「ふぅ…何とか、だな。流石と言っておこう。」
入口にそれなりに近いこの空間、そこはどうして崩落していないのか分からない程に破壊され尽くしていた。
それはそうだろう。
何せ通常時でも筋力A以上の大英雄と大魔獣が反転状態で0正面からガチンコの殴り合いをしたのだ。
寧ろ、未だ崩落していない事の方がおかしく感じる程だった。
「お前が本来の状態なら、私の負けだった。」
右腕でヘラクレスの心臓を抉りながらのゴルゴーンの言葉、それは事実だった。
ヘラクレスはギリシャ神話最強の存在であり、同神話内でそれに比肩するのはそれこそ主神たるゼウスやその産みの親たる古い神々、或はテュポーン位だろう。
それらよりも格の劣るゴルゴーン、或はメドゥーサでは知名度は兎も角、逸話的にも勝てる筈がない。
それはつまり、ヘラクレスが手を抜いた事に他ならない。
彼は狂わされ、泥に汚染された今もなお、根底にある理性を失わず、自身が出来る最善を尽くしたのだ。
それは一重に、マスターであった雪の少女を守るために他ならない。
「ではな、大英雄。何時かこの借りは返そう。」
「…こちらこそ、手間をかけたな。」
背を向け、自己封印を再発動したメデューサの背に、威厳ある重々しい声がかけられる。
それに驚いたメデューサが振り返った時には、もう誰もいなかった。
ただ、名残りの様に黄金のエーテルが散っていた。
「本当に、凄まじい英霊ですね、彼は。」
そして、ライダーに戻ったメデューサはもう一仕事するために疾走を開始した。
…………………………………………
大聖杯前
「言峰ェ…!」
「フッ…!」
投影の暇はない。
英霊一歩手前の身体能力に熟練の代行者の経験と八極拳の業が複合し、士郎を打ちのめす。
その打撃は、どれもこれも一撃ごとに士郎の骨を砕いていく。
「ぐ……が……!?」
当たり前だ。
目の前の男は、本来なら人々を守るために人外へと挑む者。
その拳が、その蹴りが、人間を死に至らしめる程強力なのは自然な事だった。
「ぬ……。」
だが、言峰も無傷ではない。
十発に一度程度だが、相打ち狙いの未熟なカウンターを僅かながら貰っている。
そして、左肩から身体が剣に浸食されつつある士郎の身体は鋼鉄のそれだ。
そんなものを全力で殴り続ければ、必然的に骨の方が砕ける。
「フッ……!」
それでも、拳を止める事は一切ない。
何故なら、言峰綺礼の後ろには、彼の喜びたるモノが、彼が祝福すべきモノがいるのだ。
例え生まれた次の瞬間には罪有りとして滅ぼされるモノだとしても、生まれたその瞬間は祝福されるべきだかと、彼は本気でそのために戦っていた。
「おぉ…!」
そして、士郎も防御だけではなく、徐々にだが言峰へと反撃する割合が増えていく。
これがボクシングや軍隊格闘術ならまだしも、八極拳と言う歴史ある武芸だったからこそ、英霊エミヤの固有結界の中には八極拳が担い手の宝具や武具も登録されていた。
故にこそ、徐々にだがその動きに付いていけている。
だが、既に士郎にも言峰にも、時間は余り残されていない。
気づいていた、誰も彼もが。
それでも、セイバーも、ライダーも、凛も、イリヤも、誰も彼もが士郎を止める事は無かった。
(桜…。)
必死に説得する?縛りつけてでも止める?
(セイバー…。)
そんなものは無意味だ。
それは相手を諦めさせるもので、端から諦めると言う選択肢が無い者には意味がない。
「ぐ…!?」
「が…!?」
明確に、骨の砕けた音がした。
士郎の肋骨が、言峰の拳が、それぞれ砕けた。
だが、両者は止まらない。
そもそも、痛みや死の恐怖なんかではもう止められない。
「っ、おお……!!」
「…………っ!」
砕けた骨に頓着せず、言峰が猛攻を開始する。
最早四肢全てを砕け散らせるとばかりの連撃に、士郎の意識が明滅する。
「………!」
「あ………」
そして、至極あっさりと士郎は吹き飛ばされた。
(ヤバ……い、しき、が………。)
身体は内と外、両方からのダメージに悲鳴を上げている。
これまで何とか動けていたのは、彼女の鞘があったからだ。
英霊の持っている宝具ではなく、聖遺物としての現世の鞘。
嘗てアインツベルンが持ち込んだ、騎士王とその系譜とセットで運用する事で持ち主に不死を与えるランクEXの宝具。
だが、それは英霊エミヤの腕と併せれば、常時肉体を再生されながら、同時に剣によって浸食されると言う終わりのない苦痛を意味する。
士郎が狂わないのは、彼が苦痛と死に慣れているからに他ならない。
だが、それもここまで。
他の衛宮士郎に比べればマシだが、彼は余りに多くのダメージを受けてしまった。
「―――終わりだ、衛宮士郎。頭を潰す。」
ゆっくりと敵が近づいてくる。
最早心も体も動かない。
そんな中で、
「――――――士郎、」
声が聞こえた。
「立ちなさい。桜を、私を泣かせるつもりですか。」
涙を堪えて、それでも気丈に放たれた声が。
その声の主の姿が、その声で呼ばれた女性の名が、不意に先日まであった平和な日常を思い起こさせて、
「……………ッ!!!」
意識が覚醒する。
まだだ、まだだ、まだ終われない。
見開いた視界の中に移る黒衣の足に、咄嗟に横に転がる。
「貴様、まだ!?」
「言峰、綺礼ェ――!!」
そのまま突進する様に拳を振り上げ、叩き付ける。
一撃、二撃、しかし当たり前の様に威力が足りない。
だが、投影するための隙が…否、剣ならここにたくさんあるじゃないか。
「シッ…!」
轟、と風を切りながら放たれる反撃の拳を、左腕で防ぐ。
同時に、体内を浸食する剣を敢えて受け入れ、拳の着弾点から激痛と共に体外へと突き出す。
「がぁ…っ!?」
鋼鉄の塊ではなく、剣を殴ればどうなるか?
当然の帰結として、拳の方が切れるだけだ。
「ぁああああああああああああああ――ッ!!」
怯んだ隙にラッシュをかける。
その拳は既に剣に浸食され、まるで悪鬼の鉤爪の様な姿だ。
だが、その分威力は十分だ。
三撃、四撃、五撃、六撃…。
繰り返される斬撃と複合した打撃に、言峰の身体が揺らぐ。
「ぐ、おぉぉぉ――!」
だが、鋼の信仰心は揺らがず、意思だけで傾きかけた身体を立て直す。
既に砕け、裂けた拳をなおも士郎へと叩き付ける。
八極の理によって放たれた拳は、弱ってもなお士郎には重い。
「お、おおおおおおおおおッ!!」
「はああああああああああッ!!」
最早燃え尽きる事は必定。
ならば、その前に相手を打倒するのみ。
防御も何も考えず、ただ只管に目の前の相手を打撃し続ける。
士郎にとってはこれは最後の好機で、言峰にとっては単にこれが最後だった。
だからもう、互いに退く事は出来ない。
一撃、二撃、三撃、四撃…。
相手に一撃入れられれば二撃を。
二撃入れられれば四撃で応酬する。
壮絶な打撃音が、肉と骨、鋼を飛び散らせながら続く。
それを見続けていたアルトリアには、士郎には、言峰には、一体どれ程の体感時間だっただろうか?
やがて魂すら燃やし尽くす様な連打のやり取りは、どちらからともなく終わった。
「ここまでか…。」
「何…?」
先に燃え尽きたのは、言峰神父だった。
彼は元々10年前に死んでいた筈だった。
それを呪いの泥によって無理矢理動かしていただけに過ぎない。
こうして大本の泥が揺らぐ事態になれば、必然端末にも影響が出る。
「ふん、まさか泥が払われるとはな。まぁよく保った方か。」
士郎を浸食する剣、それらの中には聖剣魔剣名刀妖刀が数知れず存在する。
偶々、体表に出ている剣に魔除けの効果があるものが含まれていただけ。
全くの、偶然とも言える結末だった。
そんな終わりでも、言峰は文句一つ漏らさなかった。
だらりと腕を脱力させ、しかし倒れずに言峰は最後の敵の姿を目に焼き付ける。
「往け、衛宮士郎。もう時間は無いぞ。」
それだけを言い残して、言峰綺麗は目を閉じた。
もう、動く事はない。
その胸元には泥の姿は無く、ただ古びたロザリオだけが輝いていた。