古城が暁家のマンションに戻って来たのは、正午近くなってからだ。
ちなみに、悠斗も一緒だ。 帰宅している途中で昼食の話になり、一緒に摂ろうという事なったからである。
「姫柊も料理が上手くなったよな。 最初はあんなのだったのに」
暁家のリビングのテーブルの椅子に座りながら、キッチンに立つ雪菜を見て、悠斗が感嘆な声を上げる。 悠斗は一度だけ雪菜の作った料理を見た事があるのだが、俗にいうダークマターに近かったのだ。
悠斗の隣に座る古城が、げんなりと肩を落としてから、
「……最初の頃は、オレが実験体になったんだけどな」
食材たちが勿体ねーしな。と古城は付け加える。
悠斗は、同情の目差しで古城を見てから口を開く。
「……なんつーか、ご愁傷さまとか言えないわ」
悠斗と古城の言葉を聞いていたエプロン姿の雪菜が、鍋の中に入った具材を、右手に持ったお玉でかき混ぜながら拗ねたような可愛らしい顔をした。
「そ、それは昔の話です! 先輩方も掘り返さないでください!」
昼食の献立はカレーらしい。 その為、カレー特有の匂いが漂ってくる。
雪菜は炊飯器を開き、大き目の皿にご飯をよそってから、鍋に入れてあるお玉を右手で取り、ルーを掬い僅かに開けた場所に注いでいく。
三人分を作り終えてからお盆に乗せ、それを両手で持ってリビングのテーブルの上に置く。 カレーからは湯気が上がり、とても旨そうだ。
雪菜も椅子を引いてから、古城と悠斗と向き合うように着席する。 古城たちが眼前に置かれたスプーンを手に取り、いただきます。と合掌してカレーを口に運ぶ。
古城は、食べ終わった悠斗を見て呟く。
「そういやあ、悠斗は空港でオレに何て言おうとしてたんだ?」
「ああ、
古城は頷いた。
「いいか、古城。 北米大陸には、“
「ああ……そういや、地理の授業でやった気がするな」
古城はうろ覚えの世界地図を思い出す。
アラスカから五大湖周辺までの各州で構成されている
「“
「なるほどな。 挟み撃ちにされるとマズイ、ってことか」
古城は、悠斗の説明を理解した。
「そうだ。
「隣の
古城は顔を顰めて頷いた、
そういう理屈なら、“
どれだけ王が善政を施しても、不平不満を抱く輩は少なからず存在する。 そんな連中に敵国が接触し、武力や資金を与えれば、反乱を唆すのは容易なのだ。
「一つ引っかかるんだわ。 第三真祖が本気になれば、この程度の連中なら壊滅できる。 でも、第三真祖はそれをしない――」
古城も気づいた。 悠斗が言わんとしてる事に。
「……そうか。 真祖の対抗できる何かを手に入れた。ってことか。 ナラクヴェーラみたいな」
「そんな所だな。 まあ、絃神島までには被害がないから大丈夫だろ。 内戦も、ジャーダ・クルルカンに任せとけば問題なしな」
悠斗が軽い口調でそう答えると、向かいに座っていた雪菜が肩を落とした。
「……神代先輩は客観的すぎますよ」
そんな時、ピーンポーン。とインターフォンが部屋の中に鳴り響く。
「配達か? オレ、何も頼んでないぞ」
そう言ってから、古城は椅子から立ち上がり玄関へと向かった。
玄関のドアを開けると、そこに立っていたのは見慣れない制服を着た配達員だ。 彼の足元には、伝票を直に貼り付けた大型のスーツケースが置かれている。 国際宅配便だ。
「お荷物をお届けにあがりましたー。 こちらに受け取りのサインをお願いします」
「あ、はいはい」
配達員が差し出してきた伝票には、流麗な筆記体の英語で荷物の中身が記入されていた。
古城が辛うじて読み取れたのは、マンションの住所と古城自身の名前。 おそらく、荷物の送り主は牙城だと想像する。 怪しげな国際便を送ってくるのは彼しかいないと思ったからだ。
「毎度―」
古城がぎこちなく署名をすると、配達員は伝票を奪い取るような勢いでそのまま立ち去って行った。 玄関に残されたのは巨大な荷物だけ。
かなり重い金属製のケースであり、重量は百キロ近くありそうな代物だ。 吸血鬼の力を使った古城でも、片手で運ぶのは少々厳しい。
「なんだ、このデカイスーツケース……えーっと……っ!?」
荷物の隣に屈み込んで、古城はもう一度伝票を確かめる。
差出人の名前を確認し、古城は、うげっ、と声を上げる。
「ちょっと待ってくれ! この荷物はいらない。 てゆうか、持って帰って欲しんだけど!」
裸足のまま玄関を飛び出して、古城が配達員に呼びかける。 しかしマンションの通路には、配達員の姿はない。
「って、もういねェし! くそっ!」
古城は脱力して膝を突いた。 差出人を確認しないまま、書類にサインしてしまった古城のミスだ。 この荷物は、何としても受け取りを拒否して、送り返すべきだったのだ。
「古城。 そんなに騒いでどうしたんだ?」
古城の声を聞きつけて、悠斗が玄関までやって来る。
苦悩するように頭を抱えながら、古城はスーツケースの伝票部分を指差す。
「……いや、これなんだけど」
「………………………………は?」
悠斗はそう言ったまま、その場に凍りついたように停止した。
そう、スーツケースの送り主は――ディミトリエ・ヴァトラーだ。
数秒停止し、再起動した悠斗が口を開く。
「…………碌でもないことは確かだしな。ということで、俺は何も見てない。 うん、何も見てない」
悠斗はくるりと回り、リビングへ足を向ける。
玄関に上がり、悠斗の右足にすがった古城が、
「ゆ、悠斗! ちょ、待ってくれ!」
おそらく古城は、『もしもがあったら、手伝ってください! お願いします!』と懇願してるのだろう。
悠斗は観念したように、
「わ、わかったから! この件には、最後まで付き合ってやるから!」
悠斗は、ったく。と言って溜息を吐き、古城は、す、すまん。と頭を下げたのだった。
キッチンで皿を洗っていた雪菜も、騒ぎを聞きつけてやって来る。
「先輩方、どうかしたんですか?」
悠斗が指差した伝票の差出人の名前を見て、雪菜は顔を強張らせた。
「……あ、アルデアル公から……ですか」
戸惑いの表情を浮かべて、雪菜が呟く。
僅かに流れた沈黙を、悠斗が溜息混じりに破る。
「取り敢えず、中身を確認しないと何も始まらん」
「まあ、たしかに。……つか、開けた途端に爆発ってないよな……」
古城はそう言って、スーツケースに迷惑そうな視線を向ける。
雪菜は、古城の励ますように真顔で首を振った。
「いえ、その心配はないと思います。 第四真祖ならばバラバラにされてもすぐに生き返りますし、紅蓮の織天使には結界、呪いや魔術の類は、わたしの“雪霞狼”で無効化しますから。――なので、アルデアル公がそんな無駄なことをするとは思えません」
「いや、理屈は合ってるけどさ。 てか、オレは死ぬ前提かよ……」
古城はドンヨリと肩を落とし、悠斗は古城を励ますように、右肩にポンと手を置いた。
「まあ元気出せ。 古城、運ぶぞ」
古城は、お、おう。と頷いた。
古城は立ち上がり、悠斗と力を合わせてスーツケースをリビングに運んだ。 その間に雪菜は、ギグケースの中から“雪霞狼”を取り出した。
雪菜が“雪霞狼”を展開させてから起動し、悠斗も四方に結界を展開。
雪菜と悠斗の準備が完了し、古城が開閉口に手が届くように、悠斗が部分解除させる。
もしも爆発だった場合は、古城が開閉口に入れた左腕が吹き飛ぶ。 開閉口に手をかけると、古城の魔力に反応しケースのロックが解除された。
「いくぞ。三……二……一……!」
ゼロ、のカウントと共に、古城が勢いよくケースを開けた。
その瞬間、ケースの中から噴き出してきたのは、濃い純白の霧だった。
古城は、『寒っ!』と言って、結界部分から手を抜いた。 確かに、そこからは冷気が流れ出してきてる。
「な、なんだこれ!? ドライアイスか!?」
悠斗が結界を解きスーツケースの中を覗くと、内部にはびっしりと霜がこびりつき、迂闊に素手で触れば手が貼り付く。 間違いなく、ケース内の温度は冷蔵庫以下だ。
濃密な霧に阻まれて、ケースの中身は解らない。 古城は取っ手に手をかけたまま、為すすべものなく霧が晴れるのを待っていた。
霧の隙間から中身を確認し、悠斗は内心で頭を抱えた。 絶対に面倒事だ。と悟ったからだ。
――物ではなく、
「お、女!?」
古城が呆然と呟いた。
ケースの中身は、木目細かな褐色の肌と蜂蜜色の髪。 しなやかな四肢と、幼さを残した顔立ち。 引き締まった腰つきと、豊かな胸の膨らみ。
ケースの中に横たわっていたのは、異国の若い娘だった。 生まれたままの姿でだ。
しかし、彼女は動かない。 まるで、死んだように冷たく眠り続けている。
「な、なんでいつまでも見てるんですか!?」
少女に見とれていた古城の脇腹を、雪菜が掌低で張り飛ばした。
ぐほっ、と脇腹を押さえ古城が仰け反る。 古城は、不可抗力だろ!と叫んだ。
「悠斗はどうなんだよ!?」
「神代先輩は凪沙ちゃんしか見てませんし、その辺は問題ないかと」
雪菜の言う通りである。
悠斗は、凪沙以外の女性には興味がない。 なので、他の女性の裸体を見ても興奮はしないが、凪沙の生まれたままの姿を見れば、吸血衝動が襲ってくるだろう。――そう、ほぼ制御不能のだ。
「つか、古城。 鼻血出てるから。 お前、興奮しすぎだ」
「は? 悠斗、お前なに言ってんだ?」
そう言って、古城は鼻元を拭うと真っ赤な鮮血が右手にこびりついた。
古城の前にあるのは、裸体で横たわる異国の少女である。 古城は彼女を見て、性的興奮を覚えたのだ。
「先輩……」
そんな古城を、雪菜がムッと睨みつける。
「ち、違う! 何かの誤解だ!」
「いやらしい」
感情が籠っていない平坦な声で、雪菜はそう言った。そして、軽蔑したように溜息を吐く。
なんでだああああっ!と思わず絶叫する古城。 二人を見て、悠斗は嘆息する。
ケースの中で眠り続ける異国の美しい少女。 この時古城たちは、争いの火種になってしまう“花嫁”を招き入れた事は、まだ知る由もなかった――。
切りがいいので、少し短めでした。
ヴァトラーは、悠斗君も巻き込むつもりで、花嫁を送ったんでしょうね(笑)
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追記。
雪菜は、凪沙ちゃんと前々から料理を作っていましたが、一人で作ると失敗ばかりしていた。という感じで。