ブリテンを治める騎士王、その居城たるキャメロットの最奥部には妃たるギネヴィアすら立ち入る事を許されない、王の定めた禁足地がある。
それは何人も立ち入る事を許されぬ、王の寝室。
嘗て他国からの間者である侍女が侵入し、王自身に手打ちにされて以来、誰もが恐れて近寄ることはない。
そして王が時折寝室から出てこない時、王を呼ぶために例外とされる者達に声がかかる。
その例外は5人、宮廷魔術師たるマーリンと義兄にして円卓の騎士の一人であり、国務長官たるケイ卿、そして3人の異父姉達のみだ。
しかし、モルガン達は普段は自身や夫の城や屋敷に住んでいるため実質立ち入らず、更には花の魔術師はあちこちに出没して捕まらないので、実質傾国の美貌を持ったケイ卿しか訪れる事はない。
「アルトリア、入りますよ。」
どうせノックをした所で反応しないのは今までの経験から分かっているので、ケイ卿は声だけかけてそのまま寝室へと踏み入った。
「………。」
そこに初めて踏み入った時と同様、まるで廃墟の様だった。
分厚いカーテンで窓は閉め切られているが、所々にある亀裂から日の光が指している。
ベッドや箪笥に棚などの調度品も。壁や床すらカーテン同様にボロボロで、とてもではないが浮浪者か何かの住処にしか思えない。
否、王の治世によりそうした者達は皆手に職と技を与えられ、額に汗して生きているため、もう少しマシな環境で生活している。
とてもではないが一国の王の寝室ではない。
そんな場所で女性が一人、ベッドに凭れ掛かるようにして、何の感情も含まれていない視線を虚空に向けていた。
纏っている衣服もまた、黒か白の簡素なシャツとズボンだけだが、そのどれもが血とよく分からない染みと穴だらけだった。
賊に乱暴された女性かと見紛う様な女性は、確かにケイの愛した妹だった。
「アルトリア、起きなさい。もう朝ですよ。」
ケイはこの場所に立ち入る時、彼女を王とは絶対に呼ばない。
それは一重に彼女を慮っての事だが、同時に自身のためでもある。
王としての責務のため、敵味方を幾万と殺し続けた彼女は、その実、余りにも優しかった。
到底暴君などと言えない程に、その心根は優しかった。
だからこそ、自分以外誰もいない状況で一人になると、決まって狂乱するのだ。
自身が殺した敵味方、切り捨ててしまった民を、自領を守るために蜂起した貴族を、その誰もを殺した事を悔いて狂乱するのだ。
「外はもう昼前です。起きなさい。」
これでもまだ今日はマシだと、ケイは思う。
一度己の罪深さを自覚させるような言葉を聞けば、彼女は普段の聡明さが想像できない程に狂ってしまう。
狂乱の余り何事かを叫びながら自分自身の首を絞めたり、聖剣で滅多刺しにしたり、周囲の者に切りかかってきたり、何を言っても反応せずに涙を流し続けたり、部屋の片隅でシーツに包まりながら、恐怖と悔恨と自身の罪深さに熱病患者の様に震えながら謝罪を繰り返すよりは、遥かにマシだ。
「ぁ……あに、うぇ…?」
今日は本当にまだ良い方だ。
ゆさゆさと肩を揺すれば、予想以上にあっさりとアルトリアの目の焦点が合った。
「もう朝です。一人で着替えられますか?」
「ぅん…。」
のろのろと、部屋の片隅に放ってあった鎧とコート、聖剣と鞘を纏っていく。
湯の入った器と布を差し出し、身支度を手伝いながら、ケイ卿は思う。
惨い、と。
初めは選定の剣が、今は聖剣の鞘が、彼女を不老にして不死身という、王という立場へと縛りつける鎖として機能している。
『でも奇跡には代償が必要だ。アーサー王よ。君はその、一番大切なものを引き換えにすることになる。』
嘗て選定の剣を岩より抜いた時、マーリンは告げた。
正にその通りだった。
彼女は国のため、民のために王として多くの民と敵を殺し続けた。
常に王という機械として、天秤として、より多くの民と国を生かすため、より少ない民と敵を殺し続けた。
それは少数を殺し尽くすと言う事に他ならない。
年若く、優しく、誰よりも民と国を愛する彼女には、それは余りにも惨い仕打ちだった。
「さぁ行きましょう。」
「ん…。」
手を伸ばせば、アルトリアは幼い日の様にその手を取って、ゆっくりと立ち上がり、歩み始めた。
以前よりも白く、細くなったように感じられる手を握りながら、ケイは思う。
あの日、自分が妹に剣を取ってきてほしいと頼まなければと。
あの時あの瞬間に彼女を一人にしていなければと。
もし今の自分が当時の自分を前にしたら、殺さない自信がない。
その後悔が常に彼を苛んでいた。
やがて寝室の周囲を抜け、人の気配がする頃になると、あっさりとアルトリアは、否、ブリテンを治める暴君はケイの手を離し、悠々と闊歩し始めた。
そこにあるのは弱弱しい童女の姿はなく、堂々たる王の姿があった。
夜すら塗り潰す様な漆黒の具足と衣装、暗黒の聖剣に冷徹な知性が秘められた金の瞳。
ブリテンの黒王、黒い竜、穢れを纏いし者、アルトリア・ペンドラゴン。
そこに、唯のアルトリアの面影は無く、暴君の仮面だけがあった。
「往くぞ、サー・ケイ。今日は対蛮族戦線についての会議だったな。」
「えぇ。それと夜には国外の貿易商らを招いた夜会がありますので、そちらにも出席を。」
ケイは思う、誰か彼女を救ってくれと。
自分は地獄に堕ちても構わない。
だからどうか、この哀れに泣き続けている妹だけは、どうか救われてほしいと。
その願いは後に、偶然にもそこを通りがかってしまった、若き一人の騎士によって果たされる事となる。
……………………………………………………………
モルガンは思う、馬鹿な娘と。
妖精郷へと向かう船の上、今日までブリテンを駆け抜け続けた王であった、もう息を引き取った妹の頭を膝の上に抱えながら、モルガンは過去を追想していた。
『姉上。私は、王になります。』
選定の剣を携えて城に訪れた妹を、モルガンは呆気に取られた。
最初に呆然と、次いで怒りを覚えた。
「貴方にそんな事は無理よ。止めなさい。」
姉妹達の中でも優し過ぎる妹に、今ブリテンに必要な冷酷な王になる事はできない。
否、耐えられない。
あの子は機械にも、天秤にもなれない。
そう在るには妹は優し過ぎるから。
だが、運命は残酷に過ぎた。
妹は、その強靭な意志によって王としての責務を見事にこなしていった。
否、暴君として見事に開花した。
本人の心の内を置き去りにして。
幾千幾万と屍を積み重ね、終にブリテンには平和と安寧が訪れた。
だがその代償に、当然の様に彼女は恐れられ、孤立した。
真実を知る一部の者や薄々感づいていた者位しか彼女の周りには残らず、そうした者達も彼女を救う手立ては無いと拱いていた。
それが嫌で嫌で堪らなくて、どうにか防ごうとしていたのに、モルガンの策は何時も寸での所で費えてしまう。
だからモルガンは持てる知恵と技術の全てを注いで、一時的に男にした妹の種と自分の胎でモードレッドを生み出した。
あの子を王という呪いから解放するにはそれしかないと、あの子に勝る王が立つしかないと知ったから。
そうして生まれた。本来なら倦むべき予言にして不義の子を、妹は騎士として。王として許される範囲で慈しんだ。
彼女もまた、言われずとも薄々と悟っていたのだ。この子が己の後を託しうる者なのだと。
また、予言の子と同じ日に生まれた他の赤子らもまた、キャメロットで大切に養育され、モードレッドの家臣団として機能していった。
徐々に徐々に。民と臣下は王からモードレッドへと忠義の対象を移していった。
それが自分とあの子の思惑通りだと誰も知らず。
後は石が坂を転がり堕ちる様だった。
ランスロットとギネヴィアの駆け落ちを利用した王への反乱、その後の妹と娘の一騎打ち。
結果はこの通り、妹は王という呪いから解放され、今妖精郷へと向かっている。
「行きましょう、アルトリア。」
疲れ果て、心労が深く刻まれた貌を撫でながら、モルガンは思う。
妖精郷ならきっとまた、あの頃の様に姉妹仲良く暮らす事ができる。
現世ではできなかった平穏な暮らしを今度こそ、と。
だが、運命とは何処までも残酷だった。
嘗てマーリンが言っていたではないか、「奇跡には代償が必要だ」と。
「え…?」
だから、この結末は必然だった。
ザァ・・・と、何かが切り替わる。
その変化を、船に乗っていた貴婦人達はそれぞれが瞬時に気づいた。
これは世界の、抑止力の予兆だと。
その中で最も早く世界が何をしようとしているのかまで気づいたのは、モルガンだった。
「駄目!この子を連れて行かないで!」
横たわるアルトリア、その体から金色の粒子が、魔力が立ち昇っていく。
否、彼女自身が魔力へと還元されていく。
元よりブリテンの守護者たる赤竜の化身たる彼女は、人ではなく竜種に、精霊種に近い。
そのため、世界からの影響をダイレクトに受けてしまう。
「もうこの子は十分戦ったわ!何処に連れて行こうと言うの!?」
轟々と世界がうねりを上げ、モルガンの問いに男とも女とも、老人とも子供ともつかない声ならざる声が返答する。
曰く、契約の時が来た、と。
望み通り王となったのならば、死後にその代価を払うべし。
星の、人類の、霊長の守護者となり、永劫人理の礎となるべし。
「嫌よ!もうこの子には何も…!」
ゴッ…!と、季節も天候も無視した暴風が吹き荒れた。
同時、アルトリアの身体も魔力となって消えていく。
否、世界へと溶けていく。
確かにモルガンの膝の上にあった重みは既に無く、後には痛い程の静寂だけが残っていた。
「あ、あぁあ……」
漸く、漸くこの手に戻ってきたのに。
やっと、やっと元のあの子になれる所だったのに。
「ああああああああ…」
もう二度と、優しい妹は己の下に帰ってこないのだと知ってしまった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!」
後には、モルガンの悲痛な慟哭だけが延々と湖面に響き渡った。
選定の剣抜く時、あれどう考えても世界との契約だよね?と思ったから出たネタ。
これでエミヤとお揃いだね、やったね乳上☆
…我様じゃないが、アルトリアってどうしてこう泣かせたくなるんだろう