運命の人 ―アカギ逸聞録―   作:天照院

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少年期
君の名を


 

 

 

 

 それは、ある日の夕方だった。

 中学に入ってひと月半経ったばかりの(かおる)は、友人達と下校途中の分岐路で別れ、一人家路へと歩いていた。

 小学校の時とは違って、中学校から家までの距離は意外と遠かった。慣れてきたとはいっても、帰る道のルートは今のところ一本しか知らないのだ。

 近道はあるのかな。なんて思いながらひたすら歩く。ありきたりな住宅街を抜ければ、人通りの多い町の中心部に出た。

 そんなに大きな町ではないのに、何かとこの場所には人が多い。 夕方ぐらいにもなると、会社帰りのサラリーマンやOLが、繁華街を目指して進む様が視界()に入る。薫は、その流れを横切りながら通った。

 

「どこ行ったんだ! アイツは!」

 

 突然、後方から大きな声がして驚いた。歩いている通行人や薫は思わずその場に立ち止まり、声がした方へと疎らに顔を向けた。

 どこかの学生だろうか。五、六人の少年達が、怒りを持って誰かを探している様子である。騒動には巻き込まれたくない。立ち止まっていた通行人達はみんな再び動き出し、薫もその流れに従った。

 この町の治安が特別悪い訳ではない。よくいる不良グループだろう。薫も特に気にすることはなく、家の方角へと進んで行った。

 中心部から少し逸れると、芝生の広い公園が見えてくる。薫はこの公園をいつも近道にして通り抜け、家へと帰るのだ。 公園では、犬の散歩をする人やジョギングをする人とすれ違う。薫にとって当たり前になった日々の光景だった。

 

 なっちゃんはもう帰って来てる筈。早く帰らなきゃ。

 

 "なっちゃん"とは、小学三年生の夏海(なつみ)という妹の事だ。

 薫は真新しい腕時計に目をやりながら、歩くスピードを少し速めた。

 

 あそこを通ろう。真ん中を通るより、突っ切った方が早く行けるし。

 

 真横の草木が植えられている芝生側へと、薫は方向を変えた。そして、剪定された丸い植木の間を通り抜けようとしたその時だった。

 

「わっ!?」

 

 一歩踏み出した足の先が何かに引っ掛かり、薫はそのまま前のめりに倒れてしまったのだ。

 一体何に引っ掛かってしまったのだろうか。薫は四つん這いになった状態で足元を見る。

 

 足────?

 

 白いスニーカーを履いた足だ。引っ掻けたのは人の足なのか。薫は唖然とした。

 

 ──え?

 

 その足の本人がむくりと上半身を起こした事によって、その人物と目を合わせてしまうのだが、薫は息を飲むように驚いた。何故なら少年の髪が、珍しい白髪《はくはつ》であったからである。

 達観した表情からして随分と大人びて見えるが、歳は同じくらいなのかもしれない。何処かの学生服を身に纏い、薫を訝しげに見ている。

 

 何で、人がこんなところで寝てるの……?

 

 頭の中が軽く混乱した。人が寝るような場所ではないと当たり前のように思っていたからだ。

 

「あ、え、あの……」

 

 四つん這いの薫と、上半身を起こした白髪の少年が暫し見つめ合い、静かな静寂が流れた。

 

「あのさ……」

 

 漸くまともに声を出したのは、少年の方からだった。

 薫の下半身を若干気不味そうに指差す少年に、薫はやっと気付いたのだ。さっきの衝撃でスカートがめくり上がり、下着が見えてしまっていた事を。

 

「はわぁ!」

 

 恥じらいもない素っ頓狂な声が出た。薫は顔を真っ赤にしながら、慌ててめくれたスカートを直した。

 

「あああぁのっ、そ、その、えええ、えと……」

 

 上手く言い訳が出ない。薫とは正反対に、少年の表情は少しも変わらず"無"だった。それが逆に恥ずかしさを増し、耐えきれなくなった薫は『お見苦しいものをお見せしてごめんなさい』と声を上げて少年に謝罪し、その場から逃げるように走り去った。

 

 穴があったら入りたい。恥ずかしさで死んでしまいそう……!

 

 自宅のマンションに到着。落ち込んで帰宅した薫を笑顔で待ってくれていたのは、妹の夏海だった。

 

「おかえりなさいお姉ちゃん!」

「た、ただいま! なっちゃん」

 

 年の離れた妹は可愛い。癒しである。先程あった醜態の事など、全て夢だったんじゃないかと思ってしまいそうだ。

 

「すぐご飯作るからね、宿題でもしながら待ってて」

「うん!」

 

 手を洗い、妹と一緒の部屋に入る前に、薫はリビングの一角にある仏壇の前に正座をした。

 

「ただいま、お母さん」

 

 美しく微笑む母の写真に手を合わせ、鞄を自分達の部屋に置きに行く。

 

「あれ……、な、無い!」

 

 学校の指定鞄に付けていた、小さなウサギのぬいぐるみが付いたキーホルダーが無くなっているではないか。

 

 ──まさかあの時!

 

 白髪の少年が頭を過る。

 もしや、あの時の拍子に外れたのではないかと。

 

「えぇぇ……」

 

 今探しに行ってもあの少年がまだいるかもしれない。恥ずかしさもあるが、何より顔を合わせたくはなかった。少し悩んで考えたが仕方ない。明日探そう。薫は気落ちしながら、夕御飯の準備を始める事にした。

 

 それにしても…… 。

 

 あの少年の髪はインパクトが大きかった。あんな色の髪をした人を見たのは初めてで、何よりあの少年の眼差しが凄く印象深かった。

 

 下着を見られたなんて……!

 

 薫は、白髪の少年が頭の中を過る度にあの衝撃的な出来事を思い出してしまって、羞恥のあまりに泣きたくなるのだった。

 

「本当にどこいっちゃったんだろ?」

 

 次の日。

 薫は朝早くに家を出ると、落としてしまったであろうあの場所で、ウサギのぬいぐるみが付いたキーホルダーを探していた。

 

 ────無い。

 

 此処で落としたのではなかったのか。薫は深い溜息と共に、肩をガックリと落とした。

 

「大事にしてたのに、なぁ」

 

 深いため息が漏れる。あのキーホルダーは、この町に引っ越してくる際に幼馴染みの友人がプレゼントにくれたものだったのだ。

 

「……学校、いこ」

 

 あの時に落としたんだとばかり思っていたキーホルダーは、結局何処にも落ちて無かった。

 それから一週間後。薫はいつものように友人達と別れ、いつもと同じ家路へと向かう。今日はカレーにしようかな。なんて思いつつ、公園の中を通る。

 

「ねえ──」

 

 後ろから声がした。一体誰だ。薫は反射的に後ろを振り向いた。

 

「あ!」

 

 忘れもしない。あの時の白髪の少年が、そこに立っていたのである。

 勿論少し驚いた。何故に少年が自分に声をかけてきたのか。それともう一つ、下着を見られたあの出来事が、羞恥の記憶が、一気に溢れ出るように甦ってきたのだ。

 

「ひっ……! あ、あの時はその……っ!」

 

 薫の顔が一気に紅く染まった。少年は何も顔色を変えることなく、真っ直ぐと薫を見つめたままだ。一体、自分に何の用なのだろうか。

 少年から慌てて目を逸らすと、薫は額から冷や汗を流した。

 

「これ、アンタのだろ?」

 

 そう言って少年がポケットから取り出したのは、薫の探していたキーホルダーだった。

 

「え、それは……」

「アンタが走って行った後、落としてったから」

「あ、会ったのはあの時だけだったのに。よく、わたしだってわかったのね。覚えてたの?」

「ああ」

 

 そりゃああんな対面すれば誰だって忘れられないよねと、薫の顔は更に紅く染まる。

 

「ほらよ」

 

 少年は、キーホルダーを薫に投げて寄越した。

 

「わわっ!」

 

 それを慌てて受け取ったのを見るや否や、少年は踵を返して立ち去ろうとしていた。

 

「え、あ、ちょ、ちょっと待って!」

 

 まだお礼も言ってないのに。薫は、思いきって少年を呼び止める。

 

「何?」

 

 呼び止める声に少年は立ち止まり、薫へと視線を向けて振り返った。

 

「このキーホルダー、友達からプレゼントされた大事なものだったの。届けてくれて、本当にありがとう!」

「……別に」

 

 少年の態度は素っ気ない。

 

 ──あ、行っちゃう!

 

 再び去ろうとする少年に、薫は『待って』更に声を上げた。

 

「わたし薫、佐鳥薫って言うの! あなたは?」

 

 きっとじゃなくても、突然で変に思われたかもしれない。けれど、薫は何故だか知りたかった。白髪の少年の名を。

 

「──赤木、赤木しげる」

 

 白髪の少年は、自らを "赤木しげる"、そう名のった。

 と、ほぼ同時である。ざあっと音を立てて、二人の間を風が通り過ぎていった。

 この出会いはただの偶然か。それとも運命であったのか。

 この時はまだ、誰も知らなかった。

 

 

「赤木しげる……、かあ」

 

 薫は、あの日訊いた少年の名前を口ずさんだ。

 あの日からひと月。白髪の少年、赤木しげるには一度も会っていない。

 

 ──不思議な感じの人だったなぁ。

 

 会話らしい会話をしたことは無いが、赤木しげるからは独特な雰囲気を感じ取っていた。 多分中学生だと思われる制服、隣の町の学校なのだろうか。と、予測。

 何故か印象深かった少年の事は、薫の頭の中を暫く占拠していたのである。

 

「じゃあね、また明日」

「うん。またね」

 

 下校中に友人達と別れ、薫は一人帰り道を歩いていた。

 

 あ、あれはもしかして……。

 

 公園のベンチに座っているその後ろ姿は、白髪に制服姿。 あの少年に違いない。薫は、急いで少年のもとへ駆け寄る。

 久しぶり、と声をかけるつもりだったのに、赤木を正面から見た薫の口から出たのは、『え』という驚きの声だった。

 

「ど、どうしたの一体!?」

 

 赤木の左側の口元には、殴られたばかりらしい痣。痛々しい切れた口の端からは血が滲んでいた。

 

「あぁ、アンタか」

 

 おろおろと顔色を青くする薫とは反対に、当の赤木は何事も無い様な、酷く冷静な態度である。

 

 覚えててくれたんだ──って、いやいや、そうじゃない。

 

 赤木が自分の事を忘れていなかったのは正直嬉しかったが、先ずはその殴られた痣の事を優先すべきだろう。

 

「何かあったの?」

「いや、別に」

 

 理由を話す気が無いらしい。

 

「血が出てるよ」

「こんなもん舐めときゃ治る」

「だっ……、駄目だよ!」

 

 ぺろりと舌で切れているであろう口の端を舐めた赤木を見て、薫は思わず声を荒げた。

 

「ちゃんと消毒しなきゃ、化膿しちゃうし!」

 

 そう必死な薫を無視するかの様に、『面倒は勘弁』と赤木は、ベンチから立ち上がって此処から去ろうとした。

 

「ま、待って!」

 

 呼び止めたが背を向けて止まらない赤木に、薫は意を決した。 赤木の前に立ち塞がり、左手を無理矢理掴んだのだ。

 

「おい」

「わたしの家、近いから!」

 

 結局薫は、有無を言わさずに半ば強引に赤木を自宅のマンションまで連れ走ったのである。

 我に返った時は既に遅く、妹の夏海が唖然としながら玄関で出迎えていた。

 

「おねえちゃん、お友達連れてきたの?」

 

 夏海は笑顔で問う。今まで薫に男の子の友達なんていなかったから、妙にわくわくした表情だった。

 

「そ、そう、友達!」

 

 咄嗟に"友達"だと答える。家に赤木を入れて帰って来た事は今更どうしようもない。友達ではないけれど、今は夏海に説明するより先に怪我が優先だ。薫は赤木の手を掴んだまま、足早にリビングに連れ入れた。

 

「いい加減さ、放せよ」

「だ、駄目。絶対逃げるでしょ?」

 

 此処まで連れて来た意地なのか。否、薫はただ必死だっただけなのかもしれない。生まれて初めて、こういう行動をとったのだから。

 

「……逃げないから」

 

 少しの間を置いて、ため息交じりに赤木は言う。

 

「本当に?」

「あぁ」

 

 その言葉を信じ、薫は掴んでいた赤木の手をやっと放した。

 

「……で、何すんの?」

「そこのソファに座ってて。薬箱持ってくるから」

 

 薫は赤木をソファに座らせると、薬箱を仕舞っている棚へと向かった。そこへ妹がやって来る。

 

「おねえちゃん、夏海、宿題終わらせたよー」

「じゃあなっちゃん、お米研いでくれる?」

「うん、良いよ。 今日もお手伝いやるよー!」

「凄いなぁ、なっちゃん。ありがとう」

 

 三年生になってから手伝いを率先してやるようになった妹に米研ぎを頼めば、喜んで受けるようになった。

 

 なっちゃんが手伝ってくれるようになって、本当に助かるなぁ。

 

 しみじみそんな事を思いつつ、薫が薬箱を持って赤木の側に戻ると、赤木の視線は仏壇の母の写真へと向けられていた。

 

「お母さんなの」

「ああそう」

 

 赤木は変わらない表情のまま、目を仏壇から薬箱へと移す。

 

「自分でやる」

 

 察した赤木が薬箱に手を伸ばせば、『わたしが』と、薫がそれを阻止した。

 

「動かないでね」

「……はいはい」

 

 観念したのか、それとも面倒だったのか。赤木は意外にも、すんなりと薫に顔を向けた。

 

 このまま拒否られ続けたらどうしようかと思ったけど……。

 

 薫は少しほっとしていた。

 つい思いきった行動をしたものだから、策など考えてもなかった。赤木がこれ以上拒めば、諦めようとも思っていたけれど。

 

「消毒液しみるかも」

 

 消毒液をコットンに染み込ませ、赤木の切れた口の端を優しく押さえるように拭く。

 

「っ……」

 

 少しだけしみて痛かったのか、赤木の眉間に皺が寄った。

 

「ごめん! 痛かった?」

「……いや」

 

 この時点で赤木とは目を合わせていない。赤木の目は、真っ直ぐ別の方へと向けてられているからだ。

 

 真っ白な髪だなぁ、肌の色も白いし。

 

 至近距離で赤木の白さを実感しつつ、歳も同じくらいであろう男子に、こんなにも近付いたのは初めてかもしれないと、今更ながら恥ずかしさを覚える。

 

「──何?」

 

 不意に、赤木は目と目を合わせてきた。それは、薫の手が止まっていたからだった。

 

「……え?」

 

 心臓がどきりとした。

 

 なんて深い瞳だろう……。

 

 一見して赤木の瞳は澄んでいた。しかし、眼の奥には暗い闇が潜んでいる。そんな瞳に薫は囚われてしまいそうになって、慌てて目線を下へとずらした。

 

「な、何でもないよ。……はい、これで終わり」

 

 最後に口の端に傷薬を塗って、薫はソファーから立ち上がった。

 

「ねえ、しげる君」

 

 薫はここに来てやっと、赤木の名を呼んだ。

 

「良かったら晩御飯食べてって」

「はあ?」

 

 流石に表情を変えない赤木も、今のは耳を疑うように唖然としたが、直ぐにいつものポーカーフェイスに戻った。

 

「お願いしげる君。今晩ね、お父さん仕事で遅くなるから、一人分余っちゃうの。だから、食べてくれない?」

「いら────」

「お願い!!」

 

 それから30分後。薫は台所で夕食の調理をしていた。結局、赤木が渋々受けたのである。

 今はソファでじっと座りながら待っているようだ。

 

「ねえねえ、お兄ちゃんは何で髪の毛白いの?」

 

 赤木の側に寄って、夏海が小声めにズバリと投げかける。

 

「……あ?」

「何で? あ、もしかして染めてるの? 凄い!!」

「……あぁ」

「どこに住んでるの?」

「何処に住んでたって良いだろ」

「ねえねえ、何歳? 夏海は9歳でね、小学三年生なの」

 

 これはまた面倒だ。赤木は小さくため息をつくと、嫌々に『……12』と答えた。

 

「中学一年?」

「あぁ」

「じゃあおねえちゃんと一緒だねー。ねえねえ、お兄ちゃんはおねえちゃんと友達なんでしょ?」

「友達じゃねぇよ」

「じゃあ彼氏とか?」

「違う」

「えー、そうなの? なんだぁ、つまんないのー。でさぁ」

 

 一体いつまで続けるんだ。この会話のやり取りをいい加減に鬱陶しく思えてきた赤木は、話題を逸らせば止むかもなと、視界に入った仏壇の写真を指差した。

 

「あれ、お前らの母親なんだろ?」

「え? うん、そだよ。おねえちゃんと夏海のママだよ。夏海がね、5才の時に病気で死んじゃったんだ」

「ふーん」

 

 赤木の予想通り、夏海の質問攻撃は止まった。

 

「パパはお仕事で忙しいからあんまりいなくて寂しい。でも、でもね!」

 

 今にも泣きそうな顔から一辺、夏海は笑顔に変わった。

 

「おねえちゃんがママの代わりになってくれてるんだ。夏海の髪結んでくれたりね、遊んでくれたり、勉強教えてくれたりするの」

「へえ、そう。そりゃあ良かったな」

 

 赤木にとって、特に思うところは無い。

 

「なっちゃん、ご飯出来たから手を洗ってきて。しげる君も」

 

 やっと夕御飯が出来上がると、夏海は『は~い!』と元気な声で返事をした。

 

「お兄ちゃんも行こう」

 

 夏海は赤木を連れ立ち、洗面所へと向かった。そんな二人を見て何だか不思議な気持ちになった薫は、テーブルの上に食事を並べながら思う。

 

 今更だけど、しげる君、迷惑じゃなかったかなぁ?

 

 本当に今更である。

 二人が食卓に着けば、いよいよ食事が始まった。

 

「おねえちゃんのご飯、美味しいよ!」

「なっちゃん、ハードルあげないでよ」

 

 夏海の言葉に顔を赤らめて『しげる君、食べて』と薫が焦りを持って言うも、向き合う形で座っていた赤木は、テーブルの上にのった夕食を静かにジッと見つめて、黙っているだけだった。

 今日の夕飯は、もも肉の照り焼きに人参と切り干し大根の煮物。サラダとお味噌汁で、いたって一般的な夕御飯のメニューである。

 

 もしかして、苦手なものが?

 

 薫は、内心しまったと思った。

 

「ごめんなさいしげる君、もしかして嫌いなのあった?」

 

 恐る恐る、薫は赤木に訊いてみた。

 

「……いや、普通の食卓っていうのは、こういうもんなのかなって思っただけ」

「え?」

 

 赤木が言った、 "普通の食卓""とはどういう意味なのか。ただ、もしかしたら赤木は普段こういう食事を摂らないのかもしれない。何となく、薫はそう解釈した。

 それから食事を終えて、夏海に手伝ってもらいながらテーブルの上の食器を片付ける。赤木は、あまり夕食に手をつけなかった。

 

 しげる君、美味しくなかったのかな?

 

 料理に自信がある訳ではないが、残されたのは内心ショックではある。

 

「なっちゃん、おねえちゃんこれ片付けるから、先にお風呂入ってて」

「うんオッケー!」

 

 夏海はバスルームへと行き、リビングには赤木と薫の二人っきりとなった。

 

「もう帰るぜ」

 

 出て行こうとする赤木の背に向かって、薫は呼び止める。

 

「あの、しげる君! 本当になんて言ったら良いかわかんないけど……。無理矢理家に連れてきてごめんね!」

 

 赤木はゆっくりと此方を振り向いた。

 

「しかも遅くまで引き留めて、ご飯まで……」

 

 赤木の目を見る事が出来ず、薫は顔を伏せてしまった。

 

「思ってたより頑固でお人好しなんだな、アンタ」

「……え?」

「アンタみたいなお人好しは、悪い奴らの絶好のカモになる。……少しは警戒心とか持てよ。オレが悪い奴じゃないっていう保証なんて無いんだぜ?」

 

 二人の間を冷たい空気が通る。

 

「で、でも、しげる君は悪い奴じゃないよ! わざわざ落としたキーホルダーを届けてくれたし……だから、しげる君は優しくて良い人だって、わたしは思ったの! だから──」

 

 赤木の出した不穏な空気を物ともせず、顔を上げて打ち消した薫に、赤木は思わず鼻を鳴らした。その瞬間、周りの空気は正常を取り戻した。

 

「アンタ、変わってるって言われるだろ?」

 

 ほんの数秒、赤木が笑った様に見えた。

 

「夕飯、悪かったな。食いなれてないから全部は食えなかったけど、美味かったよ。じゃあ」

 

 そう言い残すと、赤木は玄関のドアを開けて出て行ってしまった。

 

「あ……!」

 

 惚けて見つめていた薫は我に気付き、慌てて追いかけるようにドアを開けた。──が、既に赤木の姿は何処にも無かった。

 

 


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