遥か高みへいる君へ   作:鈴木_

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2010に発行されたヒカ碁アンソロに寄稿したSSになります。連載物とは全く関係ない短編小説です。


遥か高みへいる君へ

本因坊七番勝負、三勝三敗の最終局。
そしてお互いが持ち時間を使い切り、秒読みの碁となって十五分弱となる。
対局者の研ぎ澄まされた神経と気迫が周囲に感染したかのように静まり返り、緊張で僅かに震えた秒を読む係員の声だけが室内に響く。

「負けました」

上座に座る緒方が、険しい表情を崩さないまま、自身の負けを認め、頭を下げた。
その瞬間を逃すまいとカメラを構えていた取材陣から、一斉に焚かれるフラッシュ。
視界を奪う眩いフラッシュ光の中、挑戦者であるヒカルは、一礼を返し、僅かに口を動かしたものの言葉が発されることはなく、何かに耐えるように頭を下げ堅く瞳を閉じたのだ。
ヒカルが囲碁の七大タイトルで初めて獲得したタイトルは『本因坊』だった。



本因坊のタイトルをヒカルが保持者であった緒方から奪取してしばらく、大量の取材攻めと各所関係者からの祝賀や、友人、身近な親戚たちからのお祝いなど多忙な日々が続いた。
それからようやく一息つけたのはタイトル獲得から二週間近く経ってからだった。
ヒカルにしてみればタイトルをかけて対局するより、気疲れで体力と精神を消耗したような気がしたが、自分を祝ってくれているのだから文句は言えない。
そんなヒカルの元に、出版社から一つの話が持ちかけられた。

「本を出してみない?」

「本?俺が?俺、作文書けないよ」

臆面なく即答された返答に、話をしに来た出版社の編集者もつい苦笑してしまった。
碁の本を出す他の棋士達はそのほとんどが三十歳以上だ。
まだ二十歳のヒカルには碁の本を出すことなど考えたことがないのも仕方ないだろう。
しかし、二十歳で『本因坊』のタイトルを獲ったという話題性があるうちに、出版社として本を出したい狙いもある。
文が書けないなら、それをサポートするのも編集者の仕事だ。

「何でもいいんだよ。進藤君がこれまで打った対局で特に記憶に残っている対局とか、進藤君じゃない誰か別の棋士が打った棋譜で印象深いものがあればそれでも。詰め碁でも何でもいい」

(俺じゃない別の誰かが打った棋譜でもいい?)

「どうかな?返事は急がないからちょっと考えてみてくれないかな?」

話を切り出した最初こそ顔を顰めたが、話を進めればヒカルの反応は決して悪い手応えではない。

「本当に何でもいいの?俺じゃない別の誰かの棋譜でも?」

「もっもちろんだよ!」

「じゃあ出すよ、本」

「本当かい?ありがとう!出来る限りこちらでもサポートはさせてもらうからね!」

ただし、このとき出版社からヒカルに話を持ってきた編集者は、ヒカルが出版を了承してくれたことだけに気を取られ、ヒカルが意図した真意を測り間違たことに気付けなかった。
むしろ出版業界に精通し、これまでも碁の本の編集に何度か携わった経験、それが編集者にとって『普通』であったが故の気の緩み、または誤解だったのかもしれない。
本の出版を持ちかけられてから四ヵ月後、ヒカルは一冊の棋譜集を出した。
本のタイトルは


『 sai  』


棋譜の解説やヒカルの見解すら一文もない。
載せられた棋譜とて、プロ棋士が過去に打った棋譜でも、現代に名を残す古い時代の棋士が打った棋譜でもない。
恐らくヒカルがタイトルに名付けた『sai』という人物が打ったのだろう棋譜を、資本の出版を持ちかけた編集者に、ヒカルは原稿として机の上に置いたのだ。
棋譜の中にはたしかにプロ棋士から見ても一見の価値がある棋譜から、明らかな指導碁として打たれた棋譜、中には掲載する意味があるのか疑ってしまうような途中までしか打たれていない棋譜まである。
さしものの編集者もこれには言葉を失い、どうにかヒカルに棋譜についての解説文なり見解なり書いてもらおうと交渉したが、ヒカルは

『コレに俺は必要ないんだ。むしろ俺は邪魔になる』

と断り、断固として首を縦に振らなかった。
本の出版の話を持ちかけたのは出版社。
そして『何でもいい』と言ったのも編集者である。
それに対してヒカルが出してきた物が、他の棋士が書くような原稿内容と大幅に異なっていても、正式にタイトルを持っている棋士へ出版社側から話を振っておいて

『これでは都合が悪い』

で話を切ったとすれば、出版会社として対応を疑われる。
ヒカルにはまだ本の執筆は時期尚早だったかと諦め、本因坊のタイトルホルダーとして話題性があるうちに一冊でも多く本が売れることを願い、その棋譜集の出版は通った。
囲碁関係の本を出版するとき、発行部数の最小ロットは五千前後である。一万売れればヒット、十万も売れれば十分大ヒットと言われる。
その中でヒカルが出した本は、出版元の予測に反して、初版が発売初月に売り切れた。
しかも海外からの予約注文数は日本のそれを凌ぐもので、急ぎ増刷した分もあっという間に売れてしまい、再度増刷が続いた。



「進藤が出したこの棋譜集の中にあるこの棋譜は、塔矢先生とネットのsaiが打った対局のものだ。それ以外にも夏休みの初めに俺がsaiと打った棋譜や、ネット碁でsaiが他のプレーヤーと打った棋譜もあった」

伊角と共に棋院近くのマクドナルドに入り、机の上にヒカルが出した棋譜集を開きながら、和谷は苦々しい口調で呟く。
プロ棋士という肩書きを使い、出版社へのコネで運良く手に入れられたわけではない。
棋譜集の『sai』というタイトルに興味を持ち、予約開始早々に和谷が予約を入れていたから初版を手に入れることが出来たのだ。
そのページには公式手合ではなかったが、碁を生業とする者なら一度は見たことのあるだろうあまりにも有名な棋譜が記されている。
対局相手は書かれていないがネット碁で当時五冠だった塔矢行洋とネットのsaiが打ったものだ。

「ネット碁の棋士の棋譜がここまで売れるなんて、タイトル戦で打たれた棋譜を集めるより、そのsaiが打った棋譜の方が売れるんじゃないか?」

ネット碁をしない伊角が、ずっとしかめっ面を続ける和谷の気分を紛らわせようと冗談半分に言うが、和谷の表情は晴れない。
しかも、和谷が棋譜集を机の上に出した途端、ネット碁はあまりしないと言っていた門脇の表情まで曇ってしまった。

「このsaiって正体不明の棋士の実力がスゴイってことは俺も認めるよ。でも、ネット碁の棋譜を集めて出しただけの棋譜集に、何でみんなそんなにムキになるんだ?自分が打った棋譜で本を出すのがそんなに問題か?そりゃあ確かに、自分が打った棋譜を対戦相手でもない全くの他人に勝手に本にされちゃ気分は良くないだろうが」

最近は富に著作権問題が報道されているが、棋譜まで著作権が適用されるのだろうかと、伊角はその手の知識に疎く判断しかねた。

(それでも他人の棋譜を使うからには、棋譜の碁を打った対局者たちに一言くらい挨拶して棋譜集に纏め了承貰うのはマナーだろうし。でもネット碁の棋譜なら、現実の世界で対局者達を探すのは困難か)

「問題はそこじゃないんだよ、伊角さん」

腕を組み思案している途中の伊角に、和谷は思考を遮るように声をかけた。

「問題は……saiがネット以外で打った棋譜も混ざっているから、みんなこんなに騒ぐんだ」

「ネットじゃないなら、何で進藤はその棋譜を知ってるんだ?あれ?え?だって……そのsaiの正体を進藤は知ってるってことなのか?いや、そうなると進藤はsaiに碁を学んだってことに……」

次々と浮かび上がる不確定な考えに、整理と理解がついていかず、伊角は頭の中が混乱してしまう。
ただのネットの中の棋士と思っていた相手が、実は公に師匠はいないとされているヒカルの隠れた師となれば、当然周囲は騒ぐだろう。
ネットのsaiとは何者なのかと。

「俺、思うんだけど、この棋譜集、多分年代順に纏められているんだ。最初あたりの棋譜なんか、ほんとにネットでよく見た通り古い定石ばっかで本因坊秀策みたいな印象なのに、ページが後ろに進むに連れて現代の定石を学んで強くなってる」

パラパラとページを捲りながら和谷は話を続ける。
次第に捲る残りのページ数は少なくなり、最期の1ページに辿り着く。

「そして、最期の棋譜は、途中までしか打たれていない」

何百と集められている棋譜の中で、たった一枚、途中までしか打たれていない棋譜が最期のページに記載されている違和感。
どうしてヒカルは途中までしか打たれていない棋譜を入れたのか。
そんな未完成の棋譜を、どうしてよりにもよって棋譜集の最期のページに入れたのか。
自然と導き出される答えは一つだ。

「たぶんsaiはもうこの世にはいない。もう亡くなっているんだと思う。最期のページの棋譜が、ネットのsaiが打った最期の碁なんだ」

どんな気持ちでヒカルはこの棋譜集を纏めたのだろう?
『sai』というタイトルの棋譜集をヒカルが出版すると知った当初こそ、和谷はヒカルを疑ったものだが、こうして実際に棋譜集を見た後は、何も尋ねることが出来なくなった。

(最期のこの一枚さえなきゃ、文句だって耳にタコが出来るくらい耳元で喚き散らしてやったのに)

やり切れない思いで、和谷は心の中で言い捨てた。
ヒカルはsaiについて答える気はないと思う。
話す気があるのなら、話すことが出来るなら、とっくに棋譜集の前書き後書きにでも、saiについて何かしら書いているだろう。
でもヒカルは、書かなかった。
この棋譜集を出せば、周囲からsaiについて追求されることくらいヒカルでも分っていた筈なのだ。
それを承知でヒカルは棋譜集を出し、多くの人にsaiが打った棋譜を見てもらおうとした事実だけが、机の上に広げられていた。



『巣鴨の本妙寺に来てほしいんだ』

ヒカルが出した棋譜集について尋ねたいことがあるとアキラがヒカルに電話をすると、予想外な場所をアキラに指定してきた。
そして一つの条件も。
行洋と緒方も共に同席することを、ヒカルは条件として出してきた。
何故二人の同席をヒカルが条件に出してきたのかアキラは怪訝に思ったが、アキラを含め3人に共通点があった。
ただネット碁のsaiに興味を持つ大勢と抜きんじて、3人はsaiの棋譜集についてそれぞれ思うところがある面々だということに。

「すいません!急に呼び出して!」

先に本妙寺の門の前に着いていたらしいヒカルが、アキラをはじめ着物ではなく洋服姿の行洋に、いつもの白スーツを着込んだ緒方たち3人の姿を見つけ足早に駆け寄ってきた。
そして目の前にまで来ると、行洋に深々と頭を下げた。
「いや突然だなとは思ったが、特に気にはしていない。それに、私も進藤君と話がしたかったからちょうどよかった」
ヒカルは顔を安堵したように微笑むと

「こっちです」

先を行き、3人を寺の敷地内にある目的の場所に案内した。
一見して普段見慣れている明るいヒカルの態度そのものだったが、前を歩くヒカルの背中に妙な違和感をアキラは覚えた。
アキラたちが棋譜集について疑っていることを承知で呼び出しておきながら、表面上はおくびにもださない。
ヒカルが無理に明るく振舞っているよう見える。

「ここです」

ヒカルが案内した場所は、歴代の本因坊の墓が並んでいた。
現代まで名が残っているそれら本因坊の墓の中から、ヒカルは本因坊秀策の墓の前に立つ。
墓を見やるヒカルの眼差しが、微かに哀愁を帯びる。

「本因坊秀策の墓に何かあるのか?」

と緒方。
前回の本因坊タイトル戦で、ヒカルは緒方からタイトルを奪取した。
話が来たとき、何故この寺を指定してきたのか分らなかったが、タイトルの『本因坊』に縁のある寺だったから、わざわざこの場所にしたかったのかと問う。
しかし、ヒカルは首を横に振り、

「……本当はアイツが入水したっていう池の場所が分かればそっちが良かったんだけど、探しようがないし、現代にまだあるかどうかも分らないから」

「入水!?」

ヒカルがサラリと言った単語に、緒方がぎょっとした。
入水ということは自殺したという意味だが、ヒカルはその意味を分かって入水という言葉を使ったのか、緊張感が全く感じられない口調からは怪しく思える。

「でも虎次郎にはアイツの姿が見えたんだ。そして秀策になった。塔矢、俺に聞きたいことあるんだろ?」

墓の方を向いたままで、ヒカルは問う。
ヒカルが『アイツ』と言った人物がアキラは気になったが、まず聞くべきは目的だった棋譜のことが先だと気持ちを切り替える。

「分っているだろう?君が出した棋譜集、アレはネットのsaiのものなのか?」

「本当はもう一枚加えたかった棋譜があったんだけど、流石に棋院の記録に残ってるヤツはダメかなと思って止めておいたんだ」

「公式記録にsaiの打った棋譜が残っているのか!?」

ヒカルの意外な告白に、一同は目を見張った。
その変化にヒカルは気付いているのか気付いていないのか淡々と続けた。

「一枚だけある。新初段で塔矢先生と打った棋譜だから、出来ることなら棋譜集に入れたかった」

「私が、新初段でsaiと打ったと?」

自身の名前が出てきて行洋は考え込む。
新初段の対局に行洋が出たのは後にも先にも一度きりだ。
ヒカルがプロ試験に合格したとき、行洋がヒカルを逆指名する形で実現した新初段の対局。
黒の逆ハンデ戦である新初段で、さらに十五目以上のハンデをヒカルは自身に課し、行洋に挑むというシコリの残る一局だった。
その対局をsaiが打ったのだと言われて、意図を掴みきれず行洋は困惑するしかない。

(ネットでsaiと打っている最中、確かに新初段の時の進藤くんが思い浮かんだ。もしかしたら進藤くんがsaiなのかと思ったが、新初段で打ったのがsaiというならやはり……。しかし、そうなれば今、進藤くんがsaiだと言っている人物は誰のことを指して?)

考えれば考えるほど、辻褄が合わなくなり、行洋は思考の迷路に迷い込む。
押し黙る行洋の隣から、アキラが問いを投げかける。

「君とボクが打った棋譜も2枚あった」

「最初の2枚な。あれでお前、俺のこと親の仇みたいに追ってきて正直怖かったんだぞ?」

ハハハと、ヒカルはアキラの鬼気迫る勢いで対局を迫った当時を思い出し、空笑いした。
囲碁のなんたるかも全く知らず、軽い弾みで口から出たヒカルの冗談を、アキラは強く非難した。
その笑いを緒方の低めた声が早々に打ち消す。

「進藤、あの棋譜集には、昔GWのイベントで俺と打った棋譜も入っていた。どういうつもりだ?」

「……緒方先生の方から打ちたいって酔っ払って絡んで来たんだろ?」

「ああ、そうだ。だが俺は間違いなくsaiではなく、お前と打ったんだ。どんなに酒が入って酔っていようが自分が打った棋譜と対局相手は間違えんぞ。それでもあの棋譜はsaiが打ったものだと言い張るつもりか?」

一歩歩み寄り、詰問する口調を緒方は強めた。
ずっとヒカルの話を緒方は聞いていたが、もしヒカルの言うことが本当なら、ネットのsaiはヒカルだということになる。
プロ棋士になったヒカルが相応の実力をつけたことは認める。
だが、過日に本因坊のタイトルを賭け緒方とヒカルが戦った対局は、saiの強さではなかった。
例えヒカルが実力を誤魔化して打っていたとしても、saiとヒカルの棋風は似て異なる。

「あの棋譜集は佐為が打った棋譜だけを集めたものだよ」

今日本妙寺に来てから、ヒカルが初めて『佐為』の名前を口にした瞬間だった。

「俺だけが、俺しか知らない佐為が打ったんだ」

それまで冗談めかしていたヒカルの声色から、感情が消え去る。
これまでずっと否定し続けてきたsaiとの関係をヒカルが認めた。
どういう心の変化がヒカルにsaiの棋譜集を出させたのか。
本因坊というタイトルに、他のタイトル以上の拘りをヒカルが寄せていたことは、アキラも傍でヒカルを見ていて薄々気付いていた。
だが、他の例に漏れず、アキラたちもまた棋譜集の最期のページに記載してあった途中までしか打たれていない棋譜が頭を過ぎった。
恐らくsaiはこの世にはおらず、未完成の棋譜こそsaiが打った最期の碁であると。
自らが打った碁をsaiが打った碁と言い、アキラの目に一人のヒカルの影が重なる。

(saiには普通では説明のつかない秘密がある。君だけしか知らないsaiの秘密が……)

 出会った当初から、それまで積み上げてきたアキラの碁を根底から打ち崩した謎めいた強さをヒカルは見せ付けたのだ。
しばらく周囲に沈黙が流れた。
そして沈黙を破り最初に口を開いたのは、やはりヒカルだった。

「昔々、あるところに、囲碁なんて年寄りがするもんだって思っていた子供がいました。ある日、その子供はおじいさんの家の蔵で埃を被って古ぼけた碁盤を見つけました。その碁盤には血の跡があり、なんと囲碁の神様が宿っていたのです」

小さな子供に言い聞かせるような軽快かつ弾んだ口調で、ヒカルが突然脈絡の無い話をし始める。
ヒカルが何をやりたいのか、何を話したいのか理解出来ないアキラが、積もった苛立ちを爆発させるかのように怒鳴り声を上げた。

「茶化すんじゃない!進藤、ボクたちは真剣に話をっ!」

「アキラ」

「お父さん!」

無言で行洋は首を横に振った。
黙ってヒカルの話を聞けと言っているのだ。
緒方もアキラと同じくヒカルの真意を掴みかねている様子だったが、行洋の指示に従い、静かに話しを聴くよう小さく頷いてみせる。
それを見て、アキラは唇をぎゅっと噛み、不服ではあったが渋々口を噤んだ。
そしてヒカルは再びお伽話を続ける。

「肉体を持たない囲碁の神様は、子供に囲碁が打ちたいと泣いて強請りました。それで仕方なく子供は碁が打てるという駅前の碁会所に向ったのです」

『碁会所』という単語に、睨みつけていたアキラの瞳が大きく見開く。
と、同時に、アキラの脳裏に行洋の碁会所で初めて出会ったヒカルの姿が思い浮かんだ。
『ニギリ』すら知らない。素人同然の打ち方。古い定石。
『挫折』というものを初めてアキラに教えたヒカル。

「初めて入った碁会所には子供と同じ年頃の子供が一人いました」

それは幼い子供に聞いて聞かせるお伽話のようでありながら、物語の内容はヒカルが作った即興の話に過ぎなかった。
しかし、集まったアキラ、行洋、緒方の三人は、誰もヒカルの戯言と去らず、静かにヒカルが紡ぐ他愛なく胸を締め付けるお伽話に耳を傾け続けた。

――平安時代に入水自殺するも、囲碁に未練を残すあまり幽霊となり現世に留まり続けた神様

――江戸時代に一度虎次郎の元に蘇り、本因坊秀策として棋譜を現代にまで残していた神様

――ネット碁を打っては喜んだ神様

――碁に興味を持った子供に、毎日碁を教え続けた神様

――神の一手に最も近いという棋士との対局を、強く、強く望んだ神様

――優しくて、我侭で、無邪気で、誰にも負けなかったのに……子供の前からサヨナラの一言もなく突然消えてしまった神様

ヒカルは本因坊秀策の墓前の方を向いており、後ろにいるアキラ達からはヒカルの後姿とほんの少しの頬しか見えない。
けれど、話しながら顔を上向かせたヒカルの頬の一点が、日の光に反射して光る。
涙だとアキラは思った。
声では分らないが、ヒカルは話しながら涙を流している。
ヒカルの話す他愛ないお伽話が現実に証明出来ず、誰一人信じなくても、ヒカル自身にとっては紛れも無い真実なのだ。
お伽話が終わりへと近づいていく。

「子供に何も言わず突然消えてしまった神様の名前は……」

深く、静かにヒカルは息を吸いこむ。

「囲碁の神様の名前は、『藤原佐為』という名前でした」


― 了 ―






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