どうぞ、お楽しみください。
西方大陸エウロペのとある地下。
闇で統一された空間は、ほんの僅かな光源の赤い光で不気味に照らし出された。綱渡りをするような陸地と、その合間合間に湧き出した底なし沼のような水源。周囲にはこれまた不気味な
そんな、この世の暗黒という暗黒をかき集めたような不気味な地下空洞に、白銀の機体が躍り込んできた。
地の底ではなく、どこまでも広がる荒野の方が似合う、白銀の機体色の獅子型ゾイド、ライガーセロの『シロガネ』である。
「たっだいまぁ! いやーここも久しぶりだけど、あいっかわらず辛気臭い。長居したくないなぁ」
そんな、この場の空気を度外視して愚痴を立てるのは黒髪の少年――コブラス・ヴァーグである。その傍らに、青白い体色の鳥型オーガノイドが降りた。器用に首を曲げ、毛繕いのような動作をするのはオーガノイド――フェニスの癖である。
そして、コブラスの帰還を悟り、赤髪の男が音もなく現れた。
「やぁ、ヒルツ」
「コブラス。報告が先だ」
赤髪の男の急くような一言に、コブラスは「しょーがないなー」と笑顔で愚痴り、口を開く。
「まず、
「ああ。すでに詳細まで目を通した」
「でもさー、役に立つの?
「なに、同じ古代のゾイドに違いはない。お前の調査の御蔭で、
赤髪の男――ヒルツは淡々と事務的な口調で告げる。抑揚が一切掻き消されたそれは、感情の起伏を感じさせず、コブラスとしては訊いていてつまらないことこの上ない。だが、
「それからもう一つ。リーゼのことだけど……」
「僕がどうかしたのかい?」
その声に振り返ると、蒼い髪の少女が居た。半眼で、どこか不機嫌さを兼ね備えた少女――リーゼからは、歪んだ心根を感じられた。傍らに蒼いオーガノイド――スペキュラーを従え、興味深そうにコブラスを見つめている。
「ふふ、いい感じに歪んでるね」
「うるさい。それより、君が言ってたことは本当なんだろうな。その、フィーネとバンって奴の話は」
「本当さ。仲睦まじく、とっても幸せだよ」
コブラスがケタケタと笑いながらそれを告げた瞬間、リーゼの拳が硬い岩に叩きつけられた。ジンジンと痛むだろうに、リーゼはそれを無視して憎々しげに表情を歪めた。
「あいつら……くそっ! 絶対に……」
「リーゼ。その憎しみは、次に動く時までとっておけ」
淡々とヒルツが治めるよう口にする。すると、リーゼはしばし全身から怒りのオーラを立ち上げていたが、やがて静かになった。
「お前にも聞きたいことがある。なぜ、レイヴンを眠らせた?」
「はっ、知らないねぇ。
苛立たしげに、リーゼは言葉を振った。それは、誰に向けられたわけでもない、ただ、どこへ向ければいいか分からない、自問するような憤りだと、コブラスは思った。
「ま、落ち着いてよ。いずれ再会できるさ。それに、レイヴンはきっと目覚める。彼の心に火を点ける
「じゃないと困るぜ。僕が言えた事じゃないけど、あんな腑抜け、役に立つ見込みがない」
ひとしきり愚痴を吐いて少しマシになったのだろう。リーゼは背を向けて、静かに残りの報告を待つ。ヒルツは相変わらず無表情で、仕方なくコブラスは続きを口にする。
「じゃあ最後に戦果報告。ギルベイダーは死んだよ。コアまでばっさり、エナジーライガーに破壊された。そのエナジーライガーも、力を使い果たして死んだ。これで、
『なんだと……!』
コブラスが最後の報告を告げた瞬間、闇の深淵がうごめいた。何かの卵がふ化に失敗したと様な異様なそれに、一人の男の顔が浮かび上がる。
『オーダイン・クラッツが、死んだというのか……!?』
「そうだけど、どうかしたのかい? ダークカイザー様?」
ダークカイザー。そう呼ばれた何者かは、表情を醜く歪めた。それは愉悦などと言ったものではなく、苦心と後悔、哀しみといった負の感情と戦っているようだった。
「ダークカイザー様? どうかしたかい?」
もう一度、コブラスは語りかける。含み笑いを浮かべ、口の中でくつくつと笑みをこぼす。
『…………何でもない。もう少し眠らせてもらう』
長い沈黙の後、ダークカイザーは再び眠りに落ちる。その姿に、コブラスはいつかの光景を思い出す。自らの手で、自らの友を殺めた少年の悲しい慟哭。その時の、絶望に満ちた表情を。
『ダッツ…………とうとう、お前まで去るか』
人の身を捨て、異形となり果てたダークカイザーの悲しき『人』の呟きは、『ギュンター・プロイツェン』だけに反響した。
***
一面の銀世界だ。
ニクス大陸は本格的な冬の到来を迎え、僅かばかり残されていた緑もきれいさっぱり消え失せてしまった。全ては白銀に覆い尽くされ、世界は一変する。
少し前まで苦しい戦いを行っていたニクスの人々にとって、その雪はある種の救いであった。覆い隠してくれる雪が、戦いに疲れた心の傷も優しく塞いでくれる。新雪は柔らかく、そして美しい。一時でも辛い記憶を隠してくれるのは、とてもありがたいことだ。
雪がもたらしたのは、辛い記憶を覆い隠すことだけではない。暗黒大陸と呼ばれる所以――極寒の氷雪世界の訪れを、暗に示している。
暗黒大陸の最大都市、ヴァルハラから最も近い湖、ウィグリド湖も一面氷に包まれた。辺りの木は緑を全て落とし、白を身に纏い、時間が止まったような白い世界で、身を硬くする。見てくれは樹氷と呼ばれる美しい光景だが、その実、木々は厳しい零下の凍結を必死に凌いでいた。
湖面は一切の波紋を見せず、ただ分厚い氷の床が敷き詰められている。
そんな氷の世界に、一体のゾイドが現れた。黒い装甲にライトグリーンのラインが入っている機体色は、この暗黒大陸で運用されているゾイドの特徴だ。小型であることを最大に活かした軽い身のこなしが売りのゾイド。マーダだ。久しぶりにそのゾイドの操縦を体感した彼女は、相棒にここまで連れて来てくれた礼をするように、コックピットのコンソールを優しく撫でた。
コックピットを開き、背中のミサイルポッドを廃棄し代わりに載せた収納庫から、彼女は必要な物を取り出す。大きめの釣り竿を三本、それと、手動のドリルのような道具。それに、釣果を収めるための氷を敷き詰めたボックスだ。三つを一気に下ろすことは出来ず、少女は一つずつ、丁寧に雪の上に下ろし、そして空を見上げた。そこからやって来るだろう、同行者を想って。
少女――防寒対策の分厚い毛皮をしっかり着込んだマリエス・バレンシアは、準備を整えて湖面を見つめた。波紋も何も立たない、時間が止まったようなその空間は、しかし、あの時からすっかり時が経ってしまったことをマリエスに教えてくれた。
「……始まりは、ジーニアスがあいつらを引き連れて来たこと、だったな」
こうしてウィグリド湖の湖畔に立つと、鮮烈だったしばらくのことを思い起こさずにいられない。辛く、悲しく、もう生きてはいられないとさえ思った。そんな激動の時間だった。
だが、それも、もう終わった。当初考えていた悲しすぎる最期ではなく、未来へと続く新たな道を示して。
「……そう、こうして僕が湖畔で釣りをしてて、そこにジーニアスが来たんだ」
荒れ狂う風を纏って、黒龍は波乱のゾイド乗りと共に穏やかな湖畔を揺るがした。
今は、当時のように緑はない。のんびり草を食み、湖水でのどを潤す動物たちもいない。しかし、雪に覆われたそこは、変わらず長閑な、静かな湖畔だ。こうしてここに立つと、マリエスは始まりの瞬間を思い出さずにはいられなかった。
風が、舞った。
自然に起きた風ではない。それまで長閑な湖畔としか言いようのない場所だったそこに、狂ったような風が舞い踊り、湖面は風に煽られて激しく荒れた。異変に気付いた魚たちは湖の底に潜り込み、上空を旋回していた鳥たちは強風にバランスを崩しながらもどうにか体勢を整え、遠くへ去って行く。動物たちも泡を食ったように慌てて茂みの奥へと消えて行った。
長閑な昼下がりの湖畔は、一転して来る嵐を思わせるような風が吹きすさぶ、荒々しいものへと変化する。
そんな、既視感を覚えた。
実際に風は舞っていた。荒れ狂う風は、湖面の氷の上に降り積もった柔らかい新雪を吹き飛ばし、長閑な湖畔に、一転した嵐を思わせる風を吹き込ませた。
だが、マリエスは知っている。これは、あの時のようにニクス大陸を波乱で埋め尽くす、災厄の前兆ではない。むしろ、これから始まる楽しいひと時を待ちきれない子どもが、息急き切って走り込んだ時の風だ。空気を切り裂いて、はしゃいだ様子でその子はやってくる。
雪雲に包まれた暗黒大陸の空を切り裂くように、真紅の機体色のゾイドは現れた。そこに、マリエスは待ち望んだ存在を見出す。
コックピットが開いた。待ちきれずに身を乗り出す少女は、両手をぶんぶんと大きく振った。彼女は、確かこのゾイド――シュトルヒのパイロット役だ。相乗りしているもう一人の少女が冷汗を掻いているのではないだろうか。いや、その少女は、少し感性がおかしい。たぶん彼女も、操縦不能で墜落などの心配は少しもしていない。
その証拠に、開かれたコックピットの隙間からもう一人の少女の姿も見えた。白で統一されたニクスの空ではよく目立つ、緑髪の少女と、金髪の少女。
「フェイト! フィーネ!」
マリエスは、友に向かって大きく手を振った。
湖畔に降り立ったシュトルヒからフェイトとフィーネが跳び下りる。そして、三人はすぐに準備に取り掛かった。冬場はいつ雪吹に見舞われるか分からない。空は白い雲に覆われ、いつ吹雪いてもおかしくなかった。だが、それでも構わなかった。例え嵐になろうと、ギリギリまで『それ』を楽しむだけだ。そして、今日がダメなら明日でもいい。時間はまだたくさん残っている。
「そういえばさ、フィーネ。帰らなくてよかったのかい?」
マリエスが問う話題は、フィーネの今後に関わる事であった。
あの戦いの後、フィーネは疲れを癒してすぐに、バンと二人きりで話をした。話題は、この先のゾイドイヴ調査についてである。
『バン、あのね……私、ドクター・ディとのお手伝いをしようと思ってるの』
ドクター・ディは、ガイガロスでの決戦の後にへリック共和国軍に復帰した。古代遺跡の調査に興味を持ち、謎に包まれたゾイドイヴの解明に乗り出したのである。その過程で、フィーネに助手にならないかと持ちかけていたのである。だが、フィーネはバンと一緒であることを優占し、誘いを見送っていたのだ。それを、改めて受けようと言うのである。
フィーネとしても、それを打ち明けることには酷く悩んだ。それを決定したのはマリエスと別れた後だが、バンに打ち明けるには長い葛藤が必要だった。バンとは、フィーネがこの時代で目覚めてからずっと、一緒に過ごしてきた時間がある。それを断ちきってしまうような提案は、やはりさびしく、そしてバンを突き放してしまうのではという心配が付きまとっていた。
だが、
『なんだ、ちょうどいいじゃないか』
バンは、ぱっと笑顔を覗かせた。その理由を問うより早く、バンはフィーネに打ち明けた。
『実はさ、俺も共和国軍の軍学校に入ろうと思うんだ。クルーガーのおっさんの紹介で。ボーグマンのおっさんが連れてってくれるてさ。さっき話をしたらさ、クルーガーのおっさんが学費とか出してくれるって言うんだ』
バンも同時期に誘われていたのだ。フィーネと離れることが嫌で、軍という格式に縛られることに窮屈さを感じて、ずっと見送ってきた誘い。それを、この戦いの中で改めて受けようと考えたのだ。
バンの夢は、最高のゾイド乗りになることだ。そこに至る道には、やはり誰かから教えを乞うことも必要になってくる。その道が掲示されているのに、どうして蹴る必要があるだろうか。
結局、バンとフィーネはお互いがお互いと離れることを避け、歩みを止めていたのだ。そのことに、ようやく気づけたのである。
「バンは、共和国軍と一緒にエウロペに帰ったよね。フィーネも一緒じゃなくてよかったのかい?」
数日前、共和国軍は戦後処理を終えて撤退した。まだ駐留部隊を残しているものの、本隊はニクスにもういない。てっきり、マリエスはフィーネも一緒に帰ったと思っていた。
「うん。ドクター・ディがね、こっちの遺跡調査をしたいって張り切っているのよ。……最初はその気じゃなかったのよ。でも、こっちに雪が降ってるって話したら急に……」
「へ、へぇ……元気なお爺さんだね」
フィーネの戸惑うような口ぶりに、マリエスは大体の事情を把握した。要するに、雪遊びがしたいという訳だ。確かに、遥か南のエウロペでは雪などお目にかかれないだろう。だが、雪の時期が長いニクス在住のマリエスからすれば、首をかしげたくなるような事柄だ。
「そうだ、ねぇリエン。あなたはゾイドイヴのこと、知らないの?」
ようやくか。マリエスは、内心で少し喜んでいた。
フィーネがマリエスの姿を初めて見た時、何か感じるものがあったということは事前に知っていた。いつ質問が来るのかと待ちかねていたが、ようやくその時が来た。
「知っていると言えば、知っている。だけど、フィーネは僕から全てを聞いて、満足できる?」
逆に問い返され、フィーネは少し思案するような表情を作る。
マリエスは、暗黒大陸に残されている様々な資料に目を通している。嘗て、今よりもずっと高いテクノロジーを誇った古代ゾイド人が残した資料には、ゾイドイヴについても記されている。だが、それはマリエスだからこそ閲覧が許され、部外者に見せてはいけない。それは、ニクスの掟云々ではなく、不用意に拡散させていい知識ではないからだ。
そのことも含めてフィーネに伝えると、フィーネは納得したように頷いた。
「それなら、いいわ。私の過去に関わることだもの。きっと、自分の力で答えを見つけて見せるわ」
「うん。……じゃあ一つだけ助言。
「え!?」
「でも、ここにもそれに連なる史跡は残ってる。こっちでの調査も、無駄にはならないよ。さ、いこっか」
マリエスの態度に、これ以上訊き出すのは無理と悟ったのだろう。驚きはしたものの、それ以上フィーネがゾイドイヴの話題を出すことはなかった。先ほど言ったのだから。自分で答えを見出すと。
釣竿の準備が終わり、二人はスパイク付きの靴で氷上を歩いた。すでに湖の真ん中に折り畳みの椅子を置いたフェイトは、一人アイスドリルに力を籠め、厚い氷と格闘している。
「フェイトー? 穴空いたかい?」
「ダメー! 全っ然空かない! 硬すぎだよー!」
マリエスたちは、今日は氷上での釣りをするために来たのだ。だが、湖面はきれいに氷で覆われ、隙間などどこにもない。当然それが当たり前で、そのためにアイスドリルを持ち込んだのだが、そううまくはいかない。
「代わるよ」
力を使い果たしてへたり込んだフェイトの手からアイスドリルを受けとり、今度はマリエスが氷と格闘する。はぁはぁと荒く息をするフェイトに、フィーネはどれだけ力を入れたんだろうと思いながらその場にしゃがんだ。
「そういえば……ローレンジさん。どうしてるの?」
「む! それだよそれ! 聞いてよフィーネ! ロージさぁ……」
ローレンジは、あの戦いの後、体中に負った傷と無茶が祟って、一ヶ月は動くことが出来なかった。応急処置は済ませたものの、両手両足に銃傷。
おかげで、やっと顔を見られると期待していたフェイトは、目の前にドッグフードを置かれた腹ペコの犬よろしく「待て」を言い渡されたのである。その上、やっと顔を見れた日に感極まって跳びつきの抱き着きを敢行してしまい、ヒビが入っていた骨を折ったとか。ローレンジはまたしばらく、ベッドの上生活である。
おかげで、暗黒大陸上陸時に約束した「どこかへ遊びに行こうか」という約束は、すっぽかされたままである。
それだけならいいのだが、最近ローレンジの元に行くと、決まって一人の女性が居るのだ。ローレンジが信頼を置くほどになった、タリス・オファーランドである。
彼女はこの戦いの後、
フェイトとしては、どうにもそれが納得いかない。ローレンジもローレンジで、
「わたしだってやればできる子、なんだよ! なのに「秘密だ」って何してるのかちっとも教えてくれないし……」
「でも、ローレンジさんもフェイトのこと心配してたわ。ほら、この間共和国の兵士さんと遊びに出てたじゃない?」
「え? ……あ、レイさんのこと? だって、ロージが居なくて暇なんだもん。ヴォルフさんも忙しそうだし、ちょうど暇そうにしてたからさ、ヴァルハラの町を一緒に見物してたんだ」
共和国の若きレオマスター――レイ・グレックとは、フェイト達がギルベイダーから脱出した後に関わっていた。どうにか機体を制御するシュトルヒ――と、合体するジークとニュート――があわや不時着する事態に、レイはシールドライガーを下敷きにしてどうにか救ったのだ。あれ以来、フェイトはレイのところにも遊びに行くようになった。
「お見舞いに行ったとき、ローレンジさんがレイさんにすごい剣幕で怒鳴ってたわ」
「喧嘩したのかなぁ?」
「さぁ……?」
ひとつ言えば、レイは災難だった、ということである。
「よし、空いたよ」
マリエスが額の汗をぬぐい、立ち上がる。その足元には、小さな穴が三つ、口を開いていた。多少の距離を離してあり、釣り糸が絡まってしまう事態にはならないだろう。
三人はさっそく持ち込んだ折り畳みの椅子に座り、それぞれ用意した釣竿を手に、釣り糸を垂らす。
「リエンはさぁ、やったことあるの?」
「長い冬の密かな楽しみさ。護衛の奴らを出しぬいてここに来るんだ。ま、初めての時は穴を空けるだけで日が暮れちゃって、すごすご帰ったんだけどね」
そう言いながら、マリエスは釣り糸を僅かにひくつかせる。こうしてエサが動いていると誤認させ、魚をおびき寄せるのだ。
「一人、だったの?」
少し声のトーンを落とし、フィーネが尋ねる
「最初はね。でも、ジーニアスと一緒にやった時もあったな。あいつ、こっちの方が簡単だろって殴って穴を空けたんだ。ほら、あいつ
朗らかに笑うマリエスの姿には、ジーニアスとの間にあった確執が幾分埋まったように感じられる。それでも、二人の関係を直に目にしたからか、フィーネは訊かずにいられなかった。
「……リエンは、よかったの?」
「……うん。あいつは、いずれどこかに消えてしまう気がしてたんだ。ユニアも言ってたけど、あいつはこの大陸に収まるような奴じゃない。皆に迷惑かけるだろうけど」
ジーニアスは、あの戦い以来姿を見せていない。ウィンザーの話では南東――中央大陸デルポイがある方角に去ったと訊いたが、依然として消息はつかめていない。
ただ、ジーニアスは元々冒険商人の息子だったという。今のマリエスより幼いころから、サバイバルの知識は骨身に浸みついていたほどだ。それに、彼自身の特殊な体質もある。このことから、ジーニアスは確実に健在だ。傷が癒えたら、あちこちで騒動を巻き起こすかもしれない。『孤独な最強』を目指して。
当然ながら、ニクスでの守護者としての任は当に解かれている。その上、追放処分だ。だが、当の本人が自らの意志で去ったというのに、その決定に何の意味があるのだろう。
ニクス側としての問題点は、ガン・ギャラドを持ち去られたことだ。ガン・ギャラドはニクス側にとって非常に重要なゾイドだ。近く、捜索隊を派遣するらしい。マリエスからすれば、無駄な足掻きと考えられて仕方ないのだが。
「ジーニアスは、僕は嫌いだった。でも、信頼できる部分もあったよ。馬鹿だけど、生真面目な奴だからね。でも……」
ジーニアスがニクスを去った理由を、マリエスはウィンザーから訊いている。最強というたったひとつの孤独な目標を見据え、彼は殻を破り、海を飛びだしたのだ。掟という殻を破り、ニクスという海を飛びだしたジーニアスは、もう手の届かないところに行ってしまったような気がする。
「わたしもあんまり好きじゃないなーあの人。わたしのお腹蹴っとばしたんだよ」
「私も好きになれないわ」
満場一致で否定されるジーニアスは、やっぱりジーニアスなのだと、マリエスは場違いな安心感を感じてしまう。
すると、フィーネの竿がくんくんと引いた。
「あ、来たわ!」
「もう!?」
勢いよくリールを巻き上げ、竿を振り上げる。すると、釣り糸の先にくっついた小さな魚の姿が白い雲の中に浮かび、白銀の雪氷の上に落ちた。
氷上で元気よく跳ねる魚から針を外し、氷を積めたボックスにしまう。
「冬の幸ってやつだね」
「うん、冬の時期は、なかなか外に出られないから、こういうのが大切だよ」
「ラインさんも、似たようなこと言ってたわ」
その言葉に、三人の脳裏にラインの姿が浮かんだ。頼りになる姐御肌の女性。どこか寂しさを背負っていたが、再会した時にはそれも払拭されていた。
そこで、はたとフェイトが何か思いついたように声を上げた
「ラインさんと言えば! 二人は知ってる? ラインさんとロカイさん」
ロカイは、ラインに引き抜かれた。
『暗黒大陸の一人暮らしってけっこー大変なんだよ。力仕事もいるしねぇ……ってわけで、ロカイよこしな』
ラインは話があると言ってヴォルフの元に出向き、そう言いつけたという。まるで夕食の席で飲み物を要求するような気軽さで人身を引き取ろうとするラインに対し、ヴォルフは然して悩みもせず「彼がいいというなら、どこへなりと好きにして構わん」と、安請け合いしたそうだ。
自分の身の置き場を勝手に決められたロカイは酷く不服だったらしいが、ラインに逆らえず暗黒大陸に留まることになったそうだ。元々争いごとを好まず、それに嫌気がさしていた彼だ。
「へぇ~、あのロカイさんが。ちょっと頼りない感じもしたんだけど、まぁラインさんとならうまくやっていけるんじゃないかい?」
「だと思う。だからマリエス、これからよろしくね」
「それならヴォルフさんにもだよ。
そう告げるマリエスの口調は普段と変わらぬものだったが、二人に表情を見せないようそっぽを向いた。それは、マリエス自身が、自分が複雑な表情を浮かべていることを自覚しての事だった。
戦いが終わってしばらくの事、ヴォルフは、マリエスに事の真相を全て打ち明けた。
この戦いの発端、ヴォルフは全てを知った上で犠牲を強いてきた事。途中からはヴォルフにも予想外の展開だったが、自身も元凶の一人であったこと。その責任と業を、一生背負い続ける覚悟のこと。
これを聞いたマリエスは、ヴァルハラに響き渡るような怒声を上げた。
『な……そ、それじゃあ……! あなたは、あなたが! 僕らを巻き込んで、貶めたって言うのか!!!!』
当初、マリエスの中には抑えようのない怒りが湧き上がった。自身の命を賭した覚悟が、味方と思っていた男の掌の上で踊らされていただけと解ったのだ。自分の覚悟は、ニクスの中で起きた動乱は、あれほどの想いが渦巻いたというに、それがいったいなんだったのか分からない。足元が、崩れ去る想いだった。
もちろん、ヴォルフを責めた。無意味と解っても、責めずにはいられなかった。罵り、怒りをぶつけ、自分でも何を言っているか分からないくらいに喚いた。止めに入ったオスカーが居なければ、ヴォルフに手を上げていたかもしれない。
ただ、同時に感謝もした。ヴォルフが此度の一件を起こさなければ、マリエスは外を知ることはなかった。フェイトとフィーネという、かけがえのない友を得ることもなかった。
ヴォルフに抱いた怒りの感情と、感謝の感情。それは、到底釣合のとれるものではなかった。当然ながら、全ての元凶とも言えた男への怒りと憎しみは、ほんの小さな感謝の感情で打ち消せる訳がない。だが、その小さな想いがあったから、かろうじて最後の一線で踏みとどまれたのだ。
この後、ニクスの復興の協力をヴォルフに約束させた。それは、マリエスとヴォルフではなく、ニクス大陸の代表者と
戦いは終わったのだ。これ以上、火種になる事実を撒くことは最善でない。
だが、それは
マリエスが出した譲歩は、もしも
この取り決めが、後に
「よーし、わたしも!」
フィーネが最初の釣果を出したことで、フェイトは俄然やる気になった。釣竿を握りしめ、「早く来い早く来い」と念じるように竿を上下に降る。魚を誘っているのだろうが、あまりに激しすぎて不自然ではないかとも思う。
フェイトの気持ちを落ち着かせようと、フィーネは別の話題を振る。
「そう言えばさ、ゼルさんはどうしたの?」
「お父さん?」
「ゼルさん、か……」
竿を揺らしながら訊いていたマリエスの声のトーンが少し落ちる。フェイトは、少し表情に陰を落とし、ゆっくりと口を開いた。
戦いも落ち着いたある日、全く姿を見せないゼルを心配してフェイトはケープ遺跡に出向いた。挨拶を兼ねて、その頃には多少動けるようになっていたローレンジを連れて来た。
だが、遺跡の中は空っぽだった。ゼルが乗っていたゾイド――ブリッツタイガーも、オーガノイドのパルスも、影も形もなかった。機能を停止したロードスキッパーだけが、その場に残されていた。
遺跡の入り口には、墓があった。
ヴォルフと訪れた時に見たそれと違い、墓石には文字が追加されていた。遺跡から引き返す際、同行したローレンジが読み上げたそれは、
『ユーノ・エラ・ユピート、ゼル・ユピート。ここに眠る。時空を旅した二人に、
あれは夢だったのだろうかと、疑う気持ちもあった。だが、フェイトにとってあれは夢ではない。どんな形であれ、実の父と再会したのだ。例え、
その証拠に、フェイトの首にはペンダントが提げられている。ゼルから貰った、ゼネバスのペンダントが。そして、確かに残っている、肌に感じたぬくもりも。
「ごめんなさい、訊くべきじゃなかったわ」
「ううん、いつかは話さないといけないことだもん」
「人間、いつかはそうなるんだ。仕方ないよ」
「うん……」
話題を振ったつもりが、まさかのお通夜モード一直線だったことにフィーネは表情を陰らせる。マリエスがどうにか空気を和らげようとするが、結局できず、申し訳ない気持ちになる。
どうにか、元気づけてあげられれば。
その時、ゼルと会った時の違和感を思い出す。
「きっと、また会えるわ」
「フィーネ?」
「たぶん、そんな気がする。ちょっと違う形で、でも会える。だって……」
その先は、フィーネには言えなかった。漠然とした予感なのだ。確実には言えない。ただ、一つだけ感じた違和感――「なぜゼルは初対面のバンとフィーネを知っているのか」、その答えが、フィーネの予感に繋がった。
「今度は、ユーノお母さんも一緒ね」
「……うん。そうだね! ありがと、フィーネ」
フェイトの調子が戻り、どう治めようか迷っていたマリエスも、ほっと息を吐いた。
フィーネは飲み物を取りにシュトルヒに戻って行った。その時、ふと思い出した話題をマリエスは振ってみることにする。
「ねぇ、そう言えばフェイトの友達の、ジョイスだっけ? 彼は、どうしてるんだい?」
「……ジョイスは――」
フェイトは、また重苦しげに口を開いた。
戦いが終わり、ローレンジと同じくジョイスにもずっと会えなかったフェイトだが、ローレンジが出歩けるようになった日にようやく再会した。
ジョイスは、意識がなかった。まるで死人のような無表情で、ぼうっとフェイトを見つめるだけだ。
最初は、初めて会った時のように記憶を失くしてしまったのかと思ったが、そうではなかった。ローレンジ曰く、『意識があるようで、ない』そうだ。呼吸は行っているし、食事も摂れる。生理的な欲求は大体がこなせる。だが、そこにジョイスの意志はないのだ。
精神が死んだ。
その表現が、ぴったり合ってしまう状況だと言う。ジョイスも、この戦いを経て生まれてしまった犠牲者だ。
「ご、ごめん。僕……」
「いいよ。ジョイスにはこれからも今まで通りにしてあげてってロージに言われたんだ。そしたら、また前みたいに戻れるかもしれないから、さ」
顔を上げたフェイトには後悔の色はない。これからを見据えるその眼は、まっすぐだ。マリエスが見惚れてしまうくらい。
「やっぱり、フェイトは強いな」
「え?」
「ううん、なんでも……」
「気になるなー」
「どうしたの?」
二人の背後から声がし、振り返るとフィーネが戻ってきている。
「いや、なんでも。それよりさ、フィーネも訊いてよ。実は……」
フィーネが戻ってきたのを渡りに船と、マリエスは再び話題を変える。フェイトもフィーネも深く突っ込んでこないため、少し安心できた。
その後は、色々な話をした。
ウィンザーがヴァルハラの町でナンパしまくった結果、またしてもサファイアのビンタを喰らい、しばらく口も利かれなかったこと。
ガイロス帝国のギュデム・ランザーダックとニクスのキリー・ブラックが意気投合。朝まで飲み明かし、互いに「心の友よ!!!!」と叫んで道端に倒れて、あわや凍え死にしかけたこと。
マリエスの本名は『マリエス・ゲアハルト・バレンシア』であり、ガイロス帝国皇帝の初代『覇王ガイロス』は、ニクスの掟を嫌った巫女の家系の一人であり、これまでで唯一のニクスからの脱走者だったこと。
ズィグナーがニクスの民に
そのヴォルフは、非常にいたたまれない想いに包まれ、一日部屋に閉じこもって胃薬と過ごしたこと。
エリュシオンと連絡を取った際、裏で動いていたアーバインがエリュシオンの留守を任されたヒンター・ハルトマンにゴリラ呼ばわりされ、怒髪天の怒りを見せた事。
ガイロス帝国のガーデッシュ・クレイドが、へリック共和国のロン・アイソップと共に幻の雪男ゾイド、通称『イエティコング』を探しに真冬の山脈地帯に分け入ったこと。
ザルカがニクス産のゾイド研究のために冬のイグトラシル山脈に突貫し、パンツ一枚でガーデッシュとロンに発見されたこと。ちなみに、本物の
ローレンジの部下らしい雷獣戦隊(仮)が決めポーズを作り、ニクスの子どもたちに大ウケで、気が付いたらその司令塔扱いにされていたローレンジは、出歩けるようになったにもかかわらず、しばらくドラグーンネストから出ようとしなかったこと。
そのローレンジは、ヴォルフの下でいつまでも孤高を貫く訳にもいかないと思い立ったらしく、これまでに出会ったゾイド乗りに自身の部隊――
共和国の軍学校に入ったバンだが、座学初日で頭をパンクさせたうえ、分からないまま居眠りをしてしまい、教壇に立ったクルーガーの落雷を喰らったこと。
ニクスの民と
今回の事態を受け、ガイロス帝国とへリック共和国の間で平和維持を目的とした特殊部隊ガーディアンフォース、通称『GF』が設立される運びになったこと。
今回の戦果で昇進の話が持ち上がったアーサー・ボーグマン(少佐)が、トミー・パリス(中尉)を巻き込んで終戦祝いの席で大暴れした結果、そろって昇進が打ち消されたこと。
語れば、実に多くの事があった。あれほどの戦いから三ヶ月。多くの事が起こり、戦いの中でいくつもの悲しい出来事があった。しかし、終わってしまえば慌ただしくも穏やかな、平穏な日常が少しずつ帰って来る。それを、肌で感じられる時間だった。
失った悲しみは大きいが、こうして訪れる日常が、少しずつ傷を癒してくれる。
時刻は午後に傾き始めていた。
三人は一旦湖畔に引き上げ、持ちこんだガスコンロの上に鉄板を乗せ、その上で釣果を焼いた。味付けは持ちこんだ塩を――フィーネ以外――軽く振っただけ。質素だが、素朴な味わいだ。
「釣りって面白いわ」
「むー、昼からは負けないよ! なんでフィーネばっかり……」
午前中の釣果はフェイトが二匹、マリエスが五匹、そしてフィーネが十五匹。誰がどう見ても、フィーネの圧勝だった。
フェイトは頬を膨らませ、手当たり次第に釣果を口に運ぶ。
「あ、フェイト、それ私が釣ったのに――」
「早い者勝ちだもん!」
「急いで食べると、骨が刺さるよ」
そうマリエスが言った瞬間、フェイトの手が止まった、一機に顔が赤くなり、咳き込み始める。フィーネが差し出した水筒をひったくり、中身を一気に飲み干す。
大きく息を吐きだし、人心地吐くフェイト。その世話をするフィーネ。そんな二人を見て、マリエスは誰にともなく噴きだした。
「リエン?」
「どうしたの?」
二人の疑問に、マリエスはしばらく笑い声を抑えられなかった。そして、ようやく人心地ついたところで顔を上げた。
「僕さ、ラインさんに友達ってなにか訊いたんだ。その答え、やっと分かったよ」
ラインから伝えられた答えは「フェイトみたいな子」であった。それは、含みなど一切なかったのだ。ありのまま、言葉のままに捉えればいい。
「こうやって、一緒に笑い合って、意見を言い合って、偶には喧嘩するかもだけど、それでも離れられない。それが、僕の『友達』なんだなって」
仰ぎ見た空、雲の切れ目から太陽光が降り注いだ。ニクスの雪景色を輝かせる絶景。光指すその光景は、三人の行く先を祝福しているのかのようだった。
友達という大切な存在を見出した三人は、それぞれの想いを胸に、明日へと歩き出す。
クッソ長過ぎな第三章『暗黒大陸編』これにて完結です。
最終話はいかがだったでしょうか。本当ならヴォルフとマリエスの話し合い、ゼルがあの後どうなったか、などなど補完するべきだと思いましたが、この一回でまとめてしまいたい想いが強く、今回に詰め込みました。作者として、第三章はこの終わり方にしたかったので。
これらについては、のちのち補完エピソードとして『短編』の形で出したいと予定しています。でないと、ゼルはなんだったのかって話になりますよね(汗)
余談ですが、本編後半に怒涛の勢いで語った小エピソード群、もしかしたらこれも短編に書き起こすかも……。特に読みたいというエピソードの要望があれば教えてください。それは優先させたいと思います。あくまで予定ですが。あ、ほかにも幕間を製作中ですので。
ここまでお付き合い頂き、ホントありがとうございました。今回もいつもの後書きを用意しますので、そちらもよければ。
それでは。