未知なる天を往く者   作:h995

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第十四話 思えば、随分と遠い所までやってきたものですわ

 僕達はストラーダ司祭枢機卿とシスター・グリゼルダに案内されて、礼司さんの教会に新たに設置されたという天界直通の転移用魔方陣の元へと向かっていた。なお、途中でアウラも歩ける程に回復したので、今はアウラと手を繋いで一緒に歩いている。そうして歩きながら礼司さんに詳しい話を聞くと、何でも孤児院を兼ねている宿舎に地下室を新設してそこに設置したとの事。駒王協定が締結される前であれば、駒王町侵略の前準備と受け取られても何らおかしくないだけに、僕は聖魔和合が着実に進んでいると改めて実感した。

 こうして辿り着いた地下室はかなり広い作りになっており、床の中央には悪魔や堕天使の物とは明らかに異なる形式の魔方陣が描かれていた。ただロシウから魔導を学んでいく中で見た事のある神聖魔術の魔方陣と図柄が酷似している事から、おそらくはこれが天界式の魔方陣なのだろう。そして、その地下室には薫君やカノンちゃんを始めとする孤児院の子供達が待っていた。その中にはもちろんレオもいる。僕の姿を確認すると、皆笑顔で出迎えてくれた。

 

「あっ、イチ(にぃ)! 待っていたよ!」

 

「薫君、元気そうだね。それに皆も」

 

 薫君が皆を代表する様に声をかけてきたので、僕も笑顔で返事する。

 

「ところで、薫君はちゃんとみんなの兄貴分をやっているかな?」

 

 ここで僕が抜き打ちで皆に薫君について尋ねると、皆はそれぞれ薫君に対して思っている事を言い始めた。

 

「ウン! 薫兄ちゃん、僕達がケンカしてるとすぐに止めに来てくれるよ!」

 

「それに俺達が悩んでいると、それとなく声をかけてくれますし、話も聞いてくれます。まぁ流石に一誠さんや瑞貴さんみたいに即時解決って訳にはいかないけど、俺達と一緒に悩んでくれるから一誠さん達とはまた違った頼り甲斐がありますよ」

 

 皆から兄貴分としての薫君の評価を聞いた僕は、その評価対象である薫君に声をかける。

 

「……だってさ。薫君」

 

「み、皆……!」

 

 薫君は皆からの評価を聞いて感動していた。自分のやっている事がけして間違いでないと知れば、薫君も兄貴分としての自信をつけてくれる。そう思って皆に実際の所を確認してみたのだが、やはり正解だった。

 

「さて、そろそろこのままだと天界に入れない皆にこれを配らないといけないな」

 

 ただ少し時間が押している事もあって、僕は話をここで切り上げる。そして収納用の亜空間の入り口を右側に展開すると、そこから赤金のリンゴの刺繍をあしらった白地の細いリストバンドを必要分だけ取り出した。なお、このリストバンドは僕が礼装兼戦装束として不滅なる緋(エターナル・スカーレット)の下に纏う様にしている白い法衣やアウラが今着ている白いワンピースと同じく、ミスリル銀を糸状に撚って編み込んだ特殊な生地で出来ている。僕はこのリストバンドをまずは悪魔であるレイヴェル、アーシア、ゼノヴィアに手渡す。

 

「あの、イッセーさん。これは?」

 

 アーシアが手渡されたリストバンドについて尋ねてきたので、僕は早速説明を開始する。

 

「このリストバンドは堕天使領の滞在の折に神の子を見張る者(グリゴリ)の研究者達と共同で開発した魔導具(アーティファクト)で、悪魔や堕天使を始めとする天界に所属していない種族や「システム」に影響を及ぼしそうな力の気配を遮断し、更に悪魔に関しては魔力の波動を反転させる機能がある。実はアウラが今着ている白いワンピースには、着ている者に対する防御術式の他にこれと同じ機能も持たせているんだよ」

 

「エヘヘ~。だから、パパが作ってくれたこれを着ていれば、パパの「魔」から生まれたあたしも天界に入れるんだよ。凄いでしょ、アーシアお姉ちゃん?」

 

 アウラが胸を張って笑顔で自分の着ている白いワンピースの事を自慢すると、アーシアは微笑みながら頷いてみせた。

 

「そうですね、アウラちゃん。アウラちゃんのワンピースも、それを作ったイッセーさんも、本当に凄いです」

 

 ……この優しい微笑みがあったからこそ、アーシアへの感謝の手紙が途絶える事がなかったのだろう。僕はそう確信しながら、リストバンドに組み込まれた機能の説明を再開する。

 

「このリストバンドやアウラのワンピースに使われている機能をより拡張させていく事で、最終的には天界における悪魔の長期滞在も可能になる見通しだ。ただ、今はまだ試作段階で三日間の滞在が限界なんだ」

 

「それで、天界の滞在期間が今日を入れて三日間なんだな。すると、ストラーダ猊下に直接鍛えてもらえるのも三日だけという訳か」

 

 僕の説明を聞いたゼノヴィアは天界の滞在期間に納得すると共に、ストラーダ司祭枢機卿からの指導もその期間しか受けられない事に少し残念そうな表情を浮かべた。すると、ストラーダ司祭枢機卿がゼノヴィアに声をかける。

 

「それ故にこの三日間、私は一切手加減しない事を予め伝えておこう。戦士ゼノヴィア。この三日間、全力で私について来なさい」

 

「はい!」

 

 ストラーダ司祭枢機卿からの言葉にゼノヴィアが力強く返事したのを見た僕は、続いて孤児院の子供達の中でも様々な理由から気配遮断が必要となる子にリストバンドを渡していく。その中には、当然レオも含まれており、僕はレオにリストバンドをビクティニ達にも着けさせるように伝える。

 

「レオ。これをレオはもちろんだけど、ビクティニ達にも着けさせてくれ。理由は解るね?」

 

魔獣創造(アナイアレイション・メーカー)だね。それとビクティニ達にも必要なのは、元々はこの神器の力で生まれた存在だから」

 

 レオは自分達にも気配遮断が必要な理由をしっかりと理解しており、僕からリストバンドを受け取るとまずは自分が右手首に着けてからビクティニ達に着けていた。そうして必要となるメンバー全員にリストバンドが行き渡った所で、僕はリストバンドの使用注意を告げる。

 

「これを天界で使用する際に一つ注意してほしい事がある。それは、天界にいる間はこの白いリストバンドをけして外さない様にしてほしいんだ。たとえ、お風呂に入っている時や眠っている時でもね。それが守れないと、天使様がやってきて天界から追い出されちゃうよ」

 

 僕が最後に少し脅し付けたのが効いたのか、レイヴェル達はもちろん孤児院の子供でリストバンドを貰った子からもしっかりと了解の返事がきた。そうしてリストバンドを皆が着け終わったところで、シスター・グリゼルダが声をかけてくる。

 

「では、そろそろ天界への道を繋ぎましょう。ですが、その前に兵藤親善大使。申し訳ありませんが、ここにドゥン・スタリオンをお呼び頂けないでしょうか?」

 

「ドゥンを、ですか?」

 

 シスター・グリゼルダからドゥンを呼び出す様に頼まれた僕は思わず問い返してしまった。すると、シスター・グリゼルダはドゥンをここに呼ぶ理由について説明を始める。

 

「はい。ミカエル様のお話では、千五百年もの時を生き永らえた事で霊獣化し、更に次元の狭間を通って異なる世界へと移動する事ができるというドゥン・スタリオンが天界に立ち入れる様になれば、普段は人間界を活動拠点と為されている親善大使が天界や冥界へ速やかに移動可能となる事から親善大使の活動がよりスムーズに進められる様になるとの事でした。そこで、兵藤親善大使には一度ドゥン・スタリオンと共に正式な手順で天界に入国して頂きたいのです」

 

 シスター・グリゼルダからの説明を聞き終えた僕は、ミカエルさんの考えに納得した。……というより、実はドゥンの天界入りと今後ドゥンに騎乗して天界の入口で天使達の詰め所である第一天に直接入れる様に許可を申請しようと思っていた所だったので、渡りに船だった。

 

 それに万が一、天界が禍の団(カオス・ブリゲード)を始めとする敵対勢力からの侵攻を受けたとしても、ドゥンで直接救援に向かう事も可能になる。

 

 僕の中ではこうした意図もあっての事であり、ミカエルさんもおそらくは同じ事を考えている筈だ。ただ流石にこの場では余りに不謹慎なので、こうした意図を口に出す様な真似はしない。だから、僕はシスター・グリゼルダに了解の意を伝えた後、そのままドゥンを呼び出す事にした。

 

「シスター・グリゼルダ。ドゥンの件については了解致しました。では、早速」

 

 僕のすぐ側に展開された魔方陣から黄金の様に輝く毛並みを持つ馬が現れると、早朝鍛錬で顔を合わせた事のある薫君とカノンちゃんを除く孤児院の子供達は興味津々である一方、ストラーダ司祭枢機卿とシスター・グリゼルダは少しばかり驚きの表情を浮かべる。

 

〈主。ドゥン・スタリオン、お呼びによりここに参上致しました。此度のご用件をお伺い致しましょう〉

 

 ドゥンが僕に召喚に応じて参上した事を伝えると、ドゥンの名を耳にしたストラーダ司祭枢機卿が感嘆の声を上げる。

 

「オォッ……。この黄金と見紛うばかりの毛並みを持つ馬が、かのアーサー王と共に戦場を駆けたという愛馬の一頭か。まさか念話とはいえ人語での意思疎通すら可能だとは思わなかった」

 

 流石に馬が念話とはいえ人語で意思疎通ができる所を見れば、ストラーダ司祭枢機卿も驚きを隠せなかった様だ。同じ様にシスター・グリゼルダや孤児院の子供達も驚きを露わにしている。そうした中で、僕はドゥンに今回召喚した理由について話し始めた。

 

「ドゥン。今から僕達は天界に向かう所なのだが、その天界入りにドゥンも同行してくれ。かねてより考えていたお前に騎乗して天界に直接移動する件だが、必要となる事項の許可を申請する前に天界の方からご提案があったんだ」

 

〈成る程、それは好都合ですな。そういう事であれば、私もご同行致しましょう。して、その後は如何致しましょうか?〉

 

 ドゥンから天界への立ち入り許可が下りた後の事を訊かれた僕は、少し考えた末に薫君達と行動を共にするように命じた。

 

「そうだな……。それなら、孤児院の皆と行動を共にしてくれ。できれば、子供達に対してアーサー王の語り部としての務めも果たしてほしいところだが、その辺りの判断はドゥンに任せよう」

 

〈その命、しかと承りました。……ところで、主〉

 

 僕からの命を受けたドゥンだったが、まだ何かを言いたそうにしていたので、僕はドゥンに何を言いたいのか確認してみる。

 

「どうした、ドゥン?」

 

〈普段は配下を統べる王としてのお姿をあまりお見せになられていない様ですな。主が親しくなされている子供達がかなり驚いている様に見受けられますが……?〉

 

 ドゥンからの指摘を受けてハッとなった僕は孤児院の子供達の方を見ると、驚きの余りに言葉を失っていた。早朝鍛錬でレオンハルト達への接し方を変えたのを知っている薫君やカノンちゃんはそうでもないが、こうした子供達の驚く姿を目の当たりにした事で、僕は極力見せない様にしていた「人を統べる者」としての一面を子供達に堂々と晒してしまった事を悟った。

 

「……そういえば、イチ兄って昔の赤龍帝の人達からリーダーとして認められているし、正式な手順でエクスカリバーを受け継いだから、あのアーサー王の正当な後継者でもあるんだっけ」

 

 そして、この中ではカリスの事を既に知っている薫君が赤き天龍帝(ウェルシュ・エンペラー)二代目騎士王(セカンド・ナイト・オーナー)の件をつい口にしてしまった。この呟きに近い薫君の言葉が偶々近くにいて聞こえたのか、クローズと同い年で孤児院の中でも最年少の一人であるミゲル君が薫君に確認を取る。なお、ミゲル君の名前はミゲル・アレハンドロ・フローレス・イ・トーレスといい、メキシコの先住民族の生まれでいつも外を走り回っている元気一杯の男の子だ。

 

「えっ! それ本当なの、薫兄ちゃん?」

 

「そうだよ。だから、イチ兄はとても強い赤龍帝や世界中の騎士達の中でも頂点に立つ王様なんだ」

 

「へぇ~。それじゃあ、イッセー兄ちゃんはとっても強い王様なんだ。凄いなぁ、カッコいいなぁ……」

 

 薫君から赤き天龍帝や二代目騎士王の事を教えられると、実は戦士としての僕や瑞貴、礼司さんに憧れているというミゲル君が僕に向かって改めて尊敬の目を向け始めた。すると、それに釣られる様に他の皆も僕を見る目が変わってきて、今にも詳しい話をする様に迫ってきそうだ。天界に向かう為の準備をしている所でこれ以上話が変な方向に行かない様に、僕は少し強引ではあるが話をここで打ち切った。

 

「皆、その事は後でちゃんと話してあげるから、今は天界への道が繋がるまで静かに待っていようか」

 

「イッセー兄ちゃん! 絶対、絶対だよ!」

 

 ミゲル君から何度も念を押されてしまったので、僕はしっかりと頷いてみせた。こうしたやり取りを見て頃合いと判断したのか、シスター・グリゼルダは改めて僕に声をかけてきた。

 

「これで天界に入る人員が全員揃いましたので、天界への道を繋ぎます。よろしいでしょうか?」

 

 シスター・グリゼルダから許可を求められた僕は、天界への道を繋ぐように頼む。

 

「了解しました。では、シスター。よろしくお願いします」

 

 僕が了解の意を伝えたのを受けて、シスター・グリゼルダは跪いて祈る姿勢になるとそのまま聖書の一句を唱え始めた。おそらくはそれが天界への道を開く為の呪文なのだろう。シスター・グリゼルダが天界への道を繋ぐのを待っていると、今度は歩君が僕に質問してきた。なお、歩君の姓は薬研(やげん)といい、クローズやミゲル君と同い年で少し泣き虫な所があるが心根の優しい男の子だ。

 

「そう言えば、イチ兄ちゃん。イチ兄ちゃんって悪魔の力を持ってるけど、このリストバンドを着けなくても大丈夫なの?」

 

 歩君からそう尋ねられた僕は、答えとしてリストバンドを使う必要がない事を伝える。

 

「僕はリストバンドを使わなくても大丈夫だよ。悪魔の力を自分で抑える事ができるからね」

 

 要は、逸脱者(デヴィエーター)である事を隠していた時に天使の翼と光力を抑えていた様に悪魔の羽と魔力を抑えてしまえばいいのだ。そもそも単に悪魔の羽と魔力を抑えるだけであれば、アウラに魔力を預けてC(カーディ)×(ナル・ク)C(リムゾン)()L(ロウ)まで持っていく必要はない。アウラ専用の白いワンピースのサイズを六歳児用にしたのもその為だ。

 

「イチ兄ちゃん。だったら、その証拠を見せて」

 

 ただ、僕の答えだけでは満足できなかったらしく、歩君はその証拠を見せてほしいと言って来た。状況によっては二度と僕と会えなくなっていたかもしれないという事実が相当に堪えていたらしく、その表情には不安の色がハッキリと出ていた。

 

「解ったよ、歩君」

 

 僕は天使の光力とドラゴンの赤いオーラで包み込むイメージで悪魔の魔力を抑え込むと、そのまま龍天使(カンヘル)の証である天使の輪(エンジェル・ハイロゥ)と天使の翼、そしてドラゴンの羽を展開する。その色はC×C・Lの時と同様に赤と金の入り混じったものだ。

 

「わぁっ……!」

 

 僕の龍天使としての姿を見た歩君が感嘆の声を上げるのを聞いた僕は、歩君に確認を取る。

 

「これで安心できた?」

 

「ウン!」

 

 笑顔で大きく頷いてみせた歩君の姿に、僕は今度こそ孤児院の皆から不安を払拭できたという確証が得られた。こうしたやり取りを交わしていると、この地下室の床に描かれた魔方陣から光が発せられ、白一色の巨大な両開きの扉が現れる。そして、現れた扉は音を立てながらゆっくりと開かれていく。

 

「さぁ、どうぞ」

 

 シスター・グリゼルダが門を潜る様に促してくるので、ストラーダ司祭枢機卿に先導される形で僕達は門を潜っていく。その先には白い空間が広がっており、全員が入り終わると足元に金色の紋様が浮かび上がり、そのまま輝き出した。そして、全身が上空に勢い良く放り投げられた様な感覚を受ける。

 

「この浮遊感、まるで……!」

 

 突如として受けた浮遊感から、僕はゼテギネアにおいて対象を高低差を無視して移動させるジャンプウォールを使ってもらった時の事を思い出していた。この魔法は城壁や崖の上といった高所を制圧する上で非常に重要な魔法であり、アレがなかったら被害は倍近くにまで膨れ上がっていた筈だった。

 ……浮遊感一つで随分と物騒な過去を思い出してしまった僕は、思わず苦笑してしまった。そこにイリナが話しかけてくる。

 

「これは天界直通のエレベーターで、元々は天使用なの。ただ、イッセーくんに付きっきりでミカエル様への報告も特別に用意してもらった通信を通してやってた私はまだこれを使った事がなかったの。だから、実はちょっと楽しみだったのよ」

 

 何気に天界入りが初めてだというイリナからの説明で、僕は浮遊感の理由に納得した。遥か上空にある天界まで直通で移動しているという意味において、この移動手段は確かにエレベーターと呼ばれるべきだろう。やがて浮遊感がなくなると同時に、僕達は雲の上に出ていた。ただ見上げた空の色は青ではなく、白く輝いている事から通常とは異なる世界である事がハッキリと解る。そして、僕達の目の前にはエレベーターに通じる扉より更に巨大で荘厳な造りの門があった。あの地下室からほんの数秒程度でガラリと変化した光景を目の当たりにした事で、アーシアや子供達は呆気に取られているが、その驚きが治まる間もなく目の前の門がゆっくりと開いていく。

 

「ようこそ、天界へ。私達は兵藤親善大使を始めとする皆様のご来訪を心より歓迎します」

 

 開かれている門を背にしたシスター・グリゼルダが僕達への歓迎の言葉を述べてきた。

 

 ……この天界訪問が聖魔和合の完成に向けての新たな一歩となる。その大事な一歩でいきなり躓かない様に気をつけないといけないな。

 

 シスター・グリゼルダからの歓迎の言葉を受けて、僕は新たに気を引き締め直した。

 

 

 

Side:レイヴェル・フェニックス

 

 ……思えば、随分と遠い所までやってきたものですわ。

 

 俗に言う天国にあたる第三天で武藤神父や孤児院の子供達と別れた後、私達はストラーダ猊下とシスター・グリゼルダの案内でミカエル様を始めとする熾天使(セラフ)の方達がお待ちである第六天へと向かっている所です。右手でドゥン殿の手綱を引きながら左手でアウラさんと手を繋いでいる一誠様やその隣に寄り添っているイリナさんの後ろからアーシアさんとゼノヴィアさんの二人と一緒に天界の奥へと進んでいく中で、私は一誠様と出逢う前の自分と今の自分を比較していました。

 ソロモンの七十二柱に数えられる程の名門であるフェニックス家の令嬢として生まれた私は、貴族たる上級悪魔として相応しくあろうと日々努力していました。……一誠様と出逢った事で本当の自己研鑽とはどういったものなのかを目の当たりにした今となっては、それこそ恥ずかしくて穴があったら入りたいくらいにお粗末なものでしたけど。そうしていつかは一人前の淑女(レディ)となって何処かの名家に名を連ねるお方へと嫁ぎ、そして名族たる純血悪魔の血を次代へと繋ぐという貴族としての義務を果たしていくのだろうと、漠然と思っていました。

 ……それが、今では三大勢力の和平と共存共栄を謳う聖魔和合の象徴である聖魔和合親善大使の補佐役を務めているのですから、未来は本当に解らないものです。しかも、その聖魔和合親善大使を務める事から魔王様の代務者に任じられたのは、私より一つだけ年上で悪魔勢力に所属してからまだ四ヶ月も経っていない一誠様。仮に少しだけ昔の私がこれらの事実を聞いたとしても、昔の私はきっとまともに話を聞こうとはしなかったでしょう。それだけ、ほんの二、三ヶ月前までは想像すらできない事でした。

 そして今、純血悪魔の貴族の一員である私がこうして天界の重要区域へと向かっている。この事実こそ、聖魔和合がけして建前などではない事の何よりの証です。でも、一誠様はここで終わりにする事はけしてなさらない筈。それどころか、今まで見た事のない新しい時代をこれからも作り上げていく事でしょう。私は、そんな一誠様のお側でずっとお手伝いをしていきたいのです。そうする事で一誠様との関係をより親密なものへと進めていき、ゆくゆくはイリナさんやエルレ様と同じ様に……。

 

 私が一誠様の背中を見つめながら将来の幸せを勝ち取る為に色々と策を講じていると、一誠様が突然私の方に振り向かれて私のおでこに軽くデコピンをしてきました。本当にコツンと軽く当てただけなので全然痛くはないのですけど、余りに意外な事を一誠様からされたという事で私が呆気に取られていると、一誠様が私を軽く叱り始めました。

 

「レイヴェル、天界で変な事を考えたら駄目だよ。今、もう少しで堕天防止装置が発動するところだったんだからね」

 

 ……あっ。

 

 昨日、天界に向かう際の注意事項として一誠様と一緒にイリナさんから受けた説明の内容を思い出した私は、顔が一気に熱くなりました。他の方から見たら、今の私の顔はきっと火が出そうなくらいに真っ赤な筈です。そんな私の様子が気になったのか、アーシアさんが堕天防止装置について一誠様に質問しました。

 

「イッセーさん。今イッセーさんが言った「堕天防止装置」とは何なのですか?」

 

 このアーシアさんの質問に対して、一誠様は優しく答えてくれました。……ですが、それは私にとってはある意味死刑宣告となるものなのです。

 

「僕も昨日イリナからさわりだけ教えてもらったばかりでまだ詳しくは知らないけど、簡単に言えば天界で余りに煩悩塗れな事を考えると、いわば天界式の魔方陣の様なものが発生して煩悩を抑制する様になっているんだ。それで今、レイヴェルの周りに天界の力が集まりつつあったから、レイヴェルの気を紛らせようと思って軽くデコピンしたんだよ」

 

 ……そう。つまり、私がここでよからぬ事を考えていた事が明らかとなってしまい、それをよりにもよって一誠様から説明されるなんて、もう恥ずかしくて堪りません。これならいっそ一誠様に厳しく叱って頂いた方が余程マシです。そうして私が余りの恥ずかしさに悶絶していると、アウラさんが私に一切の穢れのない澄んだ眼差しで私に問い掛けてきました。

 

「それでレイヴェル小母ちゃん。パパの背中をジッと見つめてボーっとしてたけど、一体どうしたの?」

 

 ……お願いですから、これ以上はもう勘弁して下さいませ。

 

 私が一誠様に対して煩悩塗れな事を考えていた事がアウラさんによって暴露されたも同然な事態に陥り、私はもう顔を上げられなくなってしまいました。すると、ゼノヴィアさんとイリナさんが助け船を出してくれました。

 

「アウラ、そこまでにしてやってくれ。これ以上は流石にレイヴェルが可哀想だ」

 

「ゼノヴィアの言う通りよ、アウラちゃん。女の子にはね、男の子に知られたくない事がいっぱいあるの。アウラちゃんだってそうでしょ?」

 

 お二人から窘められたアウラさんは、少し悩んでから自分の考えをイリナさんに伝えました。

 

「う~ん。……あたし、ママの言ってる事がまだ良く解らないけど、ミリキャス君やリシャール君にはあたしの恥ずかしい所を余り見られたくないって思うのと同じ事なの?」

 

「えぇ、その通りよ。アウラちゃんが今感じた事と同じ事をレイヴェルさんも感じているの。だから、これ以上は、ねっ?」

 

 イリナさんがアウラさんの感じ方が正しい事を伝えると同時にこれ以上の追及は止める様に促すと、アウラさんは納得したみたいでこれ以上は特に尋ねてはきませんでした。

 

 ……既にアウラさんのお母さんが板についているイリナさんには、こうした所においては到底敵いません。それはもう素直に認めるしかありません。尤も、だからと言って一誠様を諦める気は毛頭ありませんけど。

 

 そうして色々と恥ずかしい思いをしつつも私達は天界の中を進んでいき、ついに熾天使の方達がお待ちになられている施設に到着しました。シスター・グリゼルダは入口で待機していた門衛の天使の一人に熾天使の方達への取り次ぎを頼んでいます。こうして施設への立ち入り許可を頂くのを待っていると、ドゥン殿が感慨深げに話を始めました。

 

〈思えば、随分と不思議な事もあるものですな。まさかただの老いぼれた馬に過ぎない私が十字教の敬虔な信者であられたアーサー様を差し置いて天使の長であるミカエル様にお目通りする事になるとは、正直思いもよらなんだ。いつか私が天寿を全うしてアーサー様との再会が叶った暁には、せめてものお詫びとしてこの時の事をお話しせねばなりませんな〉

 

 確かにいかにアーサー王の愛馬とはいえ、通常であれば天界に入る事はまず叶いません。ですけど、アウラさんを通じてアーサー王の正統な後継者である一誠様と出逢い、アーサー王の語り部という新たな使命を示された恩に報いる為に一誠様の乗騎を務める事になった事で、こうして天界に入り、更には天使の長であるミカエル様に謁見する事になりました。

 ……一誠様と出逢った事で運命が大きく変わったという意味では、ドゥン殿は私と同じでした。ですので、先程まで考えていた事をそのまま話します。

 

「今こうしてこの場に立つ事になるとは思いもよらなかったのは、私もですわ。ほんの二、三ヶ月前まではけしてあり得ない、正に夢物語でしかありませんでしたもの」

 

「ドゥンやレイヴェルだけではないよ。それはこの場にいる全員が感じている事だ。ただ、思いもよらなかった事の中身については人それぞれだけどね」

 

 私の言葉に応じる形で一誠様が話に加わって来ましたけど、確かにその通りであると思いました。シスター・グリゼルダやストラーダ猊下も同じ事をお考えになられたみたいです。

 

「兵藤親善大使の仰せの通りですね。私も天界と冥界が本当の意味で和平を結ぶという事は夢想だにしていませんでしたし、こうして悪魔の方を天界の重要区域まで案内しているなど、少し前の私が聞けば即座に神罰を下そうとしていた事でしょう。未来とは本当に解らないものであると、最近は(とみ)に思います」

 

「私もこの歳になって初めて本当の意味で(ともがら)と呼べる者と刃を交えて心から満足すると同時に、もはや老い衰えていくのみの我が身を悔やむ事になった。私もまだまだ精進が足りぬという事だが、それ故にこの老骨にもまだ成長する余地がある事でもあり、それがとても面白いと思うのだよ。フェニックスの姫君」

 

 お二人のお言葉を聞いて、私は自分の世界がまた少し変わったのを感じました。今まではとても強くて恐ろしい敵でしかなかった筈のお二人ですが、こうして同じ様な思いを抱けるのであればけして解り合えない訳ではないのだと。一誠様のお側に居続ける限り、私の世界はきっとこれからも変わり続けていくのでしょう。ひょっとすると、この変化は純血悪魔あるいは貴族としては相応しくないのかもしれません。ですけど、私は変わっていく自分の事を忌避する事などもはやできそうもありませんし、しようとも思いません。

 

 何故なら、私は悪魔。一誠様と共にありたいという欲望に忠実たらんとする者であり、その為にならいくらでも変わっていきたいと心から思っているのですから。

 

 ……施設への立ち入り許可が下りて熾天使の方達にお会いできたのは、私が今の自分の在り方を確認し終えてから十分ほど後の事でした。

 

Side end

 




いかがだったでしょうか?

世界が変われば、そこに住まう者もまた変わっていきます。ただし、その変わり方は人それぞれです。

では、また次の話でお会いしましょう。

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