ZOIDS ~Inside Story~   作:砂鴉

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第85話:親友

 帝都ガイガロスの動乱から三ヶ月と少し経った頃のことだ。

 

 オーダイン・クラッツは、所用でアレスタの町に入っていた。

 クラッツは共和国の軍人だが、PKとも裏で繋がっていた。頭であるギュンター・プロイツェンが死に、烏合の衆と化したPKをどうにか生かし、彼の悲願へと向けるため、東奔西走していたのだ。無論、共和国側に正体が割れないよう、慎重に。

 

 ――しかし、あそこまでのクズだとはな。所詮、ギンの腰巾着に成り下がろうとした男か。

 

 アレスタの市長――ハイデル・ボーガンと接触したクラッツだが、彼はプロイツェンとの関係を一切なかったことにすると決めていた。大犯罪者(ギュンター・プロイツェン)とのパイプの所為で身を滅ぼすことを避けるため、だろう。保身に走る、汚い男だ。あんな奴が、親友の仲間の一人に成り下がっていたことを思うと、腸が煮えくり返る想いだ。

 

 ちらりと路地裏へと通ずる道へと視線を向ける。物欲しそうな視線を光らせるみすぼらしい人々は、元ゼネバス帝国の民だ。この町では差別意識が強く、敗戦国の民として未だに不当な扱いを受けているのだ。

 ギン――ギュンターとは、亡きゼネバス皇帝の無念を晴らすため、彼らのような人間を失くすために亡国の再誕の決起を誓ったと言うに、結局はそれを助長しているにすぎなかった。そのことに、酷く落胆も感じた。

 

 だが、クラッツにはそれを助ける力がない。昔の同郷の仲を助けることも敵わない自分に、大勢の難民を助ける力などない。後ろ髪魅かれる想いで、クラッツはその場を足早に立ち去る。

 

「なんということだ……」

 

 その声は、クラッツとすれ違った男からだ。外套で身を隠していた男だが、その光景に外套を取りこぼしてしまう。流れるように落ちた外套の下に覗いた姿には、見覚えがあった。

 

「……ヴォルフ、なのか?」

 

 その呟きに、金髪の青年はゆっくりと振り返った。そして、そこにはクラッツの親友の面影を残す、激情を瞳に湛えた青年――ヴォルフ・プロイツェンがいた。

 

 

 

 亡き父の親友であるオーダイン・クラッツの顔を、ヴォルフは覚えていた。そのため最初は警戒したのだが、クラッツはそんなヴォルフをどうにか宥め、裏路地の一角に腰を下ろして話を訊いた。

 

 ヴォルフはゼネバス復興の同志を求めて、多くの町や村を回っていた。そんな中で、このアレスタの町に訪れたのだ。そして、ズィグナーたちの目を盗んで一人で町の視察に入った。

 アレスタの町の惨状は散々なものだった。元ゼネバスの民は奴隷同然の扱いを受けており、満足な生活が出来る者などほとんどいない。暴行、差別……奴隷の凄惨な現実がまざまざと見せつけられた。住民に植え付けられている選民思想は、易々と変わるものではないことが明白だった。

 

「私の友から、この町の惨状を訊いていた。だが、まさかこれほどとは……」

「すべての町がこうであるわけではない。ここが特別酷いだけだ」

「だが、彼らは私の祖父――ゼネバス皇帝の民だった者たちだ。私の民でもある。彼らのこのような姿を見て、黙っていられない!」

 

 ヴォルフの隣には一人の少年がいた。不当な暴行を受けていた所を偶然ヴォルフが見かけて助けに入ったらしい。名を、リュウジという。視線は合わず、すでに死人の様だった。

 

「このような街を放ってはおけない。今すぐにでも……」

「ヴォルフ、何を考えている?」

「決まっている! 私は……」

 

 そこでヴォルフは言葉を切った。激情のままに吐き出そうとした言葉の意味に理性が追いつき、咄嗟に口を噤んだ。

 だが、クラッツにはその先が分かった。嘗て、亡き父を侮蔑され、その無念に心を痛め、世界への復讐と亡国の再誕を望んだ在りし日の親友に、そっくりだったからだ。

 親友は、息子のことを優しすぎると称していた。自身とはまるで似つかないほどに、と。だが、やはり親子だ。その根っこには、親友と同じ感情が宿っている。むしろ、親友よりも危うい気がした。

 ヴォルフにとって、仲間たちは皆家族だ。そして、いずれ守らねばならない民も、家族の一員だ。それが侮蔑され、傷つけられ、黙っていられるはずがない。親友――ギュンター・プロイツェンもそうだったが、ムーロアの家系は家族思いが過ぎる。大切過ぎて、それが傷つけられたら、己の底から湧き上がる感情を抑えられない。

 

 ――親子だな。……なら、いっそ……。

 

 クラッツの中に一つの案が浮かんだ。この優しくも、激情に身をとしてしまう危うい親友の子が、父と同じ道を歩むのか否か。確かめてみるのだ。

 

「ヴォルフ。今この町を変えたとて、根本的解決にはならん。君たちが彼らを守る国を作らねば、解決などできん」

「分かっている! だから今、あちこちで活動を続けているのだ。だが、それも今すぐには……」

「そうだな。君たちへの世間の信用は、まだ低い。ならば、世間から分かりやすく評価されればいいのだ」

「……それは?」

 

 そうしてクラッツは、計画を告げた。

 実は、この時PKの残党が町の周辺に潜んでいたのだ。クラッツを仲介し、ハイデルと話をつけるためだった。ヴォルフがこの町を訪れたもう一つの理由には、その情報を得たからこそというものもあった。

 鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)はそれを確かなものとし、ガイロス軍と連携を取る手はずだった。だが、それではPK殲滅の戦果はガイロス軍のものとなってしまう。

 そのためにこれから町の住人を扇動するのだ。幸いにも、ハイデルの横暴は町でも不満を買っており、プロイツェンが倒れた今、いつ爆発してもおかしくない。そうして起こした騒ぎの隙に、PKをこの場から逃がす。そして、ガイロス軍の手の届かない場所で、鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)が過去との決別の意味を込めて討伐する。

 これで世間からの信用が得られ、鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)のゼネバス復興計画は大きく前進できるはずだ。

 

 民を巻き込んでしまうことにヴォルフは渋ったが、クラッツはこれをどうにか説き伏せ計画を実行に移した。

 暴動の中から逃げ出したハイデルがPKに合流するなどイレギュラーもあったが、咄嗟であった計画は少しずつ前進を始めた。

 

 

 

***

 

 

 

「それが、あんたとヴォルフが立てた計画、か」

 

 大まかではあったが、ローレンジの予測も当たっている。ただ、それを誇る気には到底なれず、むしろ外れて欲しかった想いの方が大きい。特に、ヴォルフが関わった辺りは。

 方法は、他にもあったと思う。少しずつ、ほんのわずかずつではあるが、鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)に対する世間の目を和らげることはできる。膨大な時間を消費するが、当初は、少しずつ地道に目的へと近づこうという働きもあった。

 

「そこまでして、早急に信頼を得る必要があったのかよ。少しずつでもよかったんじゃねぇのか?」

「急いたのだ。私は」

 

 ヴォルフは、初めて口を開いた。

 

「民のため、未来のため、そんな綺麗ごとのために、私は私の仲間たちを犠牲に指し出したのだ。アレスタの罪なき民を、暴動という戦火の中に捨てたのだ。その上、お前の言う通り、全く関係の無かったニクスの地を戦火に晒した。実際に行い、その様を目の当たりにし、私はようやく気付くことが出来た。……気づいた時には、もう後戻りできなかったがな」

 

 ヴォルフの口から紡がれたのは、深い後悔の想いだった。自らの激情に身を任せ、その結果が、己が守るべきものすら捨て去った非情な戦いなのだ。

 ヴォルフは、人一倍仲間思いだ。それは、戦いの場で常に最前線に立とうとする心構えからも表れている。だが、今回はその仲間思いが、深く民を想う心が、逆方向に向いたのだ。

 民を幸せにするために、民や仲間たちが安息の元に暮らせる国を作るため、急き過ぎたのだ。一刻も早く安息の地を作るために、今の犠牲の大きさを度外視してしまった。

 

 ローレンジは、その想いを訊き、自分の中の激情が冷めていくのを感じていた。ヴォルフは仲間を思うあまり、多くの犠牲を強いてしまった。一時の激情に身を任せ、間違った道を選択してしまった。それは、嘗てのローレンジの過ちであった。

 

 助けられない悔しさから、『死』という解放を選んでしまった。その先にあったものが、己を正当化するための、“逃げの殺戮”だということに気づきもせず。

 

 同じ過ちを犯したローレンジに、どうヴォルフを叱責することが出来よう。同じ過ちを犯した者の言葉に、一体何の意味があるのだろうか。

 ならば、ローレンジにできることなどないのか。

 

「ヴォルフ……あなたは……」

 

 アンナは言葉無くヴォルフを抱きしめ、声もなく泣いた。ヴォルフを受け止め、重すぎる罪に苛まれたヴォルフを慰め、諭した。

 

「ヴォルフ。間違う時は、誰にだってあるわよ。あたしも、あなたが死んだって聞いた時に、怒りで何も見えなくて、間違った。あなただって、そういう時はあるもの」

 

 ――違う。

 

 ローレンジの心の底が、訴えた。

 

 ――違うんだ。

 

 アンナは、ヴォルフが心に負った傷の深さに、癒すことを選んだ。それは、傍に寄り添えるアンナだからこそできることだ。ローレンジには、今のヴォルフを慰めるなど、どう立場を覆したって出来る訳がない。

 

 ――そうじゃない。

 

 ローレンジが成すことは、慰めることではない。同情するでもない。ならば、責めるか? それは、さっき意味が無いと思った。心の底から、ローレンジは今のヴォルフを責める資格はないと思っている。

 

 タリスに任せるべきだろうか。ローレンジが誤っていた時、タリスはローレンジを叱責し、正そうとした。彼女にはそれが出来る。

 ちらりと、タリスに視線を流した。しかし、タリスは――彼女でさえ、この状況でどうしていいか分からなかった。

 タリスは、元々PKで、そこから逃げ出してきたのだ。言うなれば、彼女はこの戦いの被害者の一人である。責める資格は、十分にあった。

 だが、できない。彼女は被害者だが、同時に加害者でもあった。PKとして彼女が犯してきたことは、ニクスの民を苦しめてもいる。それに、怒りをぶつけるにも慰めるにも、タリスはヴォルフを知らない。ヴォルフという男を、タリスはほとんど知らない。

 

 だが、タリスはローレンジを叱責することは出来た。

 なぜだ? ローレンジにはできて、ヴォルフにはできないその訳。それは……、

 

 

 

 ――そうか。

 

 あの時、タリスが言っていた言葉の中に、その答えがあった。タリスは、()()があったから、ローレンジを叱責できた。ヴォルフに対してはない、()()が。

 そして、今それを最も持っているのは、皮肉にもローレンジだった。

 

 ――俺か。……やる、のか。俺に、出来るのか?

 

 ふと、助けを求めてタリスに視線を流した。タリスは、静かに頷く。聡い彼女だ。ローレンジの思考など、とっくにわかっている。そして、タリスの眼差しは、それができるとローレンジに語っている。

 

 「あなたは、私に対して一度やっているではないですか」と、語っていた。

 

 

 

 ローレンジは、ゆっくり足を踏み出す。ヴォルフを抱き寄せているアンナの肩に手を乗せ、頷く。すると、アンナは悲しげな顔のまま、ヴォルフを離した。ヴォルフの顔が、ゆっくり持ち上がる。

 視線が、ぶつかった。

 今にも崩れそうな、弱々しいヴォルフの目元。エナジーライガーに『皇』と啖呵を切り、共に決戦へと望んだ姿からは、想像もできないほどにぐらついた姿が、ローレンジの瞳に映り込んだ。

 

「ロー……レンジ」

「ヴォルフ…………歯ぁ、喰いしばれ!」

 

 

 

 そして、ローレンジはもう一度握り込んだ拳を、ヴォルフの頬に叩き込んだ。

 

 息を飲む音が、耳に届く。アンナではなく、クラッツだった。だが、そんなこと意識の外に弾き、ローレンジは再びヴォルフの胸倉をつかみ上げた。

 

「なに、だらしねぇこと言ってんだよ……すぐに気づけただろうが。お前が間違っちまったことなんざ。気づいて、どうして俺達に黙ってた」

「……これは、私の罪だ。私が、背負うべき業なのだ。お前たちに話す必要など……」

 

 言葉を切らせず、ローレンジは再度ヴォルフに拳を叩き込む。ふと、ヴォルフと初めて会った時を思い出す。あの時も、こうやって殴ってやった。そして、殴り返された。

 

「だろうよ。今回のことは、俺たちの代表のお前が背負った罪だ。この先、ゼネバス帝国の再誕ができたとして、お前の判断は英断だって言う奴が出るかもしれねぇ。だがよ、なんで言ってくれねぇんだよ! どうしてお前は、そうやって全部自分の中に詰め込むんだよ!」

 

 タリスと初対面した日の夜。ローレンジはヴォルフに一言告げている。「背負い過ぎるな」と。それは、少しも果たされてないように、ローレンジは感じた。

 

「お前が言うか? 己の過去の過ちを、一切私に語ろうとしない、お前が」

「俺のは……、俺が一人だったからだよ。俺が兄弟弟子を殺したのは、それから殺戮を繰り返したのは、傍に誰もいねぇからだ。当時の俺には、相談できるほど信頼した奴なんて一人もいねぇ。だけどな! お前が業を背負った時、お前は一人だったか? 俺やアンナだけじゃねぇ! ズィグナーも! ウィンザーも! ザルカも! エリウスのおっさんも! 鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の連中だって居ただろうが!」

「私は、お前たちのリーダーだ。責任は、私が背負わねばなるまい」

「ああその通りさ! 一組織のリーダーのお前は、俺達みんながやらかした失敗の責任を取ってもらわなきゃならねぇ! だけどな……、お前が溜めこんだ、その苦しみとか、愚痴とか、怒りとか! ため込むなよ! 俺らに――いや、俺にくらいは話してくれてもいいじゃねぇか!」

 

 その言葉に、ヴォルフははっと目を見開いた。そこに、ローレンジは突破口を見出す。胸倉を引き寄せ、額と額をぶつける。痛みに目をつぶったヴォルフに、瞼を突き抜くくらいの気概で、ローレンジは叩きつける。言葉を。

 

 

 

「愚痴でもなんでも、溜まった良い事悪い事、全部ぶちまけろよ! 俺は、お前の『親友』なんだから、なぁ!!!!」

 

 

 

 ギリギリと額を擦らせ、ローレンジはヴォルフを投げ捨てた。受け身もとれず倒れるヴォルフは、呆然とローレンジを見上げる。ローレンジは、吐き捨てるように息を切らせ、続ける。

 

「……俺は、間違いだらけの人間だ。だからフェイトって枷が必要だし、タリスって監視役を置かないと安心できねぇ。お前も――人間、誰だって同じだ。誰かが、対等に言える誰かが傍で見てないと、何しでかすか分かったもんじゃねぇ。だから――」

 

 今回のことでよく分かった。ヴォルフは、自分の感情を制御できない。いや、人間誰だってそうだ。だからこそ、傍で対等な立場から異論を唱える人間が必要なのだ。それが居なければ、人は暴君に成り下がる。それが正しいことだとしても、その判断が精神という身を滅ぼす。

 ズィグナーではダメだ。ズィグナーは優秀な部下だが、ヴォルフの指示にはイエスと答えてしまう。例え、それが間違っていようと、面と向かって指摘できる男ではない。彼は、ヴォルフの背中を押すという役割で、ヴォルフを支える男だ。

 アンナもダメだ。アンナは受け皿だ。ヴォルフが苦しんだ時、その苦しみを分かち、受け止める立場だ。それは、ヴォルフの傷を癒す存在。必要だけど、そんな者には、傷を与える役は似合わない。

 

 だから、ローレンジの立場は、今のようにヴォルフを責めることだ。過ちをはっきり過ちと言い、意志をぶつからせる。その上で、対等に話し合える唯一無二の存在に、ローレンジはならねばならない。

 親友だから、過ちを犯したから。そんなローレンジだからこそ、ヴォルフにとってのその立場に就かなければいけない。

 

「――だから、俺がお前の監視役だ。お前が間違ったら、俺が容赦なくぶん殴ってやる。……分かってると思うが、俺は殺し屋上がりだ。()()()()ちまうかもしれねぇ」

 

 愚痴る様に一言追加するローレンジ。だが、それが少しばかり空気を和らげ、ヴォルフも視線を叩きつけた

 

「……ああ、お前がそういう気質であることは、お前の『親友』である私が一番よく知っている。だが、私は皇を目指さねばならん。死ぬわけにはいかん。この命、誰にだってやる訳にはいかん!」

 

 二人の視線が交差し、同時に言うべき言葉が見つかった。

 

「だから、ヴォルフ! 俺に……」

「ローレンジ! 私を……」

 

 ローレンジは、唇を小さく動かした。音の無い言葉は、しかしヴォルフの目に焼き付けられる。

 ヴォルフも唇を動かす。それは、ヴォルフからの命令で、果たすべきでない約束であった。

 それは、二人の間だけの誓いだ。主従であり、親友であり、皇と暗殺者という関係。ローレンジとヴォルフという二人の関係だからこそ、この誓いは固く結ばれる。

 

『俺に――お前を殺させるなよ』

『私を――お前以外に殺させるな』

 

 矛盾する。しかし確かな誓いは、ここに結ばれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ボサッ」と、何かが積もり始めた雪の上に倒れた。

 

「クラッツさん!」

 

 それに最初に気づいたのは、離れて主従の諍いを見守っていたタリスだった。次いで皆がその事態に気づく。クラッツは、雪の上に横たえながら、浅く息をしている。

 

「……あなた! 死にかけじゃない!」

 

 クラッツの脈を測ったアンナが、その異常を伝える。しかし、当事者であるクラッツは、穏やかな笑みを湛えていた。

 

「……よかった」

「なに?」

 

 クラッツは、小さく呟き、そして、両の瞳から一筋の滴を流した。

 

「ギン。お前の息子は、ヴォルフは、良き友に巡り会えたものだ。私のような愚か者ではなく、本当に強く、心も太い。そんな男が、傍で支えてくれるのだ」

「どういう、意味だよ」

 

 クラッツは、再び雪の降りだしたニクスの空を見上げ。目をつぶる。一瞬心臓が止まったのかと思われたが、クラッツの口元は穏やかに言葉を紡ぎ始めた。

 

「私は、ギンの……ギュンター・プロイツェンの親友だ。だが、私はあいつを正せなかった。あいつが、一人暴走していくのを、ただ見ていることしかできなかった。それどころか、私はそんなギンに、あいつの最期まで、味方でありたかったのだ。暴走してなお、味方であろうとした」

 

 クラッツはゆっくりと、己の心の底を始めて口にした。

 

 クラッツは共和国の人間だ。だが、幼少時はガイロス帝国領で過ごし、ギュンター・プロイツェンの幼少の頃とも親しかった。そして、ギュンターが掲げた「いつか亡き祖父ゼネバスの無念を晴らし、ゼネバスの民に安息を」という目標に賛同し、その裏工作のために共和国軍に入隊した。

 以降、表面上は敵対しつつ、裏で繋がりを残していた。リーゼの能力を研究し、密かにその成果を帝国側に譲り渡した。共和国側もその研究にこぎつけたのは誤算だったが、それを逆手に自らは共和国側の自動操縦(スリーパー)ゾイドの技術の持ち主という立場を手にした。

 

 しかし、共和国側に立ったことが災いし、デスザウラーに手を染めていくギュンターを止めることは出来なかった。その最期を、敵の立場から傍観することしかできなかった。言いようのない虚脱感と、自身の無力に叩きのめされる現実だった。

 悟ったことは、クラッツは最後までギュンターを支えるべきだったということ。手紙に残した決意――親友の最期の意志だけは成し遂げようと言う、先の無い目標だった。

 

 虚脱感を胸に抱いたまま、せめて親友が生きた痕跡の一つであるPKの存命を測ろうと、彼らに手を貸した。また、彼らと共に、親友の願いである惑星Ziの破壊を成し遂げようと心に決めていた。

 

 ヴォルフと再会したのは、そんな時だ。

 

 親友の暗い面影を奥底に秘めたヴォルフを見て、血は争えないと想った。同時に、彼に尽くすことが、親友を亡くした虚脱感を埋めるのではと感じた。そして、ヴォルフを誘ったのだ。

 

 ヴォルフがこの計画を達成すれば、彼は第二のギュンター・プロイツェンとなるだろう。それは、果たして正しいのか間違っているのか、クラッツにはもう分からなかった。ただ、親友の影を求めて、ヴォルフを引き摺りこもうとした。

 

 

 

「だがな、上陸作戦を達した時、ヴォルフの深い後悔を、哀しみを訊いた。もう後戻りはできない。しかし進むしかないと。私は、ヴォルフはギンと同じにはならんと確信を持てたよ」

「なら、その時点で辞めにすればよかったじゃねぇか」

 

 ローレンジの言葉に、クラッツは力無く首を振った。

 

「ダメだ。私は、PKに入って知ったのだ。親友の影を本当の意味で受け取ったのは、ヴォルフではない。あの男だと…………血は、争えんものだ」

 

 PKは戦力が足りなかった。エウロペから逃れるだけでも、ギリギリの戦力だったのだ。ニクスからの協力者であるジーニアスの援護を入れても、ニクスの地を占領するには圧倒的に力が足りない。

 そんなPKに、密かに援助を申し出た一団があった。それは、嘗て同じギュンター・プロイツェンの名の下に戦った嘗ての同門組織――テラガイストである。

 テラガイストは実験中の兵器と称し、『ヴァルガ』『クリムゾンホーン』の提供を行った。また、ハイデルが乗った『ダークスパイナー』も、テラガイストからの提供だった。そしてもう一つ。彼らが所有する最強のゾイド――血濡れの悪魔(ブラッディデーモン)から生まれた悪魔の分身――ジェノザウラー、プロトブレイカーも。

 

 テラガイストからの支援を受け、PKの戦力は十二分に整った。テラガイスト側も兵器の実験という名目でPKを利用しているのは分かっていた。だが、もう止まる気はなかった。

 その理由は、テラガイストという存在自体にあった。

 

「テラガイストが求める世界は、嘗てギンが望んだ世界だ。すなわち……」

「ガイロスへリックを滅ぼし、ゼネバスが統一国家として統べる惑星Zi、か」

 

 クラッツの言葉を引き継ぎ、ヴォルフが呟く。

 

「そうだ。君たち鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)は、同じゼネバスの旗を掲げるだろう奴らと、思想の違いから、いつか戦わねばならない」

 

 クラッツは恐れてもいた。水面下、地下深くで戦力を整えつつあるテラガイストの存在を。そして、彼らが圧倒的な力の元に世界を制するというなら、破滅の魔獣(デスザウラー)クラスのゾイドの利用は避けられない。

 だからこそ、クラッツは今日、この場で惨禍の魔龍(ギルベイダー)を呼び出した。それは、テラガイストが切るであろうカードを先に奪い取り、使ってしまうこと。そして、魔龍という存在にも揺るがない強固な世界でなければ、来る『大戦』は乗り切れないことを、暗に示すためでもあった。

 そしてもう一つ。それを成すために、クラッツを始めとしたPKのメンバーは悪であることに徹した。最期の最期まで、世間に対する悪役であり、倒されるべき諸悪となることを決意した。

 だからこそ、この戦いはヴォルフにも予想外の泥沼を生んだ。当初、ヴォルフとクラッツが計画していたものを、クラッツは、よりヴォルフたち鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)に立ちはだかる高き壁となれるよう、ヴォルフには伝えず、自分たちでより強大な敵となるよう、改変したのだ。

 それが、来る戦いの序章であり、訓練であり、彼らが世界に科した『試練』であるとして。

 

「そのため? そのために! あなたたちはこれほどの犠牲を強いたって言うの!?」

「その通り。これを凌げなければお前たちに、この星に明日などない。……だからこそ、PKは皆で試したのだよ。お前たちを、惑星Ziを。これが、我らが科した『試練』だ」

 

 アンナの言葉に、クラッツは震える声音で、しかし悠然と返した。

 そう言われれば、彼らの行動にも納得できた。PKの兵士は、トローヤでの決戦に際し、犠牲も恐れぬ攻勢だった。明日を担わせる若者たちを試し、自らの命を散らす場とするなら、むしろこの戦いは、彼らにとって必然だったのだ。魔龍という災厄を用いてまで試練を科し、そして咎人として死にゆくため。

 

「そして、私も死にゆく定めよ」

 

 クラッツの脈を診ていたアンナが首を振った。まだ息はあるが、長くない。

 

「魔龍は、近づく者に惨禍を与える。精神を取り込み、自らの傀儡とする。その役を担ったドルフに、まともな意思など残されていなかった。離れていた私ですら、持病による死が加速した。恐ろしいものよ。大きすぎる力を持つことの、代償は」

 

 クラッツは激しくせき込む。彼自身、元々長くはない身体だったのだ。その命が、この戦いの中で激しく消耗された。

 クラッツが参戦しなかったのは、すべてこの時のためだ。ヴォルフと、ヴォルフに近しい者たちに、全てを語る役を負い、同志たちが異国の土へと消えていく様を見届ける。そして、役目を終えた今、その命にも終わりが来ようとしていた。

 

 ローレンジは、話を訊いたらその場で殺すつもりだった。クラッツの想いは分かったが、彼が犯した罪は消えようがない。この事件の発端であり、全ての元凶である男だ。そして、ローレンジが知りうる限り、彼が己の目的のために成してきたことは、到底許されることではない。青髪の少女――リーゼに与えた苦しみは、多くの人々の悲しみを生んだ事実は、清算せねばならない。

 だが、動けなかった。親友の、その息子のために戦い抜いた男を、ローレンジには始末をつけられない。心の九割九分は殺すべきと訴えるが、最後の一線がそれを拒んだ。

 クラッツは、ローレンジと同じだ。同じようにヴォルフ、ムーロアの男に尽くした、同志なのだ。同じ、ムーロアの男を親友に選んだ男なのだ。全てを捨て、外道に堕ちてまで友の想いに、友の血族に報いようとした心を、理解できてしまう。以前なら襲ってくる殺戮への衝動も、もうほとんど来ない。

 

「ローレンジ……。遠慮は……いらん。私を、撃て」

 

 だが、そのクラッツ本人が、ローレンジの背中を押した。

 

「私は、このまま病で死ぬわけにはいかん。それ相応の、罰を受けねばならんのだ。病で死ぬよりも、刑に処されるべきなのだ」

 

 三人の視線が集まる中、ローレンジは腰の拳銃を握りしめ、安全装置を外す。無関心を装い、無気力に、くるくると指の中で拳銃を回し、構える。白い大地に倒れた男の胸に、突きつけた。

 

 アンナも、タリスも、ヴォルフさえも口を挟めなかった。挟むことは出来なかった。クラッツの想いは痛いほど伝わる上、ローレンジもこれは自分の役目だと譲る気はない。

 

「……俺、さっきの話訊いてさ、あんたとは一緒にされたくないって思ったよ。同じ、ムーロアの男を親友にしてるけど、あんたと同じ選択は、したくない。あんたと同じ、自分を捨てる選択は、御免だな」

「ムーロアの名は、厄介なものだ。どいつもこいつも……仲間想いで、民想いで、家族想いだ。それを……守るためなら、争いを一切辞さない。末……恐ろしい、血筋よ」

 

 嘗て、ゼネバス皇帝は皇帝という立場にありながら、自身を守る兵士に対しても柔らかい態度だったという。一兵士に対しても気さくに話しかけ、皇帝という立場にある人物とは思えないほど民を想う『皇』だった。

 そして、それゆえ民を傷つけられることに一際怒りを露わにする皇だったとも伝わる。

 

「ああ、だからこそ、支える俺やあんたが必要だったんだ。……誓うよ。ギュンター・プロイツェンの親友だったあんたに。あんたと同じ間違いは犯さないって」

「頼むぞ。それが、私とお前の……『約束』だ」

 

 ローレンジの右手に力が籠る。

 今、彼が引き金を引くことでとどめを刺そうとする男は、この戦いの黒幕だ。ヴォルフを唆し、PKを扇動し、ニクスの人々の仲を砕いた。全ての元凶ともいえる男だ。

 そんな男に、ローレンジは敬意を抱いた。

 憎むべき男だ。ローレンジが知る中でも、多くの人が彼のために人生を狂わされた。

 

 だが、彼はただ一つの信念のためだけに動いたのだ。

 亡き親友のために。

 亡き親友の、息子のために。

 

 そのためだけに、彼は己を悪とした。

 親友の野望のために、悪事と分かった上で自ら悪に手を染めたのだ。

 親友の息子のために、自ら悪として討たれることを望んだのだ。

 たった一つの信念の下、男は、人生を捧げたのだ。

 

 幾年が経とうと消えなかった、親友への忠義を、友情を胸に。

 

「……オーダイン・クラッツ。これで――終わりだ」

 

 

 

 乾いた銃声が、白く覆われた暗黒大陸テュルクの大地に響く。

 

 多くの想いを抱えた暗黒大陸の戦いは、この瞬間、幕を閉じたのである。

 




次回、第三章『暗黒大陸編』、エピローグへ。

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