新章開始です!
タルタロスの薔薇 Ⅰ
現在、神代悠斗は、テティスモール付近に建設されたデパート内部で、少女たちの背を徒歩で追っていた。 その少女たちと言うのが――暁凪沙、
「……お前も絃神島に来るとはな、
「フルネームはよせ、神代悠斗。 オレが彼女の願いを断れると思うか?」
「いや、無理だな」
「だろ」
蓮夜にとって美月は、悠斗にとっての凪沙と同義である。 蓮夜と悠斗は、良くも悪くも似ている。
前の方では、途中で購入したカップアイスを食べながら、花壇を見ながら笑い合う少女たちが映る。
「自衛隊から、親父の形見は取り返せたのか?」
「まあな。 でも、お前とは白黒つけるぞ」
殺しはしないがな。と付け加える蓮夜。
「ああ、それでいいぞ。 てか、凪沙と夜光美月。 仲良すぎだろ……」
凪沙と美月は、何処からどう見ても仲の良い女友達。としか見えないのだ。 そして、溜息を吐く悠斗たち。 傍から見ると、尻に敷かれている彼氏。という風にも見える。
ともあれ、凪沙たちの元へ向かう蓮夜と悠斗。
「凪沙。 そろそろ帰るか」
「うん、わかった。 美月ちゃんもいいよね?」
「りょうかい」
「じゃあ、美月。 帰るぞ」
はーい。と、返事を返す凪沙と美月。
ちなみに、これから蓮夜たちは、絃神島を観光するらしい。 悠斗と凪沙が案内をしようかと提案したのだが、自由に観光したいのでいいそうだ。
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
蓮夜たちと別れた後、凪沙と悠斗はマンションへ続く歩道を歩く。
「なんつーか、この頃の凪沙は落ち着いてる感じだよな」
事件前までの凪沙は、天真爛漫というか、世話好きというか、人懐こくて騒々しい性格だったはずだ。
だが今の凪沙は、平静に物事を捉えられ、凛とした感じにも見える。
「そうなのかな? 凪沙はあんまり自覚がないんだけど。 たぶん、朱音さんの魂やアヴローラの魂が覚醒したから、彼女たちの影響が、凪沙から出てるとか?」
「アヴローラは解らんが、姉さんは平静な所があったからなぁ。 その影響か?」
「うーん、可能性としては考えられるけど。 正確にはわかんないや」
だよな。と、悠斗は同意したのだった。
また、悠斗には気がかりの事があった。 最近、貨物船が事故に遭い、絃神島に物資が届かなかったのだ。 理由は様々だ。 船の故障であったり、船の座礁、船内での食虫毒などだ。
その時、悠斗のスマートフォンから着信音が鳴った。――差出人は、南宮那月の文字だ。 内容は『暁凪沙と、今すぐ彩海学園の生徒指導室まで来い』という文面だ。
嫌な予感がするなー。という言葉を、悠斗は声に出さず呟いたのだった。
♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
人工島である絃神島には、地盤の関係上、高層ビルというものが存在しない。 代わりに市街の中心部には、同じような高さの中層ビル密集する形になっている。
そのビル群の中でも、特に目立たない地味な建物の屋上に、一人の少女が寝そべるような姿で伏せていた。
身長百五十センチに満たない小柄な少女であり、年齢は十代半ば程。 身に着けた白いシャツと吊りスカートのせいで、名門校に通う小学生のようにも見えなくもない。
顔立ちも幼く気弱だ。 やや吊り目がちの大きな瞳は可愛らしいが、取りたて目立つような容姿ではない。 ただ一箇所――頭部に生えた大きな獣耳を除けば、だが。
「聞こえますか、ディセンバー?」
少女が、床に置いたスマートフォンに向かって呼びかけた。
『こちらディセンバー。 聞こえてるよ、カーリ』
スマートフォンからはすぐに返事があった。 緊張感が乏しい、おっとりとした口調だ。 その声に少女は、何所か安堵したような表情を浮かべる。
「カーリ、配置につきました。 視射界、問題ありません」
『
「こちらも目視で確認しました。 狙撃準備に入ります」
カーリと名乗った獣耳少女は体を起こし、手元に置いてあった黒い運搬用のケースを開け、軍用の大型ライフルを取り出した。
『はいはい。 データ送るね』
「確認しました」
スマートフォンの画面に表示されたのは、ディセンバーが計測した情報だ。 風向き、風速、湿度、気温、大気密度とターゲットの服装。
『あとは任せるよ。 カーリの判断でやっちゃって』
「
『どういたしまして』
ディセンバーの明るい声を聞きながら、カーリは伏射姿勢を取り、照準器の中を覗き込む。
中に見えるのは、乱立するビルの僅かな隙間。 照準器の中に切り取られた景色は、高級ホテルのエントランスだ。
人間離れしたカーリの敏感な聴覚が、九百メートル先を移動する乗用車の気配を的確に捉え、黒塗りの高級セダンがホテルの前に止まった。 ドアが開き、助手席に乗っていた一人目の護衛が降り、続けて後部座席に乗っていた二人目の護衛も降りる。 そんな彼らに挟まれて、小柄な老人が車から出てくる。 狙撃のチャンスは、一度だけである。
体に染みついた感覚を頼りに、カーリは風や大気状態による僅かなブレを修正。 カーリが引き金を引くと、マズルブレーキからガスが噴き出し、五十口径弾特有の鈍い反動がカーリを襲った。 だがそれでも、カーリは冷静に、撃ち放たれた弾丸の行方を追っている。
獣人特有の動体視力は、
全ては、一瞬の出来事だ。 おそらく
「着弾を確認。 撤収します」
役目を終えたライフルをケースに格納しながら、カーリが告げる。
『さすがだね、カーリ。 でも、撤収には気をつけてね』
スマートフォンの向こう側から、ディセンバーの優しい声が聞こえてくる。 その言葉に誇らしさを覚えながら、カーリは小さく首を振った。
「
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生徒指導室のソファに座って、古城と那月は向き合っていた。 古城の隣には、雪菜の姿もある。
テーブルの上には高価そうなティーカップが置かれ、那月のメイドである、アスタルテが淹れた紅茶が上品な匂いを漂わせていた。
那月は悠然と足を組み、レースの扇子を広げている。
「……で、この鎖はいったいなんなんですかねぇ?」
古城は、那月をジト目で睨み、低い声で質問した。
古城の両手足は、金色の鎖で拘束されていて、殆んど身動きが取れない状態だ。 那月は古城の全身を縛り上げ、無理矢理この部屋に連行したのだ。 ちなみに、雪菜のことは、泣き真似で脅すように連行したらしい。
「私が優しく声をかけてやったのに、いきなり逃げ出そうとするからだ」
お前が悪い。と言わんばかりの口調で、那月が古城に言う。
古城は不満げに唇を歪め、溜息混じりに那月を見返す。
「那月ちゃんと姫柊が一緒に追いかけてきたら、わけが解らなくても普通は逃げるだろ。 どうせ碌なことじゃないんだし」
「わ、私も、南宮先生と同じ扱いなんですか……!?」
雪菜は、古城の言葉に若干傷付いた表情を浮かべた。
那月は紅茶を啜り、
「お前らの痴話喧嘩につき合ってられん。 話すにしても、まだ奴らが到着してないようだからな」
古城と雪菜は、奴ら?と疑問符を浮かべたが、すぐに奴らが解った。
そう――神代悠斗と暁凪沙だ。
その時、ノックをして、悠斗と凪沙が生徒指導室の扉を開け、内部に入る。 悠斗と凪沙は古城を見て、まーた何かやらかしたのか?という感じで見るだけで、ほぼスルーだ。
「那月。 メールに書いてあるように来たんだが、何かあったのか?」
「――アスタルテ、例の資料を出せ」
「
アスタルテは、テーブルにコピー用紙の束を広げた。
座礁や衝突した船の写真と、被害状況の報告書。 それらの内容を纏めた一覧表。 全てが、絃神島周囲で発生した船舶事故だ。
「……昨日までの発生した事故の報告書か?」
しかし、悠斗の問いに、アスタルテは首を振った。
「
「本日正午までっ……って、今日だけでこの件数なのか!?」
積み重ねられたコピー用紙を眺めて、古城は絶句した。
事故の総数は、届け出があっただけで二十一件。 機関または電装系の不調による漂流が七件。 衝突及び座標が四件。 船員の傷病が二件。 その他八件だ。
これは見るだけで以上な数である。 単なる偶然で片付けられるものではない。
「これが事故の発生地点だ。 どう思う?」
那月がテーブルの上に地図を広げた。 赤くバツ印をつけた場所が事故現場を示しているのだろう。 事故は広範囲に渡ってランダムに起きている。
「……見る限り、絃神島に向かって来る船を、遮ってる感じだな」
悠斗は地図を眺めた感想を言う。
「そうだ。 被害に遭った船には共通点はないが、全ての船は絃神島に向かう船であり、その船は辿り着けないまま本土に引き返してる」
「んじゃ、那月。 絃神島から出た船は?」
「被害はない。 それは航空機も同じだ。 お陰で、島内の港と空港はガラガラだよ。 島から出て行く一方だからな」
「……そうか」
事態の深刻さに、悠斗は頭を抱えたい気分だった。
もし、絃神島に近づく船や航空機だけを狙って事故を起こしているのだとしたら、それは明らかに人為的な
人工島である絃神島では、生活物資の殆んどを本土からの輸送に頼っている。
その補給源が断たれてしまったという事は、“魔族特区”存続の危機を示している。
「南宮先生が、暁先輩たちをここに集めた理由がわかりました」
雪菜の言葉に、那月は、ほう。と面白そうに片眉を上げる。
「この異変が、暁先輩たちの仕業ではないか?とも疑ってたんですね?」
そういうことだ。と頷く那月。
「は? オレのたちせい? なんでそうなる?」
被害に遭った船が一隻、二隻なら、事故を装った破壊工作の可能背があるが、今回の事件は被害件数が多く、絃神島に向かう船や航空機だけに発動する呪い。 或いは、侵入者を攻撃する結界のようなものが展開されていると考える方が自然だろう。
その場合、問題になるのは結界の効果範囲である。
事故が起きた海域は、絃神島を中心とした半径百キロ範囲に及んでいる。 面積だけなら、首都圏を覆い尽くす程の規模だ。
「これだけ広範囲に結界を展開できる程の魔力源は貴様らだけだからな。 これが、神代悠斗と暁凪沙を呼んだ理由でもある。 まあ、知恵も借りたいっていう要素もあるがな」
だが、一箇所に力を持つ者を集めても特に事態が解消しないという事は、那月の期待が外れた。という事になる。
古城は、オレは最初から無罪だっつーの。と不貞腐れていたが。
そんな時、地図を見ていた凪沙が挙手をする。
「……南宮先生。 一定の場所から迷路のようになっているという事は、風水――――八卦陣じゃないでしょうか?」
八封陣とは、風水術によって構成された呪術的な迷路である。
那月は眉を吊り上げた。
「……なるほどな、八封陣か。――確かに、絃神島付近を流れている龍脈を利用すれば、絃神島を八封陣で覆い尽くすことも不可能ではないな」
悠斗は、ハッとした。
「――いや、待てよ。 似たような事例はあったはずだ」
「で、でも、悠君。 六年前にあった“イロワーズ魔族特区”の崩壊事件は、都市内の発電プラントの老朽化と、大嵐による洪水が原因だったはずだよ?」
「凪沙の言う通りだが、それは表向きの見解だ。 あの街は人為的に滅ぼされたんだよ、タルタロス・ラプスに在籍してる風水術者と、その集団にな」
悠斗が発言した、タルタロス・ラプスとは、殺し屋の事である。 金で雇われて魔道テロを行う破壊集団。
古城は首を傾げながら、
「いや、悠斗。 そんな事件があれば、普通ニュースで報道されてるだろう? 六年前って、つい最近のことだぞ」
古城の言う通り“魔族特区”が破壊されたのだ。
普通はその情報が流れるはずだが、当時そんな騒ぎは一切なかった。
「日本政府が揉み消したって線が怪しいな。 名前も聞いたことがない犯罪集団が、欧州の“魔族特区”を破壊したんだ。 タルタロス・ラプスの犯罪小規模集団が、都市を破壊したって情報が流れれば、世界はパニックなるな」
確かに。と呟いて、古城は目つきを険しくする。
一つの街を破壊した事実を揉み消す。 そんな事が可能なら、現在公表されている情報も信じられなくなってしまう。 そして、人々は真実を知らないまま、事件は無かった事にされ、破壊を引き起こした集団は今も逃げ延びているのだ。
「だが、都合がいいことに真実を知る人間は少なかったからな。 生き残ったイロワーズの住人たちも、自身の身に何が起きたのか、殆んど理解できていなかったはずだ。……まあ、その事件は例外という事になるな」
と、那月が悠斗の問いに補足説明をする。
「じゃ、じゃあ、もし誰かが、そのタルタロス・ラプスって殺し屋に絃神島を破壊してくれって依頼したら、絃神島を潰すってことだよな――?」
「その可能性は高い。 てか、今の状況とかなり酷似してるんだがな……。 で、那月。 タルタロス・ラプスの風水術者の素性って知ってるか? 俺、そこまでの情報はないんだわ」
ふん、と那月不機嫌そうに息を吐いた。
「
「……いや、俺だって知らない情報はあるから。 それに、風水系の情報は事例が無さすぎで疎いんだよ……」
「そうか。 お前も、チート吸血鬼ではないという事だな」
「おい、酷ぇ言いぐさだな。 まあ理屈上なら、タルタロス・ラプスに在籍する
「それが本当に、タルタロス・ラプスの仕業、ならな」
ともあれ、那月の指示でアスタルテが
那月は、お前たちは手を出すなよ。と釘を刺したが、悠斗が、また巻き込まれる可能性もあるだろうなぁ。と内心で思っていたのは内緒だ。
その時、アスタルテから
物流を停滞させ、対策を取るべき人間を消す。
絃神島を潰す布石を、一つ一つ配置していく。
「目的は公社の指揮系統の撹乱か……。 これは明らかに、絃神島を破壊しようとするテロ攻撃だ」
「……事件の首謀者は、タルタロス・ラプス。――最重要人物は
「……南宮先生。 もしかしたら、私と悠君も動くかもしれないと頭の片隅に置いといて下さい」
悠斗たちの呟きは、重い空気の中で響き渡った――。
蓮夜君たちは、この章ではまだ登場する感じです。
では、次回も頑張ります!!
追記。
古城君は土曜日の追試で、学校にいましたね。ちなみに、悠斗君はなしです。