『―――』
静かにすすり泣く、一つの影があった。
雪が降りしきる中、墓石に背を預けて涙を流す少年。何の変哲もなかった茶髪は色が抜け落ちて白く染まり、左の瞳は常人のそれとはかけ離れたものに変容してしまっている。左腕に至っては
そんな時、AKUMAの残骸が散らばる墓場に一人の男が現れる。
この光景を今も映し出す金色のゴーレム、その契約者である赤髪のエクソシストだった。
『―――AKUMAに内蔵された魂に、自由はない』
永遠に拘束され、伯爵の
―――破壊するしか、救う手は無い。
無情なまでに現実を告げる赤髪の神父は屈みこみ、絶望の中に在る少年と目を合わせる。
その仕草は、己が本分に立ち返った聖職者のようで。
『生まれながらに対AKUMA武器を有した人間か……数奇な運命だな。―――お前もまた、神に憑りつかれた使徒のようだ』
やがて彼は、厳かな声音と共に言葉を紡ぐ。
少年はおろか、恐らくは多くの人間の運命を決める事となった、その言葉を。
『―――エクソシストにならないか?』
「「「……」」」
ティムキャンピーの映し出した一部始終を見届けた面々は一様に黙り込む。記録機能を保有するゴーレムを介して見た少年の記憶に、どこか重苦しい空気が立ち込めた。
「悪くない。酒も一層美味く感じるな」
「相変わらずだな、アンタは……」
ニヤニヤと笑って葡萄酒を口にする綺礼の発言にリーバーのツッコミが飛ぶ。『やけにしつこくティムの映像を見たいって言ってくると思えば……』などとぼやく彼だったが、当の綺礼はいつものように胡散臭い笑みを浮かべてた。
「そうカリカリするな、リーバー。ユウにコムイ、リナリー……教団に所属する者で悲劇を味わった者など挙げればキリがないだろうし、その多くが過去を引きずる事無く生きている。アレンの眼を見る限りあれもその類だ、お前達が気に病む必要などないことくらい理解しているだろう」
「いや、それはそうだが……ちょっと待て、話題が微妙に逸れてる。俺が言いたいのは―――」
「悲劇を酒の肴にして何の問題がある」
「開き直りやがったよこの外道っっ!!」
「……」
にわかに周囲が騒がしくなる中、顎に手をやって考え込んでいたコムイは綺礼に問いかける。
「―――綺礼さんは、アレン君の事をどう思う?」
「何だ、先程の事か?」
回収したイノセンスの提出もあり、アレンやコムイと共に地下へ潜った時のことを思い出しながら聞き返す。首肯する彼を認め、飲み干したグラスやワインボトルを片付けながら綺礼は応じた。
「―――へブラスカは『時の破壊者』などと言っていたか。少なくとも現状では『
未熟に過ぎる、と。
それこそ己の最終手段である
「AKUMAを識別するという『眼』、加えて
「……そうかい。うん、そうだね……うわ! もうこんな時間か……アレン君の団服も用意しなきゃいけないから、もう寝れそうもないかなぁ……マテールから帰ってきたトマの報告も聞かなきゃだし……」
「……」
眼鏡の奥から束の間覗いた、憂いを含んだコムイの眼差しをしかし綺礼は見逃さなかった。
時として子供をも戦場に送り出さなければならない彼の苦悩を敏感に悟る彼は、しかしそれについて何も言うことなく口元を歪める。図星をついてやるのも一興だが、時には独り静かに悩む姿を見るのも趣きがあった。
「お前はよく寝ているだろう、よりにもよって勤務中に」
「む、そう言えば綺礼さん仕事だけはちゃんとやるんだよなぁ……外道なのに」
「心外な事を言う。君もそれなりのものがあるだろう。具体的には寄生型エクソシストの修理時か」
「うわ、綺礼さんにそう言われると凄いショックなんだけど……」
半眼を作るコムイの言葉に笑みを浮かべた綺礼は、やがて背を翻す。
「綺礼さんは……大聖堂か」
「あぁ……祈りを待つ者がいるからな」
そこだけ彼はうっすらとした笑みを浮かべ、その場を立ち去った。
神父らしからぬエクソシスト、進められる実験の数々など様々な要因により忘れられがちだが、黒の教団はヴァチカンの命により設立された組織、つまり十字教の傘下である。
当然施設内には大聖堂も作られており、教団の信者達は―――といっても信仰以外の理由から教団に入った者は驚くほど多く、敬虔な信徒と呼べるような人間は半数にも満たない―――常日頃この空間で祈祷を捧げている。
そして言峰綺礼やその娘もまた、そうした人間の一人であった。
「―――主よ、御名を崇めさせ賜え。御国を来らせ賜え。天に御心の成るが如くに、地にもまた成らせ賜え」
跪く綺礼の前には、棺があった。その中に入ることとなった者の状態は明白。日頃より慣れ親しんだ主禱文を口ずさみ、彼は今一度聖職者としての本分に立ち返る。
「我らが仇を許すが如くに、我らの罪を許し賜え……どうか我らを誘惑に惑わすことんかれ。我らを悪より救い賜え……Amen」
瞑目と共に十字を切り、手の中のロザリオを掲げる。
そう、彼の保有する対AKUMA武器である金色の十字架はの能力は―――行使対象の浄化である。
「―――
光が溢れる。
大聖堂全体を満たしたのは穢れを許さぬ清らかな輝き。それは物理的な障害すら意に介さず、棺の中に納められた
AKUMAに対して行使すれば強力な毒となりその傷を開く彼のイノセンスだが、これこそが本来の真価であった。行使対象である遺体に聖別化を施すことで魂魄に干渉し、決して穢される事のないよう浄化する。それには千年公の禁術も意味を成さず、彼のイノセンスによって清められた者は決してAKUMAとなることはない。
この技術が確立されるまで教団の殉職者は土葬を許されず、信仰者であった者も禁忌とされる火葬を余儀なくされていたのだが―――今では、綺礼の手による洗礼を受けた者は皆故郷の土へ還る事が出来るようになっている。
尤も、AKUMAの毒に侵され塵となってしまった者など、教団に帰る事のできなかった者はどうしようもないのだが―――、
「う、うぅ……!」
「……」
背後から響いたすすり泣く声に、イノセンスの発動を終えた綺礼は後方を顧みる。日も昇らぬ時間帯にも関わらずこの場を訪れていた複数名の
「あ、ありがとうございます、言峰神父……! これで、あいつを故郷に帰してやれる……!!」
成程、と納得したように綺礼は頷く。
任務から帰還した彼やその周囲の人間の体には少なからぬ傷があった。イノセンスに選ばれずAKUMAに対する決定打を持ち得ない
絆や信頼など、その手の仲間意識を持ち得ない綺礼ではあったが―――それでも、彼等の意志を理解するには十分だった。
「御苦労だったな。心配は要らない、そう時間をかけずに―――三日もすれば彼の遺体は故郷へ還ることだろう。君達はゆっくりと体を休めて置くと良い……彼の為にも、全力で生き足掻くことだな」
「は……はい……!」
最後に仲間の遺体が納められた棺に濡れた瞳を向けた彼等は、並んでその場を立ち去って行った。
「……」
しばらくその場に佇んでいた綺礼は、ふと大聖堂の隅を見やる。
備え付けられたパイプオルガンに腰掛ける白髪の少女は、口元に手をやってクスクスと微笑んでいた。
「どうした、何が面白いのかね?」
「ふふっ、いえ―――少しばかり、安心しまして」
「ほう」
「いつもはあんなですからね。ちゃんと聖職者らしいことをしてくれているのを見ていると嬉しくて」
「む、失礼な事を言う……私は常に立派な神父であらんと心掛けているさ」
「あら、驚きました。頭に『外道』の冠がつけられていると思ったのですが」
穏やかな微笑を浮かべるカレンの言葉に眉を跳ね上げた綺礼は憮然とした表情を見せた。楽しげに笑ったカレンはオルガンに細い手を伸ばし、手慣れた動きで弾き始める。
「……夜明けか」
聞き流れた賛美歌が流れる中、綺礼は頭上を見上げる。
ステンドグラスから差し込む光が、大聖堂を温かく満たしていった。
聖職者な綺礼が書きたかったんじゃ。
次回、朝ごはん。アレンの命運や如何に……!!