運命の人 ―アカギ逸聞録―   作:天照院

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消えた少年

 

 

 7月。まだ夏休み前だというのに、茹だるような暑い日々が続いていた。

 

「ねえ、薫は来週の夏祭り行く?」

 

 学校でのお昼の時間、友人達と輪になって教室で昼食中、その中の友人の一人が訊いてきた。

 

「今年はお父さんのところのおばあちゃんが家に来てくれるから、皆と一緒に行けるよ」

「良かったじゃん! 行こう行こう~」

 

  何だかんだで毎年妹と夏祭りを過ごしていた薫は、『中学生になったんだし、友達と行きなさい』という祖母からの電話により、初めて友人達と夏祭りに行ける事を心から嬉しく思っていた。

  夏海はふて腐れていたけれど、妹は妹で友達と祖母とで行く事が決まり、機嫌はいつの間にか直っていたようだった。

 

 ああ、楽しみだなぁ。

 

 夏祭りを楽しみにしつつも、あの日から見かけない赤木の事が気にかかる。

 

 ──しげる君、元気なのかな?

 

  妹に聞いて年齢はわかったが、知っているのは名前だけ。赤木が一体何処に住んで、一体何処の学校に行っているのか、その一切が謎なままであった。 

 

 夏祭り当日。祖母からのプレゼントで浴衣姿になった薫は、妹が着付けられている様子を伺いながら、自分も待ち合わせに向けて準備を整えていた。

 

「行きましょうか」

 

 準備を終え、薫は祖母と妹と一緒に家を出る。外は祭りに向かう人達がちらほらと増えてきていた。

 

「楽しんでらっしゃい」

「じゃあね、おねえちゃん!」

 

 待ち合わせ場所まで来ると、一旦祖母達と分かれる事にした。薫は一人、祭りのある神社前で友人らを待っていた。

 

 皆まだかなぁ?

 

 辺りをキョロキョロとしながら待っていると、遠くの人混みに紛れて、一瞬白い髪が視界に入った気がした。

 

 ──あれ、しげる君?

 

 もしかしてと思いながら、今は見えなくなった白髪の後ろ姿を目で探す。

 

「お待たせ、薫!」

 

 後ろから声がして振り返れば、友人達が丁度待ち合わせ場所にやって来た。

 白髪の姿が少し気にはなるものの、楽しみにしていた夏祭り。今は赤木しげるの事を忘れて、祭りを存分に楽しむべきだろう。薫は早速、友人達と神社の境内に入って行った。

 

「あそこの林檎飴買う?」

「うん、買おう」

「あっちのかき氷は?」

「あたしブルーハワイっ」

「後でわたあめ買う?」

 

 他愛ない会話をしながら、友人達との祭りを楽しむ。薫はすっかり、先程見たらしい白髪の姿の事など気にもしなくなっていた。

 

「花火もうすぐだけど、どこで見る?」

「あっちは?」

 

 神社から程近い河川で打ち上げられる予定の花火をどの場所から見ようかと皆で相談し、『さて移動しよう』と動き出した薫達は、境内にある一番のスポットへ向かって行った。

 

「やっぱ人多いね」

 

 既にスポットでは、花火目的の多くの人が集まっている。

 

「あそこに座らない?」

 

 友人の一人が指を指すのは、良い具合に全員が座れる階段の様な段がある場所だった。

 

「ラッキー! 良いじゃん、ここ。人も通らないし」

 

 そこに友人達と座り込み、花火まで待機しようとした時だった。

 花火を見に現れる人達とは逆の方向へ、何人かの若い男達と混じって歩く白髪の少年が、今度こそ薫の目に入った。

 

 ──しげる君!

 

 先程見た白髪は、やはり赤木しげるかもしれない。

 薫の関心は、待ち遠しい友人達との花火観賞から一気に赤木へと移ってしまったのである。

 

「薫、どうしたの?」

 

 どこかそわそわとしている薫が気になったのか、友人の一人が問う。

 

「ご、ごめんっ! ちょっと行ってくる!」

「え? 花火は?」

「すぐ戻るから!」

 

 薫は走り出した。人を掻き分けながら、赤木が行った方向へと。

 

 確かこの辺り……。

 

 神社の裏に入って行ったのを見ていた薫は、辺りを探しながら歩いた。

 

「今日こそ逃げらんねぇぞガキ!」

 

 怒りを持ったその声にびくりと体が震え、思わず心臓が口から出そうになった。

 

 ──いた!

 慌てて木の陰に隠れながら、薫は赤木の姿を捉えた。 やはり赤木であったのだ。四人程だろうか。大学生くらいの男達が、赤木を追い詰める様にして取り囲んでいるではないか。

 

「お前らもヒマだよな。オレみたいな"ガキ"相手にいちいち絡んで来るなんてさ」

「何だと……!」

 

 赤木は怯む様子もなく、嘲笑いながら挑発めいていた。

 

「調子にのんなよ」

「別に」

 

 どうしよう。こういう時、どうしたら良いんだろ?

 

 陰から様子を伺いつつ、 薫はどうやれば赤木を助けられるかを必死で考えていた。

 

「テメェ……!」

 

 その時、挑発にのった一人が腹を立て、赤木の顔を一発殴ったのである。

 拍子に地面へと倒れた赤木は、殴った一人を見上げる様に睨んだ。

 

「何だよガキ」

「……クク。本当、くだらねぇんだよ、お前らは」

 

 赤木はなお、相手を小馬鹿にして笑う。そんな赤木の顔は、ぞくりと背筋が凍る様な、初めて見る狂気の表情であった。

 

「うるせえっ!」

 

 怒りに任せ、赤木の胸ぐらを掴んで再び殴ろうとするその光景に、薫は堪らずに木の陰から姿を現した。

 

「やめて下さい!!」

 

 薫の叫ぶような声に、赤木を含んだ全員が一斉に声のする方へと振り返る。

 

「何だよ……、お前?」

 

 男達は一瞬焦りの色を見せるが、声の主が薫一人だと知ると、ニタニタと気色の悪い笑みを浮かべ始めた。

 

「おい、あのガキ捕まえろ」

 

 リーダー各の男がそう言えば、その中の二人が薫を捕まえようと、狙いを定めるようにじりじりと近寄って行った。

 

 や、やだ……!

 

 逃げようとするも、恐怖で足が竦んでしまう。薫はその場から一歩も動けなくなってしまった。

 

「おとなしく静かにしてろよ」

 

 男二人が薫を挟み撃ちするかのように回り込む。手を伸ばせば届く距離まで近づかれ、捕まえられそうになったその時だった。

 一瞬の隙を狙い、赤木は素早い動きで男達からすり抜けると、薫の手を掴んで走り出したのである。

 

「おい!! 待ちやがれ!」

 

 男の言葉を素直に受けるつもりなど無く、赤木は人混みに逆らって走った。

 後ろから『逃げんな』という声が聴こえるが、そんな事はお構いなしだ。

 

 ──は、速い!

 

 溢れそうな人の波に紛れ込み、何とかして男達を巻いていた。

 痛い程強く掴まれた手に引っ張られながら走る薫は、 浴衣のせいか全力で走りにくい。しかも履いていた下駄が足を締め付けて痛む始末。

 

「し、しげる君! ちょ、ちょっと、ま、待ってっ!」

 

 流れていく人の肩にぶつかったりしながら、薫は赤木を呼んでみた。すると、ドーンという轟音がして、一発目の花火が河川側から打ち上げられた。

 

「花火始まったよ」

 

 通りすがりの誰かが言った。

 気付けば、いつの間にやら境内を出ていたようだった。

 

「しげる君!」

 

 河川に架かる橋に着いた頃、もう一度名前を呼んでみた。すると赤木は、やっとその歩みを止め、掴んでいた手を乱暴に離して薫へと振り返った。

 

「……アンタ、一体何?」

 

 顔には出していなくても、赤木は確かに苛立ってる様子だった。

 

「何、って、しげる君が危ないと思ったから……」

「危ない、ねえ。……それはアンタの方だったろ?」

 

 確かにそうだった。赤木が連れ出してくれていなければ、今頃どうなっていただろうか。

 

「う、うん。でも、しげる君が心配だったからつい……」

「余計なお世話なんだよ」

「こ、ごめんね」

「別に謝らなくていい」

 

 久し振りに赤木に会えたというのに。赤木を助けようとしたつもりが、逆に自分が助けられてしまう事になったとは。しかも余計なお世話と赤木に返され、薫は酷く落ち込んで顔を俯かせた。

 気不味い沈黙の中、花火は轟きながら次々と打ち上げられていく。

 

「意外と狭いな」

「──え?」

 

 伏せていた目を地面から赤木へと移すと、赤木は橋に肘を掛けて花火を見上げていた。

 先程までの苛立った様子は、赤木から既に消え失せているようだった。

 

「世間だよ、世間」

「う、うん……」

 

 薫も同じように空を見上げ、打ち上がる花火を見つめた。

 

「花火なんて、まともに見たの初めてだな」

「そうなの?」

「ただうるせぇだけかと思ったけど」

 

 そう言った赤木の横顔は、打ち上げられる花火によって照らされる。やけに大人びた印象ではあったのに、その時の花火を見つめる赤木は、確かに年相応の少年であった。

 

「オレにはもう、関わら無い方が良い」

「な、何で?」

 

 赤木は花火から不意に、薫へと顔を向けた。

 

「見かけても知らないふりをしろよ。簡単だろ?」

 

 何故そのような事を言うのか、薫には理解出来なかった。

 

 まだ、会ったばかりなのに。まだ、しげる君の事、何にも知らないのに。

 

「何で? わたし、しげる君と友達になりたい。しげる君と、これからはもっと仲良くなりたい」

「はあ?」

 

 赤木は、薫の返答に半ば呆れる様に声を出した。

 

「何をどう見てオレと仲良くなりたいって?」

「わ、わかんない。わかんないけど、しげる君と仲良くなりたいって思ったんだもん」

「さっきみたいな連中と関わってんだぜ? そういう奴らにはなるべく関わんねぇようにするだろ、普通は。恐くないの?」

 

 ──恐い? しげる君が?

 

 薫は、赤木の目をじっと見つめた。

 夜の闇よりも暗い瞳の奥で、一体何を考え、何を思っているのか。

 

「恐くない、よ。だってしげる君、優しいから……」

 

 言い終わると同時、一際大きな花火が一発上がった。周りが花火に盛り上がり、あちらこちらで拍手が沸き起こる。

 きっと今ので終わったのだろう。見物人達は皆、疎らに帰路へと進み出していた。

 

「……アンタは知らないからだ」

 

 聞こえるか聞こえないかの声で、赤木は言った。

 そして薫から背けると、流れて行く人の方向へと歩き始めた。

 

「しげる君待って!」

 

 呼び止める声には答えずに、赤木はそのまま人混みに紛れて去って行ってしまった。

 

 しげる君……。

 

 薫は暫く、その場から金縛りになったように動けなかった。

 赤木に掴まれていた手を見つめて思う。

 

 ──しげる君は、優しい。

 

 冷たいような、鋭い狂気を隠し持った暗い瞳の赤木は、他から見れば異質で近寄り難い。けれど赤木は、人を惹き付ける何かがあるのだ。

 薫はまだわからなかった。この気持ちが何なのかを。

 

 そして9月になった。ここ数日、各地では台風が猛威をふるっていた。

 この街も例外は無く、晴れ間より雨の方が多かった。

 

「明日も雨かなぁ?」

「どうだろうねぇ?」

 

 雨に降られる窓の外を見ながら、妹と父親が言う。

 

「雨ばっかでつまんないなあ」

「てるてる坊主作れば? そしたら晴れるんじゃないか?」

「えー。本当に晴れるのそれ?」

「やってみなきゃ、願ってみなきゃわかんないぞ~〜?」

「そうかなぁ?」

 

 そんな二人の会話を聴きつつ、薫は妹との共同部屋に入る。

 敷かれた布団の上に寝転ぶと、祭りがあったあの時の事が頭の中に浮かんだ。

 

『アンタは知らないからだ』

 

 赤木はあの時こう言った。あの言葉の裏には、他人を受け入れたくはない否定的な意味が込められているようだった。

 

 ──しげる君。

 

 どうしてこんなにも、赤木しげるの事が気になるのだろうか。未だ薫は、その理由をわからないでいた。

 次の日。空は晴天とまではいかなかったが、雨は降っていなかった。

 今日は日曜であり、妹は雨が降ってないことに一応は喜んでいて、早速友人と一緒に遊びに出て行ってしまった。父親も朝早くに仕事に出かけてしまい、薫は一人で留守番をしていたのだ。

 宿題はもう終えていて他にすることが無い。何となくテレビをつけてみるが、特にこれといって興味を引かれる番組もやってはいない。

 

「暇だな」

 

 何となくチャンネルを変えるのを止め、薫はテレビ前にあるテーブルに顔を突っ伏した。

 妹は多分昼頃に帰ってくる。昼食を作るにはまだ早いけど、何を作ろうか。オム焼きそばにしようか。などと考えていると、そのままにしていたテレビから、ローカルなニュースを伝える番組が耳に入ってきた。

 

 《昨夜………で、崖から転落した車二台は──》

 

 どうやら昨日の夜、この町からさほど遠くない海岸沿いの崖で、若者が車を使ってチキンランをやっていたらしい。そして二台とも崖から転落して海へ。一人は重症を負い、もう一人は行方不明との事だった。

 薫は危ない事するなぁぐらいの言葉しか浮かばず、突っ伏していた顔を気怠そうに上げると、リモコンでもってテレビを消したのであった。

 

 それから一週間後。薫は、いつもの帰り道を一人で帰っていた。

  公園の中を通り、散歩をする人や遊んでいた小学生達とすれ違う。

 

「薫」

 

 後方から名を呼ばれ、どきりと心臓が高鳴った。

 

 ──この声は。

 

 薫は慌てて振り返る。この声は『絶対しげる君』だという確信を持って。

 

「しげる君!」

 

 薫の名を呼んだのは、思っていた通りの赤木だった。

 

「やっぱりしげる君だと思った!」

 

 薫は自分でも驚く程に歓喜していた。花火の日の赤木から、『関わらない方が良い』と言われていた為に、もしかしたらもう会ってもくれないのではと思っていたからだ。

 しかも、名前を呼んでくれたのは初めてである。

 

 良かった、しげる君に会えて。

 

 この数日は元気だったのか。そう訊こうとする前に、赤木が先に口を開いた。

 

「アンタとはもう──、これきりだ」

 

 まるで、心臓に物凄い稲妻が落ちてきた様な、そんな衝撃だった。

 

 え、これきり……?

 

 期待とは違った赤木の言葉に、薫の頭は理解しきれずに立ち眩んだ。当人はというと、顔色を一切変えずに、じいっと薫を見つめたままである。

 

「わ、わたしが、仲良くなりたいって言ったから?」

 

 訊くのは勇気がいる程に恐ろしかった。原因は花火があった祭りでの事ではないかと、薫はそれしか思い浮かばなかった。

 

「だから……、もう会えないの?」

 

 目頭が熱くなる。赤木に会ってからの自分は、何かが変になってしまったのかもしれない。どうしてこれきりだと告げられて哀しくなってしまうのか。薫の頭中は酷く混乱していた。

 

「オレと仲良くしたいだの、そんな事を言ったの、アンタが初めてだった」

 

 赤木はゆっくりと視線を薫から外した。

 

「アンタだけだった……だから、何でオレもアンタに声をかけたのか、正直わからない」

 

 それはどういう意味なのか。赤木自信もわからず、ただ別れを伝えに来たのか。

 

「ククク……。一体どうしちまったんだろうな、オレは」

「しげる君……」

 

 逸らしていた視線は再び薫へと戻り、自分自身を嘲笑うような表情から再び鋭い面持ちに変貌させた。

 

「オレとアンタとは違う。オレとは交わらない側の人間だ。だからこれきり」

「そんなの……っ」

「目障りなんだよ。アンタみたいなのはさ」

「しげる、君」

 

 堪えきれず、目から涙が溢れ出た。

 赤木は薫から目を逸らし、背を向けて去って行く。何も言わず、サヨナラの言葉も交わさず、ただ去って行く。

 

 待って、しげる君、待って。

 

 上手く言葉が話せない。どうやって赤木を呼び止めて良いのか、今の薫にはどうしようもなくわからない。

 

「う……、うぅっ!」

 

 薫は泣いた。赤木が見えなくなっても、日が暮れてしまっても、暫く立ち尽くしたまま、ひとり背中を丸めて咽び泣いていた。

 この感情が恋であったと知るのは、それから暫く後の事だった。

 

 

 赤木しげるは忽然と消えた。白髪の髪をしたあの少年は、二度とこの町には現れはしなかった。

 崖でチキンランをした一人が白髪の少年だったという噂が話題にあがるも、直ぐに別の話題に移り変わり、いつしか誰もその話をしなくなった。

 一体、あの少年は何処へ行ってしまったのだろうか。

 

 

 

 

少年期 終

 


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