1973年 5月 月面基地 プラトー1
国連軍がBETAの地球襲来を受けて月面からの撤退が決まってから約10日の時が流れた。
既に各国の国軍は撤退を完了し、残った兵は御剣少将率いる帝国宇宙軍のみだった。
月面にはおびただしい数の巨大クレーターがいくつもできていた。
マスドライバーによる長距離投射爆撃。
磁性をもった月の砂「レゴリス」が大量に巻き上がり、長時間の月雲が引き起こされることによる電波障害から使用を禁止されていたその兵器を人類側は使うしかなかった。
日本帝国軍はレゴリスによって地球との交信が絶たれ、完全に孤軍となっていた。
もうすぐ地球にそして帝国に帰れる予定だった。
だが、灰色の地平が赤く染まる程の大群がプラート1を取り囲んでいた。
既に戦線は開かれ、数多くの兵が犠牲となっていた。
脱出するのが、先かそれとも喰われるのが先か。
戦い時間を稼ぐ隊と先に艦へと逃げる隊と軍は二分された。
戦う隊の出身はほとんどが斯衛出身の武家の者達だった。
武家たるもの常に民の刃であり、鎧でなければならない。
帝国軍も元は国民。
国民を逃がすために命を懸けるのも務めの一つだと彼らは信じた。
機械化歩兵装甲ハーディマンを装着した兵士が重火器を放ち、戦車級の体液が月の大地を汚す。
大気のない月では爆風による破壊は効果が薄い。BETAに対してより大きな弾をより速く敵へと放つことが最大の効果を上げることになる。
宇宙服を着た兵士の頭部を背後から敏捷な動きで迫ってきた闘士級の象の鼻に似た前足が食い込み、引き抜いた。
「この化け物どもがあああああああああ」
基地の周囲に設置された地雷が突撃級の群れに襲いかかるが、それも一時しのぎにしかならない。
倒れた突撃級を迂回して新たな突撃級が基地へと前進を進める。
基地内部へもBETAが侵入し、基地内にも火の手があがった。
「プラトー1を放棄して、駆逐艦に乗り込め!」
最後尾で前線の指揮を執っていた雷電の指示で時間を稼いでいた兵達も駆逐艦へと急ぐ。
逃走中、副官が雷電に呼びかける。
「少将! 最前線の隊が奴らの群れに取り囲まれているようです! 救援に行きますか?」
雷電は選択を迫られた。
全軍を危険に晒して前線の兵を救うか? それとも見捨てるか?
将として全滅だけは避けなければならない。
「どこの隊だ?」
「……ご子息の隊です。」
最前線で激戦を繰り広げている隊は雷電の息子である大尉が率いている隊で雷電の斯衛時代の部下の者達だった。
最前線の部隊を残して駆逐艦は全機月面を離れた。
眼下のプラトー1が少しずつ小さくなっていく。
その時、通信が入った。月面に残していった御剣大尉の部隊からだった。
「司令部聞こえるか?」
雷電以下兵達が通信機へと駆け寄る。
「大尉! 隊の状況は!?」
通信兵が御剣大尉へと呼びかけた。
「通じたぞ!」
通信機ごしに弱々しい周りにいるであろう兵の声が聞こえる。
「こちらは基地の隔壁を閉じて、なんとか凌いでいる状態だ。」
御剣大尉の隊はBETAが沸き返る基地の一室に閉じ込められたようだ。
「救援は頼めるだろうか?」
御剣大尉は救援要請を司令部にするために通信をしたのであった。
駆逐艦内に重苦しい空気が立ち込める。
現在、彼らを救えるような戦力など月面には無い。
「……儂が伝えよう。」
「…少将。」
雷電が通信兵と位置を変える。
「大尉。こちら御剣少将だ。」
「父……少将ご無事でしたか」
父親の態度に将としての言葉と理解して言い換えた。
「大尉。残念だが我等には貴隊を救う時間も戦力もない。」
「…………………」
告げられた。宣告に絶句する大尉。
沈黙の後、大尉が言葉を絞り出す。
「………父上。お願いがあります」
「なんだ?」
「……BETAに食い殺される日本人は我等で最後にしてもらいたい。」
震える声で懇願する息子の声に雷電は言葉を出せなかった。
「地球に降り立った奴らを一匹残らず根絶やしにし……」
「………全力を尽くそう」
雷電がそう告げると少しの間があり、大尉側から通信が切られた。
「マスドライバー施設との通信は回復したか?」
「はい!」
磁性レゴリスの通信障害から駆逐艦は解放されていた。
「マスドライバーでプラトー1を爆撃しろと命令しろ」
「!? 少将!?」
「英霊たちの血肉の一片すら奴らには渡さん!」
しばらくしてマスドライバーからの爆撃がプラトー1へと放たれた。
磁性の砂が巻き上がり、プラトー1を砂煙で隠した。
その光景を雷電は唇を噛みしめながら見つめていた。
雷電は自分の無力さを痛感し、かけがえのない存在を失ったのだった。
1983年 1月15日 月面
未確認兵器が確認された9日から13日という5日間。
月面のハイブは絶え間なく活動し、何かを絶えず射出していた。
だが、14日を迎えるとそれが嘘のようにぴたりと活動を停止した。
最後に月面ハイブから飛んでいったモノは火星に落ちた。
御剣雷電中将の乗った駆逐艦が月重力下に入った。
月の裏側と表側の境目にある人工建造物目がけて駆逐艦が進行する。
「本当に月に人工建造物が…………」
月詠大尉が目を見開いた。
「よし………付近にBETAはいないな。あの建造物の200メートル地点に着陸させろ」
雷電が指示を出して、駆逐艦が月に着陸する。
「まさか…生きている間にまた月に立つ時が来るとはな……………」
そう言った雷電は将軍より賜った深紅の斯衛軍の強化装備を身にまとっていた。
「中将? まさかご自身で探索に出るおつもりですか?」
「無論だ。武家たるもの常に先陣に立たねばならん。国連軍に渡るときに陛下より戴いたこれがようやく役に立つ時が来た。」
雷電がその上から宇宙服を着る。
「よいか。儂が単機であの建造物に乗り込む。3時間して戻らなかった場合アレは敵じゃ。
儂を置いて地球圏に帰れ。」
「しかし中将!」
「意見は許さん。武装はこれだけ持っていく」
雷電中将は皆琉神威を持つと船外へと出て行った。
月詠大尉は艦からその姿が見えなくなるまでずっと敬礼を続けていた。
「大尉。なぜずっと敬礼をしているのですか?」
一人の軍人が月詠大尉に尋ねた。
「中将はおそらく死ぬ気だ。」
「え!?」
「中将はずっとご子息を残して月を去ったことを後悔していた。ご子息の眠る月で逝きたいのだと思う。」
「ではなぜ? 武器を?」
「中将は後継者に未だ至っていないとしてご子息に宝刀の継承をしていなかった。常世で継承するには皆琉神威が必要であろう。」
「そんな……なぜ止めないのですか?」
「止められるはずがない! ようやく月に来られたのだ。私に中将の悲願を邪魔することなどできない!」
問いかけた軍人は絶句する。構わず月詠大尉は続けた。
「中将は懸けていらっしゃるのだ。赤い戦鬼が味方の場合は生きて我等の元に帰る。赤い戦鬼が敵の場合は月で果てる。どちらにしても中将にとって損はない。」
次第に震えてくる月詠大尉の声に誰ひとりとしてその判断に異を唱える者はいなかった。
「我等にできるのは………中将が戻ってくることをここで祈るだけだ。」
「どう見てもこの建造物は基地じゃな…」
白亜の建造物へと侵入する雷電。
3重にもなった扉を抜けると広い空間に出た。
宇宙服が空間に酸素が十分あることを告げたので、宇宙服を脱ぎ強化装備となる。
巨大な赤い物体がそこにはあった。
「これが……赤い戦鬼か。」
赤い戦鬼は無機質な無人のドッグで佇んでいた。全体的に赤だが胴部は白、腹部は黄色のカラーリングがなされている。
はたしてコレは人類の敵なのか? 味方なのか?
赤い戦鬼に目を取られていた御剣雷電が皆琉神威に手をかける。
いつのまにか隠そうとしない殺気が辺りを充満していた。
その瞬間。死角から何かが襲いかかってきた。
雷電は紙一重でその一撃を避ける。
「せっかく静かになってきたと思ったら……なんだテメエ!」
それはまるで囚人のようないでたちをした大男だった。
(日本語?)
その大男が雷電に飛びかかりながら蹴りを放ってきたのだった。
「ああ? テメエ!? 人間か? 変な恰好しやがって!!」
その剥き出しの殺気に雷電は皆琉神威の切っ先を向ける。
「ヤル気か? 俺と? ジジイだからって手加減しねえぜ! 俺は年寄りがこの世で二番目に嫌いなんだよ!」
雷電は猛獣に襲われたような心地だった。
相手が人間だということに少しも安堵を感じることができなかった。
男が目にも止まらぬスピードで雷電へと襲いかかる。
だが、大人しくやられる雷電ではない。
「ハァ!」
皆琉神威の白刃が疾走する男へと奔る。
男はなんとその剣に反応し、避けて浅く雷電の体に拳を撃ち込んだ。
「ぐ……」
強化装備の上からの打撃とは思えない信じられない重さだった。
これが強化装備無しだったら。
(いや! たとえ強化装備を着ていようが芯を捉えられたなら…)
「はあああああ!!」
今度はこちらから仕掛ける。
皆琉神威の白刃が縦横無尽に男に襲いかかる。
「見切ったぜ! ジジイ!」
男が身軽に雷電の攻撃を避け、接近して浅く雷電の体に拳を打ち込む。
「ぐ………」
雷電が身をよじる。
(信じられん。我が剣技を二度も避けるとは……)
否……男の体と衣服には確かに皆琉神威による斬撃の後があった。
(この男。紙一重で我が刃を……)
男の殺気に気おされていたとはいえ強化装備に武器まで持っていたという余裕のあった雷電は認識を改めざるをえなかった。
(殺される。全力でいかなければ殺される。)
雷電は皆琉神威を鞘にしまうと抜刀の構えをとった。
流竜馬もまた同様に驚いていた。
自分の2倍は生きていそうな老体が自分のスピードに対応してきたのだった。
その証拠に竜馬の頬には幾つも赤い線が走っている。
日本刀に襲われるという経験がなかったなら真っ二つにされていただろう。
竜馬はあの「全て」が始まった日を思い出す。
父親の流一岩の道場開きを阻止したジジイ共に鉄槌を……父親の仇を取ったあの日を。
早乙女博士にゲッターのパイロットとして見初められたあの日を。
(あの雨の日に感謝する時が来るとはな)
妙な甲冑のジジイが鞘に刀をしまうと猛烈な殺気を放ってくる。
(今、飛び込めば首が飛ぶのは俺の方だ)
先に手を出した方が死ぬ。
竜馬も雷電もお互いがそれをわかっていたから二人はそのまままるで世界が静止したように動きを止めた。
その静寂を突然サイレンが破った。
「まだいやがったのか? 虫野郎!」
竜馬はゲッター1にまるで猿のような乗りこなしで機体に上がると、コックピッドを開いた。
「ジジイ!! 続きは後だ!」
竜馬がゲッターロボに乗り込み、月面へと出撃した。
一人残された雷電は緊張をとく。
滝のように体から汗が噴き出していた。
極度の緊張から解放されて膝をついた。
あれは本当に人間なのか?
「一体……奴はどこへ?」
ドックの中に外の様子のわかるモニター室があった。
そこで見たものに雷電は衝撃を受けた。
駆逐艦を囲んでいた戦車級を赤い戦鬼が叩き殺していた。
戦車級は駆逐艦から離れ次々に赤い戦鬼を取り囲む。
赤い戦鬼の中央部から光が漏れたかと思うと光線が出てBETAを焼き尽くした。
しかもそれは光線級のような一瞬ではなく、断続的に出る光線だった。
ものの数十秒。BETAは駆逐艦の側からいなくなっていた。
雷電はその姿―BETAをまるで虫けらのように潰す赤い鬼の姿に魅せられていた。
この力があれば確実にBETAに勝てる。
忘れていた何か……自分の中に熱い衝動が走るのを雷電は感じ取れた。
そっと皆琉神威―亡き息子と逝った部下に向けて呟く。
「すまんな。まだそっちにはいけそうにない。儂の死に場所はここではないようじゃ」
10年の時を超えて御剣雷電の心に再び火が灯った瞬間だった。
竜馬編 3話 終