬の言葉を待つ。

 そして、龍馬がそれを受けて言葉を続けた。

 

 

「お前の憧れる黒鉄 統真じゃない。お前が実際に触れて、感じて、知った、現実の黒鉄 統真を見ろ。

 どれ程に強かろうと理想的だろうと、お前の抱いている『憧憬』は、本当の黒鉄 統真を映してはいない。それは、お前自身の幻想でしかない」

「――――」

「これが他の奴なら、まあまだ容認の余地があったんだろうよ。だがな一輝、お前の目指す目標(黒鉄 統間)は違う。あれに有象無象の『憧憬の押し付け』など意味は無い。あいつのことだ、そんなもん自分の手でぶち壊して行くんだろうよ。

 だから一輝。お前があいつを目指すと言うのなら、お前自身の生み出した虚像じゃない、これからお前が触れ合って知っていく、ありのままの黒鉄 統真自身を見ろ。

 例えお前が受け入れられないような嫌な部分を見せられようと、それから目を逸らすな。その全てが、黒鉄 統真という人間なのだからな」

「……兄さん自身を……見る……」

 

 

 その言葉は、少なくとも最初の教えよりは一輝の心によく浸透した。

 同時に、朝の鍛錬で桜が口にした言葉が想起される。

 

 

『私は、多分これからも統真様を羨んだりはしないと思います。

 統真様を羨むということは、多かれ少なかれ「あの人のようになりたい」と思うこと――私は、それだけはしないと自分に誓っています』

 

 

 あれは、こういう意味だったのだろうか。桜は『憧れ』ではなくありのままの黒鉄 統真を知るからこそ、そう語ったのだろうか。

 

 そしてふと、思う。果たして自分は、本当にちゃんと兄を見ていたのだろうか――と。

 

 誰よりも強くて、誰よりも努力家で、誰よりも堂々としていて――それは、間違いない事実だけれど、それでもそこに黒鉄 一輝の『理想』が含まれていないかと言われれば、首を横に振らざるを得ない。

 何故なら、一輝の統真に対する感情は、他ならない『理想(黒鉄 統真)への憧憬』から始まっているのだから。

 

 

「…………」

「すぐにそうなる必要は無い。やれと言っても無理難題だ。

 だから、少しずつでいい。その目で見て、聞いて、触れて、話して、そうして知っていけ。お前がどんな男に惚れ、その背中を追っているのかを、な」

「……はい」

 

 

 答えられない自問を抱いたまま、それでも一輝は龍馬に頷いた。

 そんな一輝にフッと笑みを浮かべると、徐に龍馬がその場から立ち上がる。

 

 

「さて……思っていた以上に長く喋っちまったな。そろそろ戻らんと桜坊が心配しそうだ。

 戻るぞ、一輝」

「は、はいっ」

 

 

 龍馬にそう促され、思考の迷路から抜け出した一輝は差し伸べられた手を握り、その手に引かれながら来た道を戻っていく。

 

 そんな中で、一輝は龍馬から送られた二つの言葉を思い浮かべていた。

 

 ――弱い己を受け入れろ。強い己になっていくために。

 ――ありのままの統真を見ろ。憧れではない、本物の黒鉄 統真を。

 

 その二つの言葉が、静かな夜の山を歩く一輝の思考に反芻され続けた。

 

 

 

 偉大な大英雄の言葉が、今はまだ弱く幼い少年に何をもたらし、やがてどこへ至らせ得るのか。

 その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。

 

 

 

                  †   †   †

 

 

 

 龍馬と一輝が散歩から戻って後。

 目を覚ましたらまたも馬鹿をやらかそうとした雷峨を、主従二人に今度は大英雄までもが加わって沈めるといった騒動を経て、統真達三人も帰宅することとなった。

 

 

「では龍馬様。申し訳ないですが、御爺様のことよろしくお願いしますね」

「ああ。本当なら一緒に連れて帰ってもらいたいんだが、まあそういう訳にもいかんからな。

 お袋さんに『馳走になった』と伝えといてくれ」

「はい、確かに」

「……今日は世話になった。感謝する」

「おう。お前は本当に、次会うまでは弟の半分でもいいから俺への扱いを見習って来い」

「あ、ありがとうございました。お祖父ちゃん」

「うむ。次がいつになるかは分からんが、それまで達者でいろよ、一輝よ」

 

 

 そう言葉を交わし、龍馬に別れを告げた統真と桜、そして一輝は、龍馬邸を離れ夜の山道を降りていた。

 なお、一輝は統真の背に負ぶさっている。鍛錬の疲れや満腹感のせいで睡魔に襲われ、そのまま統真の背中に背負われて連れ帰ることとなったのである。

 

 そんな、歳相応の可愛らしい一輝の寝顔を見ながら、桜はクスリと微笑んだ。

 

 

「何を話していたんでしょうね。一輝さんと龍馬様」

「さあな。だが、為になることではあったのだろう。これ(一輝)の顔を見れば分かる」

「まあ、それは確かにそうですね」

 

 

 麓に戻る道を降りながら、そんなことを話し合う。

 

 そうして、しばらく戻る道を歩いていると、統真はふと、龍馬が自身に語った言葉を思い出した。

 

 

 ――そいつが『悪くない』と、『楽しい』と思えるのなら――お前は人間だ。ちゃんと『人間らしさ(弱さ)』を持った人間だよ。

 

 

 その言葉の意味をしばらく胸の内で反芻して後。

 

 

「桜」

「何ですか、統真様」

「お前は、俺といて『楽しい』か」

 

 

 何となく、そんなことを隣の従者に尋ねてみる。

 理由は口にした統真自身にも分からなかったが、無性にそれを、彼女に訊いてみたくなったのだ。何年もこんな己に付き添う、日下部 桜という人間に。

 

 

「……はあ。また何を言い出すかと思えば」

 

 

 すると、それを聞いた桜は一瞬呆れた顔をすると、一拍子置いてから答える。

 

 

「楽しいですよ。統真様には振り回されて苦労しますけど、それだけ充実してますし。

 一輝さんが来てからは、尚更ですね」

 

 

 そう語りながら統真の顔を覗き込む桜は、いつもと同じ朗らかな微笑を顔に湛えていた。

 

 

「これからの人生でも色んなことがあって、その時も楽しいことはいっぱいあるのでしょうけれど――今は『今』が、時間が止まればいいと思えるくらい、楽しい日々です」

「……そうか」

 

 

 そんな桜の答えを静かに聞き届けた統真は静かに頷き、再び視線を前へと戻した。

 

 いつぞやの月の夜にも感じたように、今日の出来事を『悪くない』と思いながら。

 

 

 

 

 互いの曾孫達が帰路に着いていた、その頃――――

 

 

「おい、いつまで寝てる気だ。とっとと起きろ、この酔っ払いが」

「ぐほっ!? いってぇなぁ。戦友はもう少し労われや、おい」

「何が戦友だ。お前なぞ傍迷惑な悪友で十分だ」

「おうおう、『友』ってところを否定しないところに本音を感じるね」

「気持ち悪いんだが。おい、ちょっとあっち行け。こっち寄るなよ、爺の衆道なんぞ死んでも御免だ。というかぶっ殺すぞ」

「ひでぇ」

 

 

 そんな憎まれ口を叩き合いながら、かつての英雄たる曽祖父達も縁側に腰を下し、互いに向かい合っていた。

 

 

「――で? どうだよ、お前の曾孫達(統真と一輝)は。大丈夫そうか」

「……ああ。まあ、大丈夫だろうさ。このまま行けばな」

 

 

 主な内容を欠いた意味深な質問に、龍馬はただそう答える。

 

 

「龍馬」

 

 

 そんな戦友を、雷峨は今までのふざけた言動を取り払い、真剣な顔で見据えていた。

 

 

「分かってるさ。あいつ(統真)を『あの男(怪物)』になどさせはしない。

 だからこそ、こうやって老骨に鞭打ってんだろうが」

 

 

 そう言いながら、雷峨の酒入りの瓢箪を自身の徳利に傾け酒を注いだ。

 

 

「……俺の命に代えても、それだけはさせん。

 それでももし『そうなった』時は――その時は、俺の手で始末をつける。それだけだ」

 

 

 明確な『殺気』と『殺意』をその目に宿す龍馬に、雷峨は――――

 

 

「……そうかよ」

 

 

 その一言だけを返し、自分も徳利に注いであった酒を飲み干す。

 そんな雷峨を余所に、龍馬は今や記憶の中にのみにある『かつて』を思い浮かべていた。

 

 

 第二次世界大戦――様々な国や権力者の利害と思惑が複雑に絡み合い、そこに不運なすれ違いや過去から引き摺ってきた確執と怨念が加わった末に引き起こされた、人類最大の戦乱。

 

 しかしそれが、たった一人の狂人の『夢』(・・・・・・・・・ ・ )としてもたらされたモノであるなど、誰が知ろうか。

 少なくともそれを知る者達は、皆等しくその事実を歴史の語られざるべき闇として葬っている。龍馬達も、理由はどうあれそれに加担した人間の一人だった。

 

 もちろん、厳密に言えばやはりそこには多くの人間の思惑があったのだけれど――あの戦争を『あんな結末』に至らしめたのは、間違いなく『あの男』の狂気だった。

 

 ――連合国と枢軸国。侵略と解放。正義と悪。

 ――特務大隊マグナミレニア。『(戦い)』が総てを征する第三帝国。無限闘争の理想世界。

 ――魔軍の王。語るべかざる黒金〈クロガネ〉の魔獣(ディ シュヴァルツェアゴルデン ベスティ)

 

 全ては終わり、真実は闇へと葬られ、世界は虚構の平和を謳歌している。

 その足元に、今もなお蠢く存在を、知ることは無く。

 

 そしてそんな最中、己の曾孫として彼の前に現れた、異形の子供。

 

 今でも思い出す。あの姿を、あの顔を、あの眼を認識した瞬間――龍馬の封じて久しい記憶から蘇った、あの昏く輝く闇の黄金を。

 

 先程の語らいで、龍馬は一輝に語った。己が統真を殺すと言う『想定』はしても、『実践』はしない、と。

 

 それは偽りである。何故なら今この瞬間も、龍馬はその『覚悟』をしているのだから。

 黒鉄 統真が、自身の周りにいる者達の『意味』を理解できなくなり、あの忌むべき『獣』と同じ存在に成り果てたのならば、己の全てを賭してでも止めねばならない。

 

 もう二度と、あんな存在をこの世に産み落としてはいけないのだ。例え、それが己の系譜を手に掛ける行いであったとしても。

 

 

 同時に――故に、願う。

 今日、面と向かい合って己の言葉を贈り受け止めた、あの小さくて弱い、しかしなればこそ『可能性』を宿している幼い子供に。

 払い切れなかった過去の闇を追うことに奔走し、その結果として見落としてしまっていた、黒鉄という家の闇の犠牲にしてしまった曾孫に。

 

 これから後、順当な道程を歩んでいけば黒鉄 統真は父親に見出された時と同じく、その異常なる力故に否応無く世界の注目を受け、力を欲する者達に狙われていくだろう。

 そして未だまどろむ英雄(黒鉄 統真)が、世界の想像以上の愚かさと醜さを思い知った時。それでもなお人の可能性を見限ることなく、彼に『希望』を見出させる存在であってくれ、と。

 

 己にそれはできない。当人が聞けば「諦めるのか」と詰られるのだろうが、それでも、その役は龍馬にこなせる――こなすべきものではない。

 

 己にできること――己が為すべきと定めたことは、葬り去られた歴史から這い出ようとしている亡者達を、闇へ葬り返すことだと、そう見定めたのだから。

 

 だからこそ――――

 

 

「……死んだ奴がいつまでのさばっている気だ、ジークヴェルト」 

 

 

 だからこそ、黒鉄 龍馬は今なお生き長らえている。全ては、あの過ち(大戦)を繰り返させないために。

 それが己の意志であり、散っていった者達への弔いであり、そして後に続く者達に対する先達たる者の責務なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そう、老いた英雄が静かに、しかし鮮烈なる意志を己に刻み直す様を。

 

 私は、そんな的外れ(・・・)なことを思う彼を見て遂に、嘲りの失笑を漏らすしかなかった。

 

 

 嗚呼、その履き違えていることの、なんと馬鹿馬鹿しいことか。

 

 運命を超克せんとするならば。

 

 その運命をこそ突き進み、走破しなければならないと言うのに。

 

 私は知っている。私は信じている。彼こそは――我が愛しき彼の英雄は、必ずそれをなすのだと。

 

 嗚呼。なればこそ、遍く世界よ。そこに生きる有象無象よ。古き英雄達よ。

 

 等しく須らく。

 

 我が英雄が織り成す歌劇の礎となるべし。

 




 えー、そういう訳で、四話にも及ぶ無駄に長ったらしい話も終わりでございます。
 そして今回、原作の過去に当たる落第世界での第二次世界大戦などに言及しており、そこに深く関わるオリキャラの登場です。もう死んでますけど。
 では色々と解説をば。

■ジークヴェルト
▼『あの男』とか『奴』とか言われて、最後の最後で名前出せた故人なオリキャラ。時系列では過去である第二次世界大戦時代(色々改変)の人間であり、龍馬達英雄と敵対していた人物。「魔軍の王」「黒金の魔獣」などと呼ばれ敵からも味方からも恐れられていた。戦争狂の闘争狂。
 若い頃の龍馬達や当時のそれ以上の実力者達を集った特攻部隊(誤字に非ず)相手に一人で大立ち回りして壊滅直前まで追い込んだ怪物。
▼大まかなキャラモチーフはDiesの獣殿+BLEACHの藍染+HELLSINGの少佐という、これまた分を弁えないラスボス格のカオスキャラ。
 厳密に言えば外面や言動は獣殿風だが、価値観は「自分以外は全て弱くてくだらない存在」と思えてしまっており、そこから闘争狂を拗らせて「くだらない存在なら精々私を楽しませて死ね」とか当たり前のように考えて周りを見下す始末。実際、それが出来るくらいに強くて優秀なカリスマ持ちと言うどうしようもない人間。
 あるいは『愛を持たない獣殿』。『破壊によって愛を示す』のが獣殿なら、こいつは戦ったり殺したり破壊すること自体が好き、というかそれくらいしか愉しめないので、自分を慕う部下すら道具のように使い潰してひたすらにそれを追求して生きた魔人。
▼この作品の第二次世界大戦は、史実は元より落第騎士からも更に乖離していますが、その原因が大体はコイツ。HELLSINGの少佐みたく「一心不乱の大戦争を!」というイカレた渇望だけで世界中を敵に回してやらかしたりしてました。
▼名前はドイツ語の「Sieg(勝利)」と「Welt(世界)」をまんまくっつけただけのもの。
 ちなみにあだ名の一つの「黒金の魔獣」のルビのドイツ語も超適当。一応ハイドリヒ卿(史実版)のあだ名のドイツ語読みを参考にしました。

■桜さん流出する?
 別に桜は時間停止とか使いませんのであしからず(シレッ

■龍馬語る
 何か色々言わせてますが、作者が人生舐めきってる若造なモンだから薄っぺらいったらありゃあしない;言葉に理路整然さと威厳が欲しいOTL

■ニート裏山に出没
 最後にまた涌いたニートもどき。こいつがどこからどこまで暗躍しているか……なんて、言うのも億劫ですよね(遠い目


 ここまで書いておいて結局解消されずなあなあで済まされてしまった「統真の弱さ」ですが、これはこの超克騎士全体における核心の一つなのでここで解明はされません。
 ええ、決して作者が思いつかず先延ばしにしているわけではないのですよ?(目逸らし


 さて、次回からは読者の方々の要望もあり、原作キャラ(女性)を色々出したいとは思いますが、どうしたものやら; とりあえずブラコンに犠牲になってもらいまs(ドスッ
 それでは次回もよろしくお願いいたします。

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