一陣の風が吹き抜ける。
窓ガラスを吹き飛ばし、レストランを揺らすほどの衝撃波が巻き起こる。ズゥゥン、と唸るような地響きがやけに鼓膜を震わせた。
そう。
(なん、だ……?)
想像していた痛みがやって来ない。人知を超えた速度の攻撃だから痛覚すら反応しなかったのかと一瞬考えたが、未だに意識が顕在していることがそもそもおかしい。しかし音速にも届きそうな駆動鎧の攻撃を上条が防御できる可能性は限りなくゼロで、何故自分はまだ生きているのか彼にはまったく理解ができない。
「……理解、できねぇな」
声が響いた。少し擦れた、ハスキーな声。疲れ切ったような声色のソレは、上条のクラスメイトである佐倉望のものだ。ある日を境に暗部に堕ち、上条達の前から姿を消した友人。そして、現在は新型の駆動鎧を身に纏って上条と打ち止めの前に立ちはだかっている襲撃者。そんな佐倉の声が。目の前の現象を把握できていないような上擦った声が、静まり返ったレストラン内に反響する。
現状が理解できない上条は純粋に首を傾げる。数秒遅れて、それは自分が目を瞑っているからだということをようやく自覚すると、目の前の光景を目視するべく恐る恐る瞼を上げた。
同時に、佐倉の声が放たれる。
「なんでテメェがここにいる」
――――上条の目の前に、セーラー服を着た長身の少女が立っていた。
佐倉と上条の間。まるで佐倉の攻撃から上条を守るかのように――――いや、佐倉の拳を自身が持つ日本刀で防いでいることから、ほぼ確実に守ってくれたのだろう――――立っているその少女は、上条の知り合いである天草式の女教皇にどことなく似通った雰囲気を持っている。
亜麻色の髪を後頭部で括ったポニーテール。白を基調としたセーラー服に、紺色のスカート。やや色白な印象を抱かせる長身かつ華奢な少女。背後からはよく顔を視認することはできないが、見える範囲で判断すると結構な美少女であることが分かる。
佐倉の台詞を聞くに、どうやら彼の知り合いらしいが。唐突に目の前に現れた謎の少女に呆気にとられる上条。
「……逃げ、て」
「は……?」
不意にかけられた言葉に思わず声を漏らす。あまり話すことに慣れていない様子の引っかかるような話し方の少女は、佐倉の拳を切り払いながら再び上条に声をかける。
「ここ、は……私に任せ……て。貴方、は……その子を連れ、て……早、く、逃げ……て」
「な、何言ってんだアンタ! 女の子一人に任せて逃げるなんて、そんなことできるわけが……!」
「いいから!」
「っ!」
まさか怒鳴られるとは思っていなかった上条は彼女の威勢に軽く仰け反ってしまう。
日本刀を構え直すと、彼女は先程よりも数段殺気を纏わせた状態でゆっくりと息を吐いた。
「私な、ら、大丈、夫……。これで、も……大能力者だか、ら」
「けど……」
「今の最優先事項、は……そのクローンを、逃がすこ、と。だから、逃げて」
「……アンタ、名前は」
「……桐霧、静。御坂美琴の、友達」
「っ……そうか。御坂の友達なら、安心だ」
「その子を、お願……い」
「おう! お前も死ぬなよ、桐霧!」
「ちっ……逃がすかよ!」
「やらせ……ないっ!」
打ち止めを脇に抱えてレストランから外に飛び出す上条。標的を逃がすまいと慌てて追撃に移ろうとする佐倉だったが、その行く手を桐霧が封鎖する。即座に回り込むと、佐倉の腹部に向けて日本刀を横薙ぎに振り払う。
【限界突破】によって底上げされた筋力に押され、佐倉は五メートルほど後方に吹っ飛んでいく。
「クソッ……死に損ねぇが、余計なことしやがって……!」
「私を助けたのは、貴方……。だか……ら、私も。貴方を……助け、る!」
「テメェ……! それ以上ふざけた真似できねぇように今度こそぶっ殺してやる!」
二度目の剣戟が、拳撃が、衝撃波と共に激突する。
☆
とある喫茶店の中。ビルの五階に最近オープンしたばかりの、夜景が綺麗という謳い文句で評判の喫茶店で、食蜂操祈は優雅に足を組んで座りながら無線機を手にしていた。
『【第三女王】が佐倉望と交戦状態に入ったようだ。【幻想殺し】と【最終信号】を逃がすことには成功。まぁ、及第点というところだが、任務は達成したようだぞ』
「さっすが、【第三女王】は遂行力が違うわねぇ。自己顕示欲力の強いどこぞの【第二女王】にも見習ってほしいところだわぁ」
『ふん。我儘で悪かったな。そもそも闇の血族の末裔である我にはこういう作業は向かんのだ。もっとこう、血沸き肉躍る惨劇をだな……』
「焼肉食べ放題にでも行けばいいんじゃないかしらぁ? あ、でもぉ、最近下腹部の贅肉力が気になるんだっけぇ? あははっ、ごっめんねぇ」
『貴様……あまり我を嘗めていると夜中に下痢が止まらなくなるぞ……!』
「え、なにその地味に怖い作用」
『覚えておけよ、下痢ピー操祈……』
「だっ、誰が下痢ピッ……って、こらぁーっ! 返事しなさぁーいっ! リリアーンッ!」
顔を真っ赤にして叫ぶ食蜂を小馬鹿にするように鳴り続ける無機質な電子音。プルプルと怒りで震える彼女は荒々しく無線機を鞄の中に突っ込むと、怒りを隠そうともしないまま乱暴に自身の金髪をかき乱す。
「むきぃーっ! あの邪気眼娘、いつか絶対痛い目に遭わせてやるわぁ……!」
「アリャリャ。どうやら随分と怒っているようだネ食蜂」
「ニヤニヤと嫌悪力丸出しな笑顔浮かべているんじゃないわよ警策さん……」
「ニャハハ。ごめんごめん。食蜂がブーたれているのが可愛らしくてねー」
「むぅ……」
ケラケラと腹を抱えて笑う黒髪の少女にふてくされた顔を向けるも、霧ケ丘付属中学校の制服を身に纏った彼女がの笑いはいっこうに収まる様子が無い。鼻に貼られている絆創膏を目がけて引っ叩いてやろうかと一瞬画策する。
「わざわざ防腐力のあるファッション用の絆創膏作って鼻に貼っている痛々しい女の子に笑われちゃあ私もお終いねぇ」
「ヘッヘーン。コレはドリーが『カッコいい!』って褒めてくれたからいいんだもんねー!」
「子供ねぇ。人から賞賛されたからって変えようとしないのは改変力がない証拠よぉ?」
「そんなこと言ったら食蜂だって、ドリーに頼まれてからパジャマがゲコ太一色に……」
「警策さぁああああん!? 余計なことを言うのは節操力のないこの口かしらぁあああああ!?」
「いひゃぁぁああ! ひょひゅひょう、いひゃいひょおお!!」
先程とは違う羞恥心的な意味で顔を真っ赤に染めた食蜂に両頬を容赦なく引っ張られる絆創膏の少女。警策と呼ばれている彼女は彼女の凶行に涙を浮かべながらも、どこかこの取っ組み合いを楽しんでいるような笑みを浮かべている。
そんな彼女の名前は
『ドリー』という訳ありな少女の為に黒幕である木原幻生と協力関係にあった彼女ではあるが、事件解決後の現在は件のドリーと二人で仲良く寮暮らしをしている。暗部関係の人間として行動していたせいで書類上は故人とされていたのだが、そこは学園都市内でもかなりの影響力を持つ【冥土返し】と第五位である食蜂が色々とコネやら能力やらを総動員して普通の生活ができるように手配をしたのだ。今ではすっかり普通の女子高生として楽しい日々を送っている。
だが、そんな警策が何故今回食蜂と共に行動しているのか。
その理由は、意外にもシンプルなものだった。
「でもまさか、ドリーの方から佐倉クンを助けるように頼まれるとは思ってなかったわぁ」
「イテテ……はぇ? 今更何言ってんの食蜂」
「んー? いや、今回の【クイーンズ】にわざわざ警策さんが関わることはなかったでしょうにねぇって思っただけよぉ」
「それはそうだけどサ。でもま、ドリーに頭を下げられちゃ断ることもできないってわけだヨ。いやぁ、私って友達思いだなぁ」
「……人柄と胸囲は比例しないみたいねぇ」
「年下のくせに生意気だネこの牛乳女は」
「年上のくせにまな板なのもどうなのかしらねぇ」
「アハハハハハハハ」
「うふふふふふふふ」
バチバチバチッ! と不可視の火花が両者の間で激しく飛び散る。片や精神操作系最高の超能力者。片や学園都市でも珍しい液体金属を自由に操る大能力者。少しでも能力を行使すればそれなりに周囲に被害を及ぼす二人が現在、女性の胸部的理由で青筋を浮かべて睨み合っている。一応は警策の方も標準くらいのサイズを誇っているにもかかわらず、比較対象が年齢不相応のバストをお持ちの常盤台の女王であるからわけの分からない結果となっているのだ。もはや同年代とは思えない目の前の巨乳女に敵意さえ剥き出しにする警策。
「……ソロソロ食蜂とは決着をつけないといけないナァとは思っていたんだよネ……」
ビキリと青筋を浮かべた警策は太腿の辺りに手を伸ばすと、ホルダーに差してあるサバイバルナイフを手に取ってニコリと引き攣った笑みを浮かべる。
「あら奇遇ねぇ。私としてもぉ、色々な意味で女子力が足りない警策さんにはそろそろ引導を渡してあげないといけないかなぁって思っていたところよぉ?」
対する食蜂も冷ややかな凍りつくような笑みを顔全体に張り付けて、肩から提げた鞄から愛用のリモコンを取り出す。汎用性が高すぎる能力を正確に使用するための道具なのだが、食蜂はリモコンを構えると相変わらずの優雅な動作で椅子から腰を上げる。
――――絶対に負けられない戦いがここにある。
「……せっかく戦うのだから、勝者には豪華賞品をプレゼントしましょうかぁ」
「ソレジャ、見事勝利を掴み取った方はドリーと一日デートをする権利を与えよっか」
「いいわねぇ。ますます負けられなくなったわぁ」
「ヘヘッ、洗脳能力だけで私に勝てるなんて思わないことだネ!」
「警策さんこそぉ、その悪趣味な水銀人形に頼りっきりじゃ駄目なんじゃないのぉ?」
「……いくヨ」
「いつでもいいわよぉ」
ジリ、と同時に摺り足で相手の様子を窺う。少しずつ、円を描くようにゆっくりと移動しながら相手の隙を狙う二人。食蜂の場合はボタン一つでどうにかなるはずなのだが、彼女の中でどういう葛藤があったのかすぐには勝負を決そうとはしないようだ。
喫茶店内に緊張感が走る。少しでも無駄な動きを見せた方が敗北。一瞬の隙が命取りになるこの状況で、お互いにどのような一手を繰り出すのか……。
「…………」
「…………」
相手の一挙手一投足に全神経を研ぎ澄ます。じわりと滲む汗がもはや気にならないくらいの緊迫感に支配された二人はほぼ同じタイミングで生唾を呑み込むと、軸足を踏み込んで一斉に飛び出し――――
「あーっ! やっと見つけたっスよ食蜂操祈! 垣根さんからの連絡でいろいろ邪魔しているらしいアンタを今ここでぶっ殺して――――」
『うっさい! 邪魔!』
「へ? ぎゃぶるちっ!」
突然喫茶店に突入して来た土星の輪のようなゴーグルを頭に被った青年を水銀人形がぶっ飛ばすと、怒りに燃える食蜂がゴーグル少年のあらゆる記憶の改竄を行った。
☆
御坂美琴は混乱していた。
吹寄制理と出会い、他愛もないガールズトークに花を咲かせていた美琴達だったが、さすがにこんなことをしている場合ではないことにようやく気がつくと、慌ててそれぞれが求める少年達の捜索を再開。一時間ほど学区中を走り回ったものの、結局手がかりさえ見つけられない始末。何一つ進展がない泥沼の状況に、美琴と吹寄は疲労の色を浮き彫りにしていく。
そんな中、彼女達は脇目も振らずに雨の中を走っていく二つの人影に遭遇した。
一人は科学絶対主義の学園都市では似合わない純白の修道服を着た銀髪の少女。あちこちを安全ピンで補強した針のむしろ状態の修道服で夜道を走るその少女は、例のツンツン頭の少年といつも一緒に行動しているインデックスとかいう名前だった気がする。自分の事を『短髪』なんていう失礼な名称で呼んでくるちびっこが、何やら必死の形相で学園都市の中心付近――――正体不明の光が幾本も発生している方に向かって小さな足をせかせかと動かしている。
そしてもう一人はというと、吹寄が夕方から捜索していたツンツン頭の少年、上条当麻その人だ。
何やら身体中傷だらけで満身創痍の様子ながらも、彼はインデックスと同様に空に向かって乱雑に伸びる気色悪い光の物体に向けて走り続けていた。脇目も振らず、一心不乱に。だが、どこか焦ったような様子があるのは何故だろう。
その理由はすぐに分かった。上条を追うようにして、彼の後方から何人もの黒ずくめの集団が姿を現したのだ。手に機関銃やらアサルトライフルやらを持った彼らは軍用の防具に身を包んで、なりふり構わず逃げる上条に銃口を向けて狙いを定めている。武器も持たない普通の一般人相手に武装した集団が襲い掛かるとか、いったいどこのB級映画だ。
(あぁもう、なんだってんのよ……)
静かに怒りがふつふつと湧く。明らかに事態に置いてけぼりにされ、何も理解できないままに騒動に巻き込まれている現状に、美琴は八つ当たりにも似た感情を密かに覚えていた。そして結局、騒動の中心にはまたいつものウニ頭がいることにも呆れるしかない。あのバカはいったいいくつ修羅場を乗り越えれば気が済むのか。
やれやれ。徐々に臨界点を突破していく怒りを抑えつけることもせず、美琴はスカートのポケットからゲームセンターのコインを取り出すと――――
「少しは私にも説明ぐらいしなさい! この馬鹿野郎共がぁあああああああああああ!!」
上条を追う黒ずくめの集団目がけて、【超電磁砲】を容赦なくぶっ放した。
唐突に放たれた力の奔流に、【猟犬部隊】の面々は何の抵抗もできずに呑み込まれていく。舗装された道路を削り取る程の勢いで発射されたコインは凄まじい衝撃波を発生させ、彼らを容赦なく宙に巻き上げた。パラパラと細かく削れたアスファルトが地面に落下する中で、美琴は呆気にとられて立ち止まっている上条とインデックスを睨みつけると、鬼の形相で二人を怒鳴りつける。
「手伝ってあげるから、今この街で起こっていることを一から十までしっかり全部私に説明しなさい!」
背後に般若のオーラを纏わせて仁王立ちする美琴を前に、二人は冷や汗を浮かべながら素直に頷いた。
物語が進まないナァ