未知なる天を往く者   作:h995

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第十五話 神の遺志を継ぐ者達

 ミカエルさんを始めとする熾天使(セラフ)との初顔合わせの為、僕達は今第六天にある施設の中を案内されていた。……と言っても、熾天使達の住まいであると同時に神が亡くなった今では天界の中枢機関となっている「ゼブル」ではない。もし天界を訪れたのが僕達だけであれば、「ゼブル」において儀礼に則った厳粛な形での初顔合わせが行われていたのだろうが、馬であるドゥンはそういう訳にはいかない。しかも禍の団(カオス・ブリゲード)を始めとする敵対勢力への備えと他の神話体系の勢力と話し合いの場を設ける必要性から「ゼブル」の内装を改装している事もあって、初顔合わせの場を別の施設で行う事になったのだ。そうして案内されたのが天界に属する聖獣・神獣の中でも特に秀でた者達が集められた牧場であり、放牧の形で聖獣や神獣が戯れている広大な敷地の中に立てられたログハウスであった。どうやら三大勢力共通の親善大使ではあるものの基本的には悪魔勢力の所属である僕に対して、少しでも心証を良くしようと積極的なアプローチを仕掛けているらしい。仕掛け人は、ほぼ間違いなくミカエルさんだろう。正直に言って余りに露骨過ぎて少々引き気味であるが、サーゼクスさんが変身した黒猫やドゥンを大変気に入っている事から解る様に実は相当な動物好きであるアウラが目の前の光景に目を輝かせてしまっているので、こちらからは何も文句を言えなくなってしまった。

 ただ、アウラのこの反応を見る限り、幻想種達の住まう幻界に一度アウラを連れて行くのもいいのかもしれない。その為の時間についても目処が既に立っている。日本神族への顔通しが終わったらグレモリー眷属とシトリー眷属の対戦が始まるまで少しだが時間の余裕が出来るからだ。……というよりは、そうなる様にレイヴェルがスケジュールを調整してくれた。そこで、それを利用して先代騎士王(ナイト・オーナー)であるアーサー王の遺産の内、現在も所在不明であるロンゴミニアドやクレセント、あるいはアーサー王がマーリンにすら隠し場所を告げなかったマルミアドワーズの様にケルト神話に属する勢力の手から離れている物を回収しようと思っていたのだが、それを早めに片付ける事ができればアウラを伴っての幻界入りも十分可能だろう。

 ……これから天界における重要人物達の集う場所に向かうというのに、まるで現実逃避する様に全く別方向へと僕の思考が向いてしまっているのには訳がある。現在僕達を案内しているのが、本来ならその案内先で僕達を待っている筈の人物だからだ。ウェーブの掛かったブロンドの髪と女性としての美を突き詰めた様な美貌と肢体、そして背には六対十二枚の翼を持つその女性天使の名はガブリエル。天使長で天界のトップであるミカエルさんと並び称される四大熾天使の一人である。なお四大熾天使の一人から直接案内してもらっているという事実を前にした事で、十字教の敬虔な信者であるアーシアとゼノヴィアはどうも感激の余りに恍惚としているらしく、その結果として二人の歩き方が少々怪しくなっている様だ。そして、そうした二人の様子をアウラが時折心配そうに振り返って見ている。これらの何とも言えない光景を横目にしながら、僕は隣を歩くイリナにこっそりと尋ねてみた。

 

「イリナ。ガブリエル様はフットワークがかなり軽いみたいだけど……」

 

 ……ここだけの話、天界の重要人物としては少しばかり軽過ぎるんじゃないのか?

 

 僕がそう言いたいのを察したのか、イリナは少し声を抑えて答えてくれた。

 

「実は、私もガブリエル様に直接お会いするのはこれが初めてなの。一応ね、ガブリエル様を含めた熾天使の皆様のお人柄についてはミカエル様から一通りお聞きしていたんだけど、流石にここまでとは私も思ってなくて……」

 

 ……どうやらイリナもここまでとは思っていなかったらしく、声色から驚きの感情が滲み出ている。すると、僕のすぐ後ろをついて来ていたレイヴェルから少々意外な話が飛び出してきた。

 

「正直な話、敵対している相手にそれはどうなのかと以前は思っていたのですけど、実は天界一の美女という事でガブリエル様は駒王協定の締結前から冥界でも人気がおありだったのです。それで、セラフォルー様はガブリエル様の事をライバル視しているという噂がありまして……」

 

 ……ウン。レイヴェルの言いたい事はよく解る。それにイリナとは一度完全に決別する所まで行ってしまい、アウラがいなければ永遠に別れたままになっていた筈の僕としては、そこまでの決意と覚悟を固めたのは一体何だったんだと大声を上げて叫びたくなってしまう。それに最近になって駒王町に住む百地さんの元で修行する様になった方の事も思えば、首脳陣がカルいのは何も悪魔だけではないのかもしれない。

 何とも嫌な事実に気付いてしまった事で辟易しそうになる自分の気持ちをどうにか立て直し、僕達は目的地であるログハウスに到着した。ログハウスのテラスで複数の天使が飲み物を呑みながら談笑していた。その翼の数はいずれも六対十二枚。……全員が最高位の天使である熾天使だった。その中にいたミカエルさんがこちらに気付くと、席を立って歓迎の言葉を述べる。

 

「兵藤親善大使および冥界からの訪問団の方々、天界へようこそ。我々は貴方達のご訪問を心より歓迎します」

 

「ミカエル天使長。私を始めとする訪問団を温かくお迎え頂き、誠にありがとうございます」

 

 僕が皆を代表してミカエルさんに訪問団の歓迎に対する感謝の言葉を伝えると、ミカエルさんは穏やかな表情で言葉をかけてきた。

 

「いえ、貴方からは既に色々な贈り物を受け取っているのですから、これくらいは当然ですよ」

 

 天界への僕からの贈り物という言葉に、僕は先程ストラーダ司祭枢機卿にお渡ししたばかりのドゥリンダナを指していると思い、ミカエルさんに確認を取る。

 

「……先程、ストラーダ司祭枢機卿に直接お渡ししたドゥリンダナの事でしょうか?」

 

 すると、ミカエルさんから意外というべき答えが返ってきた。

 

「いえ、確かに貴方とイリナが龍天使(カンヘル)として祝福を与えたドゥリンダナもそうですが、それ以上にコカビエルが主の死を暴露した際に行ったという反論の言葉、それこそが我々にとって何よりも大きなものなのです。生命とは、いつかは消えゆく物であり、それは神であっても変わる事はない。しかし、その意志と願いは後に続く新たな生命へと受け継がれていく。それこそが未来永劫続いていく生命の正しい在り方であり、この世界に生命ある限り、そして受け継いだ意志や願いを忘れない限り、神の愛は永遠に世界と共に在り続ける」

 

 僕がコカビエル、というより実はアーシアに対してのものだった言葉をミカエルさんが自分の言葉に置き換えて言った後、ミカエルさんは一端言葉を切った。そして、今度は僕の言葉に対して自分が感じた事をまるで噛み締める様に話し始める。

 

「ゼノヴィアが教会から異端として追放される切っ掛けとなった報告書の一部始終を読んだ時、私は大きな衝撃を受けると共に一つの事を悟りました。……既に主はこの世界から去ってしまわれた。しかしその意志や願い、そして愛を我々が忘れる事なくこれから生まれ出る生命に語り継いでいく事で、主の教えもその教えに込められた愛も世界の中で生かし続けていく。それこそが我々遺された天使の為すべき新たな使命であると」

 

 ここでミカエルさんとは別の方が話に割り込んできた。

 

「今にして思えば、我々はお仕えするべき主を永遠に失ってしまった事で未来に対して心の何処かで諦めてしまっていたのだと思う。我々を導いて下さる筈の主がこの世界から去ってしまわれ、同胞たる天使が少しずつだが確実に減りつつある今、我々は一体何処へ向かえばいいのかと。その先の見えない我々の迷いを、貴殿の言葉が払拭してくれたのだ」

 

「申し訳ございませんが、お名前をお聞かせ頂いてもよろしいでしょうか?」

 

 突然話しかけられた事で少し混乱した僕は、仕切り直しの意味合いもあって割り込んできた方に名前を尋ねた。すると、その方は申し訳なさそうな表情を浮かべながら自己紹介を始める。

 

「いや、これは申し訳ない。如何に「神の炎」の名を背負っているとはいえ、少々熱くなり過ぎたか。確かに貴殿の言う通り、自己紹介が先だったな。私の名はウリエル。ミカエルやガブリエルと同じく熾天使に列する者だ」

 

「そうでしたか。これはとんだご無礼を」

 

 翼の枚数がミカエルさんやガブリエル様と同じだったので熾天使であるとは思っていたが、まさか四大熾天使の一人とは思わなかった僕はすぐに謝罪の言葉を述べた。すると、ウリエル様は僕の行いは無礼ではないとしてきた。

 

「いや、貴殿には何ら非はない。むしろ面識がないにも関わらず、名乗りもせずにいきなり話に割って入ってきた私の方こそ無礼であろう」

 

「ウリエル様。お心遣い、誠にありがとうございます」

 

 これ以上この話を長引かせてもお互いに利がないと判断した僕は、ウリエル様の言葉を素直に受け入れる。そこで、更に別の方が僕に声をかけてきた。

 

「上忍殿、半月ぶりでござる」

 

 ……駒王協定が締結されてまもなく、百地さんの元で修行する様になったメタトロン様だ。ただメタトロン様は流石に場を弁えており、その衣装は修行中に着る白の忍装束ではなくミカエルさんと同じ様なローブだ。僕は声をおかけになったメタトロン様に挨拶しようとすると、その前にミカエルさんが僕との面識がある事についてメタトロン様に確認を取る。

 

「メタトロン、貴方は兵藤親善大使と面識があったのですか? いえ、そちらも気になるのですが、上忍とは一体?」

 

「公言は差し控える様に頼まれていましたので今までは黙秘していたのでござるが、実は歴代の赤龍帝の中に伝説的なNINJAがおられるらしく、上忍殿もその方に師事して忍術を修めているとの事でござる。当然、NINJAとしてはまだまだ駆け出しに過ぎない拙者よりも遥かに格上であり、マスターも「人の知る事なくして、巧みなる者」として上忍と呼ぶに相応しい技量を持っているとお認めになられているのでござる」

 

 ……あぁ。だから、黙っていてほしかったのに。

 

 メタトロン様からの答えを聞いた事で興味津々と言わんばかりに集まってくる視線を前に、僕は内心溜息を吐きたくなった。何せ、一週間前にアウラとミリキャス君の顔合わせをした際に僕の昔の冒険譚を話した事があったが、その際に忍者の赤龍帝に師事して忍術を修めている事を話すと、ミリキャス君はもちろんだがそれ以上にサーゼクスさんが喰いついてきたのだ。そこで実際に手裏剣術や隠行術を披露してみせると、サーゼクスさんとミリキャス君は親子揃って大はしゃぎだった。この分では他の皆からも忍術を見せてほしいとか、忍者の赤龍帝に会わせて欲しいとか言われそうだと判断した僕は、現在は禍の団に新たに加わったというドラゴンに関する情報収集の為に潜入調査をしている忍者の赤龍帝の身の安全を考えて、サーゼクスさん達に忍者の赤龍帝の事や僕が忍術を修めている事を秘密にする様に頼んだ。……尤も、夏休みに入る前に百地さんの元を訪ねた際にメタトロン様と鉢合わせしてしまったので、黙秘をお願いしたもののそう長くは保たないだろうとは思っていたのだが。そして、やはり忍者というよりはNINJAに興味津々なミカエルさんはメタトロン様に忍者の赤龍帝について尋ねてきた。

 

「因みに、そのNINJAの赤龍帝の名前は?」

 

「残念ながら、NINJAとは本来己の名を他人に明かしたりはしないものらしく、拙者はおろかマスターでさえも教えては頂けなかったのでござる。ただ、生前は表の役職として出羽守を務めていたとだけ」

 

 ……このメタトロン様の答えでは俄仕込みの知識しか持たないであろう熾天使の方達は流石に解らなかったらしく、しきりに首を傾げている。そこで周りを見ると他の皆も大体は同じ様な反応だった。例外は、メタトロン様と非常によく似た容姿を持ちながらも特に興味がなさげな熾天使の方、そして主君である僕の家族という事で直に会って話もしているイリナとアウラだ。なお、メタトロン様に忍びの術を教授している百地さんは、流石に伊賀の本流に連なる一族の出だけあってこれだけのヒントで正解に辿り着いている。因みに、正解は戦国時代における関東の雄である北条家に仕えた風魔衆の頭領、風魔小太郎。その三代目である。

 やがていくら考えても解らない事で観念したミカエルさんは残念そうに溜息を吐いた。

 

「そうですか、少々残念ですが仕方ありませんね。では、メタトロン。今後も百地さんの元でNINJAの修行に励んで下さい」

 

「承知したでござる」

 

 メタトロン様が深く頷いたところで、ミカエルさんは他の熾天使の方の紹介を始める。

 

「少々脇道に逸れてしまいましたが、これから私とここまで案内してきたガブリエル、既に顔見知りであるメタトロン、そして今しがた自己紹介したウリエルを除いた他の熾天使の紹介をしましょう。まずはラファエル」

 

「初めまして、兵藤親善大使。私がラファエルです。一応、熾天使の中でもミカエルやガブリエル、ウリエルと合わせて四大熾天使などと呼ばれている者ですが、余り気にしないで下さい。何せ、ただでさえ気を配る必要があるのに更に上乗せしてしまうと、お互いに肩が凝って仕方がありませんからね」

 

 ミカエルさんに促されて自己紹介してきたラファエル様だが、どうも皮肉屋の一面があるらしく、最後の方で少しばかり皮肉を交えてきた。だから、こちらも笑顔と共に少しだけやり返す。

 

「仰る通りですね。凝ってしまう程に肩に力が入っている内は笑い話一つできません。そこで、まずはお互いに美味しい紅茶やコーヒーでも飲みながら軽く話をしてみませんか? そうすれば、少なくとも肩が凝る様な事はなくなると思うのですが」

 

 僕がそう言うと、ラファエル様は意外そうな表情を見せた後で口元をフッと緩めた。

 

「……ミカエルが貴方を気に入る訳ですね。えぇ、お互いの紹介が終わった後でそうしましょう」

 

 そう言って右手を差し出してきたラファエル様に応えて、僕はしっかりと握手を交わす。

 

「では、次にサンダルフォン、お願いします」

 

「親善大使殿、私の名はサンダルフォン。メタトロンの双子の弟だ。しかし、我が兄ながら何故にあれ程までにNINJAに拘るのか……」

 

 次にミカエルさんから紹介されたのは、メタトロン様の双子の兄弟として知られるサンダルフォン様だ。ただし、メタトロン様と違って忍者に対してそこまで興味を持っていないらしい。そうした常識的な反応に僕はホッと安堵の息を漏らしそうになったが、それも一瞬だけだった。

 

「どうせなら影働きしかできないNINJAなどではなく、大和魂を見事に体現したSAMURAIの修行をすればいいものを……」

 

 ……そっちですか!

 

 サンダルフォン様から飛び出してきた「侍」という言葉を前に、僕は頭を抱えたくなるのを必死に堪えた。何故に日本の外にいる人達はこうも日本というものを誤解してしまうのだろうか。しかも、どう見てもサンダルフォン様は支配階級としての「侍」ではなく、様々なジャンルで描かれた偶像としての「SAMURAI」に興味を持たれているとしか思えない。

 

 ……いっそ、サーゼクスさんに頼んで沖田さんに侍の実像を語ってもらった方がいいのだろうか?

 

 僕がサーゼクスさんに協力を求める事を本気で考え始めると、何かを察したのか、ミカエルさんは次の方を紹介してきた。

 

「先に進めましょう。ラグイル、ラジエル、サリエル、レミエル」

 

 ミカエルさんから名前を呼ばれると、まずは黒髪で顎先に少し髭を生やし、腰にラッパを携えた方が自己紹介を始めた。

 

「初めまして、俺がラグイルだ。役目は天使が堕ちない様に監視・監督する事。それと、もしその時が来ればコイツを吹く事も俺の役目だな」

 

 ラグイル様がそう言って腰に携えたラッパをポンと叩く。伝承の通りであれば、アレが世界の終末を告げるラッパなのだろう。すると、ラグイル様は口元を僅かに上げてニヒルな笑みを浮かべた。

 

「ただな、ぶっちゃけこんな重たいモノを俺なんかに持たせんなよって、いつも思っていたよ。何せコイツを俺が吹くって事は、この世に生きる全ての生命に死刑宣告する様なものだからな。そんなの、俺には重すぎてとても背負い切れるものじゃない。熾天使としちゃ、とても情けない話なんだけどな」

 

 明らかに自嘲混じりで自らの心情を語ったラグイル様は、ここでポリポリと頬を人差し指で掻き始めた。ここまで心情をさらけ出した事で、自分でも少し照れ臭くなったのだろう。

 

「だからな、俺は君に凄く感謝しているんだよ。こんな物騒なモノを吹く事がないようにしてくれたからな。これで後は、残った天使が堕っこちないように気を配るだけさ。これがまた大変なんだけどな」

 

 最後にニヤリと不敵な笑みを浮かべると、ラグイル様は右手を差し出してきた。僕はそれに応えて右手で固く握手を交わす。

 

「ラグイル様のラッパが永遠に吹かれる事のないよう、聖魔和合の完成に全力を尽くします」

 

「頼むぜ、ピースメーカー」

 

 ラグイル様との握手が終わると、次は金髪を肩まで伸ばし、右手に一冊の本を持った方が自己紹介を始めた。

 

「お初にお目にかかります。私はラジエル。かつては主のお側で天界と地上のあらゆる物事を見聞きし、それらをこの本に記していた者です」

 

 ラジエル様はそう言って手に持っていた本を無造作に見せてきたが、僕はこの場に魔術師やそれに類する者がいなくて本当によかったと心の底から思った。何故なら、この本こそが世界の摂理や魔術、更には神の奇跡といったこの世界における全ての事柄について記された至高の書物「セファー・ラジエル」だからだ。人類の祖アダムに始まり、エノク、ノア、そしてソロモン王の手に渡り、読んだ者に大いなる知識を齎したというこの書物は僅かでも魔術の心得がある者にとっては喉から手が出る程欲しい逸品であり、手に入れる為ならたとえ相手が熾天使であっても形振り構わず襲いかかるのは間違いなかった。

 ただ、ラジエル様は自らの著書に対して余り価値を見出だしていない様だ。その手にある書物を見る目には、明らかに落胆の色が含まれていた。

「ですが、主が去ってしまわれた事で私の見聞きできる範囲が著しく狭まってしまい、それに伴ってこの本に記す内容にも徐々に不足が生じるようになりました。……誤解を恐れずにあえて申し上げれば、この不足分を補うという意味で聖魔和合は私にとって非常に好都合なのです。ですから、私は聖魔和合を歓迎します」

 

 そう語るラジエル様ではあったが、どうもその本心は別の所にありそうだ。「私の見聞きできる範囲が著しく狭まってしまい」と口にした時、一瞬ではあったが確かに唇を噛み締めていたからだ。まるで、その事実を激しく悔やむかの様に。

 

 ……これ以上の言及は避けるべきだな。

 

 そう判断した僕は、先程の言葉をあえて額面通りに受け取ってみせる事で話を切り上げた。

 

「セファー・ラジエルを始めとする天界の知識と冥界の技術が交われば、天界と冥界の共存共栄へと大きく前進する事でしょう。残念ながら、私にそこまでの権限は与えられておりませんが、知識と技術の更なる交流に関する話を冥界に持ち帰る事はお約束させて頂きます」

 

「……ご協力、感謝します」

 

 最後にラジエル様と握手を交わした所で、次に声をかけてきたのは艶のない銀髪で何処か表情の乏しい方だった。

 

「私の名は……」

 

 しかし、ここで異変が起きた。瞳が赤く光ったかと思えば次第に点滅し始めたのだ。突然の事態を前に、初対面である僕達はおろか面識がある筈のシスター・グリゼルダやストラーダ司祭枢機卿でさえも驚きを隠せない。その一方で、ミカエルさん達は明らかに「しまった」という焦りの表情を浮かべていた。

 

「ムッ、いかんな。この様な時に目の調子が……」

 

 そして瞳から赤い光を点滅させている当の本人は、そう言って右手で目を押さえると光力を使用し始めた。しばらくすると治まったのか、目から右手を離すと改めて自己紹介を始める。

 

「先程は見苦しい所をお見せしてしまい、失礼しました。私の名はサリエル。死したる後の人の子の魂の監視と悪に堕ちた天使への処罰、そして月の運行の管理を行う者です」

 

 余りにも感情が感じられないサリエル様の声に、アウラは少し怖くなったのか、側にいるイリナの手をギュッと握ってしまった。僕は先程の出来事について説明を求める。サリエル様にとっては不快であろうが、もしこちらに害を齎すものであれば、それを放っておく訳にはいかないからだ。

 

「サリエル様、先程の事についてですが……」

 

 すると、サリエル様は表情一つ変えずに極めて冷静に答えてきた。

 

「それについてですが、私の邪視が暴発する前兆です」

 

「邪視が暴発する前兆、ですか?」

 

 余りにも信じられない言葉が飛び出した為に僕は重ねて質問してしまったのだか、サリエル様は大して気にもせずに淡々と説明を始める。

 

「はい。聖書を始めとする伝承にもあるように、私の瞳には一瞥で相手を様々な形で害する事のできる邪視の力が宿っています。しかし主が亡くなられて以来、調子が悪いと私の制御を離れて邪視の力が暴発するようになったのです。それでも最初は十年に一度あるかどうかだったのですが次第に頻度が増していき、ここ最近では一日に一度は必ず起こる様になってしまいました」

 

「それで、先程の赤い光の点滅は邪視が暴発する前兆という事ですか」

 

 ……先程何が起こったのか、それは理解できた。しかし、それで納得できるかと言えば、答えは否だ。だから、言うべき事ははっきりと言わせてもらう。

 

「サリエル様、失礼を承知で申し上げます。その様な状態で他勢力の外交官にお会いになるのは、些か軽率ではありませんか?」

 

 ある意味でギャスパー君のあり得た可能性であるサリエル様に苦言を申し上げても、サリエル様は表情一つ変えずに淡々と釈明しようとしてきた。

 

「私もそう思い、実際に辞退しようとしたのですが……」

 

「それについては、私が説明しましょう。実はサリエルの欠席が決まりかけた所で、サリエルも熾天使である以上、同様にこの場に立ち会わせるべきだと下からかなり強い突き上げがあったのです。サリエルの欠席を強行するべきか悩みましたが、これによって上下の間に少なからず溝を作る訳にもいかなかったので結局は押し切られる形になりました」

 

 ……不味い。それでは天界や教会に少なからずいる筈の強硬派にこうした手段が有効である事を確信させてしまう。

 

 ミカエルさんの事情説明を聞き終えた僕は、ミカエルさん達の判断が最終的に悪手となる事を悟ったが、それと同時に気になる事がある。……あるのだが、それは今ここで言うべきことではなかった。何より三大勢力共通ではあるがあくまで外交官である以上、僕がその事に意見を出すのは明らかに越権行為になる。

 

 ……後でイリナに話をしておくか。それでミカエルさんに伝わる筈だ。

 

 内心でサリエル様の件の裏に蠢いているモノにどう対処するのかを考えながら、僕はこの件を不問とする代わりに早急に対処する様に求めた。不問とする事で話がこじれる事を狙った相手に肩透かしを加える一方で、問題の対処を強く求める事で冥界側は弱腰だと様々な所から言われない様にする為だ。

 

「そういう事情であるのでしたら、今回は不問と致しましょう。その代わりという訳ではありませんが、サリエル様の邪視の件については早急な対処をお願いします」

 

「えぇ。今は亡き主の御名においてお約束しましょう」

 

 ミカエルさんから早急に対処するという言質を取った僕は、右手をサリエル様に差し出した。サリエル様は表情こそ変わっていないものの、自分に差し出された僕の右手にやや困惑している様だ。

 

「よろしいのですか?」

 

「こちらは事情を承知の上で不問としたのです。それならやるべき事は変わりませんし、何より今は邪視の力も落ち着いているのでしょう?」

 

 僕がそう言うと、サリエル様の張り詰めた雰囲気が若干緩やかになった。尤も、その表情は一切変わってはいないのだが。

 

「……貴殿は変わった男だな」

 

 言葉遣いを変えたサリエル様は、そう言った後で手を差し出して僕と握手を交わす。そして握手が終わるとすぐに一歩引いて、レイヴェルとそう変わらないくらいに小柄な方に視線を向けた。まるで「さっさとやれ」と言わんばかりのサリエル様の態度に、その方はプリプリ怒りながら僕達の前に出てくる。

 

「全く。あんな視線をぶつけてくるなんて、サリエルは本当に失礼だな。ボクを一体何だと思っているんだ」

 

 最後の方は僕達の前に出ると、その瞬間まで怒っていたのが嘘の様に笑顔で自己紹介を始めた。

 

「やぁやぁ、初めまして。ボクはレミエル。主がご健在だった時は幻視の力で人の子に神託を伝えるのが仕事だったけど、主がいなくなった今となってはやる事がなくて執務室(へや)でゴロゴロしているただの穀潰し(プータロー)さ。……ホント、自分で言うのも何だけど、どうしてボクはグータラな生活してるのに堕天しないどころか熾天使のままでいられるんだろうね? 我が事ながら、それが不思議で仕方ないよ」

 

 ……最後の最後に物凄く濃い方が来たなぁ。

 

 レミエル様に対して僕が真っ先に思った事がそれだった。それに一つだけ確認したい事があったので早速尋ねてみる。

 

「レミエル様、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 

「いいよ、キミの質問に快く答えてあげよう。それどころか、一つと言わずにドンドン訊いてくれたまえ」

 

 何とも気前の良い返事を受けて、僕はそれならと遠慮なくたずねた。

 

「では、レミエル様は「神の雷霆」という意味であるラミエルという別の名前でも有名ですが……」

 

 一体どういう事なのでしょうか?

 

 僕はそう続けようとしたが、その前にレミエル様が不機嫌そうな表情を浮かべながら答えてきた。

 

「あぁ、それ。それはボクの双子の弟の名前さ。その割には筋肉モリモリでボクよりずっとデッカイし、頭の方はガッチガチの石頭だし、主がご健在だった時にボクが仕事の合間に遊んでいると、いつも小言をガミガミガミガミと……」

 

 双子の弟だというラミエル様に対する愚痴を思いっきり零した後、レミエル様は心底不思議そうに首を傾げた。

 

「それなのにさ、何で下心丸出しな人の子に引っ掛かってバカやらかしたアホのアザゼルに釣られて一緒に堕っこちたんだか。しかもその後はアザゼル達からも離れるわ、孤高の旅人を気取って流離いのニートをやってるわで、もうやりたい放題らしいんだよね。いやそこはどう考えてもボクとラミエルのポジションは逆だろうってボクは思う訳なんだけど、キミはどう思う?」

 

 いや、そこで「どう思う?」と僕に訊かれても……。

 

 答え終えた後のレミエル様からの思いもよらない問い掛けに対してどう返したらいいのか、僕は判断に困ってしまった。

 ……ただ、解ってしまった事が一つある。それは三大勢力の共通事項としてトップに変人が多いという事だ。それだけに今後は物凄く苦労する事になりそうで、まだ十代なのに胃痛に苦しむ自分の未来の姿を幻視した僕はただただ無性に泣きたくなった。

 

 一体、どうしてこんな事になってしまったんだろうか?

 




いかがだったでしょうか?

原作は悪魔サイドの物語なので、天界サイドのキャラについては殆どが名前を準拠させただけのオリジナルとなってしまいました。どうかご了承ください。

……なお、今話の影のタイトルは「ミカエルさんとゆかいなセラフたち」です。

では、また次の話でお会いしましょう。

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