九月三十日。
数日ぶりに常盤台中学の制服に身を包んだ美琴は、放課後の喧騒に包まれる第七学区を呆けたような表情で歩いていた。今朝寝坊したところを急かされるままに準備し、白井に学校へと強制送還されたせいだろうか、心なしか普段以上に髪が逆立っているように見える。
バイオリンケースを抱える美琴に周囲の視線が集まっていく。学園都市内で五本の指に入ると言われる常盤台中学ならではの注目度だ。あまりにもわざとらしいお嬢様グッズであるバイオリンを持っていることがさらに拍車をかけている。度重なる寝不足によって極度に衰弱した表情を浮かべているにも関わらず、周囲は羨望の眼差しを性懲りもなく送り続けていた。
――――面倒臭い。
溜息交じりに呟くものの、彼女を気遣ってくれる可愛い後輩達は風紀委員の仕事とやらで今日は別行動だ。元気娘には先程鉢合わせしたが、急いでいると言わんばかりに用件だけ手短に伝えて去ってしまった。どこかお互いにぎこちなかったのは気のせいではあるまい。何せここ最近顔すら合わせていなかったのだから。どう接していいか分からず、促されるままに相槌を打つしかできなかった。駄目な先輩だな、と疲弊しきった頭でぼんやりと自嘲。
『ちょっ、おい、吹寄! そんなに腕引っ張んなくても上条さんは大人しく着いていきますって!』
『うるさいこの歩く
『待って待って吹寄さん! 俺さっき土御門ん家でシチューたらふく食ったばっかりだから胃袋付近が爆発寸前!』
『食べ過ぎ? そんな弱っちいこと言ってる貴様はこの【飲むだけでお腹スッキリ! ハラクダスンダーZ】でも飲んでなさい!』
『名前聞く限り下痢の未来しか想像できねぇ!』
死んだように足を動かす美琴の前を、一組の男女が大騒ぎしながら横切っていく。スカートを詰めていること以外は絵に描いたような委員長っぽい女子高生と、どこか見覚えのある、幸薄そうな雰囲気を醸しているツンツン頭の男子高生という二人組だ。強気な女子に男子が振り回されている様子だったが、二人とも笑っていた。楽しそうに、心から幸せそうに、彼らは笑顔を振りまいていた。
「…………」
思わず、俯く。通りのど真ん中であるとか、大衆の目前であるとか、そういうことを一切合財ガン無視して。……美琴は、ただじっと足元に視線を投げかけていた。
――――本当は、私だってあんな風に過ごしたいのに。
押し殺してきたはずの感情が首をもたげ始めるが、それ以上考えることはせずに歩みを再開。このままここに留まっていても、自己嫌悪に陥るだけだ。今はとにかく、目的地に急ごう。
もはや生気の欠片も感じられない空虚な瞳で、ちらと腕時計を見る。
「五時ジャスト……あの馬鹿女との約束まで十分か。まぁ、余裕ね」
放課後にまでこんな街中をぶらついていた理由が、ソレだ。先程佐天から受け取った伝言。『どこぞの変態読心女がとある無能力者の家で美琴を待っている』とかいうツッコミどころ満載のメッセージ。いろいろと言いたいことが溢れかえっているので、とりあえず顔合わせたら顔面凹ませてやろう。日頃の鬱憤を利子つけて返済する気満々で、人知れず拳を握り込む。
陰鬱な気分を誤魔化すように大きく息を吸うと、お気に入りのローファーでコンクリートの地面を蹴りつける。人混みの中を馬鹿みたいな速度で走り抜けながらも、彼女の顔には笑顔一つ浮かんではいなかった。
☆
第七学区の一角に存在する、とある高校の男子寮。あのツンツン頭の少年や、
在りし日の思い出に軽く吹き出しながらも、備え付けのエレベータを使って七階へと上がる。扉が閉まる際に既視感を覚える白い修道服が通り過ぎる姿を目にしたが、特に気にするほどのことでもなかった。おおかた、晩飯をねだりにウニ頭の少年でも探しに行ったのだろう。基本的に脳内の半分以上を食事事情で埋め尽くしている彼女のことだ、まず間違いない。
ポーン、と間の抜けた機械音と共に扉が開く。エレベータを出て左に向かい、突き当りから三番目の部屋。もう何度も通った場所だから、迷うこともなくスムーズに到着。左手にあるインターホンを押せば、少しも待つことなくあの馬鹿が出迎えてくれ――――
(っ……! 落ち着け、私。今騒いだところで、アイツが戻ってくるわけじゃないんだから)
輝かしい過去に思いを馳せようとした自身を戒めると、呼吸を整えながらインターホンを押す。こんな情けない顔をあの性悪女に見せるわけにはいかない。からかわれるのは目に見えているし、末代までの恥になりかねない。最近はサボりがちだが、学内で変な噂を流されるのも嫌だ。
そんなしょうもないことを考えていると、中から耳障りな甲高い声が飛んできた。
『はぁ~い。ちょぉっと待ってねぇ~♪』
ぶん殴ってやろうか。
えらく甘ったるい猫なで声に怒りのボルテージが五十ほど上昇した。相変わらずわざとらしく、そして腹立たしい喋り方だ。美琴自身そこまで気の長い方ではないとはいえ、どこからどう見ても作り物ぶった彼女は同性的な観点から言わせてもらうと気色悪いことこの上ない。しかしながら、世の男性はコイツの人工お色気攻撃に耐える間もなく陥落してしまうのだろう。世の中馬鹿ばっかりだ、と額に手を当てて呻くことも忘れない。
ガチャガチャ言わせながら扉が開かれると、金髪の美少女が視界の先に現れる。
もうなんというか、とにかく『金』だった。髪も、瞳も、アクセサリーも。どれだけ心頭滅却したらこれほどまでに痛々しいモノの数々に身を包めるのか、と割と心の底から問い詰めたくなるような外見をしたこの女は、幸か不幸か美琴の同級生である。置かれた境遇も酷似した少女。美琴的には絶対に認めたくはないが、おそらく常盤台中学内で唯一美琴に共感してくれるだろう精神系能力者。
学園都市第五位。最強の精神感応系能力者、食蜂操祈。
無駄に整った顔と核弾頭級の胸部を兼ね備えた忌々しい超能力者は、美琴に気が付くや否やいつも通りのアイドルチックなポージングを決めると、
「今日も貴女に這い寄る【
「ミコっちゃんぱーんち」
最後にウインクまで決めようとした愚か者の顔面に渾身の右ストレートを捻じり込む。さすがに能力使って速度強化とかはしていないが、割と勢いの乗った拳が食蜂を襲った。悲鳴を上げる余裕もない様子で無様に居間の方へと転がっていくその姿は滑稽と壮観の二言に尽きる。絶賛不機嫌な美琴的には「グゥレイトォ!」とサムズアップしてもいいくらいだ。
「がふっ、げぶぁっ……い、いきなり……何、するのかし、らぁ……?」
「あー、ごめんごめん食蜂。急に目の前に出てきたから蠅か何かと勘違いしちゃったわ。最近涼しくなってきたけど、まだいるんだーって」
「……いいわぁ。わかったわよ御坂さぁーん。温厚平和力で有名な私だけどぉ、今回ばかりはちょっとばっかり身体を張るしかないようねぇ……!」
「はん。かけっこ一つマトモにできない超絶運動音痴(通称ウンチ)に凄まれても滑稽なだけよ」
「だ、誰がカッコ通称ウン……もにょもにょカッコ閉じるよぉ! わざわざ手伝いに来た恩人を捕まえていい度胸してるわねぇ!」
「言ってなさいこのホルスタイ……ん? え、手伝い?」
「……そのホルスタイン発言は今だけは見逃してあげるわぁ」
涙目上目遣いという男好きしそうな所作で自分を睨みつける食蜂の顔を二度見してしまう。まるで予想もしていなかった言葉を聞かされた気がするのは勘違いだろうか。というか、他人のことなんて一ミクロンも興味ないはずの女が、あろうことか手伝いを申し出やしなかったか?
状況が把握できず何度も瞬きを繰り返す美琴。食蜂は憮然とした表情を隠そうともせずに豊満な胸の下で腕を組むと、
「御坂さんがここ一週間、学校を休みがちなのは知ってるわぁ。その理由も、私は把握しているわよぉ。私の情報力はぁ、学園都市でもトップクラスだからねぇ」
「……何が言いたいの」
「だからぁ、つまりはぁ……」
勿体ぶるように人差し指で空を突くと、口の端を妖しく持ち上げ、
「佐倉クンの捜索、手伝ってあげちゃってもいいかなぁって」
「っ!」
――――気がつくと、彼女の胸倉を掴み上げていた。
バイオリンケースが手から離れ、鈍い音と共に足元に落下する。ブレザーの襟を破りかねないほどの力を込める美琴の顔に浮かぶのは、明らかな憤怒の感情。
「元はと言えば……」
すべての憎しみを視線に乗せて、溜まった怒りを解き放つ。
「元はと言えばっ、アンタが望を巻き込んだのが原因でしょうがっ!」
……そう。佐倉がいなくなるきっかけを作ったのは、目の前で無表情を浮かべる食蜂操祈だ。
普通に大覇星祭を楽しんでいただけなのに、そんな佐倉をこの少女は巻き込んだ。他にも候補は無数にいたはずなのに。よりにもよって、佐倉を。
そんな張本人が、ご丁寧に助力を申し出るだと?
「ふざんけんじゃないわよ、このクソ女ッ……!」
「……勘違いしているようだから言っておくけどぉ、佐倉クンは自分から私の依頼を受けたのよぉ? 元凶だなんて言われる筋合いは無いわねぇ」
「うるさい! そうだとしても、声をかけたのは事実じゃないの! アイツはただ、普通の日常を満喫していただけなのにっ……アンタが
「【妹達】が絡んでいた以上、あの場において佐倉クン以外の人選は有り得なかったわぁ。それとも、何ぃ? 何の縁も所縁もない人に貴女の軍用クローンをお披露目しても良かったって言うのぉ?」
「そ、そういう訳じゃないけど……他に、方法があったかもしれないじゃない!」
「……あのさぁ」
「な、なによ……」
「……さっきから聞いていれば、御坂さぁん。貴女偉そうに言っちゃってるけどさぁ」
面倒臭そうに美琴の手を振り払うと、食蜂はようやく核心を突いた。
「過程力はどうあれ、佐倉クンを傷つけちゃったのは御坂さん自身でしょぉ? その事実を直視しないまま私を責めるっていうのは、ちょっとばっかし無責任で自分勝手じゃないかしらぁ」
「っ……」
「あらぁ? もう黙っちゃうの御坂さぁん。さっきまでの威勢はどこに隠しちゃったのよぉ」
「……私、は」
力なく項垂れ、気力もないままに惰性で口を開こうとした時だった。
「もうその辺で勘弁してやったらどうだ、食蜂操祈? そのままでは我らをそこの小娘に紹介する間もないぞ」
「……?」
不意に聞こえた三つ目の声に、美琴は思わず顔を上げる。
その声は、食蜂の背後――――居間の方から放たれていた。透き通った、耳触りのいい美声を発したその人物が、玄関へと続く廊下へと歩み出てくる。
黒いゴシックロリータに身を包んだ少女。左右の眼は右が金、左が紅と異なっている。腰の辺りまで伸ばされた銀髪も相成ってか、まるでおとぎ話の世界から現実に飛び出してきたような印象を抱かせる。年齢は十七歳程だろうか。童顔のせいでどことなく幼く見えてしまうが、その三十センチほど下方で存在を主張する無駄乳を見るにそれくらいの年齢だろう。というか、年上じゃないと美琴の精神衛生上よろしくない。
あまりにも突飛な格好に思わず目を背けたくなるものの、そういえばゴスロリ研究者やゴスロリの双子、そんでもってオッドアイな風紀委員が知人にいたのを思い出す。……なんか悲しくなってきた。
銀髪の少女は優雅な所作で銀髪に手櫛を入れると、華麗に身を翻しつつ言い放つ。
「いつまでもそんな場所で会話しておくのも無粋というものであろう。些細な諍いはひとまず先送りにして、とにかくこちらで本題に入るとしようではないか。案ずるな、紅茶と茶菓子は準備してある」
勝手知ったる人の家を地で行く銀髪厨二病系巨乳美少女に言いたいことは山ほどあったが、これ以上の揚げ足取りは会話の混乱を招きかねないと判断したために口を噤んだ。腹の立つことだが、その考えは食蜂と一致してしまったらしい。変なところで気が合ってしまい、無意識に表情が歪む。
美琴達をナチュラルに居間へ招き入れようとしていた少女は何を思ったのか、「そういえば」と口に出すと、再びこちらに端正な顔を向ける。
「名乗りがまだであったな。これは失礼をした。偉大なる闇の眷属である我にもこうした失敗は……まぁ、そこそこある。そこまで気にするな、許せ」
「何よこの王様系自己中勘違いガールは……」
「言わないでぇ。私もこの子誘っちゃったことを少しばっかし後悔し始めてるんだからぁ」
「類は友を呼ぶからって、生態系が変化するレベルの生命体連れてこないでよ、この噛ませ犬」
「誰が噛ませ犬よ誰がぁ!」
「あ、の……早く来ない、と……紅茶……冷める、よ?」
「今度は何よ……」
まさかの四人目に驚愕どころか呆れの溜息をついてしまう。なんで佐倉の家に見知らぬ女がこんなに入り込んでいるのか甚だ疑問ではあったが、存在を確認しないわけにもいかないので視線を四人目に向けた。
白いセーラー服に紺色のスカートという、銀髪少女に比べるとニュートラルな服装だ。ポニーテールにしている亜麻色の髪もいたって普通。しかし、その下で軽く傾げている顔は、同じく女性である美琴が思わず息を呑んでしまうほどの美しさを誇っていた。すべてのパーツがあるべき位置に収まっているとでも言うべきだろうか。世の美人達でも真っ先に膝をついてしまうだろう美貌を持った少女だった。
先程の少女とのギャップが大きすぎたせいか、言葉を失ってしまう美琴。そんな彼女を他所に、銀髪少女はセーラー服の少女の手を引くと、年相応な明るい笑みを浮かべる。
「丁度いい! この際だから貴様も我と共に名乗りを上げるぞ!」
「え……う、ん。わかっ……た」
「よし! それではその耳よぉく開いて音に聞け!」
そう言って馬鹿みたいに金の瞳を強調するポージングを決める少女と、彼女に苦笑する少女は美琴の方を向くと、
「我が名はリリアン=レッドサイズ! 愚民共の怨嗟の声を聴きこの世界に降臨した、闇の眷属なり!」
「桐霧、静……よろしく、ね」
――――いや、よろしくねじゃないわよ。このコスプレコンビ。
挨拶よりも先にツッコミを入れてしまった美琴に、食蜂が肩を竦めて同意した。