少女よ、大志を抱け 作:七瀬 凌
最近、エースがおかしい。
何がおかしいかって、言動が、だ。僕がここに戻ってきてから、過保護になった。少しエースの目の届かないところに行こうとしただけで「どこに行くんだ」とか、「俺の側から離れるな」とか、口うるさい。
一度、死んだと思われるほどのことがあったからだと思うけど、正直なところそこまで心配されるほどじゃない。僕だって、もう何もできない子供ではないのだから。そんな不満がたまっていた。
だから、だと思う。
「おいレム、どこに行くんだ?」
「どこでもいいでしょ」
そう投げやりな返事をしてしまったのは。
「どこでもいいわけねぇだろ。俺もついてく」
「来ないで!」
そう、怒ってしまったのは。
「なんだよその言い方、人が心配してんのに!」
「心配してなんて頼んでない!最近変だよエース…僕のこと何もできない子供みたいに扱って。僕はもう子供じゃない!自分の身は自分で守れる!」
「守れないから死にかけたんだろ!!」
そう怒鳴ったエースに、ぎゅっと拳を握りしめた。あれは確かに僕の実力不足だったかもしれない、でもあのとき死にかけたとしても何もしないで見過ごすのは許せなかった。敵わない相手かどうかなんて、問題じゃなかった。それでも敵わなかったのは事実で。考えれば考えるほど、悔しくて目頭が熱くなる。
「エースのバカっ」
そう言って家を飛び出した。
「おいレム!!」
本気で姿をくらまして、エースから逃げた。
「はぁ、はぁ…なにしてんだろ」
時間が経って冷静になると、自分がしたことの愚かさに大きくため息をついた。エースは僕を心配してくれていたのに、それを無碍にして逃げてきてしまった。
ーーいや、それでも僕は僕が許せなかった。
自分がまるで、エースの足かせになっているように思えてならなかったのだ。獲物がくれば僕の前に立って怪我をさせないようにしたり、少し怪我をしただけで本気で心配させたり。
「僕が男だったらよかったのにな…」
そうすれば、きっとエースもこんなに心配することはなかっただろう。そう考えながら、人気のない場所を歩く。
「ーー海賊王の子供がこの島にいるって噂知ってるか?」
ざわり、心が波立った。これはおそらく、エースの話だ。エースは海賊王の息子だと、随分昔にエースに聞いたことがある。海賊王の息子なんて、素直にすごいと思った。
「もしそんなのがいたら、死刑だな」
「捕まえたらがっぽり儲けられるんじゃねぇか?」
下品な声で笑うやつらに、血の気が引いた。エースに向けられた悪意。
「死ぬときは言ってほしいな。”生まれてきてごめんなさい”ってよ」
「そりゃいいぜ。海賊王の息子なんて、生きてるだけで罪だからな」
ゲラゲラと笑う声。爪が食い込んで、血が滲むほど固く拳を握りしめる。その誹謗中傷に、自分の中の何かが切れる音がした。
「お前らなに勝手なこといってんだ!ふざけるなよ!」
「あ?なんだガキ…」
どうしても、許せなかった。なぜエースがそんな言われ方をされなきゃならない。生きてるだけで罪だなんて、おかしいだろ。エースはあんなに優しくて、あんなにいいやつなのに。
がむしゃらに暴れまくり、男たちを傷つける。自分がどれだけ怪我をしようと構わなかった。
「ったく、手こずらせやがって」
「よく見りゃなかなか可愛い顔してんじゃねぇの」
片手で首を掴まれ、持ち上げられる。
「は、なせっ!!」
両手でその手を離そうとするが、ビクともしない。
「ガキが大人に刃向かおうなんて、無謀にもほどがある。もっと利口に生きたほうがいいぜ?今俺に土下座して謝るってんなら、許してやってもいい」
「だ、れが…そんな、こと…」
「レム!!」
その声の主に、びくりと肩を震わせた。怖いからとか、そういう理由ではない。この男たちが彼を貶していたのを、本人に知られたくなかった。
「なんだ?嬢ちゃんの仲間かァ?」
「あぁ、そうだ」
迷うことなく、エースはそう言い切った。
「それならちょうど良い。この嬢ちゃんが俺たちに歯向かってきたのに、全く反省の色が見えねぇんだ。代わりにお前が土下座しろ」
「なっ、そんなの、おかしいだろ!!」
「まだそんな大声出せたのか」
首を絞める力が強くなって、息も絶え絶えになる。それでも男を睨みつけることをやめなかった。絶対に許さない、その気持ちだけで意識を保っていた。
「…すみませんでした。レムを、返してくれ」
エースは男たちに土下座した。
「なん、で…」
「ほぅ、なかなか聞き分けがあるじゃねぇか。でもまだ頭がたけぇよ」
ガッとエースの頭が地面に押し付けられる。
「エースっ…」
エースは逃げも刃向かいもしなかった。殴られても蹴られても、ジッと耐えていた。男たちは泣きも叫びもしないエースの態度に飽きると、僕を投げ捨てるように放って酒を煽りながらどこかへ消えていった。
「っ、げほっ…」
「レム、大丈夫か?」
エースはすぐに駆け寄ってきた。その額は赤く腫れている。
「あいつらっ、許さないっ…」
悔しくて悔しくて、たまらなかった。
「いいから、やめろレム」
そう言って声の主ーーエースは今にも飛び出して暴れそうな僕の身体を羽交い締めにした。
「離してよ、エース!あいつら、ぶっ飛ばしてくる」
「俺のためっていうなら、そんなのいらねぇよ。帰るぞ」
エースには全てお見通しらしかった。有無を言わせない強さで腕を引かれ、それについていく。日は暮れ始めていて、空に星が瞬いている。
「どうせ俺の悪口でも言ってたんだろ。あいつら、酒に酔うとその話ばっかしやがるんだ」
「知ってたのか?」
「まぁな」
それならなおさら、あいつらに頭をさげることはエースにとってこれ以上ないほど屈辱だっただろう。
「僕の、せいで…」
僕があいつらに捕まっていたから、エースがその尻拭いをする羽目になったのだ。自分が、みじめで情けなかった。怒りに身を任せたばかりに、自分の手に負えなくなってエースに迷惑をかけるなんて。
「ーーありがとうな、レム。俺のために怒ってくれて」
「そ、んな…僕のせいでエースは!」
「あんなのどうってことねぇよ。そんなことより、レムが無事で良かった。これに懲りたら、俺がいないところで無茶するんじゃねぇぞ。ダダンにその怪我見てもらわねぇとな」
あぁ、どうしてエースはこんなに優しくて、強いのだろう。泣きそうになって、俯いた。エースはピタリと足を止めた僕の方を振り返り、口を開く。
「なぁレム、お前はおれのことが嫌いか?」
「なに言ってんだよ。大好きに決まってんだろ」
エースもおかしなことを聞くものだ。好きじゃなきゃ、こんなに一緒にいない。エースは僕の返答を聞くと、ケラケラと笑った。
「おれはお前がそう言ってくれるから、平気でいられるんだ。ありがとうな、レム」
その瞳が、やけに大人びて見えてた。
「…さっきは、悪かった。逃げたりして」
「別に構わねェよ。おれはお前がどこにいようと、必ず見つけられる自信があるからな」
「なんだそれ」
エースの発言に苦笑すれば、エースは自信ありげに笑った。
「だってレムは、俺の嫁だからな」
「またそんなこと言ってんの?」
懲りないやつだ。あれだけ断固拒否しているというのに、当然のように言ってくるとは。
「何度だって言ってやるさ。これは決定事項だからな」
珍しく難しい言葉を使ったエースに、これ以上何を言っても無駄だろうと思いため息を吐く。
「レム、顔上げろよ」
エースの声に、俯き気味だった顔を上げる。それと同時に、額に何か生暖かいものが当たった。”それ”がなんだか理解した瞬間、全身からドバッと汗が噴き出す。
「なっ、何してんだエース!!」
「顔真っ赤だぜ、レム」
僕が振り上げた手をヒョイっと避け、さっさと走り出す。僕は怒りながら、その背中を追いかけた。