「ええっと、なんでいるんですか?」
手紙を持たせたシズクと、ひさしぶりに最悪な形で故郷を出奔した兄の仲間を見ても気丈に明るく振舞っていたセイちゃんは先に帰してある。
なので建てたばかりの休憩所から出てきた俺を出迎える見知った顔などないはずなのに、そこにはそれがあった。
「若者に早漏はいかんと教えるのは、年長者の務めじゃ」
「止めてもムダです」
「わかっとる。ほれ、行くならさっさと行こうぞ」
パワーアーマーを着たジンさんが、手に持っているヘルメットを俺に放る。
預かっておけという事だろう。
「ジンさんは年寄りなのに俺よりデカイんですから、ヘルメットをしてないと風が目に染みますって」
「誰が年寄りじゃ」
「ジンさんが。……ま、一緒に行くのは約束でしたからいいけど。背負ってるでっかい和弓と腰の矢筒は預からなくっていいんですか?」
「うむ。バカ共のトラックを追い越さぬスピードで走るなら問題はないじゃろ。障害物の幅が危険そうなら、その時は手に持って抜けるで問題ない」
「りょーかい。んじゃ、せめてこれを」
『パトロールマンのサングラス』を出して差し出す。
それは白と黒のカラーリングを施されたパワーアーマーとオールバックの白髪という洒落た老人に、渡した俺が思わず感心してしまうほど似合った。
「ふむ。不思議な視界じゃのう」
「見た目はかなりキマってますよ。映画の主人公みたいで、マアサさんも惚れ直すでしょう。あまりにもお似合いなんで、それはプレゼントしときます」
機嫌が良さそうに礼を言う声を聞きながら、俺もヘルメットだけせずにパワーアーマーを装備。
それから北西門の通用口へ足を向ける。
「すまんのう」
「こっちのセリフですって。マアサさんには言ってきたんですか?」
「うむ。早漏気味な若者なら、間違いなくこうすると思ったからの。アキラに詫びておいてくれと言われたぞ」
「……早漏じゃねえし」
「ほっほ。その証拠を見せてもらうヒマもなさそうなのが残念じゃ」
「そういや、2人で線路を歩いて途中に街があれば女でも買いましょうって話してましたね。……あの頃、豊橋はとんでもなく遠かったな」
「うむ。それだけアキラが成長したという事じゃ。こんな状況なら、酒と女は次の機会までガマンじゃな」
「いや俺もう嫁さんいるんで」
「知らぬ。約束は約束じゃ」
「……それでいいのか舅さん」
俺が防衛部隊の見張りに休憩所は自由に使ってくれと伝えると、ジンさんは自分が1日か2日だけ里を留守にする事を告げ、後はすぐに来る副官の指示に従えと言っていた。
どうやらジンさんはマアサさんに出発を告げただけでなく、副官に指示まで出してから北西門へ戻って俺を待っていたらしい。
さすがは年の功という感じか。
「わかりました。どうかお気をつけて」
「なーに。伝説の剣鬼とその跡を継ぐ双銃鬼が一緒なら、どんな妖異が出ても屁じゃねえさ。武運を祈ってますよ、お2人さん!」
「お、おう」
「それでは行ってくるでの」
通用口を出る。
もうホント中二臭い二つ名はカンベンしてくれと思いながらバイクを出して跨ると、呵々と笑いながらジンさんはリアシートに跨った。
「可能なら先行してるトラックに追いついて、それを尾行する形で進みます」
「うむ。任せた」
年寄りをビックリさせて心臓でも止まったらシャレにならないかと、丁寧にクラッチを繋いで優しくアクセルを開ける。
いくらジンさんが元気な、いささか元気すぎる年寄りだったとしても、クニオにしたようなイタズラをしようとは思わない。
「距離的に考えると、遅くても夕方までには豊橋到着でしょう。晩メシ前には、バカな義理の兄貴をぶん殴れるかな……」
「いい風じゃ。やはりバイクは良いのう」
俺の呟きが聞こえなかったのか、それとも言葉を返す必要はないと判断したのか、背後から機嫌の良さそうな声が聞こえる。
「連中がいっつも北西門に来てるって事は、国道301を使ってるんですよね?」
「おそらくのう。そして鷲津駅の手前、県道3号線を左折して豊橋へ向かうはずじゃ」
「了解」
「まあ追いつけずとも平気じゃ。のんびりとゆこうぞ」
なぜ素直に東海道を進まず、そんなルートで?
考えてはみるが、当然のように答えは出ない。運転をしながらではロードマップを出せないのが痛いなと歯噛みしながら。
なので、覚えている限りの地図を頭の中に描く。
特に東海道沿いをだ。
「……ああっ!」
思わずそんな声が出た。
「どうしたんじゃ、アキラ?」
「いや、なんで連中は東海道を使わねえのかなって。んで地図を思い浮かべてたら、東海道沿いにはある戦前の施設があったのを思い出したんですよ」
「ほう。それは?」
「総合動植物公園。もしそこが俺の想像してたショボい動物ふれあい公園みたいのじゃなく、もっとしっかりした動物園だったら。それなら、連中が東海道を使わねえのも納得だなって」
「なるほどのう。妖異化した動物が厄介なのは、いつの時代どこの地域でも変わらぬ」
もう遠い昔のように思えるが、浜名湖の対岸でヤオ・グアイに襲われる事を想像しただけで俺とEDーEが後ろも見ずに逃げ出したのはつい先日の事。
今ならヤオ・グアイ程度なら怪我もせず倒し切る自信はあるが、それがライオンやトラの、それも群れが相手となったらと思うと背筋が寒くなる。
ましてやもっと大型の、それこそゾウなんかがクリーチャー化して東海道を進むトラックなんかを襲っているとしたら、小舟の里の秘密兵器である武装バスでだって東海道を西へ向かうのは躊躇われるだろう。
「……っと。バカな考え事をしてるうちにもう追いついちまった。こっからは尾行のためにスピード落とします」
「うむ」
武装バスのために俺がピップボーイで掃除をしておいた国道301とは違い、県道には車の残骸がそれなりに残っているので、向こうのスピードはかなり落ちていたらしい。
思っていたよりずっと早く大正義団のトラックの、『よくもこれで普通に動いてるな』という感慨が浮かんでしまう後姿を発見できた。
大正義団のトラックはすべてのガラスだけでなくサイドミラーも破損して影も形もない事や、運転席の後ろに軽トラのような覗き窓がない事は北西門で遠目から見て確認済み。
なので助手席のコージとかいう、おそらく俺より年下の少年が割れた窓から身を乗り出して振り返りでもしない限り、俺達のバイクが発見される事はないだろう。
「お、メガネ屋に郵便局。どっちもそのうち漁りてえなあ」
「新聞のように手紙もバイクで配達しておったなら、原付バイクが増やせるやもしれぬのう」
「ですね。それに俺とミサキがいた方の日本じゃ、郵便局はトラックなんかも使ってましたよ」
「1台でも直せるなら、足を延ばす価値はあるの」
「ですね」
中学校やそれなりの規模の工場、郵便局と同じくらい中が気になるカー用品店なんかを横目に通り過ぎると、県道3号線は畑の間を突っ切るような形で西に向かって伸びていた。
「ほっほ。見よ、アキラ。戦前の農地で針鎧虫が日向ぼっこなんぞしておる」
「んで前方にゃ森が見えてます。荷台に積んでるっていう猪は、そこらで狩ったんかな」
「かもしれぬのう」
「……あのトラックが帰り道でクリーチャーに襲われたらどうします?」
「アキラの好きにしてよい」
「りょーかい」
左折、白須賀。
直進、新所原。
右折、三ケ日。
錆びだらけでもそう書かれた文字がどうにか読める戦前の大きな道路標識の向こうに、信号機のある交差点。
そしてそれを直進した先は坂道になっていて、県道の左右には緑の木々が生い茂っている。
相手がクリーチャーでも悪党でも、トラックに奇襲を仕掛けるには悪くない地形だ。
「隘路じゃな。しかも、こちらは坂を上がらねばならぬ。ワシがトラックを奪うなら、ここで仕掛けるのう」
「ですよね。俺でもそうします」
鬼と蛇ではなく、悪党とクリーチャーのどちらが出るか。
そんな心構えで先を行くトラックを睨みながらバイクを進ませたが、道幅がだいぶ狭くなった坂道には、クリーチャーどころか野生動物の影すら見当たらなかった。
「ふむ。バカでも安全な道くらいは把握しておるのか」
「らしいですね。この分じゃ、戦闘なんて起こらず豊橋に着く可能性もあります」
「つまらぬのう」
それならそれでいい。
大正義団をぶちのめすのは俺とジンさんの役目だし、思いつきのような出発になってしまったのだから、なるべく早く小舟の里に帰りたい。
面倒事は少なければ少ないほどラッキーだ。
「線路を渡りましたね」
「うむ。すぐ左手に新所原駅が見えてくるはずじゃの」
ジンさんの言う通り左折すると新所原駅という標識を過ぎ、あまりにも物足りない速度でトラックを尾行していると、『二川小北交差点』というロケーションを発見したとピップボーイの視覚補助システムに表示が出る。
「ジンさん、たしか二川小って」
「豊橋市立の小学校じゃのう」
「……近いな。思ってたよりずっと」
今度は二川駅という標識を横目にバイクを走らせる。
パチンコ屋に、郊外型のスーパーマーケット。
道路標識には右へ向かうと『豊橋市街』なんて言葉も見えてきた。
それと同時に、核爆弾の影響なのか周囲の景色が少しだけ変化している。
まだまだ田舎らしい建物の、特に上部が破損しているのだ。屋根が崩れてしまっている民家や店舗が多い。
でもまあ、この先まで行けばようやくバカ兄貴の顔が拝めるか。
「見えてきおったぞ。あれが国道一号線じゃのう」
「へえ。やっと東海道を進むのかって、あれっ?」
「右折せず、国道一号線を渡って直進らしいの」
トラックは住宅街を縫うように細い道を進む。
どういうルートだと地図を思い出そうとするが、それほど真剣に眺めていた地域ではないので上手くはいかなかった。
「急に道がひらけましたね。道幅はねえけど、いかにもスピードが出せそうないい感じの直線だ」
「アキラ、左じゃ」
慌てて顔を左に向ける。
するとただの林だと思っていた景色が途切れ、生え放題になっている夏草の向こうに街灯と滑り台のような遊具らしき物が見えた。
アクセルを緩める。
同時にトラックが、かすかにではあるが車体を右に振るのが見えた。
「ヤベエっ」
左はおそらくだが大きめの公園。
その公園に生い茂る夏草は俺達どころか、バイクの姿すら隠してくれそうもない。
なので、迷わず右にハンドルを切った。
歩道に乗り上げた衝撃で軽く体が跳ねたジンさんは、そんな動きを面白がっているようで、小さく笑う声が耳に届く。
「いい所に駐車場付きの商店があったものじゃのう」
「まったくです。ジンさん、双眼鏡とスコープ付きの銃ならどっちがいいですか?」
「双眼鏡じゃな」
「了解」
俺が右手にある少し大きめの食料品店の駐車場に滑り込んだ時、トラックも左に曲がったのは見間違いではないはず。
ギアをニュートラルに入れてスタンドを出し、エンジンをかけたままバイクを降りる。
「バカ共の根城にしては防備が薄いのう」
「ですよね。いったい、どういう事なんだか。あった、双眼鏡。どうそ」
「すまぬ。借りるぞ」
いいえと返してスコープ付きのハンティングライフルを出し、ジンさんに続いて食料品店の横にある民家の塀にへばりつくようにしてスコープで道の先を覗いた。
「見えねえ」
「トラックが入った駐車場の手前にあるトイレがジャマで、むっ……」
「なんだってんだ? バカ2人が、駐車場から公園にトラックを乗り入れましたよ」
「まいったのう。あそこまで進まれては、身を潜めながら進まねば公園の様子が見れぬ」
「そうでもないっすよ」
「ほ?」
「道の反対側にゃ団地があります。それの最上階からなら、公園も覗けるでしょ。まあ、フェラルなんかがいる可能性は高いですが」
「よし、乗った。ゆこうぞ」
「ええ」