ハリー・ポッターと生き残りのお嬢様   作:RussianTea

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一夜限りの

 セフォネは、ダームストラングが所有する船の甲板にいた。柵にもたれ掛かって月を見上げる。今夜は三日月で、月はその一部を輝かせているだけであり、少しばかり暗い印象を与える夜だ。

 月を見上げていると、視界の端に人影が現れる。それが、今日自分をこの場所に呼び出した人物だと分かると、セフォネは口を開いた。

 

「…振られたというのに、ご丁寧にお別れのご挨拶ですか?」

 

 嫌味な口調になっていることは自覚している。だがそれでも、彼に嫌われたとしても、自分は彼から遠ざからなければならない。彼のためにも、そして自分のためにも。

 そもそも、彼と自分は被害者と加害者の関係だ。それ以上でもそれ以下でもない。彼はそれを知らないから自分に好意を寄せるているだけ。本当のセフォネを知らないから、未練がましく別れの挨拶などできるのだ。

 1つため息をつき、セフォネは目線だけ動かして彼を見る。夜も更け、就寝前の時間だからだろうか。制服ではなく私服姿で彼は立っていた。かくいう自分は、ネクタイこそ外しているが制服姿。こうして対する時の服装の差異が、そのまま自分と彼の世界の違いを示しているような気分になる。

 

「まあ、それもあるけど。聞きたいことがあるんだ」

「交際はお断りすると、先日申し上げましたが」

「まだ理由を聞いていない。"資格がない"だなんて言葉だけで納得できないし、君のことを諦められない。これがどういう意味なのか、ちゃんと説明して欲しい」

「意味などありませんよ。ただの言い訳です」

「そんなことは無い。君はそんな人じゃない」

 

 強く断定するような口調に、セフォネはようやく彼の方を向いた。まるで、自分のことを全て分かっているかのような物言いに対して、若干の苛立ちを覚えながらも仮面の笑みを貼り付ける。

 

「お会いして1年も経っていないのに、そんなこと、分かるはずがないでしょう? おかしな人ですね」

 

 茶化すように、クスクスと笑う。

 冗談めかさなければならない気がした。いつもははにかむように笑っていた彼が、口角をぴくりとも上げず、眦を1ミリたりとも下げていない。まるで、試合の前であるかのような真剣な表情だ。

 嫌な空気を感じていた。秘め事が明らかにされる、その予兆のような重たい空気だ。

 しかして、その予感は的中した。

 

「――君が、僕に"服従の呪文"を使ったから?」

 

 世界から音が無くなる。

 疑問形であったが、確信している。その眼差しはどこまでも真っ直ぐで、それを直視できなかったセフォネはさり気なさを取り繕うこともなく、視線を逸らした。

 予め考えていたパターンの内、最も可能性が低い――低くあってくれと願っていた状況。つまりは最悪のパターンだ。"服従の呪文"はもとより禁呪であり、ヒトに対して使用しただけで罪に問われる代物。まかり間違っても、いたずらで済む話ではなく、歴とした犯罪行為だ。それが明るみに出るということは、すなわちセフォネの身の破滅を意味する。

 だが、セフォネが視線を逸らしたのは、そんな現実的・論理的な思考に基づいた思考の結果ではない。彼の、自分を糾弾しようとする気が全くない姿に、どうしようもない居心地の悪さを感じたからだった。

 

「……一体、何のことだか」

「服従の呪文に掛かる前、君の声が聞こえたんだ。"ごめんなさい"って」

 

 あからさまな行動を誤魔化すように、セフォネは再び湖の方に向き直り、柵に体重を預ける。彼に背を向けるような体制になったセフォネは、意味もなく湖面を見つめた。

 ばつの悪さに俯いているようには見えないように。そして、そんな感情を抱いていることに対する自分自身への動揺を悟られないように。

 

「空耳ですよ。第一、本当に私が貴方に服従の呪文を使っていたとして、そんな相手に好意を抱いたままでいられますか?」

「だって、君は僕を守ってくれたんだろう?」

 

 その言葉の意味を理解できなかった。理解することを心が拒否した。

 でも、セフォネの頭は幸か不幸か優秀であった。心が拒否した処理を、無理やり脳が実行する。そして初めて、彼が言った言葉を認識した。

 

「何を言って……」

「あの日の夜、ダンブルドア先生と話したんだよ。第三の課題で何があったのかとか、不審な点はなかったのかとか聞かれた。正直、服従の呪文に掛かっていたから、殆ど記憶はなかったんだけど。それで、その時ホグワーツの先生が偽物で"例のあの人"って呼ばれている闇の魔法使いが復活したことも聞いた」

「それが、何だって言うんですか」

 

 胸がざわめく。頭と心が、これまでに無いほどの危険を訴えてくる。これ以上、彼の話を聞いてはならないと。これ以上、踏み入れさせてはならないと。

 それはきっと、自分を破壊しかねない"毒"だという予感がした。 

 

「もし、本当に闇の魔法使いだったら、わざわざ服従の呪文で僕を操って、フラーを失神させた後に僕自身を罠に突っ込ませて気絶させるだなんて回りくどい方法は取らないだろう。どっちも殺してしまえば済む話だ。でも、僕が生きているってことは、闇の魔法使いから僕を守ってくれた誰かがいたんだ。そしてそれが君だ」

「お話としては面白いですが、証拠も何もない、ただの想像でしょう?」

 

 今すぐに、ここから立ち去らなければならない。そう思っているのに、この場を動けない。彼との問答を切り上げることができない。

 懐にある杖に、指先が触れる。いっそのこと、彼の記憶を書き換えてこの場を立ち去ろう。それが最適解だ。"服従の呪文"も、自分との関係も。全てを無かったことにできる。

 しかし、自分の手は杖を掴むことをしない。身体が言うことを全く聞いてくれない。うるさいほどに頭に響く危険信号に、頭痛を覚え始めていた。

 

「じゃあ、ちゃんと教えて欲しい。僕じゃだめな理由を」

「私では、貴方と釣り合わない。貴方が思うような人間じゃないんですよ、私は」

「僕はそうは思わない。君は優しくて、強くて――」

 

 もう、限界だった。

 

「うるさい!」

 

 これまで溜め込んでいた感情に火が付いた。勢い良く振り向き、セフォネはビクトールに詰め寄る。

 

「貴方に、私の何が分かる!? 私が本当はどんな人間なのか、貴方は知っているのか!?」

 

 一度堰を切った感情は、止まることなくセフォネの口から流れ出る。

 一番表に被った仮面が剥がれ落ち、激情的な口調となったセフォネを見ても、ビクトールは驚くことも恐怖することもなく、ただ静かに、いたわるような視線を向けている。その眼が、セフォネにとっては堪らなく嫌で、彼のことを睨みつける。

 

「優しい? その言葉は、ハリー・ポッターにでもくれてやればいい。私はただ、仇であるカルカロフに近づくために、貴方と接触しただけに過ぎない…!」

 

 糾弾されるべきなのは自分なのに。彼は何も悪くないのに。

 自分で自分を誤魔化すための言い訳で、彼を傷つけようとしてしまう。彼を傷つけることで自分から遠ざかるという方法しか、今の自分には思いつかない。

 そんな浅はかな感情的な行動は、彼に見透かされていた。

 

「どうして、嘘をつくんだい? どうして、そんなに必死になって僕を遠ざけようとするの?」

「嘘では……!」

「そんなに、悲しそうに泣いてるのに」

 

 その瞬間、一筋の涙が頬を伝う。烈火のごとく燃え上がっていた心が、水を被ったかのように冷たく静まり返っていく。

 

「泣いている…? 私が…?」

 

 両の眼からとめどなく涙が溢れ始める。一度自覚してしまえば、堪えることができなかった。

 後退りながらセフォネはビクトールから距離を取る。しかし、甲板の柵に背中が触れて、直ぐにそれ以上の距離を保つことができなくなった。せめて、こんな姿を見せてはならない、見られたくない、と手のひらで顔を覆う。

 

「…やめて……お願いだから、これ以上は…」

 

 心に纏った鎧に幾つもの罅が入る。幾重にも被った仮面が、全て剥がれ落ちていく。

 これまでのヒステリックなまでの激情が、その性質を変える。

 まるで何かに縋るような、自分でもなんて情けないと思うような声で、何に対してという訳でもなく、許しを請う。

 

「貴方といると心が乱れるの…貴方のことを思うと私は弱くなるの…! だから…だから、これ以上はやめて…! お願い、だか…ら…」

 

 まるで幼い子供がイヤイヤをするように、首を横に振る。

 これ以上、自分の弱さを表に出すことを許容できるはずがない。弱い自分を、何よりも恐れているのだから。

 鼓動がうるさいほどに体内に響く。

 苦しくもないのに、息が切れているかのように呼吸が早まる。

 手足が震える。唇がわななく。

 そんな、尋常ではない様子のセフォネを、ビクトールは優しく包み込むように抱きしめた。

 

「本当に嫌なら、突き飛ばしてくれて構わない。でもそうじゃないなら……」

 

 突き飛ばしてしまいたいのに。突き飛ばすことが出来なければ、逃げ出せば良いのに。

 魔法戦闘力だけで言えば魔法界においても上位に入るセフォネならば、彼を行動不能に陥らせこの場から立ち去ることなど、造作もないはず。

 それなのに。自分の手は、足は、動いてくれない。

 自分を抱きしめる彼の力が、少し強くなる。"突き飛ばしてくれても構わない"だなんて、嘘ではないか。逃がすつもりなど、微塵も感じない。

 

「だめ…なのに…」

 

 彼から伝わる温度に安心してしまう。母の温もりとは違う、また別の温かさ。

 自然と震えが止まった。段々と力が抜けていく。

 この温度に依存してはならないと思いながらも、手放したくなくなっていた。寧ろ失わぬようにと、セフォネも彼に手をまわし、痛いほどに力を込める。

 彼に身体を預けるような体勢になったセフォネは、彼の胸に顔をうずめた。せめて、泣いている顔を見られたくはなかった。

 

 どれくらい、そうしていただろう。

 涙が収まったセフォネは、ビクトールの顔を見上げる。クィディッチ選手としては小柄ではあるが、自分よりほんの少し背の高い彼が、何故だかとても大きく見えた。

 ふと、今の自分の顔が気になった。きっと、泣きはらした酷い顔をしていることだろう。急に恥ずかしくなり、顔を背けようとした。

 そんなセフォネの顎に、ビクトールは手を添えて彼の方へと顔を向かせた。

 彼の瞳に、自分が映り込んでいるのが分かるくらいに2人の距離は近くなっていた。

 そして、2人の影が、1つに重なる。

 

「…セフォネ」

「今夜だけは――」

 

――この一夜だけは。自分が弱くなることを許そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行っちゃったね」

 

 湖に沈んでいく船を見ながら、エリスが言う。

 

「良かったの? 直接見送らなくて」

「ええ、これで良いんです。あれは、一度きりの、気の迷いでしたから」

 

 正確には、気が迷ったわけではない。あれが自分の、本当の気持ちだったのだろう。

 しかし、それは許されることではない。だからこそ、一夜の過ちとして、過去の思い出にするしかない。

 

――ああ、でも。良き思い出として、記憶しておこう。

 

 それくらいは、きっと許されるに違いない。

 

「え? 何のこと?」

「こちらの話です」

 

 慣れぬ筋肉を使ったせいか、セフォネの体の節々は疲労を訴えていた。立っているのにも少しばかりのしんどさを感じたセフォネは、談話室へ戻ろうと踵を返す。

 そんなセフォネの様子を見ていたダフネが、全てを見通したかのように呟いた。歳相応の女子らしくもない、いやらしささえ感じるあくどい笑みを浮かべながら。

 

「…朝帰りだったのは、そういうことだったんだ」

「な!?」

 

 誤魔化すこともできず、セフォネは驚愕のあまり固まる。油をさしていないブリキ人形のようなぎこちない動きで、2人の方に振り向いた。

 彼のもとで一夜を過ごした後、セフォネは何食わぬ顔で寮に戻り、さもベッドから起きたように装いつつもエリスを起こしたのだ。よもや、ばれているとは思っていなかった。それも、第一級の極秘事項。

 血の気が引いていくのが分かる。それと同時に、頬が熱を持つ。

 

「昨日、あんたの布団には私が寝ていたのよ。夜、エリスと話が盛り上がって、そのまま朝方まで寝ちゃってたのよ。でもあんたはそれに言及しなかった。つまり、昨日寮に帰って来なかったということよ。それにね、同じ女はだませないわ」

「何を言って」

「皆まで言って差し上げても良いけど? で、どうだったの、"初めて"の感想は?」

 

 わなわなと震えながらエリスに視線を移すと、エリスが気まずそうに苦笑しながら、首元に手を当てた。セフォネ自身が全く把握していなかった、昨夜の証。今朝着替えた時に見られたに違いない。

 ダフネの勘とエリスが見た動かぬ物証。そこから明らかにされた事実。

 顔を青くしながらも頬を紅潮させるという、いつにない狼狽えようのセフォネを見て、それを自白と受け取ったエリスがひとり呟く。

 

「あーあ、前からだったけど、さらに大人の階段の先を行かれちゃったな…って、うわ!」

 

 エリスは反射神経のみで飛来してきた閃光を避ける。その先では、外れた呪文にあたって炭となった小枝が風に煽られて消えていく。

 半分は冗談、もう半分は割と本気で、セフォネは杖を抜いていた。とびきりの笑顔と共に。

 普段感情をあまり表に出さないダフネでさえ冷や汗を流すほどの、凶悪な表情に見える笑み。

 エリスは既に全速力で逃げ出そうと、走り出す態勢に移行していた。

 

「お2人とも、特急に乗る前に少しお話しませんか?」

 

 まるでお茶会に誘うかのような口ぶりで、セフォネは次々と呪文を繰り出す。逸れた呪文はホグワーツの校庭を荒らしていく。管理人のフィルチが見たら、発狂しそうな光景であった。

 

「ちょ、無言呪文!? あれ本気よ!」

 

 自分を捨ててかなり遠くへ逃げているエリスを恨みがましく睨みながら、ダフネも逃げ出した。

 

「どこへ行こうというのですか?」

「セフォネ、悪かったわ。からかったのは謝るから!」

 

 それは、紛れもない青春の1ページ。

 陽だまりのような平凡な日々。

 彼女が何よりも大切にしたいと心の底では思っていながらも、それに気が付くことはまだできていない、愛すべき平穏。 

 

 それは、これから来る嵐の前の静けさであった。




ビクトール君の漢気が、もはやオリキャラと化している件について。
一先ず、炎のゴブレット完。ここまで来るのに、何年掛ったのでしょう…

そして皆様からの「お帰り」という温かいお言葉、誠にありがとうございます。
正直、今更戻ってきても…、という気持ちが無かった訳ではなく、とても励みになりました。今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします

次回から不死鳥の騎士団編に突入します。

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