「佐倉……」
コンテナの裏に佐倉とミサカを移動させた美琴は明らかに瀕死状態の佐倉の隣で膝をつき、彼を悲しそうな表情で見下ろしていた。
いつも無駄に元気で軽口ばかり叩いている佐倉ではあるが、現在はその元気さがまったく見られない。両目を閉じ、微かに消え入りそうな呼吸だけを行っている。心臓の鼓動は通常時の半分ほどの速度で聞こえていて、どれだけ危ない状況であるかを美琴に知らせていた。
今にも生命活動が停止するのではないかというほどに弱り切っている佐倉の髪を梳き、美琴はポツリと漏らす。
「……ごめん。私の、せいで……」
もう何度目になる謝罪だろうか。かつて交わした約束が佐倉を一方通行との戦いに赴かせてしまったと思っている美琴は、先ほどから口を開くたびに彼への懺悔を口にしていた。返事なんて戻ってはこないのに、無意識のうちに零れ出る。
「お姉様……」
少し休んだことで痛みが取れてきたのか、先程に比べると幾分かマシなテンポで呼吸を行うミサカ。彼女はゆっくりと上体を起こすと、隣で目を覚まさない佐倉に謝り続けている美琴を複雑な表情で見やる。
元はと言えば、自分を除いた美琴達三人はこの実験場に来るはずはなかった存在だ。ミサカと一方通行が二人で戦闘を行い、そしてミサカが死体に変わる。それが、当初の流れだったはずだ。
彼女以外の犠牲は出ることはなく、死体も秘密裏に処理されるので迷惑をかけることもない。ただ、それだけのはずだった。
……それなのに、何故こんなことになってしまったのか。彼らと関わりを持ってしまったのがいけなかったのか。
自分の意志とは裏腹に勝手に展開していった悪夢のような一連の出来事に、ミサカはどうすることもできず涙を流すしかない。
「……ごめんなさい、お姉様」
思わず、口をついて出たそんな言葉。
いきなり謝られるとは思っていなかったのだろう、美琴は驚いたように目を丸くしてミサカの方に顔を向ける。
無意識に放ってしまった謝罪はそのまま流れるように続いていった。
「元はと言えば、ミサカが原因です。あの少年達に無闇に接触し、最低限以上の関わりを持ってしまったのですから」
そう言って悲しそうに俯くミサカの目から、ポロポロと涙が零れ落ちていく。
佐倉や上条と知り合い、彼らと接していたことが楽しくなかったかと聞かれると、ミサカはノーとは言えない。『楽しい』という感情がイマイチ分からない彼女ではあるが、彼らと一緒にいると不思議と心が安らぐようだった。公園のベンチで佐倉と軽口を叩き合った時は思わずニヤリと口元を吊り上げてしまったし、上条と共に猫のノミを駆除した際にはお礼を言われて破顔してしまった。
彼らといると、今まで知らなかった感情を経験できた。実験室では手に入れることができなかったであろう貴重な体験をすることができた。
……しかし、その体験を得たために佐倉達の命を失ってしまっては、まったく意味がないではないか。
もしも少しのプラスを得たせいで膨大なマイナスが訪れるのならば、最初からゼロで良かった。楽しみなんて、手に入れたくはなかった。
「ごめんなさい、お姉様……!」
だからミサカは謝り続ける。自分が犯した罪を償うために、ひたすら頭を下げ続ける。
「アンタ……」
そんなミサカを見て、美琴はチクリと胸を刺すような痛みを感じていた。
彼女が彼らに出会ってしまったせいでこのような事態になってしまった事実は否定できない。実際、クローンを目にすることが無ければ上条は実験に気が付くことはなかっただろうし、佐倉が命を張りに行くこともなかったはずだ。美琴も最初は、クローンさえいなければと心から思っていた。
……だが、そうやってミサカ達を憎むのは、お門違いではないだろうか。
彼女達は自分の意志で生まれてきたわけではない。【超電磁砲】の量産型生産計画の産物として生を受け、その低スペックゆえに【絶対能力者向上実験】の標的として確実な死を勝手に義務付けられただけだ。そこに彼女達の意志はなく、ただモルモットとして人生の目的を植え付けられてきただけにすぎない。
それに、そもそも彼女達が生まれることとなった根本的な要因は美琴自身にある。科学者の口車に乗せられてDNAマップを渡してしまった、彼女自身に。
こんな実験が行われるのを知っていれば、あんなことはしなかったのに。
これまで何度そうやって後悔してきたことだろうか。何度彼女達に謝罪の念を抱いてきたことだろうか。
(……でも、私がDNAマップを提供しなかったら、この子たちは生まれてくることさえできなかったんだ)
身勝手な考えだとは理解している。自分の罪を棚に上げて、論点をずらしているだけだとも分かっている。
でも、妹達が生まれてきたこと自体に罪はない。命は誰に対しても平等にあり続けなければならないのだから。
――――だから、美琴は言ってやる。
「アンタが謝ることはないわ。こいつが無理したのは、私が原因なんだし」
ミサカ達の罪悪感を消し去るために、美琴は不格好ながらも笑顔を浮かべて肯定してやる。
罵られてもいい。軽蔑されてもいい。
こういう時、佐倉望なら絶対こう言うはずだから。
「だからもう謝らないで。私も、アンタも、謝るべきは今じゃない。……この腐った実験を早く終わらせて、後でたっぷり佐倉に謝りましょう」
言って、美琴は優しい手つきで傷だらけのミサカの頭を撫でる。今まで拒絶していた彼女を、柔和な笑みで受け入れる。
不意の出来事に思わず身体を硬直させるミサカだったが、撫でられているうちに徐々に気が楽になったらしい。無駄に力の入っていた様子だったミサカは、気持ちよさそうに目を細めると少しだけ美琴との距離を縮めていた。
彼女達はまだ負けていない。未来はきっと、必ず訪れる。
だから……、
(……だから、絶対勝って)
今この瞬間も最強と対峙しているツンツン頭の少年に、美琴は心の底から勝利を願う。
☆
「うぉおおおおおおおおおお!!」
上条が地を蹴り、拳を握って一方通行との距離を詰める。この時の為に万全に残していたスタミナを、ここぞとばかりに放出する。
愚直にも真っすぐ突っ込んでくる上条を見て、一方通行は怪訝そうに眉をひそめた。
(何考えてンだ、この三下は……?)
大胆な啖呵を切ってきたからそれ相応の能力者かと思って多少楽しみにしていたのだが、なんだか裏切られた気分だ。途端に冷めた気持ちになり、舌打ちが零れる。
こんな雑魚と長く戦う意味はない。早く決着をつけてしまおう。
面倒臭ェ。愚かにも直進してくる三下を瞬殺するべく、一方通行は足元の砂利を弾丸に変えて発射しようとして――――
刹那、急激な眩暈が彼を襲った。
(――――っっ!?)
耐えられないように眉間を抑える。瞬間的ではあったが、痛みや怪我に慣れていない彼は突然の眩暈に苦悶の表情を浮かべた。
先ほどの黒髪から受けたダメージが想像以上に残っていたらしい。気付けば、若干ではあるが足元も覚束ない。カクカクと、少しではあるが震えている。
(チッ! こンな時に……笑えねェぞ!)
不機嫌に再び舌を鳴らす一方通行だったが、次なる手を打つべく向かってくる上条の方を向く。
一方通行が行動を停止していた時間は一瞬。しかしその一瞬の隙を上条は見逃さない。
わずかに反応が鈍っている様子の一方通行の懐へと入り込むと、身体を捻って右拳を顎に向かって突き上げる
タイミングは完璧。一方通行のガードは間に合わない。
だが、一方通行に焦る様子はまったくない。それもそうだ。彼には核爆弾をも跳ね返す絶対的な反射がある。どんな能力でも跳ね返し、彼に傷一つ負わせることはない最強の盾が。
さっきは正体不明の雑音のせいで不覚を取ったが、現在の自分を妨げるものはない。向かってくる拳は反射によってへし折れ、舐めた三下は戦闘不能になるだろう。
今まで何百回も目の当たりにしてきた展開を思い浮かべ、嫌らしく口の端を吊り上げる一方通行。勝利は確定したとばかりに笑い声を漏らし――――
――――気が付くと、彼は空を見ていた。
「…………は?」
突然すぎる景色の回転に判断が追いつかず、思わず拍子抜けた声を漏らす。
なぜ自分は空を見ているのか。状況を理解することができず、戸惑いだけが彼の頭を駆け巡っていく。
(なンだ……なンで俺は、仰向けなンかに……ッ!)
状況把握に思考を割こうとした矢先、彼全身を鈍痛が駆け巡った。ズキズキと骨に響くような痛みが身体中を走り回る。
そう、『痛み』が。
(痛ェ、だと……!?)
咄嗟に口元に手をやると、ぬるっとした液体が。慌てた様子で右手を目の前に持ってくる。
手のひらに、赤い粘液が付着していた。正体は何かなんてわざわざ考えるまでもない。そもそも、彼は今まで誰よりもそれを目にしているのだから。
(どォゆゥことだ……なンで、攻撃が通って……)
攻撃は当たらないはずだった。反射の壁に阻まれて、無様に無効化されるはずではなかったのか。
(無意識に反射を切っていた……? いや、それはありえねェ。さっき俺は能力を防御に特化させていた。演算も完璧だったし、タイミングにも狂いはなかった。反射を忘れていたなンてことはねェんだ)
原因が掴めないながらも、一方通行はなんとか立ち上がる。先の戦いで蓄積していた疲労と今回受けたダメージが相乗効果を発揮して膝がガクガクと震えるが、なけなしのプライドとスタミナでどうにか身体を起こす。
「ハハ……面白ェ。最高に愉快に決まっちまったぞ……三下ァッ!」
ブチ切れたように右腕を振り回す。自分を虚仮にされたような気がして、込み上げてくる怒りを拳に乗せて忌々しい敵へとぶつける。
だが、上条は一方通行の腕を右手で難なく弾いた。
「なっ……!?」
攻撃を捌かれるとは夢にも思っていなかった一方通行は呆けたように虚空を見つめてしまうが、それが隙を生み出してしまう。すぐに防御姿勢を取ればいくらかは違っただろうが、無防備に顔面を突き出している今の彼は弱点を曝け出していると言っても過言ではない。
チャンスとばかりに腰を捻る上条。防御に使った右手を回転の勢いで引き戻すと、拳を握り込んで一方通行の顔面を殴りつける。
「がッ……!」
ドゴシャァッ! と豪快に後頭部から砂利の上に崩れ落ちる一方通行。あまりの勢いに数回地面の上をバウンドすると、そのまま痛みを隠すことなく痙攣を始める。
もはやそこに、学園都市最強の威厳はない。あるのは無様な敗北と、絶対的な激痛だけだ。
「グ……!」
「……くだらねぇモンに手ぇ出しやがって」
小刻みに震える四肢を懸命に動かして次なる攻撃に備えようとする一方通行を見下ろしながら、上条は静かに呟いた。
怒り、憎しみ、悲嘆。すべての感情を言葉に乗せ、彼は思いの丈をぶつけていく。
「妹達だって精一杯生きてんだぞ。それを、なんでてめぇみてぇなヤツの食い物にされなくちゃいけねぇんだ」
(生き、てる……?)
上条の言葉を聞いた瞬間、一方通行の中である記憶が蘇ってきていた。
それは昔の記憶。この呪われた実験の、始まりの記憶。
学園都市最強の名を狙って自分を狙う不良達をいつものように蹴散らした一方通行。そんな彼の元に突然現れた研究者らしき男は、彼に向かってこう言ったのだ。
『最強止まりでは、キミを取り巻く環境は永遠にそのままなのだろうね』
その言葉が嫌に頭に残って、一方通行は思わず彼の研究所を訪れていた。
そこで目にしたのは、培養液の中で眠る何千体もの体細胞クローン。国際法で禁止されているはずのそれらを平然と当たり前のように製造している彼らに、少しだけ興味が湧いた。
そして第一回実験。一方通行の前に現れたのは、軍用ゴーグルと拳銃を装備した一人の少女。
とても超能力者の量産型とは思えない動きに違和感を覚えてはいたが、彼は科学者達に言われた通りに彼女を倒した。あまりにも呆気なさ過ぎたので問い詰めると、スペック差には目を瞑ってくれとのお言葉。そして、実験は対象の生命活動を停止させるまで終わらないとまで言われた。
『大丈夫。遠慮することはないさ。ソレは蛋白質と薬品で合成された――――人形なのだから』
(……そうだ、人形だって言ってたじゃねェか)
科学者達は確かにそう言っていた。気にすることはないと。人形を壊すことに遠慮はいらないと。だから彼も躊躇はしなかったし、いつしか殺すことに抵抗もなくなっていた。
だが、目の前の男や先の黒髪は、どうしてここまで人形を救うことに執着するのだろうか。
どうして、こんなに頑なに人形を守ろうとするのだろうか。
「……てめぇにどんな事情があったとか、そんなことは知らねぇよ」
戸惑いと混乱。とても安定しているとは言えない精神状態の一方通行を真っすぐ見据え、上条は語りかける。
一方通行にも信念があるのだろう。思いも、覚悟も。上条にはわからないような事情を持っているかもしれない。
「でも、だからってあいつらを殺していい理由なんかにはならない。どんな事情があっても、他人を食い物にしていいはずなんかねぇんだ……!」
しかし、だからといって妹達の未来を奪っていい理由にはならない。たとえ已むに已まれぬ事情があったにしても、命を奪っていい道理は存在しない。
だから、上条当麻は間違いを正す。自分ではどうにもならないところまで来てしまった哀れな最強をここで止めるために、彼は最弱の拳を真っすぐ振るう。
呆然と上条を見る一方通行を怒りの眼差しで睨みつけ、上条は宣言する。
「歯を食いしばれよ最強」
それが正しいのかは分からない。もしかしたら間違っているのかもしれない。実は一方通行の言い分が正しくて、上条の考えは子供じみた屁理屈なのかもしれない。
それでも、上条は自分の想いを突き通す。それがたとえ災いを招くことになろうとも、後悔しなくていいように彼は躊躇せずに前へと進み続ける。
「俺の最弱は、ちょっとばっか響くぞ」
固く握られた拳は抵抗を忘れた一方通行の顔面に突き刺さり――――
――――ドサ、という音と共に、純白の少年が地面へと倒れ伏した。
「……ちょっと頭冷やせ、馬鹿野郎」
今まで血みどろの人生を歩んできた最強を労うように、上条は優しい声音で呟く。これまでの彼の人生を否定した彼は、新たな未来が来ることを願って一方通行を打ち倒した。
ふぅ、と緊張が解けたように息をつく上条。役目は終わったとばかりに表情を緩めていると、背後から美琴とミサカが状況を窺っている様子が見えた。攻撃に巻き込まれないようにしているのかそっとコンテナから顔を覗かせていた彼女達は、上条と近くで気絶している一方通行に気が付くと驚きのあまり口をぽかんと開けていた。まったく同じ反応を見せる二人に、上条は思わず吹き出してしまう。
信じられないという風な表情のまま上条へと近づいてくる二人を見ながら、彼はニカッと笑顔を浮かべると安心させるように言い放つ。
「……さ。早くそこで寝ている馬鹿を治療して、死ぬほど説教してやろうぜ」
――――こうして、一万人以上の犠牲者を出した悪夢の実験は、二人の無能力者によって終止符を打たれたのだった。