運命の人 ―アカギ逸聞録― 作:天照院
囚われの心
時は流れる。大学生になった薫は地元を離れ、大学から近い場所にあるアパートを借りて、春から一人暮らしを始めていた。
父親や妹との暮らしが当たり前だった事もあり、一人で離れて暮らすのは正直少し寂しい。
けれど、寂しいばかり言ってはいられない。折角大学まで入れてくれて、しかも一人暮らしをさせてもらっているのだ。ちゃんと勉強をして、ちゃんと卒業出来るように頑張らなくては。
「怠けてちゃ駄目よね!」
自分にそう言い聞かせながら、棚に飾っている写真の父や妹、笑顔の母の写真を見つめた。
「ねえ、バイト探してるって言ってたよね?」
大学で友人らと昼食の最中、その中の一人が切り出した。
「あ、うん」
実は薫はバイトをしようかと考えていたのだ。全部父に出してもらっているのが何だか気が引けて、せめて自分の身の回りの物や食費を稼げれば、 少しでも父の負担を減らせる事が出来る。そう思って、この前友人達に相談していたのだった。
「駅前の近くにさ、レトロな喫茶店の店あるでしょ? その喫茶店のオーナーがウチのお祖父ちゃんの友達でさ、今バイトしてくれる人探してるって言ってたのよ」
「さっちゃんありがとう!!」
「困った時はお互い様だからね~」
「さっちゃん大好きー!」
大学に入ってから仲良くなった友人の"さっちゃん"こと、
「此処だよ。カメリア」
大学から近い駅前の喫茶店、カメリアに到着し、佐知に案内されながら中へと入る。
広い店ではないが、ゆったりと奥行き感のあるダークブラウンの空間に、白や黒をアクセントに入れたモダンで静かな店だった。
「マスター、この娘がバイト希望の佐鳥薫さん」
「初めまして。この喫茶店のオーナーでマスターもやってる近藤です」
カウンター席に座っていた紳士の様な出で立ちのご老人が、此方に向かって姿勢正しく挨拶をした。そんな姿に圧倒され、薫は緊張の面持ちで頭を下げた。
「佐鳥薫です、初めまして!」
「そんなに固くならなくて良いさ」
近藤は優しくにっこりと微笑み、薫の緊張を解そうとしてくれた。
「
そんな近藤の言葉に、薫の緊張は不思議と解かれていく。
「さて──」
そして本題のバイトの件である。
近藤から時間帯や仕事内容等を教えてもらい、次に薫のバイトが出来る時間帯や、シフトの話をし合った。
「佐鳥さん、良ければ貴女に是非働いてもらいたいんだが、かまわないかね?」
まさかの即採用に、薫は唖然とした。
隣にいた佐知は『マスターさすがお目が高い』と一声上げ、薫と一緒に喜びを分かち合った。
「はい! わたし、一生懸命働きます! よろしくお願いします!」
「一生懸命な事は良いことだよ。只し、大学での勉強も頑張りなさい。 無理をせずにね」
近藤はそう薫にエールを送るように、優しそうな笑顔で珈琲を入れてくれたのだった。
「さっちゃん、本当にありがとう! おかげであんなに素敵なお店でバイトが出来るよ」
無事に働き場所となったカトレアを出た二人は、午後からの講義に向かう為、再び大学へと戻る道中を歩いていた。
「いいからいいから。マスター超良い人だし、ちょうど募集しててラッキーだったね。あ、バイト始めたらさ、皆で行くよカトレアに」
「うんうん!」
友人との他愛ない会話を楽しみつつ、人通りの多い通りに出た時だった。
前方から人に紛れて歩いてくる人物が、不意に薫の目に入った。
──え?
まるで、雷にでも打たれてしまったような衝撃だった。薫はその場に立ち止まり、その根源を凝視した。
白髪……。
遠目からでもわかる白い髪の男。もしや、まさか。薫の脳裏に過るは白髪の少年、赤木しげるだった。
徐々に距離が近付くにつれ、もしかしたらと、薫の心臓は動悸を増した。
後数歩という時、話の途中で黙ったまま立ち止まる薫に、前にいた佐知が気付いた。
「どうしたの?」
白髪の男とすれ違うとほぼ同時であった。薫は急いで振り向くと、息を飲んで白髪の男を呼び止めた。
「あ、あの、すみません!」
思い立ったらどうしようもなく、本人であるかを知りたかった。呼び止められた男は立ち止まり、薫へと振り向いた。
「──何?」
「もしかして、あなたは、赤木しげる……さんではないですか?」
震えそうになる唇を堪える。自分より背の高い男を見つめれば、佐知が慌てて薫に近寄り『ちょっと薫!』と、その腕を引っ張りながら焦っていた。
「人違いだ」
「え……」
男は一言だけ答えると、何も無かったかのように踵を返して去って行った。
人、違い……?
薫は人混みにまぎれて消えていった方向をじっと見つめ、力が抜けそうになるのを佐知に支えられながら首を項垂れる。
「どうしたのよ急に。何なの?」
「……中学の時の、知り合いに似てたから。でも人違いだったみたい」
赤木しげるの独特の雰囲気、あの男はそれを持っていた。特徴である白髪に、鋭い面持ち。
あの人だと、思ったのに……。
他人の空似であったのか。佐知と共に大学に戻ってからも、暫くは身に入らずに上の空であった。
──しげる君、またあなたに会いたい。
あの日に去ってしまった赤木の姿が忘れられない。
薫の心はあの頃のまま、今も赤木への想いに縛られていたのだった。