ざわ……
街を行き交う人々の視線が集まる。
「うぅ……」
その先にはベルがいた。
頬にキスマーク、白い癖ッ毛は方々へ飛び跳ね、何故かウサミミをつけ、目が死んでいる。
『やだっ、この子可愛いじゃない!? アタシとイイコトしましょ?』
と男に襲われかけ、
『兎さん、お耳がないわよ? 外したら尻尾も着けちゃうからね』
と女に無理矢理つけられた結果だった。
憐れみを誘うその姿に、しかし、歩み寄る人はいない。
ニヤニヤと、その先を歩く男、セイルがいたからだ。
「いやー、なかなかいいとこが見つかんねーなぁ」
誰か、誰かあの少年を助けてやってくれ。
そんな願いは珍しく、割とあっさり叶うことになった。
「団長様?」
大きなバックパックを担いだ、パルゥムの少女が、男に声を掛けたのだ。
口元は引き攣り、目付きも険しい。
「何やってんですか? え、何やってんですか?」
なんて勇敢な少女なのだろう。
人々は今、英雄を目撃していた。
「いや何、田舎から出てきたばかりの少年に、この街の手ほどきをな」
「遊び転がした様にしか見えませんが?」
「誤解だ。俺は──」
「今すぐその方を解放して、洗いざらい話さない場合」
「……場合?」
「リュー様に言い付けます」
その言葉に、セイルの顔が強張る。
「容赦なくシバいていただけるよう、リリは懇切丁寧に団長様の所業をご報告いたします」
少女……リリルカはにこやかな笑みを浮かべる。
セイルはカイト同様、レベル1では非常識なほど強いが、レベル4で元凄腕であるリューには一対一では敵わない。
以前、路地裏で似たような現場を見つかり、ゴミのように転がるセイルをホームまで運んだのは、リリルカとカイトだ。
……その癖、その日の夜に行った『豊穣の女主人』では何食わぬ顔で酒を注ぎ、注がれ言葉を交わすのだから、イマイチ理解できない関係ではあるが。
「どうせ今日だって、あの方とは遭遇しないように行動されていたんですよね?」
「落ち着くんだアーデ、冷静に──」
「そういう姑息なところがあると、カイト様がおっしゃっていました」
ねえ? と目線をセイルの後ろへやる。
「姑息というか、安全策をそれとなく取るのが巧かったな。それで何度も助けられた」
一応はフォローしようという感じの声が返ってきた。
「と……カイトじゃねえか。元気でやってる?」
振り向いたセイルは、そこに戦友の姿を見た。
黒髪に黒目、胸部は鉄製の軽鎧に覆われ、腰元には黒い剣。どこからどう見ても冒険者といった風体をした男だ。
「ぼちぼちだ。まだ慣れないことも多い」
「ま、取り敢えずは順調そうで何よりだよ」
安心した──そう呟いて、セイルはポケットに両手を突っ込んで歩き出した。
髪を揺らす風に、空を見上げる。
あまりに蒼い空。
浮かぶ雲さえもが、セイルには眩しかった。
自分がそんな心境になるなんて、と、自嘲気味に笑うと、一人帰路へと──
「行かせるわけないですよね? リリを小馬鹿にしてるんですか?」
死にます? 死んじゃいます?
そんな副音声が聞こえそうなほど、黒いオーラを立ち昇らせるリリルカに止められた。
「おま、今どう見てもエピローグ最終行な空気だったろうが」
引くわー、その無粋な突っ込みに引くわー、と、目が言っていた。
「セイル」
カイトの声が、厳かに響いた。
「兄弟、この不調法なレディに言ってやってくれ、俺は──」
「瀕死か半殺しかリリの言う通りにするか、選んでいいぞ」
「ア、ハイ」
かくして、ベル・クラネルはようやく悪魔の元より解放される運びとなった。
………
……
…
「災難だったな」
露店で買ってきた果実水を手渡しながら、カイトはベルの隣に腰を降ろした。
場所は街中より移り、傍にあった広場のベンチである。
「あ、ありがとうございます」
憔悴しきった風なベルは、それを一息に飲み干すと大きなため息を吐いた。
「まあ、なんだ。運が悪かったと思って諦めてくれ。つまずいて転んだら落ちてたゴミに顔から突っ込み、それを好きな女に見られたあげくその子は別の男とデート中だった、くらいの」
「自殺するほど……」
「ちなみに元部下の実話だ」
「凄惨過ぎる!」
思わず涙が零れそうになる。
そうか、自分などまだまだだ。
ベルはあまり褒められない類の立ち直り方を果たした。
「セイルから聞いたが、冒険者になりにこの街へ?」
カイトは励ますことに成功した、と思っているベルの相談に乗ってやることにした。
困っている人がいれば、出来る限りでいいから助ける。
リリルカと話した、優しい人への第一歩計画のために。
「……僕、ずっとお祖父ちゃんと二人で暮らしてて、子供の頃から色々な英雄譚を聞いて育ったんです」
それから始まるベルの昔話に、カイトはしばし耳を傾けた。
……なお、リリルカは少し離れた場所にいた。
正座したセイルに対し、日頃の鬱憤を晴らすかのように説教を続けていた。
それを見た人々を皮切りに噂が広まり、彼女はある二つ名を非公式に戴くこととなる。
『邪滅姫』──神の意思が一切介在しないがゆえ、ただ人々の目に映ったままの、リリルカ・アーデを示す称号を。
知ったリリルカが引きこもりになるのは、ほんの一週間ばかり未来の話だ。
………
……
…
「つまり、英雄になって色々な女にモテたいと」
「う……その、ごめんなさい」
萎縮して謝るベルに、
「良いじゃないか」
と、カイトは言った。
励ますため、と言うより、素でそう思ったからだ。
「さっき言った元部下な、彼も君と同じような目的で冒険者になったんだ。可愛い恋人が欲しいって」
「え?」
「ゴミが犬の糞に代わったバージョンに遭遇したが、ステイタスのお陰で無事に躱せたと喜んでたよ」
「メンタルが強過ぎる」
「でも、諦めてない」
カイトは真っ直ぐにベルを見つめた。
「目指せば良いじゃないか。ここはそういう街だろ?」
その言葉に、ベルの瞳に精気が戻ってきた。
「い、いいんですか?」
「誰かに許可を求めるなよ。お前はたった一人でここを目指し、冒険者になるって決めたんだろう? 一人で決めて、行動したんだ。そんな風に自分を育ててくれた、今までの全てを無駄にする気か?」
「っ! 嫌です!!」
「なら、進むだけだ」
カイトはにこりと笑ってやった。
「もし、どうしても行くあてが見つからなければ……そうだな、あそこ」
指を指す。
ベルが目をやると、そこには『じゃが丸くん』と書かれた旗がたなびいている屋台があった。
「あの屋台で昼前から売り子をしている女の子に、身の上話をすると良い」
「身の上話、ですか?」
不思議そうに聞き返すベルに、カイトは続けた。
「大丈夫。優しい神だって、ちゃんといる」
立ち上がり、いい加減言葉が尽きてきて疲れ気味のリリルカへと向かうカイト。
カイトが一声かけると、リリルカは何事も無かったかのように駆け寄っていった。
説教から解放されたセイルは、疲れた様子で立ち上がると、
「──っ!?」
ひどく男臭い笑みをベルに向けた後、背中を向けて去って行く。
トラウマが残ったかビクリとしたベルに、カイトは手を振り、リリルカはペコリと頭を下げて歩いていった。
残ったベルは、一度大きく伸びをすると、やる気に満ちた顔で呟く。
「よしっ、頑張ろう!」
………
……
…
ヘスティア・ファミリアに新しい眷属が増えるのは、この三日後であった。
主人公、ちょっとだけ柔らかくなってます。
うーんしかし、終電逃してホテル泊まりな生活はしんどい。
セイルさんはお話書く上ではすごい便利キャラなんですけど、使いすぎでしたね。
しばらくお休みです。
感想だけは、ご返答します。
恐らく一週間くらいは更新出来ないです。