~001~
俺は金が好きだ。
いや、正確には人を騙したことによって得た金といった方がいいか。
だからこそ、もしなんの労力もなく――つまり俺の生業である詐欺を行うことなく手に入れた金になぞ、なんの価値もない。なんの意味もない。
例えばの話――何らかの経緯で助けた老人が途轍もない金持ちで、感謝の気持ちとして謝礼金を渡そうとしてきたとしても、俺がそれを受け取ることはないだろう(俺がそんな慈善行為をするはずないが)。
例えばの話――身内が宝くじで高額配当を的中させて、その何割かを譲渡してくれるという申し出があったとしても、俺はそれを固辞することだろう(俺に身内なんてものはいないが)。
詰る所、理由は各々勝手に想像して貰って構わないのだが――俺が何を言いたいのかというと、そういった金に対し、俺はなんの魅力も感じないということだ。
重ねて言っておくとしよう。
騙し取った金にこそ価値がある。
そうして得た金だからこそ、俺はそれを愛おしく思うし、得難い充足感を実感することができるのだ。
それが詐欺師――貝木泥舟にとっての譲れない矜持だといっていい。
~002~
なんてのは勿論、嘘だ。
そんな矜持など持ち合わせた覚えはない。
労せずして手に入れたのであれ、金は金だ。価値のない金なんてあって堪るか。
謝礼金が貰えるのであれば臆面もなく頂戴するし、その上でもっとせしめる算段を立てる。身内であればもっとたかれないかと画策することだろう。
俺は金の亡者であり金の虜――金の為になら簡単にプライドを捨てることができる。捨ててやる。
とは言っても、俺が納得する額を提示された場合に限るとだけは、しっかりと注釈しておく。あまり安くみられても困る。
何にしても、金があって困ることはない。貰えるものは貰うということだ。
まぁ、そんな気前よく金をくれる人間なんて、そうはいないのだろうけれど。
そんな状況に出くわさないからこそ、大多数の人間はあくせくと働くしかないのであって、俺も例に漏れず人を騙し続けるしかないのだろうが。
ただ俺の場合――使え切れないほどの金があったとしても、詐欺行為を止めるつもりは更々ない。
俺は詐欺を仕事として、それと同時に実益を兼ねた趣味のように捉えている。既に詐欺は生活の一部。俺は死ぬまで詐欺を続けるつもりだ。
そうしたところで、本題に入ろう。
なぜ俺がこんなことを語り出したかと言えば、それは他でもない。
宿泊しているホテルの朝食にも飽き、気まぐれに近場の喫茶店で
より詳細に言及しておくと――繁華街の一角に設置された自販機の傍にその財布は落ちていた。財布の上には雪が降り積もっており、それが保護色のような機能を果たしたことで、他の通行人は気付かなかったのだろう。加えて早朝ということで人の往来は少ない。
そういった要因もあって、俺とこの財布は巡り合うことができたのだ。
今回の件から俺が得るべき教訓は、早起きは三文の徳ということか。
しかし『文』とは確か江戸時代頃の通貨単位であり、その価値はそれこそ『二束三文』であったはず。大した金額ではないと記憶している。
ならば、この財布に入っているであろう金には、あまり期待しない方がいいのか?
俺は何の躊躇もなくその財布を拾い上げる。
趣味の悪い蛇革の財布である。
蛇革の財布には、金運を向上させる効果があるなんて訊くが、蛇を殺し剥ぎ取った皮で作った財布に、なぜ金運が宿ると思うことができるのか甚だ不思議だ。まぁこの財布の持ち主はそれで財布を落としているのだから、その効果のほどは推して知るべし――というか、そりゃそうだ。
元々は脱皮した蛇の抜け殻を、財布に入れるのが本筋であって、蛇革の財布なんてのはそれに便乗だかして作られたまがい物の商品であり、そういった財布を作った業者が、勝手に効果を謳って販売しているだけなのだから、効果なぞ期待できるはずもない。
俺から言わせれば、マイナスイオンぐらいに胡散臭い。あるとすれば祟りの類だろうに。
そんなものプラシーボ効果でしかない――と断言するには知識が足りないが、少なくとも俺は信じてなどいない。
まぁ鰯の頭も信心からと言うし、そいつ自身が納得しているのなら好きにすればいい話だが。
こういった信憑性もない効果を謳って商売することが罷り通る世の中なのだから、ある意味、俺みたいな詐欺師からしたら、住みやすい世の中だとさえ言える。
疑うことに億劫な能天気極まりない人間が蔓延るこの国は、本当にいい国だと俺は思う。心の底から感謝する。
詐欺師にとっては、入れ食いの環境だからな。
なんてことを思案しつつも、俺は手際良く財布の中身を物色していく。
紙幣で三万二千円、プラスアルファ小銭で七百八十八円。
これはこれは。
思っていたよりも、十分過ぎる額だ。
これを二束三文であると断ずることはできないな。嬉しい誤算だ。
続けてカード類を抜き取り選別。使えそうな無記名のポイントカードやらだけを拝借し、自分の財布に移し替えておく。
さて、財布を拾ったことは、この上ない僥倖ではあるが――その財布の材質が蛇革だったということで、俺の頭はある問題についての思考が開始されていた。
蛇革――蛇。
連想ゲームとも言えない、直結したイメージのリンク。
認知してしまえば否応なく、どうしたってあの神様のことを想起してしまう。
俺が今取り掛かっている大仕事のターゲットである蛇神――千石撫子のことを。
今更、事細かに詳細を語る必要もないと思うので、概略を述べるだけに留めておくが、俺は目下、戦場ヶ原ひたぎからの依頼で、神様を騙すことになっていた。
千石撫子の怒りを買った阿良々木の所為で、戦場ヶ原諸共殺される予定になっているとか何とかで、それをどうにかする為に俺は動いている。
いや、違う。間違っても戦場ヶ原や、阿良々木の為ではない。
俺を動かす原動力となっているのは、臥煙の忘れ形見――神原駿河の為である。
阿良々木と戦場ヶ原が殺されることで、奴等と親交のある神原駿河の心に傷がつくのは避けたい。
そこら辺の人間関係については、一月の四日だか五日辺りに出会った、羽川翼から訊いて裏がとれていた。
というか、あの阿良々木なんぞに対し憧憬を抱いている臥煙の忘れ形見の将来が、本気で心配だ。彼女の人格形成に何らかの問題が生じているのではないかと危惧している。
やはり、直で会っておきたいものだが…………。
む、話が逸れたか。
って、何の話をしていた? ああ、蛇神のことか。
蛇神騙しの準備は、滞りなく進行している。
まぁ千石撫子から信頼を勝ち取る為に、お百度参りと称した参拝を行っているだけなのだがな――既に予定の半分は消化していた。回数にして十五回の参拝を済ませている。
これといった問題もなく、順調そのもの――しかし如何せん千石撫子の精神は幼児化しており、現時点でどれ程の信頼を得ることができているのか…………俺があいつにとって信用に足る人間でなければ、神様騙しは成功しない。感情というのは数値化できないから、その判断は慎重に行わなければならなかった。
千石撫子に取り入る為にも、もう少し点数を稼いでいた方がいいのかもしれないな。
念には念を、やってやりすぎということもない。
丁度臨時収入が入ったことだし、何かあいつが喜びそうな物でも買っていくとするか。
勿論これは、好感度を稼ぎ千石撫子を確実に騙す為であって、要は仕事の為だ。
足繁く北白蛇神社に通う俺の事を、戦場ヶ原は失礼なことに、キャバクラ通いをしているようだと揶揄してきたが――俺からしてみれば、あれは幼児の子守のようなものだ。疲れが溜まるだけで、癒しの場などでは決してない。
ん? 俺は誰に、何の言い訳をしているのだろうか?
ムキになって否定する程のことでもない。いやいや、ムキになどなった覚えもないが。
そんなこんなで喫茶店で朝食を済ませ、適当に時間を潰してから俺は書店へと向かう。
千石撫子のあやとりの腕前も日に日に上達してきたこともあり、そろそろ次のステップへ移行してもいい頃合いで、新しい参考資料が必要となったのだ。
レクチャーする立場として、新技を習得しておかなくては面子にかかわってくる。
俺は『大人のあやとり』という本を購入してからホテルへ戻り、買ったばかりの本を開いて技の習得に取り掛かった。
基本技はすっ飛ばし、中級レベルの技を中心に――部屋の中で俺は一人黙々とあやとりの練習をした。
ホテルに戻ったのは体裁を気にしたが故だ。
大の大人が、人目に触れてすることではなかろう。シュール過ぎる。
もしこの姿を知ってる奴にでも見られたら死にたくなるだろうな。
現に俺は、あやとりに悪戦苦闘する中年の姿を、鏡で見た時は死にたくなった。
午前はほぼ技の習得に費やしていたのだが、それと並行して俺は、千石撫子への貢ぎ物を考えていた。神様への供物――あの蛇神様が喜んでくれそうな物を。
そして色々検討し考え抜いた末――結局、既に判明している、あいつのお気に入りの物を持っていくことにした。
それが何かと言えば、金と酒である。
こう端的に言葉で表すと、何というか酷い印象を受けるな…………いや、それは一般人が感じるであろう評価を代弁しただけであって、俺自身は割と好感を持っているがな。
ともあれ俺は、酒屋で酒を購入し銀行に行って所用を済ませた後に、今日も今日とて蛇神様のおわす、北白蛇神社へと向かうのだった。
~003~
寒い。肌が凍りつくような寒さ。
辺り一面雪景色で、視覚的にも寒々しい。
防寒具として、背広の上からトレンチコートを羽織ってはいるものの、剥き出しとなった顏に吹き付ける風が、寒さを通り越して痛い程だ。やはり、街中と山中では寒さの質が違うものだな。
北白蛇神社に辿りつくだけで、ほんと一苦労だ。
一升瓶を持って、しかも革靴で雪の積もった山道を登るのは、相当に神経をすり減らす。滑ってしょうがないぜ。
なら、革靴なんて履かず、トレッキングシューズでも履けばいいという指摘もあろうが、アレだ。
詐欺師は見た目から人を騙さなければいけないという、俺のポリシーからそれは却下した。
背広姿でシューズってのは、アンバランス過ぎる。かと言ってわざわざシューズに合せた服を用意するのも負けたみたいで、まぁぶっちゃけると、意地になっているだけだ。
だが、いい加減意地を張るのも、止めにしたいというのが本心だった。革靴で登山というのは、改めたほうがいいのかもれない。
何にしても、俺は無事酒瓶を割ることなく山登りを成し遂げた訳だ。
そして恒例となった、蛇神様召喚の儀に取り掛かる――なんて今更それっぽい事を言っても遅いか?
知っての通り……かは知らないが、ここの神様は賽銭箱に一万円札を投入すると、そのご尊顔を拝することができる。実際問題、何の有り難みもないが、しかし、その登場の仕方だけは俺の感性をして中々に面白いと思えるものであった。ただ通算十五回も見れば流石に飽きもくる。
そういった俺の心情と、今朝方の事情を加味して、兼ねてから試してみたかったことを実行しようと思う。
俺は財布から紙幣を三枚取り出す。一万円札が三枚。三万円。
興味本位というか好奇心で、一度だけ二万円を入れて蛇神を呼び寄せたことがあるのだが、あれは余興として中々に楽しめた。
それに更に一万円をプラスしてみたら、一体全体どんな反応を示してくれるのか。
どうせこの金は、拾った蛇革の財布に入っていたあぶく銭。
悪銭身につかずとも言うし、それを流用しているだけなのだから、それほど勿体ないとも思わない。
基本的に俺は散財することが好きなのだ。金なんてのは使うことに意義があると思って俺は生きている。多少の抵抗は感じるがいいだろう。
それに蛇革の財布に入っていた金を、蛇神に還元するというのが、俺のような性根の曲がった人間からしてみると、たちの悪い冗談のようで面白い。
では蛇神様に登場してもらうとしようか。
俺は、三万円を重ねあわせ、すっと賽銭箱に差し入れた。
すると。
「なななななななな、なんばしよっとですか!?」
なぜか博多弁で驚きながら、蛇神様が勢いよく本殿の中から現れた。
……此処は雪国であって、九州地方とも相当に離れているのだが……気にしても仕方がないか。
「な、撫子だよッ!!」
慌てた様子で神様が名乗りを上げる。気が動転しているのか、やたら早口だ。
ともあれ、賽銭箱に入ったお金を“蛇髪”を駆使して取り出し、そのまま自分自身の手に取ると――目を見張り、口をあんぐりと開け驚きの表情で硬直した。
メデゥーサ擬きの神様が、石化したみたいになっている。
「え? え? 三万円!?」
手に取った三枚の紙幣を、信じられなといった面持ちで食い入るように見つめ、
「さーんまーんえーーん!!!」
頭上に突き上げ、歓喜の声をあげた。
更に。天に一万円札を掲げたままくるくると廻り始める。
ノースリーブの白いワンピースが揺らめき、蛇髪達(と言っていいのか?)も勢いよくうねり狂う。
これは喜びを表現した舞なのだろうか? いや、舞と言うには洗練さに欠けるので、小躍りしているという表現の方が正しいか…………まぁ嬉しそうだ。めちゃくちゃ嬉しそうだ。満面の笑みである。
そして
「貝木さんは神様ですか!?」
「…………」
神様はお前だ。