マグカップの中になみなみと注がれたジェリーさんのホットチョコレート、その上から常備している角砂糖を次々と投入する。
スプーンを突っ込んでかき混ぜては角砂糖を追加するそんな私に、ベッドに横たわるお母さんが苦笑した。
「体に悪いわよ?」
「よく言われます。 だからここに来たんですよ。 普段過ごす大聖堂では飲食も憚られますからね」
十九個目の角砂糖を投入した私は淡々と返すが、それでもやはり口元が綻びるのを感じる。
私の親友であるリナリーは中々どうして私の食生活に煩い。 味気ない健康的な食事を摂る位なら死んだ方がマシと本気で考える私にとっては、滅多に他人の立ち入らずいちいち邪魔される事のないここが唯一の安息地だった。
二十五個の角砂糖が溶け切ったのを確認した私は、湯気を立てるそれをゆっくりと口に運ぶ。
唇から流れ込み口内を蹂躙する甘味、泥のような喉越し、脳を麻痺させかねない程の糖量。 一般的な味覚を持つ人間にとっては致死に等しい飲み物らしいが、訳ありな体質を持つ私にとってはほんのりと甘かった。
やっぱりジェリーさんのは美味しい。
「……ふぅ」
幸せそうに息を吐き出す私の頬は、きっとだらしなく緩み切っていたに違いない。
穏やかに私を見つめてくれる母と過ごす、極上のひと時。
あぁ、でもただ一つ、不満があるとするならば―――、
「あぁ困りました。 外道がいてはおちおち休息を取る事もできません」
「その台詞、そっくりそのまま返してやろう」
罵倒する私に対して、目に通す書類から顔を上げる事もなくそう返してきた父親の存在だろうか。
「私の平穏を返してください。 扉を開いた途端目の前に外道の姿があった時の絶望を理解できますか?」
「ほう、鏡でも見たかね?」
「この真っ黒神父め」
「はて、何のことやら」
いつもこうだ、この男は。 私が罵る度に黒幕っぽい笑みを浮かべては軽く受け流す。まったくどうしようもない。
ホットチョコレートを乱暴に飲み下し、ふんと鼻を鳴らす。当の神父はいつの間にか書類を片付けており、私を見てはあの胡散臭い笑みを浮かべていた。
一体お母さんはどうしてこんなのに惚れたのだろうか。天使と悪魔に例えてもおかしくない位対照的だろうに。
「そう言えば、お父さんはクロス元帥に師事を仰いでいたんですよね?」
「あぁ、六年前までな。 貴重な体験だった……それがどうした?」
「いえ、先日彼から手紙が届いていまして。 すぐにコムイさんの汚い机に消えてしまったので中身は読めませんでしたが」
「ほう、導師から? 珍しいな……」
「ここ数年、音信不通だったのよね?」
「えぇ、今では死亡説さえ出ている有様でしたが……どんな人だったんですか?」
私達が父さんと共に教団に来たのが十二年前。その後世界中を飛び回っていたらしいクロス元帥と顔を合わせた事は複数回あったが、最後に会ったのが……十歳頃だろうか。 噂とその時の印象を重ねてもだいぶ最低な部類に入る人間だったが、むしろだからこそ父と共に過ごしていたあの人の話に興味があった。
「ふむ……」
私の問いに、腕を組んだお父さんはどこか感慨深げな表情を見せる。
暫く考え込んでいた彼は、やがて笑みと共に口を開いた。
「導師は、千年伯爵と深い因縁があってな。 特に印象深かった出来事は―――」
『……』
煙草や酒、食料などの買出しに行っていた言峰綺礼は、目の前の光景に
もぬけの空となった隠れ家、室内に残る破壊痕。壁には至る所に銃弾がめり込み、机からクローゼット、寝具まで全て跡形もなく破壊されている。
『やれやれ、AKUMAの群れがわらわらと近辺を捜索していたから何があったかと思えば……これで6回目か』
教団本部で加工された己のイノセンスを受け取ってから、妻子を残して師である男に拉致され世界中を飛び回り連れ回される日々。
昨晩から女遊びに行っていた師、泥酔状態の彼が隠れ家に帰るなり全裸になって眠りだしたのはほんの少し前のことだ。恐らくは就寝中にAKUMA……いや、ノアの一族にでも襲撃され逃亡したのだろうが―――仮にも聖職者である男がどこかを裸で逃走してやいないかと、少々本気で心配しそうになる。
幸いにも、破壊された隠れ家には貴重品や衣類の類は存在しなった。きっと彼が全て持ち出したのだろう。
―――残念だ。変質者の写真でも撮れていれば面白かったのだが。
そんな己の思考に気付いては苦笑する。
やはり、あの男に振り回され教えを受ける中で、自身も随分と
『……朱に交われば赤くなる、か。いや、私の場合は本質的にそんなものか?』
口元の歪んだ笑みを手で覆い隠しつつ。
彼は尋ねた。
『なぁ、貴方はどう思う。―――
『歪んでますネ♥ 我々の中でも、貴方ほど狂った男はそうはいませン♥』
一体いつからその場にいたのか。
綺礼の後ろ、隠れ家の入り口に立っていた怪人は、その立派な歯並びを見せつける様にして嗤う。
『それは驚いた。その程度の戦力で世界を滅ぼせるのか?』
『狂人の数で世界の命運を決めてたらとっくに滅びてますヨ♥』
『違いない』
風船の様に膨らんだ体を揺らす千年伯爵に対し、綺礼も頷く。
そう、狂人が幾らいようが、その程度で世界は壊れない。そういう作りになっている。
『それで、導師の襲撃もせずに私に会いに来たのか』
『逃げられちゃいましタ♥ アノ男、ゴキブリ並みにしぶとくて困っちゃいまス♥』
『……それは間違いだな。 あの人種は世界が滅びたとしても生きている類だ』
『本題に入りますヨ♥?』
『分かっている』
壊れたデスクに歩み寄った彼が残骸から取り出したのは、クロスの字によってデカデカと㊙と書かれた分厚い封筒だった。 何らかの術が掛けられていたのか、AKUMAの襲撃を受けたにも関わらず傷一つ無い。
『教団の極秘資料だ。 導師の新たに確保した拠点についても全て載っている』
これまであった数度の『情報提供』でしっかり信用しているのだろう、中身も確認せずに懐にしまった伯爵は御機嫌そうに背を向けた。
『ヌフフ、毎度ありデス♥ では御機嫌よう、キレイ♥』
『……』
世界の敵が立ち去った後、廃墟の中には独り綺礼が佇んでいた。
『ふ』
『くくっ、ははは……はははははははははははははははははははははははははははははは!!』
仲間を師を売った筈の男は、ただひたすらに嗤う。
あぁ、誰が疑おうか、誰が思おうか。
何ヶ月も前から千年伯爵の側に寝返っていた筈の男が握らせていたのが――これまで彼の師が溜め込んでいたちょっとした大富豪程度なら軽く破産させられる程の
『さて、書類上の手続きは済ませてある。 既にアレがあの男に渡った以上、もうどうしようもあるまい。 全額無事に
ここまでのお膳立ての為に複数の拠点を破壊される事になったが、あれだけの借金に比べれば安いものだ。帰還した千年伯爵が封筒の中身に気付いた瞬間見せる表情を思い浮かべるだけで腹筋を崩壊しそうになる。
『導師もどこかで大いに笑い転げている事だろう。私も行くとするか』
どこまでも楽しそうに嗤いながら、彼はその場を立ち去る。
そんな男の後姿は、どこまでも生き生きしている様に見えた。
「
「だろう?」