第二十二話 九月十日
ジャック=ステライズは怯えていた。
第七学区の端にある研究機関。学生の能力開発データを末端のみではあるが保持していると言われている重要な研究所。彼は何十人もの仲間達と共に、学生達の能力データを強奪するべく研究所を襲撃していた。理由は、そこまで大層なものではない。能力開発データが学園都市の『外』にある研究機関から高額で買い取ってもらえると聞いたから、ちょっとした小遣い稼ぎ感覚で銃を手に取っただけだ。表向きは高校の英語教師であるジャックは、気軽に人を殺せるほどには腐った性根を持ちあわせていた。そもそもが銃社会、その中でも軍隊という特殊な環境で生きてきた彼である。頻繁に戦争に駆り出される職業であったため、人の命を奪うことにそこまでの抵抗を感じてはいなかった。……あまりに命を軽視するため、軍隊を追放されてしまってはいたが。
今回はただの小遣い稼ぎ。食い扶持を求めて学園都市に入り込んでいる似た境遇の仲間達を集い、研究所を襲撃。データを奪って、『外』の奴らと合流すれば大金を手に入れられる。後はそのまま故郷に戻ればハッピーエンド。何のことはない。数多の戦場を潜り抜けてきた自分達ならやれる。失敗する気は最初から無く、上手くいかないはずがなかった。現に潜入自体はスマートに完遂したし、中にいた護衛らしき警備ロボットも爆砕した。自分達の邪魔をするものは例外なく蹴散らし、目的のデータまで後少しだったはずだ。
だが、ジャック達はデータを手にすることができていない。
「なんだよ、あのバケモンは……!」
ジャックの口から無意識に漏れた言葉が、嫌が応にも『ソイツ』を意識させる。
研究所の最奥部。やや広めの空間が広がっていたそこの扉を開けた時、彼らの視界に飛び込んできた
本来駆動鎧というのは、安全面を考慮してそれなりの大きさをしている。
電気による肉体制御。衝撃に耐えるための様々な装置。より安全に、より効率的に最適化された形状が、一般的な駆動鎧だ。
だが、目の前の『鎧』はその常識を打ち破っている。
肌に密着するライダースーツ型の駆動鎧を製作することが不可能というわけではない。ただ、警備員等に支給されている型式を鑑みるに、それほど容易なことではないはずだ。莫大な資金と技術力が必要となる。それほどまでの非現実的な高性能駆動鎧。いったい、どれほどの後ろ盾を持っているというのか。
(そもそもっ、こんなチャチなデータ泥棒相手に派遣されるような代物じゃねぇだろっ……!)
ジャックの視線の先では、現在進行形で仲間達が戦いを繰り広げている。――――否、戦いなどという大したものではない。それはあくまでも同等程度の実力者が相手である時に成立する言葉であり、今の状況には相応しくない。
駆動鎧が右腕を振るう。『
よくよく見ると、駆動鎧にはいくつもの付属品が装備されていた。両手には甲の部分にゴツイ
イカれている。恐怖に銃を持つ手は震え、喉は奥まで乾いて貼り付いていた。ヒュウ、と擦れた息が漏れるが、かといって身体が動くわけでもない。恐怖心が臨界点を突破したことで、彼の肉体は脳からの指令を受け付けなくなっていた。
彼の視界の先で、一人、また一人と仲間達が葬られていく。
(チクショウ、
まさか末端データごときで殺されるとは夢にも思わなかった。学園都市を甘く見ていたか。
ひたすらに蹂躙を続けていた駆動鎧がジャックの方を向いた。もはや彼以外の標的はいない。漆黒のフルフェイスメットからは表情は読めないが、それが逆にジャックの精神を徐々に破壊していく。計り知れない恐怖と共に、彼の正気が蝕まれていく。
ライダースーツにゴテゴテと装備品をくっつけたような駆動鎧が床を蹴った。ゴッ! という粉砕音と共に、駆動鎧が弾丸となってジャックへと肉薄する。
声を上げる余裕さえない。気が付けば、絶望はすぐ傍にいる。
ジャックの視界を闇が覆い隠すのに、それほど時間はかからなかった。
☆
「いやー、お勤めご苦労様ッス」
月明かりに照らされる研究所から出てきた駆動鎧を出迎えたのは、十八歳程の奇妙な出で立ちをした少年だった。頭には土星の輪のような白いゴーグルが装着されていて、そのあちこちから腰の機械に何本ものコードが伸びている。何に使うのか皆目見当もつかない特殊なゴーグルを身に着けた少年は、どこか飄々とした様子で駆動鎧へと話しかけた。
駆動鎧はすぐには返事を返さず、フルフェイスメットを両手で外す。中から現れたのは十五、六歳ほどの黒髪少年。クセのないストレートな髪をした彼は一見すると真面目な学生のようだが、実際は無能力者による武装集団【スキルアウト】に所属しているという一面を持ち合わせている。彼を知らない人間が聞けばあまり信じてもらえそうにない風貌だった。
佐倉望。夏休み後半に最強の超能力者と死闘を演じ、第二位によって暗部に堕ちることになった無能力者だ。
佐倉は右手と身体で挟むようにしてフルフェイスメットを持つと、
「警備員が密かに開発している怪物自動二輪の搭乗用スーツ……試作品とはいえ、こいつの性能は凄すぎやしませんか」
「表側の技術部も侮れないってことじゃないっスか? まぁ、ソイツは設計図を流用した暗部用の特殊鎧だし、科学者達が調子に乗って技術を惜しみなく投入したってこともあるんっしょ。ヤツら、警備員の技術部ごときに負けていられないって対抗心剥き出しにして頑張っていたし」
「たかが搭乗用のくせにこの性能ですからね……怪物級ではないにせよ、普通に戦闘用としては優秀も良いところですよ」
ポンポンと軽く胸部の装甲を叩きながら感心したように佐倉が呟く。警備員はいったいどこまでの戦力を所持したいのか甚だ疑問ではあったが、その影響が先輩達にまで及ばないことを切に願う。関わったらミンチどころじゃ済まねぇですよ先輩方。
フルフェイスメットを抱えたまま、周囲に誰もいないことを確認しつつ用意されたキャンピングカーに二人で乗り込む。ゴーグルの少年は相変わらずの掴めない調子で佐倉に労いの言葉をかけ続けていたが、返事もそこそこに空間の一番奥に座り込むと静かに目を瞑る。駆動鎧の操作によって蓄積した肉体的疲労が一気に睡魔を呼び寄せた。
徐々に虚ろになっていく意識の中、彼は力なく開かれた自らの右手をぼんやりと眺める。
(……後、何人殺しゃあいいんだろうな)
適度な揺れとゴーグルの弾んだ独り言を背景に、佐倉はゆっくりと意識を手放した。
☆
九月一日から、佐倉望は暗部構成員としての活動を開始していた。
最初に与えられた任務は垣根達の補助。まだ新米であり無力である彼に相応しい任務だった。実際佐倉自身も己の力を見定めてはいたから、そこまでの屈辱も感じなかった。まだ弱くても良い、これから強くなっていけば。標的を相手に大立ち回りを披露する第二位を遠くから眺める佐倉は密かに決意したものだ。
それから、彼は徐々に暗部らしい任務をこなすようになっていく。危険人物の確保、裏切り者への制裁、暗部同士の小規模な抗争……そこではいとも容易く命が奪われ、死体は秘密裏に処理される。そこには最初から誰もいなかった、そういう風に後始末される。
何度死にかけたか分からない。死を覚悟した瞬間なんて数えるのも馬鹿らしいほどだ。大した力もない自分がよくもまぁこうして生きているものだとしみじみ感慨に耽ってしまう佐倉である。
そんな絶望スレスレの佐倉に与えられた今回の任務。『研究所のデータ保護及び新型駆動鎧の試運転』。もはやどちらがメインなのか分からない任務に思わず首を捻ってしまったのは致し方あるまい。
【スクール】が提携している技術機関が製作した新型駆動鎧。警備員が秘密裏に開発していた大型警邏用バイクの搭乗スーツの設計図を基に作られたソレのテストユーザーに佐倉が選ばれた。無能力者がどれほどの力を生み出せるか、という点に興味を抱かれたのかもしれない。「任務後は自分の兵器として好きに運用してくれて構わない、所詮は試作機だ」とは誰の言葉だったか。何にせよ、力が与えられたことには感謝せねばなるまい。
任務を終え、ゴーグルと共にキャンピングカーに乗って向かった先はとあるホテル。どこぞの金持ちが宿泊していそうな雰囲気を醸し出しているホテルだが、暗部組織がアジトとして利用していると聞いたら驚くことうけあいだ。まぁ、文句の一つでも言った日にはその場で首をへし折られるのだが。
エレベーターで目的のフロアに辿り着くと、廊下を歩いて部屋へと向かう。佐倉の背後ではゴーグルが何故か楽しそうに自分の女性遍歴を語っていたが、別段興味もないために適当に相槌を打ちながらアジトのドアを開けた。
中にいたのは金髪の美少女と茶髪のイケメン。どこのキャバクラですかと真剣に悩みたくなるラインナップだが、悲しいかな、彼らは紛れもなく佐倉の仲間達である。正確には上司か。片や学園都市に七人しかいない超能力者、片や強度不明の精神系能力者と中々に個性的な連中なのである。
暇そうに週刊マンガ誌を読み耽っていた垣根は入ってきた佐倉達に気が付くと、気怠そうに右手をひらひらと振る。
「おー、お疲れお疲れお疲れさん。新型鎧でしっかり無双してきたか?」
「……あぁ。試運転で多少遠慮したとはいえ、十分な性能だったよ」
「そっか。強ぇオモチャ貰えて良かったなー」
「……っ」
心底興味なさそうに言うと、再びマンガに視線を落とす垣根。そんな彼の態度に佐倉の頭が沸騰しかけるが、なけなしの理性でなんとか怒りを抑え込む。ここでブチ切れても意味はない。垣根に片手であしらわれるだけだ。駆動鎧を着こんでいるとはいえ、軍隊を相手にできる超能力者に勝利できるとは思えない。それほどまでに桁違いの戦力を持ち合わせているのが、彼ら超能力者なのだ。
弱者の象徴である無能力者な佐倉は密かに舌を打つと、備え付けのシャワールームへと向かう。
「あん? 今から心理定規とエロいことでもすんの?」
「駆動鎧を着替えるだけだ。変な妄想してんじゃねぇぞ童貞」
「ばっ!? て、テメェに言われたくねぇし! だ、誰がど、どど童貞だってんだよバーカ!」
「帝督、語るに落ちるを地で行っているわよ貴方」
「相変わらず愉快に間抜けっスよね」
「ムカついた。テメェゴーグルちょっと面ぁ貸せ」
「はっ? い、いやいや、垣根さんと喧嘩なんてオレの命がいくつあっても足りな――――」
「愉快なオブジェにしてやるよ……!」
「いやぁぁああああ!! へるぷみー佐倉クン! 尊敬すべき先輩が目の前で肉塊に変えられようとしているこの状況を打破できるのはキミしかいない!」
「すみません。俺ちょっと忙しいんで勝手に騒いでいてもらえますか」
「駆動鎧脱ぐだけじゃん! しかもそれスーツタイプだから割とすぐに済ませられるヤツじゃん! ちょっ、そんな冷たいこと言わずに助けてぷりーず!」
「五月蠅ぇ! いいからとっとと表ぇ出やがれ!」
「ひぎゃぁー! 地獄のカウントダウンが一気にゼロに!?」
ドタバタと騒ぎながら部屋を出ていく馬鹿二人に思わず溜息が漏れる。ベッドに腰掛けていた心理定規が爪の手入れをしながら嘆息しているのが目に入ったが、特に気にすることでもないのでシャワールームの扉を開けた。そこそこの広さを有している空間で駆動鎧を脱ぐと学生服に着替えていく。外殻を覆っていた装甲やプロテクター、付属品、スーツを持参したボストンバッグに詰め込むと、再びシャワールームのドアを開けた。
暇そうにベッドに寝転がっていた心理定規と視線が交錯する。
「駆動鎧脱いじゃってるみたいだけど、いざという時困らない?」
「今日はこれから研究所にデータの提出と調整に行かねぇといけませんから。明日からは服の中にでも着込んできますよ」
プロテクターや手甲などの付属品を常時装着するのは流石に不可能だろうが、コンピュータ制御を切った上でスーツ自体を着ておくのはそこまで苦にはならない。あくまでウェットスーツのような感覚なので、外殻や付属品を取っ払ってしまえばインナーを着こむのとそれほど違いはないのだ。両手部分は……乾燥肌だからとか嘘ついて手袋でもつけておけばいいだろう。
ボストンバッグと学生鞄を持ち直すと、アジトを後にする。心理定規が手を振って見送ってくれたのが若干気味悪くして仕方がなかった。基本的に魔性の女感丸出しの彼女には何をされても嬉しくない。
ホテルを出ていく際に闇の中から聞き覚えのある助けを呼ぶ声が聞こえた気がしたが、佐倉は夕方に停めておいた自転車に乗り込むと全速力でそこから立ち去る。あぁいう状態の垣根にちょっかいをかけるとロクな目に遭わないというのはこの十日間で嫌という程理解した。無視して撤退するのが最善策と言えよう。
自転車を走らせ、件の研究所へと向かう。最低限に灯された電灯に照らされる彼の顔は、何か大切なものが零れ落ちかけているようにも見えた。