十日目夜 その2
円蔵山の森の一角、そこで断続的に甲高い音と共に火花が散り続けていた。
だがしかし、原因が分からない。
誰もいない冬山の森の中、ともすれば火事に繋がりかねない状況なのに、全く原因に見当がつかない。
それも当然だった。
これは人外の者達の仕業。
常人には見えず、異常な人間の中でも一握りの者しか分からない様な、異常の極み。
英霊という可能性の果ての怪物達が、唯一つの宝を求めて争う殺し合い。
紫の美しい長髪を持つ妖艶な女性、サーヴァント・ライダー。
異常に細長い体躯を黒装束で包んだ髑髏仮面、サーヴァント・アサシン。
常人では視認不可能な速度のまま、両者は縦横無尽に森の中を駆け、己の得物である短剣を幾度もぶつけ合い続けていた。
(埒があきませんね。)
内心で、ライダーはそう愚痴った。
現状が始まってから既に5分、互いに有効打を与えられないままにただ短剣で打ち合う状況が続いている。
ライダー自身は釘剣で投擲された短剣を弾くか回避し、アサシンは気配遮断と霊体化まで生かして巧妙に障害物を利用するかすり抜ける事で変幻自在の動きを取り、その合間に巧みに短剣を投擲してくる。
正直、技量と言う点ではライダーは確実にアサシンに負けていた。
そんな彼女が戦えているのは優秀なマスターを持つが故のステータスと彼女自身の神秘の高さ故だった。
ライダーとの魔力量と相性だけなら兎も角、純粋に魔術師としての技量と言う面で見れば、遠坂凛は第五次聖杯戦争におけるマスターの中で最も優秀と言える。
戦闘向けの実用一辺倒のバゼット・フラガ・マクレミッツや知識は兎も角聖杯としての機能でごり押しするので技量面が疎かなイリヤスフィール・フォン・アインツベルン、そしてキャスターを召喚したものの裏切らせてしまった名も無き魔術師やほぼ異能使いと言える衛宮士郎等に比べ、努力する天才である凛は絶対に負ける事は無い。
流石に大抵のキャスター適正持ちの英霊には負けるだろうが、この時代においては破格と言って良い。
更に地母神であり、怪物でもあるライダーには生半可な毒や呪いの類は効かず、恐らく短剣に塗られているであろう毒の類も、彼女には全く効果が無い。
幻惑の類も視覚をそもそも宝具で封じているし、魔術に関してもキャスター適正も持ち合わせる彼女には意味がない。
しかも、ライダーが後先考えなければ貯蓄した魔力量に物を言わせて宝具を使用し、周辺ごと薙ぎ払う事も可能だった。
だがしかし、それは出来ない。
(余り派手にやっては地下のリンやシロウ達がどうなるか分からない。その上、山を覆う結界に触れれば私も無事では済まない。)
機動性は互角で、技量で負け、スペックで完全に上回っていながら状況が動かないのは現在の彼女には二重の枷が付いているからだ。
結界と地下への影響により、攻撃に加速するための助走が必要な最大火力の騎英の手綱は使用不可、他者封印・鮮血神殿はこの状況ではまともに設置できず、残るは自己封印・暗黒神殿とその下の石化の魔眼のみ。
(やりようはありますが、敵に切り札が不明では迂闊な手は打てませんね。)
凡そ山の翁と言われる英霊の宝具は一つのみ。
だが、その一つで戦局がひっくり返るのが宝具というもの。
多数の宝具を扱い、多くの英雄を屠った彼女だからこそ、その脅威は身に染みていた。
(来るか。)
対し、アサシンは全くの自然体で敵が切り札を切る事をその経験で以て察知した。
元より暗殺すれば即座に帰還か自害が当然の暗殺者であり、狂信者としてその在り方に一切の疑念を持たず、使命を遂行する彼にとって、敵が自身より強い或は有利なのは生前からよく有る事だった。
だがしかし、今回は自分に合わない迎撃なれど、時間がこちらに味方している状況だ。
一応の契約主である神父が儀式を遂行(と言うのも語弊があるが)しさえすればこちらの勝利となるのだから、アサシンにとってはどちらかと言えば難易度は低いだろう。
相手が広範囲攻撃手段さえ無ければ、と付くが。
(現状、注意すべきは魔眼と得物のみ。となれば、後は機を作るか…。)
既に種は撒いてあった。
ならば後は実行するのみ。
(さて、ギリシャの女怪よ。その首貰うぞ。)
…………………………………………………………
「おおおおおおおおッ!!」
外での戦闘が間もなく佳境を迎えるという頃、洞窟の一番手前の開けた空間では、竜化したアルトリアと黒化した英雄王による全力の削り合いが発生していた。
襲い来る宝具の山と黒い靄を、神話に語られるドラゴンそのものとなったアルトリアが斬撃だけでなく、単なる打撃で以て砕き、散らし、押し通っていく。
「■■■■■■■■■■■■ッ!」
「ガァァァァァァァァァァァッ!」
咆哮と共に、騎士王の口から鉄をも容易く蒸発させるブレスが吐かれ、飛来した宝具の半数が着弾前にドロドロに溶かしてしまった。
残ったのは対竜、或は防御や対炎の加護を持った宝具であり、如何にギルガメッシュと言えど、ここまで無数の宝具を破壊されては損害を無視できなかった。
「■■■■!」
故に攻撃方法が変更される。
全方向から無数の鎖や縄、釘に布や縄付きの分銅、網や茨が黄金の波紋より吐き出され、騎士王を縛り上げんと殺到する。
先日、騎士王を完全に拘束してのけた対人外・女性・竜等の属性を持った封印・捕縛系宝具の山だ。
先日は不意を突かれた事もあり、碌に抵抗も出来なかった。
だがしかし、その手は既に彼女にとって既知のものであり、即ち対策済みである事に他ならない。
「二番煎じが効くか!」
叫びと共に騎士王の全身の鎧が魔力へと戻り、同時に全身からの魔力放出と共に、殺到する宝具群が吹き散らされた。
「纏え、風王結界!!」
直後、聖剣を覆っていた風王結界が解除され、今度は騎士王の全身へと収束、実体化し、白銀の鎧へと姿を変えた。
「はああああああああああああああああああああッ!!」
重量級の黒い鎧を捨て、白銀の風の鎧を纏い、竜の魔力を後方に向けて噴きながら、散らされた宝具の隙間をアルトリアが一直線に駆け抜ける。
(身体が、心が軽い…こんな事、何時以来でしょうか。)
王としての己を捨て去り、真に女性として開花したアルトリアにとって、今の彼女は生前に培った多くの苦悩を捨て去ったも同然だった。
(もう、何も怖くない!)
音速に換算すればマッハ4と言う速度で、大気の壁を無理矢理に突き破りながら、全 ての柵を振り解く様にアルトリアは一人の女性として疾走する。
だがそれを…
「■■■■■■■。」
英雄王は狂ったままに嘲笑った。
「な!?」
空間そのものが揺らぎ、黄金の光に満ちていく。
否、アルトリアと英雄王がいるこの場が、黄金の波紋によって塗り潰されていく。
「貴様、まさか!?」
「■■■■■!」
王の財宝。
英雄王の持つ、彼の至宝たる乖離剣エアに並ぶもう一つのEX級宝具。
持ち主の蔵と空間を直結し、財の取り出しと射出、回収を行う。
その本質は人類のあらゆる知恵の原典にして、技術の雛形であり、現在過去未来における全ての人類が生み出した宝が保管されている。
では、王の財宝の中身ではなく、財の取り出し等の機能は何なのか?
それは王律鍵バヴ=イルの「持ち主の蔵と空間を繋げる能力」に因る。
つまり、あの黄金の波紋の向こう側はギルガメッシュの財のあるバビロニアの宝物庫なのだ。
即ち…
「此処は…!」
黄金の波紋から、敵を己の蔵の中へ招き寄せる事も可能なのだ。
ありとあらゆる財が霊峰の如く溢れ、積み重なる空間。
ここは謂わばギルガメッシュの領土であり、掌の上であり、腹の中である。
黄金に輝く都に納められた、無尽蔵の財宝の山。
ここにある全てが人類の過去現在未来において価値を認められた宝。
固有結界の様に現実を塗り潰すのではなく、単に繋げているが故にその負担も相応に小さい。
そして、既にここには全ての財があり、空間の揺らぎに装填し、射出する必要はないのだ。
「■■■■…」
王の指揮の下、広大な空間を埋め尽くす程の財が浮かび上がり、その切っ先をただ一人の敵に向ける。
その数は千を優に超え、それでもなお増え続けている。
「■■■■ッ!」
号令と共に、あらゆる財が先陣を切らんと殺到する。
王である事を捨てた女に、至上の王の裁定が下されようとしていた。
……………………………………………………………………………
「基本骨子の想定が甘い!それでは直ぐ折れるぞ!」
もう既に何度投影したのか分からない。
愚直に、真っ直ぐに、直向きに、ただ只管に衛宮士郎は投影した剣で以て、己の成れの果てへと挑み続ける。
最初は一合と保たず折られた。
その次は二合、更にその次は三合と。
徐々に、徐々に、焦れったくなる程にゆっくりと、衛宮士郎は進んでいく。
その度に加速度的に学習し、成長し、習得していく。
まるで熱い鉄を槌で叩いて鍛え上げる様に。
投影魔術、感情制御、武術、戦場における最適な判断etcetera…。
移植された成れの果てたるエミヤの腕だけではこうも行かない程に、衛宮士郎は順調に成長していた。
「フッ!」
「ぐ!?」
だがしかし、未だ至らない。
英霊と人間、未熟者と成れの果てでは、基礎能力の技能も経験も違い過ぎた。
現に今、士郎はあっさりと不意を打たれ、見守っていたイリヤ達の下へと蹴り転がされてしまった。
「やれやれ。私の腕一本くれてやったと言うのに、そんな様では見込み違いだったかな?」
「五月…蠅い…!今に吠え面かかしてやる…!」
過剰な投影の反動と蹴りによる衝撃が抜けないままに、衛宮士郎は立ち上がり、悪態すら吐いてみせた。
「投影、開始!」
「投影開始。」
そして、また槌が振るわれる。
……………………………………………………………………………
「来たわよ、桜。」
遠坂凛は地下大空洞の最奥、即ち大聖杯の間へと到達した。
ドクン ドクン ドクン ドクン
本来ならば術式を刻まれた石筍であった筈が、この世全ての悪によって変質した大聖杯はまるでこの世の不浄全てを捏ね固め、周囲に汚物を垂れ流す醜悪な肉の塔と化していた。
「…ぇ…ぁ…。」
その根元に、まるで磔にされたかの様に、桜が吊り上げられていた。
両腕を真横に伸ばし、身体は力なくぐったりとして、頭を垂らしていた。
辛うじて覗ける目には光が無く、一体どれほどの負担がかかっているのか想像したくもなかった。
「もう少しだけ待っててね。」
轟、と凛の魔術回路が励起し、生産された魔力が闘志となって五体を満たす。
みしり、と右手に握られた宝石剣に力が入る。
最早今の凛にうっかりは無い。
その胸にあるのは半球形の脂肪でも、魔術師としての矜持でも、セカンドオーナーとしての義務感でもない。
ドクン!
凛の魔力に応じてか、石筍から滲み出ていた呪いが次々と人型を象っていく。
先日アインツベルン城や衛宮邸に出現し、サーヴァントを食らった影によく似たそれは、桜の魔術回路を介して実体化した呪いの泥、この世全ての悪の端末だ。
単体でも並の英霊に匹敵し、その上サーヴァント殺しとも言える特性を備えている。
そんな者達が5、10、20、30…遂には50体近くまで増え、一斉にゆらりと動き出した。
そして凛も、そんな人外魔境の只中へ、宝石剣一本だけを握りしめて、飛び込んだ。
「今、助けるから!」
ただの一人の姉として、妹を助けんとする姉心であった。