十日目夜 円蔵山
(最早一刻の猶予もありません。)
ライダーは決断した。
敵の宝具を知らずに勝負を決めに掛かる事を。
幸い、供給される魔力量は桜がマスターであった時よりもなお多い。
否、英霊であり、元は下位とは言え地母神、女神であった身にすら過剰と思える程の魔力が供給され続けている。
恐らく、凛もまた宝石剣を最大限使用し続けているのだろう。
こちらに来ているのは単なる供給分だけでなく、彼女では生かしきれない余剰分も来ている。
即ち、それ程の激戦を繰り広げているのだ。
(現状、何処も手が足りない筈。)
凛が激戦状態という事は士郎もセイバーも他の敵に手を取られていると考えられる。
ならば、その均衡を崩すためにも、今現在最も負担の低い自分が頑張るべきだろう。
(皆、それぞれの理由で桜を救おうとしてくれる。なら、桜の声に応えた私が動くのが道理でしょう。)
幾度かも分からぬ短剣の投擲を弾きながら、ライダーはやや開けた場所へと移動する。
森と言う遮蔽物の豊富な場所では自身の魔眼を生かしきれはしない。
しかし、相手は対魔力の低いアサシン。
一度魔眼で捕えれば、後は一撃で済む。
そしてライダーは、己が宝具の一つたる眼帯に手をかけた。
…………………………………………………
(掛かった!)
歴代の山の翁の一人たるこのアサシンの武器は主に二つある。
一つはダークと言われる艶消しされた黒い投擲用の短剣。
もう一つは封じられた右腕そのもの。
彼はこの二つを最大限生かす戦い方を心得ていた。
だが、英霊という存在になり、サーヴァントとして召喚され、他のサーヴァント達の戦い方を見る内に、彼は己の武器のもう一つの使い方に気付いた。
本来、己が得物に愛着を持ち、戦闘後に律儀に回収する彼にとって、その使い方には大いに悩んだものの、大事の前の小事と言う事もあり、割り切る事が出来た。
無論、おいそれとその使い方をするつもりは無かったが。
そして、遂にそれをせねば勝てない状況が来てしまった。
だがしかし、この一戦に勝てば、後は膠着した状況を自分1人でどうにか出来てしまう。
魔術師達は皆どれも優秀だが青い。
己の技量を持ってすれば容易く首を取れる。
今相手にしているサーヴァントも、その辺はよく分かっているだろう。
各々がそれぞれの戦闘に没頭している現状、何処か欠ければそこから戦況は傾いていく。
だからこそ、愛用の短剣を犠牲にしてでも、彼は勝利を目指した。
「さらば、我が得物達よ。」
そう言って、彼は愛用の短剣の過半数を犠牲にした。
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「な」
ライダーの足元が、否、周辺一帯が突然爆発した。
威力自体は宝具の爆発とは思えない程に小さいものだった。
一つ一つは精々手榴弾程度であり、その程度なら余程耐久力の低いサーヴァントでなければ大丈夫だろう。
だが、その数が20以上となれば話は違う。
直下の足元に7本、周辺に数m置きに更に数個ずつで合計20本以上が一斉に起爆したのだ。
何らかの加護やスキルでもない限り、体重や体温等は人間と変わりないサーヴァントが態勢を崩すには十分過ぎる量だった。
(何が爆発したのですか!?)
だがしかし、彼女の主要な認識手段の一つである魔力探査が、小型かつ鋭利な破片が砕け、魔力となって消えていくのを捉えていた。
(短剣を、爆発させたのですか!?)
まるであの赤いアーチャーの様に。
だがしかし、彼は宝具の贋作者として量産できる故に使い捨てていたのに対し、このアサシンは己の得物を、恐らく生前からの愛用の品を使い捨てたのだ。
宝具でなくても英霊の所持品であれば、それを構築するのはエーテル、即ち魔力である。
なら、構成魔力を解放し、爆発に転嫁する事が出来る。
恐らく、先程からの無駄とも思える投擲に乗じて罠を仕掛けていたのだ。
こちらの情報を集め、取り得る戦術を想定し、行動を予測した上で。
正にアサシンの気配遮断スキルの面目躍如と言えた。
だが、他者がライダーを責める事は出来ない。
通常の英霊なら、これは在り得ない。
英霊にとって、己が得物や宝具と言うのは誇りの一つであるのだ。
無論例外は存在するが、決しておいそれと使い捨てるものではない。
(いえ、こんな奇策を勝算無しにする筈がない!)
確実に勝つための策なのだ。
もしあのアサシンに自分が敗れれば、間違いなく士郎や凛、イリヤスフィール達は殺される。
セイバーは確実に対応できるだろうが、彼女もまた間違いなく激戦の最中、横槍を入れられて負ける可能性は高い。
(なら次は宝具が来る!)
だが、爆炎と衝撃により、決して軽くないダメージを負い、極短時間ながら行動不能に追い込まれていたライダーに取れる選択肢は多くない。
今の彼女は吹き飛ばされ、地面に俯せに叩き付けられた状態であり、この姿勢なら魔眼は辛うじて正面にのみ向けられる程度。
即ち、それ以外の全方向から攻撃を入れる事が出来る。
先程から続いていた短剣程度では、耐久こそ高くはないものの、生命力自体は高いライダーでは爆発こみでも確実に仕留め切れるとは考えづらい。
となれば、後は宝具での一撃に賭けるしかない。
(こういう時、この国では南無三と言うのでしたか。)
今は正に神仏にでも縋りたい気分だったが、本来なら生憎と自分の方こそ拝まれる方なので、どうしようもなかった。
かと言って、姉達に祈った場合……想像するのも嫌な程の不幸な目に会うしかないので、何時も通り自助努力に頼る事にした。
(正面は来ないと仮定、最大の隙が出来るのは上体を起こした上での背後!そこに山を張る!)
………………………………………………………
今回の第五次聖杯戦争において召喚に応じたアサシン、歴代の山の翁の一人である彼は、永遠を求めていた。
信仰のため、暗殺を繰り返していた彼であったが、その生前において一つだけ悔いがあった。
誰も彼も、自分と言う存在を認識し、覚える事はない。
顔を潰し、薬物によって記憶と肉体を改造し、狂信による使命感から暗殺を行った彼は、所詮は山の翁というカテゴリーの一つでしか記録されない。
それは嫌だった。
何として、己と言う個を世界に刻みたい。
唯一人の山の翁、唯一人のオリジナルとして、名と顔を取り戻したかった。
或は何らかの形で、己の生きた証を残したかった。
それがために、彼は「永遠」を聖杯に求めた。
召喚に応じたのも、永遠を求める魔術師と己は相性が良かったからに他ならない。
そして、敗れ去った魔術師を捨て、勝ち残った神父と契約し、永遠まで後もう少しと言う所まで来ていた。
爆発で巻き上がった土煙に紛れ、異教の女神、その背後へと最速で突き進む。
魔力を秘めた爆風とは言え風は風。
Aランクの風除けの加護を持つアサシンに、風は無意味だ。
流石に空間の断層を発生させる程、即ち乖離剣エア等のEXランク相当の宝具では飲み込まれるだけだが、その余波程度なら完全に防ぎ切る事も出来る等、Aランクに恥じない出鱈目ぶりを誇る。
(好機!)
宝具である呪われた右腕を解放する。
その名も妄想心音。
悪性精霊シャイターンを宿し、触れれば標的の心臓の二重存在をエーテル塊で作り出し、それを握り潰す事で本来の心臓も握り潰す。
原始的な類感呪術の一種であり、敵の防御力の一切を無視し、対象の身体に触れさえすれば、心臓を破壊できる。
反面、心臓を潰されても死なない存在には途端に弱くなるし、接近せねば意味がない。
包帯が解かれ、そこに折り畳まれていた異形の右腕が露わになる。
左腕の倍の長さを持つそれは、先端部分が朱に染まり、今にも溢れそうな呪詛を湛えている。
この腕でライダーの身体に触れれば、その時点で決着となる。
そして魔力を伴った土煙でこちらの姿と魔力は隠れ、標的の姿勢は俯せから漸く上半身を起こした所で、その敏捷性を生かせない状態。
正に千載一遇の好機だった。
「妄想…」
右腕を限界まで伸ばす。
目標は最も大きいあの女の背中。
届け、届け、あの女を殺すために。
我が願いを成就させよ。
彼奴の心臓を握り潰し、この手に勝利を。
「心音!」
だが、その願いは叶わなかった。
シュバッ!と、その見事な紫の長髪が伸ばされた右腕に絡みつき、完全にその動きを停止させたのだ。
「な」
常識外の光景に、熟練の暗殺者の思考が停止した。
まるで蛇、それも猛毒を持った化生に類される程の。
それもそうだろう。
彼女はメデューサ。
ゴルゴーン三姉妹の末妹にして、石化の魔眼と蛇の髪と下半身を持った、ギリシャ神話で一二を争う程の知名度を持つ怪物。
今のまだ女神としての姿だけは保った彼女からは想像も出来ない化け物なのだから。
「はぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
(う、お!?)
ライダーは絡みついた髪をそのままに、叫びと共に頭を振るってアサシンの痩躯を近くの木々へと轟音と共に叩きつけた。
そして今度は地面へと叩き付け、今度は振り上げ、再び地面へと叩き付ける。
それを数度繰り返した頃には、ライダーの怪力もあってアサシンは襤褸切れそのものと言って良い状態だった。
切り札たる右腕も、関節が三つも増えており、とてもではないが使い物にはならないだろう。
それでもなお、辛うじて折れていなかった左腕で短剣を投擲しようとするのは暗殺者としての矜持からか。
それを見たライダーは霊核ごと自爆されては堪らないと考えたのか、此処に来てその両目を覆う眼帯の真名を解放した。
「自己封印・暗黒神殿。」
ライダーから放たれた魔力が、狙い違わずアサシンへと直撃する。
これが三騎士なら対魔力で、魔術師なら魔力で抗し得るのだが、生憎と彼はアサシンであり、抵抗する術さえなかった。
そうしてアサシンの意識は夢に飲まれ、完全に戦闘力を喪失した。
来る日も来る日も殺し続けた。
歴代の山の翁がそうだった様に。
歴代の山の翁が扇動した様に。
薬で苦痛を忘れ、若者達に忘れさせ、ただ只管に殺し尽くした。
全ては信仰の、祈りのために。
だが、後に残ったものは何も無かった。
神は降りて来ず、異教徒を駆逐し切る事は出来ず、只々無為だった。
では取り戻そう。掴み取ろう。
嘗ての己の顔を。
嘗ての己だけの名前を。
そして刻もう、この世界に己と言う存在を。
「成程。それが貴方の望みでしたか。」
ぞぶり、とアサシンは背後から釘剣で心臓を貫かれていた。
次いで、首を刎ねられた。
回転する視界には鮮血を吹き出しながら倒れていく己の身体が見えた。
勝敗は完全に、明確に、これ以上なくはっきりと決まった。
アサシンは負けたのだ、このギリシャ屈指の怪物に。
考えれば当然の結果だった。
所詮彼は史実の英霊であり、未だ物理法則が緩く、理不尽が罷り通る神代の生まれではない。
対し、ライダーは特に多数の神々や英雄、怪物達が存在するギリシャ出身、その中でも特に有名な女神にして多くの勇者を石に変えた怪物でもある。
技量ではアサシンが上だったが、理不尽に対する対処力はライダーに分があった。
例え最大火力を封じられていたとしても、彼女の強さはアサシンを凌ぐ。
たったそれだけの事だった。
だが、それだけでは終わらない。
何を思ったのか、ライダーはアサシンの手から落ちた短剣を拾うと、己の長髪を一本だけ引き抜き、器用にも刺繍の様に短剣の柄に模様を描く形で結び、釘剣で何かを彫り込んだ。
「これをあげましょう。」
それを地面に落ちたアサシンの生首の眼前へと突き刺した。
紫に彩られた短剣は、既にアサシンの見知る無駄を削ぎ落したソレではなく、ある種の芸術品の様にさえ感じられた。
「ギリシャ語でハサンと彫ってあります。それを墓代わりにして、二度と迷わぬ様に。」
アサシンの目が驚愕した様に見開かれ、次いでライダーに視線を向けると、くちゃくちゃと切断面から音を立てながら蠢いた。
既に肺も無く、顎すらまともに動かせないが、それでも彼の意思は確かにライダーに伝わった。
「誇りなさい。貴方はゴルゴーンが三姉妹が末たる私が見てきた中で、最も腕の立つ暗殺者です。」
それだけを告げて、ライダーは後ろも見ずに駆けて行った。
後に残ったのは、エーテルへと消えていきながらも満足そうに短剣を見つめ続けたアサシンのみ。
それも後1分としない内に消える事だろう。
そして最後に残ったのは、紫の装飾が追加された、ハサンと言う銘の艶消しの黒い短剣だけだった。
明日中にアルトリアVS英雄王の終わりを書く予定です。