個人商店と呼ぶには大きく、スーパーマーケットと呼ぶには小さい。
そんな食料品店は二等辺三角形のような、狭い区画に建っている。
まずエンジンをかけっぱのバイクと、ジンさんが差し出した俺の身長ほどもありそうな和弓をピップボーイに収納。
それから食料品店の向こうの細い道まで素早く移動し、クリーチャーや、存在するのかもまだわからない公園の戦力となる人間達がいないのを確認してから、公園に最も近い団地の棟へ向かった。
団地は鉄筋コンクリート製のおかげか損傷が少なく、最上階の部屋でも崩れ落ちていたりはしていないようなので、俺達にとっては都合がいい。
「この建物が逆向きだったら、さらに良かったのう。それならば、部屋に踏み込まずとも公園を覗けたじゃろう」
「ホントですね。ちょっとだけ憂鬱ですよ」
「すまぬのう。屍鬼がおれば、ワシが殺る」
「いえいえ」
300年前に誰かが住んでいた家に土足で踏み込む。
もしそこにフェラル・グールがいれば、それはおそらくその家の住民だ。
理不尽な開戦。
誰がどう考えても使うべきではなかった、核ミサイル。
これから踏み込む部屋にグールがいるとすれば、その人は間違いなく被害者だ。
ジンさんはそれを自分で始末するつもりらしいが、俺だってそのくらいの覚悟はとうに、この世界に来てすぐにしてある。
団地住まいの経験がないので、こんな建造物には初めて足を踏み入れる事になる。
1棟にいくつかあって、その左右に1つずつの玄関のドアがある、決して広いとは言えないコンクリート製の階段。
それを1分もかけずに駆け上がり切った。
俺はこちらの世界に来てから筋トレをしたり、時間のある朝にはセイちゃんの作業場を黙々と走ったりしているのでまだわかるが、二十歳の男の全力疾走に余裕で着いて来れる、ともすれば追い越してさえしまいそうな老人というのはどうなんだろう。
やはり人間の強さだとかそういうものは、レベルだけでは判断できないものであるらしい。
「む。こっちの部屋は施錠してあるぞ」
「こっちもダメです」
「むうっ」
「ピッキングに10秒だけください」
「任せた」
ここがフォールアウトの舞台、なんでもかんでもガバガバなあの国ではないとしても、金庫より開錠の難しい鍵を団地に設置しているはずがないはず。
そんな事を祈るように考えながら、逸る心を押さえて、ピップボーイに笑えるほどの数が入っているヘアピンを出す。
それを指で抓んで曲げてから鍵穴に差し込むと、ピップボーイの視覚補助システムにNoviceという文字が浮かんだ。
だいぶ前、今はメガトン基地の待機所になっている建物の鍵を開けた時と同じだ。
「やっぱノービスか。さすがは俺、ツイてやがるぜ」
ピップボーイの視覚補助システムはどういう理屈でそうなっているのか、まるでゲーム画面のように鍵穴が拡大表示されてくれたので、そこに曲げたヘアピンの先を挿し込みながら手早くスウィートスポットを探る。
呼吸にして3つ。
たったそれだけの時間で手練れの空き巣のようにピッキングを終え、錆びの浮いた銀色のドアノブを回してドアを引いた。
「さすがじゃのう」
ジンさんが土足で室内に踏み込む。
迷わずそれに続き、まず俺達以外のマーカーがないかをザッと確認。
「クリア。まずは公園を見下ろせるベランダですね」
「うむ。こっちか」
狭い廊下を抜けてダイニングキッチンへ。
2つある襖の片方をジンさんは迷わず開け、ホコリ臭い和室へ踏み込んで正面のカーテンを勢い良く開けた。
「見えます?」
「バッチリじゃ」
「そりゃあよかった」
どうやらこの和室は、家族の内の2人が寝室として使っていたらしい。
2つ並んで敷かれた布団を踏まないようにしながら、俺もベランダへと向かう。
ジンさんは万が一にも公園から気づかれぬ用心なのか、サッシは開けず汚れたガラス越しに双眼鏡で公園を眺めているようだ。
俺は狭い階段に踏み込みながらツーショット・コンバットライフルを収納していたし、使い勝手のよさそうなジンさんに渡した物と同じ双眼鏡を出した。
「大きな池。その池を渡るように架けられた橋。景観を楽しむためにかその橋の中ほどには広いスペースがあって、どうやらそこが住民達の住居らしいの。粗末じゃが、小屋がいくつか建てられておる」
「住民? なら、あそこは大正義団の根城じゃないんで?」
「うむ。見てみよ。ここからなら充分に公園を観察できる」
ジンさんの横に並び、持ち上げた双眼鏡を覗き込む。
すると見えたのは、草木が生え放題になってしまっている大きな公園の全景。
整備された歩道や遊具、ベンチなんかがなければただの空き地と勘違いしてしまいそうな広い土地にその池と住民達の住居が見えた。
「バリケード、橋の両端にしかないんですね。公園を丸ごと囲う程度の人手も資材もないのか」
「そのようじゃのう」
トラックは、その簡素なバリケードの手前に停められている。
そしてそれから降りたツグオとコージを薄汚い格好の連中が取り囲むようにして、頭を下げたり笑顔を向けたりしているのが見えた。
5、6人ほどいる子供達も、ツグオ達に手を振っている。
「あれ? なんか、やたら歓迎されてますね」
「そうもなるじゃろ。住民は50に満たぬ数。農地も見えるが、哀しくなるほどに狭い。どの畑も作物の育ちは悪くなさそうじゃが、それだけでは全員の胃袋を満たせるはずもないからのう」
……その発想はなかった。
「えっと。じゃあ大正義団の連中は、ここの住民に食料をくれてやるために小舟の里へ?」
「間違いないのう。ほれ。ツグオとコージのやつ、ジャガイモの1つも持たず住民達に背を向けおった」
「だからって、なんでトラックを公園に置いて歩いて帰るんです?」
「もしかしたら、トラックは大正義団のではなくこの集落の物なのやも知れぬのう」
「……意味がわかんねえ」
「バカの考えなど読むだけムダじゃよ。それでどうするのじゃ、アキラ?」
どうするとは、トラックを置いて徒歩で公園を出るツグオ達を尾行するのかという問いなのだろう。
「難しいですね。大正義団の根城がここじゃないならその場所を掴むのは当然ですが、この集落の連中と大正義団の関係も気になります」
「ふむ。なら、二手に分かれるとするかの」
「そりゃあさすがに危険じゃないですか?」
それは俺も咄嗟に考えたが、こんな状況でジンさんと別行動をするのは浅慮だろうと、すぐにその考えを打ち消していた。
だがジンさんはそうは思っていないようで、サングラスをかけたままニヤリと笑みを浮かべて俺を見遣る。
「なあに。今のアキラの腕があれば問題ない。それに、ごく短時間じゃ」
「はぁ。んで、ジンさんはどっちを?」
「集落に決まっておる」
「……なるほど。そんじゃ下の道路に原付バイクを出しますんで、ツグオ達とそれを尾行する俺が見えなくなったら、バイクで公園に向かってください。運転はもう大丈夫なんですよね?」
「うむ」
胸を張って頷かれましても……
正直、少しでも練習すれば和弓よりずっと役に立ちそうな銃を、なぜか頑なに使いたがらない老人に、バイクの運転なんて事をさせるのは怖い。
だが、ここはジンさんを信じるしかないだろう。
「連絡はこまめに、いつもの通信機で」
「心配性じゃのう。たった30分かそこらの別行動で、無線機を使ってまで連絡を取り合おうとは」
「性分ですから。大正義団が無線の傍受なんてできるとは思いませんけど、豊橋に他の勢力がないとは限らないんで、会話は適当にぼかしましょう。それと、お願いですからムチャだけはしないでくださいよ?」
「どう考えてもワシのセリフじゃな」
土足で踏み込んだ誰かの家。
今は何より時間が惜しいので、高値で売れる調味料や酒どころか、すぐにピップボーイに入れられる布団にすら手をつけず部屋を出て、今度は駆け下りるようにして階段を下り切る。
そして公園前の直線道路を覗き込むのに支障がなく、公園からも身を隠せる位置に原付バイクを出し、和弓とパワーアーマーのヘルメットをジンさんに手渡した。
「それじゃ俺は先行しますが、くれぐれも連絡は密にお願いします」
「わかっておる。それに、それほど長くはかからんよ」
「そうなんですか?」
「うむ。どうせ大正義団とあの集落の事情など、想像通りに決まっておる」
「その予想を聞いてる時間もない、か。なら、俺は行きます」
「うむ。前にセイが改造してくれたで、ワシと集落の会話をアキラの無線機で聞きながら尾行するのも可能じゃろ。お互い、気楽にの」
「はい。では、俺はツグオ達を尾けます」
頼んだという声を聞きながら、公園前の直線ではなく、その1本右に伸びている道に続く交差点へと駆け出す。
直線道路を進むなら常に何かに身を隠していないと発見されそうで怖いし、公園の真ん前でそんな真似をしていたら、おそらく集落の連中にそれを見咎められてしまうからだ。
走る。
なるべく足音を立てないように。
それと、徒歩で直線道路を歩いているはずの2人に接近し過ぎない事を常に意識しながら。
「……な、なんだこりゃ」
思わずそんな独り言が漏れた。
公園を過ぎて、数百メートル。
たったそれだけの距離を進んだだけで、豊橋市街の景色は激変している。
こんな景色を見せられたら、驚いて当たり前だ。
ずいぶん手前からそうだったように民家や店舗の北西側の壁や天井が破損しているのはもちろん、どう考えてもその核爆弾の爆風で崩れたとは思えない建物や、ひしゃげて黒焦げになった車両の残骸なんかが異様に目立つ。
核の爆発やその爆風で街並みが破壊されただけならば、崩れ切ってしまった建物より爆心地に近い建物も、同じように崩れていなければおかしい。
車だってそうだ。
どうして3台見える戦前の乗用車の、真ん中の1台だけがこうまで破壊されているのか。たまたま銃撃戦で盾に使われ、その時に爆発したという可能性がないとは言えないが、それにしたって不自然に過ぎるだろう。
いったい、この豊橋は世界が滅びたあの日から、どんな歴史を歩んできたというのか。
集落とも言えないような、公園に住み着いている連中と話しているジンさんに無線を飛ばすのは憚られるので、注意深く尾行を続けつつ、そんな荒れ果てた景色を眺めながら進む。
ジンさんは公園の住人にだいぶ警戒されているようだが、敵意がない事を知らせるためにか気さくな旅の老人を演じているようで、まず豊橋の様子を聞かせてくれぬかと穏やかな口調で話しているのが聞こえる。
「おいおい、マジかよ……」
無線機の向こうから聞こえる、ジンさんと同年代かそれより上と思われる老人の声は、俺が予想だにしていなかった存在が豊橋の中心部を根城にしているから、ここより先に進むのは諦めておけと忠告しているようだ。
「まいったねえ。……迫撃砲を使う悪党の群れ。それが、少なくとも100以上ってなんだよ。そんなんを使いこなすなんて、新制帝国軍よりよっぽど軍隊してるじゃんか」
迫撃『砲』と言うからには、俺のピップボーイに入っているグレネードランチャーよりずっと強力な、それこそ軍隊が使うような兵器なのだろう。
あの公園はその迫撃砲の、ギリギリ射程外。
ジンさんと話している老人を長とする50人ほどの集団は、その悪党達に襲われて死を覚悟したところを大正義団に助けられたのだそうだ。
「盗っ人のくせに人助けなんかしてんじゃねえ。……クソが」