第五十一話 場違いな少女
「……暇だなぁ」
自動販売機やソファが置かれた休憩室のような空間で、佐天涙子は窓際に頬杖を突きながら溜息をついていた。何気なく目の前のガラスをコンコンと拳で突く。一見すると普通の窓にしか見えないそれは、対戦車ライフルの直撃にさえも耐えると言われる暗部御用達の防弾ガラスだ。それだけの防御性を持ち合わせていながら、普通に音は通るという優れもの。息をかけてガラスを曇らせ、子供が悪戯をするように落書きをしながらも、彼女は窓の向こうで一心不乱に作業に没頭している少年をぼけっと眺めていた。
白いワイシャツに黒い学ラン。上着と同色のスラックスというどこにでもいそうな風貌の男子学生。クセのない髪は男子にしては長髪で、目にかかる前髪を時折鬱陶しそうに掻き上げている。外見的には目を惹く特徴はない普通の少年だが、最近
(物騒な話だよね……)
はぁ、と。今日何度目になるか分からない溜息を漏らす。同時に、パァンと乾いた音が窓の向こうから響いた。見れば、人型の的に何個目かの風穴が空いている。
暗部において最早必須事項とも言える、射撃訓練。他を圧倒できるほどの能力を持つ垣根は例外であるとして、何の力も持たない佐倉にとって射撃能力の向上は死活問題である。装備が入ったボストンバッグを常備しているとはいえ、不慮の事態に絶対対応できるかと言われると断言はできない。一応最新鋭の駆動鎧であるため、装甲を外してもそれなりの防弾性、耐衝撃性は備えているものの、敵の排除は必要不可欠だ。それに、駆動鎧に不具合が出た場合の対策も必要。他の構成員に比べて圧倒的に弱点が多い佐倉は、誰よりも熱心に射撃訓練に取り組んでいた。現在も防音ヘッドホンを着用して黙々と標的を撃ち続けている。
淡々と銃のリロードを行う佐倉を眺める。佐天がこの場に待機している理由は、彼女に与えられた役割に他ならない。
【スクール】の構成員となった佐天に課せられた使命。それは、佐倉望の監視兼管理。
元々気が強いとはいえ、元々佐天はどこにでもいる普通の女子中学生だ。御坂美琴のように最強の超能力を持っているわけでも、佐倉望のように駆動鎧を操れるわけでもない。戦闘力はゼロに等しい無力な存在。そんな彼女に戦闘以外の役目が与えられたのは、当然と言って差し支えないだろう。足手纏いにしかならない佐天の暗部加入を許可した垣根の思惑は不明だが、佐倉を支えるという本来の目的さえ達成できるなら佐天は満足なので知らないとしても問題ではない。
「佐倉さーん。そろそろ休憩しないと身体に悪いですよー?」
ガラス越しに佐倉へと呼びかけてみるが、防音ヘッドホンのせいか聞こえている様子はない。そもそも聞く気が無いという可能性も捨てきれないが。最近の彼は昔に比べて他人に対して希薄な部分が目立つ気がする。他者に興味が無いというか、強くなることに欲求のすべてを注いでいるというか。さすがに知り合いである佐天に対してはそれなりの反応をしてくれるものの、夏休みや大覇星祭の頃に比べると別人と言っても過言ではない程に淡泊な態度を取られている。嫌われているわけではないというのは彼の様子からなんとなくわかるものの、少々気持ち的に傷ついてしまうのは多感なお年頃故か。
「無視しなくてもいいのに……」
「あんまりじっと見つめていると色んな人から微笑ましい温かな視線向けられるッスよ?」
「ひゃぁぁあああ!?」
「ちなみに向けてたのはオレなんで悪しからず」
「ご、ゴーグルさん!」
不意に背後からかけられた軽い調子の声に、完全に油断していた佐天は素っ頓狂な悲鳴をあげながらガタガタと椅子を鳴らして勢いよく立ち上がる。恥ずかしそうに赤面しながら睨む相手は、いつものようにヘラヘラとした間が抜けた顔で佐天に微笑みかけていた。ゴーグル、とだけ呼ばれる青年。【スクール】内では主にムードメイカーとして立ち振る舞っている飄々とした大能力者。能力名は【
そんな一風変わった能力者を睨みつけつつも、佐天は椅子に座り直すと口を開く。
「……で、何の用ですかゴーグルさん。あたしは特に仕事を言いつけられていないはずですが」
「別にこれといった用はないッスよ? ただ暇潰しに佐倉クンの様子を見に来ただけッス」
「はぁ、そうですか……」
特に興味もなかったので、紙コップに入れられたコーヒーを傾けながらテキトーに相槌を打つ佐天。暗部の人って暇なんだなぁとか何気に失礼なことをぼんやり考えつつ佐倉の射撃訓練に再び視線を戻す。
「……佐倉クンのこと、好きなんスか?」
「ぶぇふぅっ!?」
「あっつぁっつぁぁああああ!?」
あまりにも唐突過ぎる爆弾投下にコーヒー噴いた。なぜか瞬間的にゴーグルの方を向いたことによってゴーグルの顔面にコーヒーが炸裂。熱湯風呂もかくやといった具合のアッツアツな襲撃に、やってやったとニヨニヨしていた彼は一瞬で激痛の地獄へと叩き落されたようだ。椅子から転げ落ちてゴロゴロと無様に悶え苦しんでいる。一方の佐天は様々な感情が混ざりに混ざった結果、身体が耐え切れず咳込む始末である。
お互いにひとしきり苦しみ終えると、睨み合う両者。
「い、いきなり何を言い出すんですかぁ!」
「そんな柔らかい笑顔で幸せそうに見てたら誰だって言うに決まってるッスよ! アホか! 乙女か! 少女漫画もびっくりなコッテコテのヒロイン顔なんて久しぶりに見たわ!」
「べ、別にそんなんじゃないです! 好きとか嫌いとか、そういうんじゃ……」
「…………」
「…………」
「…………にやにや」
「制裁!」
「二発目は駄目ぁっつぁあああああ!!」
今度は紙コップから直接の熱々コーヒーをモロに顔面に受け倒れ込むゴーグル。本来ならば火傷してもおかしくはない温度であるが、そこはイロモノ担当の彼。自動的に能力が発動したのか、見えない補正がかかったのかは定かではないが、これといった外傷はないようだ。願わくばそのまま害虫のように焼け死んでくれないかと中学生らしからぬ願望に行き着く佐天である。日頃溜まったストレスをゴーグルにぶつけている感が否めない。
足元でピクピクと痙攣を繰り返す害虫Gの鳩尾を思いっきり踏み潰すと、椅子に座り直して
「佐倉さん……」
悲壮な響きが込められた呟きは空しく虚空に呑み込まれ、空虚感をより一層覚えさせるだけだった。
☆
10月7日。
佐天が暗部組織【スクール】の構成員になってから早1週間が経とうとしている。佐倉望の監視役として日々の生活を送っている彼女であるが、当初の目的である『佐倉望を人知れず支える』を達成できているかと言われればそれは微妙なところだ。そもそもあまり他人と会話をしない佐倉は当然佐天とも必要最低限の言葉しか交わさない。さすがにゴーグルや心理定規に比べると口数を多くしてくれている方であるが、それにしても他人レベルで話さないというのが現状だ。これではわざわざ暗部に堕ちてきた意味がない。
無能力者としての自分を否定され、ただ強くなることだけを目的に闇の中で這いずりまわっている佐倉望。
弱冠13歳で中学生でしかない佐天に世の中の事はイマイチ分からないが、彼がどういう気持ちで我武者羅に行動し、強くなろうとしているのかくらいは分かる。学園都市で重宝される高位能力者とは正反対な自分達無能力者。彼らから認めてもらう為に、目に物見せる為に、日夜血反吐を吐く程に自分を追いつめている彼は無能力者の鏡だ。超能力者や大能力者には決してわからない苦しみ。佐倉の苦悩を分かってあげられる数少ない存在。少なくとも、知人の中では自分が最適であるという自負くらいは持っている。
しかし現実は非情だ。今日も今日とて、射撃訓練を終えた彼に水を渡すくらいしかできていない。せめて話を聞いてあげるくらいの事はしたいものだが……。
「なかなか厳しいねぇ」
「何が厳しいんですか?」
「う? いやいや、こっちの話だよ初春」
神妙な面持ちでそんな事を呟いた佐天に違和感を覚えたらしい初春が首を傾げる。妙な物言いに一瞬怪訝な視線を向ける彼女だったが、そこまで気にすることでもないと判断したらしい。絶賛格闘中のジャンボダイナミックパフェにスプーンを突き入れると、再び甘味とのダンスに酔いしれ始める。日頃ほわほわしているくせに、こういう時だけ妙に鋭い時があるからこの花飾り少女はおっかない。
いつもは紺と白のコントラストが映えるセーラー服に身を包んでいる自分達であるが、今日は幸い土曜日だ。午前中は【スクール】提携の射撃場で佐倉のサポートをしていた疲れもあって、現在はイマドキの女子学生っぽいラフな格好で親友の初春と共に喫茶店で寛いでいる最中である。暗部入りしているというのに普通に学校に通い、こうして初春とも会えているというのはひとえに自分が戦力外扱いされている証拠に他ならない。情報が漏れてはまずいのだろうが、そもそもそこまでの重要機密を知らされていないので仮に拉致監禁されても安心だ。……いや、佐天的には安心もクソもないのだが。
ちなみに佐天が暗部に入ったことは未だ誰にもバレてはいない。隠蔽力はさすが馬鹿にならないようだ。
目の前で幸せそうに超巨大パフェを平らげていく初春になんともいえないジト目を向ける。
「初春はいつも幸せそうだよねぇ」
「ふぁい?」
「悩みが無いとは違うけど、パフェ食ってるときはストレスフリーじゃん? あたしにもそんな癒しがあったらなぁって思ってさぁ」
「んくっ。よく分かりませんけど、そういうストレス解消法って何でもいいんじゃないですか? 私は甘味食べてる時が一番幸せですけど、白井さんは御坂さんとじゃれ合っている時が最大級に幸福そうですし」
「あの人は世間一般で言うストレス解消法と結びつけちゃダメな気がするけどね……」
脳裏に浮かぶはおそらく学園都市でもトップクラスの知名度を誇るであろう大能力者の風紀委員。仕事は誰よりも迅速で、可憐な風貌から隠れファンも多いとかいう噂であるが、その実は学根都市第三位御坂美琴をお姉さまと慕って日々変態行動に明け暮れる自称・淑女である。美琴にお仕置きされている時は傍から見ても分かるくらいに幸福そうな顔をしているのは確かだが、彼女の場合美琴へのセクシャルハラスメントがライフワークと化している部分があるのでストレス解消とはまた違った意味合いを持っている気がする。というか、あの変態と一緒にされるのは心底御免だった。
しかしまぁ、そういうストレスフリーな姿があるというのは見習うべきかもしれない。
「そう考えるとあたしのストレス解消法は初春のスカートめくりなのかなぁ」
「なにをさらっと私の尊厳踏み躙る行動でストレス解消しているんですか」
「いやいや、あぁいうルーチンワークっていうのは大切なんだよ? 初春のスカートを捲って毎日パンツを拝むことによって、『あぁ、今日も一日平和だなぁ』って世界の安寧さを噛みしめることができるんだから」
「約一名不幸な一日を予感していますけどね」
「そこはまぁ、あれよ。哀れな子羊は時によっては尊い犠牲にもなりえるっていう神様の教えよ」
「そんな理不尽な教えはいますぐ聖書から消し去ってください早急に」
やれやれと肩を竦めてパフェへのアタックを再開する初春。佐天自身彼女に多少の迷惑をかけている自覚はあるのだが、いかんせん佐天にとっての精神安定剤として機能している節があるのでスカート捲りはやめられない。そして佐天は知っている。自分にスカートを捲られるのを前提条件として毎日穿いていくパンツを吟味してから登校しているのだということを。たまに紐的な大人なパンティーを穿いてきた時は正直ビビった。後にそれが白井黒子の入れ知恵であると発覚するまでひたすら弄られた初春の心中やお察しである。
方法はどうあれ、ストレスを解消するというのは大切なことだ。ましてや佐倉のように精神的に弱いにもかかわらずヘヴィな暗部の最前線で戦っている人には尚更必要。ここはひとつ、彼のストレスを和らげるべく一肌脱ぐのもいいかもしれない。
「よっし。そうと決まればこの佐天涙子ちゃんが世にも驚き山椒の木と言わんばかりのサプライズプレゼントしかけてあげますか!」
「ほぉん。まぁ、頑張ってください。あ、店員さん私おかわりで」
二杯目の超巨大パフェが運ばれてくる背景で、人目も気にせずガッツポーズする佐天。気合の炎が瞳の中で燃え上がる。
これはちょっとした間のお話。アビニョン事件の裏側で、あまりにも場違いな少女が場違いな努力をする場違いな物語。
なんだかほっこり感あるけど、結局は『とある科学の無能力者』なので結末はお察し。この作品のひねくれっぷりは自分でも驚きです。
そういえばもう二周年ですね。そんなに経ったのかと思う反面、どんだけ更新してねぇんだよと自己嫌悪。うぅ、ごめんなさい。
完結まで後少し。もう終盤近くなのですがなかなか話数も進まない。人生壁しかないのかよと一人落ち込む始末。ですが二周年です。なんだかんだここまでやってこれたのはひとえに皆様のおかげ。こんな遅筆な作者を見捨てないでくださり感謝のしようもございません。
ただでさえ筆が遅いのに二周年記念とかやっていたらもっと完結が遠のくということで特にこれといったものはないですが、三周年を迎える前に完結できればナァと思ったり思わなかったり。
読者の皆様。いつも感想いただけて涙が出るほど喜んでおります。いろいろ停滞したり一章丸々消したり物語全く変わったりと右往左往な拙作ですが、今後ともお付き合いいただけると幸いです。
ではでは。次回もお楽しみに!
0930編って一年半もやってたのかよ……。